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第三章 白い少女は真夏の地下通路で俺に後を託す

 ずぶり、ズブリ、ぶすり、ブスリ。

 右の五指が左胸にて、左のナイフは右脇腹にて。

 キズクチと呼ばれる異端者をずぶずぶ、ぶすぶすと侵していく。

「……が、はっ!」

 喀血。息の代わりとでも言いたげに吐き出された鮮血が俺の頬に飛び散り、キズクチの躯が倒れこんでくる。

 あっけない。非常にあっけない。

 不意を突いたとは言え、不死身の食人鬼がこの程度で――

「! ――っ!」

 途端、突き刺さった右の指に激痛が走る。先ずサイズの合わない指輪を嵌められた様な感触、次にその指輪が減り込んで来た様な感触。慌てて両手を引く。左手、ナイフは抜けた。比較的あっさりとスムーズに。だが、けど、しかし――

「――は、はははっははは! 良いねぇ、良いよ、良すぎるぜヒーローっ! 見事だよ! 褒めてやるよ! (たた)えてやるよ、ヒーロー!」

「くっ、そ!」

 凶笑(きょうしょう)。ゾンビのように起こされた身体。見開かれた瞳、禍々しく覗く尖った犬歯。けたケタけた、笑うキズクチの身体から必死に指を引き抜こうとするが、

「上っ等だよ、ヒーロー! 久々だぜ? 素手の一撃でおっさんが身体から血を流す羽目に成ったのは! けどなぁ~……ちょーっと、勉強不足じゃありませんかぁ?」

 ケタけたケタ。あぁ、クソッ! そうだった、相手はキズクチだ。不死身の食人鬼と呼ばれる男だ。その異端者としての力、体質は有名だ。有名すぎる位だ。なのに――何で俺は直ぐに手を引かなかったんだ。

「ぁ、っづ、ぁああぁぁぁっ!」

 メリメリ、ギチギチ。喰い込む、皮膚を裂き、骨にまで。

 ヤバイ、拙い、やばい。このままでは指が噛み切られる。いや、その前に殺される。

「んん~? ほんとヒーローは良い感してるな。当り、ビンゴ、大正解っ! おっさん、このままヒーローを解放する気は有りません!」

 シャォォン、と金属が(しな)る音。見れば恐ろしいまでに薄い金属の板を刀身に持つ剣をキズクチが上段に構えていた。連想したのは(のこぎり)。薄く、しなやかに撓る剣の異端とも言える一振り。……は、何だよ、あれ? 明らかに一般で出回ってるモンじゃないだろ?

 間違いなくアレも異端者の知識と技術で作られた一品。どんなモノか分からないが、切れ味の鈍いナマクラと言う期待はするだけ無駄だろう。

 身体と指五本。優先するのは当然身体。

「それじゃヒーロー……さよならだ」

 シャォォォオン、と一際高くキズクチの刃が(いなな)く。来る、振り下ろされる、そして――死ぬ。

 その危機に、考えるよりも遥かに速く身体が動く。右手は使えない、ナイフで受けれるかも分からない。だから、左手を突き出す。相棒を握った左手を突き出す。ただし、相棒は使わない。刃で突き刺す様な真似はしない。本来、素手で扱うのが望ましい技だが……別にこのままでも撃てる。

「貫、殺――」

 踏み締めた両足、大地を握った両足、固定された両足。ズン、と踏み込みその衝撃を伝える、増幅させ、増加させ、左手に。真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに左の掌打を放つ。

「――(むじな)

 音などと言う無駄なモノは発生させずに、全ての力を威力に変える。貫く様に打ち出された衝撃を余す事無くキズクチに叩き込んだその結果として得たモノは、

「ぐっ……ぁ」

 痛み、距離。

 引き抜いた指は第二関節から先端にかけて赤色、皮膚が剥がされ鮮血が滲み出し僅かに動かすだけで電流が奔った様に激痛、人差し指と薬指に至っては食い込みが深過ぎたせいで骨が覗き見える位だ。

 だが、正直この程度で済んでくれて助かった。もう指は無くなったものだと諦めていた位なのだから。

 そして距離。吹き飛ばしたキズクチと後方に跳び下がった俺との間の距離。それを証明する様に、

「御影、指が!」

 横から掛けられる声。後方に追いやったはずの静菜の声。と、言うか――……ねぇ?

「……おい、静菜ちゃん? 君は、ここで、何を、してるのかな?」

 人が命がけで時間を稼いでいると言うのに何してますか、この白は?

「馬鹿な事を訊くで無いよ。御影、奴の狙いはわしなのだ。ぬしが戦う必要は――」

「お前に任せたら一分経たずに全滅なんだよ、第参種」

 一回やりあって分かった。キズクチは半端な実力では時間も稼がせてくれない。まして第参種、非戦闘型の静菜では以って数秒が良い所。一応、さっきの攻防は俺だから出来たのだ。御影さん家の十郎くんはこれでも第壱種、近接型で腕も立つのです。

「しかし――」

「良いから、さっさとケイタイ使える所まで逃亡して助け呼んで来い。ほら、アイちゃんも泣いてるし」

 お前の着物に顔埋めて泣いてるぞ? 間違いなく鼻水が付いてるので、早く何とかする事をオススメする。後、こう言ったグロテスクなシーンは情操教育上良くない。

「それとな、見てみろ」

 視線を前方に向ける。そこには、左胸に新たに出来た五つの口で、くちゃくちゃと肉を租借するキズクチが居た。

 咀嚼の度に水っぽく品の無い音と赤い汁が流れ出す五つの口。ねちゃぁ、と唾液を引きずりながら開閉を繰り返す五つの口。思わず覗き込んで後悔した、赤と黒と白、血と肉と歯、その三つに彩られた口は『地獄の入り口』とでも立て札を掛けておくに相応しい様相だ。

 全く、話には聞いていたがとんでもない体質である。

 キズクチが負った傷は、口になる。

 その結果、俺が胸に穿った五つの傷と脇腹の傷も例に漏れず口と成り、胸の傷では先程食い千切られた俺の指の皮膚組織の皆さんが遅めのランチとして提供されていた。

「んん~? お話はお終いですかぁ、ヒーロー? でも、おっさんはもうちょっと待っても良いぜぇ~治療中ですんで! ヒーローも静菜ちゃんと最後の会話してなよ、その後で殺し合おうぜ?」

 ごくん、胸の五つの傷から租借する音が聞こえ、口が閉じられ傷も消える。外部、即ち俺から皮膚組織を吸収した結果だろう。死なない身体と、原料さえあれば一瞬で再生するその再生速度がキズクチが不死身の食人鬼と恐れられる所以だと聞いていたが……百聞は一見に如かずとは良く言ったモノだ。目の前で見れば嫌でもそれが理解できた。

 そしてそんな食人鬼は楽しげにそれでいて禍々しく口角を持ち上げ、横目で俺をちらりと見てきた。よっぽど俺の指が美味かったのか、それとも腹が立ったのか、何にしろ――

「もう俺もアイツのターゲットだ」

 頬を嫌な汗が伝う。吸汗性に優れた相棒のグリップには多分俺の冷や汗がたっぷりと吸い込まれているのだろうな。

「だが御影っ――」

「本当にっ!」

 未だ何かを言おうとする静菜を黙らせる。

「……本当に俺を助けたいんならさっさと助けを呼んで来い。状況を説明すればソレ専用の部署に繋がるから」

 面くらい、停止する静菜。そんな白に告げる。必要最低限の事柄を。これでも未だごねるならもう知らん。支倉駅周辺の地下通路で再び食人事件が発生するだけだ。

 意識と視界から静菜を外し、眼前のキズクチを見据える。薄暗い通路、その先で剣を構えるキズクチは愉しそうに顔を歪めるだけで、襲い掛かってくる気配は無い。余裕のつもりだろう、有り難い。

「――アイ」

「う?」

()くよ」

「……ん」

 カクン、とアイちゃんの顔が縦に振られ、静菜の着物の端を小さな手が掴む。良し、二人とも良い子だ。軽く口の端を持ち上げ、大きく息を吸い込み――

「ッこぉぉォぉおぉぉ―――」

 溜め込んだ息を周囲に広げる様に吐き出す。さぁ、後は俺がこいつらを逃がす時間を稼ぐだけだ。

 ()()、と呼ばれる技術。

 真夏だと言うのに吐き出された息が白く曇る。恐ろしいまでの熱量を吐き出し、傷を負った右手を意識の外側に移動させ、身体が修めた技術を使い易い様に造り変える。

 ドクン、どくん、ドクン。どっ、とっ、どっ。

 脈打つ鼓動が熱された血液を身体中に行き渡らせ、体温上昇、感覚鋭敏化、ドーピング気味に身体能力向上。

 触角が捉えるは空気と、服と、相棒の感触、そして右手の痛み。

 嗅覚が捉えるのは湿った匂いと、血の匂い、そして合って間もない白い少女の香り。

 視覚が捉えるのは、色の無い無機の壁と、赤いコートを纏った異端者。

 そして、聴覚が捉えたのは――


「また、会おうな……御影」


 声。

 ふっ、と軽く笑い返事の代わりに灰色で区切られた戦場を駆け出した。


    ■□■□■□


 倉坂市警には全国でも有数のある特殊な部署がある。

 名を特殊人為災害対策課。意味としては特殊な人によって()された災害に対策する課、といった感じだ。

 発足間もないこの課は西洋に本部を置く異端者達の組織、異端審問兵団の介入を良しとしなかったこの国の異端者達に対抗する為に国が兵団と協力して発足させたものであり、言うなれば兵団の日本支部と言った感じの組織だ。

 それ故、事情を知る者に言わせれば、課と付いてはいるが警察の権利を持った独立した一つの機関じゃないかボケェ! と言う意見が圧倒的多数を誇っている。

 無論、この国の異端者達には歓迎されていないのでその人員は極めて少なく、ついでのおまけで質も低い。

 この倉坂市の特殊人為災害対策課も例外ではなく、常駐が三人、兵団からの応援が一人と言う有様で、『お前らホントに事件に対応する気あんの? 無いだろ? 無いんだろコラァ!』と付近の商店街に事務所を構える探偵から苦情が寄せられた事も有った程である。

 さて、そんな組織に所属する一人の女性を紹介しよう。姓は月島、名は三和。先程挙げた商店街の探偵との関わりを持つ二十代後半の異端者の女性だ。

 切れ長の瞳に、艶かしく赤いルージュの引かれた唇、それに加えて砂時計型の見事なプロポーションを持った大人のおねーさんと言うに相応しい彼女は――

「……故郷(くに)のお母さん……きっと泣いてるわよ?」

 何か『俺がやりました!』とか言いたくなるメロディーをBGMにそんな事を言っていた。

「ねぇ、正直に言ったらどう? お母さん、悲しませたくないでしょ?」

 スチール製の味気ない机、安っぽいパイプ椅子、そして白熱電球使用の電気スタンド。完璧なまでの三種の神器が配置されたドラマそのままの取調室。

 彼女はそこで水を得た魚の如くはしゃぎ回る。全身から『一回やってみたかったんだぁ~コレ!』オーラを出しながら。

「……カツ丼、食べる?」

 そして放たれるキメ台詞。過ってこれ程までに活き活きした彼女の姿が有っただろうか? いや、無いッ!

 そんな彼女の対面に座った一人の白いローブを纏った小さな少女(取調べ対象者)が歌う。

「主は言いました――」

 陽光を編み込んだ様に輝くウェーブの掛かったブロンド。それをゆっくり靡かせ、優しげに瞳を伏せ、汚れを知らない純白の手を祈る様に組みながら……可憐な桃色の唇で、歌う。


「『悪いのは頭か? 目か? メガネを掛けても知力、視力ともに上昇しねぇとは哀しいな。現代医学じゃどーしようもねぇよ、死んで転生して来世に望みを託してみたらどうだこのクサレが!』……と。もう、わたしはご馳走になっていますよ、ミワ?」


 その可憐な唇から出てきた事が信じられない様な暴言を、その可憐な唇から発せられるに相応しい声音で。

「……」

 その甘い猛毒を受け、一気に沈み込む三和。過ってこれ程までに凹んだ彼女の姿が有っただろうか? いや、無いッ!

「それで、ミワ? 何で特殊人為災害対策課の部屋(何時もの場所)では無くてココでお昼にするんです?」

 三和を凹ました特殊人為災害対策課に属する金髪の美少女、セリアーナ・ウェルウィはフォークでカツ丼を口に運びながら何も無かったかの様に話を進める。

 先程の暴言に対して良心が微塵も痛まない、兵団から出向中の素敵な性格のシスターだ。

「ん? あぁ、今あそこバルさん焚いてんのよ。G出たから」

「そうなのですか? きっと、カンジ(同類)に惹かれたんですね。……で、元凶はどうしました?」

「カンジ? それならバルさん起動部隊として部屋に残ってたから閉じ込めてみたさ」

 米粒をほっぺに付けたまま、ぐっ、とサムズアップする三和。

「あら、それでは今頃は床でのた打ち回っているのですか? Gと並んで」

 まぁ素敵、と天使の様な笑顔でセリア。

 そんな彼女達の会話に先程から上がっている人物のフルネームは斉藤カンジ。特殊人為災害対策課に今年配属になった新人で、彼女達のパシリ兼おもちゃである。

「セリア~食後のお茶淹れてよ」

「えぇ、構いませんよ。何かリクエストは?」

「飲めれば何でも良いわぁー」

 後輩をバルさんの中に閉じ込め、商店街の探偵に厄介事を押し付けた彼女達の昼休みは実に呑気なものだった。

「……楽し……そ、っすね……、監禁し……てくれたセン、パ……イがた?」

 ボロボロの青年が現れるまでは。

 それは長い髪を後ろで一纏めにし、侍を連想させる精悍な顔立ちの青年。彼は何か有毒なガスを吸い込んだ後なのか、盛んに咳き込んでいた。

「……」

「……」

 そんな青年を見た後、三和とセリアは何かを確認する様に見つめ合い――

「ごめんね、カンジが未だ中に居るって気付かなかったのよ……本当、ゴメン」

 叱られた仔犬の様に俯きながら三和。

「何故そんな酷い事をしたんですか、ミワ! ……あぁ、大丈夫ですか、カンジ?」

 酷いっ! と、涙を浮かべるセリア。

 二人とも、感情だけはしっかり込めている。

「……そうですか。だったら気にしないで欲下さい。『じゃ、私お昼行くからカンジ後ヨロシク~』と言って出て行ったセンパイに、助けの声を無視した挙句に扉の隙間をガムテープで塞いで行ったセリアちゃん?」

「……セリア?」

「あら、中に居たのはカンジでしたか。誰か居るのは分かったんですが、わたし、火事かと思いましたので……ついそのまま密閉を」

 可愛らしく舌を少し出し、首を傾げ、にっこり。

「『殺す気だった』そう解釈できるんですけど、セリアちゃん?」

 頭を掻き毟り、何かを堪える様に、がっくり。

「で? どうしたのカンジ? バルさん終わったから呼びに来たの? しょうがないわね、閉じ込めたお詫びにお茶位淹れてあげるわよ。ヘイ、シスター! カンジの嫌いなキャラメルミルクティーをボトルで!」

「分かりました、甘いのが嫌いなカンジ、砂糖は何十個入れますか?」

 いぇぁ! とご機嫌な三和と、輝く様な笑顔のセリア。微塵も悪いと思っていないのが良く伝わる。

「……(まれ)に、本当に偶になんですがね、自分、センパイ達に本気の殺意を抱く時があります」

 そんな二人に対し、カンジはどうにか怒りを治め――


「仕事です、十匹目の《(ぬえ)》が獲物に喰らい付いた。こう言えば状況は伝わるって課長は言ってたんすけど?」


 完全に、完膚なきまでに三和とセリアの食後の呑気な空気を打ち砕いた。

「《鵺》と言うと――ミワのご兄弟?」

 一瞬の静寂、何かを確かめる様にセリアが三和を見て――

「っ――えぇ、そうよ。ったく、十め普段は抜けてるくせにどうしてこういう事には早く動くかなぁ、もう! カンジ、課長から帯刀許可もぎ取って来なさい! 私とアンタの分ね。セリア、アンタは装備整えて車庫行ってなさい!」

 その視線を受け止めた三和の雰囲気が変化する。

「了解です。急いで行きます!」

 それは先程までのふざけた様子では無く。

「主は言いました。『俺様に偉そうに指示してんじゃねぇ』……と。まぁ今回は目を瞑りますが。では、後ほど……」

 今朝方ある探偵の事務所で見せたものでも無く。

「押し付けといて何だけど……無事で居なさいよ、十……」

 戦う者。異端者を狩る異端者、特殊人災害対策課所属の第壱種異端者へと変わっていた。

「アンタに何か有ると私が八あたりに殺されるんだから!」

 馴染んだ小太刀一振り片手に構え、月島三和は一歩を踏み出した。


    ■□■□■□


「良し。一応連絡は取れたの……」

 パキン、と携帯を折り畳み、白い着物と白い長髪を持つ少女、如月静菜は重い息を吐き出した。

 場所は駅前から大きく離れた大通りに位置するデパートの前。交通量が多く、人も多いので、白い静菜と泣きはらしたアイを見て周囲の人々が時折視線を送ってくる。

 そんな中で、僅かな居心地の悪さを感じながらも静菜はその視線に安堵を覚えていた。キズクチは異端者だ。秘匿される存在だ。

 性格があんな風なので百パーセントの安心は出来ないが、好んで人前でその体質をひけらかす様な真似はしないはずなのだ。

「ほれ、アイ顔を拭くのだよ。女の子は綺麗にしておかぬとの」

「ぅ……ぁい」

 アイの傍にしゃがみこみ、その小さな頭に手を置き、懐から取り出したハンカチで以って鼻水と涙を拭ってやる。

 小さい、と思う。本当にこの子は小さいと思う。

 見上げる瞳は泣き腫らし、赤。未だに恐怖が収まらないようで、小さな手で静菜の着物の端を強く握る。

 しゃくりあげ、震える小さな命。

「う?」

 それを、そっ、と包み込むように抱き寄せる。周囲の視線がその奇妙な光景に集まるが、静菜は気にしない。

 左手で軽く背中を叩く。

 ぽん、ぽん、ぽん。と一定の間隔で。

 右手を動かし頭を撫でる。

 さら、さら、さら――優しげに。

「アイ、すまぬ。全部、わしの……せいだよ」

 胸に圧し掛かる潰されそうな罪悪感、それを少しでも薄くしようと、この子に恐怖を与え父親を奪った罪悪感を薄めようと、静菜は小さな女の子を抱き寄せる。

「本当にすまぬ、わしの我侭に巻き込み、こんな事になってしまった」

 アイの髪に口を寄せ、小さく、それでもはっきり聞こえる良く通る声で謝罪の言葉を、招いた結果を伝えない一方通行な謝罪の言葉を繰り返しながら、口惜しさと不甲斐なさを静菜は噛み締める。

 死ぬはずだった。もう死んでいるはずだった。

 如月静菜は生贄だ。

 物心ついた頃から知っていたし、納得していた事実。

 それは伝統。伝え、繰り返されて来た一つの悪習。第参種、非戦闘型の異端者達の集落が外敵から村を、家族を守る為に伝え、繰り返してきた悪習。

 強い戦闘型の異端者に代価を払い、守って貰うと言う習慣。

 差し出すモノが、命と言う悪習。

 静菜は、ソレを行わなければ存続できない哀しい運命を持った村に生を受けた。

 だから村の為に死ぬ気で居た。――キズクチから妙な提案を受けるまでは。

「――すまぬ」

 だが、如月静菜はキズクチの提案を拒めなかった、拒めるはずが無かった。

 提案されたのは一つのゲーム。静菜が逃げてキズクチが追いかける追いかけっこ。賭けられたのは静菜の村。

 完全に取引になっていない取引。そもそも静菜が生贄になる事で村の安全を保障するはずの前提を大きく無視したその取引。

 だが、拒めるはずが無い。如月静菜は生贄だ。村を生かすためだけに生まれ、育てられた少女だ。ならば自身の存在理由を無くすような選択は出来ない、出来るはずがない。

 その結果が、これ。

 村を守る為に、自身の存在意義を果たす為に、必死に逃げ延びた結果が、これ。

 彼女を追ってきたキズクチが撒き散らした災厄。

 考えていなかった……分けでは無い。今までだって、もしかしたら起こっていたかもしれない悲劇。

 無関係な女の子から父親を奪い、その子自身に恐怖を与てしまった。

 これが、静菜がこの倉坂市に来た事で、静菜を追ってキズクチがこの倉坂市に来た事で、起こってしまった災厄、悲劇。

 自覚が有る。自身が原因の大元に居ると言う自覚が如月静菜には有る。

 だから、後悔はしない。自分の我侭でこの惨状を招いたのだ。死者が永遠に死者である以上、嘆く事はこれ以上無い冒涜だ。

 だから後悔しない。謝罪と反省はするが絶対に後悔はしない。

 そして、これ以上後悔しそうな要因を根こそぎ潰す。

 そう、指し当たっては地下通路に残してきた少年の事だ。

「――アイや、残った男を覚えておるかの?」

「ペケの、お兄ちゃん?」

 腕の中から返された返事に対し、静菜の顔に軽い笑み。確かにあの場に残った男の顔には十字傷が有ったが、ペケと言う言い方をするだけで随分と可愛らしくなった様に感じられる。

「そうだよ、わしはあのペケの(うつ)け者を助けに行きたいのだが……ここで待つ事は出来るかの?」

「う?」

 カクン、と傾げられる頭。暫し、考える様に周囲と静菜の顔をアイは見比べ――

「ん、まてる」

 頷き、自身ありげにそう言った。

「そうか、アイは良い子だの」

 そんなアイを柔らかい笑みを浮かべた静菜が撫でる。

 アイを残し、自分一人で現場に戻る、それが静菜の下した結論。キズクチの事は心配だが、ここで自分と一緒に居る事の方が危険だと判断しての行動だ。

「……ではの」

 すっ、と立ち上がり、静菜が目指すのは地下通路。僅かな太陽と、人工の光に照らし出された湿っぽい空気が満ちる空間であり――


 恐らく知り合ったばかりの異端者の少年の死体が転がる空間。


 残った十郎には悪いと思うが、静菜はその光景以外は思い描けなかった。最強。そう呼んでも文句は言われない力を持ったキズクチ相手に、名前も聞いた事の無い彼が持ち堪えれるわけが無いから。

 見たくないが、見なくてはならない。静菜にはその義務が有った、有ると考えている。どんな結果だろうとあの少年を巻き込んだ者として。

 重い足、鈍い足取り。一歩を踏み出し、

「ん?」

 服を掴まれ、振り返る。

「どうかしたかの、アイ?」

 着物の端を掴む小さな手をそっと握り、再度しゃがみ何か言いたげなアイと目を合わせる。

「……お姉ちゃん、あいつやっつけるの?」

「む。まぁ、一応そのつもりかの。もう逃げるのは御免だから決着は付ける気でおるよ」

 もう、巻き込むのは嫌だった。静菜に後悔は無いが、反省はある。この小さな女の子から父親を奪った事に対する反省と、出会ったばかりの少年を置き去りにした事に対する反省は。

「……お父さん、殺したってゆってた」

「そうだの」

「……怖かった」

「でも、もう泣き止んでおるでは無いか、アイは強い子だよ」

 再び静菜が頭を撫でると、アイがくすぐったそうに目を細める。そして、その手の中の花束を静菜に差し出す。

「だからね、これお姉ちゃん達にあげる。ほんとはお父さんのだけど、お姉ちゃんとお兄ちゃんにあげる。だから、だから――」

 うるっ、と涙で膨れるアイの瞳。それでも真っ直ぐに花束を掲げ、それでも真っ直ぐに静菜を見上げ、


「あいつ、やっつけて」


 これ以上ない位に真っ直ぐに自分の願いを口にした。

 幼いからこそ許される無垢。法で裁けるかどうかの判断よりも、目の前の少女と地下通路の少年が敵うかどうかよりも、そして『やっつける』と言う行為の意味も分からずに、それでもアイは花束を捧げ願いを口にする。

 ただ、父親が帰って来ないと言う事が悲しくて、その原因が許せなくて、アイは真っ直ぐに花束を捧げる。せめてもの報奨に、依頼料の代わりに自身が現在、唯一贈れる花束を捧げる。

「……分かったよ。御影にも渡して置こう」

 ソレを白い少女が、彼女から父親を永遠に奪う遠因を担う静菜が断れるわけも無く、その白い手で、花束を受け取り――

 そのオモイを抱き締める。

 込められた想いを抱き締め、自身の犯してしまった罪を重いと抱き締める。

 でも、と静菜は思う。この花は綺麗だ、この花を贈られた事は嬉しい、と。

 花を(いだ)き、浮ぶは微笑。

 自身の死出へと手向けられた花束を抱え――


 如月静菜は先程よりも軽い一歩で以って異端者達の戦場に向かい歩き始めたのだった。


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