この雲の下の人々は
二対の塔の麓で、森が赤く染まっている。
もとより葉の色は紅ばかりだったが、今はよりいっそう赤く染まっている。
その中からは悲痛な叫び声と、ごおうと焼けつく炎の音に、煙臭い火の粉がパチパチパチリ。
犯人は空へ逃げていった。翼と言葉を持った彼ら空人に、地人達は反抗を許されない。
(いくらなんでも酷すぎる、な)
内心で毒づきながら、まだ火の届いていない辺りの森を歩く。
向かう先は……もう戻れない、か。
今回は流石に運が悪かった。ああも燃え広がってしまえば、火事場泥棒すらできない。
もう一度だけ、灰となりゆく町を振り返ってから、燃え盛る炎に背を向けた。
「ふぅ……」
やるせなさに小さく溜息。
また一文無しに逆戻りだ。盗賊まがいの仕事ばかりしていたので、バチが当たったのかもしれない。いや、命があるだけまだいいほうか。
生憎、仲間といえる者はいなかったが、あの町の協力者を失ったことはかなり大きな痛手だった。まあ、その中でも優秀といえる協力者は、あの炎から逃げ出すなんてことくらい、片手間でやってのけているだろう。
「チィ……」
ふと、鳴き声が耳について、立ち止まり足元に目を向ける。するとそこには一羽の小鳥が転がっていた。
海のように青い小鳥だった。けれども、どこかの国の伝承のような、幸せは微塵も感じられない。
なにしろ翼が折れてしまっているのだ。これでは飛ぶことはできない。
「……………………」
「チチ?」
ほんの気まぐれで、小鳥を拾ってみた。
なんとなく、この鳥が飛ぶ姿を見たくなったのだ。
□ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □
「……! ……!!」
シュビッ! シュビビビッ! と勢いよく、屈強な男が身振り手振りをとばしてくる。
「はぁぁぁ……。……、…………」
わざとらしく溜息を吐いてから、私はさっと身振りを返す。
意味は『割に合わない。帰れ』だ。
「…………んー!」
すると男は何を血迷ったのか、その場で土下座をしやがった。
おい、お前何をやっている。ここは酒場だぞ。公共の場所だぞ。馬鹿なのか?
慌ててそいつを立ち上がらせた。そして、『倍の報酬なら考えよう』と伝える。
男は顔を苦渋の青に染めた。
無理もない。元々男はかなりの金額を提示していた。それこそ、古代の魔法道具が購入できる程に。
倍なんぞに吊り上げれば、法外どころか無法者も真っ青だ。この男は無法者ではないので、濃紺といっても過言ではない程に青ざめている。
ちょんちょんと男の額をつつく。身振りで『諦める?』と伝える。
男の瞳が揺れた。今にも涙が溢れてきそうだ。
なんか居たたまれなくなったというか、ここで泣かれても困るというか、元よりこの提案は後々するつもりだったのもあって、『なんなら分割払いでもいい。逃げないと約束できるならな』と手を動かした。
男は驚いたように見つめてくる。
サササと焦ったように、分割払いの詳細をねだってくるので、私は投げやりに伝えてやった。
月当たりの支払いで、三十年払い。どちらかの死亡、失踪があれば、その場で契約はなかったことに。
かなり良心的だと、少なくとも私は思っている。
その内十五年分を男は既に用意してあるのだろうし、特に契約破棄については、逃げてしまえばそこで終了だ。もちろんその場合報復はさせて貰う。面倒臭いけど、しないでおいて舐められるのも困るのだ。
そもそも、私は衣食住が揃えられればそれでいいのに。後はたまーに魔法道具が買えればいい。今は前者には困ってないし、後者に備える貯金もある。
男は感激したのか、「んー!」と叫びだして土下座する。
いや、だから、それやめろって。馬鹿なのか?
私は逃げるようにその場を離れた。
店主の親父さんにジュース代を払って、早速依頼へ向かおうとする。
会計を済ませポーチに財布を入れていると、親父さんが何故かサムズアップしてきた。首を傾げると、親父さんは身振りを飛ばしてくる。
意味はこうだ。
『一度下げてから上げることで、より自分をいい人だと思わせる。法外のさらに法外のあの値段を、勢いで飲ませちまった。そして逃げてもいいという契約内容で、逆に逃げられないようプレッシャーで縛り付ける。まあ、あの依頼内容を成功すれば、依頼人も逃げやしないだろうさ』
いや、無駄に長いうえに、見事に的外れなんだけど……。
え? 私、そんなド悪党に見えてたの?
というか、ちゃっかり依頼内容とか見てるんじゃねーよ。
『さすがだな。赤顔さんよ』
うっわ、恥ずかしい。ただでさえ噂が広まりにくい世の中なのに、なんで親父さんにまでその呼び方が広まってるんだ。
私は顔が熱くなるのを必死にこらえ、ニコリと愛想笑いをしながら、親指を地面へ向けた。
意味は『地獄に落ちろ♪』だ。
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カランコロンとベルを鳴らしながら店を出て、外の空気を胸いっぱい吸った。田舎町の赤葉の香る瑞々しい空気は、肺にたまった酒の匂いを浄化してくれる。
空を見上げると、いつも通り雲に覆われた空の中で、くるくると青い小鳥が飛んでいた。小鳥は私に気がつくと、こちらにやって来て肩に止まってくる。
「ピーヒュイ」
口笛を鳴らしてみせると、「チチチ」と嬉しそうに羽を揺らす。
私が歩き出すと、チーちゃんは肩から飛び立ち先導してくれる。よくできた小鳥だ。
しかし、私が行こうとしているのは逆方向だった。チーちゃん、まだ帰らないよ。
今向かう先は依頼の場所。郊外の赤い森の中にある塔だ。高い塔は、この場所からでもよく見える。
「ちー」
単音でチーちゃんを呼ぶと、パタパタとこちらに飛んできた。塔を指差すと、チーちゃんは一度そちらにくちばしを向けてから、こてん首を傾げる。
「チー?」
私が短く首を縦に降ると、チーちゃんは塔の方向へ先導してくれた。本当に、よくできた小鳥だ。
私は心の中でこいつをチーちゃんと呼んでいるが、当のチーちゃんはそれを知らない。知ることは、おそらくないだろう。
言葉のないこの世界で、名前なんて意味を持たないのだ。
かつて、まだ空が青かった頃。
地人はまだ言葉を持っていた。
羽がなく土の上で暮らす地人達、羽を持ち雲の上で暮らす空人達。地人が畑を耕し作物を育てれば、空人は雲を動かし雨を降らしたりと、大昔は仲良く共生していた。
しかし、ある日空人が暗黙の了解を破り、空を雲で埋め尽くしてしまった。
地人は怒り狂った。太陽を、月を、星をを返せ、と。
それでも空人は無反応だ。文句を言おうにも、空にいられては使者も送れない。
地人達は考えた。ならば、こちらから空へ行ってしまおうと。
地人は天まで届く塔を建設し始める。一本の巨大な太陽の塔、二本で対となる月の塔、世界各地に数多の星の塔。
だが、空人はそれを邪魔してきた。
空を飛び回り、魔法で地人を攻撃し、建設途中の塔を折る。特に太陽の塔は激しく攻撃された。地人も黙っているわけがなく、空人を魔法や対空バリスタで攻撃する。
そうして、地人と空人の大戦争へと発展していった。戦争は世界各地に傷痕をつけながら、酷く長引いた。
終戦は、空人が雲の上でじっくり用意していた大魔法により、あっさりとやってきた。
それは魔法ではなく、もはや呪い。
地人から『永遠に言葉を奪い続ける呪い』だった。
言葉を発しても、届くことなく消えてしまう。文字を書いても、書いたそばから消えてしまう。いずれ言葉は忘れ去られて、地人の文明から消えてしまう。
パニックになった地人は、もはや塔どころではなかった。空人は塔さえ建てられなければいいと、そのほとんどが雲の上へ戻り、ゆっくりと傷を癒していく。
地人は長い年月をかけて、言葉のない世界に馴染んでいき、各地を復興していった。
言葉と認識されない単音を上手く活用したり、身振り手振りだけで意思を疎通できるようにしたり、文字ではない絵や記号で物を記すようにした。
一番地人が嘆いたことは、もう魔法が使えないということだった。魔法を使うには、言葉が必要不可欠なのだ。
そして現代、塔の建設は禁忌とされている。
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「チチチ」
チーちゃんが呼ぶので何事かと思ったら、いつの間にか目的地に辿り着いていた。この森では時折獣や魔物が現れるのだが、今回はどうやら出くわさなかったらしい。
赤葉の森の中に、どっしりとそびえ立つ大きな一本の塔。星の塔――見るのはいつぶりだろうか。
といっても前に見た星の塔は、今目の前にある塔ではない。しかし、現存している星の塔のほとんどは量産型設計の構造なので、姿形にあまり変わりはない。
チーちゃんとは、ここで一度お別れだ。小鳥には危険があるかもしれない。口笛を鳴らして合図すると、チーちゃんは手の平に乗ってくる。
手乗りチーちゃんの首に私とお揃いのお守りをかけると、チーちゃんは「チチ!」とさえずってから、素直にそこらへんの木の上へ飛んでいった。よくできた小鳥は、しっかりお留守番もできるのだ。
ポーチから赤い仮面を取り出し、顔につける。私が赤顔と呼ばれる理由はおそらくこれだろう。
血のように真っ赤で悪趣味な仮面――もちろんただの仮面ではない。古代の魔法道具と呼ばれる超高級品だ。
地人から魔法は失われたが、効果が永久的に続く一部の魔法は、現代にも残っているものがある。
魔法道具もその一例で、道具に未だ魔法がかかっている物だ。それは魔法の使えない現代人にとって、目を血眼にしてまで欲しい超希少品。
この仮面――私は『友愛の仮面』と呼んでいる――はひょんなことで手に入れた物。かかっている魔法は『身につけた者を仲間だと錯覚させる魔法』だ。この効果、実はかなり使い所が多く、いつも活用させてもらっている。
仮面をつけると、少しだけ視界が悪くなる。だが、それもすぐに慣れる。
さあ、仕事の時間だ。
塔の入り口の大扉を開けて、中に侵入する。
第一層はシンプルな構造だ。高く、広い空洞。ランプと対空人のバリスタくらいしか、壁を飾る物はない。高所にいくつかある四角い空洞は、空気の入れ替えの為の窓だ。
二つの階段が壁に沿いながら、円を描き上に向かっている。観光目的ならアレを登って、未完成の塔の頂上から景色を一望するところだが、今回の目的は違う。
依頼者の男は、塔に向かった娘が消えたと言っていた。魔物に食われたんじゃないのか、と質問したら、それはないと返された。
というのも、娘と共に塔へ行った若い男が帰ってきているのだ。ボロボロの姿、満身創痍で。
「星塔でーと、か。ムカつく」と思ったが、わざわざ身振りにはしなかった。若い男、塔を指差してからすぐに倒れちゃったみたいだし、今も目を覚ましていないみたいだし。
ともかく、娘は塔で行方不明になったらしい。死んでいるんじゃないか、今も塔にいるのか、と質問したら、間違いないと返された。何とも、独自のルートでそこまでは調べがついてるようだ。
私は面倒臭かったので、その筋肉を活かして自分で行ったら? と促してみた。すると既に行っていたそうだ。しかし、発見はできなかった。でも、塔の中にいるのはわかっている。そこで塔に詳しい人物を探しているうちに、私へと辿り着いたようだ。
正直、その判断は正解だったと思う。
私は何度か他の塔に忍び込んだことがあるし、量産型の構造はほぼ完璧に頭に入っている。これは自慢だが、最奥部とやらに忍び込んで、財宝を盗み取ったこともある。
それに、塔に篭って女性を誘拐するようなヤツは、大抵めちゃくちゃ強かったりする。それこそ、若い男がどのくらいの強さかはわからないが、死にかけで帰ってくるくらいには。
その点、私にはある程度の強さはある。筋肉は無いし、腕とかは自分でも驚くほどにプニプニだけど、ほとんどの地人には余裕で勝てる。魔法の力は偉大なのだ。
魔法道具の仮面の位置を直し、塔のある地点へと向かう。それは片方の階段の付け根、の裏側。陰になっている場所。
ガコンと壁の一点を押すと、ごごうと重厚な音を立てながら、地面が開いた。この先は地下だ。シェルターとしても使われる。
そして、地下には捕虜を入れる部屋があるはずだ。生きているのなら、そこに入れられている可能性が高い。
私はとんとんと階段を降りて行った。
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いた。彼女だ。間違いないだろう。
予想が外れることもなく、捕虜用の牢屋にいる彼女を発見した。こんこんと格子をノックして、彼女に手を振ってみる。
「…………!」
彼女は目を見開いた。まあ、仮面の効果で私は『自分と同じく捕まった人』に見えているだろうし、その人が格子の外にいるのだから、むしろ驚かないほうがおかしいだろう。
『逃げるよ』と、身振りで伝える。彼女はますます目を開く。あんな目を、皿のようだというのだろうか。
ポーチから二本セットの針金を取り出す。
これも古代の魔法道具だ。鍵穴に入れて回すと『解錠する魔法』が発動する物。鍵穴という縛りはあるものの、よく活用させて貰っている。ちなみに、これはとある街の露店で安売りされていた。あのときはめちゃくちゃラッキー! と躍り狂った。
ここの牢屋にも鍵穴がある。堂々と針金を差し込みクルリと回す。音もなく、魔法はつつがなく発動した。
扉を開けて、彼女にもう一度『逃げるよ』と伝える。彼女は『古代の魔法道具!?』と身振りを返してきた。そんな暇はないだろうに。
軽く頷きだけ返して、『ほら、早く』と伝える。彼女は恐る恐る牢屋からでてきた。
あくまでも、堂々と。彼女を引き連れ地下を歩く。
見つかるとかは心配していない。仮面の効果があるので、『ぐへへ。ちょいとあっしにも貸してもらうでやんす』とか伝えればいい。
この女性が誘拐された理由ははっきりとはわからないが、若い男は逃げきれているのだし、まあ、おそらくそういうことだろう。
彼女、ちょっと傷だらけだし。心にも傷を負ってないといいけど。そこは依頼の内に入っちゃいない、か。
「……………………」
地上への階段が見えてきた。
さて、ここからが勝負だ。
振り向き、彼女に『走れる?』と問う。彼女は小さく縦に首を振った。
「ん!」
駆ける。駆ける。駆ける。
彼女の手を引いて、階段を駆け上る。
少しでも速く、バレないように。バレても逃げきれるように、速く速く速く。
いくら仲間と思われるとはいえ、逃がすところを見られてしまってはまずい。最悪、裏切りだと思われる。そうなれば仮面の効果はない。
そして階段を上りきる。隠されたボタンを勢いで押す。ごごうと地下が閉じられていく。
駆ける。駆ける。駆ける。
まだまだ油断はできない。せめて、森を抜けるまで。
塔の入り口へとまっしぐらに。速く、速く、速く速く速く。
そして、あと少しで塔から出ようというときに……。
ごぉぉぉぉぉん!!!
「あ…………!」
爆風が、私達を吹き飛ばした。
「くっ!」
受け身を取る。彼女は……無事だ。
膝を擦りむいてしまっているようだが、それだけで済んでいる。
爆風の原因を探るべく、辺りを観察する。やけに視界が開けると思ったら、仮面が外れてしまっていた。
慌てて落ちている超希少品を取り戻そうとして、先にそれを拾われた。
「なんだぁ? この仮面、魔法道具かぁ?」
茶髪の男だ。男はまじまじと手に取った仮面を見つめながら、口を動かしている。
「ほぉぅ。さしずめ『敵対心を削ぐ魔法』てところかぁ? 可愛い可愛い地人ちゃんよぉ。道具に頼っちまって、悪い子だよなぁ? まぁ、聞こえちゃいないんだがよぉ」
ニヤニヤと嗤う茶髪の男。
その背中からは、茶黒い羽が生えていた。
「ちっ」
(見つかった。それもよりによって空人、か。……面倒臭い)
茶羽の男が仮面をあらぬ方向へ投げる。仮面は茶羽の向こうの壁にぶつかり、カツンと音を立てて落ちた。
あの、それ、高級品なんですけど……。あの程度の衝撃じゃ壊れやしないけど、傷がついてたらいやだな。
「んぅ? お前、今ぁ……」
茶羽が何かを言う。
「舌打ちしたのかぁ?」
その額には青筋が浮かんでいた。
お怒りですか。さいですか。勘弁してくださいよ、まったくもう。
私は次に男が取る行動を予想し、素早く移動できるように備える。その予想は当たっていたようで、男が魔力を言葉に込めた。
「『イカズチよ! ヤツを滅ぼしたまえ!』」
瞬間――電光。石火はない。
バチバチと雷電の矢が一撃飛んでくる。
予め準備していたおかげで、ワンツーステップで回避できた。
「ちぃっ!『イカズチよ!』『イカズチよ!』」
口の動きが全て同じだ。どうやらバリエーションはないらしい。
トン、回避。トントン、回避。ここでスッとバックして、錯乱させながらトン、回避回避。
まだまだ余裕はある。ヤツの魔力はどうだ。
見ると、額に脂汗。若干焦っているようだ。
「ちょこまかとぉ! 『イカヅチよ!』 逃げてんじゃぁ! 『イカヅチよ!』 ねぇ! 『イカヅチよ!』」
トン、トトトン、と塔の中を走り回り、トントントンと、回避し続ける。私はそろそろこちらから仕掛けるべきかと、ポーチの中身を思案する。トン。
しかし、ふと、茶羽の表情が変わった。
「はっ♪」
勝ち誇ったような笑み。
何事だ? それともただの馬鹿なのか?
「それぇ! 『イカズチよ! ヤツに滅びを!』」
それをトン――回避しようとして、キュッ――急ブレーキ。しまったと後悔しても、もう遅い。
そうか。ここには彼女がいた。それがヤツの攻撃対象に入り得ることも、私はすっかり忘れていた。
(しくった……。私としたことが……)
「死に晒せぇ!」
ジリジリバジリと大騒音。
雷が、私に、降り注ぐ。
□ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □
『地に堕ちた鳥がどうなるか知っていますか?』
死にまーす!
『いいえ。違います』
死なないの?
『言葉は大事にしないと駄目ですよ。死ぬ死ね死のうは言葉を浪費してしまいます』
はーい! わかりましたー!
それで、鳥さんはどうなるの?
『地に堕とされると、まずは羽をもがれます』
かわいそう……。だれがそんなことをするの?
『他でもない、仲間でございます』
……なんで?
『私にはわかりかねます』
ねえ。鳥さんは大丈夫なの?
翼がなくちゃ飛べないよね。
翼ってまた生えるの?
『はい。努力さえあれば、稀にですが』
そーなんだ! やったね!
『しかし、逃げ出せないよう印をつけられるので、再び飛ぶことは叶わないでしょう』
え……。しるし?
『はい。その印がある限り、家畜同然の扱いを受けるのです』
□ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □
「は……。なんでぇ……」
口をパクパクとさせる茶羽。
「なんで生きてんだよぉ! お前ぇ!」
茶羽が吠えた。
案外こいつはバカだったのかもしれない。あの規模の魔法に直撃して生きているのなら――魔法で防いだしかないだろう。
ずっと前にお守りにかけた魔法。それはなんてことない、単純な魔法――『1度だけ災難を身代わりさせる魔法』だ。今もポーチの中には、事切れたお守りがあるだろう。
人生何が起こるかわからない。
突然魔物が背後から噛みついてくることも、唐突な天変地異が死を運んでくることだって、ざらにある。
『保険は常に用意しておくべきです』と、これは私の先生に教わったことだ。
彼女の安否を確認する。よかった、無事だ。
うまく私が盾になれたようだ。いや、お守りが盾になってくれたといったほうが、正しいかもしれない。彼女の死イコール信用の死イコール食費の消滅イコール大災害なわけだし、何はともあれ結果オーライだ。
「…………!?」
目と目があった彼女が、声もなく驚愕した。
無理もないだろう。
茶羽の魔法攻撃の余波で、私の顔を覆っていた隠匿魔法が崩れてしまった。さすがのお守りも、そこまでは守ってくれなかったようだ。
だから、今は見えてしまっている。
――右頬に忌々しい、奴隷の証の刻印が。
私は口に人差し指を当てて、『内緒にして』と伝える。彼女は怯えてビクリと震えてから、コクコクと頷いた。
しまった。ついつい睨んじゃった。怖がらせて、ごめんね。
「どういうことだぁ!」
茶羽が何かを言うのを無視して、私は魔法の展開に入る。
「『偉大なる大地よ。頼む、今日だけは心を曲げてくれ』」
地面に魔法がかかる。ぐにゃりと歪曲して凹と凸を作る。
私はちょいと思い通りに曲がるように魔力で操作する。彼女の近くの地面は、彼女を覆い守るように。茶羽の近くの地面は、ヤツを転ばせるように。私の近くの地面は、あまり曲がらないように。
右頬がジキリと痛んだ。血が流れる。
本来奴隷に魔法は使えない。刻印が魔力を感知すると、そこを中心に痛みがやってくるのだ。刺されるより痛く、焼かれるより熱い、酷く苦しい痛み。でも、とっくの昔に慣れていた。
「ははは。そうか、お前はぁ……」
「はぁ……。皆まで言わなくていいよ」
魔法――言葉を使っているのだから、私の出自に気がつかないほうが可笑しいだろう。それをわざわざ口に出すのは、野暮というやつだ。
「堕ちた出来損ないがぁ! 子供くさい喋り方しやがってぇ!」
失敬な。私だって好きでこんな喋り方してる訳じゃない。ただ……これしか言葉を知らないだけだ。
「ひとつだけ、言っておくけどさ」
「『イカズチよ! ヤツを滅ぼしたまえ!』」
茶羽が乱暴に雷を飛ばしてくる。私は地面をずらしながら落ち着いて避けた。後ろのほうで雷が霧散する。大丈夫、彼女は大地が守ってくれている。
「魔法は大事に唱えないと駄目だよ。あなたのそれは――言葉を浪費してる」
魔法とは本来、魔力を持って自然や物に語りかけ、願いに応えてもらうものだ。
だから、ぞんざいな言葉を使ってはいけない。しかし、堅苦しくしすぎてもいけない。時にはうたうように軽やかに、時には恋し口説くように大袈裟に、時には友を頼るように不敵に、時には背中を押すように力強く、気持ちを込めてしっかりと唱えるのだ。
「『ああ。空よ、雷よ。我が敵を滅ぼしてはくれまいか』」
茶羽のお気に入りの雷の魔法。ヤツは根本的に間違っている。
雷は撃つものではない。空から降らすものだ。屋内じゃ遮蔽物があるって? それは魔力で非実体化させるだけ。
「『壁よ、床よ、天井よ、隔てる全ての物共よ! 微かでもいい……。道を開けて!』」
「させるかぁ! 『イカヅチぃ!』」
未だに蠢き歪み曲がる大地が、ヤツの魔法を防いでくれる。
フッと思わず溢してしまう。『大地を歪曲させる魔法』は一ヶ月くらい魔力を貯めた状態で、狭い範囲にしか使えない代わりに、一日はその場を思い通りにできる正真正銘大魔法なのだ。実はほとんどの空人が使えなかったりする。何故なら、彼等は大地を知らないから。
雷の通る道だけが、ピンポイントで非実体化された。頬がズクリと痛み、出血が増える。構わずに魔法を実行させる。
「が、がががああああああぁ」
閃光の後に雷鳴。目を痛めないように簡易的な魔防を張る。雷様がようやく落ちてきたようだ。けっこう時間がかかったな。
もしかすると彼の魔法は、彼なりに短縮しようと工夫したものなのかもしれない。まあ、粗末なことに変わりはないが。
「こ、こんなはずじゃぁ」
茶羽が倒れる。直撃したのにまだ生きているのは、雷の魔法を使うことで、いくばか体が適応しているのかもしれない。
というか、簡易でも魔防張るくらいはしようよ。やる気ないの? まあ、張っても例の『弾道を開けさせる魔法』とかでこじ開けたんだけどさ。
「『根付き闘志よ、今轟いて。さあ射て、さあ撃て、さあ放て!』」
私は止めを差すことにする。
語りかけたのはこの塔に深く根付いた闘志。
――すなわち、かつて大戦で幾千の敵を討ったバリスタ砲。
彼等は私に応えてくれた。弾は魔法で物質化され、既に装填までされている。そして揃ってその先を茶羽へ向けた。
「や、やめろぉ! やめろやめろやめろおおおおぉ!」
『敵は根絶しにしましょう』先生の言葉だ。
その教えに乗っ取って、私は手を天へ振り上げる。
『ただし、敵を見誤らないように』先生はそうもいった。
多分、こいつは敵でいいだろう。そうでなければ、一体何だというのか。
私は迷いなど振り切って、手を思いっきり下げる。そう、合言葉は……。
「『一斉発射ああああ!!!』」
「う。うぅう! ぅうがああああああああぁぁ」
矢が一斉に降り注ぐ。見苦しく血生臭い光景だが、ずっと前に慣れている。
ただ、彼女はそれを見ないように、そっと地面を歪曲させた。できればあまり、私みたいにはなって欲しくない。
ヤツの死体が転がる。地面を平らに戻すついでに、死体をその場に埋めてしまう。手を合わせる? 私はそんなことはしない。
さっと血の滴る頬を拭い、ふぅと疲れに溜息を吐いてから、ニコリと愛想笑いを決め込んで、ビシッと親指を地面へ向けた。
意味は……いうまでもないだろう。
□ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □ ◼️ □
「あ……。ああ…………!」
「おおおお! おお……!!!!」
親子の感動の再開。
甘ったるいが、水を差す気にはならない。わざわざ差さなくとも、涙やら鼻水やらでびちょびちょだし。後ろでは親父さんがタオルを用意していた。えらくサービスの効いた店だ。
「おおぅ……! おおおぅ……!」
腐肉ドラゴンみたいな声を出しながら、鼻水まみれの屈強な男が握手を求めてくる。
私は手をひらひらと振って、それを遠慮させて貰った。だって、なんか汚いし。
代わりに、『約束、破るなよ』と身振りで伝える。男はおうおうと目を拭いながら、ブンブンと大袈裟に頷いた。ちょ、鼻水飛ぶから、やめろ。馬鹿なのか?
親父さんにジュース代を支払って、いつものように逆方向に親指を立て合う。
店を出る直前に、包帯まみれの人とすれ違った。やがて店内の腐肉ドラゴンの声が、若い男一人分増える。
カランコロンとドアを鳴らす。仕事を終えた達成感で、いつもより美味しい空気を吸い込んだ。
頬の痛みはまだ抜けないが、3日も立てばきっと忘れるだろう。
今は辺りに人はいない。
いてもどうせ聞こえやしない。
だから今日は、もう少しだけ話そうか。
「ねえ。チーちゃんはさ」
「チ?」
もっとも話し相手なんて、こいつくらいしかいないんだけどさ。
「青い空とか緑の森とか……見てみたい?」
「………………チッ?」
チーちゃんはこてんと首を傾げた。「チチチチチチチ?」と首を下げすぎて、ついにはコロリと転がった。
愛くるしさに、思わず吹き出してしまう。
そのまま、あははと笑ってみた。チーちゃんが「チチチー!」と合わせてくるので、私はさらに笑った。
大きな声を出しているのに、笑い声は言葉とされるのか、誰も気づけやしなかった。
「ま。なんかどーでもいい、か」
見えやしない太陽を願うより、今は明日を願って生きていこう。
了