別れたのは今日じゃない
「別れよう」
その言葉は、思っていたよりもずっと軽かった。
もっと苦しくて、もっと泣いて、
やっとの思いで言うものだと思っていたのに。
実際は——
ただ、置くだけだった。
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「え?」
彼は一瞬だけ止まって、
それから少し笑った。
「なに急に。どうしたの?」
——急に。
私はその言葉を、心の中でなぞる。
この三ヶ月、何度も終わっていた。
言わなかっただけで、
ずっと、ここにいた。
「前から、考えてた」
それだけで十分だった。
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「俺、なんかした?」
その問いに、少しだけ息が止まる。
きっと彼は、本当にわかっていない。
「……ううん。何もしてないよ」
何もされなかった。
何も壊されなかった。
ただ少しずつ、
何もなくなっていっただけ。
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既読が遅くなった日。
会う約束が減った週末。
名前を呼ばれなくなった夜。
小さなことばかり。
でも、その全部に意味があった。
私はそれを拾って、悩んで、
何度もやめようとして、
それでも好きで、戻って。
そうやって、ここまで来た。
でもきっと彼の中では、
全部“何もない日”。
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「急すぎない?」
彼は少しだけ強い声で言った。
急じゃないよ。
私はずっと、ここにいた。
あなたが気づかなかっただけで。
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「ごめんね」
そう言うと、彼はため息をつく。
「……なんかさ、冷静じゃなくない?」
その言葉に、もう何も揺れない。
「あ、終わってるんだ」
やっと、はっきりわかる。
「冷静だよ」
むしろ、やっと。
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席を立つ。
氷はもう、ほとんど溶けていた。
「じゃあね」
振り返らない。
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夜。
スマホが光る。
『さっきはごめん。ちゃんと話そう』
既読はつけない。
もう話すことはないから。
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翌日。
『やっぱ俺、ちゃんと向き合えてなかったかも』
三日後。
『会えない?』
一週間後。
『なんかさ、急に寂しくなった』
遅い、と思う。
でも、責める気もない。
たぶん彼の中では、今が“始まり”だから。
失って、やっと考えて、
やっと気づいて。
でも私は——
気づく時間も、悩む時間も、
全部もう終わってる。
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『やっぱりお前がいい』
その一文を最後に、通知をオフにした。
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新しい服を着て、少し遠くの街を歩く。
隣に誰もいなくても、前より軽い。
同じ恋だったはずなのに、
終わるタイミングだけが、こんなにも違った。
彼はきっと、まだ続いている。
私は、もういない。
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だからこれは、
今日の話じゃない。
ずっと前に終わっていた恋を、
今日、言葉にしただけ。
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——数ヶ月後。
人混みの向こうに、見覚えのある背中を見つける。
気づかないふりをして、すれ違う。
それでいいと思った。
もう、同じ時間にはいないから。




