2 一ヶ月前――終末世界の異常な日常1
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「ジーザス!」
……誰かの奇声で目が覚めた。
目を開けると、窓から明るい朝陽が射し込んでいた。大輔の部屋は二階にあるので熱気が溜まりやすく、この季節はたいてい開け放たれたままになっている。穏やかに吹きつけてくる、少しひんやりした風が気持ちいい。
僕はゆっくりと身を起こした。場末の居酒屋で酔い潰れたオヤジみたいにちゃぶ台で突っ伏していたせいか、体の節々が痛い。
とりあえず首と肩をごきごき鳴らしてほぐしていると、レトロゲーム専用機と化している旧式のブラウン管テレビの前で、幼馴染みたちが何やらごそごそやっているのが目に入った。
「……何やってんの?」
「ああ、起きたかイサム。おはようっ」
訝しげに訊ねると、竜也が首だけをこちらに向けて、必要以上に爽やかな笑顔で朝の挨拶をしてきた。
平澤竜也は、この若さで地元の地銀の支店長の地位につき、容姿端麗、頭脳明晰、もちろんスポーツも万能で、ナントカ流とかいう杖術? を使いこなし、性格もデフォルトでキラキラエフェクトが乱舞するような嫌味のない爽やかさであるという、反則レベルのスペックを誇るナチュラルボーン・チート野郎だ。当然、嘘みたいにモテるが、何故か本人に特定の女性とつき合おうという気はあまりないらしい。
こいつの有り余る長所の十分の一だけでも大輔に譲ることができたら、それだけであいつも人並み以上の男になれるというのに、世の中というのはつくづく不公平にできている。
「ああ、おはよう。……って、あれ、大輔は?」
「なんかホームランがどうのとか言って、下でバット振ってる」
僕は二日酔いでもないのに、頭痛を覚えた。
「あ、あー……。ブラスターホームランだ、それ」
「なにそれ?」
「巨大ロボの技。知らない? ザンブラスター」
そこで残ったもう一人の幼馴染み、タカちゃんこと尾瀬孝好が、ようやく作業の手を止めてこちらを向いた。
「ザンブラスターか、懐かしいな。で、そのブラスターホームランがどうした?」
タカちゃんは僕らの一つ年上で、大輔の兄貴だ。家業である溶接所の看板に恥じない鋼鉄の精神力を持ち、何事にも動じず面白がることができる、なかなかの人物である。
「いや、昨日ね。大輔が、突然ブラスターホームランであの隕石を打ち返すとか言い出してさ」
「ふーん……」
ふーんて、あんた。それだけかい。
さすがはタカちゃん、大物だ。あるいは兄弟だけあって、大輔のトンチキな発言に高い耐性を持っているだけなのかも知れないが。
特に感想を述べることもなく再び手元に視線を戻したタカちゃんは、おもむろに手刀を構えて、
「ジーザス!」
と、レトロゲーム機が接続されたブラウン管テレビにチョップを喰らわせた。
さっきの奇声はアンタだったのか。
「なにその、ジーザスって」
「なにって、昔の機械は叩けば直るだろ」
「いやそっちじゃなくて。ジーザスのほう」
タカちゃんは不思議そうな顔をした。
「え、機械を叩くときに言わない? ジーザス」
「言わないよ! どこの習慣だよそれ」
「そうなのか、我が家では代々ジーザスなんだけどな。じゃあ他所では何て言ってんの?」
どうしてもチョップと同時に何か言わせたいらしい。この揺るぎなさ、さすがはタカちゃん、大物だ。
「だから何にも言わないって。どこの新興宗教にハマッたのかと思ったよ」
巨大隕石の衝突が判明してから、世界は一時期、大混乱に陥ったが、その混乱はほどなく沈静化し、今に到るまで小康状態となっている。
それで分かったことがある。人は、長期に渡る極度のストレスには耐えられない。だからこそと言うべきか、状況に慣れて与えられた環境に馴染むことができる生き物なのだ。
もちろん、迫り来る終末への恐怖と絶望は消えない。しかし普段と変わらない生活を送り秩序を保つことで、人類は少なくとも表面的には平静な暮らしを取り戻していた。
ちなみに、慣れることができなかった人間の反応は、大きく分けて二つ。
一つは、初期の暴動に代表されるように自暴自棄になって暴れたり、あるいは早ばやと自らの人生に終止符を打つこと。そう、繭美とあの男のように。
そしてもう一つは、何かにすがることだ。
現在、世界では、携挙系と呼ばれる新興宗教団体が、雨後のタケノコよろしくぴょこぴょこ乱立し、お互いの信者を奪い合って群雄割拠している。
信仰対象となるのは、最もオーソドックスな「神」だったり、未来人だったり、善なる宇宙人だったり、変わったところではなぜか悪魔だったり、特に最近この近辺で勢力を拡大しているらしい「ぬるねぎ様」とかいう訳のわからないモノだったりするが、滅亡直前に超越的な存在によって救われるという、要するに一種の方舟思想である。
「はは。俺に今さら神は必要ないよ」
タカちゃんは朗らかに笑いながら、ジーザス! ともう一度チョップを繰り出した。
あんた、ジーザスの意味を分かって言ってる?
まあそれはともかく、再三に渡るチョップも何ら効果を発揮せず、テレビ画面はやっぱり暗いままだった。使えない神だ。
「ああ、やっぱダメか。こりゃ大輔じゃないと映らんな。竜也、ちょっとあいつ呼んでくれない?」
「はいはい」
タカちゃんに頼まれた竜也が庭に面した窓に立って、下を覗きこんだ。
「……あれ? いないよ」
「なんだ、もうやめちゃったのか、あいつ」
いや待って、と竜也が辺りを見回して、突然笑い出した。
「ああ、いたいた。……はっはっは、大輔、死んじゃうよ」
興味を引かれたので、僕も立ち上がって竜也の視線を追う。
「あ、あー……。またか、あいつ」
「また? ああ、女の子をめぐってモメてんのか」
すぐに察したタカちゃんが呆れた声を出して、竜也はもう一度笑った。
「そゆこと。じゃあおれ、ちょっと行ってくるよ」
僕は物好きな友人に、ひらひらと手を振った。
「行くのか。お前も酔狂だなあ」
それにお前が行くと、ある意味で助けにならないんだけどな。
「竜也よ、弟を……頼む」
そういうタカちゃんは一歩も動く気がないらしい。
はいはい任せてー、と緊張感のかけらもなく出ていきかけた竜也の背中に、思い直したようにタカちゃんが声をかけた。
「いや待て、やっぱり俺も行く。そういや新作ができてたんだった。イサム、お前も来い」
「えー、めんどくさいなあ。あんなの放っときゃいーのに」
ぶつくさと不満を垂れると、タカちゃんは仕方ないだろと言って肩をすくめた。
「あいつはジーザスが上手いんだよ。これを直す前に死なれちゃ困る」
◇ ◇ ◇