02 賢者の図書館
そこは、俺の住むコロネ村からほど近いコロネの森の最深部にあった。
「さすがにもう迷わなくなったな」
ここを発見した時はそれはもう大変だった。もう八年前になるか。
きっかけは森に薬草を採りに行ったことだった。薬草を採り終え、帰ろうとした時に熊に出会った。森のくまさんに出会ってしまったのだ。
正式名称・ハウンドベア。発達した前足で獲物を一薙ぎし捕食する、肉食系のモンスターだ。黒いと白の体毛のそれはとてつもない威圧感を放っていた。
逃げたとも。全力で。
ただ、そんな類のモンスターは足が速いと相場は決まっている。
ものすごい速さで迫ってくる狩熊。
追いつかれる寸前、俺はさらに重大なことに気が付いた。――俺が走っていた場所には、もう足場がなかった。
つまりは、そこは崖になっていて、俺はかなりの高度から転落したのだ。
そこから先は記憶がない。
「あの時に最初で最後の主人公補正が発動しったてこった」
気づけば、俺は草木が乱暴に生い茂り、蔓が巻き付き張り付き放題だった扉の前に倒れていた。
その両開きの扉を開ければ、そこは外見――といっても扉だけだったが――とは裏腹に、きちんと管理されているかのような大図書館だった。
そして、足元には何やら文字が彫ってあった。
『必要とせし者が発見せんことを。 ――――J・M・コロネ』
「ここの本も、八年もあればほとんど読み切れたか」
八年間、毎日ここへ通い続けた。強くなれなくても、ステイタスは上がらなくても。
どんなに死にそうになっても。
そのおかげか、頭だけはよくなった。魔術に関する知識、戦闘に関する知識、道具製作など、様々な知識を手に入れることができた。
「風の精霊よ、我が魔力を糧として汝の力を貸し与えたまえ――『突風』」
本に書いてある通りの呪文を詠唱したところ、無風だった室内に突風が巻き起こった。
「やっぱり、これは魔術の本か。呪文がびっしりと書かれているな……」
本を読み終えて、元の場所へ戻した。
それにしても、不思議だ。八年間、この場所は何一つ変わらない。一切ほこりをかぶっていない本と本棚。全ての本はまるでついさっき書かれたかのように綺麗だ。
――――まるで、この空間だけ時が止まっているかのように。
「それにこの名前……J・M・コロネって誰なんだよ」
謎は一向に深まるばかりだった。
ここへ来て何時間が経っただろうか。
時間が経過するのも忘れ、俺は様々な書物を読み漁っていた。
「……帰るか」
あっちの世界では、本なんて滅多に読まなかったのに、なぜだか今は早くここへ来て本を読んでいたいとすら思っている。
『君は、いったいどうやってここに来たんだい?』
扉の手すりに手をかけた瞬間、背後から低い男性の声が聞こえた。
「――――っ!?」
勢いよく振り返ったが、もちろん誰もいない。
出入り口はここだけのはずだ。扉が開く音どころか、人の気配すらしなかったのに、なぜだ!?
『そう身構えることはない。私は君に危害を加える気はないよ。それに、君とは八年間もの付き合いじゃないか』
――八年間?
「……J・Ⅿ・コロネさん、ですか?」
『これは察しがいいな』
『君が初めてここへ来たときは、何事かと思ったよ。ここができて数百年経つが、少年が辿り着いたことはなかったよ』
「知識は、【天職】に関係なく蓄積されますから」
『君、【天職】は村人かな?』
「ええ、そうです」
俺はただの虚空へ言葉を投げかけ続ける。
『――賢者』
「え?」
『私が生きている時、人々は私のことをそう呼んでいたよ。君なら私の領域へ達するまでにさほど時間はかからないだろう』
『ここは君のためにある。有効に使ってくれたまえ』
それを最後に、もう声が聞こえることはなかった。
賢者と同じ領域に達する? 何を言っているんだ。
今度こそ俺は図書館を後にした。
森から村の方向を見やれば、夕暮れのオレンジが大地を染めていた。
「日が暮れる前に帰らないと」
アリシアに余計な心配をかけてしまう。
「――――え?」
森から垣間見たオレンジ色は、夕焼けがもたらしたものではなかった。
パキパキと音を立てて燃え盛る炎。
村の入り口で、その光景を目の当たりにして、しかし俺は何も考えることができなかった。
そのせいで、俺は背後から迫っていた存在に気が付かなかった。
パキリと、小枝を踏んだ音がしたような気がして、ゆっくりと振り向いた先には――
「――――え?」
刃物を振り下ろす緑と。
どこからか噴き出している赤が。
急激な脱力感に襲われて、俺はその場に倒れこんでしまった。
耳を澄ませば、下卑た笑いが辺りを満たしているのが分かった。