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1 プロローグ:どうにもならないアレとコイツ

   プロローグ


「なあイサム。あの隕石、打ち返せるんじゃないかなあ」


 梅雨明け直後の、蒸し暑い土曜日の真夜中。


 元は八畳間のはずなのに、雑多に散乱したモノのせいで実質三畳にも満たないスペースにひしめき合う、四人の男ども。酒に酔って先に沈没した二人の鼾が、ただでさえ高い不快指数を更なる高みに押し上げようとしている。


 そんななか、つい数分前にめでたく童貞のまま三十路に突入した尾瀬(おぜ)大輔(だいすけ)が、思い出したように述べたのが、先ほどの発言である。


「……あん?」


 胡乱な返事をした平野(ひらの)(いさむ)、つまりこの僕は、とうとうこいつもどうかしてしまったかと、大輔の正気を疑った。


「隕石って……まさか、コレのことか?」


 ゆらゆらと揺れる指先で、点けっぱなしのテレビニュース番組の画面を差す。そこには、今さら何の感想も出てこないほどに見飽きたお馴染みの画像が映されていた。


 無限の暗闇に浮かぶ、小さな点――巨大隕石。


 最大直径、実に約十キロメートル。遥か大昔に恐竜を絶滅させた隕石とほぼ同規模であるという馬鹿げた大きさを持つそれは、何をとち狂ったかあと一か月で地球に墜ちてくるらしい。


 お陰で発覚して以来数年、地球まるごと絶望のどん底に叩き落としているという、憎いあん畜生である。


「うん、それ。なんかブラスターホームランで打ち返せそうな気がするんだよ」


 部屋の隅に設えられたデスクトップパソコンから振り返った大輔が、さも名案を思いついたかのような弛みきった笑顔を見せた。


「ブラスターホームラン……って、(ザン)ブラスターの?」


「そうそう、ザンブラスター。いま見てたんだ」


 そう言って嬉しそうにモニターをこちらに向けるが、自分の豊富に蓄えられた余剰栄養分が僕の視界のほとんどを遮っていることには気がついていないらしい。


 僕は仕方なく年代物のちゃぶ台の前であぐらをかいていた足を解いて、大儀そうに腰を上げてモニターを覗きこんだ。


「急にPCに向かったと思ったら、そんなもん見てたのか。……おお、懐かしいなあ」


 モニターに映っているのは、レオタードのようなパイロットスーツ――というか腕の力だけで簡単に引きちぎれてしまうくらい壊滅的に機能性皆無の、ただのエロい服――を着た少女たちが、超巨大ロボで地球に迫りくる宇宙怪獣に立ち向かうという熱血スポ魂風SFアニメだ。続編の(ダン)ブラスターも含めて、僕も小学生の頃はずいぶん熱中したのを覚えている。


「うん。でさ、このザンブラスターが隕石を打ち返す回があったろ。あれ、俺にもできないかな」


「俺にもって、お前、コレはアニメだ。今の人類にこんなロボットを作る技術はないし、あったとしても全長何百メートル程度のザンブラスターじゃ直径十キロの隕石は打ち返せない」


 僕は幼き日の(色んな意味での)興奮を思い出して、つい画面を凝視してしまってから、照れ隠しでどうでもいいツッコミを入れた。


「いや、だから俺がやるんだよ」


 大輔が真顔で答えた。もはや会話が成立していない。


「……それはまさか、ロボットじゃなくてお前自身がって意味か?」


「うん。それで地球を救うんだ」


 うんってお前。巨大化でもする気か。


 ここで先程の言を訂正しよう。しかし僕は、実は大輔の正気をみじんも疑ってなどいない。なぜならこいつはこれが常態、通常運転だからだ。


 ついでに念のために断っておくが、今日の大輔は一滴も酒を飲んでいない。こいつは正真正銘、はっきりと正気を保ったまま、人類が総力をもってしてもどうにもならない、「隕石を打ち返す」、と言っているのだ。


 早い話が馬鹿なのである。


 どうかと言うなら元からどうかしているし、むしろどうにもならないと言った方が正しい。と言うか、これ以上どうかされても困る。


 保育園からの長い付き合いの友人の、腹が立つほどに濁りのない澄んだ目を見て、こいつは昔からそうだったなと思う。


 あれは僕らが出会ってまだ間もない頃、近所の公園で枯れ枝を振り回してチャンバラごっこをしていた時のことだ。


 僕の枝を受けた大輔が、突然「あっ」と言ってうずくまった。見ると、大輔の腕に何かトゲのようなものが刺さっていた。幼児からしてみればけっこうな大きさのものだ。


「ごめんね大ちゃん、痛い?」


「大丈夫、こんなの舐めときゃ治るよ」


 謝る僕に向かって、抜いたトゲを舐めながら、大輔は涙声になりながらも健気に笑ったものだ。


 そして僕はこう言った。


「……大ちゃん、舐めるのはソコじゃないと思うよ」


 …………。


 うん、ものすごくどうでもいい思い出だ。


 過去と現在、二人のこいつの精神攻撃に疲労した僕は、曖昧な返事をしてのろのろと元の場所へ戻った。


 もはやレア物と言ってよい時代がかったちゃぶ台の上には、その溢れんばかりの昭和臭にふさわしい、一目で安物と分かる焼酎の一升瓶と湯呑み、誰かがぶちまけてテキトーにかき集めたままのおつまみセットが堆積している。


 その中からスルメを発掘し、ライターで軽く焙って口に放り込む。左右で物言わぬ代わりに盛大な鼾をかいている二つの死体どもの顔色をちらりと伺い、誰のものとも分からない湯呑みに酒を注いだ。


 何となく辺りを見回す。昔からずっと変わらない、ゲームソフトや漫画、アニメのポスターが大いなる混沌を体現している、大輔の部屋。


 ここで寝起きをするようになって、もう二ヶ月になる。人類の滅亡を目前にして、最後の時間を一緒に過ごすのは、男ばかりの幼馴染みが四人。この中の誰一人として、共に最期を迎える異性がいない。


 もちろんそれはこの僕も例外ではなく、三十路前後のいい年をした男が揃いも揃って、なんとも情けない話だ。


 そんなことを思ったとき、繭美が告げた最後の言葉が、ふいに脳裏に甦った。


『ごめん……なさい』


 とたんに口の中に広がる苦味。それを塗り潰すように、さらに苦い酒をあおる。


 繭美は僕の幼馴染で、初恋の相手で、婚約者だ。


 いや、婚約者だった、か。


 あの日――。


 もう何年も前の話だ。どうやら隕石の衝突が免れないと分かり、世界各国でにわかに暴動が起きて、日本でもそれに類するニュースが流れ始めた頃。


 繭美から電話があった。実のところ、着信を見た時点で嫌な予感はしていた。


『もしもし、繭美?』


『……………………』


 いつもなら喧しいくらいの明るさでまくし立ててくる繭美が、その場に限って長い沈黙を守ったとき、僕はもう覚悟をしてしまっていたんだと思う。


『ごめん……なさい』


 たった一言。たったそれだけで電話が切れた。


 ――そうか。やっぱりあの男を選んだんだな。


 無感動にそう思った。


 避け得ぬ運命を前にして、残された最期のときを最愛のひとと共に過ごしたい――とは、誰もが抱く願いだろう。


 僕にとって、それは繭美だった。


 繭美にとって、それは僕ではなかった。


 ただそれだけのことだ。ただそれだけの……。


 繭美にファザコンの気があることは、長い付き合いのなかで知っていた。だから彼女が勤務先の妻子持ちの男と特に親しくしていると知ったとき、僕も危機感を覚えないではなかった。


 しかし繭美もその男も分別のある大人であり、自らに人一倍厳しいモラルを課す人間で、とうてい過ちなど起こるはずもなく……。僕はそんな状況にあぐらをかいて、間抜けにもこう思っていたのだ。


 ――繭美が真に求める男は、今はまだ僕ではないかも知れない。でもいつか彼女の迷いを断ち切って、その心に寄り添ってみせる。そう、きっと大丈夫。だって僕らは、これからの長い人生を、ずっと二人で生きていくのだから……。


 我ながら呑気にもほどがある。しかもそれが男の甲斐性だと信じていたあたり、救いようがない。


 僕は分かっていなかったのだ。彼らが重要視していたのはモラルではなく、世間体だということを。その証拠に、隕石の衝突が確定したとたんに、手に手をとって愛の逃避行、あげくの果ての心中だ。


 あの隕石が、僕から全てを――憎む相手すら――奪ったのだ。


 だが、今となっては、もうどうでもいい話だ。


 どうでもいい。そうだ、何もかも、どうでもいい。


 地球が滅びる? けっこうなことじゃないか。


 杯を重ねるうちに、だんだん思考がろくでもない方向に加速していくのが分かる。


 しかしそれで、何が困るわけでもない。全てはどうでもいいことなのだから。


 緩慢に侵食してくる睡魔に心地よく身をまかせながら、いまだ大輔が熱心に鑑賞しているらしいアニメの音を遠くに聞く。


「なあ、イサム。やっぱりあの隕石、打ち返せる気がするんだけどなあ」


 しばらくして大輔が思い出したように先程と同じことを言った。でも、すでに意識が半ば以上優しい闇に呑みこまれていた僕は、それに何と答えたか、すぐに忘れた。


「そうか……じゃあ、やってくれ。いっそぶっ壊してくれ。あいつを……あいつを」


「わかった、やってみる。俺のブラスターホームランで」

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