夏の定番番組といえば怪談。今でこそ少なくなったが、昔は終戦記念日前後には、ドキュメンタリーだけでなく怪談話も戦争に関わる番組は欠かせなかった。
三重県津市で潮干狩りを楽しむなら、料金無料で利用できる「御殿場海岸」が圧倒的な人気スポットです。
遠浅の美しい海岸線が続き、アサリやハマグリ、バカ貝、マテ貝など様々な種類の貝が採れます。なお、同じ津市内の香良洲海岸は現在全面禁止となっているため注意してください。
さてここ津市では、三重県津市には、悲しい歴史的事件の現場や、メディアで広く取り上げられる有名な心霊噂のスポットが複数存在します。
中河原海岸
津市高洲町に位置する中河原海岸は、三重県内でも特に有名な場所です。
背景:1955年(昭和30年)7月28日、地元の女子中学生36名が遊泳訓練中に溺死するという極めて凄惨な「橋北中学校水難事件」が発生しました。
噂:九死に一生を得た生徒の証言として「防空頭巾を被った大勢の女性が海から現れ、足を引っ張られた」という怪談が当時大きく報道され、現在も「海の底から手が伸びてくる」といった噂が囁かれています。危険な場所への配慮:中河原海岸は現在も遊泳禁止となっており、地形的に激しい「離岸流」が発生しやすい危険な海域です。冷やかしでの夜間の立ち入りは安全面からも推奨されません。海水浴シーズンまっさかり。夏休みを取って海に遊びに行く方も多いと思うが、海岸には思わぬ危険も潜んでいる。今からちょうど59年前、戦争の傷跡も覚めやらない頃に日本で実際にあった、背筋が寒くなる事件を紹介しよう。
海水浴シーズンまっさかり。夏休みを取って海に遊びに行く方も多いと思うが、海岸には思わぬ危険が潜んでいる。50年以上前、戦争の傷跡も覚めやらない頃に日本で実際にあった痛ましい事故を紹介しよう。
1955年7月28日、三重県津市の中河原海岸は海水浴には絶好の日だった。同市の橋北中学校では例年通り、夏の水泳講習を実施していたところ、女子生徒36人の命が一瞬にして失われるという痛ましい事件が発生。この日は全学年600人以上が参加していたが女子グループの43人が高波にさらわれた。7人は意識が回復したが36人が帰らぬ人となった。当時の新聞記事を引こう。
遭難者の大半は一年生の女生徒で最後の能力テストのため各班ごとに海へ入っていたもの。遭難者は泳げない組で岸から約10メートルのところでジャブジャブやっていたところ、突然高波が襲いかかり、足を波に奪われてあわてて救いを求め、先生の身体にしがみつくもの、手をあげて沈んでゆくものでしゅら場となり、他の組で泳いでいた先生もかけつけて次々に救い上げた。
(朝日新聞1955年7月28日夕刊「女生徒36名絶望か 津市 水泳講習中おぼる」)
岸からわずか10メートルの場所で起きた凄惨な事件だった。事故原因は未だにはっきりしていないが、生存者の女生徒から事故当時から「海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来た」という声があった。
事故10年前の1945年7月28日には津市への米軍の空襲があったことから、戦争当時の被災者の霊の仕業ではないかという声が地元ではささやかれていたという。
生存者の女生徒の一人が、やっとショックから立ち直った1963年、女性誌に以下のような手記を寄せている。
「弘子ちゃん、あれを見て!」私のすぐそばを泳いでいた同級生のSさんが、とつぜん私の右腕にしがみつくと、沖をじっと見つめたまま、真っ青になって、わなわなとふるえています。その指さすほうをふりかえって、私も思わず、「あっ!」と叫んでSさんの体にしがみついていました。
私たちがいる場所から、20~30メートル沖のほうで泳いでいた友だちが一人一人、吸いこまれるように、波間に姿を消していくのです。すると、水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくるではありませんか。私とSさんは、ハッと息をのみながらも、その正体をじっと見つめました。
黒いかたまりは、まちがいなく何十人という女の姿です。しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいておりました。夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした。
(女性自身1963年7月22日号「恐怖の手記シリーズ(3) 私は死霊の手からのがれたが... ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」)
一説には遠浅の海岸に発生しやすい「離岸流」という自然現象が事故原因になったのではないかと言われている。中河原海岸は遠浅だが、付近の安濃川から水が流れ込むことによってできた深みが数カ所あった。事故が起きた時間は満潮に近くなっていたため、浅瀬から深みに向かって一気に水が流れたのではないかとも言われている。女生徒が見たのは、戦争のトラウマが見せた幻だったのか、それとも......。
現在も中河原海岸の一帯は泳ぐ人も少ないという。津市役所によると、「中河原海岸は遊泳禁止とはしていませんが、海水浴場という指定もしていないので、あまり人が泳がないエリアとなっています」と話している。
今でこそ少なくなったが、昔は終戦記念日前後には、ドキュメンタリーだけでなく怪談話も戦争に関わる番組は欠かせなかった。特に空襲で死んだ人が、当時の姿で現れるという物語は定型のように語られた。今でも心霊スポットなどをめぐる番組で、兵士や防空頭巾姿の霊を見た、という話は残っている。
本書は64年前に起こった海難事故を、原因や責任、後に起こった怪談話までを包括的に調べ上げたルポルタージュである。
昭和30年7月28日午前10時ごろ、三重県津市の中河原海岸では、市立橋北中学校の生徒約400人が参加する水泳の授業が行われていた。天気は快晴、風も波も穏やかで朝から太陽が照り付ける絶好の海水浴日和であった。橋北中学校は市内の他の中学校と同様、学校行事の一つとして夏季に水泳訓練を海で実施してきた。学校にプールが普及するずっと以前の話で、遠浅の海を沖に向かって40メートルほどまでを訓練場所として指定していた。
この訓練の準備のため、担当教師は水泳部の生徒何人かとあらかじめ海に入り、限界地点を示す目印の竿を立てている。その折、部員から「満ち潮の流れとは違った流れがある」という報告を受けたが、大きな支障が出るとは思われず訓練は実施された。
参加者は男子204名、女子197名、合計401名。引率教員は校長をはじめとして19名。この日は訓練の最終日であり、テストが予定されていた。男女別れた場所で海に入り訓練を行う前に注意があった。続いてテスト前の体慣らしとして10分ほどの入水が指示され、一斉に海に入る。
そのわずか数分後、突然女子生徒たちが溺れだした。その数、約半数の100名ほどが底の流れに引き込まれ、旗の外に流された。足も立たず浮かび上がることもできない。助かった者の中には大きな横波がやってきて流され始めたという証言もある。とにかく足をさらわれ、泳ぎの得意ではない女子が海の下の方へ引き込まれ深みに落ち込んだのだ。
教師や男子生徒たちの必死の救出にも拘らず、36名の死者を出す大惨事となった。死亡したのはすべて女子生徒。紙一重で助かっても、長く入院を余儀なくされる者もいた。
津市教育委員会の対応は早かった。弔慰金、治療費などはその日の夕方には決定し、マスコミでごった返す学校は水着姿のままの教員が対応していた。あまりに多い死亡者のため、火葬場が足らず、近隣の協力を求めなければならなかった。
すぐに犯人探しが始まり、すべては学校の「管理責任問題」となる。国会も翌29日には議題としてあがり、検事が業務上過失致死事件として取り調べを開始したと発言している。
さてここまでなら、大きな事故ではあるが、現在まで60年を超えて語り継がれることではないだろう。だが、ある少女の「防空頭巾をかぶった女性たちが海の底から現れて引っ張り込まれた」という証言がマスコミを席巻するのだ。
事故は終戦から10年が経ち、ようやく身も心も平穏を感じられるようになったころに起こった。また当時、大きな海難事故が続いていたという背景もある。人々の頭の中には、戦時中の記憶は鮮やかに残っている。この津市も大規模な爆撃があり多くの人が犠牲になっていた。彼らの御霊が水難事故を引き寄せた、と報道されれば人々の関心はさらに強くなる。
実際、中河原海岸水難事故は、怪談として長い間語り継がれることとなった。
その一端を担ったのが、本書の著者であった。フリーランスのライターであり、「現象的ゴーストハンター」という肩書で、地元の人に取材した記事を雑誌に書いた。しかし詳しく調べてみると、怪談や心霊現象などでこの事故を語ることに違和感を持つようになる。それなら徹底的に調べてみよう。幸いにも地元に住んでいることから、知人の紹介や子どものネットワークなどを使い、事実や証言を集め始めたのだ。
怪談として定着したのは、ある少女の証言を大々的に記事にしたことが発端だが、実は捏造に近い操作が行われていた。生存しているその元少女のインタビューは、一つの事実が捻じ曲げられ流布していく過程を明らかにしていく。その作られた不正な事実を、決定的にしたのは著名な作家が作り上げた物語であった。誤解を恐れずに言えば、民話や伝説はこうやって作られるのか、と現場を見たように思う。
犠牲になったのが女子ばかりというのにも、本書はフォーカスしている。いまだに残る女性差別は、当時もっと直接的に遺族に向けられたであろう。教師への責任問題は裁判となり、一審では有罪だったが、二審では無罪となる。損害賠償裁判は混乱を極め、判決が出たのは事故から11年も経ってからだ。
肝心な事故原因だが、「異常流」と「急激な水位の上昇」に関して明確な答えは出ていない。沿岸流説、副振動説、噴流説、蹴波説などが挙げられたが、現在では海岸線も大きく変わり決定的な結論は出ていない。ただ、年中行事であり生徒たちも毎日のように海で泳いでいる者ばかりだが、初めての体験であったと証言しているのをみると、非常に特殊な自然現象であったのだろう。
この8月11日、12日に千葉の勝浦では離岸流で40名余りが沖まで流され、館山では18~19歳の男性5人が流され、3人は自力で岸に戻ったが、2名は行方不明となり、後に死亡が確認された。同じような水難事故は毎年報告されている。
64年前の事故を、地道な調査の積みかさねて真相に近づいていく様子は、まさに「巻を措く能わず」で、夜を徹して読みふけってしまった。ノンフィクションの醍醐味を味わわせてもらった。




