第一章 冷蔵庫は真夏の我が家で俺に絶望を突き付ける
……真夏日……高温、多湿……一言で言って――蒸し暑い。
そんな暑さと言う圧倒的な敵の戦力に対する我が軍の味方は扇風機一台、ゴミ捨て場出身の頼れるナイスガイだ。……そのちょっと薄汚れた叩き上げのナイスなガイは、ガンホー! ガンホー! とか叫ぶ代わりに、ぶぉーん、と唸りながら生暖かい空気を掻き混ぜている。
戦況辿るは悪化の一途、最早我が軍に戦力はありません少尉っ! ――……みたいな寝苦しい環境の中、皮製のソファーと言うこれまた寝苦しい寝場所で大人しく横になって居た俺の耳に先程まで聞こえなかった音が届いた。
薄目を開け、カーテンの隙間から外を覗く。
真夏の力強い太陽光。
時刻は――分からないが、恐らく朝と昼の間。
先日夏休みと言われるものに突入した学生諸君の中には未だ眠っている者も居るだろうと言う様な時刻。
ベリっ、と音。寝汗を掻いたせいでソファーと嫌な感じに密着していた右腕を剥がし、音源をさぐる。
聞こえてきた音は何のことは無い。聴き慣れたメロディー、ケイタイの着メロだった。着メロから判断するにどうやら事務所の電話を転送したままにしてしまったらしい。
それにしても……ケイタイに、着メロ、ね。何でも略せば良いと思うなよ、ファッキンジャァ~ップ。
「……――ハイ、御影探偵事務所です」
と、くだらないことを考えながら、国籍がモロにジャップな俺、御影十郎は通話ボタンを押すのだった。
第一章 冷蔵庫は真夏の我が家で俺に絶望を突き付ける
大都市ではなく、そのベッドタウンでもなく、そして田舎と言う程寂れてはいないと言う個人的に『シティ・オブ・中途半端』の称号を捧げたくなる俺在住の倉坂市。
そんな倉坂市にしては比較的栄えている円町と言う町があり、そこには付近に生息する皆様の生活を支えている円町商店街がある。……や、昨今のデパート進出の煽りを受けちゃった感が有るけどちゃんと支えてるんです。一応。
で、その商店街には打ちっ放しのコンクリートで覆われた立方体の建築物がある。
築六年。三階建て。でも一階は半分くらい駐車スペース。楽に三台位停まる。でも俺は車持ってない。ママチャリが停まってるだけ。俗に言うキルスペース。多分リフォームの匠は真っ先に目を付ける。……話が逸れた。
まぁ、その建物の二、三階こそが俺の住処であり、残った一階のスペースが父さんから管理を任されている御影探偵事務所なのである。
「十~この事務所はお客に飲みものの一つも出さないの?」
そして、その事務所の先程まで俺が寝ていたソファーで足を組むのは、俺を起こした先程の電話相手にしてスーツ姿の大人の女性。
個人的には自称が抜けてる様な気がするが、そんな事は怖くて言えない眼鏡を掛けたお姉さん月島三和、二十○(ピー)歳。俺呼んで、三である。因みに○部分には八以上の数字が入るのである。
ショートカットにワインレッドのスーツ姿、そこそこ整った容姿から大人のおねーさんと言う言葉が似合いそうな美人さんだが、精神年齢がランドセル装備クラスなので敬う気が起きないナマモノだ。
「……十、何故だか突然お前を殴りたくなった。殴っても良い?」
「良いわけないだろうが」
言いながらノット百パーセントのオレンジジュースとストローを置いてやる。良い勘してるのは分かったから暴力に直結させるのは勘弁して欲しいのです。
「で、なんの用だ、三?」
オレンジジュースを飲みに来たとかほざいたら何かしてやる。こちとら万年財政難なのだ。オレンジジュース一杯だって結構なダメージなのだ。
「あぁ、うん、それなんだけどね~」
ぷすっ、と紙を突き破り取り出されるストロー、それを口に咥えてブラブラ揺らす二十代後半。行儀が悪いので止めなさい。
「分かってて訊くけどさ~十、今日仕事は?」
グダグダな口調での問い掛けに微妙に視線を逸らしつつ――
「……無い」
ポツリ、と返答。
分かってるなら訊かないで欲しい。この結論、言う方は結構虚しい気分に陥るのだ。特に来年には成人式を迎える様な年齢である俺が言うと。
ふっ、と吹かれストローから飛んでくる紙屑。部屋が汚れるので止めなさい。
「はぁ~やっぱね~前々から思ってたけどさ、アンタ探偵向いてないんじゃない? 顔に十字傷がある時点で堅気に見えないし……」
確かに俺の顔の中心には斜めに奔る傷が二本有り、それが中心で交差しているが――
その傷の一つをつけた人が言う台詞か?
「(……余計なお世話だ国の犬)」
腹が立ったので、視線を逸らしてぼそりと小声。
「ん~何? 国家権力に喧嘩売るの? お姉ちゃん、十のそう言う所が大っ好きだな~」
よしっ! 逮捕しちゃうぞ~、と張り切る警察官と言う立場の国家権力保持所。あの小声が聞こえたらしい。自分に関わって無かったら良い耳だと褒め称えたい聴力である。
「コホン。で、その向いてない探偵の元になんの御用ですか? 月島刑事?」
このままでは俺が危ういので咳払いを軽く一つ。
話を逸らし、けれども筋は戻す。
「あぁ、うん。最後に得た収入がイベントのテント設営と言う探偵と言うよりは何でも屋の十に仕事を持ってきてあげました~ハイ、慈愛に満ちたお姉ちゃんに感謝~」
パチパチパチ~と楽しそうに一人で拍手。……余計なお世話だこの野郎。
「そうか、それはありがたい。ジュース飲んで帰れ」
そんな楽しそうな三に、しっしっと手を振り帰れの動作。三の持ってきた仕事を請ける気は俺には無いのだ。
「えぇ~何でよ、ダメ探偵? 今日の晩御飯もモヤシで良いの~? お肉食べたくないの~?」
「……」
待て。先程のテントと言い、お前は我が家の財政をどれだけ知っている? まさか始終監視されているのか、俺は?
「良いから帰れ。お前が持って来たってだけで断るには十分な理由になる」
軽い恐怖に見舞われたが御影十郎は男の子なのだ。生憎、夕飯が知られたくらいで国家権力に向って振る尻尾は持っていません。
「っはぁ~そっか~確かに十が嫌がる方の仕事だけど唯の人捜しなのにな~全っ然、危なくないのにな~」
「知らん、帰れ、出勤しろ」
そして出来れば殉職しろ。
「そんな簡単な仕事でコレだけなのににゃーっ、ちょーっと捜してくれるだけでオッケーなのににゃーっ!」
グダグダ、グデグデ。駄目な大人が現れた。コマンド選択『関わらない』。
「にゃー言うな。知らん、帰――」
三の手の中でヒラヒラ揺れる小切手と言う固有名詞を持つモノに視線が釘付けになる。ゼロが、一、二、三、四、五……六。
「…………あぅ」
それだけ有れば余裕で半年は生きれるよ、俺。
人捜しするだけで、この金額。
「……………――」
暫し黙考。そして結論。
「大好きな三お姉ちゃん、ボク、その仕事請けるよ!」
キラキラを飛ばして良い笑顔。
御影十郎は男の子なので国家権力にふる尻尾は持ってないが、尊敬する人、特に福沢さんちの諭吉くんに振る尻尾は持っているのです。わんわん。
「あら、良い子。それじゃ十、キズクチって知ってる?」
「あ~……不死身の食人鬼?」
傷口では無く、キズクチ。勿論知っている、有名人も良い所だ。良い意味ではなく悪い意味で。
それは表では報道されない様な事件を起こす一人の男。
世界の裏、闇、暗部、そこに息づく俺や三の同類、異端者と呼ばれる者の一人。
この世には大多数から外れた者達が居る。
それは常人には無い血脈を持った者。
それは常人には無い知識を持った者。
それは常人には無い技術を持った者。
それが異端者と呼ばれる者。
そしてキズクチはそんな異端者の中でも特にイカレていると評判の男だ。
共食い、カニバル、人肉喰らい。
それは少なくとも現代では禁忌とされる行為。それを平然と、むしろ好んで行う者。
正直、隣には引っ越して来て欲しくない男ナンバーワンである。引越し蕎麦持って来られても迷惑です。
「で、そいつがどうかしたん? 三の部署で追いかけてん?」
ご愁傷様、と手を合わせる。あ、今月は香典が出せないので葬式には呼ばないで下さい。
「無茶言わないで。幾らウチの部署がそう言うの専門に立ち上げられたって言っても差が有り過ぎるわよ、兵団ですら諦めたのよ?」
「ほ~兵団がねぇ~」
それは凄い。
異端審問兵団。通称、兵団。
魔女狩りの頃から西洋に本部を置き、『正義』の名を掲げるチンピラ組織の皆さんだ。得意技は袋叩きで、注目すべきは少年漫画の主人公並みの諦めの悪さ。
そんな兵団が諦めるとは……流石は隣に引っ越して来て欲しくない男ナンバーワン。
「そ、百年位前に諦めたらしいわ~」
ぐでーっ。やってらんねぇ~、と言った感じで三がソファーに体重を預け天井を見る。このお姉さんは万が一見つけたらそのバケモノと戦わなければ成らないのだ。職務上。
「大変ですね~」
一方、俺にそんな義務は無い。日々の暮らしに苦労する代わりに手に入れた自由だ。
「ホントよ~そんなんがやって来てんのよ~この国に~この町に~」
「マジで大変ですね~。で、それがさっきの話と何の関係が?」
「十」
ずずーっ、オレンジ色が白いストローを通過して三の口へ。……へい、まいしすたぁー何故一気に飲み干した?
「頑張ってね!」
「は?」
何、その輝く笑顔?
「頑張ってね! 頑張ってね!」
「え?」
何で繰り返すの? ボクは何を頑張るの、三お姉ちゃん?
「頑張ってね! 頑張ってね! 頑張ってね!」
「いや、あの。だから――」
「頑張ってね! 頑張ってね! 頑張ってね! 頑張ってね! 頑張ってね! 頑――」
「う、うん?」
疑問系交じりの返事。返した瞬間、大後悔時代に突入した。
今、光った。目が光った。そして、三日月形に歪められた口からは『馬鹿め!』見たいな言葉が聞こえた。
「じゃ、宜しくコレ追跡対象の資料ね!」
投げられる茶封筒、開く茶封筒、飛び出す写真が数枚。
「……」
スプラッターだった。グロかった。殺人現場の写真だった。
人型、明らかな人間の形をしながらも身体中に噛み傷を刻む事で人では無くなった死体。恐怖より先に嫌悪感。
食っていたならば朝食が『もう一度外に出たい』と主張しだすそんな写真。誰かに食われて死んだ者の写真。
さて御影十郎よ、少し落ち着いて考えてみようか。
三はターゲットの資料と言って投げて寄越した。
三はその前に不死身の食人鬼と呼ばれるキズクチに付いて話していた。
繋がる回路、光る電灯。
「あの……もしかしてターゲットはキズクチだったりしますでせうか?」
「ん~?」
「……」
「えへ!」
びっ、と立てられる親指に可愛らしく出される舌、ばちこーんとウインク。
要約すると『当ったりぃ~、頑張ってね! 後、今月ピンチで香典出ないから葬式には呼ばないでね!』と、なる。
「ちょ! 待て。待った。待ちましょう。待って下さい!」
冗談では無い。誰が受けるかこんな仕事。下手したら死ぬ、喰われて死ぬ。
「あっれー何か携帯が震えだしたぞぅ?」
「コラ、棒読みで行き成り何を言い出してやがる!」
お前のケータイはピクリともしてない。
「はぁーい、月島です。何? はぁ、分かりました!」
「俺はさっぱり分からない、会話をしようよ!」
後、せめてその折りたたみケータイを開いて話せ。折ったまま話すな。
「事件は会議室で起きてるんじゃない! 三丁目で起きてるんだっ!」
「……踊る?」
微妙なアレンジを加えるな! と、言うか――
「待て! コラ、何をダッシュしてやがる! 本当に待てっ――」
伸ばした右手は何も掴まず、虚空に漂う。その先には――
閉まった扉。三は食い逃げ犯も裸足で逃げ出すダッシュ力を披露しつつ実に軽やかにさっさと退室したのだった。
「……」
机の上の写真を見てみる。死体。喰われた死体。食い千切られた死体。柔らかそうな部分を刃物で切り取られた死体。
このままこの仕事を請けたとすると――
「うぅ」
背筋に、悪寒。
同じ様な姿になった自分が容易く想像できた。
「……無理だ」
茶封筒、写真。二つ纏めてゴミ箱へ。
今日の来客は何時も通りにゼロ。未だ誰も来ていないので昨日の時点で無かった茶封筒はこの部屋に存在しないのだ。
「さぁ~て、とっ! 朝飯食って今日も一日頑張るべ!」
気合を入れて冷蔵庫を開ける。さぁ、新しい朝に乾杯だ!
「………………………何も、無い」
新しい朝は思った以上に切なかった。
■□■□■□
デニム生地の長ズボン、黒い半袖のTシャツの上からやや大きめの半袖アロハを羽織り、Tシャツとアロハの間に相棒を仕込んだ俺は、アホ程暑い時間帯にアホ程熱いアスファルトの上を歩いていた。
「はぁ、帽子もかぶって来るんだった……」
時刻は十二時、降り注ぐ太陽光がもっともパワーアップする時間帯。そんな中、俺は愚痴りながらも移動を続ける、仕事の為だ。
三の残した資料には当然事件の場所も書かれていた。警察の皆さんが散々捜査をしたであろう事は分かりきっているが、一応、自分の目でも……と、思い立った結果だ。
「と、言うか……俺を駆り出すなよ、国家権力。捜査位自分達でやれってんだ」
無理か? 無理だろうな。言った言葉を即否定。発見される=死亡確定、の任務に人員は裂けるわけが無い。なんといっても三の部署は新設で所属している異端者の質は低く、量は少ないんだから。
三が俺に依頼してきたのも少し納得出来る。……でも俺も発見されると半分位の確率で死んじゃうんですけど、その辺はどうなんでしょう、月島刑事?
「三に優しさを求めるのは無駄か……」
哀しい結論に、溜息。そんなわけで俺が向う先は駅前、市内で言うならば一番規模が大きい駅、倉坂駅。その道中――
「にしても、あっちぃな~どチクショウ」
汗を拭いながら、取り敢えず再度現状を一言で表してみた。
灼熱の太陽光、燃え盛る太陽光、兎に角暑いぞ太陽光。いっそ滅べ太陽。
容赦なく降り注ぐ真夏の熱。それに合わせる様に大合唱を降り注ぐチケット入らずの夏限定の合唱団、これで有料だったら間違いなく根絶やしにしているよ、蝉。
そんなイライラボルテージ急上昇の中、むわっ、と言う感じの風が吹く。
重く、湿度を含んだソレが俺から歩く気力とついでに生きる気力まで奪っていく。――あぁ、死にたい。氷漬けで。
「っだぁ~う」
押し付けられた様な仕事など放置しても良い様な気がするが……。
「貧乏金無し、かぁ~」
暑さで逝かれ、微妙に間違った諺を叩き出す頭。そして、そんな頭でも忘れられない哀しい事実。
小切手が頭をよぎる、空っぽの冷蔵庫もよぎる。
人間は水と塩で一週間は生きられるらしい。つまりこのまま行けば俺は八日後には死んでしまうのだ。キズクチに出会わなくても。……氷漬けで死ぬのはオッケーでも餓死はノッケーです。あ、ノッケーはノーオッケーと言う俺の造語です。今思い付きました。
「っはぁ~まだ、死にたくは無いなぁ~」
ネガティブを口から吐き出し、トボトボ歩く。でも、吐き出した傍から内より湧き出てくるのでネガティブオーラは薄まらない。
「……」
いや、落ち着け十郎、ポジティブに行こう十郎。三は言ったのだ。『人捜し』と。
つまり見つけるだけで良いのだ。戦闘行為に発展させないで良いのだ。見付けて逃げて金を得る。キャッチ&リリースならぬファインド、エスケープ&マネーゲットだ。多分違う。
「まぁ、逃げるだけなら……何とか成る」
ハズ。成って下さい、何とか。
年に数回程信仰する神様に祈りつつ、右手の甲で額の汗を拭う。汗でべたつく手、率直に言って気持ち悪いし、喉も渇いた。朝に飲んだ水道水はこの暑さによりとっくに汗と化して体外に旅立ってしまったらしい。
カラカラに乾き、妙に粘つく口内。
「……」
決心。今日の晩飯、明日の朝飯と昼飯と晩飯、明後日の朝飯と昼飯と晩飯――と、言うか収入が入るまでの食事は仕事を請けた事を盾に三にたかろう。
恐ろしいまでに軽く、それでいて分厚い財布を手に取る。
あぁ、この厚さが諭吉くんによるものなら俺は悪魔と契約しても良い。……だが残念な事にこの中身は主にレシートだ。
折りたたまれたそれを開き、小銭入れを覗く五十円玉一枚と十円玉四枚に五円玉二枚そして一円玉が四枚、合計百四円。俺の全財産。
ユラリ、と視界を動かせば二十四時間年中無休で営業するワーカーホリックな店。
コンビニエンスストア、略してコンビニ。
「ったく、何でも略せば良いと思うなよ、ジャップめ」
……ん? 微妙にデジャヴ?
軽く首を傾げつつ自動ドアをくぐり中に。
冷えた空気が流れ、汗が一気に冷え、心地の良い悪寒と言うやや矛盾したモノが背中を奔る。そう、ここはやる気の無さそうなバイトくんがやる気の無い声で迎えるクーラー天国。
雑誌立ち読み中の高校生二人の背後を通り抜け、ドリンクコーナーへ。
見る、値札を。
思い返す、さっき見た財布の中身を。
所持金の範囲内で買え、且つ、量の多い物を模索。
百五十円、却下。百二十円、哀しいけど……却下。
「あ~これで良いや」
寧ろ条件に合うのコレしかねぇや。
九十八円のお得なブツ。一リットル入りの麦茶を手に取り、そのままレジに。
「袋入れますか?」
「あ、良いッス。ストローも良いッス」
言って、財布を引っ繰り返し、小銭をばら撒く。その中から五円玉と一円玉を一枚ずつ拾い上げる。
喰らえバイトくん、俺の全財産の五十四分の四十九をっ! そして哀れみの目で見るな、切ないから。
レシートをこれ以上集めても虚しいのだが、帳簿付ける為に必要なのでレジ太くんが吐き出した長方形の紙を財布に押し込み立ち去る。
「あざっしたぁ~」
入店時同様のやる気ナッシンな声に送られ――やって来ました灼熱地獄。
「うばぁ~すげぇ気だぁ~」
これこれ、アスファルトや。バトル漫画の主人公じゃないんだから気っぽいものを放出するのは止めなさい。景色が歪んで見えてるから。
「……立ち読みでもすれば良かった」
本来の目的などすっかり忘れ、そんな考えが頭を過ぎる。
でも、そうも言ってられない。
残りの全財産は六円なのだ。
三にたかる以上、それなりの努力した形跡を見せておいた方が良い。三も鬼では無いので見殺しにはしないが、成果が無いとあの女は食パンの耳しかくれないのだ。
パサパサの食感を感じながらジャムを要求した三ヶ月前の悪夢がソレを物語っている。
そしてジャムが貰えなかった以上、呑気に休憩している暇は無い。無い、のだが――
「あぅ~日陰~」
身体は流れる、楽な方へ。
心は向う、駅へ。
その折中案として俺が叩き出したのは――
やや遠回りになろうとも日陰を通って行っても良いだろう。
そんな案だった。
■□■□■□
俺の家から倉坂駅に向うには大きく分けて二つのルートがある。
一つは最短距離を行く方法。
坂を上り、そして直に下ると言う理不尽を味わいながら進む方法。
大通りを行けば良いので先ず迷う心配は無いのだが、涼める様な場所は無く、精々道路わきに植えられた広葉樹が斑な日陰を作っている程度だ。
で、もう一つが澄森公園通過ルート。
最短ルートの際に上り下りした場所を大きく迂回し、澄森公園の中を横切る方法だ。
このルートの最大の利点は日陰の多さだろう。澄森公園には結構な幅と長さを誇る地元民に好評なレンガ造りの遊歩道がある。
この、掃除する人に大変不評な遊歩道には両側に結構な樹齢の木が植えられており、何て言うかメルヘン(?)を醸し出すなら木のトンネルみたいに成っていて結構涼しいのだ。
先程まで俺が進んでいた道は坂越えコース。さっさと行って、さっさとそれなりの仕事をしてさっさと帰ろうと言う過去の自分の思惑が見え隠れする選択だったが――
御影十郎は心を入れ替えました。
ゆとりは大事です。
例えどっかの国が教育にソレを取り入れて、その結果、学力低下とやらを招き慌てる原因になってもゆとりは大事なのです。
例えば道に咲く花を綺麗だと思ったり、日陰を涼しいと感じたり、池を見て涼しいと思ったり、風鈴の音色を聞いて涼しさを連想する。
荒んだ現代とこう言った猛暑にはそんな心のゆとりと涼しさが大事なのですよ。
と、言う分けでルートを変更。
このクソ暑い時期、日陰を欲しないヘンタイさんはそうそう居ないのだ。
先程購入したパック麦茶をブラブラ揺らしながら、角を右へ。大通りを外れ、住宅街の中を突っ切って目指すは澄森公園。目指すは日陰。
暫定とは言え、目的地がやたら交通量が多くて暑苦しい倉坂駅から日陰溢れる澄森公園に変わった事により高まる胸、上がるテンション。
あぁ、心の持ち様一つで人の足取りはここまで軽くなるのか。もう、なんか、何ならスキップの一つでもかましながら行きましょうか? 位の軽い足取り。
「うを!」
そんな俺の気分をぶち壊し、思わず奇声を挙げさせる不審物が行く手を遮っていた。
「……」
白かった。
ホワイトだった。
「…………」
人間だった。
ヒューマンだった。
「………………」
和服だった。
KIMONOだった。
や、俺だった馬鹿じゃない。遅まきながら思考は現実に追い付き現状を把握しだしている。
先ずは色、先程も言ったが全体的に白。アスファルトの濁った色に良く栄える白。美麗且つ豪奢な刺繍が施されながらもその地の色を殺す事無い純白の着物。
そしてその着物とはまた異なった白。目測ながらソイツの腰の辺りまで有りそうな長い髪。年老いて白くなった訳では無いだろう、そいつの髪はまっさらな雪原を連想させるような綺麗な白だった。
性別は……苦しそうに目を瞑った横顔から判断するに女、これで男だったら少しショックな整った容貌の少女。年の頃は俺より年下と判断して中学生か高校生位の少女。
その少女はぶっ倒れていた、道路のど真ん中で。水溜りのど真ん中で。
まぁ、彼女が何か持病を持っていないのならば周囲の状況――陽炎を立ち上らせるアスファルトや、テンション高めの蝉達、そして汗だくの俺、と言ったものから判断するに暑さにやられたと考えるのが妥当だろう。
「……」
少女を見て。
「……」
手の中のほぼ全財産と引き換えに手に入れたブツを見る。
水分補給は大切らしい。
こう言った熱中症などの場合は特に大切らしい。水分補給。
「……はぁ~」
流石にこのまま放置はしておけない。
今日の夜にニュースで『女子高生、路上で死亡! 熱中症のまま数時間放置される!』とか言うタイトルと共に、昨今のご近所への無関心ぶりが議論されたりしたらもう――
「うん。普通に寝覚め悪い」
仕方が無い。
情けは人の為に成らずだ。さっさと一周して帰って来いよ、俺の情け。
「……飲むか?」
近付き、しゃがみ、白い少女に語りかけながら冷えた麦茶を差し出した所――
「――……貰……お……ぅ……」
ソイツはB級ホラーのゾンビの様な動きで白い腕を伸ばして麦茶を受け取ったのだった。