6 一週間前――迷わぬ子羊ども1
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マイド・モウカリマッカ。
僕の耳が確かなら、そのガイジンのおっさんはそう発音したように思う。
僕の記憶が確かなら、これはドイツ語ではない。
そして僕の気が確かなら、現在の状況は――。
最新鋭戦闘ヘリに護衛された骨董ヘリで乗り付け、武術の超絶達人を侍らせた、関西弁を喋る冴えないドイツ人のおっさんが、僕たちの目の前で揉み手をしている。
……なにこれ。
「ぼ、ぼちぼちでんな!」
あまりに異常な事態に固まっていると、大輔が得意気にお約束の常套句で返した。
空気を読んだと言うべきか、全く読めていないと言うべきか。どちらにしてもやっぱり通常運転である。
ひょっとしてコイツ、とんでもない大物なのではなかろうか。
挨拶を返されて気を良くしたらしいおっさんはニカッと笑うと、上等なスーツのポケットから居酒屋に置いてあるようなおしぼりを――ブランド物のハンカチとかではなく、紛れもないおしぼりを取り出して、首筋やら額やらを拭きだした。
「いやー、毎日暑いでんな。こない暑いと、みぃんな家に籠ってまうさかいに、こちとら商売あがったりやで。どんならん」
知らんがな。
あ、いや違う。思わず関西ナイズなツッコミを入れるとこだった。
おっさんはそのままの勢いで怒濤のアキンド・トークを続けていたが、ふと我に返ったように額を叩いて「あいたー」と言った。
「こらえらいすんまへん、挨拶が遅れまして。わてはドイツの方で小っさい店をやってます――」
ここで不自然にタメる。
「……フンバルト・デルヘーいいますねん」
ものすごいドヤ顔。さっきのカオリのドヤ顔なんぞとは格が違う、ものすごいドヤ顔。ものすごいドヤ顔だ。
だが、それでどうしろと?
「…………」
「………………」
「……………………」
あのタカちゃんや大輔ですら無言のまま立ち尽くしていると、おっさんがちょっと気まずそうにこめかみを掻いた。
「あれ、ウケまへんな」
「フルーベ卿。ですから安易な下ネタは危険ですとあれほど申しましたのに」
いつの間にかおっさんの後ろに、例のいかにも秘書然とした人種不明な女性が控えていた。
「そない言うても、ジョジョコ。このネタには自信があったんや」
「その自信の結果がこれです。ご覧ください、皆様の反応を。見事に白けておられるではないですか。どん引きです。どんズベりです。だだスベりです!」
「そ、そこまで言わいでも。きっついなあ」
「いいえ、今日という今日は言わせていただきます。いいですか、そもそもお笑いの基本とは」
唖然とする僕たちを置き去りにしてお笑い談義が始まりかけたところで、ついに我慢できなくなったらしいタカちゃんが割り込んだ。
「ちょっと待てい」
あ、素だ。素で突っ込んだ。
「あ、いや失礼。小学生並みの下ネタで笑いを取りたかったのは分かりましたが、結局あなた方は何者で、ここへはどんな用向きで?」
言葉にトゲがある。
いきなり他人の家に押し掛けてお笑い談義を始める謎の外国人にトゲのあるツッコミを入れる、トゲトゲの棒と肩当てを身に付けた奇人。
わは。わはは。わははははははははは。
……すまん、なんかもー、だんだんどーでも良くなってきてる。
ジョジョコと呼ばれた女性が、それでは改めましてと一礼した。
「こちらはドイツ貴族の末裔、バーライロ・フルーベ卿、私は秘書のジョジョコ・シリウスと申します」
「また二人揃って明らさまな偽名だね」
僕と同じ感想を持ったらしい竜也がすかさず指摘した。
「偽名ではなく、真の名、宇宙名です。さてこの度こちらへ参りましたのは、我らの救世主をお迎えするためです」
「宇ちゅ……いや、救世主?」
聞き捨てならないことが二つあったが、竜也はそのうちの一つを無視することにしたようだ。……たぶん竜也も、だんだん面倒臭くなってきてるんだろうな。
「はい。こちらにはぬるねぎ様がいらっしゃるのでしばらく静観しておりましたが、そもそも連絡すら取られるご様子ではないので、それならばと私たちがお迎えに上がった次第です」
「ぬるねぎ様って……あのぬるねぎ様?」
僕は一週間前の、ぬるねぎ様信者との馬鹿げた揉め事を思い出した。
「そや、そのぬるねぎや。そら確かに大手でっけど、救世主様とは比べもんになりまへんわ。そいでも自己顕示欲の塊みたいな奴っちゃから、どうせ変な意地ィ張りよるんちゃうか思てたら、案の定やで」
面白くもなさそうにバーライロ・フルーベ卿(宇宙名)とやらが言った。
「あ、別にあいつを貶めようとして言うとるんやないでっせ。嫉妬しとるわけでもおまへん。ただ、ちぃっと名ァ売れとるから言うて、ええ気ンなって調子こいとんのが気に入らんだけや。あいつには謙虚さが足らん」
よー喋りよんなぁおっさん。
あ、いや違う。なんかつられるんだよな、この人の喋り方。
つまりアレだ。早い話が、いま大流行している携挙系新興宗教の人なのね。面倒臭い話になりそうなので、とりあえず宇宙名とやらに深く突っ込まなくて良かった。
あとどーでもいーけど、そのスジでは有名なのか、ぬるねぎ様?
「あ、あー……。あなた方が何者なのかは分かりましたが……それで、その救世主っていうのは……まさか……」
僕はイヤな予感、いや確信を覚えながらも、一縷の望みをかけて質問してみた。
救世主なんぞとゆーモノを真剣に論じるのも馬鹿げているが、それ以上に馬鹿げているのは、彼らの熱っぽい視線の先にいるのが――。
「そらもちろん尾瀬大輔はんですがな」
そう、よりにもよって我らが年中無休の超天然全力馬鹿、尾瀬大輔その人なのである。
救世主? 大輔が? メシア? ハイラント? ……大輔が?
どうかしている。こいつに出来るのは失笑を買うくらいだぞ。
愛は地球を救うらしいが、笑いでも救えるというのか?
そう言えばこの人たち、やたらと笑いにこだわってるな。ぬるねぎ様の名前が出たので携挙系かと思っていたが、そうではなくて、まさかそーゆー教義なのか?
そいつぁちょいと斬新すぎやしませんかい。
いや待て、ひょっとして僕らがよく知らないだけで、ぬるねぎ様も実はそうだという可能性もあるぞ。
そう考えれば、あの出オチみたいなヘンな名前にも納得がいくし、さっきのフルーベ卿のぬるねぎ批判は「人気者の同期芸人に嫉妬する三流芸人」という構図になるじゃないか。
「……あれ、そう言えばあなた方は、どうして大輔を知ってるんですか?」
僕がそう言うと、フルーベ卿が下町のおばちゃんよろしく小招きするように右手を上下に振った。
「わてらやのうても大輔はん、有名ですがな。それに例の動画の仕掛人は、あんさんらとちゃいますのん?」
動画?
新たな疑問を口にする前に、横から「あ」という声が聞こえた。それも二つ。
僕はギロリとタカちゃんと竜也を睨みつけた。
「こら。いったい何をした?」
はっはっは、と笑いながら竜也がぽりぽりと頬を掻く。
「いやー、先週ね。イサムが道場に行ってる間に、ヒマなもんだからブラスターホームランの練習をしてる大輔をタカちゃんと一緒に撮影してさ。救世主あらわる! ってタイトルで動画編集したんだよ。それでそのままのノリで動画サイトに投稿を。……え、アレってそんなに反響あるの?」
「ご存知ないので?」
ジョジョコさんが意外そうな顔をした。
「世界的な反響ですよ。コピーして各国の言語に翻訳されるのはもちろん、じゃあこっちはドロップキックで、とか、目から謎の怪光線で、などという説明と共にその練習風景、及びその結果想像図を示す一連のスタイルでの後追い動画も多数投稿され、救世主シリーズと呼ばれています。早い話がよくあるネタ合戦です」
よくあるネタ合戦って。えらく簡単にまとめちゃったよジョジョコさん。
しかし人類に残された時間も残り少ないというのに、みんな、そんなにヒマなのか? 世も末だなあ。むしろ逆になんか悟っちゃってるような気さえするが、間違いなく僕の考えすぎだろう。
「へえ、そうなのか。そーいやあれっきり、閲覧数とかのチェックはしてなかったな」
さすがはタカちゃん、振り返らない男だ。……たぶん編集して投稿した時点で、満足したか飽きるかして忘れてたんだろうな。
フルーベ卿が嬉しそうに揉み手をした。
「おお、やはりこちらの仕掛けでしたか。いや、アレは素晴らしい。素晴らしすぎてパチもんがぎょうさん出よって、困るくらいですわ。……失礼でっけど、あんさんは?」
「大輔の兄ですが」
タカちゃんが轟天丸とトゲトゲ・アーマーをガチャリと鳴らしながら胸を張って答えて、フルーベ卿は感極まったようにその手を取った。
「やっぱりそうでっか! 一目見たときからタダモンやないと思てましたが、さすがは大輔はんのお兄様でんなあ!」
そりゃまあ、誰が見たってタダモンではなかろう。
「ついてはお兄さん、わてに弟さんを預からせて貰えまへんやろか。三食昼寝付き、各種トレーニング設備はもちろん、福利厚生も充実、パチもんどもなんぞ片っ端から蹴散らす宣伝活動に、当日は何と! 隕石の落下地点に建設中の特設会場にてブラスターホームランしていただけます! しかも全世界生放送! インド人もビックリの厚待遇でっせぇ!」
喋るほどに胡散臭さが加速してるぞ、おっさん。
つまりフルーベ卿は、大輔を一種のタレントのようなモノとしてスカウトしに来たってことなのだろうか。
しかしそれでやることと言えば、大輔を隕石の落下地点に置いて、皆でこいつの馬鹿さを笑いながら最後を迎えようとしてるだけじゃないか。そんな話に誰が乗るというのだ。
もちろん、嘆き悲しむよりも笑いながらの方がいいだろうとは思うし、それが救いだとか何とか、どんな教義を掲げようが勝手だけど、そんなことに僕たちを巻き込まないで欲しい。
「さて。それはそれで面白そうですが、俺が決めることでもありませんね」
面白そうなどと言うあたりがとってもタカちゃんだが、結局は至極真っ当な返答をした。
さっさと断ってしまえばよかったのに。
フルーベ卿は「それでは直接交渉させていただきますよってに」と、ぼけっと突っ立っている大輔に向かって、まるで草野球に誘う近所のおっさんのようにバットスイングの真似をして見せた。
「大輔はん、どうでっか。カキーンと一発、ブラスターホームラン! わてらにプロデュースさせてもらえまへんやろか」
「あ? ああ、はい」
「おお、即答! さすがでんな。ささ、ではあちらの特別機へ」
「え、今すぐ? ……じゃあみんな、ちょっと行ってくる」
大輔は戸惑いながらも、素直に歩き出した。
そのまま横を通りすぎようとする大輔に、僕は穏やかに声をかけた。
「大輔」
「ん?」
僕はにっこり笑って、渾身の目突きを繰り出した。
大輔は情けない悲鳴を上げつつも、大輔のくせに生意気にもギリギリのところでそれを躱した。大輔のくせに。
「なにすんだよ、殺す気かっ?」
動けるデブとして名を上げた往年のカンフー・スターの日本語吹き替え版のような甲高い声で抗議してくる。
僕はそんなものには一切耳を貸さず、お地蔵様のごとき静かな目で大輔を見据えた。
「大輔、ちょっとそこに座りなさい。そしてそのバットをよこしなさい」
「イ、イサム……?」
「……お前がブラスターホームランする前に……」
僕はゆっくりと息を吸い。
「……僕がお前の頭をブラスターホームランしてやるからバットをよこせっつってんだァ!」
大輔に襲いかかった。
「わーっ、どうしたイサムっ」
「イサム、ちょっと、やめなさいイサム!」
竜也とカオリが止めにかかるが、僕の怒りは治まらない。
「離せカオリ、馬鹿は死ななきゃ治らないんだ。カオリも言ってただろ、殺らなかった後悔より殺った後悔の方がマシだって!」
「そのイントネーションが指し示す行為の場合は、後者の方が深刻でしょーがっ」
カオリが僕の右腕を掴んで、離そうとしない。
「イサム、なに怒ってんだよぅ。怖いよ」
大輔が涙目で訴えてくる。
情けない声を出すなよみっともない。
「馬鹿大輔。お前はもうちょっとモノを考えろ!」
分かっているのか。結局この人は自分達の心の安寧のために、お前を生贄にしようとしてるんだぞ。
「考えてるよっ。日本からだと角度が悪そうだから、どのみち移動しなきゃなんないと思ってたし、ちょうどいいじゃないか!」
「大輔のくせに小利口なこと考えてんじゃねぇよ! 近所のコンビニにアイスでも買いに行くみたいに簡単に決めやがって、今から行くってことは……」
――それが今生の別れになるんだぞ。
僕はその言葉を呑み込んだ。