5 三週間前――突然来訪……からの、戯れ言2
カオリが手伝ってくれたお陰で早く掃除が終わり、僕らは商店街に向かった。
繰り返すが終末まっしぐらなこの時期にあって、まだほとんどの店舗や施設が稼働しているのは、けっこう凄いことだと思う。まあ、そういう僕だって、明日の月曜日になればやっぱり仕事に出るんだけど。
たぶんみんな、普段通りの生活を送ることで平静を取り戻したはいいが、じゃあどのタイミングで取り乱せばいいのか、判らなくなっているのだ。
ちなみにカオリは、こちらに戻ってくるときに仕事をやめて、それっきりらしい。なんでも「銀座のうわばみ」の異名をとる凄腕ホステスだったらしい。
昔のカオリのイメージからは考えられない職種だったし、あちこちにあるツッコミドコロも敢えてスルーするとして、道理でと言っていいのか、ずいぶん肉付きがよくなっているなと思ったとだけ述べておこう。
さて大量の酒と肴を買い込んで尾瀬家に戻ると、庭で大輔が素振りをしていた。
あの隕石を打ち返すと言い出して一週間、こいつは毎日こうしてバットを振っている。分かっていたことだが、やっぱりあの発言は本気だったのだ。
まあ、それはそれで、別にいいのだが。
僕だって野球と言えば、子供の頃にやった草野球が関の山なので偉そうなことを言うつもりはないが、それにしたって大輔のスイングは酷かった。
腰が全く入っていない。なんだかビア樽に横棒をくっ付けて回転させているというか、ハンマー投げよろしくこのままバットを放り投げかねないというか。
「どうだ大輔、ホームランはできそうか」
「ああイサム、おかえり――って、カオリちゃんっ?」
背中から声をかけられて振り返った大輔が、目を丸くしてカオリを見た。
「やっほー大ちゃん、お久しぶり。相変わらず面白いね!」
待てカオリ。気持ちは分かるが大輔はバットを振っているだけだ、笑いを取ろうとしているのではない。
「あ、へへ……」
そして大輔、そこは照れるトコじゃない。
……いや、違うか。そう言えばこいつは昔からカオリのことを気に入ってたんだっけ。
「やあ、久し振り。元気してた?」
玄関から麦茶のボトルとコップを盆に載せた竜也が出てきた。どうやら大輔に飲ませるために持ってきたらしい。
こいつは何故か昔から何くれとなく大輔の――尻拭いを含んだ――世話をやく。お陰で大輔はずいぶん助けられているが、かわりに気に入った女の子たちは、全て竜也の意思とは無関係にかっさらわれている。何事にも対価は必要だという典型だ。
「元気元気。たっちゃんは相変わらずカッコいいね。やあ、なんて挨拶をして、しかもそれが似合っちゃうのはたっちゃんくらいだよ」
「そりゃどうも。おーい、タカちゃん。カオリちゃんが来たよ」
竜也が二階の窓に声をかけると、酸イカか何かを口にくわえたタカちゃんが顔を出した。
「おーう、カオリ。しばらく見ないうちに丸々としたなー」
さすがはタカちゃん、女性が相手でもお構い無しのド直球だ。
「ちょっとぉ、他の言い方はないの?」
「ああ、すまんすまん。色っぽくなったなカオリ。悪いがテキトーにやっててくれ。もう少しでバンゲリング帝国に勝てそうなんでな。なんなら俺のシーアパッチの勇姿を見るか?」
またマニアックなもんをやってるなあ。
「シーアパッチって?」
やっぱり分からなかったらしいカオリが訊いてきた。
「ゲームの話だよ。戦闘ヘリ。日本でもよく飛んでるアレをもっといかつくした感じの――」
僕はさっきからパラパラとやかましく空を飛んでいるヘリコプターを指差した。
わりと近所に自衛隊の基地があるせいか、ここらではよくヘリコプターを見かける。竜也によるとブラックホークという多用途機で、ひと昔の日本では主に救難ヘリとして活躍していたが、今は武装化されて――あれ? なんかいつも見かけるやつとは違うような気が。
僕の視線を追った竜也が、珍しく慌てた声を上げた。
「あれは、ユーロコプター・ティーガー! ……と、Fa223ドラッヘだって? あんなの、どこからどうやって――」
ティーガーとやらの後ろには、飛行機の主翼を骨組みだけにして、それぞれの先っちょに回転翼をつけたような、変わった形のヘリコプターが続いていた。
「なに、レアな機体なの?」
「前のやつは日本にあるわけがない機種だし、後ろのは博物館にレプリカが飾ってあるようなやつだよ! まさか本物じゃないとは思うけど……ちゃんと飛べるのか、あれ?」
ほー。斬新なデザインだと思ったら、逆に古いのか。
よく分からないなりに感心して見ていると、そのドラッヘとかいうヘリが高度を落としているような気がした。
あのまま降りてくるとすれば、目的地は――。
「――って、なんか後ろのやつ、ここに着陸しようとしてないか?」
「とりあえずみんな、家、じゃなくて裏の工場に避難を――いや、無駄か」
これも非常に珍しい、竜也のシニカルな笑み。
この距離まで近付けば、僕にもよく見えた。後ろのやつはともかく、前を飛んでいるティーガーとやらはブラックホークなんかメじゃないくらいの重武装をしている。
アレに攻撃されたら、こんな工場なんか一瞬で瓦礫になるだろう。
「でも、攻撃の意思はなさそうだけど」
「まあ、迎撃もされずにこんな所まで飛んでくるってことは、日本の秘密兵器か、少なくとも敵性ではないって……ことか?」
僕の言葉通り、ティーガーが上空を通過してそのまま旋回軌道に入り、後ろのヘンな形のヘリコプターだけが工場の駐車場に着陸した。
「よし、行くぞ。竜也、棒は持ってるな?」
例のトゲトゲ・アーマーに轟天丸を肩にかついだタカちゃんが、僕らの先頭に立って言った。
あんた、二階にいたはずなのに、いつのまに。
「タカちゃん、またそんな扮装で」
「あんな物騒な護衛をつけてやって来てんだから、こちらも相応の武装はいるだろ」
タカちゃんは轟天丸を見てニヤリと笑った。
僕は、下手に武装して刺激しない方が……と言いかけて、やめた。どう考えても、この姿を見て刺激されるのは敵愾心ではなく、もっと別のもんだろう。
「そんな張りぼて」
「そう見えるか? なら奴らも騙されてくれるかな」
よく見ると、轟天丸の石突き辺りに何かのコードが接続され、それは袖口から襟を通って背中の箱に接続されていた。しかもトゲトゲ・アーマーが巧妙にカモフラージュしていて、前からは箱の背負い紐が見えなくなっている。
この装置がどんなものなのか想像もできないが、やはりこの男、ただ者ではない。
「タカちゃん、あんたは」
感動だか戦慄だか、よく分からないものに身を震わせていると、その場に全くそぐわない能天気な声が聞こえた。
「うーん、やっぱりウチに来たんだよね。いったい何の用だろ?」
おい……大輔……。
わはははと笑ったタカちゃんが、お前は細かいことは気にすんなと言った。それから僕を見る。
「なんだかよく分からんが、一応の警戒だけは、な」
「あ、誰かが降りてくるよ」
全身から気迫を立ち上らせつつも、なお爽やかに微笑むという意味不明な離れ業を披露しつつ、竜也が着陸したヘリコプターを指差した。
一定の距離を置いて僕たちが眺めるなか、一人の男が軽やかに地面に降り立つ。
細身の長身に濃いグレーのスーツ、笑っているかのような細目に薄い眉毛、どう見ても一般人ではありえない酷薄かつ凶悪な笑みの、あれは――。
カオリが驚愕に満ちた声を上げた。
「間黒先生!」
……あ、カオリもやっぱりそう思う?
「どう見ても間黒センセイ……だよな」
「だってあんな凶悪な笑顔、先生以外にないじゃない!」
ずいぶんな言いようだが、全面的に同意する。
その間黒センセイと覚しき人物が僕とカオリを認めて、血が見たくて仕方がないとでも言わんばかりに口角をつり上げた。
確信する。アレは間黒センセイだ。本人はアレで優しげに微笑んでいるつもりなのだ。あの笑みの意味が理解できずに何年も悩んだ僕らが言うのだから間違いない。
「なにイサム、知り合い?」
竜也が訊いてきた。
「ウチの道場の師父だよ。ドイツにいるとか言ってたのに、なんでこんな所に」
「ふーん。あの人、かなりやるね。おれでも勝てないかも」
そうこう言っているうちに、さらに三人の男がヘリから降りてきた。人種などの共通点はなく、武装もしていない。
「はいダメ、アウト。全員達人だ。火器を持ってないからって油断しないでね。いざとなったら時間稼ぎだけでもしてみるから」
乾いた笑いを上げる竜也を、タカちゃんが宥める。
「まあ待て竜也、何も戦闘になるとは限るまい。第一、イサムの師匠もいるんだろ。例のリアル世紀末救世主伝説の」
さすがはタカちゃん、そう言う自分はそのリアル世紀末救世主伝説のザコキャラのよーなカッコウをしているというのに、とても冷静な判断だ。
確かにセンセイは見た目は凶悪犯そのものだが人格は清廉だ。それに僕のナマクラな感覚を信じれば、他の男たちにもこちらへの害意はないように見える。
「おおー。なんか一直線に並んだりしてさ、映画みたいだね。カッコいいー!」
タカちゃんに言われた通り、なーんにも考えていない大輔が嬉しそうに身を乗り出した。
あのな、今のところ敵意がなさそうに見えたって、突然こんな物々しい連中に押しかけられて、本当に何も感じないのかお前は?
そんなことを思いながら目だけは物騒な訪問者を観察していると、乗降口の左右に整列した四人の男たちが、いっせいに中央を見た。
なるほど、彼らはボディーガードといったところか。ならば今から降りてくるのが彼らのボスというわけか。
果たして降りてきたのは、人種不明な女性を従え、一目で高級ブランドと判るスーツを着こんだ、金髪に灰色の目の、しかし何の迫力もないガイジンのおっさんだった。
「ヘリの機種からして、ドイツ人……かな」
竜也の言葉に、ニッサンに乗っているインド人だっているぞと思わず言いそうになったが、そんな減らず口を叩いている場合ではなさそうなので、僕は素直に頷いた。実際、センセイもいることだし、たぶんそうなんだろう。
そのドイツ人のおっさんが、取り巻きたちをそのままに、つかつかと速足で歩いて来る。
相手の意図が読めずに緊張感をみなぎらせた僕たちの前までやって来たおっさんは、丸腰であることを示すかのように腕を広げた。
そしてすぐにみぞおち辺りで両手を上下に重ねて、こう言った。
「まいどっ。もうかりまっか」




