彼に誰かができたと聞いた日
「……あのさ、知ってる?」
不意に名前を出されて、少しだけ心臓が跳ねた。
聞き慣れたその名前を、
今でもこんなふうに受け取る自分がいることに、少し驚く。
「彼、彼女できたらしいよ」
---
一瞬、何も考えられなかった。
ただ、その言葉だけが残る。
彼女ができた。
彼に。
---
「へえ」
それだけ返す。
ちゃんと、普通に聞こえただろうか。
---
頭の中が、少し遅れて動き出す。
誰なんだろう、とか。
どんな子なんだろう、とか。
考えなくてもいいことばかり、浮かんでくる。
---
「なんか、落ち着いた感じの子らしいよ」
友達は何気なく続ける。
その情報に、意味なんてないのに。
勝手に想像してしまう。
私より大人っぽいのかな、とか。
ちゃんとした子なんだろうな、とか。
---
胸の奥が、少しだけざわつく。
嫌だな、と思う。
この感じ。
もう終わったはずなのに。
---
「そっか」
それだけ言って、話を終わらせる。
これ以上聞いても、意味はない。
---
家に帰って、一人になる。
静かな部屋。
何も変わっていないはずなのに、
少しだけ空気が違う気がする。
---
スマホを手に取る。
開くつもりはなかったのに、
気づけば彼の名前を探している。
トーク画面は、そのまま残っている。
最後に送られてきた言葉も、そのまま。
『やっぱりお前がいい』
---
指が止まる。
あのときは、ちゃんと何も感じなかったのに。
今は少しだけ、重く見える。
---
「……そっか」
小さく呟く。
---
もう、違うんだ。
あの言葉を送ってきた彼は、
もういない。
---
新しい誰かに向けて、
新しい言葉を選んでいる。
---
少しだけ、胸が痛む。
悔しい、とかじゃない。
戻りたい、とも違う。
ただ——
自分の知らない時間の中で、
彼がちゃんと進んでいることが、
少しだけ寂しい。
---
同時に、思う。
よかった、とも。
---
もし、あのままだったら。
もし、あのとき戻っていたら。
きっとまた同じことを繰り返していた。
---
「……うん」
静かに頷く。
誰に向けたわけでもなく。
---
窓の外を見る。
夜は変わらず、静かで。
世界は何も変わっていない。
---
でも、確実に一つだけ終わった気がした。
---
彼が誰かを好きになったことで、
やっと、完全に過去になった。
---
少しだけ、息を吐く。
軽くなったような、
少し寂しいような。
---
この気持ちに名前をつけるなら、きっと——
---
「ちゃんと終われた」ってことなんだと思う。




