始まりは夢(2)
別れは思ったよりも淡白なもので。
広場に着くと三葉が心配そうに母親の顔色を見ている。三葉がこの町を去る理由は母親の療養の為なのだ。笑顔で神穂に挨拶をしながらも顔色は青白く、つらそうで
「よっちゃん、馬車は?」
早く座らせて楽にした方が良いだろうと、三葉の母親が持っていたトランクを代わりに持ってあたりを見回す。昼過ぎの町は子供達が鬼ごっこをしていたり、大人達がせっせと一日の仕事をしていた。そのようないつも通りの穏やかな通りに馬の姿が見えないので恐らくまだ来ていないのか到着場所がここではないのだろうか
「町の外れまでしか来れないらしくて、そこまで歩いていかないといけないの」
どうやら後者だったらしい、と神穂は三葉の指差した先にある遠くの廃墟を見る。ずっと昔からある誰も住んでいない寂れた屋敷、子供達の間では幽霊屋敷として誰も近づかない場所である。馬車はどうやらそこに着くようだ。
「そっか、それじゃあそこまでお見送りするよ」
「そうだねー誰かさんのせいで大分馬車も待たせてるし」
返す言葉もない、と神穂は苦笑いをして三葉と三葉に支えられて歩く母親の後を着いて行った。
外れまではそこまで遠くなく、10分ほど歩いて寂れた屋敷の前に止まる馬車までたどり着く事が出来た。
「お母さん先に座ってて」
「そうするわね…神穂ちゃん、ごめんなさいね挨拶もちゃんと出来ないで」
「いえ、長期の休みになったら遊びに行きますね」
「ふふ、それは楽しみねえ。美味しい料理を作って待ってるわ…げほっごほっ」
「あぁもうお母さん早く入って」
咳き込みながらゆっくりと馬車に乗り込む母親を心配そうに見ながら三葉はそっと息をつく。前からあまり体が丈夫ではなかった母親が最近になって外に出ると咳き込み、床に臥せる事が多くなってからは二人暮らしである三葉は色々大変だったのだろう。
「多分、向こうに行ったらお母さんも外に出る事が出来ると思うんだけど…」
「あぁそっか原因分かってないんだよね」
三葉が多分、という通り三葉の母親が何故最近になって具合が悪化したのか医者も分かっていないのだ。
ため息を吐きながら三葉は遠くに見える大きな建物を睨みつけた。彼女の母が体調を崩した原因だと思われる建物。厳密に言えばその建物から出ている黒煙、だろうか
半年前にいきなり建てられた灰色の長方形の建物は中で何をしているのかも分かっていない。ただ一つある煙突から出てくる煙で町の人々の間で体調不良を訴える者が増えたのだ。それを不振に思った男達はその建物にある日向かったが帰ってこなかった。その日以来建物に近寄るものは無くただ黒煙が上がると子供達を親は家の中に入れさせた。
「…さーてと。じゃあ行くね、馬車の人を待たせるのも悪いし」
「そうだね」
別れを惜しんで泣く事も無く、ただいつも通り『また明日』という雰囲気の別れ。でもそれが私達らしいとお互い笑い合う。
「じゃあね」
「うん。じゃあね」
町から離れてどんどん遠くに向かう馬車を神穂は見えなくなるまでずっと見送った。
「どうしようかな」
そうして馬車が見えなくなってから、神穂はこれから何をしようか考えた。家に帰って宿題でもしようか、それとも隣のおばさんの畑を手伝いに行くのも良いかもしれない。何にしてもとりあえず町に戻ろう、と神穂は足を町の入り口に向けた。
そして
『「助けて……!」』
「え?」
廃墟から聞こえてきた激しい金属音と、どこかで聞いたような助けを求める声に立ち止まった。子供がふざけて廃墟に入ったけれど怖くて動けなくなったのだろうか、と考えたがキィンキィンと響く金属音は止む事無く明らかな異変に神穂は恐る恐る廃墟の扉に近づいた。
鳴り止まない金属音と
何かが激しく動き回っている音に
「おじゃましまーす…?」
そっと扉を押して、廃墟の中へと入って行った
否、入って行こうとした。
「わー避けて!」
「は?……痛っ!!??」
ドンッと正面から衝撃。そのまま背中から倒れてしまい、神穂が廃墟に入る事は無かった。チカチカと目の前に星が散る感覚。何が起こったのか理解出来ずに倒れたままでいると上に乗るようにして倒れていた人が慌てて起き上がる気配がした。
「ごめんなさい大丈夫ですか!?」
サラリと短い色素の薄い髪が揺れる。神穂よりも少し小さい体で動き回ったのかところどころ黒く汚れてしまっているワンピースを着ている少女。その少女がまるで空のように蒼い瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいた。そのあまりにも綺麗なその瞳に息をのみ見入ってしまう。そして同じように相手も何かに気づいたように目を見開いて神穂を見た。
「あなた…」
『ガガガガガガガガガ』
少女が口を開いて何かを言おうとすると、少女が飛び出してきた扉から耳障りな音が聞こえてきた。そして暗闇の向こうから現れたモノに神穂は絶句することになった
「なに、あれ」
『ガガガガガガ!ガガガガガガ』
銀色に光る小さな物体。重力を無視したように浮き、両脇に手のようなものが生えている。何とも説明が出来ないその姿にただ感じたのは恐怖。あれは異質なもので私達に害をなそうとしているということだけは確かだと、そう感じたのだ。
「まだ壊しきれてなかったか!」
少女は神穂の上から飛び退き、物体と対峙する。両手には木で作られた太い棒。トンファーと呼ばれるもの。そのまま突っ込もうとする少女に神穂は慌てて止めようとするが既に遅く、少女はトンファーを振り回して物体に向かって走り
「くらえ!スマーッシュ!」
「いやそれ蹴りじゃない!?」
両手に持ったトンファーを振り回したまま、ワンピースから伸びる白い右足を少女にとっては全力だろうが蹴られても大して痛くなさそうな威力で物体にぶつけた。固そうな物体にそのようなものは効くはずもなく、逆に少女が痛がって足をおさえている。先ほどまでの緊迫した雰囲気が一気に霧散する。神穂はつい少女に突っ込む為に大声で叫んでしまった、と物体がクルリと回転する
見られた
目などどこにもないが神穂は確かにそう感じた。
『ガガガガ』
物体から発せられる音は耳に強く響き、思わず耳をおさえる。不快な音が響き渡り、物体の近くにいた少女もうずくまって耳をおさえている。物体が両手を大きく振り回し少女に向かおうとするのが見えた。危ない、このままでは!神穂は近くにあった棒を掴んだ
「っ!」
少女は目の前まで迫ってきていた物体に強く目を閉じ、衝撃に耐えようとして
カァーーーーーン
「っはぁ、はぁ、だい、じょうぶ?」
響くかわいた音に目を開くと、間一髪と棒を持って走ってきた神穂が先ほどとは反対に心配そうに覗き込む視線と目が合った。
一方神穂はジンジンとしびれる手に予想以上に固い物体を飛ばした方向を見た。煙をあげて横たわる物体。あれは何なのだろう、この少女は誰なのだろう。いきなり怒濤のように起きた非日常な出来事に、体の力が抜けるのを感じ近くで驚いたような声を聞きながら意識を手放した。