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ケイオス・ラブは、攻略情報を頭に叩き込んでおき、かつセーブ&ロードを繰り返せば、存外にカンタンなゲームだ。
十三名全員を、十一月の下旬まで同時攻略で進めていける。
そこまでにすべてのヒロインの好感度をマックスにしておけば、そこでセーブデータを作って、順番に攻略していける。
逆にすべてのヒロインの好感度をさげる選択肢を選んでも、ゲームの仕様上、どうしても好感度はあがってしまう。なにせ、ヒロインと会うだけで好感度はあがり、かつ、十一月下旬まで誰にも会わないなどと言うことはありえないのだから。
そんなわけで、どんなに嫌われる行動をとっても、二~四人の個別ルートへ至る分岐イベントがある。
これから、それらすべてを折らなければならない。
辛い。このゲームのヒロインすべてを愛している俺にとっては、過酷な作業だ。
前回は最初に分岐イベントとして発生した聖子ルートへ行き。
前々回は、同じく最初に発生したリリルートへ行った。
なので、今まで俺は、分岐イベントを折ったことはない。
これが初めてになる。
そして、分岐ルートでヒロインルートに入らない場合、けっこうエグイ展開になる。
それはもう、これまでの好感度をさげる選択肢が、ぬるく思えるほどに。
「センパイ、こんなところで奇遇ですね!」
十一月下旬。
俺の前に最初の関門として立ちはだかったのは、後輩である一年生の初菜恋だった。
観光客も多く訪れる、大きな公園のなか。
今日ここで、彼女の分岐イベントが開始される。
それがわかってるならそもそもそんなとこに行くなよ、と思われるかもしれないが……行かないで済むならいってねーよ、って話だ。
ここは現実のようだがゲームの中で。
ゲームの中のようだが現実なのだ。
不思議だけど、これ本当の話。
マジ本気マジ本気マジ本気マジ本気マジ。
だから、俺の意志とはべつに、なんらかの強制力めいたものが働くのだ。
たとえば今日なら、この公園に来なきゃいけないような気がした。
そして、気付いたら、この公園にいたのだ。
いや、マジで。
つまり――これは避けられない事態。
今日はこの子、初名恋から、うまく逃れなければならない。
つらいわー。
モテる男はつらいわー。
可愛い女の子傷つけるのつらいわー。
……なんてジョーダン言ってないとやってらんないですよ、ほんと。
ま、それはさておき、初名恋。
赤い髪のおさげの子で、瞳の色は青。
オーバーオールを着ていて、快活に見える。
ムダにテンションが高かったりするが、その実、純情一途。
あまりに純情すぎて、ちょっとばかしやっかいだったりもする。
「センパーイ! はやくはやく~~~!」
さきを歩いていた恋が、元気に俺に手を振ってくる。
……いや、一緒に行動するなんて言った覚えもなければ言われた覚えもないのだが……なぜか一緒に行動することになっている。
これはゲームの強制力というより、恋のアレな性格のおかげだ。
ゲームでもそうなってるし。
ちょっと怖いよね。
間違いなく純情なんだけど……えげつないほどピュアだから、思い込みが激しかったりするんだよねぇ。
ストーカー気質、みたいな?
彼女と仲良くなるキッカケは、入学間もないころ、移動教室がわからなくて困ってる恋に俺が教室まで案内してあげたことだ。
これは強制イベントだから、避けようがなかった。
つーか、初名恋は実はレアキャラで、フツーにプレイする分にはあんま出会わない。
隠しキャラ的な存在なので、出会うためには、四月のうちに、なんどもセーブ&ロードを繰り返し、出現させなければならないのだ。
そうして苦労して出現させると、彼女は窮地を救ってくれた主人公にメロメロになる。
他の子を狙っているときに偶然出現したら、お邪魔キャラ的な存在になるくらいには。
それが、なんの因果か、三回目にして、登場してしまった。
確率としてはかなり低い。
開発者のコメントによると「フツーにプレイしている分にはまず出会わないくらいの確率」ということだった。
変なところで運がいいというか、悪いと言うか……
ま、なんにせよ、出会ってしまえばしょうがない。
可愛そうだけど、事情が事情だし、この純情一途な女の子を、傷つけ、ふらなければならないのだ。
その先に、たとえ何が待っていようとも……
「センパイ、ほら、見てください、亀さん、かわいーですよー」
恋がためらいなく俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
それに、ときめいてしまっている俺がいる。
「ほら、かめさーん、うりうりー」
それは私の亀さんだ。
……ではなく。
公園にある大きな池の中の石に乗った亀に、恋は大喜びしている。
目を細め、しばらくそれを眺める。
可愛いなぁ、ほんと。
だからこそ辛い。
彼女を傷つけなきゃならないのが。
いっそブスなら。
ケイオス・ラブに登場するヒロインがブスなら……俺は傷つかずにすんだのに。
もっとも、その場合、プレイすらしてなかったがね。
「えへへー、せーんぱい❤」
亀さん遊びに飽きた恋が俺に抱きついて来て。
むくり。
俺の亀さんが元気になった。
やれやれ。
今度はこっちの亀さんを弄ぶつもりかよ……なんつて。
「せーんぱいっ」
やがて日は暮れ。
人気が少なくなると。
大きな夕焼けに照らされた恋が、切なげな顔で俺を呼んでくる。
来た。
キタキタキタキタついに来た。
この瞬間。忘れない。
ルート分岐のイベントだ。
ゲーム中も、この時の恋の一枚絵があまりに可愛くて、どきっとしてしまったのを覚えている。
あの感動が、つい昨日のことのように鮮やかによみがえってくる。
「……センパイ」
恋は戸惑った。
珍しく、戸惑っていた。
積極的な彼女からしても、それは、言いにくいことらしかった。
もっとも、初めに彼女のセリフを聞いた時には、俺は酷く戸惑ったものだが。
けれど、今なら、それも理解出来る。
なぜ、彼女が、あの単純なセリフに、それほどまでに戸惑っていたのかが。
「センパイ、今度…………」
気持ちの整理がついたのか。
ようやく恋は、そのセリフを、俺に投げつけてくる。
――酷く切なげな、表情で。
「私の家に、遊びに来ませんか?」
ずこっと。
ゲーム画面の向こうで、ずっこけそうになったものさ、かつてはね。
思わせぶりに言うセリフかよ、と。
だが待て。
まだ慌てるような時間じゃない。
実はこのセリフ、恋からすれば、プロポーズみたいなものだった。
軽い気持ちでこれにオッケーし、家に遊びに行くと、そこには恋の両親や兄弟はおろか、親戚一同が待ち受けていて、熱い祝福を受ける。
そしてなぁなぁの内に、ふたりは「結婚を前提につきあっている」ことにされてしまうのだ。外堀をがっちり固められてしまうのだ。怖いですねー、恐ろしいですねー。
彼女にとって、男を家に招待するということは、結婚を前提に付き合うと同義だったのだ。
どうだい? えげつないほどピュアだろ?
このピュアさ加減に、当時、多くのプレイヤーがゾッとした……げふんげふん、キュンキュンしたとかしなかったとか。
そんなえげつないほどピュアな恋。
ここでオッケーすればいいが、拒否られると、三日後、失踪する。
主人公も捜索に駆り出されるが、結局、恋は見つからず。
その後、フェードアウトし、二度と出てこなくなる。
恋がどうなったか……それは、作中で語られることはない。
そんな、後味の悪いイベントを見なきゃらならないのだ。
やはりカオス。
だが、俺は心を鬼にして、
「悪いけど……それは無理だ」
「え……」
泣きそうになる。
ピュアな恋には、自分を拒絶されるのがたまらなく辛いのだ。
「で、でも、私……センパイのこと……」
「無理なものは、無理だ。聞き分けてくれ」
「…………………ふぇ」
両手を目に当て、泣き出した。
「ふぇえええええええええええええええええええええええええ」
何事かと、通りすがりの人たちが見てくるが、構っていられない。
「俺の気持ちは伝えたから、じゃあ」
「ふぇ、待って……待ってください……………」
力ない言葉が俺を追いかけて来るが、立ち止まることはしなかった。
三日後、恋は、失踪した。