11、傷は消えないけど
石造りの綺麗な街並み、活気ある市場、ゴチャゴチャ感が好奇心を掻き立てる土産屋、目にも楽しいスイーツ店のショーケース、そしてソーセージの焼ける良い匂い。
「これだよこれ、これがミーアの思い描いていたリンゲン!」
「あんま乗り出すな、落ちるぞ」
馬車の窓を流れていく見知らぬ街に、ミーアは目をキラキラさせながら身を乗り出さずにはいられない。
「気持ちは分かるけど。ハシャギすぎるなよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ。お金のことなら心配いらないよ。私そこのお土産屋、店ごと買えるくらいお金持ってきてるから」
「人の金で豪遊するなよ……まぁ君は勝手にやってなさい」
「へ? 師匠も行かないの?」
「師……匠……?」
慣れない単語を耳にしたロムレスの眉間にゆっくりと皺が寄っていく。
「なにそれ」
「いつまでも“お兄さん”じゃよそよそしいでしょ? それにあの時の剣捌き……遠距離武器でイキッてる玉無し野郎だと思ってたけど、見直しちゃった」
「た……玉無し……そんな風に思ってたんだ……」
「ミーアがもっともっと可愛く強くなれるように協力してもらうからね! あ、妹キャラフェチであえて“お兄ちゃん”って呼ばせたいならオプション料取るよ」
「もう良いよなんでも……玉無し野郎以外なら」
がっくり肩を落とし、虚ろな視線を床に這わせるロムレス。
思った以上の落ち込みっぷりに、さすがのミーアも少々慌てる。
「ちょっと拗ねないでよ。あんな化け物みたいに強いなんて思わないじゃん」
「……私に言わせればどちらも化け物だよ」
馬車の端で膝を抱えていた老人が不意に口を開いた。
口を縫い付けられていた糸は取られたものの、唇の周りには傷跡が生々しく残っている。
決して二人とは目を合わせようとせず、自分の足元に視線を落としながら尋ねた。
「どうやってあの剣の魔力から逃れたんだ。なぜ君たちは平気だった」
「俺は異世界人と戦うためリンゲンに来た。攻撃の手段はもちろん、防御に関しても念入りな準備をしている。ああいった間接的なスキルは俺には通じない。だが……ミーア、お前は一体どうやったんだ? 何か持っているのか?」
「はーあ、ミーアは道具に頼るような甘ちゃんとは違うの。自分で交渉したんだもん」
そう答えるミーアの表情は妙に得意気で、上機嫌に尻尾を立てている。
「異世界人と交渉なんてしたの?」
「ちがうちがーう! 剣と!」
「は? 不思議ちゃん気取りか?」
ロムレスの冷たい視線に、ミーアは慌てたように首を振る。
「違うよ! なんでそう取るかなぁ。あの剣を握ったとき、声が聞こえてきたでしょ?」
「声? またそんな、ハハッ、まぁお前くらいの年齢ならそういう妄想しちゃうのも分かるが、それにしてもベタな設定だな」
「だから違うってば!」
顔を赤くしながら尻尾をバタバタと動かすミーア。
彼女に助け舟を出したのは老人の低く冷静な声だった。
「その娘の言っていることは本当だ。あの剣は悪魔だ。甘い言葉で囁きかけ、剣を手にした者の思考を奪い支配する」
「……そうだったのか。異世界人らしい残酷な思考だな」
老人の言葉にあっさり手のひらを返すロムレスに、ミーアは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「なにこの信頼の差……とにかく、剣が話しかけてきたの。この剣、とにかく乱暴で、戦いが好きで、肉を切りたくて血を浴びたくて仕方ないって感じだったけど話のできない相手じゃなかった。だから交渉してみたの。私の正気を奪ったとしても、斬れるのはせいぜい一人か二人。でも私の物になるなら色々な所へ連れて行ってあげるし、もっともっと使ってあげられるって」
「自我を持つ剣が創造主を裏切った……? ま、無い話ではないが。っていうかその剣、本当に今後も使うつもりか?」
「もちろん!」
ミーアは満面の笑みを浮かべ、纏ったローブの中から二本の短剣を取り出して頬ずりをする。
「ミスリルを砕いて、異世界人に致命傷を負わせることができる剣だよ? 凄くない?」
「凄いのは分かるが、呪われた剣だぞ。没収だ!」
ミーアの手から短剣を奪い取ると、ロムレスは懐にしまい込む。
「ちょ、ちょっと! 異世界人の剣、師匠がほとんど回収したんだし良いじゃんそれくらい! ミーアにもちょうだいよ」
「ダメだダメだ。異世界人が死んでもスキルの効果は残る。お前が街中で暴走したら被害を受けるのは無力な一般人なんだぞ。これは俺がきちんと処分する」
「そんなぁ、剣が可哀想だよ。剣たち、どんどん作られてどんどん出荷されてるんだけど、全然使ってもらえないんだって。だから私の話にすぐ飛びついてきたのに」
「使ってもらえない……? 持つだけで否応なく暴れ出してしまう剣が? なら、出荷された剣たちはどこでどうしているんだ?」
「さぁ、そこまでは。剣には目がないし」
「…………」
神妙な顔で考え込むロムレスをよそに、ミーアはさらに喋り続ける。
「っていうかお爺さんやっと喋ったね。せっかく糸外してあげたんだからさ、もっと口開いてよ。っていうかなんでミーアにあんなもの食べさせたの? ほんと、死ぬかと思ったんだけど」
「ヤツの餌食になった旅人は数えきれない。お陰で屠殺場の人間より死体の処理が上手くなってしまった。分かるだろう? これ以上犠牲を増やしたくなかったんだ。特に子供の死体の処理なんて……勘弁して欲しかったんだよ」
消え入りそうなか細い声でそう答えた老人の体は小刻みに震え、その目は暗く淀んでいる。
「……ミーアたちを逃がそうとしてくれたってこと?」
「子供が原因不明の高熱を出せばまともな保護者なら医者を探しに都市部まで行くだろうと思ったんだ。だが君たちは圧倒的な力を持ったあの怪物を、さらに圧倒的な力で捻じ伏せた。もちろん感謝はしているよ。でも怖いんだ。私は怪物から逃げられたんじゃなくて、さらなる怪物の手に渡っただけなんじゃないかって」
先ほどとは打って変わり、重苦しい静寂が馬車の中に充満する。窓の外の活気あふれる市場がまるで別世界のようだ。
そんな空気を和まそうとしたのだろうか。ミーアが明るい声を上げる。
「こんな可愛いミーアに怪物だなんて酷いなぁ。異世界人倒して、妖刀の回収して、飼ってた魔物処分して、その上こうやって安全な所へ送ってあげようとしてるのに」
「……そうだ、俺はヤツを超える怪物かもしれない君らを連れてこんなに人の多いところへ行こうとしている。こんなだからあんなことになってしまったんだ。だから妻は……私の、私のせいで……こんな……」
「え、い、いや、ごめん。そういうこと言いたいんじゃなかったんだけど」
思っていた反応が得られず、ミーアは困惑したようにあわあわと視線を動かす。
しかしロムレスはその逆だった。老人の濁った目をしっかりと捉え、彼とまっすぐに向き合って言う。
「覚悟しておいてください、その恐怖は消えません。異世界人の被害にあった者はみんなそうです。ヤツらは怪物だが、見た目は怪物じゃない。ヤツと同じ髪色の人間も、ヤツと同じ背格好の女もごまんといる。これからヤツとヤツの作った惨状を思い出す機会は何度もあるはずだ。忘れようなんて思わないことです」
「あの、そうかもしれないけど、そんなこと言わなくても……」
「だからこそ、あなたは一人でいるべきではない。悲しみと恐怖に、共に寄り添える人間が必要だ。肉親がいるならそれが一番いい」
「……そうか、だからここへ」
大きな石造りの工房が迫ってくるにつれ、馬車の速度が徐々に落ちてくる。
「おじいちゃん!?」
幼い子供の声に、老人がハッとして顔を上げる。
馬車が完全に停止するなり、髪をおさげにした女の子がよじ登るようにして窓から顔を覗かせる。
老人の顔を見るなり、女の子はパッと目を輝かせた。
「パパ! やっぱりおじいちゃんだ! おじいちゃん来た!」
工房に向かってそう声をかけると、女の子は窓枠を蹴って馬車の中へ飛び込み、老人の胸へダイブする。
「へへへ、おじいちゃんの匂い。どうして秋のお祭りのとき遊びに来てくれなかったの?」
拗ねたように口を尖らせる少女の頭を、老人は震える手で撫でる。しかしその震えは、異世界人に負わされた心の傷から来るそれとは全く別のものであった。
「……ゾーイ、少し背が伸びたね」
気が付けば老人の暗く濁った瞳に、澄んだ涙が溜まっていた。