3 一ヶ月前――終末世界の異常な日常2
「おー、やってるやってる。おーい、大輔ーぃ」
手にした得物を振り上げてのお気楽なタカちゃんの声に、前方で一触即発の殺気立った雰囲気を醸し出していた一団がこちらを向いた。
世界が小康状態であるとは、逆に言えば秩序が完全に回復しているわけではないという意味だ。それは本邦とても例外ではなく、他国に比べていくらかマシとはいえ、強盗や拉致などの暴力事件は後を絶たない。
それでも「治安が悪くなった」程度で収まっているのは、紆余曲折を経て大幅に規模縮小しながらも、寝る間を惜しんで働いてくれている警察や自衛隊のお陰だった。頭の下がることだ。
とは言え、やはり自分の身は自分で守るという認識はいまや常識であり、僕は改めて揉め事真っ盛りなその集団を観察した。
白人一人と黒人二人の、暴漢だか狂信者だか不明な外国人三人組と、「FはファンタスティックのF!」と言わんばかりのファンタスティックなバストの女の子、その女の子を背後に庇い、ぷるぷる震えながらバットを構えている大輔だ。
何と言うか、まるまるとした白ウサギが猛獣に怯えているようで、ちょっと可愛い。
誰が?
大輔が。……うん、僕もかなりヤツに毒されてる。
こちらを見て目を剥いた外国人三人組が、英語らしき言葉で早口に何事か喚いた。何を言ったのかサッパリだが、所々「ぬる」とか「ぬるねぎ」とか言っているのだけは分かった。
暴漢ではなく狂信者の方だったか。わざわざこんな極東の島国の、しかも微妙に田舎臭い所にやって来てまで信仰するほどのものなのか、ぬるねぎ様? まあ、暴漢だろうが狂信者だろうが、僕らにとっては大差ないんだけれど。
つまり状況を説明すると、新興宗教団体の信者に襲われ――もとい、強引な勧誘をされているファンタスティック・バス子さん(仮)を、その溢れる正義感と迸る下心で救出しようとした大輔が、結局どうすることもできずに窮地に立っている……とまあ、特に珍しくもない日常風景のひとコマである。
「大輔よ、緊急任務だ。ただちにウチの馬鹿テレビにジーザスせよ」
到着したタカちゃんが、外国人三人組など目に入っていないかのように、ガチャリと音を立てながら意味不明な厳かさで告げた。
このガイジン三人組の前でその単語はマズいのでは。
「Jesus!」
案の定、未来の信徒を奪われると思ったらしい三人組が色めきたった。
言わんこっちゃない。しかもこいつら、良く見たら密教の独鈷みたいなモノを持ってるぞ。アレに刺されたら、たぶん痛い。
しかし負けず劣らず痛い扮装をしたタカちゃんは、それでも平然と話を続けた。
「俺たちはアンドアジェネシスと戦わねばならんのだ」
「兄ちゃん、いまはそれどころじゃ」
ぷるぷる震えながら大輔が言った。なんだお前、まだ震えてるのか。
「ついでにバキュラに256発の検証もね」
周囲を無駄にキラキラさせながら、竜也が言った。やっぱり三人組のことは完全に無視している。
「あーもう、分かったから、早くこいつらを追い払ってよ!」
震える体とバットを抱きしめ、たまりかねたように大輔が怒鳴った。
「早く! 俺がコイツを抑えてるうちに!」
ぶはあ。
僕は思わず吹き出した。この期に及んで中二病かい。
するってーと、何か? 邪悪な意思が宿った左腕か、ブラスターなホームランをカマそうとするバットでも抑え込んでいるのか、お前は?
「はいはい。じゃあ、いっちょやろうかね」
大輔の中二な発言を華麗にスルーした竜也の目配せを受けて、僕らは一斉に得物を振りかざした。
「ひとぉつ、人よりメシを食い!」と竜也。
「ふたぁつ、二日と空けず呑みゃ!」と僕。
「みっつみなまで言わずとも、気付きゃ立派な!」とタカちゃん。
「――太鼓腹ァァァッ!」ガチャリと得物を構えつつ、これは三人で。
決まった。恐いくらいにキマりまくってしまった。
やっぱり何度もやっていると、だんだん慣れてくるものだ。もし子供の前でやっていたなら、やんやの喝采間違いなしだ。
ところで僕たちの得物とは、タカちゃんが趣味で作った、もはや芸術品の域に達した素晴らしい武器たちである。
まず竜也が手にしているのは、細身の高級アルミ合金製物干し竿を一メートルほどの長さにぶった切った、一見してただの棒だが、よく見ると細部に渡って繊細かつ優美な彫刻が施された逸品。
その名も「突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀、杖はかくにも外れざりけり、夢想棒」。竜也本人の命名だが、やたらと長いので僕らは略して「竜也の棒」と呼んでいる。
夢想棒ではない、あくまで「竜也の棒」だ。
僕のは、カンフー映画で刀剣の演武に使っているような、しなやかな刀身の風切り音が気持ちいい、薄刃の直剣。
名付けて「薄刃陽炎」。我ながらダサい。
そして真打ち、タカちゃんの武器は。
恐るべき板金加工技術によって、槍の穂先の代わりに禍々しく黒光りするトゲトゲが乱立する球体が先端についた、巨大な戦闘鎚――その名も轟天丸!
全てを粉砕する重量感に満ちた迫力だが、実は中身は空洞の張りぼてで、コツンと叩けばコォォーン……と、低いが深く澄んだ音がする。でも名前はやっぱり轟天だ。
その轟天丸の石突きを地面に打ち付け、タカちゃんがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ふっ。今宵の轟天は血に飢えておるわ」
タカちゃん、今は朝だ。そしてそりゃ悪人の台詞だ。不敵というより不適切になってるぞ。
「おお、轟天が哭いておる。早く喰わせろと哭いておる。死にたい奴から前に出ろ!」
タカちゃんはガチャリと音を立てて轟天丸を肩に担ぎ上げた。
三人のガイジンに恐怖の色が走る。
ちなみに今、タカちゃんの肩には、轟天丸のモノ以上にぶっといトゲトゲが生えた肩当てが装着されている。出かける前に言っていた新作というのはコレで、さっきからガチャガチャうるさいのもコレだ。
……そう言えばさっきキメ台詞で轟天丸を振り上げたとき、よくこのトゲトゲが頬に刺さらなかったな。刺さったら、たぶんものすごく痛い。
さらにちなみにと言っては何だけど、ノリノリになっているタカちゃんの後ろでは、竜也が嬉しそうに竜也の棒を振り回している。
うーん、いつ見ても大したものだ。僕もそれなりに使える自負はあるけれど、こいつには全く勝てる気がしない。そして目は全く笑っていないのに、何故か嬉しそうに見えるのが、とても怖い。とっても怖い。
まあそれはともかく、タカちゃんに恐れをなしたガイジンどもが、捨て台詞のようなものを残して退散した。
「ふう、何とかなったか。君、大丈夫だった?」
暴走しようとするバットを抑えつけていた大輔が、くるりと振り返った、が――。
「どうもありがとうございました、おかげで助かりました! あの、私、ナツキっていいます!」
既にファンタスティック・バス子さん改めファンタスティック・ナツキさんは、大輔には目もくれず一直線に竜也の元へ駆けつけて何度も礼を言っていた。どうやら「初めに助けようとしたのはアイツなんだけどね」という竜也の言葉は耳に入らないらしい。
まあ、こうなるよね。毎度のことだけど。
「あ、ああ……」
そして大輔もいつも通り精神に深刻なダメージを受けて、がっくりとうなだれた。両手両膝を地面についた、よくネット上でアルファベットのOとTとL、あるいは小文字のorzで表現されるあのポーズだ。
大輔の代名詞とも言えるポーズなので、僕たちはこれを「大輔の構え」と呼んでいる。
「よし、めでたく大輔の構えも出たところで、帰ろうか。竜也、お前はその子を送ってやれ。……ほら大輔、立て。お前にはジーザスしてもらわにゃならんと言っとるだろ」
タカちゃんが大輔を引き起こした。傷心の大輔を一ミリも気遣わないあたり、さすがだ。
だいたい、あと一ヶ月くらいで人類は滅びるというのに、今さら女の子も何もあったもんじゃないと思う。あるいはあと一ヶ月だからこそ、だろうか。大輔なら、口にするのも恥ずかしい中二な妄想を抱いていたとしても不思議ではない。
まあ、絶望一直線なこの状況にあって、なお暴走するでなく諦めるでもなく、平常通りの煩悩を発揮するというのは、それはそれで凄いのかも知れない。
僕には、もう無理だ。
「イサムううう。俺、またフラれたよぅ」
大輔が慰めを求めて抱きついてきた。
ええい甘えてくるな気持ち悪い。
僕は半身になって悪夢の抱擁を躱すと同時に、その肉付きの良いどてっ腹にボディブローを叩き込んだ。
「いや、今のは、っていうかいつもだけど、勝負の土俵にすら上がらせてもらえてないだろ」
大輔の腹に埋もれた拳を引き抜いた僕は、そのまま何事もなかったかのように歩き出した。
「それを言うなよ……」
大輔が平然と隣に並んでくる。けっこうキツめにいったのに、全然効いていない。大輔だから痛覚信号が脳に到達するのに三日くらいかかるんだろうか。
と、ふと大輔が振り返って、女の子を送っていく竜也の背中を羨ましそうに眺め、ため息をついた。
「なあ、イサム。ブラスターホームランできたら、俺もちょっとはモテるようになるかなあ」
お前のモチベーションはそれか。ブレないやつ。
「ホームランだったらね。ブラスターエンタイトルとかブラスターバントじゃダメだ」
「ホームランじゃないとダメか。モテない?」
「そりゃそうだろ」
「そうか。それは困った」
大輔は眉毛をハの字にして、いかにも悩ましげに首をかしげた。
「その口ぶりだとブラスターバントなら余裕なのに、って聞こえるぞ」
あの巨大隕石をバントして前に転がせるなら、ぜひともやってもらいたいもんだ。前とか転がすって何だって話だけど。
「何言ってんだ、バントじゃダメなんだろ」
だからその口ぶりだと、……いや、まあいいか。
どう考えてもコイツに待ち受けているのは、バットどころか地球もろとものブラスターデッドボールだが、本人ができると言っているものを、わざわざ否定することもないだろう。
……それに、女の子にフラれて大輔の構えなコイツはいつ見ても面白いけれど、目的とやる気を失ってしょげてるところを見たって、面白くも何ともないじゃないか。