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Ⅲ.ホンキィトンクパーティー 1


 終業式の後、瑞希は渋るリコを連れて《にしき荘》へと向かった。


 途中のコンビニでお菓子を物色する。明らかに気の進まないリコは、それでも瑞希の言いなりになってカゴを持たされていた。瑞希は努めて明るく、「あ、これ新製品だ」とか、


「テレビのCMで見たヤツだ」とか「やっぱり定番はコレだよねぇ」などと言いながら次々カゴに放り込んで行く。


「あの、瑞希」


 リコは戸惑いながら、


「よそうよ。きっと先輩は私たちのこと歓迎しないよ」

「んー、そうだね、甘いものに偏っているかな」

「もうこんなことやめようよ」

「ポテチは塩味ね。それともBBQ?」

「瑞希、だからよそう」

「わかった。両方ね。あ、ついでにチーズコンソメ味もいい?」

「・・・」 


 会計を済ませて店を出る。二人とも鞄のほかに中身の詰まったビニール袋を二つずつぶら下げていた。


 足を引き摺るように、のろのろと歩いているリコ。瑞希もけっして急がなかった。


「先輩いるかな」


 と、リコはつぶやいた。留守ならいいのに、というニュアンスを多分に含んだこわね声音だった。


「きっといるよ。だって先輩ってヒキコモリのニートだもの」

「み、瑞希?」


 身も蓋もない言いようにリコはおろおろして、


「そんなこと先輩の前で言っちゃダメだよ?」

「どうして? ほんとのことじゃない」

「でも、だからって」

「大丈夫だって。まかせて」

「何が大丈夫で、何をまかせればいいの?」

「諸々すべて」


 と言うのが瑞希の返事だった。



 藤花はいつものように窓から空を見ていた。


 もちろんドアは開け放してある。いい風が部屋を吹き抜けていた。夏場にエアコンも扇風機もいらないのがこの部屋の数少ない美点の一つだった。


 とても静かな午後だった。紫子は娘の奈々を連れてお買い物。真下の部屋の庭には洗濯物が干してあり、雨が降ったら取り込むように頼まれていた。部屋の鍵も預かっている。信用されているんだ、という事実は藤花にとってささやかな喜びだった。


 まだ自分にも役に立てることがあるのだ。そう思うだけで少しだけ心が軽くなる気がした。たとえ今日の天気予報の降水確率が0パーセントであっても。


 もうリコも瑞希も訪ねて来ないだろう、と藤花は確信していた。あんなことがあったのだ。いかに厚顔無恥な人間でも二度と来ない。顔を出せるはずはなかった。


 カンカンカン。


 元気のよい足音が階段を上がって来る。そしてその後を追って、いくぶんもたもたした足音が続く。


(え、)


「ほら、リコ、さっさと歩く!」

「まってよ、やっぱりやめよう、ね」

「いいから! 無駄な抵抗はしない」

「そんなぁ。きっと留守だよ。だから」

「ドアが開いてる。先輩はご在宅だよ」

「そうとは限らないでしょう、いつも開けっ放しなんだから」

「なら中で待つだけだよ」

「ひええ、引っ張らないで」


 にぎやかな声が開いたままの入り口から聞こえる。


(まさか、そんな)


 ほどなく戸口に現れた二人の女子高生の姿を見て、藤花は軽いめまいに襲われた。


「せんぱーい、こんにちは」

「こ、こんにちは」


 それはむろん瑞希とリコだった。しかも二人とも大きなコンビニの袋を二つづつ持っている。のみならず、瑞希の右手はコンビニ袋と一緒にリコのセーラー服の襟首をむんずと掴んでいた。


「ドアが開いてるから勝手にはいりまーす。これがほんとの勝手口」

「あ、ああ」

「ほうら、リコ、ここは突っ込むトコでしょう。それで先輩は笑うトコ」


 無闇とテンションの高い瑞希は、ずるずるとリコを引きずって室内にずんずん上がって行く。そして例によってちゃぶ台の上にお菓子の山を築いた。


 藤花は窓枠に背をぴったりつけて、若干引き気味に、


「どういうつもりなの」


 と、ようやくそれだけ聞いた。


「どういうつもりもなにも」


 瑞希は、これも呆気にとられてちゃぶ台の前にぺたんと座り込んでいるリコに構わず、コーヒーのペットボトルを藤花に差し出した。


「終業式が済んだら夏休みです。その輝かしい日々のはじまりを祝おうと言うのです。はい、コーヒーをどうぞ」


 藤花は目を白黒させてペットボトルを受け取った。


 先日の重苦しい会話が嘘のような瑞希の態度に、とっさに対応できないでいた。


 藤花は我知らずリコを見た。視線が合うと、リコは「私にもわかりません」という顔でフルフルと首を横に振った。


「では、乾杯しましょう」


 と、瑞希はウーロン茶のペットボトルをかかげて言った。リコの手にもコーラのペットボトルが握らされていた。


「な、何に」


 と問う藤花に、瑞希はやれやれという顔で、


「夏休みにですよ、もちろん。聞いていなかったのですか、先輩ったら」

「あ、あんたたちはそりゃ夏休みでしょうけど」


 と藤花は反論した。


「あたしには関係ないじゃない、夏休みなんて」

「あります」


 と瑞希はまじめくさって答えた。


「先輩は人生の夏休み中です。それともニートとかヒキコモリって呼ばれたいですか」

「ちょっと、瑞希、そんな、先輩に向かって」

「いいの。取り繕ったり、おためごかしの仲良しごっこなんて長続きしない。私は先輩ともリコとも一生付き合うつもりですからね。この際だから言いたいことはすべて吐き出すことにしたの。その方が先輩もいいですよね?」


 藤花はぽかんと瑞希の真剣な目を見ていた。ややして、


「勝手にしな」


 と言ってそっぽを向く。そして憎々しげに、


「見事なくらい空気を読まない子だね、あんた」

「恐縮です」


 すこしも恐縮していない顔でペットボトルをかかげる。


「では夏休みに、乾杯!」


 誰も唱和する者がいないのに、瑞希は構わずペットボトルに口を付けた。


 コーヒーをぐびぐび飲みながら、藤花はかるく額を押さえた。


「なんてこと、まったく」


 窓枠を背にだらりとしている藤花は、それでもチョコレートとアーモンドの菓子をぽりぽりかじりながら、


「くだらないこと思いついたもんだね」


 と言った。


「くだらない。そうでしょうか」

「そうだよ。こんなことでみんな仲良く手を取り合って笑い合えるとでも? は、おめでたいね」


 そしてさっきから黙りこくっているリコに向かって、


「あんたも何か言いなさいよ。白々しい謝罪のことばでも言ってみる? 今なら聞いてやらないでもないよ」


 そんな意地の悪い問いかけに、しかしリコは答えた。


「ごめんなさい、先輩」


 藤花の額がピクリと動いた。


「なんですって」

「ごめんなさい。私、知って、知っていたのに。あの人が先輩と付き合ってるって知っていたのに。あの、でも優しい言葉をかけてもらって、それで」

「かわいいね、とか耳元でささやかれてその気になったんでしょ」


 藤花は容赦なく決め付けた。


「それでドライブにでも誘われた?」


 うなずくリコに、


「はっ。それがあいつの手なんだよ。純情な女の子をたぶらかすね。ご愁傷様、それであなたも毒牙にかかったのね。同情するわ、お気の毒に」


 少しもそうは思っていない口調でそんなことを言う。


「気に入らないね。まったく気に入らない」


 藤花はいらいらと爪を噛みながら、


「この茶番はなに? いったい何をしたいの。こんなくだらないこと誰が考えたの」


 その視線は首謀者と思しき瑞希を捉えていた。


「言いたいことを言えば気も晴れるかと」


 瑞希は藤花の視線を見返して静かに答えた。その冷静な目に、藤花は逆にかっとなった。


「ふざっけんなバカヤロー。リコ、お前もだ。考え無しに瑞希なんかにのせられやがって」


 ひどい言葉を立て続けに吐くと、藤花はペットボトルをリコに投げつけた。ひゃっ、と身をかわして危うく直撃は免れたものの、褐色の液体を頭から浴びてしまう。


 それでも腹の虫の治まらない藤花は、ちゃぶ台の縁を持って、「ふんっ」とひっくり返した。舞い散るカラフルなお菓子のパッケージ。藤花は、


「やってらんない」


 と言い捨てて、どしんどしんと足音を鳴らして、サンダルを突っかけて部屋を出て行ってしまった。


 後に残された二人は、しばし黙ってその場に座っていた。リコは頭を抱え、微かに震えていた。瑞希は腕を組んで厳しい表情をしている。


「どうしよう、瑞希、どうしよう」


 リコは震える声で言った。


「だからやめよう、て言ったのに。瑞希のせいなんだからね」


 当の瑞希は、けれどまったく別のことを考えていた。


「ちゃぶ台返しか。昭和のテレビドラマみたい」

「み、瑞希?」

「はじめて現物を見た。こんな光景、『懐かしのテレビ番組』でしか見られないと思っていた」

「な、なにを言ってるの瑞希、信じらんない! もう、何が何だかわからないよ」


 そう言って耳を押さえ、いやいやをするように頭を振るリコ。


(ほんとうにこれでよかったの、真珠子)


 瑞希はこっそりため息をついた。


(なんか悪化させただけのような気もするけれど)


 しかし、瑞希は頭を一つ振って気持ちを切り替えると、ひっくり返ったちゃぶ台を元に戻し、散らばったお菓子を拾い集めるのだった。



 藤花は何も考えずに歩いていた。やり場のない怒りと苛立ちが体の中に充満しているようだった。視界には赤いもやがかかっていた。


「ああ、もう!」


 一体自分が何に怒っているのか、それさえ分からなくなるくらい、藤花は心底怒っていた。


 が、際限のない怒りは、そのピークを越えると真空状態のような虚無感に呑み込まれた。腹を立てている自分がひどくバカバカしく思えてきたのだった。


(もうなんだっていいし、どうだっていい)


 藤花はようやく冷静になってあたりを見回した。


 いつの間にか大通りを越して、駅前商店街を歩いていた。部屋に戻ろうか、とも思ったけれど、まだあの二人がいるような気がする。藤花は大きく息をついて、手近な喫茶店のドアを押した。


 からんころん、というドアベルの音と、「いらっしゃいませ」というアルバイトらしいウェイトレスの女の子に声に迎えられ、藤花はボックス席に身を沈めた。ほどよく冷えた空気が火照った体に心地よい。


 何も考えずに飛び出して来たので、ポケットにはコインが数枚あるきりだった。メニューを見て一番安いブレンドコーヒーを頼む。本当はアイスコーヒーの方がよかったのだが、コインが足りなかったのだ。


 藤花はテーブルに両肘をついて手を組み、その上に額を乗せた。深いため息をつく。


 運ばれてきたコーヒーを一口啜り、ようやく落ち着いたと思った時だった。藤花の耳に隣のボックス席の話声が聞こえた。


「そんな、どうしてそんなこと言うの」

「どうしてって言ってもさー。もう終わりじゃん? 俺たち」

「終わりだなんて」

「心が離れちゃさー」


 別れ話の修羅場らしい。藤花はがっくりと首を落とした。せっかく落ち着こうと思ったのに。なんて間の悪い。


 しかし、聞きたくも無いのに隣の会話はいやおう無しに耳に入ってくる。藤花の顔は見る見る青ざめていった。男の声には聞き覚えがあった。


「だからさー、えみりも十分楽しんだろ? お互いいい思い出、つーかさ」

「そんな。だって、約束したじゃないですか。夏休みに海に連れて行ってくれるって」

「そうだっけ? 憶えてないなー」

「そんな」


 絶句する女の声。


 藤花はこっそり後ろを振り返り、すぐに前を向いた。間違いなかった。


(あのヤロー、なんだってあたしの生活圏でナンパしたり別れ話をしやがるか)


 それは藤花が以前付き合っていたあの男だった。向かい合って座っているのは、いつかコンビニに行く途中ですれ違った時に一緒にいた巻き毛の女の子だった。


 藤花はうんざりして片頬をついた。すぐに店を出るか、それとも席を替えてもらうか。だがすぐ隣のボックスなのだ。今席を立ったら顔を見られてしまうだろう。


 もちろん見られたからって痛くも痒くもない。けれど、藤花はたったそれだけのことでもこの男に関るのは嫌だった。とっとと別れ話を済ませて店を出て行ってくれないかな、と思う。


「それじゃ嘘だったんですか」

「なにが。おれ嘘なんてついてないよ」

「わたしのこと大事にするって、泣かせたりしないって」

「だから泣いてないだろ?」

「それは、だって」

「おれが何をしたってのさ。変な言いがかりやめろよな」


 藤花はその身勝手な言葉を聞くと、おさまっていたはずの怒りが瞬間的に沸点に達した。意識しないまま、すっと席を立つ。そして隣のテーブルのすぐ横にその姿を晒した。


 男は藤花を見てぎょっとして身じろぎした。向かいに座っている連れの少女はいぶかしげに藤花の顔を見上げた。


「何をしたか、ですって」


 その声は怒りのあまりしゃがれていた。


「あんたは性懲りもなく同じようなことを」


 男はパクパクと口を開け閉めして、椅子の上で藤花から逃れようとじたばたしている。


 腰が抜けて立つことが出来ないらしい。他のお客たちも、何事かと藤花を見ていた。ウェイトレスの子がトレイを胸に抱いて、こわごわ様子をうかがっている。


「あんたがあたしに何をしたか、ここで話してやろうか」


 今や店内の視線を一身に浴びている藤花は大きな声でそう言い放った。男はオドオドと周囲を見回し、自分たちが好奇の視線に晒されていることに気づくと、


「ま、待て、話せばわかる」


 と手のひらを前に両手を突き出した。


「じゃあ話してやるよ。あんたは」

「わぁ、か、カンベンしてくれぇ」


 情けない声を上げて、藤花を拝むように両手を合わせている。


 藤花はそれを見て、怒りが体内で急速に形を換え、蔑みに変わっていくのを感じた。


「好きにしろよな。このサイテー男」


 そしてテーブルの上にあったコップを取り、男の顔に水をかけた。「ひー」とも「アー」ともつかない声を上げて、男は椅子から転げ落ちた。


 そのみっともない姿を見て、藤花はいくぶん溜飲を下げた。そして呆気にとられている向かいの席の少女に、


「あんたもこれに懲りてヘンな男に引っかからないようにしなよ」


 そう言うと、足早にレジに向かう。けれど、レジには誰も居なかった。藤花はコインを叩きつけるように置くと、


「お釣りはいらないから」


 と大きな声で告げてドアを開く。からんころん、という涼やかな音を背に、藤花は店を出た。

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