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破壊者の言

「つまらねぇ人生だ」


 ボクや綾音にとっての常識は、彼には適用されない。

 この世界の常軌から逸した魔術師に、他者との共存などといった概念はハナから存在しない。

 まるで嵐のように荒々しく。

 まるで氷のように寒々しく。

 深枷レンは個人的な感想を漏らしたに過ぎない。


「なんですって」

 疲労で弛緩していた瞳が、憤怒によって力強さを取り戻していく。

 誰だって自分の生きかたを「つまらない」の一言で否定されては、おもしろくない。


「アンタにはわからないわ。嫌なことを嫌だと言える部外者のアンタには」

「わからなくなねぇよ。誰だって楽に生きたいと思うもんさ」


 この場に似つかわしくないラフな格好をした男はタバコを咥え、細い紫煙を燻らせる。


「ただ、その言い訳に他人を使うのは感心しねぇってだけだ」

「どういう意味よ」

「わかってんだろ。お前は責任という便利な言葉を使って、思考停止している自分を肯定しているだけだ。そんなのつまらなくて当然だっつうんだ」


 綾音は責任という表現を使って、こう言ったのだ。

 龍ヶ崎として生きるからには、龍ヶ崎綾音個人の感情など二の次である、と。

 龍ヶ崎の枠に納まってさえいれば、無用な感傷を抱くこともない、と。

 けれど一個人としてその枠に納まってばかりいるのが、他人の顔色をうかがってばかりで本音で向き合うことができないのが歯痒いのだ、と。

 人の間で生きるからこそ人間たりえる。ならばその葛藤は自然と生まれ出るものである。

 にもかかわらず、彼はたった一言でボクたちの懊悩を切って捨てた。


「自由に生きてぇんなら龍ヶ崎を出奔すればいいだけだ。しがらみから逃れてぇんなら名を捨てればいいだけだ。その度胸も覚悟もないから、周りの誰かさんのせいにして今の立場にしがみつく。それがお嬢の本質だ」

「そんな簡単に捨てられるものじゃない!」


 怒鳴り声は招待客の耳にも届いてしまった。

 いぶかしむ視線がボクたちを捉える。綾音はバツが悪そうに顔を背けた。


「自由と無法は違います。あなたがどんな生き方をしてきたのかは知りませんが、綾音をたぶらかすのはやめていただけますか」

「そんなつもりじゃねぇよ。つまらねぇならつまらねぇなりの楽しみ方を探してみろって話だ。あと敬語はやめろ。むず痒くて落ち着かねぇ」


 進むべき道にかかったモヤを払ったみたいに、煙が空に散っていく。


「べつにお嬢だけに言ってるわけじゃない。お前もだよ」

「ボクも……?」

「お嬢がいなくなったら、お前はどうすんだ?」


 ぞっとした。

 深い意味はないのかもしれない。ボクたちの過去を知らないレンが、何の気もなく聞いてみたかっただけなのかもしれない。

 けれどボクにとってその仮定は……背筋を冷やすほどに恐ろしい。


「お嬢はまだ自分の足で生きている。だからまだマシだ。けどお前はどうだ? お前には自分の意思があるのか?」


 心象を映し出す鏡のように、天に昇る煙は揺らめいている。

 考えたことがないわけでもない。でも考えようとはしなかった。

 ボクは生きているのは綾音がいるからだ。もしも綾音がいなくなったら、ボクはどう生きればいいのだろう?

 初めて、他人を軸に生き方を決めているということの危うさを、こんなにも簡単に自覚させられた。


「……ないと、思いますか」


 ”ある”とは言えない。それは明らかなウソだ。

 だけど、ないと言い切らなければ、ウソではない。


「ふ~……どっちでもいいけどよ。ってことで本題だ。お前ら、死体を動かせるか?」


 他愛ない雑談を終わらせたといった雰囲気だ。最初からボクたちに興味なんてなかったのだろう。わざわざ嫌味を言いに来た様子でもない。

 素直に答えるような気分ではないが大切なお客様の質問には答えなくてはならない。


「できるはずがない。少なくとも、そんな能力をもった騎士をボクは知りません」

「お嬢もか」

「……えぇ」

「そうか。死人みたいなお前らだったら、何か知ってるかと思ったんだがな」


 自分の意思で生きていないボクたちだからこそ、死体を生き返らせられると踏んだのか。

 とんでもない侮辱……なのに、反論もわいてこない。

 本能でも理性でも、彼が危険だと結論がでる。

 不用意な会話ひとつでボクの心は抉られた。同じように綾音もまた傷ついたはずだ。


 レンとは関わるべきじゃない。


「もういいですか。ボクたちはそろそろ戻らないといけないので」

「あといっこ。この世界で魔術師を語るヤツは何人いる?」

「そんなの、いませんよ」


 この男のような化け物がそうそういてたまるものか。


「なるほどな」


 満足したようで、レンは根元まで吸いきったタバコを無造作に握りつぶす。

 次に手を開いた時には、残るはずの吸い殻がなくなっていた。


「お前らの人生だ。たまには好き放題やってみるもんだぜ」


 ひらひらと手を振りつつ雑踏の中へと消えていく。

 彼が確かめたかったことと伝えたかったことが何だったのか、ボクにはよくわからない。

 ただ最後のセリフだけは、ちょっとしたアドバイスみたいだなと思った。


「イヤな男」

「めずらしく意見が一致したね」


 綾音の小さな声を拾った。

 聞き取られるとは思っていなかったのか、合わさった視線をふいっと反らされる。


「それはそれでもっとイヤだわ」

「ははっ、手厳しいね」


 ほんと、イヤなにおいだけを残して去っていきやがった。

 揺れる必要などない。

 綾音はここにいる。だからボクがここにいる。

 それだけだ。それだけで世界のすべては満たされる。

 努力を滑稽だと笑うのはいつだって無責任な外野だ。

 言いたいヤツには言わせておけばいい。ボクはボクだ。いつか見返してやればいい。

 だけど……


「綾音は、どうしたい?」


 もしも彼女が檻の外へと飛び出すことを望むのなら、ボクはどうするべきなのだろう?

 ボクがこれまで守ってきた龍ヶ崎綾音ではなく、たった一人の少女とどう接すればいいのだろう?


「どうもこうもないでしょ。あんな戯言、気にしてないわ」

「連れ出してあげようか?」

「――――はっ?」

「ここから連れ去ってあげようか?」


 思いがけない提案に目を丸くして、ボクの顔と手を交互に見る綾音は、内心の動揺を隠せていない。

 自分ひとりでは悩む事柄でも、共犯者がいれば迷いは消えていく。


 もしも、もしもだ。

 綾音が龍ヶ崎を捨てたいと望むのであれば、ボクはその意思に従おう。

 ボクだけは……綾音を守り続けると誓ったのだ。龍ヶ崎家の息女ではなく、ひとりの少女を守ると。


「どうする? ボクでよければ、行きたいところへ連れて行ってあげられる」

「…………」


 困惑。嫌悪。欲望。理想。

 あらゆる感情が混同しながら、数秒後に、いつもの勝気な目でこちらを一睨みして、綾音は断言した。


「余計なお世話よ。自分のことは、自分でするわ」


 ボクもいつものように、当たり障りのない笑みで返す。

 良くも悪くも、綾音は真っ直ぐすぎる。だからこの答えはわかっていた。


「あ~ぁ、どうしてアンタなんかに愚痴っちゃったのかしら」

「さぁ? 明日の天気は槍かもね」

「くだらない冗談ね」


 軽口に応じることで緊張感も緩んだ。綾音の声にも聞きなれた棘が戻ってきた。


「アンタって、あの男と同じくらい変人よね」


 やっ、謂れもない中傷で泣きたくなるのはなんでかな?


「ウソつきのくせに、ウソを言わない人間なんて、他にいないもの」

「…………」


 真っ直ぐな瞳が、ボクを捉えている。今度はボクが困惑する番だった。


「……意味が、よくわからないよ」


 喉が張りついている。渇いた声を悟らせないように努める。


「そうね。私にもわからないわ。ただ――」


 レンにろくな反論もできなかった八つ当たりだったのだろう。けどその言葉は、ボクの心をひどくざわつかせた。


「アンタが本当に笑ってるところが、私には想像できないわ」


 それは真実、ウソのない人間が、大ウソつきのボクに投げかけた、素朴な――致命的な――疑問だった。



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