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さて、どうしたものか。
リリはすでに一階へ降りている。
せっかく会えたリリと離れるのは辛かったが……今は、一人になって、この状況について考えを巡らせるべきだろう。
結論から言えば、ここは、ゲーム世界だ。
ゲームキャラであるハズの鈴代莉々子が実在していて、しかも俺のルックスが変っていて、さらに、この部屋も本来の俺の部屋ではなく、ゲーム画面で慣れ親しんだものだ。
ここは恋愛シミュレーションゲーム『ケイオス・ラブ』のその世界の中だと推察される。
まさかドッキリってこともないだろう。
極々フツーの一般人にすら劣る俺にドッキリを仕掛けるメリットはないし、そもそもドッキリでゲームキャラを現実化したり人のルックスを変えることなど出来るわけが、ない。
よってこれはドッキリではない。
証明終了。
ケイオス・ラブ。
カンタンに言えば、よくあるギャルゲー。
女の子と仲良くなるのが最大の目的の、テレビゲームだ。
なぜか……それがなぜかは俺ごときには説明できないが、俺は、その中の世界に入ってしまったらしい。
どんなに嘘臭くてもそこは認めるしかない。
どんなにありえそうにないことでも、起こってしまえば、それは現実だ。
現実世界でつまらない人生を送っていた俺が、ギャルゲーにハマるのは、ある意味、運命だった。
現実で報われないからゲーム世界に逃げる。
なにが悪い。
誰も彼もが恵まれているわけじゃないんだ。
現実でうまくやっていけない人間だっている。
そいつらのために用意されたのが、各種ギャルゲーだ。
モテず人脈もなく金もない俺は、数々のギャルゲーをクリアしてきた。
外に遊びに出るより、ギャルゲー一本買った方が、何十時間も遊べて、ずっと安上がりだった。
ケイオス・ラブは、数あるギャルゲーの中でも、俺にとって至高の一本だ。
ケイオス・ラブ……その名の通り、混沌とした恋愛ゲーを作りたいというゲームクリエイターによって生み出された作品。といってもその熱意だけが空回りした感が開発段階からあって、画像やPVを見たギャルゲープレイヤーからは地雷だろうと推測されていた。
が、その予想に反して、発売してみれば、まぁまぁ売れた。
決して名作ではないが、知る人ぞ知る良作程度にはなった。
俺がこのゲームにほれ込んだのは、ゲーム性や完成度とは異なる部分だ。
ゲーム性や完成度にプラスの面で突き抜けた部分は一切なかったが……なぜか、俺の心に、このゲームは突き刺さった。
フィーリングってやつだろうか。
あるいは、キャラの魅力もあったかもしれない。
某有名アニメ監督が「お○んこを舐めたくなるキャラしかいない」と言ったとか言わなかったとか。
――とにかく俺は、このゲームに心の底から惚れこんで。
このゲームのキャラが実在すればいいのに、とか。
俺自身がゲームの中に入り込めればいいのに、とか。
まぁそんなことを思っていたわけなのだが………
「……まさか、本当にケイオス・ラブの世界に入っちゃうとは…………」
呟いた、その時。
「お兄ちゃ~~~ん! なにしてるの~~~! ゴハン、冷めちゃうよ~~~~!」
階下から、リリの声が聞こえてきた。
「どう、美味しい?」
「うん、美味しいよ。今まで喰ったどのメシより、うまい」
「もぉう、お兄ちゃんは、おおげさなんだからぁ……」
言いながらも、テレたように髪をかきあげ、まんざらでもない様子のリリ。
なんか……感動的だな。
ゲームのイベントが、現実で再現される、ってのは。
……いや、正確に言えば現実ではないかもしれないけれど……まぁ、よし。
そこらへん深く考えるとややこしくなるからな。
時刻は午前七時二十分ちょっと過ぎ。
「えっと、今日は始業式だったよな? で、俺、二年生。仏滅学園の」
リリは、やはり眉をしかめながら、
「……お兄ちゃん、本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ、リリ」
実のところリリに「お兄ちゃん」と呼ばれるたびにもうたまんなくなって蕩けそうになっちゃうんだけど、リリが心配しているのはその部分ではないだろう。
なるべくリリを心配させないように、さりげなさを装って、
「入学式は明日だっけ」
「そう、明日からは私も、お兄ちゃんと同じ学校の生徒だね」
どこか嬉しそうに言うリリ。
まぁ、嬉しがってるんだけどね。
なにせ、この俺は、リリの唯一の肉親だ。
より正確に言うなら、現在の俺――鈴代小太郎(デフォルトネーム、変更不可)が、だが。
鈴代兄妹に両親はいない。
今はこの家で二人暮らしだ。
母親は莉々子を産んだときに亡くなっている。
父親は、二年前、病死した。
今は近くに住んでいる叔母が保護者となっている(ちなみに作中で叔母が登場することはない)。
……という、設定だ。
母親の顔を知らないリリは、パパっ子だった。
父親にずっとべったりだった。
だから父親が亡くなった時のリリの落ち込みようは相当なものだったらしい。
作中では、そのことが頻繁に回想を交えて語られている。
今現在も、表面的には頼りない兄を支えるしっかり者の妹、という立ち位置だが、実際のリリは、酷く不安定な状態なのだ。
父親を亡くし、揺れる心を、しっかり者の妹、という鋼の鎧で隠しているだけなんだ。
本当のリリは、酷く脆い。酷く弱い。
なにか一つキッカケがあれば、壊れてしまいそうなほどに……
リリのシナリオでは、そんな妹を、とことん支えてやることになる。
妹の隠された本音を暴き、受け止め、ずっと側にいてあげる。
リリに相応しい相手が現れるまで、ずっと。
そんな感じのエンディングとなる。
開発の当初は、兄妹が男女として結ばれるようなシーンを入れる予定だったらしいが、当然のことながら没となった。
そりゃそーだ。
ケイオス・ラブはギャルゲであってもエロゲではない。
さすがに実の妹との恋人エンドはないでしょ。
……いや、まぁ、個人的には全然かまわないんですけどね?
ま、とにかく。
こうしてリリの兄になった以上、可能な限り妹を支えてあげたいと思うわけですよ。
いや、ほんと。
「…………」
じー。
気付くと、リリが、頬杖をつき、俺の事をじっと見つめていた。
その様は、ダメな息子を優しく見つめる母親のようでもあり、また、愛しい人を見る、女性のようでもある。
……最愛の人である父親を亡くしたリリを唯一慰めることの出来る人物は、兄である、鈴代小太郎だけ。
その分、リリの、小太郎に対する思いは強い。
もっとも、それは普段は隠されていて、こうしてリリからの過度な情を感じることは、作中でも稀なんだけれども。
「おいしい?」
もう一度、リリが問いかけてくる。
「おいしい」
それに、俺は答える。
メニューはなんてことはない。
白いゴハンにお味噌汁。
卵焼きに、ノリに漬物。
けれど――それは、俺がひさしく口にしていない豪華な朝食だった。
しかも、愛情こみの。
これがうまくないわけが、ない。
普段の俺が口にするのは、大抵カップメンで、よくてコンビニ弁当だ。
最悪、何も食べないで出かけることだってある。
それにくらべれば、リリの作ってくれた朝食は、ほかの何にも代えがたい宝物だった。
「うまいよ、本当、うまい…………」
胸が熱くなってくる。
リリの姿が滲んで見える。
「もぉう、お兄ちゃんは大袈裟だなぁ。……泣くことはないじゃない」