アルコイリスと七色の樹液 7章
テンリ・サイドでは皆がほのぼのとした雰囲気で歩いていた。擦れ違う甲虫は時々ピフィを見て目を飛び出さんばかりに驚く者もいたが、大抵は目礼をするだけで留まっている。
ただし、好奇心からピフィに話しかける者も幾らかはいたが、その時のピフィは実に礼儀正しい対応を行っていた。テンリとアマギは少し誇らしげにしてそのやり取りを聞いていた。
人気者のピフィと知り合いなので、テンリとアマギは喜んでいるのである。テンリはピフィの人気を輝かしく見守っている。しかし、今は通行人が見かけられない。
「ピフィさんは節足帝国のどんなところに住んでいるんだ?」アマギは話を切り出した。
「花園です。つまりはお花畑にあたくしは住んでおります。そうでございました。実はそれで思い出したのですが、あたくしは少し私的なお話をしてもよろしいでしょうか?」ピフィは低姿勢で聞いた。
「うん」テンリは「いいよ」と軽く請け負った。アマギも即座に合意した。ピフィは話し出した。
「当初の花園には蚊とり線香というものがあって虫さんの立ち入りは禁制だったのでございます。その理由は古株のマーガレットさまが美しい容貌のお花と醜い容貌の虫さんはわかれて暮すべきだと主張していたからなのでございます。しかし、当時のあたくしにはそれはあまり好ましくない考えだと思えたのでございます。それなので、あたくしは他のお花さんたちからアンケートを実施したのでございます。すると、6対4くらいで蚊とり線香は取り除いた方がいいという結果が出たのでございます。しかし、結果的に蚊とり線香は花園から半分しか、取り除くことはできませんでした。マーガレットさまを中心とした少数派の意見も強ち邪見にはできないという結論に至ったからなのでございます」ピフィは言葉を切った。
「えー?」アマギは主張した。「おれは花も虫も仲良しの方がいいと思うのにな」
「そうだね。ぼくもそう思うよ。だけど、虫さんは醜いからっていう以外にも少数派の意見はあったの?」テンリは核心を突いた。ピフィは「ええ」とその意見に飛びついた。
「ございました。テンリさまの慧眼には敬服致します。あたくしの舌足らずの説明にもしっかりと穴を埋めて下さいます。少数派の意見には女性だけの空間が欲しいというものもあったのでございます。言い忘れていましたが、喋るお花は皆が女性なのでございます。なんにしても、マジョリティーとマイノリティーの問題はとても難しいものなのでございます」ピフィは話を終えた。アマギは「はてなマーク」を浮かべて不思議そうな顔をしているので、テンリはちゃんと教えてあげることにした。マジョリティーとは多数派のことであり、マイノリティーとは少数派のことである。アマギはその説明に納得し他人事みたいな口調で言った。
「そうか。皆は色々な考えを持っているから、時には意見が一致しないのも無理はないんだな。それでも、誰かしらがいつかは妥協しないといけないんだから、社会は大変だな。話は変わるけど、おれもプランターの上に乗ってみてもいいか? ピフィさん」アマギは懇願した。
「ええ」ピフィは好意的に言った。「もちろんです。構いません。アマギさまはアイラさまのようにお軽くはなさそうですが、特に問題はございません」ピフィはやはりやさしい性格をしている。
「そうか」アマギは「ありがとう」と言うとプランターに飛び乗った。ただし、振動はかなりのものなので、アマギは常に「ガタガタ」と揺れている。乗り心地は馬車よりも随分と悪かった。
しかし、それこそが狙いだったので、アマギはそれさえも楽しんでいる。しかも、以前にイワミの背中に乗せてもらってしがみついている時よりは幾らかましだった。アマギは楽しそうなので、テンリは自分もうれしそうである。この二匹は名コンビである。アマギはプランターの上でなにかを発見した。
「これはなんだ?」アマギはそう言うとピフィのプランターから降りて二本足で立ち見つけたものをテンリに手渡した。テンリは同じく二本足で立ちそれを受け取るとすぐに言った。
「これは石だね。でも、これはすごいよ。クローバーの形をしているものね」
「本当でございますか?」ピフィは懇願した。「あたくしにも見せて下さいませんか?」
テンリはピフィの前にクローバ型の石を持って行った。アマギは幾分か誇らしげな様子である。
「おほほ」ピフィは優雅な口調で言った。「これは確かに素敵な石でございますね。あたくしのプランターにこのようなものがあったとは近くて見えぬは睫毛でございます」
アマギは「なんだ?」と聞いた。アマギはやはり語彙力が豊富ではない。
「灯台下暗しと同じ意味だよ」テンリは親切に教えてあげた。
「ふーん」アマギは考え深げに言った。「そうなのか。そう言えば、おれたちも珍しい石を探しに行ったことはあったよな?」アマギにも一応の記憶力は備わっている。
「うん」テンリは言った。「そうだね。今も楽しいけど、あの時もおもしろかったね」
「思い出すなー!」アマギはしみじみとしている。「あの時は確か色々と遊びながらテンちゃんと『幻想の地』まで遠出をしたんだよな」アマギは心からほっこりした気持ちになっている。
テンリはすでに石をピフィに返し、テンリたちの三人はまた歩き始めている。
「ピフィさんにはもしかしてこういう話は退屈かなあ?」テンリは聞いた。テンリはやさしい性格をしているが故に誰かを蚊帳の外に置いてしまうことは大嫌いなのである。
「いいえ」ピフィは言下に否定した。「そんなことはございません。先程はあたくしの身の上話を聞いて下さったので、あたくしは特にその時のお話を聞きとうございます。テンリさまとアマギさまがご迷惑でなければのお話でございますが」ピフィは興味をそそられながらも謙虚な態度で言った。
「ぼくたちにとっては全く迷惑ではないよ。それじゃあ、あの時のお話をピフィさんにざっと説明するね。もし、ぼくの話に穴があったら、アマくんも補足してね?」テンリはお願いした。
「うん」アマギは素直に頷いた。「わかった」アマギは粗放な性格をしてはいても真面目な側面だって持ち合わせてはいる。テンリは歩きながらピフィという名の一輪の花に対し自身とアマギが小学校4年生の時のエピソードを話し出した。アマギは本当に懐かしそうである。今はすでにテンリとアマギと仲良しこよしなので、ピフィは微笑ましく思いながらその話を聞いてくれている。ピフィは他人の話を聞くのも嫌いではない。アマギとは違い記憶力はいい方なので、テンリはすでにピフィに対し詳しく話をしてくれている。以下はそのテンリが話した内容を少し詳しくしたものである。
アマギはすでに当時はシャンデスという同級生やムーレンという上級生の悪童をこらしめたあとだったので、学校は極めて平和だった。テンリものびのびと生活をしていた。
ある日のテンリとアマギの二匹は下校して一旦お家に帰ってからまた遊びに出歩いていた。テンリとアマギの二人の目的は珍しい石を探し出すことである。テンリたちはどうしてそんなことを思い立ったのかというと同級生がイノシシみたいな石を入手したことが契機となっている。
しかし、今のテンリとアマギの二匹は高速で飛びかって鬼ごっこをしている。今は鬼の役なので、テンリのことを追走していたが、アマギはその内にテンリを見失ってしまった。
アマギは飛行を続けてきょろきょろしながらテンリを探し木の横を通過しようとした。テンリは突然「ばあ!」と言いアマギのところに顔を出した。アマギは「うわー!と驚愕した。
「びっくりした。なーんだ。テンちゃんか。頭脳プレーだな。負けたよ。あはは」アマギは素直に敗北を宣言した。アマギはいつでもテンリに対してやさしいのである。
「アマくんは負けてないよ。今はアマくんが鬼だから、ぼくの負けだよ」テンリも敗北を宣言した。
「ああ。そうか。あれ? それじゃあ、テンちゃんはどうして自分から捕まりに来たんだ? なにかの事件があったのか? もしかして」アマギは少し心配そうである。
「ううん」テンリはスマイルである。「何もないよ。ぼくはそろそろ別の遊びをしようと思ったんだよ」
「ああ。そうか。それじゃあ、次はおままごとをやろう」アマギはすぐに決断を下した。
「そうしようね」テンリは同意した。テンリとアマギの二匹は地上に降りてお花屋さんごっこをして遊びそれが終ると身体測定として今度は木の幹に印をつけて身長を計ることにした。テンリたちの二匹は気がすむとまた珍しい形の石を探し求めて歩き出した。
「葉っぱにはどうして白や黒はないんだろうな?」アマギは話を持ちかけた。
「うん」テンリは無邪気に言った。「そうだね。不思議だね。別にあってもよさそうなのにね。カブトムシとクワガタも似ているよ。肌色や朱色や鼠色の虫さんはあんまりいないよ」
「そうだな」アマギはどうでもよさそうにして言った。「カラフルなら、おもしろいのにな」
「アルコイリスの木の葉はカラフルなんだよ」テンリは小学生にしては中々に博識なところを見せた。アルコイリスの葉は確かにテンリの言うとおり虹と同じように赤・オレンジ・黄・緑・青・藍・紫といったようにして色取り取りなのである。
「よーし」アマギは高邁な理想を抱いて元気一杯に言った。「それじゃあ、小学校を卒業したら、テンちゃんも一緒にアルコイリスへ行こう」アマギはニッコリしている。ここはテンリとアマギの転換点である。
「うん」テンリはうれしげである。「楽しみだね。ぼくはアマくんと出会えて本当によかったな。アマくんがいなかったら、ぼくは寂しいよ。なによりも、アマくんはなんといったってぼくの恩人だものね」
「いやー!」アマギは楽天的である。「そうかなあ? おれにとってもテンちゃんは恩人だよ。心の恩人ってやつだ。そんな言葉はないか。あはは」アマギもテンリと出会えてうれしいのである。テンリとアマギの出会いはとてもドラマチックなものだったという訳である。テンリにしてもアマギとの友情が凡庸な自分の宝だと思っている。アマギはそういうしんみりとしたことは考えないが、思いはアマギもテンリと同じである。
テンリとアマギの二匹はしばらくすると木のアーチを潜り抜けて『幻想の地』に足を踏み入れた。入口には下の部分が大きく二つにわかれているゲートのような木がある。
「あはは」アマギはおもしろそうである。「テンちゃんも見てみくれよ。これはぐねぐねの木だぞ」
「本当だね。よく倒れないで立っているね」テンリも少しはしゃいでいる。テンリとアマギは何度かここに来たことはあるが『幻想の地』というところは何度でも来たとしも飽きない場所なのである。
アマギは先程に話に出た不自然な程に枝がやたらとカーブを描いている木の周りを飛び交っている。テンリの方も珍しい形の木を見つけた。
「見て! 見て! こっちもおもしろいよ」テンリが指したのは丸く曲線を描いている木である。
「おお」アマギは賢いコメントをした。「本当だ。人間界のドーナツみたいだな」
しかし、これくらいはまだまだ序の口なので、これくらいで驚いていてはいけない。『幻想の地』にはもっとたくさんの魔術にかかったようなファンタスティックな木が存在する。例えば「く」の字になっている木・人差し指を立てて「この指とまれ」とでも言いそうな枝のある木・本物のイスみたいに人が座れる木・オブジェのように綺麗な模様がある木・がっちりと結びあわされた二本の木・ハート・マークになっている木・6本の枝が幹と同じくらいの大きさで下から上へと生えている木・実際に人が登れる梯子のような木といったものが『幻想の地』にはある。『幻想の地』の木は実に奇抜で意表を突いた形をしている。
テンリとアマギは珍しい木があるなら、珍しい石もここにはあるのではないだろうかと考えたのである。アマギは珍しい形の木に囲まれて歩いているとそれに刺激されいい思い付きを考え出した。
「思ったんだけど、珍しい形の石って自分でも作れるんじゃないかなあ?」
「ああ」テンリは頷いた。「そうか。アマくんが削ってくれるんだね?」
「うん」アマギは笑顔である。「そうなんだよ。石はおれが彫刻すればいいんだよ」アマギはそう言うとそこらへんの中では一番に大きい石を選びその石の前に立った。
アマギはテンリに離れた場所にいてくれるよう頼むと石に向かって猛然と『進撃のブロー』を繰り出した。その破壊力は抜群である。しかし、石は鎌風で少しすれただけで彫刻家の仕事には全く届きそうにもなかった。鎌風で硬度の高い石を切り刻むのは難しいのである。
「なーんだ」アマギは残念そうにした。「おれは行ける思っていたのに、結局はダメだったな。ラン兄ちゃんはもしかしたらうまくやれるのかもしれないな。ごめんな」
アマギはテンリに対し謝罪した。テンリはなんでもなさそうに「ううん」と言った。
「アマくんのせいではないよ」テンリには全く気にした様子は見られない。テンリとアマギの二匹は和やかなムードのまま森の奥深くまで歩いて行くことにした。テンリとアマギは二人とも散策が楽しそうである。テンリとアマギの二匹は大きな崖の下にやってきた。アマギは早速ロック・クライミングをやり出した。テンリの方はそれを目の端に捉えつつ石を物色している。
アマギもその内に石探しを始め出すと崖の上からテンリの頭上に石がごろごろと落ちてきてしまった。それは人間にとってはただの石でも虫にとっては岩である。
アマギは逸早く落石に気づくとテンリに対し「危ない!」と注意を呼びかけた。テンリはよく意味がわからないままに前方へ逃げた。しかし、運悪くテンリが逃げた方向にも上からさっきの物よりもっと大きな岩が転がって来た。アマギは止むを得ず岩に向かって『進撃のブロー』を繰り出したが、岩の勢いは全く収まらなかった。アマギはテンリを守るためテンリと岩の間に飛んで行った。
テンリもようやく事態を理解したが、テンリは絶体絶命の危機に体が動かなくなってしまった。落石のスピードはかなり速いので、今からテンリが逃げたところで手遅れである。つまりはアマギの助けもすでに手遅れという訳である。このままではテンリの罹災は免れない。この場は殺伐とした雰囲気に包まれている。
今のミヤマは畳みかけろと言わんばかりの口舌を発揮し赤裸々に自叙伝の内容を告白してそれを終えている。ミヤマはシナノに話を聞いてもらえてとても上機嫌である。
その上機嫌さたるや朝から食べ歩きをしてお昼には焼き肉をたらふく食べてペンションでは家族とカルタで遊び寝る前には書くことが一杯あるので、夜は浮き浮きして日記をつけられるが如しである。
友達のテティには吉報が舞い降り、ビショップには戦いで勝利をし、シナノには話を聞いてもらうことができていつもよりも今日のミヤマは気分が絶好調である。
「どうだい?」ミヤマはシナノに対し慎重な言葉つきで聞いた。「おもしろかったかい?」
「ええ」シナノは些か大人びた感想を述べた。「お話はすごくおもしろかった。多大な苦労をしょいこんだというのに、それを笑い話にしてしまうところはミヤくんらしい」
「それはよかったよ。メイン・ディッシュの次はデザートが食べたいな」
「ようするにお話のこと?」シナノはミヤマの言わんとしていることを察した。シナノは賢い。
「ああ」ミヤマは満足げに言った。「そうだよ。ナノちゃんはやっぱり鋭いな」
自分で自分の話を献立の中心にしてしまうのだから、ミヤマは大したものである。しかし、そんなミヤマにも謙虚さというものがあるということは次のセリフで窺うことができる。
「おれの話はオードブルでナノちゃんの話がメイン・ディッシュでもいいんだけど。ナノちゃんにはなにかいい話はあるかい? もちろん」ミヤマは言った。「無理に話してくれとは言わないよ」
「一つだけあると思う」シナノは遠慮がちに言った。「味の保証はできないけど」
「いやー!」ミヤマは新婚の夫が妻に言い聞かせるようにして言った。「ナノちゃんの作る料理なら、なんでもうまいよ」ミヤマはどんな話も大歓迎という訳である。
「話に入る前にミヤくんはチヒロって覚えている?」シナノは話を切り出した。
「もちろんだよ。人間界では同じケースに入っていてナノちゃんとチヒロちゃんは元から友達だったんだよな?」ミヤマは確認した。ミヤマはテンリと同様に記憶力はいい。シナノは「ええ」と頷いた。
「そのとおりよ。この話にはそのチヒロも出てくるの」シナノは事情を打ち明けた。
「そうなかい? それはますます楽しみだな」ミヤマは気楽な口調で言った。今のセリフはハードルを上げてしまっているような気もするが、ミヤマにしてみれば、別に悪気はない。それはシナノにもちゃんとわかっている。シナノはミヤマとは対比的に落ち着いた口調でゆっくりと物語を話し出した。ミヤマは先程に自分の話を聞いてもらっているだけに心してシナノの話を聞いている。
ミヤマもそうだったが、シナノの昔の話も今まで出てきたことはなかったので、そういう点ではこれは貴重なエピソードである。前置きはこのくらいにして以下はその概要である。
これはシナノとチヒロの二人が人間に捕獲される前の話である。シナノはある日の昼間にチヒロと一緒に散歩をしていた。この二人は仲良しなので、よく一緒に散歩をしていたのである。
シナノとチヒロの二匹はその内に泣きじゃくっている人間の女の子を発見することになった。捕まってしまうのは確かに避けたかったが、どうしたのかを確かめたかったので、シナノとチヒロの二匹は物陰からその子の様子を窺ってみることにした。女の子は転んで膝を擦りむいてしまったので「えーん!」とか「パパー!」と言って泣き続けていた。シナノとチヒロもこれにより状況は把握できた。
女の子は何度も呼びかけているが、傍には誰も人がいなかった。女の子が泣いている理由はケガをしてしまっただけではなく迷子になってしまったからでもあった。
シナノとチヒロは話し合いの末に女の子を慰めるため身を曝け出すことにした。この女の子はきっと自分たちを捕獲しないとシナノとチヒロは判断したのである。
「心配しないで」チヒロは女の子の足元で言った。「すぐにパパと会えるからね」
「私達がすぐにパパを探してきてあげるからね」シナノはやさしく言った。
人間にはシナノとチヒロの二匹の会話は通じてはいないので、これはあくまでも気持ちの問題である。シナノは初めチヒロに女の子を見張っていてもらって自分だけで女の子の父親を探しに行こうとしたが、チヒロは拒否したので、結局は二匹で女の子の父親を捜索することにした。ただし、これは捕獲されてしまうという危険があるので、敵に塩を送る行為にもなりかねない。シナノとチヒロは女の子に手を振った。その時だけは女の子もびっくりして泣くのを止めた。その時に雑木林のどこかで銃声のような音が轟いた。
シナノとチヒロの二匹は危険なことを重々承知した上で音のした方へ飛んで行った。シナノたちの二匹は間もなく音の発信元に到着した。そこには父親と息子のペアがいた。この二人は人間である。
「聞こえなかったんじゃないかな?」息子の方は言った。「もう一発だけやってみる?」
「いや」父親の方は自粛した。「爆竹はあんまりやり過ぎると近所迷惑だから、これ以上は止めておこう」
人間の彼等は爆竹を使い誰かを呼び出そうとしていたのである。父親は爆竹の音により息子と一緒に自分の娘に居場所を知らせようとしていたのである。シナノとチヒロはこの二人があの女の子のことを探しているのだとすぐに気づいた。しかし、あの女の子はケガをしていてここまで辿り着けない可能性もあったので、シナノとチヒロは手っ取り早くこの二人を女の子の元へと導いてあげることに決めた。
シナノとチヒロの二匹は人間の前に身を曝け出すことにした。シナノとチヒロの二匹は二人の人間の前に躍り出るとついて来るよう目配せし羽を広げた。次の瞬間には予想外の展開が待っていた。シナノとチヒロの二匹は息子の持つ長い網で見事に捕獲されてしまったのである。人間の息子は幸せそうである。
「きゃー! 助けようとしてどうしてこうなるのー? 見逃して!」チヒロは悲壮感を漂わせた。だが、同じくまな板のコイ状態のシナノにはどうすることもできなかった。それくらいはチヒロもわかっている。
「残念だけど、どうにかするのは無理よ。今は諦めましょう」シナノは悟りの境地で言った。
シナノとチヒロの二匹は敢えなくケースに入れられてしまった。そうこうしている内にまた遠くの方で爆竹の音がした。人間の親子はそれを聞くと音のした方へと駆け出した。
「これってもう最悪の展開じゃない! 私達はパパとママにお別れも言えずに離れ離れになっちゃうのかしら? こんなことになるのなら、こんな短絡的な方法よりもっと違う方法を考えるんだった」チヒロはケースの中でふくれっ面をしている。シナノはチヒロを宥めた。
「状況は確かにそうだけど、そんなに悲観的にならないで」
「っていうか、シナノは落ち着きすぎでしょう! こういうことでは場数を踏んでいるの?」
「こんな目にあうのは初めてよ」シナノは落ち着いて言った。この当時は人間にすれば、10歳だったが、シナノはすでに滅多なことでは物事に動じない虫だった。人間の親子はそうこうする内にめでたくも女の子のところに辿り着くことができた。シナノとチヒロは全く以って無駄なことをしていたのである。女の子の方も一つだけ爆竹を持っていたのである。人間の父親は娘のケガを見ると早速あり合わせの道具で応急手当てを行った。シナノは脱出の術を考え、チヒロは投げやりになってそれを見つめていた。
「それは何を持っているの?」女の子は手当が終ると息子の持っているケースを指さして聞いた。
「これはメスのクワガタだよ。信じられないような話だけど、自分から捕まりにきたんだ。ぼくたちにきっと飼ってもらいたいんだな」息子はいかにも物知り顔で答えた。
チヒロは「ノー・ノー・ノン・ノン!」と言いふざけながらも必死にそれを否定した。シナノはそれを見て苦笑いした。すると、シナノは女の子と目があった。女の子もシナノとチヒロのことを先程にあったばかりのクワガタだと認識したのである。女の子は信じられないようなことを口にした。
「この子たちは逃がしてあげて」女の子は断固とした口調で言った。父親と息子は最初こそ娘の要求を強く拒んだが、娘の方は駄々をこね地団太を踏み出した。シナノとチヒロはその戦況を黙って見守っていたが、父親と息子は結局のところ押し切られ二匹を逃がしてあげることにした。シナノとチヒロがメスだったことも幸いしたのかもしれない。女の子は父親におんぶしてもらいこの場をあとにすることになった。シナノとチヒロはそれをじっと見つめていた。すると、女の子はこちらを向いてウインクしてきた。
「信じられない! 武士の情けかしら? 私達の言葉が通じたのかしら?」チヒロは女の子を見ると歩き出しながら言った。女の子はもう振り返ることをしなかった。
「言葉が通じたんじゃなくて気持ちが通じたんじゃないかしら?」シナノはそう言うと振り返らずに自分のペースでチヒロのあとを追うことにした。
女の子はどうしてシナノとチヒロの主張を代弁してくれたのかは謎は謎のままだが一つだけ言えることがあるとすれば、善行をしていれば、その報いは必ず自分に返ってくるということである。
情けは人の為ならずという訳である。他人にやさしくしていれば、それは必ず相手にも伝わって行くものなので、他人もその人にやさしくしてあげようと思うものなのである。
シナノとチヒロは今回の話を両親にも話したが、二人の両親も「情けは人の為ならず」説を取った。真相はわからずとも皆がハッピーなら、それだけでいいのである。
テンリの話は少し休止中である。ストーリー・テラーのテンリはできるだけ理路整然と話をしようと心掛けているので、話をする時の口調はゆっくりである。昔が懐かしくてそわそわしているので、アマギは行く手を阻む石ころを角で払いのけながら歩いている。アマギはテンリとの思い出を本当に大事にしている。ピフィはテンリの話について真剣に耳を傾けてくれている。ピフィは実際にテンリの話で楽しめている。ピフィはテンリの意向に沿って話をまとめてくれた。
「テンリさまのピンチに対して助けに入ったアマギさまですが、そのアマギさまでさえも助けることはできそうにありません。確かに立派なブレイブ・ストーリではございますが、絶体絶命でもございます。あたくしはその先がとても気になります。その先はどうなったのでございますか?」ピフィは聞いた。
「あの時はラン兄ちゃんが助けてくれたんだ」アマギはあっさりと答えた。
「ぼくはその時に初めてアマくんのランギお兄ちゃんに会ったんだよ」テンリは口を挟んだ。
「なんと」ピフィはびっくりしている。「そうでございましたか。それは驚きでございます。ランギさまとはかなりの有名人ではございませんか。ランギさまが出てくるとは予想外でございます」
「ピフィさんもアマくんのお兄ちゃんを知っているの?」テンリは聞いた。
「存じ上げております。あたくしは甲虫王国へ旅行する前に国の予備知識を仕入れていたのでございます。甲虫王国はゴールデン国王さまを始めとしてランギさまとショシュンさまとジュンヨンさまという優秀かつ慈愛の勇者たちがいらっしゃる限りいつまでも平和でいられると聞いております」
「へー」アマギは無邪気に言った。「そうなのか。それは知らなかったよ」
今のピフィのセリフで名前が上った三匹は『スリー・マウンテン』と呼ばれる。テンリは特にショシュンのことを知っているし、実は私淑している。ショシュンは小学生の頃に素行の悪かった不良生徒に対し非暴力と不服従の下に言葉の力だけで語りかけその不良生徒を模範生に近づけたことで有名なのである。テンリはショシュンの仁愛の心に対し多大な敬意を払っている。テンリはアマギの兄であるランギのことも崇敬している。こちらの場合はショシュンとは違い私淑ではなく親炙である。テンリはエピソードの続きを話し始めた。
アマギは必死になってテンリの身代わりとして岩にぶつかろうとしたが、それは間に合わなかった。アマギはその瞬間に絶望的な気分を味わった。死を覚悟するところまでは行かなくても重傷を負う可能性はあったので、テンリの方も目の前が真っ暗になる思いだった。しかし、最悪の事態は起こらなかった。
アマギとテンリの上から転がってきた岩には突然『進撃のブロー』が三発も連続で直撃した。その『進撃のブロー』の一つ一つはアマギのそれよりも二倍以上の威力を持っていた。岩はそれを受けて大きく軌道を外れてテンリの10センチくらい横で「ドスン!」と地面に落ちて行った。
「なんだ?」アマギは状況を把握できずにあたりをきょろきょろした。「何が起きたんだ?」
ようやくここで先程のアマギが言っていたとおりランギが登場する訳である。しかし、ランギは何も言わずにアマギとテンリの前に進み出た。一度は話に出たとおり、ランギは寡黙な性格なのである。
「おお」アマギはランギに気づくと喜びの声を上げた。「ラン兄ちゃんはどうしてここにいるんだ? そうか。ラン兄ちゃんがおれたちのことを助けてくれたのか?」
「そういうことだ。アマのことはしばらく前に見つけていたんだが、おれは登場の機会を何度か逃してしまい今頃になって出てくる羽目になってしまった。悪かったな」ランギは少しも照れたり恥ずかしがったりせずに言った。ランギは例えどんな時でも深沈としている。
「はじめまして」テンリは倫理に基づいてランギに対し話しかけた。
「はじめまして」ランギは挨拶を返した。「君はテンリくんだな? アマから少し話を聞いているよ。アマがいつもお世話になっています」ランギはそう言うとなんの前触れもなく再度『進撃のブロー』を岩に向かい繰り出した。ランギはマイ・ペースなのである。しかし、ほとんど岩には傷がつかなかった。
「おれにもあいにく彫刻の仕事はできないんだ。すまないな」ランギはテンリの方を向いた。
「ううん」テンリはやんわりと否定した。「そんなことはいいよ。ぼくは気にしないよ」
それにしても、彫刻の話を知っているということは随分と長くランギは登場しなかったんだなと思い、テンリはそんなランギに親愛感を持つようになった。
「なーんだ」アマギは落胆している。「ラン兄ちゃんでもできないのか。少しがっかりだな」
「それよりも、ランギお兄ちゃんは助けてくれてどうもありがとう。ランギお兄ちゃんは命の恩人だよ。そうだ。ぼくはさっきクワガタみたいな石を見つけたんだよ」テンリはそう言うとまた崖の下に行って石を拾い上げた。今度はさすがに崖崩れは起こらなかった。テンリは一つの石を拾い上げた。
「おお」アマギはテンリの拾ったものを見ると歓喜の声を上げた。「本当だな。顎みたいなのが二つある。テンちゃんはよく見つけられたな。それじゃあ、これをおれたちの宝物にしよう」
「うん」テンリはうれしげにして言った。「そうしようね」
テンリとアマギの二匹は命の危機にまで晒されて少しの苦労をしたものの、結局のところは巨利を得ることに成功したのである。ランギは「やれやれ」と言った。
「おれは随分と回り道をして登場することになったが、アマとテンリくんがこれで納得してくれるなら、おれも少しは役に立った甲斐があった」ランギは額の汗を拭うようにして言った。
「姿を見せるだけでそんなに苦労したなんてラン兄ちゃんはずぼらだな」アマギはユニークなランギのセリフに対し「あはは」と笑い少しからかった。口ではアマギの方が優位なのである。
「ねえ」テンリはランギに対し瞳をキラキラさせながら頼み事をした。「ランギお兄ちゃんはよかったら、もう一つだけでいいから『セブン・ハート』を見せてくれないかなあ?」
「ああ」ランギは「構わない」と言うと平然と『追撃のクラック』を見せてくれた。これは地面を角で叩くとなにかにぶつかるまで衝撃波が地面を伝わりなにかにぶつかると大きな爆発が起きるという大技である。今回は木にぶつかると「ドカン!」という大きな衝撃が発生した。
普段のランギはおいそれと『セブン・ハート』を披露するような玉ではないが、今回はテンリに対するサービスである。テンリは技を見せてもらうと一杯の賛辞とお礼の言葉を述べた。この日はアマギとランギとテンリの三匹で仲良くお家に帰ることになった。アマギとランギの父はモウギという名のマルスゾウカブトである。二匹の母はチホという名のただのカブトムシである。姿だけで言えば、ランギは父から遺伝を貰い、アマギは母から遺伝を貰っている。ランギの体長は堂々の120ミリである。
父親のモウギは体長が約65ミリでそれほど大きくはない。モウギは優れた戦闘センスを持っている訳でもない。モウギとチホは戦いの天才であるランギという名の息子を持ち、他の虫には自慢げにトンビがタカを産んだのだと主張している。つまり、ランギは父のモウギから『セブン・ハート』を一子相伝されたという訳ではない。ここではランギが『セブン・ハート』を習得するようになった経緯を述べておくことにする。小学校5年生の時にランギは三匹のチンピラにからまれている虫を発見した。
曲がったことは嫌いなので、ランギは間に割って入った。チンピラの三匹は標的をランギに切り替え襲いかかってきた。しかし、ランギは全く無表情でチンピラの三匹を返り討ちにした。その強さは圧倒的でありまさに赤子の手を捻じるようだった。ランギが倒したチンピラは実力が折り紙つきで評判は札つきだった。
ランギはそんな彼等を三匹まとめてこてんぱんにしてしまったのである。その噂を聞いた学校の先生は『セブン・ハート』の使い手をランギに師匠として紹介した。学校の体育の授業では『セブン・ハート』は扱わないのである。ランギは結局のところその師匠に弟子入りすることになった。その師匠はもう現役を引退している。これがランギの『セブン・ハート』の使い手になるまでの経緯である。
テンリュウはテンリが珍しい石を手に入れたあとケガをしたイワミを介護することになった。テンリはその時にアマギと一緒に見つけた例の珍しい形をした石を使ってイワミに劇場を見せてあげた。テンリはこのことをアマギに話さなかった。その理由は二つある。一つはネコがこのあたりにいるとなると騒ぎになってしまうということ、もう一つはイワミ本人がそういうことで有名になるのを嫌ったからである。
仮にテンリがアマギにこのことを話してもアマギはどこかで吹聴するようなことはなかったが、テンリは父のテンリュウとネコのイワミとの約束を守りとおしたのである。
ミヤマとシナノの二匹は翌日『樹液の地』に帰って来た。長かった二人旅もこれにて終了という訳である。ミヤマとシナノは然程に疲れてはいない。テティと友達になり『ポシェット・ケース』を手に入れ、ミヤマはビショップに勝利し、シナノとミヤマの過去は明かされ、今回の旅はとても実りあるものになった。
ミヤマとシナノの二匹はテンリとアマギに出会う前にウンリュウと再会することになった。ミヤマとシナノは念のために改めてウンリュウに自己紹介をしておいた。
「テンちゃんとアマはまだ来ていないのかい?」ミヤマは早速に話の口火を切った。
「うん」ウンリュウは頷いた。「来ていないと思うよ。もし、来ていたら、テンくんは布団のお礼としてぼくにプレゼントをくれると言っていたからね。それよりも、耳寄りな情報を知っているかい?」
「いいえ」シナノは丁寧な口調で答えた。「その話はまだ聞いていないと思います。たぶん」
「それなら、特ダネを教えてあげないといけないね。びっくりしないでおくれよ。革命軍の幹部のキリシマが捕まったという情報が入ったんだよ。自首したのか、捕縛されたのか、そこのところはちょっとわからないんだけど」ウンリュウの言うとおり流説は二つにわかれている。
「なんだって?」ミヤマは大声を上げた。「確かにそれはものすごい特ダネだ」
「テティくんのパパがひどい目にあったから、ゴールデン国王様もキリシマっていう虫さんの逮捕により一層の力を入れたんじゃないかしら?」シナノは予測を口にした。
「そうか。そういう可能性もあるな。ナノちゃんはさすがに鋭いな」ミヤマは納得した。ウンリュウは不思議そうな顔をしているので、今度はミヤマとシナノが事情を説明をしてあげた。
「なるほど」ウンリュウは言った。「その可能性は大いにあり得るだろうね。情報はまだあるんだよ。同じく革命軍の幹部であるルークが行方不明になったっていうんだ」
「えー!」ミヤマはおったまげた。「ルークがいなくなったなんてそれも驚きだ。確か、聞いた話では革命軍の三強はオウギャクとキリシマとルークの三匹だったな。ということはもう残りはオウギャクだけじゃないか。これじゃあ、革命は起こらないんじゃないかな? もしかして」ミヤマは考え考え言った。
今は次から次へと衝撃の事実が飛び出して来ているが、今日はエイプリール・フールではないし、ウンリュウは嘘つきでもないので、ミヤマとシナノの二匹はそういったものが虚報であるとは露程も疑っていない。ウンリュウの言うことは確かに信じてもいいことである。
「それはまだわからない。オウギャクっていう虫さんの狡猾さは一部の人間界でも有名なくらいだもの。『横虐』っていうのは道理に従わずに欲しいままに虫を虐げることを言うのよ。単なる迷信にすぎないけれど、名前からして只者じゃない」シナノは歩く辞書さながらに言った。似たような言葉として「尩弱」とはか弱いことを指している。ウンリュウはシナノの意見に同意した。
「そうだね。革命軍にはまだショウカクというダーク・ホースも控えていることだし、オウギャクなら、何をやらかすかはわからない。これは最後の情報なんだけど、革命軍の傘下にある海賊団はほとんど壊滅状態に陥っていてオウギャクはそれを引き起こす切っかけを作ったもう一つの海賊団と数匹の虫さんたちの命を狙っているっていう話なんだよ。この様ではそんなことは叶わないかもしれないけれど、ん? どうかしたかな?」ウンリュウは不思議そうにしている。ミヤマは「あのー」と言い淀んだ。
「その数匹の虫さんっていうのは間違いなくおれたちのことだと思うんだけど」
ようするに、テンリたちの4匹は革命軍に命を狙われているということである。
「なるほどね。そういうことか。って」ウンリュウはびっくりして思わず取り乱してしまっている。「え? なんだって? ミヤマくんとシナノくんが『シャイニング』のメンバーだって?」
『シャイニング』とはファルコン海賊団を負かした『西の海賊』を除いたテンリたちの4匹の尊称のことである。国王軍はテンリたちの4匹の功績を称え『シャイニング』という言葉を使うのである。
ミヤマとシナノの二匹はウンリュウに対してファルコン海賊団と戦うことになった経緯とテンリとアマギもこの件に関わっているということを丁寧に説明した。
ミヤマとシナノの二匹はそれがすむとウンリュウと一緒にテンリとアマギを待つことにした。ウンリュウはその際にまたミヤマとシナノのために樹液を調合してくれた。
ミヤマとシナノの二匹がウンリュウと一緒に待つ理由はテンリがプレゼントをウンリュウにあげると聞いていたからである。ウンリュウはそれを楽しみにしている。
待つこと約30分が経過すると、テンリとアマギの二匹とピフィという名の一輪の花は姿を現した。ピフィはミヤマとシナノを見ると少し人見知りをしてしまっている。ウンリュウは「おかえり」と言った。
「いやー!」ウンリュウは声を上げた。「ピフィさんがテンくんたちと知り合いだったとは驚いたな」
「テンリさまとアマギさまとはこちらに来る途中にお会いしたのでございます。合縁奇縁でございます」
ピフィはすぐさま答えた。ミヤマとシナノはびっくりしている。
「テンちゃんとアマにとっては一々こういうことで驚いていたらいけないのかもしれないけど、花が喋っているのはなんでだい?」ミヤマは聞いた。「ナノちゃんも気にならないかい?」
「ええ」シナノはまだ開いた口が塞がらないといった様子である。「ものすごく気になる」
「トグラくんと同じ原理だ」アマギはこの上なく簡潔に答えた。ミヤマはそれを受けると納得した。
ポシェットの話を聞いていたので、シナノは当然のことながらその出所でもあるトグラについての情報は聞いてはいたが、シナノの目にはそれを踏まえた上でも喋って動く花は奇妙奇天烈に写った。
「はじめまして」ピフィは少し恥ずかしそうにしている。「お噂は兼ねがねテンリさまとアマギさまから聞いております。ミヤマさまは『サーカス団のピエロ』のようなお方でシナノさまは全ての先生を統べる『校長先生』のようなお方だと聞き及んでおります」ピフィは礼儀正しく挨拶と社交辞令を述べた。
「って」ミヤマはつっこんだ。「どんな説明の仕方だよ」
「えー! そうか? 別にどっちでもいいんだけど、当たらずと言えども遠からずだと思ったのに」アマギは話題を変えた。「ミヤマのしょっているのがトグラくんの言っていたポシェットなのか?」
「ええ」シナノは応じた。「そうよ。早速に荷物を中に入れてみましょう」
シナノに催促され、ミヤマはポシェットに荷物をつめ込んで行った。荷物はおもしろいようにポシェットの中に吸い込まれて行った。特に大きな布団が吸い込まれて行く様は見ているだけでも爽快である。ただし、栗だけはポシェットの中に入れなかった。テンリがウンリュウに対して贈るプレゼントというのは栗の置物のことだったからである。ウンリュウはそれを喜んで受け取りその栗を大事にしてくれるということを約束してくれた。テンリはそれを受けてうれしそうにしている。
「旅の準備は万端だ。再出発をするか」ミヤマは朗らかな口調で言った。
「あたくしからその前に一つ質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」ピフィは発言した。今ではピフィも幾らかは緊張が解れて来ている。シナノは即「ええ」と首肯した。
「もちろん」シナノは答えた。ピフィはそれを受けると少しはにかみながら聞いた。
「ミヤマさまとシナノさまはアマギさまとテンリさまをどのような方だと思っていらっしゃいますか?」
「そうだな。テンちゃんはかわいいから『赤ちゃん』だ。普段はへらへらしているけど、やる時はしっかりとやるから、アマは『こんぺいとう』時々『スーパー・マン』っていうところかな」ミヤマはおちゃらけた。
「こんぺいとうってなんだよ。訳がわからないぞ」アマギはつっこみを入れた。
「間違いないのはいつも一緒にいてほしい大切な虫さんっていうことかもしれない」シナノは真面目に答えた。シナノは本当に仲間たちのことを大切に思っている。
「皆は見たところチーム・ワークがすばらしい。これなら、皆はこれから待つ困難にも立ち向かっていけるかもしれないね」ウンリュウは含みのある物言いをした。
「あたくしめの質問にお答え頂き誠にありがとうございます。あたくしは皆さま方のご武運をお祈りしております」ピフィは最後まで温雅である。ウンリュウは再び口を開いた。
「ミヤマくんとシナノくんは革命軍についてのお話を忘れずに話してあげてね。それは少なからぬショックかもしれないけど、ぼくも応援しているからね。それじゃあ、さようなら」ウンリュウは「元気でね」と言うと手を振った。テンリは笑顔で「うん」と応じた。
「またね」テンリはお礼を言った。「ピフィさんとウンリュウ叔父さんは色々とありがとう」
テンリたち一行は新たな門出を迎えた。ポシェットは志願してテンリが背負うことになった。ミヤマとシナノは歩きながらウンリュウに言われたとおり革命軍についての諸々の事情を説明した。
それを聞くと、テンリとアマギは珍しくびっくりした。しかし、アマギはすぐに立ち直り一笑に付した。アマギはそれ程の自信に満ちている。テンリの方は不安で堪らないといった様子である。こちらの方も納得できる話である。革命軍のトップでもあり、暗黒街の帝王でもあるオウギャクの実力は甲虫王国でも最強クラスに値するからである。そんなオウギャクから命を狙われてしまうことになってしまったのなら、恐怖で身を震わせたとしてもなんら不思議ではない。しかし、革命軍の勢力は崩壊しつつあるし、常に気を張っていてもしょうがないので、とりあえず、そのことは忘れていようということで話は決着した。
もっとも、それはテンリにとって途轍もなく難しいことだったが、なんとか、がんばることにした。これにて一旦しんみりとした話は打ち切りになった。
次の話は一行がウンリュウとピフィとお別れしてからちょうど一週間後の出来事である。
お喋りなミヤマは他の三匹に対しまるで弁論大会のように滔々と捲し立てていた。その時の話題は中々にスケールの大きいものだった。その一つには人間界において色んな宗教の範疇に属する地獄についての話もあった。昆虫の生前の善悪の審判は冥界においてオシリスと閻魔大王のどちらに裁かれるのか、異星人はいるのか否か、もし、異星人がいるのなら、どのような格好をしているのかといったものを独自の解釈でお喋りしていた。しかし、その後の約30分間というもの、ミヤマは何も喋らないでいた。他の三匹は時々他愛もない話をしていたが、ミヤマはそれでも自分たちの話に乗ってこないので、他の三匹は少しそれを心配し始めていた。そんな時分になると、ミヤマは久しぶりに口を開き妙なことを言い出した。
「必要は発明の母→母なる大地→大地に根を下ろした我ら生物」ミヤマは「ははは」と笑い出した。「すばらしい。全くすばらしい限りだよ。まさしくワンダフルだ」ミヤマは二本足で立ち両手を上に上げている。
「え?」アマギはミヤマのことをじろじろと見ながら言った。「ミヤは何を言っているんだ?」
「ミヤくんは壊れちゃったみたいね」シナノはユーモアのある反応を見せた。「テンちゃんは修理してあげてくれる?」シナノはミヤマが本当におかしくなったとは思っていない。テンリは一旦「うん」と言った。
「ええと」テンリは戸惑いを見せた。「具体的には何をすればいいのかなあ?」
「とりあえずは電池でも取り換えてみるか」アマギは思い付きを口にし助け船を出した。ミヤマは「おいおい」と言って話に入って来た。ミヤマは喋るようになったので、シナノは安堵している。
「おれはロボットか」ミヤマはすっとぼけたままである。「おれはヒヨコになったんだよ」
ミヤマは何が言いたいのか、わからず、テンリは少し動揺してしまっている。
「ミヤくんはやっぱり故障しているみたい」シナノは言った。「ネジが取れたみたいね」
「どこかにネジは落ちてないかなあ?」テンリはそう言いながら周りを見渡した。
「よし」アマギは提案した。「ネジはないみたいだから、そのへんの埃で代用しよう」アマギはこれを本気で言っている。ミヤマは「できるか!」と突っ込みを入れた。
「いやいや」ミヤマは言った。「それ以前に見てのとおり、わいはメカちゃうやんけ」
「ミヤくんの口調がヒリュウくんみたいになってる」テンリはシナノに説明した。「ヒリュウくんっていうのはここに来る途中であったしゃべり方が個性的なクワガタくんのことだよ」
「テンちゃんは教えてくれてありがとう」シナノは礼を述べた。「ミヤくんの言うとおりよ。機械と埃は相性が悪い」今度のシナノはアマに対して言った。今日のシナノは中々にユーモアのある受け答えをしている。ミヤマは性懲りもなく「そうなんだよ」と言い話を合わせた。
「ナノちゃんはさすがによくわかっているなあ。って」ミヤマは「あれ?」と言った。「おれは結局のところロボットっていうことじゃん」ミヤマはシナノが自分をフォローしてくれているようでフォローしてくれていないということに気づいた。しかし、ミヤマはそんなことを気にせず言った。
「それはよしとしておれの話を聞いてくれるかい? いや」ミヤマは思考を変えた。「やっぱり、百聞は一見にしかずだ」ミヤマは「これを見てくれ」と言うとのっそりと二本足で立ち上がり他の三匹から遅れない程度のスピードで歩き始めた。だが、中々何も始まらないので、アマギは痺れを切らし口を挟もうとした。ミヤマはそんな矢先についに行動に出た。今までのミヤマは少し精神統一らしきものをしていたのである。
ミヤマはだらんと下した4本の手をペンギンの翼のようにして先っぽだけを外側に向け膝を上下に屈伸しながら歩き始めた。約一分間は何も言わず、他の三匹はそれを眺めていた。パフォーマンスに満足すると、ミヤマは元の6足歩行に戻り自信満々の顔で言った。
「これはおれがヒヨコの気持ちになって生み出したダンス」ミヤマは高らかに声を張り上げた。「その名も『ヒヨコ・ダンス』だ」ミヤマは皆の顔を見渡した。アマギは「ふーん」と言った。
「ネーミングはそれでいいのか?」アマギは指摘した。「あっさりしてるな」
ただし、お義理として聞いただけであって別にアマギには大して興味はなさそうな口調である。
「シンプル・イズ・ベストっていうやつだよ」ミヤマはオクターブが上がっている。
「一度『育児の地』でも踊っていたけど、ミヤくんはダンスと演技が得意なんだよ」テンリはちゃんとしたミヤマのダンスが初見なシナノに対して解説を加えてあげた。
「ミヤくんのポテンシャルは計り知れないのかも」シナノは褒めた。「存外」
「うーん」アマギは横から告げ口をした。「そうとも限らないんだけど」
「さあ」ミヤマは意気揚々といった感じである。「皆もやろうじゃないか! ヒヨコ・ダンス」
「え~」アマギはあまり気乗りしない様子である。「おれもやるのかよ~」
「ヒヨコ・ダンスってやってみてもおもしろいのかなあ?」テンリは疑問を呈した。
「おもしろいよ」ミヤマは平然と言って退けた。「おもしろいを10回くらい言いたくなるほどおもしろいダンスだよ。テンちゃんもアマとナノちゃんの背中を押してあげてくれないかい?」ミヤマはさりげなくテンリを味方にした。テンリは素直に「うん」と応じた。
「いいよ」テンリはアマギとシナノに対して呼びかけた。「ぼく達も少しだけやってあげようよ」
「テンちゃんが言うなら、おれもやるか」アマギは鶴の一声を聞いたかの如く簡単に折れた。
「あら」シナノは口を挟んだ。「私は最初からやる気だったのよ。でも」シナノは畏まって言った。「私には無理よ」シナノはミヤマを傷つけないように注意している。
「え?」ミヤマは素早く反応し不思議そうに聞き返した。「なんでだい?」
「私は人間界の出身だから、二足歩行はできないのよ」シナノは真意を明かした。
「しまった」ミヤマは驚天動地といった様子である。「そんなネックがあったのか」
「ナノちゃんはかわいそうだけど、仕方ないね」テンリは励ました。「気持ちは皆と一緒に踊ってね」テンリはいついかなる時も思いやりを持つことができる男の子なのである。シナノは「ええ」と言った
「わかった」シナノはテンリの気遣いに感謝した。「ありがとう」
ただし、シナノはあたかも踊る気満々だったかのようだが、内心は二足歩行できないおかげであの恥ずかしいダンスをしなくてすみほっとしているところもある。ミヤマは「さあ」と気を取り直した。
「テンちゃんとアマと心のダンスを踊るナノちゃんはおれに続いてくれ」ミヤマは再び二足歩行に切り替えると元気よく「ピヨッピヨッ♪」と言った。ミヤマはすでにリズムに乗っている。アマギとテンリも二本足で立ち上がりミヤマに続いた。
「ピヨッ? ピヨッ? ピヨッ? ピヨッ♪」アマギは言ってミヤマの真似をした。
「ピヨッ! ピヨッ! ピヨッ! ピヨッ♪」テンリは見よう見真似でメロディーを口ずさんだ。振付師のミヤマによる簡単な指導が始まった。ミヤマはヒヨコへのオマージュを欠かさないことを熱心に何度も口に出していた。その後もこの奇々怪々極まりない三匹のダンスはしばらく続くことになった。
その三匹と一緒に歩いているシナノは少しだけ恥ずかしそうな様子である。ダンスに油が乗りかかってきた時に遠くの方から突然「そこの三バカ」という怒鳴り声が聞こえて来た。
「なんだと? 誰が三バカだ? 愚弄するなら、おれだけにしろ! 他の皆はおれのためにやってくれているんだぞ! こそこそしていないで出てこい!」ミヤマは鼻息も荒く目一杯の怒りを込めて言い放った。さっきの声の主は女性のものだったが、姿はまだ確認できない。アマギは暢気に「おお」と言った。
「ミヤが珍しく金言みたいなものを口にしたな」アマギはミヤマと打って変わって動じた様子もない。テンリは続いて遠くの方を仰ぎ見ながら「あれ?」と発言した。
「でも『三バカ』ってぼく達のことじゃないみたいだよ」テンリは鋭い指摘を入れた。
前方では甲虫の三匹がそそくさと逃げていったのである。間違いなくさっきのセリフはテンリたちではなくその三匹に対して向けられていたものだったのである。
ミヤマは確かに自分たち以外の三匹の虫を確認しながらきょとんとして「え?」と言った。
「かわいそうだけど」シナノは歩きながら言った。「ミヤくんはまさかの独り相撲ね」
前方やや左の遠くに見える小高い丘ではメスのリュウキュウコクワガタが立っているところを見受けられるのだが、さっきの声の主である彼女はテンリたちとは真逆の方向を向いている。
少しすると、その彼女もどこかへ行ってしまった。真相は彼女の声がバカに大きかったから、こちらにも聞こえてしまいミヤマが早合点をするに至っただけだったのである。ミヤマはなんとも言えない恥ずかしさを抱えたままテンリたちのあとを歩いている。テンリはミヤマを見ると言った。
「ミヤくんは気にしないでいいんだよ。こういうことはよくあるよ。ぼくたちは『三バカ』じゃなかったんだから、よかったよね?」テンリは聞いた。アマギとシナノもすぐにそれに同意した。
なにかと失敗しがちなミヤマは「みんな」と言い照れ笑いを浮かべている。「ありがとう」ミヤマは感動している。「おれはこういうことではもう落ち込まないようにするよ」
ミヤマにとってはこのシーンがターニング・ポイントである。ここはすでに『奇岩の地』という土地に入っている。『奇岩の地』の地上には岩の中でも特に大きな巌が存在し、地中にはどっしりとした岩盤が存在し、地上と地中を繋いで大地に深く根を張った岩根といったものが存在する。
岩が一杯あるので、風景はごつごつしている。ごつごつした岩のせいで所々『奇岩の地』には切所も存在する。5分くらい歩いていると、テンリたち一行は事件に巻き込まれることになった。アマギが落とし穴に嵌ったのである。アマギは訳もわからずに15センチほどの奈落の底に落ちて行った。テンリがそこに急いで駆けつけようとすると、シナノは「テンちゃんも気をつけて」と呼び止めた。
「トラップはまだ他にも仕掛けられているかもしれない」シナノは冷静である。
「そうか」テンリは「そうだね」と言うと恐る恐るアマギの元へと向って行った。テンリはアマギの入った落とし穴の前にやってくると「アマくんは大丈夫かなあ?」と聞いた。アマギは「大丈夫だよ」と応えた。
「心配してくれてありがとう」アマギはお礼を述べた。「にしてもだよ。誰がこんな凝った真似をしたんだろうな? ん?」アマギは不思議そうにした。「この音はなんだ?」
テンリは音のする方へ目を向けた。アマギが聞いたのはミヤマのくすくす笑いである。
「こんな古典的な罠にはまるなんてアマは単純だな」ミヤマは上から目線である。「これはよく見るとバレバレだぞ」ミヤマはまだ笑んでいる。ミヤマの言うとおり、穴の上には茶色の布が敷いてあっただけでよく見ると、その布と土の色は違っている。テンリはアマギのことを思って少しミヤマを宥めることにした。
「仕方ないよ」テンリは落ち着いている。「こんなことをいつも予測していたら疲れちゃうもの」テンリはミヤマの方を見た。ミヤマは逆らわず「それもそうか」と応じた。
「おや?」ミヤマはなにかを発見した。「これは何かな?」ミヤマはそう言うと二本足で立った。ミヤマは小さい木の枝から紐でぶら下がっているものを見てそれに近づいて行った。
ぶら下がっていたのは『魔法の石』である。ミヤマは試しにそれを引っ張ってみた。ミヤマの上からは盥のような器が落ちて来てミヤマの脳天に「カーン!」と直撃した。
「いい音がしたな」アマギは穴から這い出ながら言った。「今度はなんだ?」
「ミヤくんもクラシックな罠に嵌っちゃったみたいね」シナノはやさしい口調で言った。ミヤマも一応は平静を装い「ははは」と笑い飛ばしたかに見えた。
「そうみたいだな」ミヤマは続けた。「これは誰のせいなんだ? 一体」ミヤマは「とっちめてやる」と言った。塙にいた悪ガキの三匹はたじろいだ。その三匹には不意に「あんたたち!」と声が掛かった。
「いい加減にしなさいよ!」これは女性の声である。「お尻をペンペンするわよ!」
「しー!」リュウキュウコクワガタは答えた。「今はターゲットを確認したのであります!」彼はカイラクエンという名の中将である。その隣にはチャイロマルバネクワガタがいる。ケンロクエンという名の彼は体長が約37ミリであり少将である。この役割分担の意味はのちに判明することになる。
「ぼくが行ってくるでありんす」ケンロクエンは紐に捕まり二本足で立っていたミヤマを「あ~あ、あ~」と言いながら押し倒した。ミヤマはその結果として格好悪く派手にずっこけた。
「それ!」ケンロクエンは素早く体勢を立て直すと羽を広げて逃亡した「逃げろでありんす」
ケンロクエンとカイラクエンの二匹は敵前逃亡した。「三十六計も逃げるに如かず」というやつである。それを見ると、ミヤマはすぐに「あんにゃろー」と言った。
「捕まえてやる! 逮捕だ! ご用だ! 傷害罪だ!」ミヤマは手錠でも振り回しそうな勢いで二匹を追跡し始めた。それを見ると、アマギはテンリとシナノに対して言った。
「なんか、おもしろそうだから、おれも行ってくる」アマギは「すぐに帰ってくるよ」と言ってどこかへ行ってしまった。シナノとテンリは二人でぽつんと取り残されてしまった。
「よくわからないけど」テンリは戸惑っている。「この先はどうなるんだろうね?」テンリは目まぐるしい展開から立ち直るとのほほんとした口調でシナノに言った。シナノは「本当ね」と応えた。
「ミヤくんはあの二匹を『監獄の地』へ連れて行きかねない様子だったものね」
「ミヤくんもアマくんも元気があるんだから、それはそれでいいのかもしれないね。あれ?」テンリは指摘した。「あそこにはまだ誰かいるよ」テンリが見つけたのは「三バカ」と呼ばれていた残りの一匹である。その彼は銀色のカブトムシである。彼はテンリとシナノの下に自分から飛んでやって来た。
「はじめまして」シルバーのカブトムシは言った。「拙者はボイジャーと申します」
「え?」テンリは聞いた。「拙者ということは武将なの?」テンリは唖然としている。昆虫界で武将を見ることは奇跡に等しいことである。ボイジャーは「いや」と否定した。
「便宜上」ボイジャーは言った。「拙者を使っているだけなので、拙者だろうが、拙僧だろうが、別に構わないのです」ボイジャーは平然としているが、なにも感情がないからではない。
「あなたはどうして銀色をしているの?」シナノは肝心なことを聞いた。
「ぼくもそれが気になっていたんだよ」テンリも同調した。「どうしてなの?」
「拙者は普通の虫ではなくロボットだからなのです」ボイジャーは胸を張って言った。しかし、ボイジャーの話し方は片言でもないしイントネーションも普通である。テンリは「触ってみてもいい?」とお願いした。ボイジャーから「構いません」と許可を得ると、テンリはボイジャーを触ってみることにした。
ロボットは一匹ぼっち防止計画のために節足帝国で作られる。しかし、カイラクエンとケンロクエンの父は節足帝国に知り合いがいるため、ボイジャーは特別にここへ招待されて来たのである。
ロボットを歩かせる時に大切なのは転ばないようにすることである。しかし、足の数を増やすと足と足がぶつからないようにするための複雑な制御が必要になる。それでも、実用的なロボットの研究は人間界にしろ節足帝国にしろ安定性のいい6本足から始まった。そんな経緯もあり、ボイジャーは実のところ試作品なのである。ボイジャーの重量は10キロもある。ボイジャーは鉛のように重たいのである。ボイジャーは鋼製であり防水のための加工も施されている万能のロボである。
ボイジャーと同じようなロボットの色には他にも見栄えがするように金色や紫色もある。ボイジャーはどういうメカニズムで動いているのか、それは昆虫界の他国民にとっては難しすぎて理解できない。そういった説明をボイジャーから聞き終えると、シナノは満を持して口を開いた。
「説明はよくわかったけど、ボイジャーくんはさっきの男の子たちとお友達なの?」
「いいえ」ボイジャーはあっさりと言った。「違います。先程の二匹とは兄弟なのです」
「そうだったんだ」テンリは相槌を打った。「さっきの子たちはクワガタだったよ。ボイジャーくんはカブトムシだけど、それでもいいの?」テンリは話を続けた。この話は正直なところどちらでもよかったが、テンリは素朴な疑問を口にしたのである。ボイジャーは「いいのです」と即答した。
「兄弟の契りを交わせば、虫はもう兄弟なのです。拙者は三男です。拙者のことはボイジャー准将と呼んでもらえるとありがたい」ボイジャーは誠意を込めて言った。
ボイジャーの製造年は25年前である。カイラクエンとケンロクエンと比べれば、年数はかなり行っている方だが、誰が何と言おうと、ボイジャーは三男なのである。
長男のカイラクエンと次男のケンロクエンはボイジャーのことをかわいがっている。だからこそ、ボイジャーは三男という地位を喜んで引き受けているのである。本当は他人なのにも関わらず、ボイジャーは兄弟というものを持っているので、テンリは羨ましく思ったしそういう気持ちを尊敬したくもなった。
ミヤマとアマギは追っ手として標的を追い続けていた。カイラクエンもケンロクエンも無駄に逃げ足は速いので、ミヤマとアマギは中々そんな二人に追いつくことができないのである。
気楽なアマギはこの追跡がヘッド・ロックに乗り上げることになるとは思ってもいない。アマギは全力を出してさえいない。そんなアマギとは打って変わり恥をかかされたミヤマは「かんかん」になって追い続けている。ミヤマは大真面目である。ミヤマはもどかしくなって「くそー」と言った。
「逃げ足の速いやつらめ」ミヤマはアマギに命令した。「いっそのこと面倒だから『進撃のブロー』だ」
「いや」アマギは冷たく言った。「やるなら、自分でやれよ」アマギは塩対応である。しかし、ミヤマに気を害した様子はない。アマギも悪気があって言った訳ではなく先述したとおり『セブン・ハート』を無闇やたらと使ってはいけないという自分の兄であるランギの言い付けを忠実に守っているだけである。
「そう言われたって」ミヤマはスピード・アップをして標的への距離を縮めながら言った。「自分で『セブン・ハート』を使えるのなら、苦労はしないよ。仕方がない。これだけは使いたくなかったが、かくなる上はダイヤモンドさえも打ち砕くメガトン・パンチをお見舞いしてやろう」
フット・ワークはやらないが、ミヤマはボクサーのようにシャドー・ボクシングをしている。ミヤマはパンチの件について大声を出していたので、弟のケンロクエンはその声を聞いていた。ケンロクエンは驚天動地だと言わんばかりににして「すごいでありんす」と言った。
「ぼくとしては見てみたいくらいでありんす。一見の価値ありでありんす」
しかし、兄のカイラクエンは冷静である。ケンロクエンは兄としての威厳を見せるために冷静沈着を売りにしている。カイラクエンは器用にも後ろ向きになって飛びながら「臆するでない」と弟に言った。
「それならば、こちらはロケット・パンチで対抗するであり」カイラクエンは木に衝突して「うげ!」と言い自滅した。ケンロクエンも「ぶげ!」と言うと無様にも木に衝突し落下して行った。ケンロクエンの方も兄の真似をしてバックで飛行していたのである。カイロクエンは地面の上でよろよろしながらも体勢を立て直した。カイラクエンは「ぐぬぬ」と気合を入れて言った。
「この百戦錬磨の男がこんなところで敗れ去る訳にはいかないのであります」
「この件の後始末はどうやってつけようか?」ミヤマは二匹の前で仁王立ちし凄みを利かせながら言った。アマギはようやくここに到着したところである。ケンロクエンも大事には至らなかった。ミヤマとアマギの二匹のことを見ると、長男のカイロクエンは「ひー!」と言ってすっかりと怖気づいてしまった。
「待ってくれであります」カイラクエンは必死である。「話し合えば、わかり合えるであります。とりあえず、ここは礼儀正しくしようではありませんか。はじめまして」カイラクエンは名乗った。「おれはカイラクエンのカイ中将であります」カイラクエンは円らな瞳をミヤマに向けた。
「ぼくはケンロクエンのケン少将でありんす」弟のケンロクエンは「三匹合わせて軍人部隊でありんす」と言いながらカッコよくポーズを決めた。この場は今のセリフから少しの間「しーん」となってしまった。ただし、アマギは無言で万歳をしている。アマギはこの見世物が格好いいと言いたいのである。ミヤマはカイラクエンとケンロクエンの二匹が恥ずかしくなってきた頃合いになってようやく口を開いた。
「言いたいことが一杯ありすぎて次の言葉を考えるのが難しいけど、とりあえず、言わせてもらえるのなら、ここには二匹しかいないと思うんだけど」ミヤマは言い淀んだ。ケンロクエンは「はっ!」と言った。
「本当でありんす」ケンロクエンは今頃になって気づいた。「ボイジャー准将のやつはまた抜けがけをしたでありんす」ケンロクエンは見るからに「ぷりぷり」している。ボイジャーは確かに時々不意に遊びを抜けることがある。兄貴のカイラクエンは「そのようでありますな」と同調した。
「よーし」カイラクエンは気合を入れた。「おれたちはボイジャー准将をお仕置きしないといけないであります。それでは行くであります」カイラクエンは当然の如く弟へ呼びかけた。
ケンロクエンは「わかったでありんす」と返事をするとごく自然に羽を広げようとした。カイラクエンも同じく飛行の準備をしている。しかし、ミヤマがそれを黙って見過ごす訳はなかった。
「って」ミヤマはつっこんだ。「ちょっと待てーい! 何をその流れのまま逃げようとしているんだよ!」
「はっ!」ケンロクエンは言った。「バレてしまったでありんす。『策士も策に溺れる』でありんす」
「あはは」アマギは笑い出した。「二人ともやっぱり逃げ出すつもりだったのか。おもしろいなー」
「むむむ」カイラクエンは真面目な顔で言った。「笑われてしまったであります。だが、しかし、構わないであります。こんなおたんこなすみたいなのは放っておくであります」
ケンロクエンは「わかったでありんす」と言うと再び飛び立とうとした。
「待て! 待て! 待てー! いい加減にうんざりして来たから、どちらの方が立場は上なのか『セブン・ハート』で白黒つけてやる。やってやれ」ミヤマは高飛車な感じで命令を下した。「アマ」
「いや」アマギはまた突き放すようなことを言った。「だから、自分でやれって」
しかし、アマギは別にミヤマをいじめている訳ではなく言い方はやや粗雑だが『セブン・ハート』を使ってカイラクエンとケンロクエンをびびらせるのはよくないと考えているだけである。
カイラクエンとケンロクエンの二匹はそれでも今の会話からミヤマも『セブン・ハート』の使い手であると誤解し慌てふためいてしまった。ミヤマにとっては好都合である。
「わかったであります」カイラクエンは認めた。「今までの数々の愚行は申し訳なかったであります。謝らせてもらいたいであります。本当にどうもすみませんでしたであります」兄のカイラクエンは素直に謝った。弟のケンロクエンも低姿勢になり「ごめんなさいでありんす」と謝った。
「まずは平和的に落ち着くことが肝要であります」カイラクエンはため息をついてから言った。
「一番に落ち着いてないのはどこの誰だよ!」ミヤマはツッコミを入れた。「中将や少将っていうのはなんのことなんだい?」ミヤマは大きな心で二人の罪を許し世間話を始めることにした。
「ぼくたちの階級でありんす」弟のケンロクエンは胸を張って言った。「この階級は毎日じゃんけんで公正に位を決めているのでありんす」ケンロクエンはこの位を自慢に思っている。
「なーんだ」アマギは気軽に言った。「ただの軍人ごっこだったのか」
「ほら」兄のカイラクエンはしょんぼりした。「こういう誤解を招いてしまったであります。じゃんけんで決めていることは他人に話したらいけないのであります」カイラクエンは弟を責めた。アマギとミヤマには無礼を働いてしまったという弱みを握られているので、強い態度に出ることはできず、カイラクエンは弟のケンロクエンに対して弱々しく言った。ケンロクエンは「すまないでありんす」と一応は誤った。
「ごっつあんです」弟のケンロクエンはふざけているだけで全く反省の色が見られない。ケンロクエンはけっこうちゃらんぽらんなのである。ケンロクエンはミヤマの態度が和らぎ安堵している。
カイラクエンとケンロクエンはじゃんけんで階級を決めていると言っていたが、虫は指がないのにも関わらず、昆虫がどうやってじゃんけんをするんだという声が聞こえてきそうである。
その答えは口頭によるじゃんけんを行っているというものである。今日は中将と少将と准将の三つで決めていたが、日によっては大佐や中佐や少佐などでローテーションすることもある。
「二人の名前はなんて言ったっけ」ミヤマは話を続行した。「確か、カイラクエンとケンロクエンって言ったよな? どんだけ渋いんだよ」ミヤマは呆れ気味に聞いた。「誰が名づけ親なんだい?」
「父上が名づけ親なのだそうであります」兄のカイラクエンは敬礼をしながら答えた。「父上の名前はエサンと言うのであります。父上も渋い名前なのであります」
「父上と言えば」アマギは間に割って入った。「さっき『三バカ』って言っていたのがカイくんとケンくんの母上なのか?」アマギは割と鋭いことを聞いた。ミヤマも思わず感心してしまっている。
「そのとおりであります」カイラクエンは言った。「ただし、カイ中将とケン少将と呼んでもらえるとありがたいであります。そうしないと、こちらの調子が狂ってしまうのであります」カイラクエンは妙なこだわりを持っている。アマギは即座に「うん」と了解した。
「わかったぞ」アマギはやさしい。「それにしても、名前が長いと不便じゃないか?」アマギは聞いた。
「そんなことはないでありんす」ケンロクエンは答えた。「ぼくらは自分たちの立派な名前を誇りにしているのでありんす」ケンロクエンはまたもや誇らしげな様子である。
「その割には略称を使っているんだな」アマギはまた鋭い指摘をした。
兄のカイラクエンはあっけらかんとした顔をして「便宜上であります」と答えた。
「ということはやっぱり不便に思っているんじゃん」ミヤマはつっこみを入れた。
「お詫びの印にあなた方にも階級を授与するであります。そう言えば、お二人の名前をまだ聞いてなかったであります」カイラクエンは聞いた。アマギとミヤマはすぐに自分たちの名を述べた。
「アマギ殿は大尉とし」カイラクエンは平然として話を続けた。「ミヤマ殿は中尉で手を打つであります」カイラクエンとしては大いに敬意を払っている。
「おれたちの位の方が低いのかよ」ミヤマは聞いた。「カイ中将とケン少将はいくつなんだい?」
「おれは9才で」カイラクエンは忠実に答えた。「弟のケン中将は7才であります」
「ケン少将はまだ小学生じゃないか。カイ中将に至ってはおれたちの方が年上だ。ここはフェアに年功序列で行かないかい?」ミヤマは提案した。アマギは黙って話を聞いている。
「わかったでありんす」弟のケンロクエンは話に割って入った。「二人には『鼻くそ』と『耳くそ』の位を授与するでありんす」ケンロクエンはやはり適当な性格をしている。
「なるほど」ミヤマは一旦もっともらしく頷いた。「それはよさそうだな」
「って」ミヤマは大声で言った。「なんでだよ!」
「わーん!」当のケンロクエンは怖がってしまった。「怒られたでありんす」
「あはは」アマギはやさしい口調で言った。「おれたちはそれでもいいぞ」
「って」ミヤマは高速道路を走る自動車のように素早くつっこみを入れた。「そんなのでいい訳あるか! 今日のアマはいつになくやさしいな。それはいくらなんでもやさしすぎるだろう!」ミヤマは勝手に一人で騒いでいる。「アマは『鼻くそ』でもいいのかよ!」ミヤマは至極まともなことを言っている。アマギはというとようやく「本当だ」と自らの失態に気づいた。
「あはは」アマギはいつでも平常心である。「よく考えてみたら、よくないな」
「今頃になって気づいたのかよ!」ミヤマは再度つっこみを入れた。「遅すぎるだろう!」
「弟が失言をしてしまって申し訳ないであります」カイラクエンは頃合いを見計らって発言した。「お二人には特上の元帥と総督の位を授与するであります」カイラクエンはナイス・フォローである。アマギは即刻「おー!」と歓喜の声を上げた。
「すげー!」アマギは喜んでいる。「太っ腹だなー! それで?」アマギは相変わらずである。「それはどのくらい偉いんだ?」アマギはミヤマの方を見た。ミヤマは意外と物知りである。
そのため、ミヤマはアマギに説明してあげた。元帥と総督は中将や少将よりも上の位であり尚且つ総督よりも元帥の方が階級は一つ上である。カイラクエンはまだ世渡り上手ではない弟のケンロクエンをカバーし兄としての威厳を見せてミヤマとアマギの二人を納得させることに成功した。
弟のケンロクエンはいつでも兄のカイラクエンのことを頼りにしているし同時にカイラクエンの方もケンロクエンに頼りにされて悪い気はしていない。
テンリとシナノはまだボイジャーと立ち話を継続していた。ボイジャーというロボットは一匹ぼっちを防止するためかなりのおしゃべり好きにできている。
テンリとシナノもそれは大歓迎している。アマギとミヤマの動向も確かに気にはなるが、現時点では放っておいても特に差し支えはないだろうとテンリとシナノは思っている。
アマギとミヤマはカイラクエンとケンロクエンにお仕置きして手荒な真似などは到底しないだろうということはテンリとシナノから見ても火を見るより明らかなのである。
「ボイジャー准将は武将と軍人がごっちゃ混ぜでおもしろいね」テンリは未知なる潜在能力を保持するボイジャーを手放しで褒め称えた。テンリは少し感動している。
「よくぞ」ボイジャーは嬉しそうにした。「褒めてくれました。このちゃんぽんの具合がうまみを引き出しているのです。自分で言うのもなんですが、つかみどころのないちぐはぐさが売りなのです。拙者のこの鋼の肉体と石頭さえあれば、こんなことも可能なのだということをお見せしましょう」ボイジャーは「はっ!」と言うと突然そばにあった草むらに飛び込んで行ってしまった。
しばらくすると、ボイジャーは「ガサガサ」と草むらから出てきた。無論こんなものを見せられても何がどうすごいのかはさっぱりわからないので、シナノは謹んで次のように発言をした。
「ボイジャー准将がすごいっていうことを示すもうちょっとわかりやすいやり方はないのかしら?」
「失敬」ボイジャーは素直である。「こんなはずではなかったのです」今度のボイジャーは「改めましてとくとご覧あれ」と言うと葉っぱを角で持ち上げ手前の角に突き刺した。しかし、その葉っぱが自分では取れなくなってしまったので、ボイジャーは結局のところ不覚にもテンリに取ってもらう羽目になってしまった。ボイジャーはすごいという事実についてシナノも眉唾ものなのではないだろうかと思い始めている。
しかし、ボイジャーはそんな矢先にようやく本領を発揮して見せた。ボイジャーが石を角で持ち上げて見せると、その石は角と角に挟まり「べこん!」と凹んでしまったのである。テンリは「すごい!」と言った。
「これはアマくん以上の力持ちだね」テンリは感銘を受けている。「ぼくはアマくんよりも力持ちな虫さんを見たのは初めてだよ。ボイジャー准将は『セブン・ハート』も使えるの?」テンリは聞いた。
「遺憾ながら」ボイジャーは物々しく言った。「それは拙者には無理です。ロボには元々その才能がないのです。節足帝国でその内そういった技術も開発されるかもしれませんが。今はその代わりとして二つ目の特殊能力をお見せしましょう」ボイジャーはそう言うと胸のあたりのスイッチに手を触れた。
ボイジャーの周りには驚いたことにもバリアーが張られた。これは単なる紫外線の予防などではなく一切の攻撃から身を守ってくれるものである。テンリは「すごい!」と言って再び喜んだ。
「ぼくはバリアーを見たのも初めてだよ」テンリは感極まっている。
「本当にすごい」シナノが最上級の賛辞を述べた。「ボイジャー准将は無敵ね。一緒にいれば、誰と諍いを起こしても安心していられそう。怖いものなしね」シナノは本音を吐露している。
ボイジャーは「いやー!」と言い照れ笑いを浮かべた。
「しかし」ボイジャーは真剣な顔になった。「拙者にも怖い虫は約一名いるのです。それは母上なのです。母上は怒り出すとそれはもう鬼ババのようなのです。雷が落ちると、拙者などはつい委縮してしまいます。ですから、拙者は先程の二匹(カイ中将とケン少将)との悪戯な遊びを程々にしているのです」
「ボイジャー准将は真面目なんだね?」テンリはリクエストした。「他にもなにかできることはあるの?」
ボイジャーはそれに応えてくれた。ボイジャーの三つ目の特殊能力が見れる訳である。虫好きのする性格なので、ボイジャーは惜しみなくテンリとシナノを楽しませてくれる。ボイジャーは自分の能力を他の虫に見てもらうことが好きなのである。飛行する訳ではないが、ボイジャーは羽を広げた。ボイジャーはその横っ腹についているボタンを押してくれるよう早速にテンリにお願いした。
テンリが言われたとおりボタンをプッシュするとその隣にある小さなスピーカーから細やかな笑い話が聞こえて来た。ボイジャーは目を瞑って聞いている。以下はそのアウト・ラインである。
あるところに一匹のオスのカブトムシがいた。彼こそがこの物語の主役である。ある日のことである。青空の下で人間界において「てくてく」と散歩していると、カブトムシは車のタイヤを発見した。
カブトムシはそのタイヤの中に入りその中でランニングすることによってドライブしたいと願うようになった。それはカブトムシが抱いた小さな夢である。
しかし、カブトムシの願望とは裏腹にタイヤは一向に前には進んでくれない。カブトムシは友達のカナブンに助言を求めた。カブトムシとカナブンは仲がいいのである。
坂道なら、希望に応えてくれるとカナブンは助言してくれた。それを聞くと、カブトムシは礼を言い空が気持ちよく晴れ渡った翌日に早速それを試してみることにした。カブトムシは急な勾配の下り坂の上からタイヤの中に入りタイヤごと「ころころ」と転がって行った。
しかし、カブトムシが予想したようなスマートなドライブには到底及ばなかった。カブトムシはタイヤの中で「ぐるぐる」と回転し滅茶滅茶になってしまった。
タイヤは終着地点で制止した。カブトムシはひどい目にあってしまったなと思い目を回したままタイヤから出ようと思ってた。その時である。カブトムシはふと自分の上に誰かが乗っていることに気がついた。それはカブトムシの見知らぬハナムグリのおっさんだった。これはかなりの奇怪な事態である。
「あなたは誰ですか?」カブトムシは思わず聞いた。「いつからここにいたのですか?」
「あたしですか?」おっさんは言った。「あたしはサカミチです。いつからいたかと言われたら、あたしはスタート地点からずっと乗車しておりましたよ。いやー。それにしても、これは残虐な乗り物ですな。拷問に合っているような気分になってしまいましたよ」ハナムグリは同乗していたことは当然のこととし平然と言って退けた。しかし、カブトムシはこれで全てを理解した。カブトムシは坂道でタイヤを転がせばいいと思い込んでいたが、アドバイスしてくれた友達のカナブンは大柄なハナムグリのおっさんに一緒にタイヤを押してもらえばいいという意味で助言してくれていたのである。
とどのつまりは「坂道」と「サカミチ」の言葉の誤解がこのような事態を招いたのである。時に同音異義語というものはこのようなおもしろい事態を引き起こすことがある。
後日談として述べておくとその後のカブトムシとサカミチという名のハナムグリのおっさんは協力してタイヤで快適なドライブを実現することに成功した。
「目から鱗が落ちる」以上の話を聞き終えると、テンリとシナノの二匹はとても感心した。これは少し難しいことだが、物事は杓子定規な考え方だけで捉えていてはいけないこともある。
テンリは教訓も入った今の笑話についてとてもおもしろかったという感想を抱くようになった。テンリは物事を吸収するのがうまい方なのである。テンリとシナノは話を聞かせてくれたことについてお礼を言ったので、ボイジャーは照れくさそうにしていたが、ボイジャーの内心は喜びで満更でもなかった。
「節足帝国はどんな国なのかも詳しく知りたくなっちゃたみたい」シナノは言った。
「拙者が簡単にお教え致しましょう」ボイジャーは説明を買って出た。「節足帝国には砂漠やお花畑もありますが、スカイ・スクレーパーが大半を占めているのです。節足帝国はまさしく近代国家という言葉がぴったりです。甲虫王国も広いですが、節足帝国はその三倍の国土を持っています。住民は大きく分けて小人のアンドロイドを含めたロボットと昆虫の二種類に分類できます。両者は建国当時からずっと存在しているのです。役割分担はアンドロイドが昆虫の天才的な発想を実現するというものです。機械と昆虫は持ちつ持たれつで暮らしているということです」ボイジャーは幾らか自慢げにして一気に言った。シナノは真剣にその話を聞いていた。それはテンリとて同じことだった。
「協力するのはいいことだね」テンリは口を挟んだ。「喋る物もいるよね? ぼくは喋る栗のトグラくんとす喋る花のピフィさんと会ったことがあるよ」テンリには自慢している様子は見られない。
「うっかりしていました」「ボイジャーは額を叩いた。「節足帝国の住民はご指摘のとおり昆虫とロボットと喋る物の三種類です。今はどこもそうですが、甲虫王国はまあまあ治安がいいですからね。いや」ボイジャーは「そうでもないかな」と口ごもった。この甲虫王国にも不安な要素がない訳ではないということである。
「どうしたの?」テンリは不安そうにしている。シナノも不思議そうにしている。
「いえ」ボイジャーは軽く受け流した。「そのことは追々説明致します。その話は一旦ここでは置いておきましょう。近年では物にも複雑なコンピュータを内蔵し節足帝国の昆虫並みの知能を持った喋る物も誕生しているのです」ボイジャーは話を続けた。話は中々にスケールの大きいものになって来ている。
「そこまでいったら」シナノは言った。「建前は科学技術でも魔法みたいなものね」
「まさしくそのとおりです」ボイジャーはハッキリと言い切った。「世界は広いのです」
「少し気になったから、強引に話を戻しちゃうけど、ボイジャー准将がさっき言いかけていた甲虫王国の治安については革命家がいることを言いたかったの?」テンリは質問した。
「はい」ボイジャーは保留していた件を掘り返した。「それも当然あります。革命家のオウギャクは確かに野心を持ち悪事を企んでいるようですので、危険人物であることは間違いないでしょう。ですが、それは大丈夫でしょう。父上が情報通なので、拙者もよく知っているのですが、革命軍は内部から崩壊しかかっているそうですし仮にゴールデン国王の政府が崩壊しかけても今は内憂外患という訳ではありません。節足帝国の皇帝も国王軍が不利になったと見れば、なんらかのアクションを取ることでしょう」ボイジャーは一息入れた。
昆虫界は人間界と同時期に誕生したのだが、甲虫王国と節足帝国は一度も戦争をしたことがない。両国はとても友好的なのである。ボイジャーは話を再開した。
「長々と説明してしまいましたが、拙者が言いたかったのはもっとリアルな話なのです。最近のこの地では変質者が出没しているそうなのです。中年のクワガタが体の小さなオスや内気そうなメスを追い回して楽しんだり時には暴力をふるったりしているそうなのです。しかし、心配はご無用です。拙者がいれば百人力の百万馬力ですから」ボイジャーは胸を張った。「他のお二人は中々帰ってこないので、お仲間のところへ様子を見に行きますか?」ボイジャーはとても落ち着いた物腰で気楽に聞いた。テンリものんびりとしている。
「ええ」シナノは聞いた。「ボイジャー准将には生き先に心当たりがあるの?」
「単なる推測ですが」ボイジャーは前置きを入れた。「拙者の兄弟のことですから、秘密基地にいるのではないかと思います」ボイジャーは「それでは参りましょうか」と言うとゆっくりと歩き出した。
テンリとシナノの二匹もボイジャーに連れられ地面を歩き出した。テンリとシナノは選考するまでもなくボイジャーのことを信用している。ボイジャーが善人であることは確かに事実だが、特に虫の心を読むのが割と得意なので、テンリは少し会話を交わせば善人と悪人を見わけることができるのである。ボイジャーについて行きさえすれば、テンリとシナノも安全にこの『奇岩の地』を乗り切っていけそうだが、その後のテンリたち一行はところがどっこいとんでもない事態に遭遇することになる。
アマギはあれから元帥の位を授与されていた。アマギは威風堂々としているからである。ミヤマは必然的にもう一つの総督ということになった。お遊びとはいえ、どちらも栄誉ある叙勲である。
カイラクエンとケンロクエンは次のように主張していた。簡単に言えば、アマギとミヤマに対してなんの理由もなしに悪戯をしていた訳ではないというのである。
カイラクエンとケンロクエンは誠意を示すためアマギとミヤマに対して再び平謝りに謝った。道理上そんな二匹の気を静めさせると、ミヤマは聞いてみることにした。
「核心に触れるけど」ミヤマは本題に入った。「おれたちをからかって何をしようとしていたんだい?」
「アマギ元帥とミヤマ総督のお二人は失われた大秘宝を奪回できるだけの勇敢な器の虫さんかどうかを調査したのであります」カイラクエンは仰々しい口調で言った。
「ふーん」アマギはあまり興味がなさそうにして聞いた。「結果は?」
「100点満点であります」カイラクエンは目を輝かせた。「特にお二人のしぶとさには目を見張るものがあるであります。よかったら、おれたちに協力してもらいたいであります」カイラクエンはお願いした。
「うん」アマギは簡単に「いいぞ」と願いを聞き入れた。失われた大秘宝という文言についてだけ言えば、アマギはすでに興味津々だし魅力的にも感じている。
「しかし」弟のケンロクエンはあたかも重大そうにして口を挟んだ。「待つでありんす。アマギ元帥とミヤマ総督は先程おなごの連れを伴っていたでありんす」
「そうだったであります」カイラクエンは言った。「うっかりしていたであります」
「なんだ?」アマギは聞いた。「ナノちゃんがどうかしたのか?」
先程のボイジャーもしていたが、カイラクエンは女性や小柄な男性を狙って暴行を加える変質者の話をしてくれた。アマギたち一行は一回先程のテンリとシナノがいたところまで引き返すことにした。カイラクエンとケンロクエンもシナノのことを心配してくれたのである。しかし、数分かけて歩いてきたが、テンリとシナノとは入れ違いになってしまい会うことは敵わなかった。ミヤマはテンリとシナノの行き先を懸念した。
「たぶん」カイラクエンは意見を述べた。「こういうことであります。ボイジャー准将があのお二人を連れておれたちのことを探しに行ったのであります。それなら、何も心配することはないであります」
「どうしてだ?」アマギは当然の結果を口にした。「変質者が現われたら、大変じゃないか」
「ははは」ケンロクエンは簡単に笑い飛ばした。「そんな心配は不要でありんす。ボイジャー准将は一匹いるだけでも100匹分くらい強いからでありんす」ケンロクエンはボイジャーに絶対の信頼を置いている。
しかし、アマギとミヤマはなおも不安そうなので、カイラクエンはボイジャーがロボであることを説明した。それを聞くと、アマギはボイジャーを見てみたくなった。
カイラクエンの説明に納得すると、アマギとミヤマの二匹は大秘宝とやらを入手するため新たなる冒険に出発することにした。アマギは今や完全に乗り気である。テンリたちの目的地もアマギたちと同じである可能性は高いしその途中でばったりと遭遇する可能性もあるからである。しかしながら、テンリ・サイドでは後々そんな悠長なことを言っていられない事態になってしまうとはアマギもミヤマも全く予想していなかった。
テンリ・サイドではボイジャーが迷子になっていた。ボイジャーはあれだけ息まいて出発したのにも関わらず、そんなことになってしまい冷や汗をかかんばかりに小さくなっている。テンリとシナノの二匹は全然そんなことを気にしていない。テンリとシナノは大きな心を持って他人を許すことのできる虫なのである。
アルコイリスまで急ぐ訳でもないし、早ければ、早い程にいいが、シナノも両親との再会を急いでいる訳ではないので、テンリとシナノは気を楽にしていることができるのである。
「全く以って申し訳ありません」ボイジャーは縮こまって恐縮そうにしながら言った。「住んでいる土地なのに、こんなことになっては面目ない拙者は試作品なので、頭はあまりよくないのです。しかし、はっきり言うと、自信はありませんが、ここまで来てしまった以上はお二人を必ず目的地にお連れします。拙者は最低限の礼儀としてこの問題を投げ出すようなことは致しません。テンリさんとシナノさんのこともお守りしますので、ご安心下さい」ボイジャーは小さな闘志を燃やしている。
「ありがとう」テンリがにこやかに言った。「守ってくれると言えば、ボイジャー准将がさっき言っていた変質者は本当に変質者なのかなあ?」テンリは急に妙なことを言い出した。ボイジャーは当然のことながら不思議そうな顔をした。テンリはズイカクについての話をすることにした。ズイカクは『樹液の地』において盗賊だという噂が流れていたが、終わってみれば、ズイカクの方も被害者であって本当は盗賊なんてやりたくないと言っていたことを説明したのである。その話に納得すると、ボイジャーは強い口調で言った。
「お話はよくわかりました」ボイジャーは真剣である。「ですが、シーサーという名の男は間違いなく変質者です。拙者は本人に会ったことはありませんが、被害にあった小男と小女には何度も会って話を聞いたことがあるのです。シーサーの名を知っている虫が彼の名を聞けば、普通は誰もが総毛立ちます」
「ふーん」テンリは相槌を打った。「その虫さんはどうしてそんなことをするんだろうね」
「それが変質者が変質者と呼ばれる由縁よ」シナノは単純明快に答えた。「彼等にとってみれば、他の虫さんが嫌がっているのを見てきっと楽しんでいるのよ」
「シナノさんはおそらく的を射ています。拙者も気を引き締めて行かないとなりませんね」ボイジャーはそう言うと幾分か胸を張って歩き出した。ただし、どこへ向っているのかはボイジャー本人にもわからないままである。宣言した以上は目的を達成するまでボイジャーに諦めるつもりはない。
記憶力は弱い代わりにボイジャーというロボットの執着力はすさまじいのである。テンリとシナノの二匹はその気合いを信じボイジャーのあとに続いている。
テンリはロボットと話ができるなんて感無量だとしみじみと感激している。ボイジャーを身体検査したとしても理解はできそうもないので、テンリはそれについても感動している。
その頃のアマギとミヤマは秘密基地というところにやって来ていた。普段のカイラクエンとケンロクエンとボイジャーの三兄弟はこの場所を根城にしている。
カイラクエンとケンロクエンにより赤いボタンの上に乗るよう催促されたので、ミヤマは飛び乗ると下からスプリングが飛び出して来てどこかに飛んで行ってしまった。カイラクエンとケンロクエンの二人は『魔法の石』やボイジャーという名のロボットを父のエサンから与えられているところからもわかるとおりぼんぼんのお坊ちゃんなのである。この仕掛けも然りである。父親のエサンはプチ・ブルなのである。
アマギたちのところに帰ってくると再三赤っ恥をかかされてかんかんになっていたが、それ程に癇癖の持ち主でもないので、ミヤマはアマギによって宥められすぐに大人しくなった。
「しまった!」カイラクエンは今頃になって変なことを言い出した。「二人に秘密基地を知られたであります」カイラクエンは木の枝を拾い上げ「パキン!」と折って見せた。
「お二人もこのようにして体を「パキン!」と折られたくなければ、大人しく引きさがるであります」カイラクエンは幾分か激昂気味になって言った。弟のケンロクエンも真剣な顔をしている。
「なんなの?」ミヤマはいかにも興ざめだと言わんばかりにして言った。「この茶番」
「あはは」アマギは笑って適当に切り返した。「まあ、なんでもいいじゃん」
アマギのこのセリフはカイラクエンの怒りを買った。カイラクエンは「おのれ!」と慟哭している。
「反逆者め」カイラクエンは「かかれー!」と言うとアマギとミヤマにケンロクエンと共に襲いかかった。しょせんはこの二匹の兄弟は子供に過ぎない。アマギが楽しげに「やるか?」と言うと二秒後には決着がついた。カイラクエンとケンロクエンの二匹はアマギによって角で投げられ紙吹雪のように散って行った。その内訳はというと一人につき一秒である。これではまさしく瞬殺である。
「口程にもないとはまさしくこのことだな」ミヤマは冷静に言った。
「違うであります」カイラクエンは落ち武者のようにしてよろよろと起き上がると反論した。「アマギ元帥が強すぎるのであります。さすがは元帥の名を欲しいままにするだけはあるであります」
「紙一重だったでありんす」弟のケンロクエンも口添えをした。「惜しかったでありんす」ケンロクエンには意外と負けず嫌いなところがある。アマギは苦笑いを浮かべている。
「あれのどこをどう解釈したら、紙一重になるんだよ!」ミヤマはつっこみを入れた。
「冗談はこのくらいにして真面目な話をするであります。おれは失われた秘宝について先程口にしたでありますが、それは別々の場所に二つあるのであります。ここからは二手にわかれて班行動を行うであります。おれは峡谷へ行きケン少将は鍾乳洞を目指すであります。おれの方にはミヤマ総督についてきて欲しいであります!」カイラクエンは気を取り直して明るく言った。ミヤマは「OK」と応じた。
「おれの方には特に異論はないよ」ミヤマは聞いた。「アマはどうだい?」
「おれもそれでいいぞ」アマギはいかにも楽しそうにして言った。
「それでは集合場所はここにして出発であります」カイラクエンは元気よく呼びかけた。
カイラクエンとケンロクエンには色々な小細工により迷惑をかけられたが、ミヤマはそれを許すことにしているし、アマギの方は迷惑を迷惑だと認識すらしていない。
ミヤマはすでにカイラクエンとケンロクエンの二人と友達になりそのお遊びに付き合ってあげることにしている。ミヤマは意外と大人なところがあるという訳である。
失われた大秘法という言葉について心を奪われているので、アマギはこれからどんな冒険が待っておりどんな秘法と対面することになるのかと楽しみで仕方がない。
ミヤマとカイラクエンのペアはアマギとケンロクエンの二人と別れ目的地を目指して歩き出した。カイラクエンは歩きながら期待を持たせるようにして言った。
「ミヤマ総督にこちらに来てもらうよう頼んだのには訳があるのであります。ミヤマ総督にはアマギ元帥が逆立ちしてもできないことをやってもらおうと思っているからなのであります」
「ほほう」ミヤマはすっかりといい気になっている。「それは悪い気はしない話だ。どんなことでも大船に乗ったつもりで任せなさい。ふっふっふ」ミヤマは余裕である。「おれは男らしい男の典型として昔からカウボーイだと崇められているやさ男なのさ」ミヤマは現金な男なのである。ミヤマはダンディな低音で役者として演技をしたつもりだったのだが、幾らか掠れたような声色だったので、カイラクエンは勘違いをしている。
「ミヤマ総督は風邪気味なのでありますか?」カイラクエンは聞いてみた。
「そうなんだ」ミヤマは一旦肯定した。「実は昨日から声帯をやられているんだ。って」ミヤマは敏捷なつっこみを入れた。「違うわい!」ミヤマはそれでも上機嫌である。
煽てられたので、ミヤマの機嫌は相変わらずいいままなのである。カイラクエンにしてみれば、ミヤマを煽てたのはそれを狙ったからではなく事実を言ったまでなのである。
ミヤマは何をやらされることになるのか、それはすぐにわかることになるが、すんなりと事が運ぶ訳ではないということは言える。そんなこととは露程も疑っていないミヤマはダンシングをしながら目的地に向かっている。物珍しいので、カイラクエンはさらにミヤマを煽てている。
アマギ・サイドではケンロクエンが不思議なことをしていた。前の両足以外はだらんとさせケンロクエンは前の二本足だけで這いつくばりながら歩いている。
つい先程のヒヨコ・ダンスの時もそうだったが、おかしな行動について言えば、ミヤマによって見慣れているので、アマギも大してびっくりするようなことにはならなかった。
ケンロクエンは相変わらず真剣な顔をして奇妙な行動を続けている。この行動は最近になって兄のカイラクエンから弟のケンロクエンが伝授されたものである。
「ケン少将はさっきから何をやっているんだ?」アマギは聞いてみた。
「見てのとおり」ケンロクエンは言った。「匍匐前進をしているのでありんす。アマギ元帥が質問する前に答えるでありんす。やっている意味は特にないのでありんす。ここからは普通に歩くでありんす」
「あはは」アマギは笑顔になった。「おもしろいな。ふざけることも大事なんだぞ。いつも仏頂面ばっかりしていると疲れちゃうもんな。カイ中将はさっきおれたちに鍾乳洞に行ってくれっていうようなことを言っていたけど、何をしに行くんだ?」アマギは相も変わらずに碌に話を聞いてなかったのである。アマギにはふざけているつもりはなかったが、ケンロクエンは「ははは」と笑いながら言った。
「確かに」ケンロクエンは勘違いしている。「おふざけは必要でありんす。目的は話にあったとおり大秘宝の獲得でありんす。上官には逆らえないから、渋々と了解はしたけど、これは貧乏くじなのでありんす」
「ふーん」アマギは適当な感じで話を促した。「どうしてだ?」
「驚かないでほしいのでありんすが、目的地ではハイエナと闘わないといけないんのでありんす」
「本当か?」アマギは再確認した。それはすごいことだな。それで?」アマギは問いかけた。「ハイエナってなんだ?」アマギは著しく知識力に欠けている。ケンロクエンは再度「ははは」と笑った。
「アマギ元帥のジョークは一流でありんす」ケンロクエンはまたも勘違いしている。「一応は説明するとハイエナとはイヌに似ているけど、分類上はジャコウネコに近い動物でありんす」ケンロクエンは説明をした。
「ふーん」アマギは生返事を返した。「はっきりとしない動物なんだな」アマギはそう言うと想像力を働かせた。アマギは子猫とチワワを足して二で割ったような動物を想像した。これは恐るべき勘違いである。
「ハイエナをバカにしてはいけないのでありんす」ケンロクエンは真顔に戻った。「頑丈な顎と歯を持っているので、ハイエナは動物の硬い骨も噛み砕いてしまうのでありんす。最悪の場合を想定すると、我が軍は全滅するということになるかもしれないのでありんす」ケンロクエンは真顔で怖いことを言った。
「その時になってみないとわかんないけど、話のわかるやつだったらいいな」アマギは拘りなく言った。大抵の場合はアマギが危機意識というものを持つことはないのである。常識的に考えて昆虫がハイエナと戦って勝つ可能性は限りなくゼロに近いが、ケンロクエンの場合は力自慢のアマギが一緒なので、まずはハイエナと話をしてみようと思っている。ケンロクエンは一人だけでは怖くて近寄れないが、テストに合格したアマギが一緒だからこそ、今回は兄のカイラクエンが鍾乳洞に弟のケンロクエンを派遣したのである。
無鉄砲なアマギは恐ろしいことにもハイエナと戦っても勝つつもりでいる。テンリ・サイドではこの瞬間にも着々と魔の手が忍び寄って来ている。
テンリとシナノの二人は約15分後に秘密基地に到着した。ここにこんなに早く辿り着けるとは思っていなかったので、ボイジャーはあんぐりとしてしまっている。ボイジャーたちの基地には葉っぱや木の枝で犬小屋のようなものを形成しているので、すぐにそれとわかる。基地は中々格好いいものなので、テンリはこの秘密基地を一目で気に入った。ボイジャーは目的を遂行することに成功したので、テンリとシナノの二匹はボイジャーに対して丁寧にお礼を言った。ただし、問題もあることにはある。
「アマくんとミヤくんはいないね」テンリは忙しくあたりを見回し基地の中も覗き込むと残念そうにして言った。問題とはアマギとミヤマと行き違いになってしまったことである。
「確かに」ボイジャーは頷いた。「そう言えば、そうですね。おかしいな。皆は間違いなくここにいると踏んでいたのですが」ボイジャーは少しの間だけ考えた。「わかったぞ。アマギさんとミヤマさんは勇者として大秘宝を探しに狩り出されているんだ!」ボイジャーは我に返ると確信を持ち言った。
「勇者として?」シナノは聞いてみた。「大秘宝っていうのは?」
「一つは元々持っていたのですが、先日なくしてしまったクジャクの羽です。もう一つは改めて手に入れようとしているパワー・ストーンです。暇つぶしとして拙者の曲芸でもお披露目させて頂きましょうか?」ボイジャーは提案した。テンリとシナノはすぐに大賛成した。ボイジャーは見てもらえることがうれしそうにして早速一つ目のパフォーマンスを開始した。羽を広げて勢いよく石に突進すると、ボイジャーは角で石を前へ弾き飛ばした。その石には回転が加わりカーブしながら木にめり込んだ。すぐに石の元へ駆けつけると、テンリは種も仕掛けもない曲芸に対して大いに驚いた。シナノもそれは同感である。
ボイジャーは続いて二つ目の曲芸を披露した。それは長い方の角で石を器用にぐるぐると回転させるというものである。ボイジャーはそれを継続させたまま空まで飛ぶという曲技をやって見せた。テンリとシナノはそれについてボイジャーを褒めた。ボイジャーは得意満面になって言った。
「自分で言うのもなんですが、拙者はあまり頭がよくない代わりとして身体能力が高いのです。ん? 貴様は誰だ?」ボイジャーは声を荒げた。テンリとシナノは後ろを振り返った。
そこには木の陰から50ミリ程のオスのパンサイカブトがこちらを覗いているのが見受けられた。その男性は「でへへ」と笑い異様な雰囲気を醸し出している。
「おじちゃんの名前はシーサーだよー」シーサーはのっそりと姿を現した。
「出やがったな」ボイジャーは鼻息も荒く言った。「ここで会ったが100年目だ! 変質者め!」
ボイジャーは臨戦態勢を取ったが、シーサーは未だ「でへへ」と薄気味の悪い笑みを浮かべている。
「ねえ」シーサーはボイジャーのことは完全に無視をして女の子のシナノに下品な口調で言った。「そこのかわいこちゃんはおじちゃんと追いかけっこしないー?」
「ごめんなさい」シナノはにべもなく答えた。「今は疲れているの」
しかし、シーサーには全然めげた様子はない。ボイジャーは今か今かと間に入る準備を待っている。シーサーは相変わらず「でへへ」と下品な笑みを浮かべている。
「バカを言っちゃいけねえよー」シーサーは傲慢である。「おじちゃんが追い駆けっこをやろうって言っているんだよー。おじちゃんの言うことが聞けないのなら、かわいこちゃんもやっぱり痛い目にあわなくちゃねー?」ボイジャーは過去の悪行を彷彿とさせるセリフを吐いている。
「シーサーのおじさん」テンリは男を見せて間に割って入ることにした。「他の虫さんが嫌がっていることはやったらいけないんだよ」テンリの口調は極めてやさしいものである。
「でへへ」シーサーはいかにも気味が悪そうにして言った。「誰が嫌がっているってー? おじちゃんはそれを楽しみにしているんだよー。君も痛い目に合わせてあげようかー?」
テンリによる必死の訴えもシーサーにとってみれば「糠に釘」あるいは「暖簾に腕押し」の状態である。会話が難航してくると、ボイジャーはようやく立ち上がった。自分では真打登場のつもりである。
「ふっふっふ」ボイジャーは意気揚々と声を張り上げた。「拙者の存在を忘れてもらっては困ります。あなたの相手はこの拙者だ。どっからでもかかってきなさい!」
「おじちゃんは弱い虫さんと追い駆けっこをするのが楽しいんだよー」シーサーはそう言うとシナノに対して襲いかかった。シーサーはやはりアブノーマルな昆虫である。しかし、ボイジャーは黙っていなかった。ボイジャーは「止めろ!」と言いシーサーを角で払った。
「お前はなんなんだよー」シーサーは完全に狼狽えてしまいあっさりと弱い者いじめを諦めようとした。シーサーは自分より強い者とは戦わない卑怯な主義の持ち主なのである。しかし、この局面はボイジャーの次の一言で一気に形勢逆転してしまうことになった。ボイジャーはあることに気づき「しまった!」と言った。
「こんな時にバッテリー切れだ!」ボイジャーは「くそー!」と言うと動きがスロー・モーションになってしまった。シーサーは含み笑いをしている。しかし「この役立たず!」というようなセリフをボイジャーに対して吐き捨てる毒舌の虫は幸いここにはいなかった。
とはいえ、ボイジャーが戦力にならなくなってしまっては最悪の状況である。
ボイジャーは食事を取らない。ただし、ボイジャーは定期的に風車による風力発電で得た電力入りの電池を充電してからまたその電池を装着しないといけない。それはここに来るまでにテンリたちが言っていた冗談と同じようなので、ちょっとした珍事だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「ご婦人やひ弱そうな男性を追いかけ回して何が楽しいんだ?」ボイジャーは虚勢を張った。「そんなことは止めちまえ! テンリさんとシナノさんは実にいい虫さん達なんだぞ! 大人しく引き下がれ! さもなくば、拙者からの報復におびえる毎日を過ごすことになるぞ! 本当にそれは恐ろしいぞ! 切腹した方がいいんじゃないかと思う程に恐ろしいんだぞ! 帰った! 帰った!」ボイジャーはシーサーの帰宅を促した。
この言い方は少し辛辣だが、ボイジャーもとい役立たずになったロボはそれでも口だけは達者である。シーサーは「でへへ」下品な笑いを浮かべて言った。
「他人のホビーを制止することは誰にもできないんだよー」シーサーは尤もらしく言った。「こうなったおじちゃんはもう誰にも止められないよー」シーサーは舌なめずりしそうである。
「わかったよ」テンリは今度こそ本当に男を見せることにした。「ぼくが相手してあげるよ」
それを聞くと、ボイジャーは本当に申し訳ない気持ちになった。内心は怖かったが、テンリは戦う覚悟を決めた。テンリはランギ→アマギ→テンリと受け継がれている金句を思い出し自分を鼓舞することにした。その金句というのは「ケンカの極意は一歩も後ろへ引き下がらない勇気だ」というものである。
シーサーは場が整いまたもや「でへへ」と薄笑いを浮かべた。
「それじゃあ」シーサーは「行くよー!」と言うとテンリに組みついた。テンリを挟み上げ「ぎりぎり」と締めつけると、シーサーは木に向かって勢いよく叩きつけた。テンリが「うっ!」と言ってあっさりやられてしまうと、シナノとボイジャーは順番に声を上げた。ボイジャーは「ちくしょう!」とか「拙者の役立たずが!」と言い自分に苛立っている。テンリが起き上がると、シーサーは再び突撃してきた。シーサーは本気なのどうかを確かめるため、さっきのテンリはわざと攻撃を食らったのである。
シーサーはどうやら本気らしいということがわかったので、本格的にテンリは戦いに挑むことに決めた。最初はシーサーの攻撃を顎で受け流していたが、テンリはその内に羽を広げて飛行した。
「いいねー!」シーサーはテンリを追いかけながらも楽しそうにして言った。「追い駆けっこはいいねー! もっと逃げろー! もっと逃げろー!」シーサーはこの上ない快楽を覚えている。
これがシーサーという名の変質者の真骨頂である。テンリはシナノを傷つけないようにするためできるだけ速度を上げてこの場から逃げることにした。テンリはあくまでも戦意を喪失した訳ではない。
テンリはかつて『危険の地』でカラスを撃破した時と同じ戦法によりシーサーにダメージを与えることに成功した。テンリは頭脳戦で挑んだのである。テンリはすんでのところで木を避けたが、それに対応できず、シーサーは木に真っ向から衝突してしまった。シナノはテンリを追いかけてきてしまった。
「ナノちゃんはちゃんとあそこにいなくちゃダメだよ!」テンリはやさしく言った。
「ごめんなさい」シナノは申し訳なさそうにしながら言った。「テンちゃんが心配だったから」
「それじゃあ」テンリは「ボイジャーくんのところに戻ろうね」と言うとシナノと共に退却した。シナノが自分を心配してくれる気持ちはよくわかったので、テンリはその思いを汲んだのである。
シーサーはこのまま諦めるかなとテンリは思ったが、その考えは甘かった。シーサーは諦めずに追跡して来た。テンリはシーサーがいない間にシナノを葉っぱの下に隠しておいた。
「おじちゃんはすごく痛かったよー!」シーサーは不気味な笑みを浮かべて言った。「君にはそれ以上の痛みを与えてあげなくちゃねー」シーサーはいよいよ本気になった。
「いかん」ボイジャーは言った。「このままではテンリさんが殺されてしまう!」
何もできずに手に汗を握っているだけなので、ボイジャーにはだいぶストレスが溜まってきている。ボイジャーはそれでもテンリの勝利を心の中でお祈りしている。しかし、その願いとは裏腹に、シーサーはテンリを掴むとすぐに投げ飛ばした。シーサーは尚も攻撃の手を緩めずテンリを痛めつけようとしている。
シーサーの攻撃を顎でかわし続けていたが、テンリは再び捕まえられてしまった。この事態は戦闘慣れしていないテンリにとっては絶体絶命のピンチである。
その頃のミヤマとカイラクエンは千尋の谷へ到着していた。ただし、深さは5メートルくらいなので、千尋とはあくまでも昆虫にとっての話である。しかし、昆虫でもバンジー・ジャンプをするのは不可能である。
谷は幅が約5センチと極細だからである。ミヤマには可能だが、アマギには無理だというのはこの谷の中に入らなければならなかったからなのである。カブトムシのアマギは厚みがあるが、クワガタのミヤマはそれ程に厚みがない。その谷は中が真っ暗なので、通称『死の谷』という大げさな名称がつけられている。ここは『奇岩の地』と呼ばれるだけありこの場所にも盤石が多く見られる。
同様に溶岩もゴロゴロと転がっているので、ミヤマにとっては新鮮である。ミヤマは体に命綱を括りつけ下に降りて谷に落ちてしまったクジャクの羽根を取ってくるための準備を終えた。
「気になっていたんだけど」ミヤマはいよいよ下へ行くことになると聞いた。「カイ中将とケン少将はどうして自分で中へ行かないんだい?」ミヤマは臆病風には吹かれていない。
「もちろん」カイラクエンは答えた。「帰ってこれなくなると怖いからであります」
「薄々は気づいていたけど」ミヤマはまた聞いた。「これってやっぱり体が嵌って出てこれなくなることがあるっていうことかい? 危険度は割と高いっていうことかい?」
「もちろんであります。だからこそ、先程はテストさせてもらったのであります」
「そんなに自信満々に言われると恐怖心を煽られているような気がするんだけど」ミヤマはしばし閉口した。「まあ、しゃーない。腹を括って行くとするか。おれが合図したら、カイ中将は綱を引き上げてくれよ」
カイラクエンの「御意」という声を聞くと、ミヤマは谷へと入って行った。約5分後である。確かに無事ではあったが、ミヤマは手ぶらで帰ってきた。それは予想していたので、カイラクエンは何も言わなかった。
「あのー」ミヤマは嫌な予感を抱いて聞いた。「これは場所を間違っていないかい?」
「間違っていると言うよりもわざと間違えたのであります。ミヤマ総督にはこれからもう少し幅の広い谷へ入ってもらうつもりなのであります。今の難関を難なくクリアできれば、次の難関は屁でもないはずであります。行ってみれば、今のはデモンストレーションみたいなものであります」
「観客はどこにもいないけどな」ミヤマは事態を把握した。まさしく「汽車の後押し」である。
「確かに」カイラクエンは頷いた。「そう言われてみれば、今のは不要だったかもしれないであります」
「ははは」ミヤマはがっくりしながらも力なく笑った。「やっぱり、そうだよな」
テティの時もそうだったように最近の自分は寄ってたかって皆に無駄足を踏ませられているのではないだろうかと思ったが、ミヤマはすぐに考え直すことにした。
ミヤマはそれ程にひねくれた性格の持ち主ではない。テティにもカイラクエンにも悪気はなく大真面目で行動しているのである。二匹はただ少しおっちょこちょいなだけなのである。
カイラクエンはそのことについて何度も謝るので、逆にミヤマの方が申し訳ない気持ちになってしまった。ミヤマはカイラクエンを許している。その後はカイラクエンの言うとおり、ミヤマは次に向かった場所でクジャクの羽を拾って帰ってくることに成功した。カイラクエンは大喜びをした。
カイラクエンの羽に対する執着心を見て「これはもしかすると不死鳥の羽なのではないだろうか」とミヤマは疑ったが、それは残念ながら違った。
しかし、例えどんなものであっても、他の虫にとってはどうでもいいものであっても誰かにとって大切なものであるのなら、それには思い入れがあるのだから、無下にしてはならない。価値観の違いを許容できてこそ立派な虫になれるのである。ミヤマにもそれはよくわかっている。カイラクエンの満足げな顔を見て安堵しミヤマの方も明るい気持ちになれた。ミヤマたちの二匹は顔を綻ばせて秘密基地への帰路に着いた。
その頃のアマギとケンロクエンは鍾乳洞に足を踏み入れるところだった。鍾乳洞は雨水や地下水の溶解や浸食を受けて石灰の岩地にできるため石灰洞とも呼ばれる。
鍾乳洞の入口には火成岩を見つけることができた。岩漿が固まってできた火成岩はどこでどのように固まったかにより火山岩と深成岩の二つに分類される。
火山岩は地表や地表の近くで急に固まった岩石のことである。溶岩もこれの一種である。もう一つの深成岩は地下の深くでゆっくりと固まった岩石のことである。
この鍾乳洞の高さは長身な人でも辛うじて屈まないで中に入れるくらいである。中は暗黒であり、奥行きはかなりあるので、アマギたちの二匹のところからでは行き止まりが見えない。
天井からは時々ぽつりぽつりと地下水が落ちて来る。天井には鍾乳石が垂下し床下には石筍が林立している。石筍というのは床下の水に含まれている炭酸カルシウムが沈澱し堆積して生じたタケノコのような突起物のことを言うのである。この中に入るのは初めてなので、ケンロクエンはおじおじしていたが、この地の神を祭祀するという意味で鍾乳洞に足を踏み入れる前に合掌した。
「ここは気味が悪くて吸血鬼でも出てきそうでありんす」ケンロクエンは言った。
「吸血鬼ってバンパイアのことか?」アマギは確認した。「ケン少将は物知りだな。だけど、おれたちには吸われる血が流れていないぞ。できれば、ハイエナと一緒に吸血鬼にも会ってみたいものだな」アマギはフランクに言った。アマギの辞書には「恐怖」や「畏怖」といった言葉がごっそりと抜け落ちてしまっている。
アマギとケンロクエンは三分ほど鍾乳洞の中を歩いた。ケンロクエンは依然としてびくびくしている。アマギは余裕ぶっている。事態はそんな時分に動いた。突然「何をしに来た?」というアマギでもケンロクエンでもない第三者の声が聞こえてきた。ケンロクエンは必要以上に竦み上った。
「この声はハイエナかな?」アマギはこの状況を完全に楽しんでいる。
「いかにもそうだ」第三者の声は言った。「おれはハイエナだ。それがわかったら、お前たちはとっとと引き返した方が身のためだぞ」その声は威圧的である。ケンロクエンは「よし」と言った。
「それでは帰るであります」ケンロクエンはあっさりと引き下がった。ケンロクエンはハイエナが怖くてしょうがないのである。しかし、アマギは納得できず「どうしてだ?」と言った。
「おれたちはまだここで何もしていないじゃん」アマギは正論を口にしている。「この先にパワー・ストーンがあるんだろう? おい! ハイエナくん! おれたちはこの先に用があるんだよ」アマギはハイエナにも臆することなく話しかけた。ハイエナは「おれ『たち』だと?」と聞き返した。
「さっきの声には聞き覚えがある」謎の声の主は記憶を手繰り寄せた。「そうか。お前はケンロクエンだな? この地の悪ガキの三人組の一人だ」ハイエナは言った。アマギは「なんだ?」と言った。
「ケン少将を知っているのか? それなら、話が早い。ここを通してくれ」
「そうでありんす」ケンロクエンは言った。「できることなら、ぼくのネーム・バリューで通してくれでありんす」ケンロクエンは割と図々しいことを言っている。そばにはアマギがいるので、少しはケンロクエンも虚勢を張れるのである。しかし、第三者の声は容赦なかった。
「ええい! うるさい! ここはお前のようなひよっこがくるようなところではない! 早く帰れ! さもなくば、噛みちぎってやるぞ」姿は見せないが「自称・ハイエナ」は大いに威嚇をしてきた。ケンロクエンは「ひえー!」と言ってすっかり意気消沈してしまった。
「あれ?」アマギにしては繊細なことに気づいた。「よく聞いてみると、声は上から聞こえていないか? ハイエナって飛べる生き物なのか? すごい生き物だな」アマギは感心している。上空にいる「自称・ハイエナ」は「ぎくっ!」と言って動揺してしまっている。アマギは「え?」と聞き返した。
「今『ぎくっ』て言ったのか?」アマギは惜しいところまでは来ている。「珍しい動物だな。そう言えば、ミヤマは最近『ガーン!』って言って驚かないな。あはは」アマギは余裕である。「今はそれどころじゃないか。とりあえず、この先を進んでみよう! ハイエナが飛んでいるところを見られるかもしれないぞ」アマギはそう言うと前進を始めた。ケンロクエンはその場で立ちつくしている。アマギはそれに気づかずにどんどんと前へ進んで行った。謎の生き物はここでようやく痺れを切らした。
「わかったちゅん」第三者は思わず声を上げた。「降参だちゅん」
「その語尾はなんだ?」アマギは「ちゅん?」と聞き返した。目の前にはスズメが降りてきた。
「はじめましてちゅん」小鳥は言った。「ぼくはスズメです。ここにはハイエナなどいないのですちゅん」
「なんだって?」ケンロクエンは驚愕し強気に出た。「それはどういうことでありんす。訳を話すでありんす」
今まではアマギとスズメのやり取りを遠巻きに眺めていたが、ケンロクエンは急いでこの場にやって来た。
「あれ?」アマギは鋭い指摘を入れた。「ケン少将は相手がハイエナじゃないとわかったら、急にふんぞり返るようになったな」今日のアマギは意外と冴えている。
「ごめんなさいでありんす」ケンロクエンは恥ずかしくなってしまった。
「ここにハイエナがいないこと・その代わりにスズメがいること・この二つは門外不出の事実ちゅん」スズメは独特の語尾で言った。「その二つは絶対に口外しないでほしいことです。もし、それを守ってくれるのなら、次のステージへの扉を開けてあげてもいいですちゅん」スズメは交渉モードに入った。
「よし」アマギは同意した。「わかった。テンちゃんにも言ったらいけないのか?」アマギは聞いた。
「そのとおりです」オスのスズメは紳士的な態度で聞いた。「守れそうですか?」
「わかった」アマギは合意した。「おれはテンちゃんたちにも言わないよ」
「わかったでありんす」ケンロクエンも賛同した。「ぼくも誰にも言わないでありんす。上官のカイ中将にも言わないでありんす。しかし、それはどうして言ったらいけなのでありんすか?」ケンロクエンは質問した。
「理由は簡単です」スズメは滑らかに言った。「パワー・ストーンがたちまち誰にでも手に入ってしまったら。ありがたみが全くなくなってしまうからです。それでは第二ステージの始まりちゅん」
「よっしゃー!」アマギは気合を入れた。「やってやるぞー! 何をやればいいんだ? スズメくんを倒せばいいのか?」アマギは割と物騒なことを言っている。スズメは案の定「そんな荒っぽいことはもっての他ちゅん」と応じた。ケンロクエンはケンカ沙汰にならず密かに安堵している。
「クイズに答えてもらえれば、それでいいのです。第一問です。12時間ほど何も食べないと死んでしまうアニマルは次の内のどれでしょう? 一はモグラです。二はスズメです。三はリスです。どれでしょう?」スズメは問いかけた。アマギはすぐに「わかった!」と言ったが、ケンロクエンは「ちょっと待った!」と割って入った。ケンロクエンはアマギには臆することなくズバリと言った。
「まさかとは思うけど、アマギ元帥はスズメと言おうとしてはいないんでありんすか?」
「よくわかったな」アマギはいい加減な口調で言った。「答えは二なんだよ。たぶん」
「いや」ケンロクエンは慎重だった。「それはおそらく違うでありんす。これはひっかけ問題で」ケンロクエンは言いかけた。アマギに皆まで言わせてもらうことができなかったのである。
「そうか?」アマギは勝手に答えた。「それなら一のモグラだ!」アマギは自由奔放である。
「って」ケンロクエンはつっこみを入れた。「早い! 決めるのが早すぎるでありんす!」
「お見事です」スズメからは素早い返事が返ってきた。「正解ちゅん」
「って」ケンロクエンはすっかりペースを奪われ乗りつっこみを入れた。「正解なのかよ!」
「それでは第二問です」スズメは引き続いて出題をした。「仲間が死ぬとお葬式のような儀式をするアニマルは次の内のどれでしょう? 一はサルです。二はイノシシです。三はゾウちゅん」
「ダメだ」アマギはすでに解答権を破棄した。「わからないや」アマギは諦めが早い。この問題は止むを得ず年少のケンロクエンが答えることになった。ケンロクエンは一番に自分が背中に乗りたいのはゾウであると考えた。ケンロクエンの考え方もアマギと大差はない。しかし、この意味不明の論理で答えると、正解はゾウだった。続いては第三問である。スズメは問題を口にした。
「次の問題です」スズメは饒舌である。「飛ぶことができる唯一の哺乳類は次の内のどれでしょう? 一はウォンバットです。二はコウモリです。三はムササビです。どれでしょう?」スズメは解答を促した。
解答者の二匹はこの問題にも頭を悩ませたが、アマギはウォンバットを選択し、ケンロクエンはムササビを選択し口頭じゃんけんにより、結局はケンロクエンの案が採用されることになった。
スズメはもったいぶった口調で「ファイナル・アンサー?」と聞いてきた。ケンロクエンは「ベリー・ベリー・ファイナル・アンサー!」と言って調子に乗っている。しかし、それは不正解だった。選択肢は全て哺乳類だが、答えはコウモリである。ウォンバットは飛ぶことができない。ウォンバットは体形がコアラに似ており尾がほとんどなく体は灰色から淡黄色で草や根を食べるのである。ムササビは飛ぶのではなく滑空することしかできない。ようはアマギがじゃんけんで勝っていても不正解だったのである。
「せっかくここまでやって来たというのに、なんということでありんす。これじゃあ、上官から10日間の絶食を命じられてしまうでありんす」ケンロクエンは絶望してそんなことを言っている。
「あーあ」アマギも残念な気持ちを露わにした。「もう少しだったのにな」
「無事に問題は終了しパワー・ストーンも手に入ったというのに、何が残念なのちゅん?」スズメは不可思議なことを言っている。ケンロクエンは当然「え?」と言い困惑した。
「それはどういうことなのでありんすか? 一体」ケンロクエンは聞き返した。
「ぼくは初め『クイズに答えてもらえればいい』と言いました」スズメは説明した。「ですから、ぼくは君達にパワー・ストーンを一つ上げるのです。おめでとうですちゅん」
ケンロクエンは呆気に取られキツネにつままれたような顔をしている。
「なーんだ」アマギはシンプルに理解した。「答えが合っていようが、間違っていようが、問題に答えるだけでいいなんてスズメくんはいいやつだな」アマギはガッツ・ポーズをして見せた。「ありがとう」
アマギとケンロクエンの二人はスズメによって入り組んだ鍾乳洞を案内された。アマギたちの二匹はある一室でパワー・ストーンを入手することに成功した。パワー・ストーンというのは貴石の中でも特殊な力が宿っていると考えられている石である。実際はオカルトとして人間界でお守りのようなものとされている。
ただし、昆虫界におけるパワー・ストーンはそうではない。そのストーンは歴然とした特殊能力を持っている。次の三つの内のどれか一つの願いを一度だけ叶えてくれるのである。
第一は三分間だけ透明人間ならぬ透明昆虫になれる。第二は自分とは違った種類のカブトムシやクワガタに変身できる。第三は影武者として自分の分身を一匹だけ作ることができる。
スズメから以上の説明を聞くと、アマギとケンロクエンの二人はスズメにお礼を言って帰り道を歩き始めた。ケンロクエンは使命をコンプリートして意気揚々である。
シーサーの魔の手によって生命の危機に直面していたはずのテンリは無事である。テンリは訳があって危機一髪で助かったのである。今のテンリは休憩することによりヒーリングを行っている。
成す術もなく現在のシーサーという名の変質者は捕らわれの身となっている。安全を確保できたので、シナノはすでに葉っぱから身を出している。ボイジャーは未だにバッテリー切れのままである。シーサーはボイジャーがやっつけてくれた訳ではなく驚くべき事態によって問題は解決したのである。
「おかしいと思っていたんです」ボイジャーは発言をした。「拙者はさっきからずっとこんなところには木があるはずがないと思っていたんです」ボイジャーはようやく針のむしろ状態から解放された。だが、ボイジャーは驚きながらも慚愧に堪えない様子である。
かの節足帝国のロボットとはいえ、しょせんはプロトタイプなので、やはりというべきか、ボイジャーは残念ながら俊秀にはできていないのである。シーサーはテンリが打ち負かしたということでもない。
不意に木の根っこがシーサーをからめ取りシーサーの身動きを取れなくしてしまったのである。その木は樹齢50年であり、全長は2メートル50センチもあるが、動いたということはその木は生きているということである。その木は喋ることもできる。なによりも重要なことはシーサーに対して行ったテンリによる「蟷螂の」も助けが来るまでの時間稼ぎには役に立ったという訳である。テンリの闘志も無駄ではなかったのである。
「わてはシンドウと申します」樹木は言った。「皆はんはご無事でっか? わてはぐっすり熟睡してしまっていて気づくのが遅れてしまいました。あいすんまへん」シンドウはそのようにして話しかけた。
「ううん」テンリは気丈に言った。「いいよ。助けてくれてどうもありがとう。ぼくはシンドウさんのおかげですごく助かったよ。ぼくはこのくらいで根を上げていたらいけないんだよ」テンリは妹のミナをいつかアルコイリスまで連れて行ってあげる時のことを思っているのである。
「シンドウさんも節足帝国の出身なのかしら?」シナノは口を挟んだ。
「はい」シンドウは礼儀正しい。「そうでおます。元はただの物だったのですが、わては命を授けられて喋れたり動いたりできるようになったのでおます。この変態オヤジはどうしまっか? わてもこのシーサーはんのよくない評判はよく知っておます。わてはこの甲虫王国でその昔『森の守護者』もやっていたことあるのでおます。わてが『監獄の地』へとシーサーはんを連れて行きましょか?」シンドウは親切に言った。
「どうしようか?」テンリはシナノに対して意見を求めた。
「私達の次の目的地は確か『監獄の地』だったはず」シナノは理知的である。「私達もこれからシンドウさんと同行しましょう。それでもいいかしら?」シナノはシンドウに対して聞いた。
「はい」シンドウは素直である。「もちろんでおます。そう言えば、お名前をまだ伺っておりませんでした」シンドウは肝心なことを思い出した。テンリとシナノとボイジャーの三匹は名乗った。テンリとシナノの二匹はその時にアマギとミヤマのことも忘れずに説明しておいた。シンドウはすぐに状況を把握してくれた。
「ボイジャーはんは見たところロボットみたいでおますが、シーサーはんとはどうして戦わなかったのですかい?」シンドウは銀色のボイジャーを見て不思議そうにしている。「強いはずでっしゃろ?」
「今の拙者は恥ずかしながらバッテリー切れなのです」ボイジャーは恥を忍んで言った。しかし、ボイジャーのことを誹謗中傷する者は誰もいなかった。この場の者は皆がやさしいのである。
「そら」シンドウは理解を示した。「仕方ありまへんな。わてがボイジャーはんをお送りしましょか?」シンドウは親切に申し出た。シンドウになら、確かに10キロもあるボイジャーを持ち運ぶこともできる。
「いいえ」ボイジャーは恐縮した。「いいんです。拙者は自業自得です。のろのろとなら、帰るエネルギーは残っています。カイ中将とケン少将が帰ってきたら、今日はもう一緒にお家へ帰ります。テンリさんとシナノさんにはお詫びのしようもありません」ボイジャーは謝った。「どうもすみませんでした」
「ううん」テンリは応じた。「いいよ。元はと言えば、シーサーさんが現れる前にぼくたちがボイジャー准将にエネルギッシュな曲芸を見せてもらっちゃったから、ボイジャーくんは体力を消耗しちゃったんだものね」
ボイジャーはテンリの上等なやさしさに触れ今にも泣き出しそうな感じである。
もし、ロボットでなければ、ボイジャーからは嗚咽が漏れていてもおかしくはない状況である。ボイジャーにもちゃんと感情というものが存在するからである。
「ありがとうございます」ボイジャーは言った。「拙者はお詫びすることしかできません」
「その気持ちだけで十分よ」シナノはボイジャーを宥めた。「それにしても、テンちゃんはすごく格好よかった」シナノはテンリの独擅場を思い出している。テンリは恥ずかしがりながら言った。
「そんなことはないよ」テンリは照れている。「アマくんとミヤくんなら、絶対にもっと格好よかったよ」
「おーい!」これはミヤマのセリフである。「テンちゃんとナノちゃんと会えてよかったよ。勝手な行動を取ってごめんよ」ミヤマはカイラクエンと共にこの場に姿を現した。
「あれはアマギはんとミヤマはんのどっちですか?」シンドウは問いかけた。
「ミヤマクワガタのミヤくんの方だよ」テンリは淀みなく答えた。
ミヤマとカイラクエンは木が喋っているのを聞いて一斉に驚きの言葉を吐いた。よく見るとシンドウから逃れようとしてシーサーがじたばたしているのも発見することができたし、ミヤマはテンリから事情を説明してもらうともっと驚愕した。ミヤマは自分の勝手な行動によりテンリとシナノを危険な目に合わせてしまい何度も謝罪した。ミヤマは申し訳ない気持ちを引きずったまま話し出した。
「シンドウさんは親切な木だな」ミヤマはお礼を言った。「二人を助けてくれてどうもありがとう」
「ええんですわ」シンドウはあくまでも紳士的である。「小柄なのにも関わらず、悪漢のシーサーはんと戦うテンリはんの勇姿にわては胸を打たれてしまったんですわ。このくらいはなんでもありまへん」シンドウはニッコリしている。ミヤマはさらにシンドウへの好感度を上げた。
その後もテンリたち一行が待っているとアマギとケンロクエンもここにやって来た。ミヤマと同じようにして話を聞くとアマギもテンリとシナノに謝り続けることになった。
「仮に『監獄の地』に放り込んだって出所したら、おじちゃんはまた誰かを追い回しちゃうよー」シーサーは突然に口を挟んできた。「君達もそうは思わないのー? ねえ」
「なるほど」アマギは得心した。「これが変質者か。言うことが一々気持ち悪いな。頭を冷やして『監獄の地』からは当分は出て来ないでもらおう」アマギはきっぱりと断言した。二男のケンロクエンと三男のボイジャーと話し合いをしていたのだが、それを終えると、長男のカイラクエンは徐に口を開いた。
「我々から一つお願いがあるであります」カイラクエンはなにやら真剣な顔をしている。「我々はアマギ元帥たちに多大な迷惑をかけてしまったので、パワー・ストーンを贈呈させてほしいであります。皆々さまにはぜひとも受け取ってほしいであります。さもなくば、我々の寝覚めが悪いし我々にだって通すべき筋というものもあるのであります」カイラクエンは子供なりに倫理を守ろうとしている。
「そうか?」アマギはあっさりと提案を受け入れた。「それなら、パワー・ストーンは貰っておくことにしよう」アマギは喜んでいる。テンリはカイラクエンからパワー・ストーンを受け取りポシェットの中に入れた。
「シーサー殿の尻拭いはアマギ元帥たちに任せてこれまた申し訳ないでありますが、我々はこれにて退却するであります」カイラクエンはお礼を言った。「色々とありがとうであります」
「本当にそうでありんす」ケンロクエンもお礼を言った。「どうもありがとうでありんす」
「ありがとうございました」ボイジャーも長男と次男と一緒にサンキュー・コールを合唱した。
テンリたちは奇妙奇天烈な昆虫の二匹と一台の権太とお別れした。『奇岩の地』でもごたごたとしていたが、テンリたち一行はすでに次の冒険の準備も万端である。
「ほな」シンドウはテンリたちを見て言った。「シーサーはんを連れて行きましょか」
それを受けると、テンリたちの4匹は同意した。テンリたち一行はシーサーを連れシンドウという名の木を旅の友として『監獄の地』にある刑務所へと足を向けることにした。
『奇岩の地』において大変な目に会ってしまったから、多少は今もドキドキしているが、事件は丸く収まったので、その点について言えば、テンリは大いに喜んでいる。
アマギとミヤマは今まで何をしていたのかとシナノは聞いた。ミヤマはおもしろおかしく自分の冒険譚を語りなんとなく重苦しかった場を和ませることに成功した。
テンリたち一行は快調なペースで歩いている。シーサーは未だにシンドウに根っこで捕らえられたままである。シンドウはかなりの力持ちだから、シーサーは逃げ出すことができないのである。
シンドウはのそのそと歩いているが、歩みが遅いせいなのか、木が生きているということをあまり他の虫に気づかれていない。ただし、たまに気づく者がいても特に話しかけてはこない。
シンドウの見かけはちょっと怖いからである。シンドウはそのことについてけっこう気にしている。テンリは歩きながらそんなシンドウに対して「ねえ」と話しかけた。
「シンドウさんは昔『森の守護者』をやっていたのに、今はどうして辞めちゃったの?」
「それに関しては曰く付きなのでおます」シンドウは答えた。
「シンドウさんは前歴者なのかい?」ミヤマは聞いた。
「それは少し失礼よ」真面目な性格のシナノは諫めた。「ミヤくん」
「いや」シンドウは真剣な顔で答えた。「その推量は大きくは外れておりませんですわ」
「シンドウさんは元やくざなのか?」アマギは問いかけた。
「アマくん」今度はテンリが諫めた。「とりあえず、続きを聞かせてもらおうよ」
「わてが『森の守護者』をしていたある時のはなしでおます。ヤンキーが傷害事件を起こしたんでおます。わてはその場にいたので、すぐに止めに入りました。しかし、止めたまではいいのでおますが、わてが捕まえたままでいるヤンキーの仲間がやって来てそいつを助け出そうとしたんでおます。そうなると、わては当然のことながら抵抗しました。結局は暴走し出したもう一匹も捉えることに成功しましたんでおます」
「中々の勇気ある話だ」ミヤマは合いの手を入れた。「シンドウさんは別にまずいことをしてないみたいだけど、その後はどうしたんだい? 一体」ミヤマは話を促した。シンドウは話を続けた。
「戦闘に夢中になっていたせいで捕まえていた方のヤンキーを圧死させそうになったのでおます」
「それは災難だったな」アマギは思いやりの心を持ってやさしい言葉をかけた。「だけど、シンドウさんだってベストを尽くしたんだから、しょうがないよな」
「やっぱり」テンリはシンドウのことを褒めた。「シンドウさんは強いんだね」
「わてはこう見えて意外と身のこなしが軽いのでおます」シンドウは照れ笑いを浮かべて言った。シンドウはシーサーを捕まえたまま軽やかな足取りでホップ・ステップ・ジャンプをして見せた。
しかし、シンドウは足を滑らせてしまい倒れそうになった。シンドウは慌てて隣の木に凭れかかったが、その木は「バキバキ!」と折れて倒木してしまった。あたりには「ドッシーン!」という音が響き渡った。テンリは「わー!」と悲鳴を上げた。アマギとシナノも思わず唖然としている。
「って」ミヤマはつっこみを入れた。「どんだけスケールがでかいんだよ!」
とはいえ、シンドウが倒した木はシンドウの半分ちょいくらいの大きさだった。しかし、木を倒してしまうのだから、シンドウはやはりすごいパワーの持ち主なのである。
「すんまへん」シンドウは起き上がると申し訳なさそうに言った。「皆はんはご無事でっか?」
テンリたちの4匹は無事だったが、シーサーは白目をむいてしまっている。これは「悪事は身に帰る」ということなのかもしれない。シンドウは他の皆と歩き出しながら言った。
「例え」シンドウは縮こまっている。「犯罪者であっても乱暴に扱ってはいけまへんな」シンドウは「すんまへん」と言ってシーサーにも謝罪した。テンリはその気概に感心した。
「おー!」シーサーは目をぱちくりさせている。「おじちゃんはびっくらこいちゃったよー」シーサーは別に怒ってはいない。シーサーの体表にも幸いケガはない。シンドウはすっかりと萎びてしまった。
「これこそ」シンドウは話を続けた。「わてが『森の守護者』を止めさせられた第二の理由でおます。意図している訳ではないのでおますが、わては度々周りのものを破壊してしまう悪癖があるのでおます」
「こういうミスはよくあるよ」ミヤマはとりあえず励ました。
「ミヤがそう言うとかなりの実感がこもっているな」アマギは冷やかした。
「無理のないように生きるのが一番だよね」テンリは安らかに言った。
「そう言ってもらえるとありがたいですわ」シンドウは言った。「今のわてはそんなこんなで一介の樹木として晴耕雨読の生活をしているのでおます」シンドウは少し小声になっている。シナノは穏当に言った。
「シンドウさんは私達のピンチに助けに入ってくれたんだから、それは立派だと思う」
「腐っても鯛だな」アマギは知っている言葉をいい加減に使った。
「ん?」ミヤマは指摘した。「それはあんまりいい表現ではないな。シンドウさんは腐っているのかい?」
「そうか?」アマギはすぐさま「ごめん」と自分の否を認めた。
「いいえ」シンドウは言った。「構いませんですわ。余計なことはもう止めておこうと決心したのですが、ああいうシーンを見るとやっぱり気づいたら、ナチュラルに体が動いてしまっていたんでおます」
シナノはアマギに倣い「スズメは百まで踊りを忘れず」という諺を呟いた。
「そうだ!」アマギは閃いた。「おれはスズメと」アマギは口ごもってしまった。
「あれ?」テンリはなんとなく心配そうである。「どうしたの? アマくん」
「この話はしたらいけないんだった」アマギはスズメとの契約を思い起こした。「皆にも話せないんだ」アマギは「ごめん」と言うとその代わりとして皆にパワー・ストーンの使い方を説明してあげた。
忘れっぽい質のアマギにしてみるならば、皆の合意を得られる程に上出来である。アマギはパワー・ストーンの使い方の三つを全てそらで覚えていたのである。
「一度しか、使えないのなら、使い時が大事だな」ミヤマは話を聞くと思慮深く言った。
「確かにそうね」シナノは応じた。「せっかくだから、大切にしましょう」
「おっさんの家族はシーサーのおっさんの愚行についてどう思っているんだい?」ミヤマはここできっぱりと話題を変えた。「すでに縁切りされているのかな?」
「でへへ」シーサーはやや悲しげに言った。「おじちゃんはここでは天涯孤独だよー」
「ふーん」アマギはシーサーを慮って聞いた。「だから、寂しくなって寂しさを紛らわすためにこんなことをするようになったのか?」アマギはなんとはなしに話している。テンリは「待って」と口を挟んだ。
「シーサーさんは気になることを言っていたよ」テンリは一を聞いて十を理解した。「ここでは天涯孤独っていうことは別のところではそうじゃないっていうことなんじゃないのかなあ?」
「でへへ」シーサーは気味悪く答えた。「おじちゃんは人間界には家族がいるんだよー」
「え?」ミヤマは意外そうにした。「そうなのかい? このおじさんは元々人間界にいたのかい? ナノちゃんは初めから存在を知っていたのかい?」ミヤマは頭の中をきちんと整理しながら落ち着いて聞いた。
「いいえ」シナノの方は否定した。「全く知らなかった。シーサーさんは私の住んでいたところとは別の場所に住んでいたんじゃないかしら?」シナノは予想を交えて答えた。
「その問いにはわてが答えられます」シンドウは話に割って入った。「シナノはんはトウジョウはんとサイジョウはんを知ってまっか?」シンドウは意外な名を持ち出した。テンリもこの話に興味津々である。
「ええ」シナノは肯定した。「サイジョウさんの方なら、知っています。私を甲虫王国に送ってくれた海賊団のメンバーの一人だから」シナノは幾らか感慨深げな様子で慎重に答えた。
「それなら」シンドウは言った。「シナノはんがシーサーはんを知らないのも無理はありまへん。シーサーはんはトウジョウはんの海賊団の船に乗ってここにやって来たんでおます」
「ちょっと待ってくれよ」ミヤマは疑問を呈した。「トウジョウさんっていうのはサイジョウさんの弟だって聞いていたけど、そのトウジョウさんっていう虫さんはなんでこんな変質者を連れてきたりしたんだい? 甲虫王国にとってみれば、どう考えてみても『百害あって一利なし』じゃないか」
「そう慌てないで下さい」シンドウは冷静である。「わてが『森の守護者』だった頃に人間界から変質者の消息がぷっつりと途切れたという情報が入ったんでおます。人間界ではそれで万々歳だったんでおますが、今度は甲虫王国において変質者による一件の被害が発生したんでおます。甲虫王国のお偉方は当然この二つの事実を結びつけて考えました。甲虫王国でも人間界のシーサーはんによる蛮行は知れ渡っていたんでおます。『悪事は千里を走る』というやつでおます。シーサーはんはいつの間にか人間界から昆虫界に密航していたんでおます」シンドウは長々と言った。テンリとシナノは真剣にそれを聞いていた。
「トウジョウさんはこのおっさんを意図的に連れてきた訳じゃないんだな? おっさんはどうして昆虫界にやってきたんだい?」ミヤマは聞いた。シーサーは「でへへ」と品の悪い笑みを浮かべて答えた。
「おじちゃんは人間界で名声を得たから、新天地に行きたくなっちゃったんだよー」
「碌な名声じゃないけどな」ミヤマは話を促した。「その後はどうなったんだい?」
「意外に思われるかもしれまへんが」シンドウは事情の説明をしてくれた。「シーサーはんが甲虫王国にやって来たという不安材料はあくまでも不安材料のままで終わったと考えられていました。それというのも、甲虫王国では変質者による事件はさっき言った一件のみだったからなのでおます」
「甲虫王国の国民は煙に巻かれたようになってしまったという訳ね?」シナノは相槌を打った。
「シナノはんの言うとおりでおます」シンドウは言った。「ただし、それはつい最近までのお話でおます」
「シーサーのおっさんはしばらく息を潜めていたのにも関わらず、最近になってなぜかまた罪を重ねるようになったっていうことだな?」ミヤマは聞いた。「その理由はなんなんだい?」
「おじちゃんは君みたいなとんまさんには教えてあげないよー」シーサーはまた「でへへ」と下卑た笑みを浮かべた。それを受けると、ミヤマは「むかっ!」と来たが、テンリはそれを抑えた。
「話したくないなら、それでもいいよ」テンリはやさしい口調で言った。いつもから太平楽に構えているとはいえ、長らく話に口を挟んでいないが、アマギはこの場にいない訳ではない。アマギはこういう小難しい話についていけないだけの話である。テンリはそれを百も承知である。
「一つ思いついたんだけど」シナノは論理的な発言をした。「シーサーさんが鳴りを潜めている時に革命軍の勢力は健在していた。シーサーさんが表立った動きを見せた時に革命軍の勢力はバランスを失った。この二つの事実に関連性はないのかしら?」シナノはできるだけ平易な言葉使いで言った。
「確かにそうだ」アマギは久しぶりに口を挟んだ。「ナノちゃんはさすがに頭がいいな。そこのところはどうなんだ?」アマギは「おっさん」と呼びかけた。シーサーはついに観念したという様子で答えた。
「でへへ」シーサーはにやけている。「それじゃあ、かわいこちゃんに免じて特別に教えてあげるよー。確かにおじちゃんが人間界からここにやって来ると間もなく革命軍がおじちゃんに接触を計って来たんだよー」
「それはなんて言う虫さんでっか?」シンドウは聞いた。「わては名を知っているかも知れまへん」
「コンゴウとヒュウガとか言ったねー」シーサーは再び答えた。「取り澄ましていていけ好かないやつらだったよー」シーサーもその時のことを思い出すと気分はよくないのである。
「そうはいっても」ミヤマは口を挟んだ。「他の虫さんを追いかけ回すのを止めたということはおっさんにとってはそれ程に驚異的な存在だった訳だな?ナノちゃんとシンドウさんはこの二匹を知っているのかい?」ミヤマは聞いた。ミヤマはすっかりとシナノとシンドウのことを頼りにしている。
「私は人間界で一度くらいはその名を聞いたことがあるような気がする」シナノは首を振った。「でも、ほとんど知らないに等しい」シナノは自分の知識不足を嘆いている。
「確かにシナノはんがその名を知っていても何ら不思議ではありまへん」シンドウはやさしく言った。「その二匹はアトラスオオカブトとセアカフタマタクワガタですが、彼等も革命軍の強力な主力なのでおます」
「ふーん」アマギは「でも」となにかを言いかけた。だが、テンリは「ごめんね」と言いそれを止めた。
「アマくんはちょっと待ってね」テンリは昔のことを思い出しながらすぐさま言った。「ぼくとアマくんとミヤくんはその二匹と実際に会って話をしたことがあるよ」テンリは意外なことを言った。アマギは「えー?」と驚いている。一方のミヤマにも身に覚えは全くなかった。
「そうだったけ」アマギは考え込みながらも驚いて聞き返した。「いつの話だ?」
「ぼくとアマくんが旅に出てすぐクシロさんの相談内容は聞いたらいけないっていう忠告をされていたのに、ぼくたちはそれを無視しちゃった時があったでしょう?」テンリは問題を解き明かした。「そのお詫びとしてムツくんっていう男の子を探していたら、その二匹がムツくんの目撃情報を教えてくれたんだよ」
「確かにそんなこともあったっけな」アマギは気のない返事をした。ミヤマは「そうだ」と言った。
「おれも完璧に思い出したぞ」ミヤマはやや興奮している「その二匹にムツくんは『危険の地』にいるって言われて行ってみたら、カラスとカエルに襲撃されたんだ。この話は嘘くさいなと思っていたら、最後には本当にムツくんがいたんだよな?」ミヤマは記憶が蘇ったようである。
「おれはさっきから言おうと思っていたんだけど」アマギはミヤマを押し留めて言葉を発した。「コンゴウとヒュウガってこのおっさんの悪事を止めさせたりおれ達にムツくんの居場所を教えてくれたりしてるから、二匹は革命軍らしいけど、本当はいいやつなんじゃないかな?」アマギは中々穿った考えを口にした。
「それはなんとも言えまへん」シンドウは答えてくれた。「ただ間違いなくコンゴウもヒュウガも国を乗っ取ろうとするオウギャクの息のかかった虫さんたちでおます」
「コンゴウとヒュウガの二匹がおれたちの敵なのか味方なのかはわからない訳だな」ミヤマは話を纏めた。
「そうでおます」シンドウは言った。「平和に暮らしたい虫さんたちにとっては重大な問題でおます」
「ぼくたちにとってはそれ以上の意味合いも含まれているんだよ」テンリは悲しげに言った。
シンドウは当然のことながら不信の念を持った。テンリたちは革命軍に命を狙われているということやその理由を説明した。それを聞くと、シンドウはテンリたちのために「そんなバカな!」と憤慨してくれた。
「テンリはんたちは何も悪いことをしていないのに、それは逆恨みではありまへんか。しかし『シャイニング』という呼び名はテンリはんたちにとってふさわしいものでおます」
「成るように成ったんだから、仕方ないんだよ。コンゴウとヒュウガとはまた出会う時があったら、その時に敵か味方かを確かめてみよう。もう二度と出会うこともないかもしれないけどな」アマギは見ていて気持ちがいい程に堂々と言った。それについていえば『シャイニング』の他のメンバーも気楽に考えてアマギの意見と全く一緒である。しかし、テンリたちは再びコンゴウとヒュウガと相まみえることになる。
テンリたち一行は『監獄の地』に到着した。そこには夥しい数の牢屋がずらりと並んでいる。刑務所は他にもあるが、ここは甲虫王国で一番大きな刑務所なのである。ここは森ではなく草原なので、少しばかり殺伐としている。しかし、しっかりと通り道は舗装されている。それは人間界の轍よりも少し大きいものである。凶悪犯は狭い牢屋で一匹のみで寝起きをする。もし、凶悪犯を他の囚人と一緒にすると「同じ穴のムジナ」に対して暴力を振るうことが考えられるからである。
とはいっても『セブン・ハート』を使える凶悪犯でも牢屋から逃れることは不可能である。牢屋は鋼鉄でできているため『セブン・ハート』のどれを使っても鋼鉄を破壊する程の威力はないのである。それを知っている囚人は無駄に暴れたりはしない。甲虫王国における犯罪者は基本的に自由を剥奪される。懲役刑はない。甲虫王国において罪を犯した者は禁錮か拘留の罰を受けることになる。
死刑は受刑者の生命を奪う生命刑である。懲役・禁錮・拘留はそれに対して犯罪者の自由を剥奪したり制限したりする自由刑である。昆虫界では基本的に使われる機会が少ないが、罰金・科料・没収は犯人から一定額の財産を剥奪するため財産刑と呼ばれる。ここでは自由刑についてもう少し詳しく紹介することにする。懲役刑は所定の作業が義務づけられるが、禁錮刑はそうした刑務作業のないものを指すのである。
自由刑のもう一つである拘留は一日以上30日未満の間だけ刑事施設に拘置する刑罰のことを言い、禁錮の有期の場合は一か月以上を刑務所で拘置される刑罰という訳である。
甲虫王国の主な犯罪者は傷害と窃盗だけでほぼ100パーセントを占めている。他には『森の守護者』に対する公務執行妨害と犯人蔵匿がほんの少しあるだけである。
テンリたち一行は『監獄の地』にやって来るなりむさ苦しい男共に取り囲まれた。その中でもオレンジ色の羽と黒い体の組み合わせが美しいラコダールツヤクワガタはこの地の副看守長である。彼は名をレンダイと言って体長は85ミリである。レンダイは穏やかに口を開いた。
「驚かしてすみません」男は詫びた。「私は副看守長のレンダイです。ご用件を伺っても構いませんか?」
「もちろんでおます」シンドウは答えた。「変質者のシーサーはんを連行してきたんでおます」
レンダイを含めた看守たちは木が喋っていても特に驚いた様子はない。レンダイは口を開いた。
「お尋ね者の一人ですね」レンダイはさすがである。「ご協力どうもありがとうございます」
シンドウは看守に引き渡そうとしてシーサーを離した。シーサーは非常に迅速な行動で羽を広げて逃げてしまった。シーサーは後ろを振り返り「でへへ」とにんまりしながら言った。
「おじちゃんは頭がいいから、今から人質籠城事件を引き起こしちゃうよー」
「やれやれ」シンドウは呆れている。「わてが行きましょか?」
「いや」レンダイはシンドウを抑えた。「私が行きしょう。なんら問題はありませんので」レンダイは「ご安心下さい」と言うと羽を広げシーサー以上のスピードで飛びすぐにシーサーに追いついた。
「一瞬で蹴りをつけさせてもらいますが、悪くは思わないで下さい」レンダイはそう言うとふわりと浮かんだままシーサーに攻め入りシーサーの前方に回り込んだ。少しも接触をしていないのにも関わらず、シーサーはその威圧感だけで大波を受けたかのような衝撃を受けた。これは『セブン・ハート』の一つ『突撃のウェーブ』である。シーサーは「おぎゃー!」と言うと地面へ墜落して行ってしまった。シーサーは撃沈である。
「おお!」アマギはすっかりとはしゃいでしまっている。「レンダイさんは強いなー!」
「それにしても」ミヤマは冷めている。「おっさんは赤ん坊みたいな泣き方をするな。しかも、こうなることを予測できなかったっていうことはあんまり頭よくないじゃん」
「手加減したので、歩けるはずです。シーサーを連れて行って下さい」レンダイは部下に対して丁寧に命令した。シーサーはすっかり怯えきってしまっている。シーサーはすごすごと連行されて行った。
「わてはこれでお役ごめんでおます」シンドウは事態をしっかりと見届けると言った。「皆はんと出会えてよかったですわ。機会があれば、わてらはまたお会いしましょう」
「ああ」アマギは幾分か重々しい口調で言った。「そうだな。シンドウさんは元気でな」
「色々と面倒を見てくれてありがとう」テンリは気持ちを込めて言った。「バイバーイ!」
「ほな」シンドウは挨拶を返した。「さいならー」シンドウは「どしん・どしん!」と地響きを立てて行ってしまった。残ったテンリたちの4匹のところにはレンダイがやって来た。
「入れ違いになってしまいましたか」レンダイはちらっと遠方を見た。「あの喋る樹木さんにも改めてお礼を言いたかったのですが、仕方ありませんね。皆さんはここを通り抜ける予定なのですか?」
「ええ」シナノは肯定した。「そうよ。それは可能かしら?」
「もちろんです」レンダイは快諾した。「よろしければ、私に先導役を任して下さいませんか?」
テンリは「お願いします」と明るく言った。他の三匹にも異論はない。テンリたち一行はレンダイに連れられて歩き始めた。レンダイは気を使いゆっくりと歩を進めてくれている。
「さっきのあれを見ていたけど、レンダイさんは強いんだな?」アマギは話の口火を切った。
「ありがとうございます」レンダイに照れた風はない。「私は『すんどめの達人』と呼ばれていますが、看守長のシラキさんは『奥義の達人』と呼ばれているのです。私の場合は見てのとおり『セブン・ハート』を手加減するのが得意なのです。シラキさんの方は『セブン・ハート』を三つも使えるのです」レンダイは自信ありげにして説明してくれた。この地の看守長であるシラキの『衝撃のスタッブ』は威力が十分なので、石コロを50メートル先まで弾き飛ばしてしまうのである。シラキの強さはそれ程に折り紙つきという訳である。
「レンダイさんはいくつの『セブン・ハート』を使えるんだい?」ミヤマは聞いた。
「恥ずかしながら」レンダイは少しはにかみながら答えた。「先程の一つのみなんです」
「恥ずかしいことじゃないと思うけど、今のところはアマくんと一緒だね」テンリは言った。
「確かに」アマギはいつもの気楽な口調で話を合わせた。「そうだな」
テンリは「今のところ」と意味ありげに言ったが、それには理由がある。今のアマギは『迎撃のブレイズ』の練習中なのである。基本はすでにランギから教わっているので、あとはアマギがそれを研ぎ澄ますだけでなのある。ランギは全ての『セブン・ハート』を会得している。
「そうだった」テンリは話を変えてレンダイに対して真剣に聞いた。「これはけっこう重要な話だけど、革命軍のキリシマっていう虫さんは逮捕されたの? 自首したの?」
「確かにその両説が甲虫王国には流れているみたいですね」レンダイはしんなりと言った。「真相はその中間です。『マイルド・ソルジャー』がキリシマを捕まえようとしたら、キリシマは全く抵抗せずにすんなりと連行されたのです。自首と言えば、自首なのですが、名目は逮捕の扱いになっています」
『マイルド・ソルジャー』というのは王国の兵士のことである。王国の兵士は『森の守護者』と違って緊急事態にだけ動きを見せ、その強さは折り紙つきである。『マイルド・ソルジャー』というものは基本的に乱を鎮定するために動くことが多いという訳である。「マイルド」というからには気性の荒い虫が少ないことでも知られているし虫助けのために時には外征することもある。ただし、今は革命軍というものも存在しているので一応はその革命軍の挙兵に備えるという意味で一定の兵士は国内に残るようにしている。
「かのキリシマがすんなりと連行されるなんてちょっと薄気味の悪い話だな」ミヤマは相槌を打った。「なにか、悪だくみでもしているんじゃないのかい?」ミヤマは邪推かなと思いつつも言った。
「確かにその通りなのかもしれません」レンダイは同意した。「昨今では報復するために指名手配犯のオウギャクがここへやって来るという噂まで流れています。それは刺激を与えようとした者による人騒がせな出任せだという案も出ているのですがね。信じている虫と信じていない虫は半々ぐらいです」
アマギは短く「来るな」と言った。レンダイはいかにも不思議そうにしている。
「え?」ミヤマは聞いた。「それはなんだい? もしかして『来るな』っていう願かけかい?」
「いや」アマギは否定した。「違うよ。おれにはなんとなく本当にここにオウギャクがやって来るような気がするんだよ」アマギは言い切った。ただし、根拠はないので、これはアマギの動物的な勘に過ぎない。
「レンダイさん」ミヤマは呼びかけた。「この意見は聞き流してもらって構わないよ。今のアマはちょっと血迷っているだけみたいだから」ミヤマは適当に往なした。レンダイは「ははは」と笑ってしまった。
「そうですか? いや」レンダイは気を取り直した。「笑ってしまってどうもすみません。血迷っていると来ましたか。ひょっとしたら、オウギャクは来ないと信じている方がどうかしているのかもしれません。貴重なご意見としてどうか受け取らせて下さい。いずれにしても、キリシマはウィライザーと並ぶ最重要の囚人となった訳です」レンダイは重々しく言った。ウィライザーとは体長102ミリのリノケロスフタマタクワガタのことである。アマギはあまり興味はなさそうに「ふーン」と言った。
「そうなのか」アマギは聞いた。「それは誰だ?」アマギは世事に疎い。
「凶悪犯の一人です」レンダイは言った。「ウィライザーの今の年は25ですが、彼は小学校の頃から自分の気に食わないことがあるとすぐに暴力をふるう問題児でした。少年院でも年中問題を引き起こしており、ウィライザーは万年を刑務所で過ごしています」レンダイは説明した。ミヤマは口を挟んだ。
「ウィライザーの名前なら、知っているけど、彼は『セブン・ハート』を使えるのかい?」
「いえ」レンダイは否定した。「使えません。彼には教えてくれる師匠がいなかったのです。ですが『セブン・ハート』を使えない虫の中では実力は最強と言ってしまっても過言ではありません。ウィライザーは『衝撃のスタッブ』のような我流の奥義を使えるのです」レンダイはここで言葉を切った。
『衝撃のスタッブ』は木に穴をあける奥義だが、ウィライザーの無手勝流の奥義は木が歪みそうな程の衝撃を与えるので、そういう点では『突撃のウェーブ』とも似ている。
「ウィライザーがどれ程にすごくても脱獄した虫は今までいるのかい?」ミヤマは話を変えた。
「いや」レンダイは余裕を見せた。「甲虫王国の長い歴史の中でも『監獄の地』から脱獄した者は一人もいません。そんなことは空前絶後でありたいと思っています。襲撃されたこともありません。もし、襲撃されても返り討ちにしていたというのが関の山かもしれませんが」
「心強いのね」シナノは他意もなく言った。「それなら、私達も安心していられそう」
「確かにそうだな」ミヤマは相槌を打った。「不敗神話はいつまでも続くといいな」
「そうですね」レンダイはマイルドに言った。「私も本当にそう思います」レンダイは自身の言葉を嚙み締めた。しかし、この後『監獄の地』では天と地がひっくりかえるような重大な出来事が起こることになる。
テンリたち一行は『監獄の地』の出口に到着した。別に『監獄の地』は狭くないのだが、レンダイは最短距離を案内してくれたのである。レンダイによる送迎もここまでである。
「送ってくれてありがとう」アマギは笑顔を浮かべながら社交的に言った。「助かったよ」
「レンダイさんはこれからもがんばってね」テンリはやさしい口振りで言った。
「おれたちも陰ながらレンダイさんのことを応援しているよ」ミヤマは調子を合わせた。
「ありがとうございます」レンダイは律儀に言った。「それではお気をつけて」
「ありがとう」シナノは返事を返した。「それじゃあ、さようなら」
レンダイはテンリたちを無事に送り出してほっとした。レンダイの部下であるオスのオガサワラネブトクワガタは駆け足でこちらにやって来た。彼は息を切らして「レンダイさん」と呼びかけた。
「少しトラブルが発生しました」看守は興奮気味である。「囚人の一人が無理やり檻から出ようとして体を挟んでケガをしてしまったようなんです。できれば、見に来て頂けませんか?」
「挟まったとは随分とバカなことをするやつがいるものですね」レンダイは承服しかねている。「わかりました。私もすぐに行きます」レンダイはそう言うと部下に続いて歩き出した。
あとから振り返ってみれば、これも不吉な兆しの序章だったということがわかるようになる。とはいえ、そのことから次の事態を予測しろというのは少し酷な話である。テンリたちがここを離れてから6時間後に入れ替わり立ち替わりオウギャクは本当にやって来ることになる。
アマギの動物的な勘は的中したのである。テンリたちの4匹からして見れば、まさにタッチの差だった。革命軍から命を狙われている『シャイニング』とすれば、幸運にも命拾いをしたという訳である。