第一頁 貧困街
どの様な功績を挙げようと、決して評価されず名前すら一文字も残らない。
そこに居ると言う事実だけで、人間の価値すら奪われ家畜以下に扱われる。
───人間は等しく平等だ。
いつの世の中にも偽善を振りかざし吠え立てる人間は存在する。
身分の差はあれど、住む場所が違うだけで人間の価値すら失われたかのように扱うのはおかしい、と。
本心では欠片も思っていない事をお題目に、実際に得たいのは名声と富だと言うのに。
「……あ…………が、っ…………」
手足はあらぬ方向に折れ曲り、身体中の至るところから血を流して倒れる男。この男もそう思っていた一人だろう。それとも、興味本位で足を運んだだけの愚か者だろうか。
どちらにせよ、騎士ですら滅多に立ち寄らないこの地に何の武装もせずに入ってきた事の愚かさを身を持って味わっただろう。
最期の一撃を入れるまでもなく、このまま放置していればこの男は死に絶える。
それか……遠巻きにこちらを見つめている幾多の人間たちに身包みを全て剥がされるか。
縋るような視線を向ける男を一瞥し、その顔に向けて力の限り足を振り落とした。
ぐき、と言う骨が折れる音が響き男はため息にも似た何かを吐き、動かなくなった。
俺がその場を離ると、直ぐさま死体に群がる人間たちの気配を背に感じた。
何て事はない。これが貧困街の日常なのだ。
◆
どれだけ国が豊かであろうと、その民が全員裕福などあり得ない。国民の半数以上が一般家庭、と呼ばれる基準にあろうと半数以下の人間は金に困り、住む家も無く。
無論、理由はある。全員に共通しているのは金がないと言うこと、そして──貧困街の生まれと言うこと。
王都内の一部地域、そこに貧困街が存在する。いつ頃からそう呼ばれる様になったのかは分からない。
初めはただ貧困な人間たちが集まっているだけだった。だが、時が経つにつれ貧困街には犯罪を犯した者、それに与する者たちが集まるようになってきたのだ。
それだけならばただの烏合の衆で終わっただろう。だが、ある男が貧困街に現れた事により烏合の衆は統制を取り始め、国が忌避する程の勢力へと進化を遂げた。
国は貧困街を一掃するべく軍隊を進める。選りすぐりの精鋭部隊により、事態は直ぐに制圧されると誰もが思っていた。
だが、その予想を裏切り───国の精鋭部隊は壊滅的な打撃を受けたのだ。
理由は分からない。その後も二度、三度と部隊を送り込んだが誰一人戻って来なかった。
更に悪運はそれだけでは終わらない。国で内乱が起きたと知った隣国が大軍を率いて攻め込んできたのだ。
国は貧困街の一掃よりも、隣国の侵攻に重点を置き軍を撤退させた。理由はどうあれ、国の精鋭部隊が引いたという事実が貧困街の住人、そして国民に取って驚愕であった。
無論、国は貧困街側がこの勢いのまま王都を蹂躙するのではないかと忌避したが、それはなかった。貧困街に干渉をしない限り、攻め込むつもりはなかったのである。
その後、隣国との戦争を終えた国は王都にあるお触れを出す。それは誰であろうと、貧困街への立ち入りを禁ずる、と言う内容。それは事実上、国が非干渉を宣言したと同意である。
だが、それでも興味本位に立ち入る人間は存在する。その様な者の末路など、語る必要はないだろう。
◆
王都イリアスは、王城を中心に大きく分けて四つの区域で形成されている。王城に登城する貴族、更に王族に近しい上院貴族が住まう上院区域。貴族が住まう貴族区域。貴族以外の市民が住まう一般区域、そして国から隔離された貧困区域。
そもそも、今の様な貧困街と呼ばれる以前は貧困街も一般区画であった。時が流れ、浮浪者や犯罪者が集まるようになり事実上国から隔離されたのだ。
国は王都民に貧困街への立ち入りを禁止しているが、貧困街の人間は一般区画へと足を運んでいる者は多い。
無論、騒ぎを起こす者は少なくはないが、物資の調達や風俗街へ通う者がほとんどだった。
当たり前だが、物資にも女を買うにも金がいる。ならば貧困街に住む者がどうやって金を調達しているのだろうか。
大きく分けて、二つ。ひとつは奪うこと。そしてもう一つが──貴族からの依頼である。
貴族たちにはしがらみや思惑を持つ者が多い。のし上がる為に不要な人間を始末しなければならなくなる。
だが、自らの手を汚すと言った危険を犯す訳にはいかない。そんな時、貧困街の人間を雇うのだ。
仲介役を通し、貧困街の組織に依頼する。依頼を受けた組織は内容に適した駒を派遣し、任務を遂行させる。そして達成の見返りに金銭や物資を受け取るのだ。
支払いは滞りなく行われる。万が一にでも支払わなければ、組織は依頼人を始末するだろうし、依頼人の情報を売る事も行う。
貧困街に依頼をする、と言う行動は依頼側にデメリットしかない。人間の価値を奪われた貧困街の人間に取って、国の事情などどうでも良いのだ。
入り組んだ道を進みながら指定された場所に赴くと、そこには既に仲介役の姿があった。
俺の姿を一瞥すると、仲介役は足元に置いてあった袋をこちらに投げ渡す。放たれた袋を受け取るとそこそこの重さがある。恐らくは提示された物に依頼側が色を付けとくれただろう事を感じた。
「依頼人は毎度の事ながらお前の手際の良さを評価していた。組織への見返り額は差し引いてある。それは全てお前の懐に入れるといい」
顔をフードで隠した仲介役はそう告げると、音を立てる事なく姿を消した。何てことはない、それ程の芸当が出来なくば仲介役など務まらないのだ。
個人的にあの仲介役と一度酒を飲み交わしてみたいと思っているが、組織の根城でも表の区域でも姿を見た事がない。そのくせ、依頼に俺が割り振られると何処に居ようとも姿を現すのだ。恐らくはあの男の直属なのだろうが、気になる事の一つだった。
◆
変な話だが、基本的に組織の根城へ足を運ぶ事はあまりない。週に一度の集会がある時などしか赴く事以外、立ち寄る事はないのだ。
別段理由がある訳ではない。慣れ合いを嫌ってる訳でもなければ、組織に反感を抱いている訳でもない。寧ろ、俺の居場所は組織以外にないだろう。
……偶には、顔を出すか。
一般区画に向けて歩いていた足を反転させ、根城に向けて歩みを進めようとして。周りを取り囲むように俺に向けられた殺気に立ち止まった。
貧困街で俺の顔は知れ渡っている、と自覚しているが偶にこう言った事もある。貧困街も狭くはない。俺の事を知らない人間も居ても不思議じゃないのだ。そしてもうひとつは──敵対する勢力の刺客か。
過去に貧困街を纏め上げたあの男のカリスマ性は誰もが認めるところだが、それでも集わなかった人間、それと組織から離反した人間などが様々な組織を結成しているのだ。
「へへ、ニイちゃんよぉ。命が惜しけりゃ身包み全部置いていきな」
切れ味の悪そうなナイフをチラつかせながら男二人が姿を現し告げる。その言動から、どうやら貧困街に来て間もないのであろう事を匂わせる。
長年貧困街に住んでいるのなら、命が惜しければ、等言わない。問答無用で襲い掛かってくるのが定石だ。
身なりはある程度小綺麗に整えている。一般区域に住んでいると言っても信じられるだろう。これは俺だけでもなく、組織に属している人間に言える事だ。貧困街という場所に生きながら身なりを整えていると言うのは、それだけの実力を持つと言うことなのだ。
「おい、聞いてんのか?」
「よせ。びびって声も出ねぇんだろうよ」
黙っている事を勘違いした男が下衆な笑みを浮かべる。手に持った刃毀れしているナイフだが、拷問を行うならばあれは有効な獲物だ。より苦痛を味わせる事が出来る手段のひとつである。
別段拷問が趣味と言うわけではないが、手土産に持って行くのも悪くはないだろう。手ぶらよりは欠片はましである。
「さあて、お祈りの時間は終わりだニイちゃん。死にたくないなら──ぶべらっ!!?」
未だに脅しを掛けてくる男の懐に瞬時に近付き、顎から上に殴り付ける。吹き飛んだ男に呆気に取られていたもう一人の腹を蹴りを入れ、胃液を撒き散らしながら身体を折る男の首に腕を回し、そのままへし折った。
どさり、と音を立て命の灯火を簡単に消し去った男に俺を脅していた男は、恐怖にその眼を染め上げ股を濡らし、地に這いながら逃げようとする。
表の区域でどの様な事をして貧困街に来たのかは分からないが、この場所の恐ろしさを十二分に理解しただろう。
這う男の腹に蹴りを入れ、転がった男から離れたナイフを拾い上げて背を向けた。男は助かった、と思うだろう。取り囲むように近付く俺以外の気配には微塵も気付いていない様子に、懐から取り出した煙草を加えて火を付けた。