18
「ヒロインたちが殺されること自体は大した問題じゃあないんだ」
「どういうことだ?」
「本当にモンダイなのは――」
一回目は、妹ルートに入り、エンディング間近で、妹が首つりをした。
二回目は、小此木聖子ルートに入り、同じくエンディング間近で、彼女が首つりをした。
三回目は、前二回の轍を踏まないよう、誰ともフラグを立てなかったが、それでもエンディング間近で、妹が何者かに刺殺された。
四回目は、犯人と思しき人間から手紙が来た。そして、フラグやエンディングに関係なく、早い段階から複数のヒロインが殺されて行った。
待ち合わせ場所に行って見たが、そこに犯人の姿はなく、代わりに翁屋舞衣の死体が残されていた。
そして五回目。
ふたたび俺はスタート地点にもどってきた。
翁屋舞衣の死体を発見してから数日後のある日。
朝起きると、俺はスタート地点の時間軸にもどされていた。
三月を待つことなく、はじめて時をもどった。
……正直、もう、なにをどうしていいのかわからなくなっている。
なにをやってもヒロインたちは殺される。
なにをやらなくても、やはり殺される。
一寸先も見えない酷く濃厚な闇の中、ようやくつかんだと思った希望の光は、しかし、幻と消えた。
手紙の差出人は、待ちあわせ場所にはあらわれなかった。
もはや。
詰みだ。
俺にはもう、ヒロインたちを救うために、やるべきことがない。
どうすればヒロインを救えるのか、どうすればこのループを終わらせられるのか。
見当もつかない。
「ふふ……小太郎さんに誘われた時、本当は断ろうとしたのですが……思い切ってオッケーしてよかったですわ」
七月某日。
その日、俺は、瀬戸亜麻美とデートしていた。
目的地である都市最大のテーマパークへと移動しながら、楽しく話に花を咲かせていた。
たとえば、一年後に世界が終わるとして、それを世界中の人が信じるに至ったとしたら。
はたして、彼らはどうするだろう。
多くの人間が、学校や会社を辞め、貯金を下ろし、遊びまくるのではないだろうか。
好き放題生きるのじゃあないだろうか。
人によっては、犯罪に手を染めるかもしれない。
だって、もう、世界は終わってしまうのだから。
終末なのだから。
なにをしてもムダなのだから。
努力なんてなんの意味もないのだから。
なら、めいっぱい、この世界を楽しんじゃえばいーじゃない。
苦しい事や辛い事なんてしなくていーじゃない。
ガマンなんてしなくていーじゃない。
つまり、俺は、まぁ、そんな心境だった。
諦念。
圧倒的諦念。
なにをしてもしなくても、結局ヒロインたちが殺されてしまうなら、俺はじゃあ、ヒロインたちとイチャイチャしまくるよ。
俺はヒーローなんかじゃないし、なろうとしたけど、なれなかった。
悲しいけれど、人には分ってもんがある。
俺は、人を救えるような人間じゃあなかった。
分不相応な正義感に燃えていた、憐れなカンチガイヤローに過ぎなかった。
それに気付いた。ようやく、気付くことが出来た。
自分は、なに一つ成し得ることの出来ない、ちっぽけな、カス人間なんだって。
情けないって思うだろ?
そのとーり。
俺は情けなくて頼りない人間なんだ。
自分で決めたことすらやり通せない情けない人間なんだ。
現実でもゲーム世界でも、すべてから逃げてきた人間なんだ。
でも褒めてくれよ。
俺にしては頑張っただろ?
もうへとへとなんだ。
いたわってくれ。
パト○ッシュ、もう疲れたよ。
なんつって。
「……………………」
亜麻美の声が、遠くに聞こえる。
ああ、また来たか。
そして世界は色を失う。
真っ白になる。
俺は世界から隔絶されて、ただただ白い空間に、一人ぽっち。
二周目の、小此木聖子とのデート中に初めて起こって以来、この現象は、たびたび俺を襲っていた。
他の人間は感じていないらしく、だからこれは、俺の身にだけ起こる現象。
ホワイトアウト。
雪で視界が覆われる現象になぞらえて、俺はこれを、そう呼んでいた。
大丈夫、まだあわてるような時間じゃない。
ホワイトアウトはすぐに収まる。
体感時間で、せいぜい数十秒、ってとこだ。
「小太郎さん? 聞いてるんですか? 小太郎さん」
ほら、世界に色がもどってきた。
気付くと、目の前には亜麻美がいて、俺は、ぼんやりと立ち止まっていた。
「ああ、ごめん」
謝っておく。
説明しても理解してもらえるとは思えないし。
平気さ。
ホワイトアウトなんて、なんてことはない。
回数を重ねるごとにホワイトアウトから復活するまでの時間が長くなっているような気がするけど………………ま、いいさ。
気にしない気にしない。
それに今はホワイトアウトよりも気になるモノが進行方向にあるしね。
「…………………」
「どうしました?」
「……見えてない?」
「なにがです?」
……あー、そうなんだ。
アレかー。
これも俺特有の現象かー。
そうかー。
いや、ね、七、八メートルほど先に、なんか黒い塊があるわけよ。
けっこーデカイ。
それがうねうね動いてこっちにノシノシ近づいてくるんだけど……俺以外、だれも気付いてる様子、ないんだよね。
いやいやいや。
ちょ待てよ!
なんだよアレ!
なんなんだよ!
黒いモヤモヤした塊は――化け物は、ほかの人間には目もくれず、こちらへ一目散に近づいてくる。
やばい、なんかやばい。
「に、逃げるぞ!」
亜麻美の手を取って走りだす――
「おわっ」
も、彼女が動こうとせず、結果、俺は前につんのめる。
「ちょっ、なんで……」
「逃げるとは?」
不思議そうな顔。
いきなりおかしなことを言いだした俺に怒っている風でもある。
あー、そりゃそーか。
なんでかは知らんけど、彼女にはアレが見えてないんだよなぁ。
俺にはくっきり見えている、あの、謎の化け物が。
そりゃ、逃げる、って言われても、はぁ? って感じだよな。
「い、いや、その、ね? あ、アレだよ、アレ……」
「あれとは?」
こうしている間にも、化け物はノシノシこちらへ接近中。
移動速度は速くないが、確実に、こちらへ――恐らくはこの俺に向けて、近づいてくる。
「い、いや、わけはあとで話すから、とにかく来て!」
強引に手を取る。
「やめてください」
が、はたかれる。
「意味の分からないことばかりおっしゃらないでください!」
どうやら怒らせてしまったらしい。
わかるけど、それはわかるけど、今はそんなことを言っている場合じゃあ――
「ひ、ひぃいいい!」
と、思ってる間にも、黒いもやもやの化け物は、俺のすぐ目の前にまで接近して来ていた。
思わずこのまま亜麻美を置いて逃げてしまいそうになるが、さすがの俺でも、キングオブクズの名を欲しいままにしてきたこの俺でも、そんなことは出来なかった。
ケイオス・ラブのヒロインたちは、現実世界の惨めな俺の魂を慰めてくれたんだ。他の人間はともかく、この子たちを置いて俺一人、逃げられるわけがないじゃないか!
おっ、ちょっとかっこいーかも。
こんな時だというのに自分に酔ってしまう俺。
目の前では、化け物が、大きくなっていた。
左右に、手のようなものが見えた。
その右の方の手が、俺に向かって、大きく振り下ろされ――
「ひゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!」
しかし、消えた。
確かに、俺に向かって攻撃してきたように思えた。
が、振り上げた手のようなものが完全に振り下ろされる前に。
化け物は。
跡形もなく、目の前から消え去っていたのだった。
「………………」
亜麻美には完全に呆れられた。
好感度は下がっただろうなぁ。
まぁ、いいか。
女の子はほかに大勢いる。
一人に嫌われたぐらい、どうということはない。
帰宅後、自室でそんなことを思っていたら。
ぴろり~ん
当の瀬戸亜麻美からメールが来た。
これはゲーム内のイベントだ。
デート後には、カンタンなメールが来るようになっている。
そのメール内では、今日の俺のおかしな行動については言及されていなかった。
基本的に、ゲーム内のイベントがあるときは、なにを置いてもそちらが優先される。
だから、メールでそのことが指摘されていないのだ。
そして、その当たり障りのないメールには、おかしなところがあった。
一文字……たった一文字だけ、文字が、大きくなっている。
これも、ホワイトアウト同様、二周目から始まったことだ。
特定の女の子に限らず、たまに、こんなことが起こる。
ゲームのイベントとしてメールを貰った時に、たまに、文字が一つ、大きくなっているのだ。
ヒロインに聞いても、なんのことか分からない、と反応を返してくる。
なにか意味はあるんだろうと思う。
ホワイトアウトと同じように、なにか、意味が……
けど、そんなこと、俺にわかるわけがないじゃないか。
それより今は、デート中遭遇した、あの黒いもやもやの化け物のことが気になった。
一体あれはなんだろう。
ホワイトアウトやメールの文字とは違い、アレは今回が初めてだ。
一体なんなんだ、アレは。
ゲーム中にあんな化け物は存在しない。
だからやはりあれも、ホワイトアウトやメールの文字と同じ類のものだとは思うのだけど…………
正体は、わからない。
けど、アレについて、一つだけ、俺は確信に近いものを感じていた。
それすなわち――
あの化け物が……あの化け物こそが、ヒロインたちを影で殺しまわっていた犯人
ということ。
そうとしか思えない。
だって、アレは、ゲーム中、登場しない存在だ。
それが今日、はじめて俺の前に姿をあらわし、この俺を襲おうとしてきた。
ヒロインを殺して回っているのは、あの化け物しか考えられない。
詳しくは知らないけど、おそらくは、俺と同じように、ゲーム外から来たファクターだ。
それが、このゲーム世界をなんらかの理由で、壊そうとしているのだ。
「……よしっ」
拳を握りしめ、俺は笑う。
正直、あの化け物に遭遇したときは怖かった。
恐ろしくてたまらなかった。
けれど、こうして安全な場所にもどり、気持ちが落ち着くと。
むしろこれは逆にチャンスなんだ、と思えてきた。
だって、これまでは、相手の姿形が見えず、なにをしていいかわからない状況だったんだ。
それが、あの化け物の登場で、一変した。
俺のやることは決まった。
ヒロインたちを守るために、俺が愛した女の子たちを守るために、あの化け物を、ぶっ殺すこと。
この世界から、完全に消しさること。
それが、女の子たちを守る、たった一つの方法に違いない。
そのために、俺は武器を持ち歩くことにした。
ホームセンターで購入したハンマー。
これなら懐に隠して持ち歩けるし、それなりに破壊力はあるだろう。
これでどうにかなるかはわからないけど、現実的に持ち歩ける武器となると、これ以外最適なものが浮かばなかった。
「これで準備完了だ。さぁ、来い、いつでも来いよ、化け物野郎!
この俺が、お前を、終わらせてやるよ!」
そう意気込んだはいいものの。
あれ以来、化け物が襲ってくることはなく。
月日の経過とともにヒロインたちは殺されて行き――
俺はまた、時をもどった。