表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/12

第四章 キズクチは真夏の地下通路で俺に火を点ける

 半歩、一歩、二歩。刻む様に、跳ねる様に、間合いを詰め――最後に大きく跳躍。これまでの規則正しい動きから外れたキズクチの意識の虚を突く為の加速。

「ふッ!」

 と吐き出すは裂帛の気合、それを乗せるのは左手の相棒。

 放つは連撃、連なれ猛攻。

 突きを速く、引きを更に速く、それより更に速く次の突きを放つ。

「っ! ぬっ! お、おおおおっ、やるねぇ、ヒーロー!」

 繰り返される加速と加速、ナイフの光が揺らめき、煌き、無機で彩られた空間を自在に舞い光の帯を無数に描き続ける。

 動かしてもいないのに痛む右手を意識の外に追い出し、用いた技法は貫殺・蛇。俺の納めた異端の技術の内で、最も手数に優れ、相棒を用いる事から現状、キズクチに対する唯一の有効な手だ。

「っ!」

 突く度に新たな口が産まれる。

 引く度に赤い軌跡が描かれる。

 止まるな、と自身に言い聞かせる。呼吸など捨てろ、無酸素で動き続けろ、ここはキズクチの間合い、少しでもこの連撃が途切れたら――

「――っ」

 そこが俺の終わりだ。

 自覚しろ。相手との間にある絶望的なまでの力の差を!

 知覚しろ。その差を埋めるために五感と直感を以って全てを!

「ッ――あ、あぁぁぁぁぁぁぁッッ!」

 かかかかっ! 威力は捨てる、速度は捨てない。牽制の為の壁を創り続ける。

 その度、しゃぉしゃぉと鳴き声をあげるキズクチの剣。そこが唯一無二の突破点。その独特の撓る刀身が仇となり、キズクチは『防御』と言う概念を完全に破棄していた。

 だから、突け。その部分を、防御が殆どできないと言う部分を突け。

 早く/速く/疾く

 願い、想い、渇望し、加速に加速を繰り返し、ただ、ただ只管に速度を求める。

 うねる/うねれ/滑らかに

 切っ先を霞ませ、切っ先を隠し、切っ先を届かせる。

 潜り込む度に赤が吹き出る、引く度に赤が飛び散る。頬に飛び散る血、髪に付く血。果汁の詰まった果実を切った時のように溢れ出る赤の飛沫の中、

「ちょ、痛い! 痛いですよ、ヒーロー? 刺さってるから! さっきからブスブスとおっさんに刺さってますからヒーローのナイフ!」

「は、」

 思わず、乾いた笑いが漏れた。

 このバケモノが。常人なら痛みと出血で死んでてもおかしくない状況も、この男、このバケモノ、キズクチにとっては何でも無いらしい。……いや、こうして全身が口だらけになった今の状況こそが――

「むむぅ。一向に止める気配がありませんね、ヒーロー? いじめですか? このままではさすがのおっさんも泣き出してしまいます! つーわけで……そろそろ行きますよ? レッツ! リっベンジタァ~イム!」

 本領発揮と言った所らしい。

 立場反転、攻守交替。

 がきッ、と音。キズクチの右腕を貫いた一撃が文字通りキズクチに喰い止められる。そう、その体質により産み出された新たな口に噛まれることにより。

「っ!」

 一瞬の誤差、一手の誤り。

 考えてはいけない先、未来、今後。

 致命的な遅れを運ぶ一瞬の思考。『今』の為に全力で挑まなければならないこの状況においては限りなく悪手としか言い様の無い大きな隙。

 今後の事を考え、相棒を手元に残そうとした結果、逃げ遅れたその結果――

「隙ありヒーロー! よ~やくミスりましたね? やーその判断の早さにおっさんは思わず昼ドラで良く用いられるドロドロした黒い感情、嫉妬って奴を感じずにいられませんよ?」

「ぐ――、ッ、、、――」

 ミスを咎める様に繰り出された二連撃。

 右膝が腹に減り込み、体が前に倒れこむ。

 それを待っていたかの様に勢い良く足が跳ね上げられる。

 床が見え、天井が見え、床が見える。

 蹴り飛ばされ、吹き飛ばされ、落下する。

「ッ、――……は、ははははっ!」

 どうにか、地面に叩きつけられる前に反転し、両手両足で着地をするが――ついついやけくそ気味な乾いた笑いが零れてしまう。

 流石は血脈異端の第壱種。人間やめてるだけあって実に良い蹴りである。たったの一撃で、たったの一回の判断ミスで坂を転がるように状況悪化。

 内側から痛む身体、元より傷を負っていた右手を駆け巡る激痛に加えて、欠けた相棒。

 (ましら)(むじな)はまともに撃てない、残してある切り札もこの右手では切れるか怪しい。そんな状況で唯一まともに機能していた蛇もコレか。

「……歯磨きはちゃんとしてるみたいだな、キズクチ?」

「やー当然ですよ、ヒーロー? おっさん的には歯=(は)命ですから!」

 口内を蹂躙する鉄サビを吐き出しながらの皮肉。半分確信していたが、眼前で親指をおっ立てている男の身体にできた口はただの人間のソレとは大きく異なっているらしい。

 牛乳にキシリトールでも混ぜて飲んでんのかね? どんだけ丈夫なんだよ、お前の歯。金属だぞ、相棒は。それを刃毀れさせるとは……本当に良く付いてるものである、俺の指。頑張ったと褒めてやりたいよ。

「……」

 無言で拳を握り、状況把握を終了。さて、それじゃぁ切り替えようか、御影十郎。

「っこぉぉぉぉ――」

 ぺっ、と吐き出し、腰を落とし、熱気を吐き出す。用いる技法の名は虎気。

 良い。気にするな。喰らった事は忘れてはいけないが、気にはするな、意識はするな。同じミスを二度繰り返すな。そう、全力を尽くせ、向かう事に。全力傾けろ、眼前のバケモノに。全力で当たれ、生き残る為に。

「お? 流石はヒーロー、良い目です! アレだね、おっさん思わず初恋とか思い出しちゃいそうですよ?」

 シャオシャオ。キズクチの手の中で鳴き声を挙げる剣。その独特の刀身が正眼から移り、上段へ。腰が落とされ、バネが溜められ――

「てなわけで告白タイムです、ヒーロー? 受け止めると良い。おっさん全力全開の身体全部でのぉぉぉッ! あいらぶゆー!」

 だん、とキズクチの足元のタイルが爆ぜた。

 放たれた一撃は唐竹。勢い良く振り被られ、重力を味方に付けた一撃。脅威的な威力、飲み込まれそうな気合、それらを内包した一撃。

 足がすくむ。その剣幕と気合と殺気に。

 受ける/不可/避ける/不可/逸らす/可

 経験的に身体に染みこませた思考が瞬時に一手を判断。

 意識するより早く/振り下ろされると同時に

 ざっ、と汚らしいタイルを鳴らし、右足を引き右回転、キズクチの気持ち左側に滑るように回りこみ、勢いそのままに左手を打ち込む。

 ずん、と浮かした右踵を叩きつけ、踏み込み。

 腰を回し、肩を通し、腕から掌に力を伝達。円の様に伝えられてきた力の波を直線に変換し、撃ち出すのは掌底、貫殺・(むじな)。狙うのはキズクチの腕。

 シャォン、と音。軌跡がずれ、俺を両断するはずだった殺意の直線は地面に勢い良く落下。

「ぬぅ! やるではないか、ヒーロー! ですが――これもどうぞです!」

 音/同時/殺気

「っッ!」

 剣から手放されたキズクチの右腕が大きく弧を描き、留まった空気を切り拓く様なバックブロー。汚らしい地下通路を彩る拳の流星が一筋視界に流れる。

 それを、回避。重心を下半身に移し、上半身を脱力、逆らわず逃す様に仰け反る。

「まぁだまだぁぁっ!」

 不安定な姿勢の俺に加えられる追撃。流れる様に半回転して、刈り取る様に放たれる二撃目は回転力を威力に変換した後ろ回し蹴り。狙われた一点、残った下半身。

 キズクチにしてみれば脱力の瞬間と言う最高のタイミング、俺にとっては脱力した瞬間と言う最悪のタイミング。喰らい、吹き飛び、終わる。ほぼ確定したその未来。だが、それを乗り越える技術が有るからこその――第壱種異端者!

「くっ――そ、がぁぁぁっ!」

 叫ぶ様に自身を鼓舞し、跳躍。抱え込むように足を抱き、その場でバク転。

 先程まで足があった地点をキズクチが薙ぎ、一瞬前まで殺意が通過していた場所に着地。

 視界には勝機を逃したキズクチ。だが忘れるな――

「ラストと洒落込みましょうか、ヒーロー?」

 近接戦闘である以上、勝機を失った状況から更に勝機を造れるからこその――第壱種異端者だと言う事を!

「行くぜぃ、おっさん必殺のぉぉぉっ! シャイニングダークネススーパー斬りっ!」

 三撃目(大本命)。

 シャオォォン、と音。

 撓る/鳴る/迫る

 剣が撓り、剣が鳴き、剣が迫る。良い威力だ、良い速度だ、良い剣気だ。

 振られる勢いで後方に流れる様に撓る刃。迫るは無機の殺意。何時の間に握られたのか、キズクチの手の中には独特の刀身を持つ奴の愛刀一刃。……それにしてもひでぇネーミングセンスである。威力は十分、殺意も十二分。それだけの見事な一撃ならもう少し名前を考えてくれ。まぁ、もっとも、そんな大振り、軌道丸見えの一撃につける名前ならば十分かもな。

 止めれる。

 確信し、直感できるその事実。いかに見事と言えど、ここまで大振りならば対応できる。……は、焦ったのか、キズクチ? 止めを刺すには俺は健在過ぎるぜ?

 軽く笑いながら相棒を左から右に、迫る光刃の軌跡に刀身を撃ち付け、シャォオン、と独特な金属音。キズクチの本命とも言える一撃は俺の右手の中の相棒と衝突し――

「え?」

 反れ、撓り、まるで魔法の様にコンバットナイフの刀身をすり抜けた。

 難なく刀身を振り抜かれ、呆気に取られて思わず硬直。

 空白、空欄、ブランク。

「――あ、」

 痛み。それで遅まきながら漸く現状把握。

 ばっさりと俺の胸に横一文字が刻まれて居る事を理解。

 ぶしゅっ、噴出す血液。浅い、深くは無い。出血は派手だがこの傷で動きが鈍る事があったとしても、死ぬ事は無い深さの傷。だが、程度は関係無い。受けたのだ、確かに受けたのだ、俺は。キズクチの剣を相棒で確かに受け止めたのだ。

 にも拘らずこの結果。裂かれた服、吹き出す赤、流れる赤。

 でも、あぁ――……そうだった。さっき攻めた時に知っていたじゃないか。キズクチの剣はその撓りから殆ど受けることが出来ないと言う事を。

 そして、それは逆説的にこう言う事も意味する『あの剣の一撃は殆ど受けることが出来ない』、と。良く撓る刀身は、打ち合った瞬間に曲がり、反り、ナイフを通過する。

 結果が、これ。この傷。この痛み。

「――っく!」

 よろめきながらも後退。駄目だ。不意の一撃に飲まれるな御影十郎。力量は相手が圧倒的に上。なら、せめて流れだけはこの手に握っておかなければ。

「まぁ、待てよヒーロー。疲れたろ? ここらで終わらせようぜぃ?」

 必死に熱くなる思考を冷ます中、ソレをさせない様にとでも言いたげに掛けられる挑発の言葉。同時、シャォォオン、と鳴き声がキズクチの左手で鳴き声が上がり――

「な!」

 今度は驚愕で身体が固まった。

 太い血管を断ち切ったのだろう。まるで出来の悪いB級ホラーみたく吹き出す鮮血、ぱっくりと裂かれ、骨が覗いて見える程に深い傷。それが、キズクチの左足に新たに産まれていた。

 勢い良く振った時に斬ったのか? 馬鹿な! 確かにあの撓る剣を使い慣れてなければそう言う事態もありえるが、相手はキズクチだ。そんな初歩的なミスを犯すわけが無い、でも、けれど、それなら――これは何だ? どう言う現象だ?

 噴水の様に噴き出し、地下通路の地面を赤く染める。タイルの溝を走り、広がる血。当たり前だ、当然だ。あれだけ深い傷だ。見ろよ、あの白い部分、あれ骨だ……ろ……?

「しま――ッ!」

 違う、あれは違う。あれは骨じゃない。あれは歯だ!

 奔る確信、駆け巡る電流。でも全ては遅すぎる、遅すぎた。あぁっ! クソっ! 馬鹿みたいに立ってるんじゃなかった。

 後悔と後退。それらの行動に移るが――

「うん、良い判断です! でも遅いぜ、ヒーロー!」

 みしっ、と軋み。前方のタイル数枚にヒビ。大地を砕く様な踏み込み。片足で良くその踏み込みが出来るな、と言う感心と驚愕が半々で混ざった複雑な感想。

 迫る一撃、ミドルキック。狙われたポイントは右脇腹。

 片足で繰り出されたとは思えないまでの勢い、豪快さ、音。もらえば確実に骨が逝くとそれだけで判断の付く蹴り。

 受け止めよう、と右腕を差し出し、

「っ!」

 拙い! と瞬時に判断、右手を上にあげ、大人しく腹で受け止める。

「が――――――ぁ。っ、は、」

 ずれる視界、涙でぼやける視界。呼吸が止まり、位置をずらされ、骨にヒビが入る幻聴を捕らえながら――アロハにTシャツ、服ごと肉を食われる。

「っヅ!」

 引き千切れる服と肉。結果として勢い良く吹き飛ばされた俺の身体は壁に思い切り叩き付けられた。空っぽの肺、空っぽの胃。空気と食物の代わりに胃液交じりの酸っぱい液体が開いた口から飛び散る。

 奔る衝撃、伴う激痛。逝った骨を中心に思わず叫びたくなる様な激痛が身体中に駆け巡る。

「ごほっ、ぐ、っ。……――――は、、、っ――ひゅ」

 無様に転がり、距離を取る。流石のキズクチも短距離の跳躍なら兎も角、あの足で移動は出来ないようだ。追撃がない事に感謝しながら、壁に左手を付き何とか身体を持ち上げる。

「やーヒーローはアレだね、アドリブに少し弱いね。おっさん相手に常識は枷にしか成らないよ? でも基本は良い判断です! 腕の一本は貰ったと思ってたのに頂いたのは殆ど服でしたぁ! やーあそこでガード破棄とはやるもんだよヒーロー!」

 満身創痍の俺に対して眼前の傷だらけ……訂正、口だらけの異端者はふざけた笑みでケタケタと笑っている。……は、このバケモノが。悪態と共に口内に溜まった良く分からない液体を吐き出す。

「あれは生身で受けたら駄目なのですよ、食っちゃうから。だからヒーローの判断は大正解! 直接のダメージが大きい事が分かってても『肉』で無く『服』で受ける! 分かってても出来る奴は少ないんだぜ? おめでとうございます! おっさんランキングが更新されてヒーローは下の下から中の上にランクアップしましたぁ~! はい! 皆、拍手~」

 パチパチパチ~。何時以来だろうか、拍手を受けたのは? ぼやけた意識ではそんな感想が精一杯。フラリ、と倒れそうに成るのを壁を背負って何とかやり過ごす。

 駄目だ。もう駄目だ。動きたくない、動けない。立ってるのが辛い、倒れたい。右手が痛い。骨、見えてたもんな、胸の血が止まらない、肋骨が折れた、食われた腹がじくじく痛い。

「……は、」

 つい、乾いた笑みが浮ぶ。でも、まぁ、良くやったよ、俺は。時間も稼いだし、キズクチの移動力も大幅に奪った。これで十分十二分。静菜とアイちゃんの逃亡時間を稼いだんだからもう良いさ。

 引き取ってくれた父さんと母さんには申し訳が立たないが――


 もう、良いだろう。


 軽く笑み。俺だって異端者の端くれだ。死ぬ覚悟は一応ながら出来ている。足掻いて終わろう。少しでも、僅かでも、最後までキズクチの足止めに徹して『俺』を終わりにしよう。

「ん? ってどうしたんヒーロー? 一気に年食った様に見えるぜ? 何? もしかしておっさんの足止めが出来てもう良いや、見たいなそう言うノリ? やーだったら残念ですよ?」

「――強……が、る……な」

 幾ら傷が口になるとは言っても、その大きさの口が足に出来ていたら足として機能しないだろうが、事実、お前は片足引き摺って歩いてるんだからな。俺が付けた傷では無いと言う部分に少々の情けなさを感じるが……まぁ、良いさ。結果オーライ。

「あ~もしかしてこの足の事を言ってたりしますか、ヒーロー? なら残念です! つーか、ヒーローおっさんの能力知らんの? 結構有名だと思ってたんだけどな~」

「? 知っ、て…る……が?」

 不死の肉体と、原料さえあれば瞬間的に再生する再生能力。さっき自分の指が食われて傷が治る所を見ているんだ、嫌に成るほど知っているさ。だが、足の傷を塞ぐのにさっき俺の脇腹を食った分だけじゃ塞ぎきれない事も分かってるんだよ。

「ならさ、これでオールーオッケー無問題(モウマンタイ)! ってのも分かるんじゃね?」

「? っ!!」

 疑問符。次いでキズクチを見て驚愕。

 投げられ、重力に従い落下。べちょ、ベチョ、べちょ。その度に繰り返される湿った音を奏でるソレに視線が吸い込まれる。ポーン、ぽーん、と手の中で弄ばれのは、塊。赤黒い塊、拳二つ分程の塊、肉塊。

 待て。待てよ、おい。それは……それは無いだろっ!

 顔が引きつる。泣きそうだ。冗談だろ? 何でだよ?

「あ~……アレだね。その表情はダメだよ、ヒーロー。そそらない、萎える」

 失望した。とでも言いたげなキズクチ。眉根を寄せ、重く吐き出すような言葉。

 だが、俺にとってはそんな事はどうでも良い。問題はアレだ。奴の手の中で弄ばれている肉の塊だ。

 先程、俺の指の皮で胸の傷を塞いだ際の事を考えれば十分だ、十分すぎる大きさだ。

 奴の足の傷を塞ぐのには十分すぎる。俺が足止めに徹する意味が無くなるには十分すぎる。

「ヒーローはおっさんがなんであんな袋担いでると思ってたん? ファッション? んな分けはあーりません! 食料の貯蔵の為です!」

 ぽーん、ポーン。弄ばれる肉。ケラけらケラ、笑い声。

「てなわけで、活目とかすると良いよ、ヒーロー! ゲームでお馴染み、でもリアルでは超レア現象! 食べ物喰った位で傷が塞がるっつー神秘の一瞬を!」

 ポーン、ぽーん、ぐちょ。落下した肉の塊がリフティングする様に蹴られて足の大口に飲み込まれる。くちゃクチャくちゃ、品の無い咀嚼音。端から桃色の液体、薄くなった血が流れ出る。禍々しく蠢くキズクチの足。

 その後、飲み込む音。口が閉じられ、傷も消える。そして俺の絶望が深まる。致命的なまでに。

 治しやがった。あっさり、一瞬で、簡単に、あれだけの傷を。良く分かった。兵団が諦めた理由と、俺が勝てないと言う事が、良く分かった。

「は、」

 折れた。身体よりも心が折れた。

 相手は強い。でもダメージは与えられたし、足止め位なら何とかなると思えていた。

 けど、もう思えない。

 キズクチの担いだ袋に具体的にどれ程の肉が入っているのかは分からない。分からないが、大きさからかなりの量が入っているだろう事は簡単に推測が出来る。

 それこそ、奴を一回はミンチにしないといけない位には。

「――……」

 その結論に達してしまったから、ゆっくり構える。半身、右手を突き出し、相棒を握り締めた左手を後ろに流す。呼吸は荒く定まらない、視線はぼやけて定まらない。けど、構える。

 勝てない。けど、構える。染み付いた習慣、癖。心が幾ら圧し折れようが、身体がどれ程傷付こうが、自身の一部にまで溶け込んだ習慣が、癖が、過去が、敵を前に俺の身体を動かし、構えてくれる。

「っこぉぉおォぉ――」

 息を吐き出す。熱い、熱い息を。虎気と呼ばれる技術を身体が勝手に行う。

 有難い。実に有難い。異端の技術をこの身に染み込ませる為に過ごした十四年余りの年月が折れた心の代わりに戦おう、と身体を操ってくれるのが、有難い。

 これで、ぶつかれる。これでキズクチにぶつかれる。ぶつかって、砕けて、楽になれる。後の事なんて知るもんか。運が良ければキズクチは静菜に追い付けない。運が悪ければその逆。時間位稼げる、とかカッコつけといて何ですが、嫌なんだよ。嫌なんですよ。痛いのや苦しいのは。粘って、粘って、粘って。頑張って、頑張って、頑張った挙句に目の前の性格破綻者に嬲られて生きたまま食われるのは、ごめんなんですよ。

 悪いな、静菜。ここまで頑張ったから――悪いけど俺は退場させても貰う、引かせて貰う。これ以上、多くの時間は稼げない。当たって、粘らずに、頑張らずに、出来るだけ楽に砕けさせて貰うよ。

 まぁ、最後の意地だ。無様に逃げ出さずに、キズクチが俺を殺す間の数刻だけは、当たって砕ける間の数刻位は稼いで見ますがね。

 そう、決心した。

 そう、決心していた。

「っあ~……つまんない。つまんないです! つーか、アレだね? 静菜ちゃん、男運無いね。と、言うか生まれつき運が無いのかな? ま、生贄に選ばれる様な娘ですからまーしゃぁないか」

「………………………………?」

 その、言葉を聞く瞬間までは。

 今、何て言った? 今、キズクチは何て言った?

「んぁ? 僅かながらやる気が見えますよ、ヒーロー? もしかして興味あるん? おっさんが静菜ちゃんを追ってる理由とか気になっちゃうん? やー知りたがり屋さんだな、ヒーローはっ!」

「……」

 半場無意識で無言の肯定を返し、左手の相棒を強く握り締める。嫌な、予感がする。嫌な話を、聞かされる予感がする。

「ん~、おっさん他人のプライバシーを喋る趣味は無いんだけどな~でもな~それでヒーローが復活するならな~……うん! 話しましょう! 所詮おっさんには関係ナッシン! ヒーローとじゃれてた方が面白いしね」

 ケラけらケラ。ケタけたケタ。耳朶を震わす雑音、ノイズ、嗤い声。

 聞きたくない、聞いちゃいけない。

 直感できるその事実。聞けば俺はどうにかなる。少なくとも“今”の俺を続けれない。

 だから聞くな。だから耳を貸すな。無視し、一直線に死に向け走り出せ。

 あぁ、でも、それでも、それなのに……

「そんじゃま、昔話の始まりだ! カーテンコールに拍手をどうぞ、お客様方っ! ……――ってヒーロー一人しか居ないか……ちぇっ。ま、良いです。おっさんは何時かビックになってホールで演じてやります……」

 足が、動かない。

「さぁ、気を取り直して、これより語るは悲劇で喜劇! 聞く方は涙、でも語るおっさんにしてみれば笑い話の第二弾っ! 『雪山深い集落の悲劇~生贄でやり過ごしてきた村~』」

 意識が、逸らせない。

 動かない足が身体をこの場に固定し、逸らせない意識が否応なくキズクチの言葉を聞く。

「静菜ちゃんの産まれは小さい異端者の村でね~数年に一回おっさんに生贄差し出してたんよ。おっさんにそこの防衛を頼む代わりに! そして今回、差し出されたのが静菜ちゃんだったのです! いえぃ! ――ってのが悲劇の部分ですよ、ヒーロー? 何か感想ある? 有るんなら原稿用紙に纏めて提出するよーに!」

 笑うキズクチ、楽しそうに、得意げに笑うキズクチ。そんなバケモノに向かい――口が動く。問いかける。

「……は?」

 聞くな、訊ねるな、問うな。

 それは聞くな、それは訊ねるな、それは問うな。

 返答など、回答など予想できる。否、予知できる。眼前のバケモノの回答など分かりきっている。だから聞くな、訊ねるな、問うな。

 だが、身体が意思を蹂躙する。制止を振り切り、ゆっくり動いた俺の口からは――

「――……喜劇、は?」

 その、質問が出ていた。

 歪む三日月。穢れた三日月。これ程までに禍々しい笑顔が存在する事自体が奇跡だと思える笑顔。……俺の質問を受け、キズクチの唇がソレを象る。

「聞きたいか? 気になっちゃいますか? やーだったらしょうがないです! おっさんとヒーロー二人だけの秘密だぜ?」

 くくっ、と堪える様に笑うキズクチ。

 ――はっ、はっ、はっ、はーーっ呼吸が荒れる。

「やー爆笑もんですよ? 『わしの命、くれてやるよ。だから、の……村を、頼むよ……』って言ったんですよ、静菜ちゃん! やー爆笑したよ、悶死するかと思ったよ!」

 世界が色を失い、

「んで、です! おっさんは見たくなったんですよ。ん? 何をかって? やー本当は秘密なんだけどおっさんとヒーローの仲ですからね、特別に教えてあげます! それはですね――」

 音を失い、

「『村の連中を売り渡して命乞いする静菜ちゃん』。ズバリこれです! ん、リアクションが薄いですよ、ヒーロー? おっさんはこの為に色々頑張ったんですから褒めて下さい。ん~? その努力の内容を知りたいって? もぅ、ヒーローは本当に知りたがり屋さんだな!」

 輪郭を無くし、

「先ずですね、静菜ちゃんに逃げてもらう事から始めたんですよ。何て言ったんだっけな~……――あぁ、そうそう。『おっさんから三ヶ月逃げ伸びたらその条件を飲もう。あ、でもキミは食われに帰ってきてね!』です。やー我ながら酷い条件ですよ。なんてったってどう転んでも静菜ちゃんはおっさんの胃の中行きなんですからね? ハイ、ココ笑う所!」

 そして、

「あの子さ、それ聞いて何て言ったと思うよ? 3、2、1! ブブー、タイムアップです! 答えは『それで構わぬよ』です! やーコレを笑顔で言えるんですから大した器量ですよ、静菜ちゃんは!」

 そして、そして――

「そっから追い詰めては逃がし、追い詰めては逃がしを繰り返してんですけどねぇ~一向におっさんの望みは叶いませんよ? やーアレだね、自己犠牲精神に満ちた生き物ほどからかって面白いモノは無いね! そう思いませんか、ヒーロー?」


 真っ赤に、染まった。


 痛みすら伴う極彩色、触覚すら蹂躙する爆音。――反動の様に返ってきた色と音。

 笑いながらの一言が貫く様に俺の全身を蹂躙する。

「……あぁ……分か、る……」

 他人を優先する人種。あのマゾ共ほど見ていて滑稽な生き物は居ない。それは分かる。

 アイツ等は自身の矛盾に関して何も分かっちゃいない、理解しちゃいない。その典型的な他者優先人間の例を知っているから、俺はアイツ等が滑稽だと理解できる。

“十くんが泣くよりは、お姉ちゃんが泣いた方が良いかなーって思って……”

 フラッシュ、バックする一人の少女の姿。

 バカか? バカだろ? アンタは何で俺の泣き顔を見たくなかった? 少なからず俺を大切に思っていてくれたんだろ? だったら俺がアンタを大切に思っているとは思ってくれなかったのか?

 他人の代わりに自分が泣く? 救われた側の事も考えてくれ。感謝はするよ、ありがとう。でもな、アンタが傷ついちゃ意味ないだろ? 笑えるわけがないだろ!

 ほら、自己犠牲精神の行き着く先など滑稽極まりないと言う良い例がコレだ。救った相手の心に傷を付け、救った側は傷を負う。救出行動の果てに出来た傷二つ。は、実に滑稽だ、実に滑稽で馬鹿らしい。

 ――……でも、けど、それでもな――

「――分か、る……が……………………しない」

 呟き、指で顔の傷をなぞる。

 覚えている。滑稽だと分かっているが、覚えているからソレは出来ない。御影十郎はソレだけはやっちゃいけない。

「ん? わりぃ、聞こえなかったからもう一回お願いします、ヒーロー」

「……い…、…ない」

“十くんが、無事でよかった”

 笑うバケモノの姿が消え、代って更に鮮明に浮かぶ景色は白い病室、浮かんだ姿は姉さん。

 ずくん、ズクン、ずきん。

 喉が渇き、手が汗でべたつく。塞がったはずの顔の傷、十字傷の内の一つ、右上から左下に奔る傷が、自分が許せず自分で抉ったその傷が――ずくん、と疼く。

 覚えている。褪せること無く刻まれたその光景。色も音も匂いも感触もそして傷と共に刻んだ感情までも、覚えている。

 ぎちり、と歯車が噛み合い、ズクン、と傷が疼いて。ドクン、と心臓が跳ねて。ぎしっ、と相棒を握り締める。悪いなキズクチ、俺はお前にとは違う。何故なら俺は――

「『同意はしない』……そう、言ったんだよ……キズクチ」

 口惜しさって奴を、今もはっきりと覚えているから、同意は……出来ない。

 俺を助ける為に光を失った姉さん。その姿を見た時に味わった底なしの無力感と口惜しさを覚えているから同意は出来ない。

 瞳に、手に、呼吸に力を入れ直しキズクチに向かい合う。

「お、どれがスイッチかは分かりませんがね、良い表情に変わりましたよ、ヒーロー?」

 対し、相も変わらず笑いながらのキズクチ。

 は、そりゃ表情くらい変わるさ。激情に駆られる様に極めて強大に、指し示す方向は諦めとは正反対を――ほら、さっきまでとは感情のベクトルが大きく違う。

 自己犠牲精神は最悪だ。それは分かってる、知ってる。だがな、それに救われた以上、救ってもらった以上――


 この男の笑い顔が、気に障ってしょうがない。ぶっ殺したくて、しかたがない。


「っこぉォぉおぉ――」

 虎気。熱が身体を駆け巡る。意志で戦う準備をした事により、条件反射で少し痛みが引く。切れるかどうかは分からないが――……さぁ、切り札を、切ってみようか御影十郎!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ