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Ⅵ.終わる夏 1


 真珠子の部屋は前に来た時よりはいくぶん整理されていた。


 本の山の間になんとかくつろいで座れるだけのスペースが確保されていたのだ。瑞希はクッションに座って足を伸ばし、椅子に掛けている真珠子と相対していた。


 濃いコーヒーを無骨なマグカップで供するのが真珠子らしい、と瑞希は思った。


「で、なに。要するに丸く収まったということなの?」


 そう訪ねる真珠子に、瑞希は首を振った。


「そう単純な話ではないけど」


 でも、と瑞希は続けた。


「一応のケリはついたのかな」

「ふふん」


 と真珠子は胸を張った。


「わたしのお陰ね。感謝なさい」

「なんですって」


 さすがに呆れて、


「あなたが何をしたって言うの」

「状況に応じた適切なアドバイスをしてあげたじゃない」

「とてもそうは思えないけど。偶然の要素が大きいじゃないの。結局私たちがしたことなんて、空回りして引っ掻き回しただけだった」


 真珠子はやや真面目な顔で、


「まあね。でも言ったでしょう? 私たちは神様の代わりなんて出来ないの。ただ、友を思う真摯な気持ちが事態を動かした。今回はいい方に動いたけれどね。バッドエンドを迎える可能性だって多分にあったの」

「友を思う真摯な気持ち?」


 瑞希は疑わしそうに真珠子を見た。


「あなたを見ているととてもそうは思えないけど。むしろ他人の不幸を面白がっているように見えたけど」

「ご挨拶ね。そう見えたのなら私の不徳といたすところかな。我が身の未熟さに恥じ入るばかりだわ」

「だから、自信満々でそういうセリフを言っても説得力がないって」

「ふふん」

「それにバッドエンドって何? これはゲームなんかじゃないって何度言えば」

「ゲームだよ」


 真珠子はクールに言ってのけた。


「ただし、自らを駒にした、ね。掛けるのは自らの命、未来、良心。人は皆、逃げ場のない人生というゲームのプレイヤーなのよ。あなたも、もちろん私もね」


 瑞希は沈黙した。


「私はただ、多少先読みが出来るだけなの。そして、利率の悪い賭けをしようとしているプレイヤーにお節介をしているだけなの。お人よしだわよね」

「なにを言ってるの」

「このゲームの舞台・・・世界はけっして公平ではないの」


 真珠子は手のひらを上に、両手を広げて見せた。その仕草はどこか神意を告げる巫女を思わせた。瑞希は、この人はほんとうは何かの精霊か妖怪の類なんじゃないかしら、と半ば本気で思いはじめていた。


「最初からあらゆるものを持っている幸運なひと、信じられないくらい悪い目ばかりが出る運の悪いひと。せっかくのチャンスをそれと知らず逃してしまうひと。私はそうした人たちを見るたび、歯がゆい思いをしてきた。何故世界はこんなにも不平等なのか。なぜ生まれながらに不幸な人が存在するのか。私はそれが許せない」


 瑞希はただ呑まれたように瑞希の言葉に聞き入っていた。


「だからね、私は運命に少しだけ逆らうことにしたの。私の知りえる範囲で、私の力の及ぶかぎりにおいて。

「もちろんそれは人の身には許されない越権行為かもしれない。私はいつか手痛いしっぺ返しを食うことになるのかも知れない。でもそれでもいい。それでも私は戦うことをやめない。

「ニュースを見る度、人の噂話を聞く度、そして心傷つき、悩む者に出会う度、私は自問自答してきた。よりよい世界をつくるためにどうすればいいのかを」

「どうするの」


 瑞希の問いに、真珠子はこう答えた。


「簡単なこと。目の前の人から助けるの。自らの力が及ぶかぎり。困っている人がいたらけっして見捨てない。手を差し伸べるの」


 そう言うと、真珠子はふうっ、と深呼吸した。瑞希はいくぶん圧倒されながらも、


「要するにクラスの中でイジメとかがあったら見て見ぬふりをするな、てことでしょ」

「いきなり卑近な例えを出すね。まあそういうことなんだけど」

「あのさ真珠子」

「なに」

「当たり前のことをなに偉そうに言ってんのよ」

「その当たり前のことが難しいんじゃないの」


 瑞希はそんな真珠子に向かって、


「あなたの言うことはわからないでもない。けど、それこそ傲慢な考えじゃないの?」

「見解の相違だね」


 と、真珠子は肩をすくめた。


「それとも何、やっぱり見て見ぬふりをすればよかったというの?」

「いいえ。今回の件では感謝してる。結果オーライってことで」

「ふふん」


 というのが真珠子の答えだった。


 そしてこうつぶやいた。


「わたしだってわたしの人生のプレイヤーだもの。好きにやらせてもらってるだけだよ」


 何を言っているのやら、と瑞樹は大げさに肩をすくめてみせた。



 藤花の部屋には、相変わらずリコたちが遊びに訪れていた。


 これまでと変わったことと言えば、瑞希が来ることが少なくなり、代わってえみりがよく来るようになったことだった。


 そんなある日、藤花とえみり、そして奈々が、えみりの焼いてきたクッキーを食べながら午後のお茶を飲んでいた時だった。


 少し遅れてきたリコは、ちゃぶ台の上の皿に色とりどりのクッキー盛られているのを見て、微かに頬を引きつらせた。


「あ、クッキーなんだ・・・」


 藤花はリコの態度に不自然なものを感じて首をかしげた。えみりは、


「リコさんはクッキーはお嫌いでした?」

「いや、そうじゃないけど」


 煮え切らない態度のリコは、部屋に入ったときから後ろにしていた手をそのままに、


「あの、私、今日はこれで」

「なに、せっかく来たのに」

「そうですよ。あ、もしかして」


 えみりは表情を曇らせた。


「やっぱりクッキー、お嫌いでしたか」

「だからそうじゃなくて」

「それとも、わたしが先に来て藤花さんとお茶していたのがいけなかったのでしょうか」

「いやいやいや、そういうことじゃ」


 その時、それまで黙っていた奈々が、


「チョコの匂いがする!」


 と言った。えみりは、


「え、チョコクッキーは作ってません、けど」


 奈々は立ち上がると、リコのところに駆けて行き、背後に回った。


「チョコ、チョコー」


 リコは観念したように手を前に出した。小さな紙袋だった。


「えみりのマネをしてみたんだけど、あんまりうまく出来なかったの」


 中には、少し焦げたチョコチップ・クッキーが入っていた。


「火加減まちがえちゃったみたいで」


 とリコは恥ずかしそうにしている。藤花は、早くも奈々が袋に手を突っ込もうとしているのを押しとどめ、代わりに自分が一枚取り出した。そしてその少し焦げたクッキーをパクリと口に入れる。


「あの、あんまり美味しくないと思います」


 リコは頬を染めてもじもじしながら、


「初めてですし。次からはちゃんとしたのを作ってきますから。今回はノーカウントということで」


 けれど、藤花はにっこり笑って、


「おいしいよ」

「ほんとですか。いえ、お世辞なんて」

「そりゃ多少は焦げてるけど。それも含めておいしい、て言ってるの」


 そう聞くと、リコはようやくにこっと笑った。


「さあ、みんなでいただきましょう」


 藤花の言葉に奈々は待ってました、とばかりに手を出して、一口かじった。そして、


「にがいー」


 それを聞くと、藤花も、リコも、えみりも声を上げて笑ったのだった。



 それ以来、リコとえみりはよく連れ立って《にしき荘》に来るようになった。二人の間に何があったのか藤花はあえて聞かなかったけれど、リコも時おりお菓子を焼いて来るようになった。そして、その日は当然のようにえみりは何も持ってこないのだった。


 リコとえみりが揃って藤花の元を訪れた日は、きまって二人は一緒に帰り、短い時間を過ごしていた。


 夏休みも終わりに近づいたある日の午後、《にしき荘》を出たリコとえみりは、ショッピング・モールにふらりと立ち寄った。


 学校も違えば趣味も違う二人だったが、それぞれの『お気に入り』を紹介しあったり、カフェでおしゃべりしたりするのを楽しんでいた。


この日は、リコはスポーツ・ショップで新しい水着を見て、えみりは玩具屋でゲームソフトを見た後、カフェでデミタスを傾けていた。閉めはエスプレッソ、というのが二人のデート(?)の定番だった。


「最近、藤花さん変わりましたね」


 と言うのが二人の一致した見解だった。


「藤花先輩、最近あんまり空を見なくなったみたい」

「そうですね。それになんか勉強しているみたいです」

「へぇ? それは気づかなかった」

「わたしが行ったとき、机の中に何かの教科書みたいなものを隠してましたから」


 何にしてもいい傾向だ、と二人はうなずき合った。そして、


「あのさ、これはナイショなんだけど」


 とリコは声を低くして、えみりに顔を近づけて言った。


「なんですか」

「私、もう少ししたら先輩に水泳を勧めようと思うの」

「え、それは」


 えみりもプールの事故のことは聞いて知っていた。


「大丈夫でしょうか」

「うーん、まだ早いかなぁ。でも、先輩は泳ぐのがとっても好きだったの。いつも気持ち良さそうに泳いでた。ほんと、まるでイルカみたいにきれいなフォームなの。水しぶきとかほとんど立てないのに、滑るようにどんどん進んでいくの。とってもきれいだった」

「見てみたいです」


 と、えみりはうっとりした表情で言った。リコは得意気に、


「ふっふーん、私は間近でよく見ていたの。一年生だったから、顧問の先生から、優れた泳者の泳ぎはよく見ていなさい、て言われて。そりゃあもう、プールサイドでガン見してた」

「ああっ、なんかうらやましいです」

「ふっふーん」

「水泳かあ。わたしもやってみようかな」


 そう聞くと、リコは勢い込んで、


「ぜひやりなよ。私がビシビシしごいてあげる。竹刀持って」

「し、竹刀ですか」

「そう。うちの顧問もそうしてるもの。それでビシビシと」

「あ、やっぱりわたし止めます」

「冗談だってば」


 そんな他愛も無いおしゃべりを楽しんでいた時だった。

 何気なく外を見たリコが、あっと声を上げ、あわてて自分の口を手で押さえた。


「どうしたんですか、リコさん」

「しっ。振り向いちゃだめ」


 リコは不自然な姿勢で顔を隠すようにしていた。


「あの、リコさん?」

「まって、もう少し……ゆっくり振り返って」


 えみりはゆっくりと振り向いて、外を見た。


 店の前の通りに面したオープンテラスに見覚えのある若い男がいた。かわいらしい高校生くらいの女の子と席についたところだった。二人ともショートサイズの紙カップを持っている。


「あいつ、だよね」


 とリコが囁くと、


「あいつ、ですね」


 とえみりが答える。


 それはかつて二人が付き合っていたあの男だった。藤花の言うところの『サイテー男』だった。


 ガラス越しなので声は聞えない。見ていると、男はへらへら笑いながら、女の子の手を握ろうとしたり、おどけて見せたりしている。


最初は硬い表情をしていた女の子も、男が言ったらしい何かの冗談に、くすりと笑みを漏らした。徐々に男に気を許して行く様子がガラスの内側から見て取れた。


「・・・」

「・・・」


 リコとえみりは、出涸らしのコーヒーを口にした時のような、なんとも言えない表情でお互いの顔を見た。


「なんだってあいつが湧いて出るんだろ」

「前に藤花さんも言ってましたけど、このあたりに住んでいるみたいです」

「住む? はっ、あんなやつ『生息』で十分だよ。というか、この辺りが『猟場』なのかな」


 二人の目の前で、あの男の向かいに座っている女の子は打ち解けた様子を見せ初めていた。


「堕ちた」

「堕ちましたね」


 二人は再び顔を近づけ、


「どうしようか」


 と、リコが訊ねると、


「どうしましょうか」


 と、えみりが答えた。


「くふふっ、ふっふっふっふっふ」


 二人は声を合わせて低いわらい声を立てた。隣の席に座っていたサラリーマンらしい背広の男は、その不気味な笑い声に驚いて二人を見た。


「くふふふっ、ここはやはりあれでしょ」


 と、リコが持ちかける。


「あれですね、やはり」


 と、えみりが応えた。


 が、一応えみりは反論して見せた。


「でも自由恋愛ですから。あの女の子にとっては余計なことかもしれませんよ」

「まあ、なにを言うのえみり」


 リコはにやにや笑いを押さえ切れずに、


「これは人助けです。私たちのようなかわいそうな女の子を増やさないための」

「あ、なるほど。そうかもしれませんね。ここで出会えたのも、神さまのご意思かもしれません」

「つまり?」

「行きて正義をなせ、と」


 そして二人の少女は、再び地の底から響くような不気味な笑い声を立てると、すっと席を立ち、別々の方向に歩き出した。


 隣の席にいたサラリーマンは気味悪そうに少女たちを見送ると、関り合いはゴメンだ、とでも言うように、そそくさと席を立って店を出て行った。



 カフェのオープンテラスでは、『サイテー男』が新しい獲物をほぼ手中に納めたと確信していた。


「じゃあさあ、今度ドライブ行こうよ、ドライブ」

「えー、どこへ」

「どこでもいいさ。行きたいところに連れてってあげるよ」

「ほんとにぃー? エロいこと考えてるんじゃないの?」

「ぜんぜん。おれ、こう見えても紳士なんだぜ」

「きゃはは、嘘っぽーい」

「嘘なもんか、その証拠に・・・」


 男の口が半開きのままで動きを止めた。間の抜けたぽかんとした顔を見て、向かいの席の女の子は眉をひそめた。


「どうしたの?」


 テーブルのすぐ横に、ふらりと現れた者がいた。ぽっちゃりとした、髪の短い丸顔の少女だった。


「はあい、待った?」


 リコはにっこり笑って男に話しかけた。


「な、なんでお前がここに」

「待ち合わせの場所ってここでしょ。違った? あ、ごめーん、時間まちがえちゃった? 一時間早かったかな」

「な、ちょっ、」


 男は狼狽して向かいの席を見た。女の子はいぶかしげに男とリコを見比べていた。


「どういうこと? 私の後にこの子と会う約束だったってこと?」

「ち、違う、誤解だ」

「やっと見つけました」


 リコとは反対側から現われた少女は、うつむき加減で顔の半分をふわふわの巻き毛で隠したまま、髪の毛の間から上目遣いで男を見ながら言った。


「うわっ、なんだお前、どこから」

「今日、病院に行って来ました」


 えみりは沈んだ声で言った。


「びょ、病院? おい何の話だよ。病院って何だよ」

「産婦人科に決まってるじゃないですか」


 おろおろしている男を、向かいの席の女の子は険しい目つきで見ていた。その視線に気づくと、男は慌てて言い募った。


「いや、これは違う、違うんだ」


 と、えみりは突然、両手ですがるように男の腕を握って、


「認知してくれますよね」

「な、なにを言って」

「あなたのせいですよ。今日は危ないって言ったのに、無理やり」

「む、無理やりなんてしてないだろ!」


 顔中から吹き出した汗を手で拭う。そして向かいの席に向かって、


「これはその、つまり」


 と必死で弁明する。


 女の子はリコとえみりを交互に見て、


「あんたたち、何?」

「元カノ」


 と、リコが答える。嘘ではなかった。


「この間までお付き合いしてました」


 と、えみりも答える。こちらも嘘ではない。


「ふうーん。そっかー」


 女の子はゆっくりと席を立った。


 男は慌てて、


「待ってくれ、これは違うんだ」

「どう違うの。あんたの昔のオンナが復讐に来たんでしょ」


 意外に正確に状況を把握した女の子は、こう続けた。


「あんたがこういうことされる男だって、付き合う前にわかってよかった」


 そしてリコとえみりに向かって、作り笑いを浮かべて「ありがと」と言う。


「ま、待てよ、おい」


 男も立ち上がり、女の子に手を伸ばした。が、彼女はその手を払うと、男の頬に平手打ちをくらわせた。


「サイテー!」


 そういい捨ててスタスタと歩いて行く女の子を、リコとえみりは感心して見送った。


「見事な平手打ち」

「はい。参考になります」

「手首のスナップが」

「そうですね。こう、くいっと捻るように」


 そして振り返り、呆然としている男に向かって、


「じゃあ私とデートする?」

「認知してください」


 男はリコとえみりを見比べると、「うわわわわわ」と、意味の通じない叫び声を上げて走り出した。時おり振り返り、追いかけて来ないことを確認しながら。


「あ、」


 と、えみりが手を上げて何か話しかけようとすると、それを見た男は、


「うわああ」


 と叫んで、足元の歩道との段差につまづいて転んだ。


「だから教えてあげようとしたのに」


 男はどこか打ったのか、足を引き摺りながら、それでもけっこうな速さで走って行き、やがて二人の視界から消えた。


「くふふっ、ふふふふふふふふふふ」


 そして二人の少女は不気味な笑い声を立ててオープンテラスにいた他の客たちを怯えさせると、夕暮れの人波に紛れるように姿を消したのだった。


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