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第八章 俺の財布は夏のある日に軽くなる

『拝啓、御影十郎様 寝苦しい夜が続きますね? クーラーに当たり過ぎて風などは引いていませんか?』

 はいはい、元気ですよ~。何と言っても当たるクーラーが有りませんからね~。貧乏万歳?

『私達は皆元気です。(あきら)ちゃんの喘息もこっちに来てから調子は良いし、(こう)くんも学校のお友達がたくさん出来ました。お父さんは……相変わらずです』

 あはは~相変わらず馬鹿なのか~どうしようもないな、父さんは。

 グルン、と寝返りを一回。時刻は只今午後一時、静菜との口論を終えた俺は、食後のゆったりとした時間を先程贈られてきた荷物の一つ、母さんからの手紙を読むことで浪費していた。

 因みに静菜との口論の内容は昼飯に付いてである。もう、そうめんは飽きたのである。三日も続けば文句の一つや二つ出てくるのである。……話が逸れた。

 さて、現在、御影十郎くんは十九歳。当然だが探偵事務所を個人で開ける分けが無く、当然だが責任者は別に居る。その人物こそ、娘の養生先でも馬鹿な行動を取っているらしい男で、俺を引き取った物好き、先代御影探偵事務所所長、御影光(こう)十郎(じゅうろう)である。……奴から光りが無くなると俺が誕生する。言わば俺は奴の暗黒面、ピッ○ロさんの悪い方だ。

『こっちは涼しいので近々遊びに来てください。……と、書いても貴方は遠慮して来ないんでしょうね? 私達は家族なのですから気にしなくても良いんですよ』

「……母さん」

 そうは言っても、晶とか俺を見る目が怖いしね? 光は懐いてくれてるけど……。それに、こんな手だ。異端の技術に染まりつくした手だ。団欒の中に居ると不意に、足場が崩れそうな感覚に襲われる事がある。

『取り敢えず当面の食料を入れておきます。コンビニで済ませてばかりではいけませんよ?』

「…………母さん」

 くそ、視界が涙でぼやけやがる。恐らく俺でも作れるだろうと判断してのチョイスなのだろう。箱の中には――

「そうめんは……止めて欲しかった」

 がくっ、と倒れたまま視界を横にずらせば白く、細い乾麺の袋詰めがびっしりと敷き詰められているダンボールが見えた。

 静菜がコレを見たら俺の食生活はどうなるのか火を見るよりも明らかだ。あぁ、どうしよう? いっその事いつもお世話になる商店街の皆さんにお裾分けすべきか? いや、十郎。駄目だ。あの乾麺は一見カラカラだが実際には母さんの愛情が詰まっているのだぞ。でも、けれども、しかし――

 右にゴロゴロ、左にゴロゴロ。そう広くない事務所のソファーの上で大悶絶。

「ん? 追伸?」

 と、普段は母さんが書かない一文を発見。勢い良く身を起こす。嫌な、予感がした。何か有ったのだろうか? まさか晶の喘息が悪化したのか? いや、光が学校で苛めに? 父さんは……まぁ良いや。

「くそっ! えーと、所でこの前電話に出た……女の……子は……誰……ですか?」

 さぁーっ、と一気に血の気が引いていくのが分かる。手に力が入らない。誰でしょう? とか、すっ呆けたい。無理だけど。

 ぱすっ。間抜けな音と共に手紙が落下。上手い具合に文面をこちらに向け倒れたその手紙の最後には血の様に赤い文字で勢い良くこう記されていた。

『返答次第では……分かってますね?                  お母さんより』

 本気で思いを込めれば文字にも感情が宿るらしい。その事が良く分かるお手本の様な一文だった。うん、と言うかね……。あ、あはっ、あははははっ。

「っ――静菜ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 あまりの恐怖に快楽物質を分泌しようとする脳にストップをかけて、上階の住居スペースに向けての大絶叫。『電話に出た女の子=静菜』で間違いは無く『異性を親に内緒で匿う=俺、死亡』も間違いが無かった。あの白め、昼飯で軽く口論になった位で俺を殺そうとするとは!

「静菜ちゃん! 話があるから早く降りて来なさいっ!」

 ぎゃあぎゃあ喚いて手足をジタバタ。どうにも成らないがどうにかせねば。焦る気持ちを全身で表現しつつ必死に呼びかける。そんな俺に対し――

「五月蝿いよ、御影。わしは見ての通り電話中だよ。後で遊んでやるから待つのだよ」

 降りてきた静菜は電話の子機片手にそっけない声でそんな事を言ってきた。

 子機を持っていると言う事は三階の掃除中にでも電話を受けたのだろうか? 本来の住居スペースである二、三階を掃除してくれるのは非常に有難いが、それで俺を殺して良い理由にはならねーのである。

「む。――いや、気に病むことは無いよ、わしは迷惑しておらぬ。む? そうか、では代わって貰おうかの?」

 暢気に電話を続ける白い奴。現在の服装はあの白くて豪華な着物では無いが、白いワンピースを着ているのでやっぱり白い。白い服を着る事に何か拘りでも有るのだろうか? 良し、今度カレーうどんを食べさせてみよう。

 まぁ、カレーうどんは今度にするとして、精々今をエンジョイするが良い。その電話が終わった瞬間がお説教タイムの開始だぜ。

 ふっふっ、覚悟してな、お嬢ちゃん。と不適な笑みを浮かべつつ眺めていると――

「む、左様か。ではそうするよ。――御影、お義母様から電話だよ」

「お義母様っ!」

 白い奴に予想もしない角度からのカウンターパンチを喰らわされた。

 ガクガクガタガタ。あぁ、こんなに嫌な汗を書くのはキズクチとの戦い以来だ。まだ一週間経っていないと言うのに……神はそんなに俺が嫌いなのか? 俺だってお前なんか嫌いだ。

「――あい……十郎でふ」

 神様に悪態をついて強気を装うも、所詮は虚構。

 相手が眼前に居ないにも拘らず、正座。どうにか震える受話器を全力で握り締め、どうにか言葉を吐き出した俺の姿は大層なさけなかったのだろう、白い奴が優しく手を握ってくれた程だ。

 ――あぁ、静菜よ、優しくする位ならば最初から母さんに見付からないで欲しかった。

《あ、十郎くん? 元気にしてた?》

 そんな事を考える俺の鼓膜を二児の母とは思えない若々しい声が震わせる。当たり前と言えばそれまでだが、お義母様の正体は母さんだった。

「ハイ、元気デスヨ?」

 今の俺は機械で出来た警察官、ロボコップさ! ってな感じの声音で母さんに応対する。

《そうよね~最近は静菜ちゃんのお陰でしっかりした食事を摂ってるみたいですし》

「ハイ、トテモ助カッテマスヨ?」

《静菜ちゃん、良い娘よね~》

「ハイ、静菜チャンハ良イ子デスヨ?」

《……十郎くん》

「……ハイ?」

《少し、お話しようか?》

「…………ハイ」

 それから静菜が夕飯に呼びに来るまでの六時間。俺は母さんに延々と説教を喰らわされた。曰く、年頃の男女が――。曰く、私は十郎くんをそんな風に――。曰く、初孫が出来たら知らせる事。

 いや、最後のは全力で否定しましたよ。そうしたら、勘繰られてもう出来た事にされそうになりましたがね。あっはっは~。……も、今日は寝る。


    ■□■□■□


 勇者ジュウロウは、大魔王セイナのトラップにかかった。

 カチーン、四百十九のダメージ。ジュウロウは震えが止まらなくなった


「みぃぃぃぎゃぁぁぁぁあぁぁぁッ!」

 妙なテロップが脳内を流れ、足が元凶に向かい一気に駈け出す。

 あ、あの、あの、あ、あの白めぇぇッ!

「俺を殺す気かぁぁぁッ!」

 勢い良く明けたドアは、我が家の三階、そこに最近誕生した静菜の部屋。

「――ぁわ、」

 そこには勝手にパジャマにした俺のYシャツを来て、これまた勝手に俺の部屋から持って来たマンガを読んでいる白い奴。……何故か顔が真っ赤で挙動不審。

「? どうした、体調悪いのか?」

「ぁわ、あぅわ」

 近寄り、その額に右手を宛がい、自分の額に左手を。慣れない環境で風邪でも引いたのか?

「―――み、御影」

「ん、どうした? やっぱ体調が悪いのか?」

「――は?」

「ん?」

 聞き取れなかったので一歩近くに。更に赤くなる静菜。

「――は、した?」

「聞こえん」


「服はっ、どうしたとっ、聞いておるのだよッ!」


 は? 服? そんなもん……風呂に……入って……たんだか、ら……

「あ」

「~~~~~~~~~っっ。この、大空(おおうつ)け者がぁぁぁぁぁぁッ!」

 実にタイミング良く、腰に巻いてたタオルが落ちたのだった。


    ■□■□■□


「ヘンタイ」

「……」

 雪女らしい実に冷たく蔑んだ目線が俺を責め立てる。

 静菜が椅子に座り、俺が床に正座するという体制でチクチクと突かれている。因みに、服は着ています。

「御影」

「……はい」

「……何か、()う事はあるかの?」

「事故です」

 それも不幸な。だからもう許して下さい。そう言う趣味が無い俺には辛いだけです。

「事故で、あのようなかっこうで、わしの部屋に入って来た、と?」

「……はい、本当にごめんなさい」

 でも、悪いのは静菜もだ。風呂の湯を湯で無く水にしたんだから。こちとら全裸である。勇者ジュウロウの防御力は低くなっていたのである。そこにあんな氷結系の魔法くらったら、そりゃ……ねぇ? そうだ、悪いのはお互いだ。ここは水に流そうぜ、静菜ちゃん。

「御影」

「……はい」

「ヘンタイ」

 と、言う勇気を誰か俺に下さい。

「あ、あと静菜……」

「む、何だヘンタイ御影」

「その格好でその位置だとパンツ見えるぞ?」

「……嬉しいか。御影(ヘンタイ)?」

 大魔王セイナの視線が更に冷たくなった。勇者ジュウロウの震えが違う種類のモノに変わった。簡単に言うと状況が悪化した。……いや、ソレを言う勇気は要らなかったな、俺。


    ■□■□■□


 さて、世の中には後悔、と言う言葉がある。後で悔やむと書くこの言葉はあるが、前に悔やむと書く前悔と言う言葉は無い。

 結果に対して『あぁすれば良かった』『あそこでこうしていたら……』等と悔やむ行為には先ずは『結果』が無くては成らない以上は当然と言えば当然だ。

「何で、こんな事になったんだ」

 そんなわけで、現在俺は思いっきりその後悔をしていた。

 首振り状態の扇風機が頑張って己の存在意義を果たしている中、事務所の机で頭を抱えてみる。全く意味の無い行動と言われればそれまでだが、何か行動していないと押し潰されてしまいそうなのです。

「悪銭身に付かず。そう言うことだよ、御影」

 ぽすっ、と机に突っ伏す俺の頭を撫でてくれる静菜。ちっとも嬉しくないのである。

「……撫でるな」

 頭に乗った手をどかしそっぽを向く。

 本当に……何でこんな事になってしまったんだろうか? 原因を探る為にも簡単に纏めてみた。


一・御影さん家の十郎くんは報酬と賞金を得た。結構な金額だった。いよっし!

二・同居人が増えたのでソイツの為の物を買い揃えた。ま、大したダメージじゃないですよ?

三・その同居人がン十万所かン百万の着物を買っていた。バカ! バカ! ヴァーカっ!

四・あれ? 気が付いたら残金が半分を切っている。た、大切にしようネ!

五・桜崎病院からの請求書が来てほぼ残金全額持ってかる事が決定した。鬼! 悪魔!


 うん、やっぱり整理するのは大切だ。と、言うか元から分かっていた事だが原因は明らかに――

「三番だ」

「む? どうした御影?」

 ぎろり、とその原因を睨み付ける。原因の白い奴は腹が立つ位に笑顔だった。若干の自覚は有るらしく、笑顔で誤魔化そうとしていた。それに合わせる様ににっこり笑ってやるが……誤魔化されるかっ!

「も~返して来い! お前の着物! 返品して金を返して貰って来い! それか質屋に入れて来い! 兎に角金に換えて来い!」

「む。わしに裸になって質屋に身売りに行けと言うのか。御影は酷い男だよ」

「言ってないだろ、そこまでは!」

 叫び、机に再度突っ伏す。

 金は天下の回り物とは言うが、俺の下ではそんな世間の荒波を忘れてリラックスして欲しい。居座って欲しい。幾らなんでもこれは回転率が良すぎる。回転寿司でこの速度だと間違い無くネタとシャリがロミオとジュリエットと化す。離れ離れだ。

 ま、ネタオとシャリエットの話しは置いといて、何が言いたいかというと……お金が無い。

「あぁっ、ローン片して更に月五万としての単純計算で十年位は働かないで暮らせたのに」

「その考えが間違っておるのだよ、(うつ)け」

 はふぅ~と呆れた様に静菜。

 空けで結構。良い男は何時までも少年の心を持っているらしく、そして少年は夢を追いかけるものなのだ。だから俺は常に夢を追いかけて生きたいと思っている。そう、例えその夢がマイナス方向に向っていても、だ。

「……にしても、妙だな」

 顔を起こし、少しだけだがまじめな口調。その俺の口調に何を感じたのか、

「む。あれは()いものだよ。()いものには相応の値が付くのが世の(ことわり)というものだよ」

「そっちじゃない」

 渡さぬよ。と二階への階段をガードする静菜。そんな彼女に溜息混じりに一言。……や、確かになんでたかが服にン百万もかけなきゃ成らないのか俺には分からないが、今の論点はそこじゃない。

「キズクチの賞金が安過ぎたんだよ。億とか行くと思ったのにな~」

「あぁ、それは……確かにの」

 あっさりと同意する白い奴。だが、それ位妙なのだ。三の話を聞く限り兵団は百年程キズクチに対する手立てを持っていなかった。面子を第一に考える兵団が百年間泥を塗られ続けてきた相手。そんな相手に対する金額がアレでは少ない様に感じられる。

 そして、送られて来たのが兵団の大隊では無く、末端の末端の真似事をしている特殊人為災害対策課に、唯のシスター、それも背信色の強いセリアーナ・ウェルウィ。この点も妙と言えば妙だ。本当に捕らえる気が有ったのか疑いたくなる。

 と、言うか正直一番妙なのは兵団相手に百年戦えるキズクチが俺に捕らえられた点だ。

 俺なら兵団相手にしたら三日もたない。間違いなく。

「……」

 ふっ。臭い、キナ臭いぜ。この一件、俺の預かり知らぬ所で更に深い闇が蠢いている気配がしやがるぜ。ここは一発、探偵らしく――

「御影、下らぬ事に頭を裂いておらんで現実的な事を考えてはどうかの? 具体的に言うならこれからの生活をどうするのだ、この貧乏人」

「静菜よ、俺はな、少しは探偵らしく――……ま、でも確かにそうだな。どうでも良いや」

 兵団は思った以上に弱くて人員不足でケチだった。きっと理由はそんなもんだろう。それより問題は再度財政が勢い良く傾きだした御影探偵事務所の心配だ。

「あぁ~宝くじとか当たんないかなぁ~」

 買ってないけど。

「御影、どうしてぬしは不労所得ばかりを当てにするのかの? 少しは額に汗して働こうとは考えはせんのかの?」

「……額に汗して働きたくても仕事が無い」

 本気で呆れたように見下ろしてくる静菜に一言。悪いのはボクじゃない。ボクに楽に儲かる仕事を用意しない社会なんだ! ……うん、ダメ人間。

「む、探偵の仕事と言うと……じっちゃんの名にかけて麻酔針を打ち込まれるのだったかの?」

「混ざってる、混ざってる」

 変なのと変なのが。

 そしてついでに言うならば、御影探偵事務所は探偵と言うより便利屋としての仕事が主だ。探偵らしい仕事と言ったら――何だろ? 猫探し?

「はぁ~」

 文句言いまくっといて何ですが、主な収入は三から回される異端者絡みの仕事なのです。

「……静菜、その辺で白骨死体でも捜してきてくれ」

「無理だよ、諦めるのだよ」

 やっぱ無理か~。と、言うか本当に見つけられても困るんだけどね、通報しか出来ないし、第一発見者として疑わされそうだしね。

 だらだらと汗を流しながら、だらだらと机の上で溶けていく。

 あぁ、平和だ。暑いけど。やっぱり俺の日常はこれだよ、変なおっさんと殺しあうのは俺の柄じゃない、家でだらけるのが正しい俺の在り方だよ。暑いけど。

「と、こんな馬鹿な事をやっておる場合では無かったよ。御影、わしは少し出かけてくるよ。夕餉(ゆうげ)までには戻るから良い子にしておるのだよ」

 と、暑さと平和と暑さに身をゆだねている俺に静菜がそんな事を言って来た。

 珍しい事もあるものだ。この白いのはその異端者としての特性上、俺よりも熱に弱いらしく、普段は夕方の涼しい時に商店街に買い物に出かける位だと言うのに……。

「暑さでいかれたか? 未だお日様はカンカンに照ってるぞ?」

 机と嫌な感じにくっ付いた頬を引き剥がして一言。

 只今時刻は午後の二時三分。降り注いだ太陽光が空気を熱し、その時間差で一日の内で最も暑いとされる時間帯だ。自殺志願か、この白。ならば保険に入ってから逝け。

「む? 心配はいらぬよ、どれ程おかしくなっても御影よりもわしは(さと)い子だよ」

 むん、とそこそこなサイズの胸を得意気に反らす静菜。あっはっは~面白い事を言うなぁ、この白。

「……あ、そうそう。ところで静菜、俺この前路上で倒れてる白い奴助けたんだけどさ、自分の体調管理も出来ない奴ってどう思う?」

「夕餉は、そうめんにしようと思うが……どうかの、御影?」

 ふふん、と得意気に静菜ちゃん。そう来ますかこの白。だがな、俺を甘く見るなよ、そんな事くらいで俺が動じると思うなっ!

「静菜~愛してるよ~」

「はいはい、わしもだよ」

 俺のフォローに片手を振りながら白い奴は麦藁帽子を被って旅立っていった。……いや、本気でそうめんは止めて下さい、静菜様。


    ■□■□■□


 裏がある、闇がある、影がある。

 世界には触れてはならない部分があり、見てはならない部分がある。

 例えばそれは異端者と呼ばれる存在だったり――

「……負けた、と?」

 この暗闇に響く声だった。

 波紋のように残響を残し、タールの様な暗闇を震わせたその声の主は、老人。

 場所は不明、時刻も不明、唯、表すのならば黒一色。

 どこか粘性を持ったその独特な暗闇故に、老人の姿は一切明らかに成らないが、その声には明らかな怒りが込められていた。

「負けたと言うのか? キサマが? 誇り高き我らの組織に末席とは言え名を連ねるキサマがっ! 負けたと言うのか! どこの馬鹿とも知れぬ者に!」

 机だろうか? 何か硬い物を思い切り叩いた様な音がタールの海に響く。

「何か! 何かいい訳があるのならば言ってみろ! この悪魔めっ!」

 それだけでは発散しきれなった怒りを声に乗せ、老人はその海に居る自分以外の人物に怒鳴り散らすが――

「――……」

 返答は、沈黙。

「きっ――さまぁっ!」

 それが更に老人の神経を逆撫でする。

 そんな老人の様子に彼は心底呆れた様に、しかし決して聞こえぬように深く息を吐き出す。そう、まるでタールの海に同化させる様に、溜め息。

「いい加減にしろっ! 分かっているのか? キサマの価値は落ちたのだぞ? 負けない事で脅威となり、それ故に我らが保護していたお前の価値は最早――」

 くどくど。繰り返されるのは聞くだけで血圧が上がり、血管が切れそうになる声での罵詈雑言。

 ――あーいぃ~い加減にうざったくなってきましたなぁ~。

 右から左、或いは左から右。耳を素通りさせてもこれだけ繰り返されれば無視していてもその声は頭に残る。彼はその不快さに眉を軽くひそめ、再度溜め息を吐き出した。

 そもそも彼だって別に好きで負けた分けではない。唯、今回の相手は強かったのだ。昨今では珍しく彼と対等以上に渡り合える人間だったのだ。

「オイ! 返事をしろ! ったく、これだからバケモノは……ふん、まぁ良い。こっちとしても欲しいのはお前の名前だけなのだからな! お前を倒したその異端者をこちらがもう一度倒せば良いだけなのだから」

 ぴくり、それまで老人の言葉に一切の興味を示さなかった彼が、初めて老人の言葉に耳を傾ける。次の言葉を聞こうとする。

「見ているが良い! お前を倒したそいつが無残にも我らの正義の前に膝を屈する様を! 我が兵団が誇る大隊の戦闘能り――、?、、、???」

 そして、不意に訪れる静寂。発情期の獣の様に喚き散らしていた老人の声は残響すらも残す事無く、一瞬でタールの海に沈み込む。

 無音。光を飲み込んでいた暗闇に今度は音までも飲み込まれた様な無音。

 何が有ったのだろう? そう不審に思うものがこの空間に一人でも居て明かりを灯したならばきっとその人物は言葉を無くしただろう。

 説明しよう。その暗闇の中で起こっている現象を、惨劇を、悲劇的で喜劇的なその異様な光景を、珍事を。

 老人は喰われていた。

 老人は喰い付かれていた。

 メキメキと音を立て、骨に牙を食い込ませる獣によって、

 じゅるじゅると溢れ出る血液を安物のワインの様に汚らしく啜られ、

 その枯れ枝の様な無様極まりない喉元を喰い千切られていた。

 水気の無い荒地の様な肌に牙を喰い込ませるのは異形。世界中のいかなる学者も、図鑑もその該当種が思い浮かばないであろう異形の獣。しかし、獣と言う観点を捨てて見た場合には実に身近に有る器官。

 腕、と呼ばれるものが――肘から先のみに千切られた人間の腕と呼ばれる器官が喉から生える様にしてそこに喰らいついていた。

「お~黙った。黙った。悪いね、三下。得意げに語ってた所わるいんだけど、おっさんとお前は対等じゃないんで警告無しで死んでもらいました! ん~反論、苦情、愛の告白、有れば何でも聞きますよ? ばっちこ~い!」

 無音だったタールの海に、ふざけた調子の声が響く。

「――……はい、返事は無しっ! それじゃ、シカトされて傷付いたおっさんはもう出て行きます! 探さないで下さい!」

 からから、ヘラヘラ、けらけら。

 酷薄な笑い声が響くタールの海。

 そのタールの海が存在するのは、異端審問兵団と呼ばれる組織の所持する、とある教会の地下墓地(カタコンベ)

「にしても大隊か~ヒーローちょ~いと不味くないですかね?」

 その地下墓地(カタコンベ)に血の匂いを撒き散らしたモノは――数日前に首だけで運ばれてきた第壱種血族異端のバケモノだった。


    ■□■□■□


 裏がある、闇がある、影がある。

 世界には触れてはならない部分があり、見てはならない部分がある。

 その良い例が――

「あら? 十ちゃん遂に覚悟が決まったのネ?」

 重低音ヴォイスでオネェ言葉を喋る巨漢の存在だったりする。

「何の覚悟っすか、何の」

 呆れた様に呟き、シックな木目調のカウンター席にて出された麦茶を傾ける。

 さて『今日の晩御飯はカレーが良いな。と、言うか着色されてれば良いや』みたいな事を考えたのは早くも一時間三十分前。現在の俺はクーラーと言う名の最新兵器に見放された激戦区(わが家)から良い感じに冷えた我が(つぶら)(ちょう)商店街(しょうてんがい)の裏の顔、BAR『スピカ』に居た。

 ま、店の概要を言うならば、綺麗なおねーさんが居る代わりに綺麗なおにーさんが居るお店である。『カッコいいおにーさん』と表現しなかった部分から色々察して欲しい。

「何って、そりゃウチで働く覚悟よ。大丈夫! 十ちゃんのそのせくすぃーな十字傷は立派なチャームポイントよ! さぁ、自信を持って。アタシと一緒に夜の円町ナンバーワンを目指すのよ!」

「……別に顔の傷に劣等感を覚えた事はねっす。あと未成年なんで無理です」

 そして差し出されたヒラヒラドレスを俺が押し返してる部分からも察して欲しい。そして、十ちゃんは成年してもここで働く気はありません。

 それにしても嫌になる。何が嫌に成るかって? こんな人物――むきむきマッチョのお姉さん(偽)――が商店街の長を勤めているこの商店街が嫌になる。なんて歪な環境だよコノヤロー。

 ま、でもこの歪な環境には一応、理由があったりする。

 全国有数の特殊人災害対策課がある事からもわかると通り、この倉坂市には異端者が多い。元《鵺》の俺達兄弟のみに絞ったとしても、十一人中四人が倉坂市在住と言う世界の広さを考えると驚く程の密度なのだ。

 その弊害か、必然か、この町は境目が薄い。裏と表の、影と光の境目が。

 や、勿論異端者は簡単に表には出てこない。数は強い。少数故に異端者と称される俺達の存在が明るみに出ると間違いなく排除されてしまうので、俺達は自身の存在を秘匿する。

 てなわけで一応原則的には住み分けているが、境目が薄く曖昧なお陰か、この円町商店街の様に魚屋の隣にオカマBARがあったりする。ぶっ飛びすぎだ。情操教育を考えてくれ。

「……はぁ~」

「あら、溜め息? 駄目よ、十ちゃん。溜め息はね、幸せを漏らすのよ」

 や。はふん、と乙女の表情でいわれましてもね? 原因はアンタです。アンタ。

 そんな分けで俺の溜め息の原因たるオカマBARのママ、ユリアさん(源氏名)も裏側の代表やってるくせに商店街の代表とかもやってるのである。……関係ないが、きっと恋人はケンだと俺は思っている。

 そして俺はそんなユリアさんに電話で呼び出されて真夏の湿度を伴う暑さの中、痛む身体を引き摺って『スピカ』までやって来て今に至る。

「て、そうだ。何の用っすか? 俺、怪我人なんすけど。早く帰って休みたいんすけど」

「ん? あぁ、そう言えば派手にやったらしいじゃない? 十ちゃんがそこまでボロボロになる相手って何? 何ゴリラ? やっぱオーソドックスにマウンテン?」

 俺の戦闘シーンを想像して息を荒げて、くねくねと身悶える巨漢。見てて背筋が寒くなった。そして何故に相手はゴリラ限定?

「ま、冗談はこれくらいにしとくとして……十ちゃん、来週の木金空いてる?」

 と、俺の何を言ったら良いのかといった視線に気が付いたのか咳払い一つ、ユリアさんが本題っぽい事を話し始める。

「て言うと今日が十日だから――十六、十七っすか? まぁ、予定は入ってねっすけど」

「あら、それじゃお姉さんとい・い・こ・と・し――」

「あ、やっぱ予定あります」

 不吉な事を呟きだす巨漢を黙らせ回れ右。……十郎、お家帰る。

「って言うのは冗談よ、じょーだん」

 連続で冗談を言わないで欲しい。なんだ? 今度、狼少年の童話でも読めばこの色んな部分が歪んだ人は反省を覚えてくれるのか? 多分無駄だ。

「もう、若いのにゆとりがないわね、十ちゃん?」

「毎日が赤貧ですんで」

 たまに水道水と食塩が主食に成りますんで。

「そんな貧乏十ちゃんにお仕事の話よ! どう? 惚れた?」

 くねっ、としてウインク。怖い。似合うのが怖い。妙な色気があってこれもありかな? とか思っちゃった自分自身が一番怖い。

「……惚れません。で、何の仕事っすか?」

「もう、つれないんだからぁ~でもぉ~」

 そんなとこもカ・ワ・イ! と鼻を人差し指で突いて来るユリアさん。……怖い、泣きたい。

「で、お仕事なんだけどね、(つぶら)祭りの準備。若い力が必要なのよ、メインの『願い(やぐら)』とか力が必要だしね? ほら、アタシの細腕じゃ――」

「ダンプ位なら片手でいけそうっすね」

 その逞しい腕なら。

「……ねぇ、十ちゃん? アタシはね、そのお茶の代金を貰ってこの話を無かった事にしても――良いのよ?」

「ユリアさんって箸より重いもの無さそうっすよね! 何か窓際の令嬢って感じがして守ってあげたくなりますよ!」

 きらりん、と良い笑顔。頑張れ、俺。未だ死にたくない。

「え? そ、そう? 参ったわね~十ちゃんの保護欲刺激しちゃった? ゴメンね!」

 や、でもあながち嘘じゃなかったりする。これ程守ってあげたくなる人は居ない、己の身を。何だよ、あの力こぶ、キズクチを一撃でミンチに出来そうだ。

 因みにその人力挽肉製造機のユリアさんは俺の言葉がつぼに入ったようでくねくねと悦に入っていた。

「もう、十ちゃんったらぁ! この女殺し!」

「っぐ――」

 ばしんっ! と背中を叩かれ、痛みが走って呼吸が止まる。

 もう、ユリアさんったらぁ、まるで熊殺し!

「……いやぁ~」

 とは口に出さず、心の中だけで言って、曖昧な返事で誤魔化した俺はきっと昨日の俺よりも少しだけ大人なのである。

「まぁ、そんな分けでよろしくね。細かい所は違うけど、春のお祭りと大差ないから十ちゃんなら出来るわよ」

「あ~じゃ、打ち合わせは別に良さそうっすね……」

 春の祭りの設営手伝いならやった。『願い櫓』などがあるにしても、基本の作業などはそんなに変わらないだろう。多分。……因みに『願い櫓』とはこの(つぶら)祭りの特色で、まぁ、七夕の笹と思ってくれて構わない。

「う~ん、そうね。どうせ十ちゃんの仕事は馬車馬の如く働く事だけ出しね? さぼってたらアタシが鞭でうったげましょうか?」

 ぴしーん、ぱしーん、と鞭を振るう真似をするユリアさん。あっはっは~その豪腕で鞭を振るわれたら一発で皮膚が剥がれそうですね? ……まじめに働こう。

「了解しました。不肖、御影十郎、祭りの為に全力を注ぐ所存でありまっす!」

 びっ! と敬礼。ま、何だかんだ言いつつも仕事が無かったので実に有り難い申し出だ。

「そう、宜しくね、十ちゃん」

「はい、じゃ、また何か有ったら言って下さいね~」

 ごちそうさま。と、空のコップをカウンターにおいて、席を立つ。

 さぁ、少しは涼しくなっててくれるかな? と言う淡い期待を持って『スピカ』の重厚な扉に手をかけると――

「あ、忘れるところだったわ! 十ちゃん、コレ、前払いって分けじゃないけどア・ゲ・ル!」

 投げキッスと共に何か紙が飛んできたのだった。


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