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8 一週間前――迷わぬ子羊ども3

 それから二週間が過ぎた。


 大輔が行ってしまった日から、カオリも尾瀬家で生活するようになり、ご両親の寝室で寝泊まりしている。


 カオリはどうせ無職だからと自主的に家事一切を引き受けてくれて、初めは僕たちも遠慮していたが結局はあっという間に飼い慣らされてしまった。


 こまごまとした世話にもずいぶん助けられたが、特に食事の用意をしてくれたのが決定打だった。ご飯の力って偉大だ。


 ちなみにカオリは飽きもせず懲りもせず、毎日のように「あたしとつき合いなさい」と言ってくる。これまでのところ何とか返り討ちにはしているが、近頃は誰の入れ知恵か僕の気が抜けた瞬間を狙うなどの策を弄してくるので、油断はできない。


 そんなわけで相変わらずな僕らだったが、世界の情勢はいよいよ差し迫った終わりの日に向けて、最終局面を迎えていた。


 と言っても基本的な見た目として小康状態なのは変わらない。僕に見える範囲での話になるが、特に日本人に顕著だったのは「どのタイミングで取り乱していいか分からなくなって」おり、かつ「隕石が墜ちてきて滅んでしまうことがピンとこない」ために、結果として「死への漠然とした不安や焦燥感だけを抱えた人々」が大多数を占めていた。


 もちろん知識としては知っている。しかしこれは僕自身もそうなのだが、隕石落下による衝撃や爆発、何百メートルもの津波と言われても、そこに自分を置いた具体的なイメージができないのだ。


 それに大幅に縮小されているとはいえ、インフラを始めとする社会機能はまだ維持されていることもあって、目先の「やるべきこと」がある人々は、まだしも冷静でいられたのである。


 その意味で不幸だったのは、その目先の「やるべきこと」を与えられなかった人々、すなわち若者と失業者たちだった。


 年々増加していた失業率の高さに加え、加速度的に低下していた新卒の新規就職率が今年はついにほぼ壊滅したこともあって、彼らの多くは気を紛らわせる何物をも持たず、ただじわじわと迫る確実な死を見つめ続けるしかなかったのだ。真綿で首を絞められるとは、まさにこの事だろう。


 痙攣的に起きる事件のほとんどがこの層によるものであり、彼らの狂乱、虚脱、放心は、それを他人事のように眺めていた人々にも無意識下へのストレスとなって蓄積され、次第に社会を蝕んでいった。


 そこで携挙(ラプチャー)系を代表とする宗教群がいよいよ最盛期を迎える。しかし最も台頭したのは救いを叫ぶ携挙系ではなく、あの巨大隕石そのものを神の使いと見なし、やがてもたらされる滅びこそが救いなのだと主張する団体だった。


 それは滅びに関係なくこの世界に絶望していた人がいかに多く潜在していたかを暗に示唆すると共に、人の弱さをありありと露呈したことでさらに不安の連鎖反応を引き起こし、見掛け上の平穏とは裏腹に、人の世は隕石の落下を待つまでもなく内部から崩壊するかと思われた。


 しかし、そうした趨勢(すうせい)をあっさりと覆す男が出現する。


 「救世主と生きる会」のシンボル、救世主DAISKEである。


 竜也が「どう考えてもカタギじゃないね」と評したバーライロ・フルーベ卿(宇宙名)は、大輔を連れ去ったあの日から、不自然なほどの財力を背景にして、僕たちに宣言した通りの大々的な宣伝活動を展開した。


 タカちゃんと竜也が面白半分で編集した動画を聖典とするその主張は、「救世主DAISKEが巨大隕石をブラスターホームランする」という、ただそれだけである。最初に公開されたプロモーションビデオも、撮影された場所が馬鹿でかい船の上であろうことを除けば、その聖典の内容と全く同じと言っていいものだった。


 当初一部の層に大爆笑とともに受け入れられたほかは、無視されるか批判の対象にしかなっていなかったそれは、人々の心が荒廃してゆくにつれて不思議な影響力を持ち始め、瞬く間に世界的なムーブメントとなった。


 フルーベ卿の掲げる教義(?)は、一見して他の携挙(ラプチャー)系教団と大した違いはないように思える。


 なにしろ、何か超越的な存在によって、例えば天国などのここではないどこかへ導かれて救われるのだ、というのを、大輔のブラスターホームランで救われるのだ、と具体的な主張をしているにすぎないのだ。


 しかし救われるために信仰を求めるか否かが、両者を決定的に違うものにしていた。


 しかも他の教義が隕石落下を前提として信仰心のある者のみを救うのに対し、隕石そのものをどうにかしてしまうことで、信仰心のあるなしどころかミミズもオケラもアメンボも、地球丸ごと救ってしまうというスケールの大きさである。当然、救われたければ大輔を信じろなどとは一言も言わない。


 「Just do it.」――ただそうするだけさ、とこれも間違いなくアニメか何かの受け売りであろう言葉を大輔の口から聞いた米国のある記者は、眩暈感(げんうんかん)にも似た感動を覚えたという。


 それはたぶん眩暈感に似ているのではなくて、まぎれもなく本物の眩暈(めまい)だったのではなかろうかという僕の個人的な見解は置いておくにしても、この頃になるとネット上でも、


「隕石が墜ちてくるなら打ち返せばいいじゃない」


「ヤバい。だんだんコイツが本当にブラスターホームランできそうな気がしてきた。俺、そうとうキテる」


「あきらめたらそこで世界終了ですよ……?」


「おれたちに出来ないことを平然と言ってのけるッ。そこにシビれる! 憧れるゥ!」


というようなコメントが席巻した。


 大輔という存在が、少なくとも悪ふざけが出来る程度には人々の心を癒したのだ。


 そしていつしか、どう考えても不可能なことを平然と可能だと言い切る、という意味の「Daisuking」「ダイスケる」という新語が誕生するに到って、救世主DAISKEの名は不動のものとなった。


 いまや大輔は、あいつは、人々の心の拠りどころとなったという意味で、本当の救世主なのだ。


 時に、世界の終わりまで、あと六日。


 そんな時期に、僕らは――。


「パスポートが発行されるまで、こんなに時間がかかるなんてね。あと一週間もなくなっちゃったじゃない」


 カオリが、何がそんなに必要なのかさっぱり分からないくらいに荷物を押し込んだトランクに腰かけて、ぱたぱたと顔をあおいだ。


「まあ、こんな時期だしね。発行されただけでも奇跡みたいなもんだよ」


 僕を含む男ども三人は、極めて軽装だ。


「しかし、大輔の奴もパスポートなんて持ってるわけがないから、もしかしたらその日のうちにでも帰ってくるかも知れんと思ったんだが。入国審査も含めて、あのフルーベ卿がどうにかしちまったんだろうな」


 タカちゃんと僕にとっては、人生初にして、恐らく最後になる海外旅行だ。


「おれとしては、こんな時期にまだ飛行機が飛んでることの方が驚きだよ。プライドのある人たちなんだろうなあ」


 竜也の目には素直な称賛が浮かんでいる。


「ああ、人の営みは尊いな。ま、それをあの馬鹿ひとりに背負わせるのも何だから俺は行くが、お前らは本当にいいのか? 特に竜也、お前は冗談みたいにモテるんだしさ。何もあんな馬鹿に付き合う必要はないんだぞ」


 タカちゃんがいつにも増して馬鹿を強調したが、竜也はいつものキラキラ・スマイルでカオリに質問した。


「ね、カオリちゃん。カオリちゃんはどうして行くの?」


「あたし? もちろん大ちゃんのことも心配だけど、正直に言うと、イサムが行くから」


「うん、それでいいんだよ。好きな人とはなるべく一緒にいたいもんね。おれの理由も似たようなもんだよ。第一、タカちゃんが行くって言い出すまでもなく、元々そのつもりだったし」


 ……なんかいま、さらりと聞き捨てならないことを言わなかったか。


「それでいいんだよって、竜也、お前……。ああ、いや、いい。訊かないから言わんでいい。なんか恐い」


 思わず口を挟みかけたことを後悔していると、竜也が声を上げて笑った。


「まあ、退屈はしないし、実際面白かったよ。あいつといるとさ」


 これはまた判断に迷う回答を。ううむ、どっちだ……?


 い、いや、だから考えるなってば、僕。


「そう言うイサムはなんで行くの?」


「え、僕? 決まってるだろ」


 僕は、ずいぶん前から用意していた言葉で答えた。


「あいつの童貞喪失を阻止するためだよ」


 狙い通り、みんなが爆笑する。


「いわば全ての人類のためってわけだ。イサムの理由が一番崇高だな。じゃあ、みんなで行くか」


 タカちゃんの視線が、僕たちの乗るべきジャンボジェットに注がれた。


 今まさに、僕たちは旅立つ。


 一路、ドイツへ。

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