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「私、お兄ちゃんの妹でよかった」
がっちりと俺の腕に両腕をからませたリリが、そんなことを言ってくる。
まだ校門を出たばかりの場所。
生徒たちの俺を見る目がとげとげしい……ああ、愛って、苦痛を伴うものなんだね。
三月。
俺のとなりを歩いているのは、妹の、リリだった。
あれだけ忌避した只野ルートはさいわい華麗にスルーでき、最愛の妹のルートに入ることが出来た。
「えへへー、お兄ちゃーん」
ゲーム開始時とは人が変ったように俺にベタベタしてくるリリ。
俺はそれにこれ以上ないくらいの幸福を感じながら、
「あんまりベタベタするなよ、人が見てるだろ」
と、そんな心にもないことをのたまう。
……まぁ、これは小太郎くんのセリフの引用だがね。
俺としてはもっと甘えてくれ、って感じなのだが。
「いーじゃない、兄妹なんだし。仲がいいのがフツーでしょ?」
「フツーってもなぁ……ほら、同じ学校の連中も見てるし……」
「見せつけてやればいいじゃない」
「……おまえなぁ」
「えへっ❤」
ペロっ、といたずらっぽく舌を出すリリが、たまらなく愛おしい。
ああ、よかった。
俺、リリのお兄ちゃんで。
……いや、まぁ、実際はともかく。
帰り道、リリは、俺にべったりだった。
数々のイベントこなし、リリとの距離を縮めた、その結果だ。
小太郎と莉々子はゲーム開始時から中のいい兄弟だが、それでも、親しいなりにもそれなりの距離がある。
こうしてふたりの距離がほぼゼロ距離になったのは、主人公が、妹にとって、父親に匹敵する……あるいは父親以上に大切な存在として認められたからにほかならない。
だからこそリリは、かつて父親にそうしていたように、兄に対し、ベタベタ恋人のようにボディタッチをしてくるようになるのだ。
うん、たまんねーな。
「じゃ、お兄ちゃん、明日ね」
家に帰ってからしばらくリビングでイチャついて、ご飯を食べてからイチャついて、お風呂に入ってからイチャついて。
そして、時刻は夜十時を過ぎようかというころ。
二階にある自室の部屋の前で、リリはそう俺に言ってくる。
「ああ、明日な」
「おやすみ、お兄ちゃん」
「おやすみ、リリ」
リリが先に自室にもどり、俺も続くように隣の部屋にある自室に入る。
ベッドにダイブし、手のひらを枕に天井をみあげる。
「……いよいよ明日か」
リリの「私、お兄ちゃんの妹でよかった」というセリフは、エンディング間近のセリフだ。
明日――
リリとのエンディングを迎えることになる。
すでに言った通り、リリとは恋人にはならない。
ただ、恋人のように仲のいい兄妹としてエンディングを迎えるだけだ。
明日、リリと少し遠くにある公園に電車で行って、ボートに乗る。
そこで恋人のような、だけど確かに兄妹としての仲睦まじいシーンが展開され、物語は幕を閉じる。
「とうとう明日、か」
長かったようで、短かったような。
月並みだが、本当にそう感じる。
リリと過ごしたこの一年は、本当に楽しかった。
が、それももう、明日で終わりを迎えてしまうのだ。
「……………………………寝るか」
明日は早い。
寝坊しないようにしなきゃ。
翌朝。
「おはよう、リリ……て、アレ?」
早く寝なきゃ、と思いつつ、興奮して、あるいは感傷的になって寝つけなかった俺は、いつもより十分も遅く起き、キッチンへと向かった。
当然そこにいると思いリリに声を掛けたのだが……いない、いなかった。
そこにリリはいなかった。
「珍しいな……」
ここはゲームの世界だが、現実だ。
現実のようなゲーム世界だ。
あるいは、ゲーム世界のような現実だ。
だから、ゲーム内では寝坊することのないリリだって、たまにはうっかり寝坊することだってある。
それでもやはり、珍しいな、とは思う。
「……ま、ちょうどいい。まだ心の整理がついてないんだ。ここで少し考えるか」
誰もいないキッチンに一人、腰を下ろす。
いつもは俺が起きてくるとリリがここにいる。
それは料理中だったり、すでに席について待っていたりと様々だけど、ここにいつもリリの姿があった。
この世界に来るまでずっと一人だった俺には、そのなんてことのない日々が、しあわせだった。
だから、リリがいないだけで、このキッチンが、妙にさみしく思えてくる。
「リリ…………」
愛しい、俺の妹。
俺たちはこれから朝食をとって、ふたりで公園に出かける。
そこで感動のフィナーレだ。
何度も何度も見たシーンなのに、何が起こるかなんて、どんな会話が交わされるかなんて、わかりすぎるほどにわかっているのに、それでも、目頭が熱くなってくる。
やっぱり、他人の物語として見るのと、実際自分の物語として起こるのとじゃあ、想いが全然違う。
鈴代小太郎ではなく、ほかのだれでもなく、この俺自身がリリと接して来たんだ。
これで感動しないわけがない。
これから、俺たちは、公園に行き、春の陽光の中、桜の花が咲き誇る景色の中、ボートに乗りながら、語り合う。
それが、エンディング。
それで、終わり。
「……………………」
今まで必死で気づかないふりをしてきた不安が、ふいに、鎌首をもたげてきた。
すなわち――
「エンディングのあと、俺はどうなる?」
このゲーム世界は終わってしまうのか……?
俺は、あのくだらない、しみったれた現実へと戻されてしまうのか……?
そんなのは、嫌だ、絶対に――
「……とか、以前の俺なら言ってたんだろうな」
正直、自分で言うのもなんだけど、ゲーム世界での一年を過ごし、俺は、リリとともに少しは成長したと思っている。
ダメな俺だって、それでも成長するんだ。
それに、これ以上この世界に留まってどうする?
またべつの女の子を攻略するのか?
――ナンセンスだ。
一人のヒロインのエンディングを迎えたら、また、別のヒロインのエンディングを目指す――
それは、ゲームだからこそ出来ること。
ゲームだからやっていいこと。
実際にゲーム世界に入り、ヒロインたちと接したら、そんなこと、出来るはずがないんだ。
俺はリリを裏切れない。
だから、これで終わりでいいと思っている。
リリに会えなくなるのは悲しいけど……たまらなく淋しいけど……でも、しょうがないよね。
「……よし、心の整理完了!」
これでいつでも現実に帰れる。
あとは、この世界でリリがしあわせでいてくれることを願うのみだ。
「…………それにしても、遅いな、リリのやつ」
時計を見ると、俺がキッチンに来てから、もう、三十分以上が過ぎていた。
さすがに遅すぎる。
もしかして……風邪でも引いたか?
ゲームならありえないが、ゲーム内の現実としてなら、それもありうるのかもしれない。
椅子を引き、立ち上がる。
階段を上り、二階、リリの部屋の前へ。
コン、コン、コン、
「リリ、起きてるか?」
しかし返事はない。
さっきより強めにノック。
「リリ? 風邪か? 起きられそうにないのか?」
やはり返事はない。
「…………リリ?」
無反応。
部屋からは、物音一つ聞こえてこない。
さすがに不安になった。
胸騒ぎがする。
足の先から見えない恐怖が、少しずつ、じわじわと、俺の全身を這い上ってくる。
心臓が、早鐘を鳴らした。
「リリ……入るぞ……?」
リリの部屋にはなんどか入ったことはあるが、リリの許可をとらずに入ったことはない。
だが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
なにかあったかもしれないのだ。
なにか?
それはなんだ?
そんなこと、起こるわけないじゃないか。
ここはケイオス・ラブの世界。
ギャルゲーの世界。
事件どころかいじめもケンカもない、至って平和な世界なんだ。
なにも、あるわけが、ない。
きぃぃぃ……………
「リリ?」
年頃の女の子らしくきちんと整理されたこぎれいな部屋。
その中央で、揺れる物体。
それは、首を吊った、かつてリリだった肉の塊。
「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」