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第二章 白い少女は真夏の地下通路で俺に笑顔を向ける

 場所は移って公園のベンチ。

 木々の間から僅かながら日が漏れているが、それでもアスファルトの上とは比べ物に成らない涼しさを持った日陰。

 ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ、とダイナミックに上下する白い喉。っぱぁ~、と満足気な声が周囲に響き渡って――

「礼を言う、助かったよ。わしとした事が水を飲む事を忘れておっての」

 俺のほぼ全財産を飲み干した白い少女はそんな事を言って頭を下げた。……と、言うか忘れるなよ、そんな生存本能に根付いた行動。

「あ~いいっすよ~困った時はお互い様ですからね~」

 そんな奇妙な少女に、空を見上げながらヒラヒラと手を煽って気にするなとアピール。

 そう、困った人が居たら助ける。当たり前の事だ、人の繋がりは大事にしましょう現代人。

「っはぁ~」

 だから誰か俺を助けて下さい。喉が渇きました。

「ぬし、ぬしや」

「ん~?」

 さっきから思っていたが、随分古い印象を受ける喋り方だな~。

 そして、そんな古風な喋り方の白い少女に俺の袖がくいくいと引かれる。アレか? 恩返しか? 実はこの白い少女は然る良家のご令嬢で、お茶のお礼にお札を――

「これを渡すよ」

「……んなわけない、か」

 残念。差し出されたのは空の紙パックでした。

「これ、はよう受け取るのだよ」

 翡翠色の瞳に不満を滲ませる白い奴。

「……受け取って、俺にどうしろと?」

 一方、俺は口の端が怒りでヒクヒク震えるのが分かる。まさかこの小娘――

「む? ゴミが出たら捨てる。これは当たり前の事だろうに、ぬしはそんな事も知らぬのか?」

「……知ってるよ」

「では、ほれ」

 視界で揺ら揺ら揺れる紙パック。え~と、何だ? つまり――

「捨ててきやれ」

 ほれ、と指さす先には金網製のゴミ箱。あっはっは~……。

「自分で捨てろこんの真っ白け!」

「あぅ!」

 白い頭を叩いたらカラッポらしく、スパン、と良い音がした。

「何をするか(うつ)け者!」

「グーで無い事を感謝しやがれ、怠け者」

「うーっ!」

 涙目で唸られた。俺が悪いのだろうか? いや、多分悪くない。

「あ~もう」

 頭を抱えそうになりながらも紙パックを強奪。それを投げ捨てゴミ箱に入れた俺は多分とっても良い奴だ。

「ふん、始めから素直にそうすれば良いものを……」

 そして偉そうにそんな事を言う白い奴は多分とっても嫌な奴だ。

「……はぁ~」

 まぁ、良いさ。別に礼が欲しくてやった事じゃぁ無い。

 とん、と起き上がる。

 さて、余分な時間を食った。さっさと仕事に移りますか。……水飲み場で一服した後で。

「これ、ぬしや、何処へ行く?」

「仕事だ、仕事。もう行き倒れんなよ、真っ白女」

「む。失敬な奴だの、わしには如月(きさらぎ)(せい)()と言う名があるのだよ」

「そうかい、じゃあ静菜ちゃん、もう行き倒れない様にね~」

 右手を振ってさようなら。

 さて、切り替えようか、御影十郎。頑張らないと次の収入迄の間、栄養の偏った食生活を送らねばならなくなる。


    ■□■□■□


「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………何時まで付いて来る気だ?」

 振り返り、重い声で背後に問いかける。視界には――

「?」

 不思議そうに自分の背後を振り返る白いのが一匹。

 ピキっ、と頭で音がした様な錯覚。

「お前だ! お・ま・えっ! そう! そこの白いお前だっ! 何で俺の後を付けて来てんだ!」

 怒鳴る俺に、てけてけと寄ってくる白い奴。

 無論、白い奴の名前は如月静菜と言う。

 何故か公園から俺をストーキングし続けているのだ。

「で、何の用だ?」

「名前を聞いておらぬよ、わしは名乗ったというに」

「……。御影十郎、年齢は十九歳と十ヶ月、趣味は工作で最近造ったのは牛乳パックのブックスタンド、スリーサイズは上から全部纏めて秘密!」

「ふむ、十郎か。大家族かの?」

「想像に任せる」

「む。まぁ良いよ。では御影、ぬしの名、覚えておくよ」

「そりゃどうも。はい、それではさようなら」

 回れ右して移動を開始。

 てくてく、てけてけ。

 名乗ってやったと言うのに、未だに足音は二重奏。

「……俺は名乗ったぞ?」

「む? 知っておるよ。聞いておったし、返事もしたよ」

 気持ち早歩き。勢い良く手を振り、足を振り、歩きの割には結構な速度を叩き出す。

「未だ用事があるのか?」

「あるよ、わしは未だ主に恩を返しておらぬ」

「仇で返されそうなんで結構です」

 だからさっさと帰ってくれ。

「御影よ、わしを甘く見る出ないよ。恩を与えられて黙っていられる筈が無いのだよ」

 だと言うのに、ふふん、と胸を張る白い奴。

 で、そのままチョコチョコ付いて来る。

「……ここでお前がUターン決めるのが俺にとっての最大の恩返しだ」

「御影は少し口が悪いの、照れ隠しにしても言い過ぎだよ」

「その悪さの中に優しさが滲んでんだよ」

 何と言っても俺はお前と違って良い奴なのだ。全財産に相当するパック麦茶を行き倒れた白い奴にくれてやる位に。

「む。納得いかない気もするがまぁ良いよ。それで御影、ぬしはどこに向っておるのかの?」

「駅だ、駅。倉坂駅って知ってるか?」

「馬鹿にするでないよ、御影。知っておる、わしもそこから来たからの」

「へぇ~」

 びっくりだ。切符買えたんだね、静菜ちゃん。

「それで? 駅で何をするのだ?」

「探し物だな」

 最終的には人捜しだが。

 と、静菜と話しながら歩いていると、徐々に道行く車の密度が上がってきた。駅前に近付いて来た証拠だ。

 小規模な渋滞に巻き込まれ動きを止めた車の群を追い抜く。ここまで来ると歩いたり自転車での移動の方が早い位だ。でも、クーラー効いてんだろうなぁ、あの中。

「探し物ならば人手は有るに越した事は有るまい? はぁ~あまり行きたく無いが御影の為だ。仕方が無い。わしも行ってやるよ」

「……」

 何故に上から目線だ、この白。

 そして『もういいや、付いてきても』とか思ってるんだ、俺。良い奴にしても程が在るぞ。

「っはぁ~」

 溜息一つ。

 見えてきた倉坂駅――には向わずに少し逸れる。

「? 何処に行く? 駅はこっち――」

「ん? まぁ、駅に用事があるわけでは無いからな」

 用事があるのは駅周辺、薄暗い地下通路だから。

「……おい、コラ」

 と、そちらに向おうとする俺のアロハが行き成り掴まれた。

「のぅ御影、わしはそっちにはあまり行きたくないのだが……」

 弱々しい声に縋る様な上目遣いの静菜。俺の服の端を白い手できゅっと摘んだその格好は中々に可愛らしく見えるが――

「なら付いて来なけりゃえぇ」

 そんなんで御影探偵事務所の財政は立ち直らないのである。パンの耳で過ごすのは嫌なので訴えを却下、駅前お馴染みのやたら安い床屋の前で信号が変わるのを待つ。

 この信号を渡れば目的地周辺、カーナビならば後は自力で頑張れと言われる程の距離だ。

「むぅ。()い……行くよ」

 渋々と言った感じで俺の横に並ぶ静菜。

 そこまで嫌なら恩返しなどほったらかして帰れば良いと思うのだが――

「……律儀だねぇ」

「む? 何か言ったかの、御影?」

「暑いな~って言った」

「全くだよ」

 愚痴りながら青に変わった信号を見て、目的地目指し縞々の上を歩き出すのだった。


    ■□■□■□


 ほこりっぽい空気。

 幅四メートル程の空間に一歩踏み込んだ結果は、蹲っていた猫の何匹かがピクリと耳を動かした程度。

 一本ずれれば風俗店が、奥か手前に行けば飲食店があるが……ここ、線路の下に作られた地下通路には昼間だと言うのに一切の人気が無い。

 昼間ですらこれなのだ。恐らく夜、特に深夜などは更に人気が減るのだろう。

 色で表すのならば、灰色。コンクリートで固められた味気無い壁に、ファンキーな若者が赤や黄色で彼らの言う所のアートを描き、据えた様な匂いが鼻に付くこの空間。

 騒がしい駅前から僅かにずれるだけでコレだけ変わるものか。耳を澄ませば喧騒が聞こえて来そうな距離、だがここでは三日前に殺人、いや、食人事件が起こっている。

「こんな所を真夜中に通る馬鹿も馬鹿だが……」

 それを食う奴は更なる大馬鹿に違いない。

 三に用意された写真が過ぎる、渡された資料の内容が過ぎる。

 食い散らかされた身体、無数の歯型が刻まれ、骨ごと食われた男の写真。

 検死の結果、生きたままで食われたと言う事が明らかになった男の最後。

「……」

 反吐が出る。

 男は異端者ではなかった。つまりは一般人、表側の人間。それを異端者――裏側の存在であるキズクチの奴は殺した。殺して食った。

 男は最後に何を見たのだろうか? 圧倒的な理不尽に巻き込まれた男は、日常から不意に死を突き付けられた男は……その抉られた瞳で何を見たのだろうか?

「……止めよ」

 考えても無駄だ。

 俺が彼の心中を察した所で何が出来る分けでもない。俺に出来るのは精々キズクチの奴を見付け出し、それを三に報告して飯の種にする事位だ。

 その程度、それで十分。無茶はしないし、無理もしない。多くを望んでもろくな事は無い。

 思考を打ち切り、軽く周囲を見渡す。と、

「? 何してんだ、お前?」

 静菜が手を合わせているのが見えた。その向けられてる先を見詰め――

「っ」

 少し、言葉に詰まった。

 両目を瞑り、許しを請うように静菜が手を合わせる先には、花束。

 質の悪い紙に包まれた数本の花、生憎と花に疎い俺には種類は分からないが、煤けたコンクリートに立て掛けられたソレは哀しげな印象を与えてきた。

「……」

 まだ、この事件は表向きには報道されていない。だが当然、被害者の家族は知っている。死因は明らかにされていないとしても、何処で死んだか位は伝わっている。この手向けられた花束はその結果だろう。

 どんな、気持ちだったのだろう? この花束を置いた奴は。

 どんな、気持ちなのだろう? 泣きそうな表情でその花束に手を合わせる白い少女は。

「御影、ここで誰か死んだのだろう?」

「あぁ」

 静かな問いに肯定を返し、横に並ぶ。

 激情を押さえ込み、感情を殺す。再び湧き出す怒りに蓋をして――

「死んだ」

 それだけ吐き出し、手を合わせた。

 祈るは鎮魂。せめて死後は幸せに。力なく狩られた彼の仇を俺は討てない、討たない、討つ気はない。最後の贈り物に手向けの祈り。

「……御影」

「ん?」

 不意に掛けられた声に手を合わせるのを止め、隣に視線を移す。

 虚空を見詰める様な瞳に、悲しげに靡く白い長髪、そして形の良い頬を流れる涙。少し、胸が苦しくなった。そこには先程まで俺を悩ませていた少女では無く、酷く脆そうな氷細工の少女が居たから。

「応えられたら良い、教えてくれんか?」

「……」

 どうぞ、と無言で促す。

 有難う、と軽い会釈が返される。

「ここで死んだ者に、家族は?」

 答えられるわけが無い。答えて良い筈が無い。機密だ。静菜は一般人でこの事件は異端者の起こしたもの。何一つ教えて良い要素は無いのだが――

「……娘がさんが、一人だ」

 何故か俺はその問いに答えてしまった。

「そうか、彼等には……悪い事をしてしまったの」

 呟く様に吐き出された贖罪の言葉、消え入りそうに吐き出されたそれに引っ掛かりを覚える。

「おい、どう言う――」

 だが、吐き出された疑問の言葉は、


「静菜ちゃん見~っけ! やー一生懸命それでいて必死に探し回ったお陰でおっさんはクタクタでお腹がペコペコですよ?」


 軽く、酷薄な男の声に掻き消された。


    ■□■□■□


「……は、冗談だろ?」

 蹲っていたはずの猫たちは、何時の間にか居なくなっていた。

 汗ばむ手、生物としての強さの差から震える足を鼓舞し、何とか見据える先には――

「やー探した、ほんっとに探しましたよ静菜ちゃん。駄目じゃないか、おっさんは年だからあんま外をウロウロしたくないんだぜぇい?」

 ケラけらケラ。軽く、薄く、馬鹿にした様に笑う男。

 視界に納めた瞬間に思い浮かぶ自分の死に様、実に多様。コイツにならばどんな殺され方をされても不思議は無いと思わせるような歪んだ空気を纏った男。

 真夏にも関わらず真っ赤なコートを裸の上半身に纏い、下は迷彩柄のズボン、刈られた芝の様にツンツンと上を指す短髪に、視線を隠す丸いサングラス。これだけでも十二分に個性的で、ある種の禍々しさを持っているが、男の大きな特徴は背中に背負う様にして担がれている巨大な漆黒の皮袋だろう。

 この特徴、特に真っ赤なコートと、漆黒の皮袋には覚えがある。

 それは、ある男の特徴。

 年の頃は三十代前半に見える男の。だがその実、二百年程生きている異端者の男の。人呼んで不死身の食人鬼の特徴だ。

「……キズクチ」

「んあ? 何、少年? おっさんのこと知ってるん? やーおっさんも有名人に成ったもんだよ! あ、サインとかいる? ってか少年、誰よ? 静菜ちゃんのカレシ?」

 思わず男の通称を口にした途端に馴れ馴れしく語りかけてくる異端者。

「いや、会ったばっかだし、好みじゃないし、だから彼氏じゃないし」

 それに同じように軽口を返しながら、心中で愚痴る。

 拙いな、と。

 この距離だと逃げ切れるか危うい、近すぎる。いや、それでも俺一人なら何とかなったかもしれないが……。

「静菜、何でキズクチがお前を知ってるんだ?」

「み、御影こそ、何故知っておる?」

 今は静菜が居る。しかも強気で傲岸不遜でも無く、悲しそうに手を合わせて居た静菜でも無い。青ざめて震えている静菜が、だ。……心細げに掴まれた服の端から伝わる震えが、脆さを伝えてくる。

 一歩、静菜をキズクチの視線から隠す様に進み出て、眼前のキズクチを睨む。

「『犯人は現場に戻ってくる』ってのは聞いた事有るが――」

 本当に戻ってくるなよな。

 がりっ、と口の内側の肉と共にその言葉を噛み、思考。

 さて、どうするか。状況は最悪一歩手前。行動次第では、その瞬間に詰んでチェックメイト、敗北と死亡が確定。

 先ずは三に連絡を取る。それは間違いでは無い。

 俺にも一応、戦う術が有るには有るが……キズクチ相手に正面切っての単独戦闘は分が悪すぎる。だから数に頼る。だから三に連絡を取る。それは間違ってない、間違ってないはずなのに――

「何だよ、圏外って……」

 どうなってんだ、ケイタイ大国日本? 悪態と共に怒りに任せ握り締めたケイタイが軽く軋む。

 何でだ? 地下通路とは言っても、ここはそんなに深くない。電波は十分に届くはずだ。なのに、何故? どうしてだ?

「……」

 まさか。と、思い付いた候補として眼前の異端者を睨み付ける。二百年も生きてるバケモノだ。強いだけでなく、狡猾でも有るのだろう。

「ん~良いね、少年。良い勘だ。ってアレ? それひょっとして最新機種? あ、違う? やーおっさん最近の家電には疎くてね、特に表で出回ってるのには! でも大丈夫! ケイタイ無くても生きてけるもんだよ、少年。んあ? どうでも良いって顔だね? そんじゃま、タネあかしと洒落込もうか」

 俺の視線をニヤニヤと笑いながら受け、キズクチがコートの内ポケットから黒い長方形の機械を取り出す。

「《電波喰らい(ラジオ・イーター)》おっさんと(おんな)し悪食で、名前と違って妨害電波を吐き出すメカですよ。パクった相手曰く小型で強力な最新鋭、街中で使うとペースメーカーにも影響があるらしい試作品! 良いだろ~非売品だぞ~」

 ケラけらケラ。子供が買って貰った玩具を自慢する様に楽しげに笑うキズクチ。

 ったく、開発者が何を考えてアレを造ったか知らないが、迷惑極まりない物を造ってくれたものだ。

 兎も角、三には連絡は付かない。少なくとも《電波喰らい(ラジオ・イーター)》とやらの有効射程から抜け出さなければ携帯電話は唯の四角だ。

「……ちっ」

 手の中の役立たず(ケイタイ)を睨む。乾いた唇を湿らせ、思考、思考、思考……結論。

 仕方ない。勝目は無いが、他に良い手段が思い付かない。悪手で無い事を祈りながら、腰を落とし、左手を背中に回す。

「静菜、放せ」

「? 御影、ぬし、一体何を……」

 心細そうな声、恐る恐ると言った感じで手が放される。

「んで、逃げろ。それと警察に連絡しろ。ほれ、ケイタイ」

 その少女にケイタイを押し付け、異端者に向かい合う。何、心配するなよ、真っ白け。時間位、稼いでみせるさ。

「んん~? 何? 少年は静菜ちゃんを守る気なんですか?」

 袋を担ぎ、興味深そうにそんな事を尋ねて来るキズクチ。何でも無い問いのつもりだったのだろう。どうでも良いような質問だったのだろう。事実、大半の人間はあっさり受け流すはずだ。だが、俺にとってはそうでは無い。

「……は?」

 間の抜けた声。セミが、死ぬ。太陽が、死ぬ。

 俺の世界の音と光と熱が死に絶え、描く光景一面(いちめん)白面(はくめん)銀世界(ぎんせかい)

 守る? 俺がか?

 面白い事を、言う。俺に守れるモノなど何も無い。有って堪るか。フラッシュバックするのは過去、泣いた少女、年上の少女、自分を守ってくれていた人。その人を守れずに逃げ出した俺に守れるモノなど有るはずが無い。

 ――はっ、はっ、は。荒れる息が、自分で吐き出したそれが俺の意識を引き戻す。ぎちっ、と脳内の歯車が鳴り響き、銀世界にひびが入る。ソレは忘れてはならない事だ。だが、今考えて良い事でもない。首を振り音と光と熱を世界に蘇生。

「……――そんなわけ……無いだろ」

 砕いた白銀の世界の欠片を重い言葉、本音に乗せ吐き出す。

 そう。俺には誰かを、何かを助ける事は出来ない。だから、これはそんなものでは無い。静菜を助ける気は無い、守る気も無い。自分が生き残る為に静菜を利用し、その為の時間を稼ぐ為の行動だ。

 浅く呼吸。頬を冷たい汗が流れ、緊張で手が滑る。本当に割に合わない仕事だ。こんな事なら好物をパンの耳にしておくんだった。

「お? そう言ってバリバリの戦闘態勢! かっけーな、少年! いやさ、ヒーロー! おっさんそう言うノリは嫌いじゃ無いですよ?」

 ドン、と担いでいた皮袋を下ろすキズクチ。

「あんたに好かれても嬉しくないな」

 背中に回した左手を小指から順に巻き付ける様に、手触りの良いウッドグリップを握りしめる。親指で弾くように留め金を外し、後は抜くだけ。

「やー連れないぜ、ヒーロー。でも、そんな所もおっさん的にはツボですよ? よっしゃこーい! ばっちこーい! って言ってやりたい所なんだけどねぇ~……悪いけど引っ込んでてくんない? おっさんメンドイの嫌いなんよ」

「俺もメンドイのは嫌いだ。夢は金銭的に余裕のあるニートなんでね……」

「お? マぁ~ジで? おっさんもだよ。ほんと、ヒーローとは仲良く出来そうだな。ってな分けで~そんなメンドイのを嫌う二人の為の対処方だ。見てみな、ヒーロー」

「?」

 変わった風向きに、浮ぶ疑問符。奇妙な事を言い出したキズクチが通路の死角に手を伸ばし、掴み、引きずり出した者を見た結果――

「――っ!」

「……」

 静菜は絶句し、俺は改めてキズクチと言う異端者がクソ野郎だと理解した。

「やー良ぃ~い表情だぜ、ヒーロー! 『ぶっ殺してやんぜ!』って言うその視線、素敵過ぎます! そうそう、それでオッケーです。ヒーロー足るものそう言うリアクションを返さないといけませんよね!」

 ケラけらケラ。酷薄な笑みを浮かべるキズクチ。実に楽しそうだ。本当に楽しそうに笑いながら左手で小さな腕を掴んでいる。

「……その子を放すのだよ、キズクチっ!」

 あまりの怒りに擦れる声でそう呼びかける静菜。

 それを受けたキズクチは愉快で堪らないと言った表情を浮べているが、その左手に掴まれた人物、幼い女の子はその表情の対極を行っていた。

 震える身体、揺れる瞳。泣き声をあげる事すら出来ない暗澹(あんたん)たる恐怖の海に漬かりきった一人の女の子。その手の中には見覚えのある花束。

「紹介するぜぇ、静菜ちゃんにヒーロー! パパ想いの優しい優しいアイちゃんだぁ! やー聞く方は涙、でも語るおっさんにしてみりゃ笑い話。なんと、アイちゃんのお父さんは此処で殺されたらしいんですよ、おっさんに! あ! 味の方はイマイチでしたぁ~」

 聞いても無い感想を語る男に掴まれた女の子を見詰め、思う。

 やっぱりそうか、と。花束を見た時に過ぎった予感は大的中。つまり、あの子は写真の男の……キズクチに食い殺された男の娘だ。

「それで、お返事は? ヒーロー? もしくは静菜ちゃん? それともアレかな? あの安っぽいセリフ言わなきゃ駄目ですか? この子の命が惜しければ……」

 痛むほどに強く相棒を握る。掛けられた言葉に返答できずに固まっていると、

「わしと交換だ……かの?」

 すっ、と背後から白い少女が進み出た。眼前の異端者が肯定の意を表すように大きく頷く。

「アイ……と言ったかの? すまぬな、わしのせいだよ。だから……直ぐに助けるよ」

「……ぅ、ん」

 優しげな笑顔。人質となったアイちゃんにソレを向ける少女を俺は止めない。その代わりに、問いかける。確認する。

「静菜、お前……異端者か?」

 半場確信した事柄を。白い長髪を靡かせる翡翠色の瞳の少女に問いかける。

「見て分からなかったかの? 自分で言うのも何だがの……わしは随分と浮世離れした容姿をしていると思うよ」

 停止。振り向かずに、恐怖を感じさせないおどけた様な口調が返される。

「見た目で人を判断するなと教えられたんでね」

 それに乗っかり軽い口調。

「ふむ、それは立派だよ御影」

「で……何種だ?」

「参種だよ」

 成程、第参種(非戦闘型)か。了解した。これで聞きたいことはもう無い。無言で白い少女の背中を見詰める。細い、華奢だ。自分とは異なる生き物だ。

 何故静菜がキズクチに狙われていたかは知らない。キズクチが何を考えて静菜を狙ったかは知らない。それでも、この細い肩がその理由を背負えるとは思えない。けれども俺はキズクチに敵わない。異端者である静菜と一般人のアイちゃん、どちらを優先するかは明白だ。

 だから、重荷を背負った白い少女を止める事など出来るはずも無い。俺は守れない、助けれない。静菜が守ったアイちゃんを逃がすのが精一杯。


 なのに……何でだよ?


 一歩、静菜がキズクチに向って歩き出す。

 笑ってキズクチがアイちゃんの背中を押す。怯えながらも、アイちゃんが一歩。

 キズクチには敵わない。静菜とアイちゃんを交換して、全力ダッシュ。それで終了。キズクチも静菜を優先するから追って来ないだろう。でも、だったら、なんで――俺は相棒をこんなにも固く握り締めているんだ?

 一歩、一歩、一歩一歩。徐々に静菜とアイちゃんが近付き、ついには擦れ違うその時――

「あぁ、そうだった」

 白い少女が歩みを止めた。

 見上げるアイちゃん、不審げな視線のキズクチ、何だ? と言う俺の視線。それらを受け止め、ゆっくり振り返った白い少女が笑う。

 風が吹き、静菜の白い長髪が靡く、困った様な笑顔、それを静菜は俺に向け――


「悪かったよ、御影。恩返しは……出来そうに無い」


 そう言った。

 それは、彼女にとって最後の表情のつもりだったのだろう。

 笑顔に滲むは諦め。死に行く自分に対する諦め。

 笑顔に滲むは恐怖。死に行くことに対する恐怖。

 それは、良い。責める気も無い。この状況なら浮かべて当然だ、滲んで当然だ。けど、けどな……。

 何を本気で詫びてますか、あの白は? 何で本気で謝ってますか、あの白は? みすみす見殺しにする俺に対して何で本気で謝ってるんだ、あの白はっ!

「……は、」

 軽く、乾いた笑みが零れ出る。

“大丈夫だよ、十くん。お姉ちゃんがココに残るから”

 過ぎた景色が、また見える。

 少し、腹が立った。静菜の態度に。その態度に、自身を犠牲に他人を優先するその態度に、以前一人の少女が俺に対して取った様なその態度に、腹が立った。

 みしっ、と軋み一際強く相棒を握り締める。

 そうだ。さっき自分で言ったじゃないか。これは俺が助かる為の行動だ。誰かを助けるとか守るんじゃない。だから――無理だと決め付ける必要は無い。

「おい……キズクチ」

「んぁ? どうしたよ、ヒーロー?」

 キズクチには敵わない、勝てない。でも、勝つ必要なんて無い。

 アイちゃんのお父さんの仇を討つ気は無い。でも、祈った。『せめて死後は安らかに』、と。

 あぁ、なら、俺が相棒を握ってる理由なんて明らかだった。

「確認するぞ? 静菜とアイちゃんを交換って事でオーケー?」

「あぁ、オーケィ、オーケィ。ぶっちゃけアイちゃんとヒーローにはあんま興味無いしね。で、それが?」

 相棒は武器だ。この身に宿った異端者としての力は戦う為のものだ。でも敵わない。でも勝てない。キズクチには勝てないし敵わない。でも――時間位は稼げるさ。

「つまり、静菜を大人しく渡せば俺もアイちゃんも無傷解放、抵抗したら――」

「おっさんのディナーってことだな、アレ? この時間だとランチか? や、アフタヌーンティー? おっさん、わっかんないや! って、何? ヒーロー抵抗すんの? 止めようよ~メンドイよ~」

「まさか? 正面から行ったら死ぬだけだぜ?」

 だから、一歩前進。

「御影、来るな!」

「って、言いながら前進してますよ、ヒーロー?」

 制止と驚愕の二重奏。受けて、更に一歩。

「勘違いするなよ、お二人さん」

 『来るな』と繰り返す静菜に近付き、その肩に手を置く。視線の延長線上ではキズクチが下ろした皮袋に手を突っ込んでいる。武器でも取り出す気だろうか?

「……静菜」

「止めろ、御影。お前はさっさとアイを連れて――」

「本気かぃ? ヒーロー」

 空気の質量が重くなる。雰囲気まさしく一触即発。俺の行動次第で、キズクチは攻めに転じるその危ういバランスの中――


「ケイタイ」


 俺は静菜に『返せ』と右手を差し出したのだった。

「「「……は?」」」

 と、ハモる三人組み。お前ら実は仲良しだろ?

「いや、『は?』でなくてケイタイ、さっき渡しただろ?」

 右手で以って寄越せの動作。

「え……あ、あぁ……」

「それは、どうかと思うぜ、ヒーロー」

 何が何だかと言った感じの静菜、呆れたようなキズクチ。二人の視線が逸れてる事を確認しつつ、膝のバネを軽く溜める。

「あ、御影、これだろう?」

 差し出される折り畳み式のケイタイ、見慣れた俺のケイタイ。それを静菜に押し返し――

「あぁ、それだ。で、使い方は分かるな? それじゃ――アイちゃんと一緒にダッシュで逃げろ、第参種!」

 跳ねた。

 壁を蹴る/天井を蹴る/落下する

 事は刹那。秒にも満たぬ僅かな一瞬。されど十分、一瞬あれば十二分。

 一気に間合いを詰め、汚らしいタイルに両足と右手が触れる。

 曲がった肘、バネを溜めた右腕、それを勢い良く弾く。下から上へ、風を裂き、音を霞ませ、殺す為の意志を持った右手が模すのは鉤爪。その折り曲げた五指をキズクチの左胸に叩き込む。これが、俺の異端者としての力、技術――

貫殺(かんさつ)(ましら)

 ずぶり。速く、深く五指がキズクチの心臓に突き刺さる。

「あ、……ヒー……ロー……?」

 何が起きた? と言いたげなキズクチ。その中を俺の指がずぶずぶ進む。

「名乗るのが、遅れたな」

 ずぶり、ずぶずぶ。暖かい。ぐりぐり、ぐりり。肉の感触。深く犯し、深くまで侵す五指。容易く人体を食い破るその五指を己の武器に先制攻撃。

「御影十郎。お前と同じ近接戦闘主体の第壱種(だいいっしゅ)に分類される異端者だ」

 右手を凶器に、瞳に狂気を讃え、己の有り方を告げると同時に抜き放った相棒、刃渡り十五センチほどのコンバットナイフをキズクチの右脇腹に滑る様に潜り込ませた。


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