第六章 雪女は真夏の地下通路で赤くなる
「ふむ、褒めてやるよ、良ぉ反応したの、御影。上手だったよ」
「……そい、つは……どう、も」
軽く返す俺にてけてけと寄ってくる白くて偉そうな奴。彼女こそ俺がここに留まってキズクチとこんな事をやる羽目になる原因、如月静菜ちゃんである。
会ったばかりだが、性格が悪いと断定できる第参種血脈異端の少女だ。……何をあっさりと、俺の努力をパーにしてますか、この白。
「む、何なのだ? その文句の有りそうな顔は? 助言を与えてやったと言うに……これだから御影は……」
横に並び、ほふぅ、と盛大な溜息を吐き出す白い奴。その手には、何故か先ほどアイちゃんの持っていた花束。
「あぁ、これか。ほれ、御影、アイからだよ。キズクチをやっつけて欲しいそうだよ」
俺の視線を追い、その到達点に気が付いた静菜から差し出される花束、言葉。
「は、」
思わず浮かぶ笑い。それは、それは――厄介なお願いだ事で。だが、まぁ、報酬を静菜が貰って来た以上、果たさなければ成らないんだろうな。
正義の味方は気取れない。誰かの為には戦えない。これからキズクチに向かう理由も、未だだに八つ当たりの領域だ。でも、それでも、理由の一つに花束を加えるのも悪くない。ほら、ドロドロしたマイナスのモンだけが戦う理由って言うよりは少しは華やかになるじゃん。
「……確か、に受け……取った」
だから――
「それを持って逃げろ、と? お断りだよ」
「……」
すげぇ。誰かテレビ局呼んでくれ、ここにエスパーが居るよ。すんごい我儘なエスパーが。
本当に勘弁して欲しいのである。御影十郎の行動原理に『誰かを守る為』って理由(色)は要らないのである。ロクな事に成らないんだから。八つ当たりの黒と、花束の赤だけあれば十分なのだ。
ちらり、と視線を眼前の異端者、バケモノ、キズクチに向ける。しっかたないなぁ~と言いたげに『どうぞ』の仕種。有り難い。待ってくれるらしい。瞳を一回伏せ、感謝の意を。
「…あのな、静菜」
そして一回、大きく深呼吸。横に並んだ白い少女のお説教と説得とお説教を開始。我儘言ってお兄ちゃんを困らせないで早くお家帰んなさい。
「もう一度だけ言うてやる、お断りだよ」
だのにプイす、と横を向いてほっぺ膨らませる白い奴。そして、その我儘ホワイトは――
「御影、助けられておいてなんだがの、助けられる方の気持ちも考えてみてはどうかの?」
割と、遠慮無く、それでいて的確に俺の中心に踏み込んできた。
「わしはの、御影、わしのせいで誰かが、御影が傷つくのは嫌だ」
言い聞かせるような独白。
もう傷ついてます、とは言えない重さと感情の籠った独白を、聞く。
「わしはの、確かに第参種だよ、弱い……御影やキズクチと比べれば遥かに、の」
それは、まるで、その姿は、その考え方は、まるで、
「それでもの、誰かを犠牲にして笑える強さは欲しくないのだよ」
御影十郎(俺)だった。
どうしようもない位に共感できるその感覚。自己犠牲を美しいと語る少年漫画の主人公どもに聞かせてやりたい俺の持論。自分がどうなろうと他者を優先する事による罪。
言われて気が付いた。今の俺はどうやらそう見えるらしい。
成程、道理だ。本人に全くその気は無く、八つ当たりの為とは言え、外からみれば『静菜を逃がす為に戦っている』様に見えるんだろう。
は、やっばいね。笑えてくる。ついでに謝りたくなる。あれ程『自分にされたら嫌な事は人にしちゃいけません!』と姉さんに言われてたのに……ま、おーけぇーおけぇー。人間ってのは失敗を繰り返して大きく育つもんですからね。
「……悪か、った」
「ふむ、素直で良い子だの。だが許さぬよ。わしにも手伝わせるのだよ」
偉く得意げな静菜ちゃん。……下手に出ればつけ上がるタイプらしい。良く覚えておこう。
「さ……きの、アドバイスだ、けで十分……だ」
「そうは行かぬよ」
「ふぇ、アドバイス?」
俺の言葉に納得できない静菜と、疑問を挟むキズクチ。
気付いていないらしい。キズクチは気付いていないらしい。あの言葉、抉るという攻撃方法が持つ奴への有用性に、気付いていないらしい。……は、実に有り難い展開だなクソ野郎。
「……邪、魔だけは、す、るな……よ」
「心得たよ」
静菜を追い出し、キズクチを中へ。
「っこぉぉぉぉおぉぉ――」
意識を切り替え、熱を広げる様に吐き出し身体も造り替える。
見据えるは敵、見据えるはキズクチ。今日だけで嫌に成る程に繰り返してきたその動作。八つ当たりの為に、自己満足の為に取ってきた行動。そこに、加える。見据えるモノを。
勝ちを、見据える。
キズクチが俺の足元に無様に転がるその未来を、結果を見据える。
「……――空気が、違いますね、ヒーロー? 今まではただ広がっていただけの殺気に方向が付いてるじゃないですか? ま、まさか本当におっさんの弱点に気が付いたのですか! だって仕方ないジャン! ピーマン苦いんだモン!」
『ジャン』じゃねーのである。『モン』じゃねーのである。弱点でも何でもねーのである。
馬鹿な軽口、聞くだけならば、気が緩みそうなソレを歌いながら、キズクチがゆっくり構える。
右を流す様に後ろに流した半身、握った剣を身体で隠す構え。自然体の戦闘態勢。やさしく、やわらかく、緩やかな殺意の形。
それに倣い、こちらも左手で相棒を固く握っての前傾姿勢で三足歩行(最高の構え)。
ぴん、と張り詰める糸。
切り取られた一枚絵。音無く、動き無く、殺意有る一枚絵。
ちり、ちりり、真夏の太陽光がアスファルトを焼く中――
瞼を、下ろす。
虎気で熱された身体に、エッセンス代わりの深呼吸。軽く、冷える身体。
――我が身は、殺異道具
――――我が真似るは、異端の獣
――――――我は、ボクは、オレは、俺は……
「暗、殺衆《鵺》……当代……が……一人、十――……参、る」
「ほぅ。ではっ! ……不死身の食人鬼こと、キズクチ、仕る!」
爆ぜた。
感情が/足元が/殺意が
「いっくぜぇぇっ、ヒィィィィロォォォォっ!」
上段、下段、袈裟に逆袈裟。撓る刀身を生かし、腕では無く手の動きだけで放たれる一振りの四連撃。
「っ、づっ!」
引くな、下がるな、後退するな。
思うは一つ、狙うもやはり一点。
右手を弾き、右側に跳躍。四連撃の内、上下の二つと逆袈裟の内の半を回避。そして――
「貫、殺」
左手で固く握った相棒で、
「蛇っ!」
残り一つと半の前に壁を。
シャォォン、と鳴き声が上がり、キズクチの剣が俺に弾かれ、後方に撓る。
「っ、っつ! や、やるじゃないですか、ヒーロー!」
「は、」
じり、じりじり。下がったのはキズクチ、引いたのはキズクチ。
どうでも良い事なんだろうな、お前にとっては。圧倒的優位なお前にとって引く事など、下がる事など。だがな……俺も第壱種なんだよ、キズクチ。
近接戦闘において異端と称される存在なんだよ、キズクチ。
さぁ――
「……弱点、の……お披、露目……だっ!」
咆哮に紛らす様に放つは一撃、たったの一撃。工夫無く、変哲も無い一撃。
「―――?」
だが、それを喰らったキズクチからは声に成らない声。ひゅーひゅーと間抜けに新しく出来た口から漏れる空気。それを聞いて、自分の予想が正しかった事を確信する。
叩き込んだ技術の名は、貫殺・猿。鉤爪を真似た五本の指が肉を貫く技法であり、傷が口と化すキズクチとは最も相性が悪く、そのくせ、俺が最も得意とする貫殺。
撃ち込み/握り潰し/引き千切る
喰い込む歯を更に喰い込ませ、五つの小さな口を抉り取って一つの大きな口に。
これが、これこそが、静菜が俺に伝えたキズクチ相手の突破口。
キズクチの再生方法は言ってしまえば食事だ。ならば再生させない為に食事をさせなければ良い。ならば食事をさせない為に食糧を無くしてしまえば良い。
静菜が叫んだ攻撃方法に隠されたその弱点。
切り傷を幾ら刻んでも意味が無い。だからこその一手、切るのでは無く抉る。大量の肉を握り潰し、一気に食糧を浪費させる為の手段、そしてこれにはもう一つの利。
「随分と苦しそうだの、キズクチ?」
挑発する様に、嘲笑する様に、静菜が一言。
表面だけでなく深く、それも広範囲に渡って喉を抉られた事によりキズクチを襲う呼吸困難。新たに出来た大口が圧迫するのは従来そこにあった器官、喉。
この方法なら、身体に身体の役目を放棄させる事ができる。……問答無用で傷が口に成るってのも考えもんだな、キズクチ?
「……これが、おっさんの弱点ですか、ヒーロー、静菜ちゃん?」
先程の僅かな後退とは大きく異なる逃げる為の後退。よろよろと無様に下がり、首の口に肉を宛がい食わせるキズクチ。
始めて見るその光景に、弱ったキズクチの姿に口角が持ち上がる。良い気味だ。笑い、右手の中の不快な感触をぐちゃっ、と潰した後に地面に投げ捨てる。
「ちょ、すんません、ヒーロー。過っての体の一部を目の前でそんな風にぞんざいに扱われるとおっさんでも傷つくんですが……」
「……あ、そ」
ならそこにも肉食わせりゃえぇ。そのお得意の体質で塞いだらえぇ。
「軽っ! 対応軽っ! アレだね、ヒーローの様に人の気持ちが分からない奴が苛めとかやるんだね! ――っと、まぁ、それは置いといてですね……」
ふざけた態度は変わらず、それでも僅かに焦燥を滲ませるキズクチ。
「説明が欲しいかの、キズクチ? ならば一つ教えてやるよ――わしらを舐めるな」
対し、颯爽と、悠然と、惚れ惚れするような風を纏い静菜は俺とキズクチの間に立つ。
翡翠の瞳に冷たさを湛え、俺の一手に露骨な警戒を示すバケモノを捕え、告げる。
「わしらが延々とぬしに搾取されておったと? それは少し舐め過ぎだよ、空け。ぬしとわしらの村の歴史を忘れたのかの? 長く接すればそれだけで見えてくるモノもあるのだよ。わしらはぬしに敵う力は無いがの、ぬしを無力化する術なら幾つか知っておるのだよ」
弱者の、搾取される側だった者の意地を、その結晶を。
最も強いモノは何か? こう問われたら俺は未知だと答える。
情報が無いモノ程やり難い相手はいない。その点では、キズクチの体質は有名すぎた。
だが、キズクチは強かった。有名だが、強かったので戦った連中も、弱い部分を見つけるよりも早く逃げるか、気付いたとしても殺されていたのだろう。
故に、未知。故に、未だ保たれる脅威。
「は、」
軽く笑い、目の前に立つ白い少女の小さいくせに大きな背中を見る。
だが、その未知の鎧は、無くなった。
キズクチにしてみれば、搾取の対象でしかない静菜の一族。だが、肝心の静菜達はその立場に収まる気は無かったらしい。従順に生贄を――訂正、血の涙を流さんばかりの断腸の思いで生贄を差し出しながらも、打開策を練っていた。
は、怖いね、凄いね。どんな思いでその対策を練り続けたんだろうね? その手段を手に入れても実行出来ないってのはどんな気持ちだったんだろうね?
「……お前の、負……けだ、キズク、チ……」
密度が違う。込められた、積み上げられた感情の密度が違う。ただ生きてただけのお前に比べ、静菜達の暮らしてきた時間では密度が違う。
オーケー。引き受けた。美味しい所取りで申し訳ないが、俺がその有用性を証明してやる。
「なるへそ。ですがね、静菜ちゃん? ここまで来る奴は過去に何人もいましたよ? 手応えから言ってヒーローも多分来れます。で、問題はこっから先、出来るか出来ないかです! やー確かにビビりましたがね、このまま戦い続ければ――」
「ぬしを無力化する前に御影が死ぬ、こう言いたいのかの?」
頷くキズクチ。は、舐めるな。馬鹿にするな。甘く見るな。
俺は少し嬉しいんだよ。静菜の村の連中がちゃんと抗っていてくれた事が、犠牲を許容してなかったって事がな。そんな連中の積み上げたモノを無駄にする? そんな事が――
「……出……来る、わけ、ない……だろ」
見ろ、強者。これが命を賭けた弱者だ。
■□■□■□
切られた、斬られた。致命傷には至らずとも、体中を刻まれ、出血で身体が染まる位には切られて、斬られた。
抉った、抉った、抉りとった。両の手で鉤爪を模し、猿と影歩を駆使してキズクチのありとあらゆる部分を抉り取った。
尽きた体力、倒れそうになる身体、自重すら支えきれぬ四肢。
「……」
だが、その度に声に出さぬ声が、如月静菜の声が俺を引き戻す。
諦めなかった弱者。言い方は悪いが、俺よりも弱い、戦う術を持たない者達が紡いできた技術だ。
それを有効に使わずに何が技術異端だ御影十郎。
それを有効に使えずに何が男だ御影十郎。
かっこつけろ。無様に赤く塗れ、呼吸すらおぼつかなくても――安っぽいプライドを守る為に精々必死にかっこつけろ。
「……巧く、踊るじゃありませんか、ヒーロー?」
交差、交差、交差。
「――」
交わり、混ざり、肉と血が飛ぶ。
秒が分、分が時間、時間が日、日が月、月が年。引き伸ばされた時間の認識が全てをイコールで結び付け、秒=年のいかれた時間感覚に落ちいる。
一瞬で三手先迄を数通り考え、次の一瞬で一手を選ぶ超高速の思考作業。遅れれば、誤れば――死ぬ。その作業を繰り返し、繰り返し、繰り返す。
キズクチの撓る剣が頬を裂き、俺の左手がその手首をぐりり、と喰いちぎる。
斬/斬/斬
ぐり/ぐり/ぐりり
傷付き/疵付き/傷付け/疵付ける
「――……っ、さ、流石にきつくなってきましたね、ヒーロー? いや、それ以上に楽しいんですがね?」
「――、」
不死身の食人鬼であるはずのキズクチの肩が呼吸で上下すると言う超絶レアシーン。残念ながらこっちは言葉を返す余裕が無いのだが――
は、すげぇや、根性論。どうにか成るもんだね、意地とプライドにど根性。叫んでパワーアップする系統のロボモノの主人公に必須のスキルでもって未だ戦えてんじゃん、俺。
互いに傷を負っていない部分の方が少なく――……訂正、俺の身体は傷を負っていない部分の方が少なく、キズクチの身体は口の無い部分のが少ないと言う消耗具合。
ゆっくりと溶けて行く俺とキズクチ。
長時間の集中が、互いの区別を無くし、俺とキズクチの思考を同調させる。
先の分かる殺し合い。感覚だけでキズクチの狙いが伝わり、キズクチにも俺の狙いが伝わる。故に終わらない永遠の殺し合い、削り合い。
そう、それの終わりは、来ない。
当然だ。読み合いになっていない読み合い。相手の次も、こっちの次も明らかであり、その対処が出来る、出来てしまう第壱種異端者同士の貪り合いなのだから。
終わりは来ない。 はず、だった。
「!」
驚愕したのは、俺か、キズクチか、それとも両方か。
遅れる右足。タイミングのずれる踏み込み、伝えきれない、回しきれない力。叩き込んだ掌打は不格好な音を響かせる。
シンデレラタイムの終わりを告げる鐘の音の代わりに鳴り響く不協和音。音すら威力に変える重さ重視の貫殺・狸。本来のそれには存在しないはずの音は、俺が打ち損じた事への証明。
止まるはずだったキズクチが止まらない。取れたはずの間が取れない。
「……楽しかったですよ、ヒーロー?」
慈しみすら感じられる口調のキズクチ。そのキズクチの振るう一振りが右肩から入り込み、胸に迄達し、赤く染めた。
「む、ようやく出番か、待ち侘びたよ」
如月静菜を。
俺では無く、俺の前に飛び込んできた静菜を真っ赤に染めた。
「――は、」
止まる、停止する、空欄に叩き込まれる。身体と思考双方共にコールド。
落ちる、堕ちる、墜ちる。精神のダメージが肉体を蝕みシャットダウンするその瞬間に、
「―――――」
それを、見た。
「っッ!」
理解も追い付かぬ刹那の間、反射で動く右腕。無意識の中でも染み付いた習慣によって鉤爪を真似たその右腕を叩き込んだのは――
「っ、静、菜……ちゃんの、、この状況に、躊躇な……しで、すか、ヒー……ロー?」
キズクチの首。
深く、深くまで指を捻じり込み、深く、深く、抉り取る。指先に感じる血管をケーブルの様に引き延ばし、引き千切る。
躊躇はしない。静菜が何色に染まろうと、道具である以上、崩れてはならない。
あいつは言った、倒れ行くその最中、俺に届くはずだった剣を受けとめ、倒れて行くその身体で言った。
視線で、唇の動きで。
“いまだ”
と。成らば俺がやる事は一つだけ。
収束する世界と意識と殺意。定まる行動指針。駆け回る脳内物質が体中に散布され、心身魂魄全てが俺で無く《鵺》と化す。
堪らない/止まらない
開いた瞳孔、持ち上がる口角。笑いながら遅れての左。未だ残るキズクチの首の残りの肉を左手の顎で食い千切る。
「――――――」
無言、無声、無音。声を発せなくなった、首を千切られ胴と頭が分離したキズクチ。それでも生きていると言う驚異の超絶不思議生物の唇が先程の静菜の様に動く。
負 け た ぜ ヒ ー ロ ー
笑って返すはハンドサイン、親指突き出し、下に向けてのゴートゥーヘル(くたばりやがれ)。
それだけ返し、眼前に倒れた静菜に覆いかぶさる様にして倒れ込み、瞼を閉じる。
動かない、動かない、動かない、動く必要が無い。
止まっちまえ、心臓。
生きて、残って何になる、御影十郎?
俺が強ければ、狸を完璧に――いや、せめていつも通りに打ち込めていれば静菜はこうなっていなかった。
は、何が第壱種技術異端だ。笑わせる。
本当に笑える。静菜が命がけでキズクチの動きと意識を止めてくれたから倒せただけ。
――俺は、何も、やっちゃいない――
……戦闘シーン、ながっ!
とかの感想でも良いのでお願いします。