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アルコイリスと七色の樹液 4章

翌日のイブニングになると、テンリ達の一行はマルモリとはお別れをした。フグであるマルモリも浅瀬まではやってこられないからである。

まだ、完全に船酔いが回復した訳ではなかったが、テンリはマルモリに対してお礼を言いに行ったので、マルモリは気分よくまた海中に戻ることができた。

テンリ達の一行の乗る船は太陽が沈みかける頃には遂に人間界の岸辺に到着した。人間界に来るのが初めてなので、テンリ達の三匹は大喜びをしている。

「よっしゃー!着いたー!楽しみだなー!」早速、アマギは快哉の声を上げると、一つの栗を持って目的もなくどこかへと一目散に飛んで行ってしまった。まさしくトラブル・メーカーである。

「え?おいおい!待てよ!アマ!」ミヤマはそう言うと、アマギの後を追って飛んで行ってしまった。ミヤマの場合、アマギを一人にしておくと碌なことがないと判断した結果である。

「さあ、みんな!いよいよ、お待ちかねの上陸だ!」船内から出てくるなり、アスカはいつになく明るい口調で言った。テンリ達の三匹がどんな反応を見せるのか、アスカは楽しみなのである。アスカはアマギとミヤマの脱走という今の出来事について何も知らない。テンリもそのことには気づいていない。

「わーい!記念すべき人間界への第一歩だ!」テンリはうれしそうである。

しかし、テンリは楽しげなセリフとは裏腹に恐る恐るちょこんと人間界へ足を踏み入れた。この頃になると、テンリも船酔いによる悪影響が薄れてほぼ体調は回復している。

「どうだ?テンリくん。人間界の様子は?」アスカは聞いた。そうしながらアンカーを下ろしてアスカも人間界に上陸した。アスカにとってここは馴染みの土地である。

「うん、なんだか、少し、甲虫王国と雰囲気が違う気がするよ」テンリは言った。

「そうか。それでは、予告の通り、ここからは小まめに点呼を取ることにする。早速、やるぞ!番号!」舵取り役のアスカは気合を入れて声を張り上げた。

テンリは元気よく『一!』と答えた。しかし、そこまではよかったのだが、当然、アマギとミヤマはいないのだから、それきり声は続かなかった。テンリは辺りを見回している。

「どうした?要領がわからないのか?いや。それ以前にアマギくんとミヤマくんはどこだ?まだ、下船していないのか?」アスカは悪い予感を抱きながらも一縷の望みをかけて聞いた。

「ぼくは探してくるね?」テンリはそう言うと、船を隅々まで確認することにした。テンリは気がやさしいので、まさか、アマギとミヤマが脱走したとは思っていない。

「どうだった?」元の場所にテンリが返ってくると、早速、アスカは聞いた。

「いなかったよ。ひょっとしたら、もう、どこかへ行っちゃったんじゃないかなあ?」テンリは推測した。それでも、テンリはアマギとミヤマに対して悪い印象を抱いていない。

「悪い予感はしていたが、やはり、そうか。あいつら!帰ってきたらただじゃおかないぞ!」アスカはアマギとミヤマのクレイジーな暴走に対して怒り心頭に発している。

 ただし、それは自分の指示に従わないから、アスカは怒っているのではない。もしも、アマギとミヤマの二匹が身の危険に合ってもアスカの目の届かないところへ行ってしまったらどうすることもできないので、アスカはアマギとミヤマの身の安全を案じているのである。

「だが、今、それをぐちゃぐちゃと言っていても仕方がない。予定の通り、私達はスイカのある場所を目指そう!」アスカはそう言うと、歩き出した。アスカは切り替えが早いのである。

テンリはその後に続いた。アマギとミヤマのことは少し心配だが、あの二匹は何だかんだ言っても生命力が強そうなので、今のところ、テンリもさほどには心配をしてはいない。

「テンリくんはアマギくんとミヤマくんと一緒にいて疲れたりはしないのか?」アスカは聞いた。

「うん。疲れないよ。確かに、二人共、自由奔放だけどね」テンリは苦笑いをした。

「そうか。立派だな。あの二人程に騒がしくはないが、時々、私は海賊仲間と一緒にいても途方もなく疲れることがある。無論、基本的には一緒にいて楽しい連中だけどな」アスカは言った。

「アスカさんと同じでアスカさんの海賊仲間もやさしい虫さんなの?」テンリは聞いた。

「ん?質問を遮ってしまうが、私はやさしいか?」アスカは不思議そうにしている。

「うん。だって、ぼく達の我がままを聞いてくれて人間界に連れてきてくれたものね?」

「そうか。そんなことを言われたのは初めてかもしれない。ありがとう。大抵、私は他の虫から気の強い虫だという感想を抱かれてばかりだからな。確かに私の仲間も根はいいやつらだ。皆、個性が豊かではあるがな。もちろん、私も含めてだ。テンリくんには何か夢はあるか?」

「うん。あるよ。ぼくだけじゃなくてアマくんとミヤマくんもアルコイリスの木で七色の樹液を吸うことが夢なんだよ。だから、今はその旅の途中なんだよ」テンリは事情を打ち明けた。

「そうだったのか。一度、私はアルコイリスには行ったことがある。確かに甲虫王国の誰もが必ず一生に一度は訪れるべき場所だと思う。まさしく七色の樹液は絶品だった」アスカは言った。

「そっか。やっぱり、楽しみだなあ。アスカさんには何か夢はあるの?」テンリは話を振った。

「私は節足帝国の潜水艦に乗ってみたいと思っている。私は海賊だから、いつも海上を漂っているが、時に海中の世界も見てみたい衝動にかられるからだ」アスカは強気な口調で言った。

「そうなんだ。いつか、その夢が叶うといいね?あれ?これはなんだろう?」テンリはそう言うと、自らが踏んづけたものを手に取った。テンリが手にしたものはとても小さな貝殻である。

「それは桜貝じゃないか。中々、珍しいものだぞ」アスカは教えてくれた。

「そうなの?それじゃあ、もう一つ見つけてミナちゃんとサクラちゃんのお土産に持って帰ろう」

「テンリくんのガール・フレンドか?テンリくんも隅に置けないな」アスカは冷やかした。

「違うよ。ミナちゃんはぼくの妹だよ」テンリは再びアスカと共に歩き出しながら答えた。

「そうか。私は一人っ子だから、うらやましいな。兄弟というものはきっとかけがえのないものだものな?サクラちゃんと言うのはテンリくんの姉か?」アスカは予想したものを口にした。

「ううん。サクラちゃんは忍者教室で一緒に学んだ女の子のお友達だよ」テンリは答えた。

「忍者教室か。私もよく名前は知っている。楽しかったか?」アスカは気楽な口調で聞いた。

「うん。楽しかったよ。アマくんとミヤマくんも一緒だったからね」テンリは陽気に答えた。

「それはよかった。ところで、どうして、テンリくんは忍者になろうと思ったんだ?」アスカは聞いた。

「うーん。なりたかったから、なったっていう答えはダメかなあ?」テンリは不安そうである。

 忍者になって強くなりたいからとか、格好よくなりたいとか、適当な理由を口にしてもよさそうだが、テンリは素直だから、ただ、忍者に対する漠然とした憧れによって忍者になったという理由だけを口にした。何かの理由を口にするのは時に難しい時もあるという訳である。

「いや。別に構わない。何に魅力を感じるか、それは虫それぞれだ。ただ、テンリくんは他の虫がなりたがっていたからではなくて忍者になったのか?」アスカは詰問口調である。

「うん。そうだよ。ぼくだけでもきっと入会はしていたと思うよ」テンリは明快に答えた。

「そうか。その心意気は大切だ。流されて行くこと、歩み続けること、その二つは全く違う。時に流されてもみるのもいいが、どうせなら自分の道は自分で切り開いた方がいいに決まっている」

「うん。そうかもしれないね。それじゃあ、どうして、アスカさんは海賊になろうと思ったの?」

「なりたかったからと言ったら、テンリくんは怒るか?」アスカは笑みを浮かべて聞いた。

「ううん。ぼくは別に怒らないよ。ぼくだって忍者になった動機は曖昧なものだものね?」

「そうだな。だが、強いて言うならば、海賊行為で得たものを他の虫達に対して無償で提供する海賊の姿に憧れたから、それが私が海賊になった動機の一つかもしれない。お、もう一つ桜貝を発見したぞ!中々、ラッキーだな」アスカは貝を手に持ってテンリの方を振り返りながら言った。

「本当だね。ねえ。見て!見て!ぼくもすごいものを発見したよ!これは何かなあ?」テンリはそう言うと、アスカに対して謎の物体を見せた。テンリは見たことがないものである。

「それか。それは人間の毛髪だ。残念ながら貴重なものではない。ただ、不潔なだけだ」

「そうなの?それじゃあ、これを持って帰るのは止めにしようか」テンリはそう言うと、人間の毛を砂浜に置いて再びアスカと共に歩き出した。テンリは人間界の様子を注意深く窺いながら歩いている。一応、付け足しておくと、髪の毛は違うが、今のテンリとアスカのようにして浜辺に打ち上げられた桜貝のような漂流物を拾い集めることをビーチコーミングと言う。

約10分、テンリとアスカの二匹が黙々と歩いて行くと、海の家が見えてきた。明るい内ならば、浮き輪や水着やビーチ・サンダルといったものがここで販売されている。

「あそこが私達の目指していた場所だ」アスカは海の家を指さして言った。

「そうなんだ。おっきい建物だね?あの中にスイカがあるの?」テンリは無邪気に聞いた。

「いや。野外に置きっぱなしのはずだ。私がちょっと確認してくる」アスカはそう言うと、先に羽ばたいて行った。テンリも早足でついて行くと、アスカは『おいで、おいで』の素振りを見せた。

テンリはアスカに追いついた。そこにはスイカの入っているダンボールを発見することができた。当然だが、人間の食べた後のスイカである。

「この中からスイカをもらってもいいんだね?」テンリは状況から判断した。

「ああ、そういうことだ。だが、スイカはけっこう重いから、言うは易く行うは難しだ。最後まで諦めずにがんばろう!」アスカはいつもの通り気合いを入れ直しながら答えた。

テンリとアスカの二匹はスイカの奪取に奮闘することになった。アスカは普段から一人ではなくて現在のようにして二人でスイカを甲虫王国に持ち帰っている。

 アスカは女性だが、普段から体を鍛えているので、むしろ、男のテンリよりも力持ちである。テンリとアスカの二人でスイカを持てば、船に持って帰ることは可能である。

 テンリはなんとかスイカを運ぶ作業の要領を得てアスカと世間話をしながら事に挑めるようになってきた。桜貝はスイカの上に乗っけて運ぶことにした。


その頃、アマギとミヤマはランダムに選んだ民家の雨戸の前を飛び交っていた。ミヤマはすでに船に戻るようにアマギを説き伏せる努力を終えて諦めている。

アマギは当然アスカによって怒られることになるが、本人は全く気にしていない。というよりも、アマギにしてみれば、別に悪いことをしているという意識すら持っていない。

ただし、ミヤマは罪悪感を覚えている。しかも、勝手を知らない人間界にやってきて尚且つ暴走をしてしまって生きて帰れるのか、ミヤマは少し不安に思っている。

「アマはこんなところに何かあると思うのかい?」ミヤマは怪訝そうにしている。

「うん。きっと、何かがあるぞ!」アマギはホバリングをしながら間髪を入れずに首肯した。

「ふーん。そうなのかい?根拠は?」ミヤマは地面で羽を休めながら聞いた。

「勘だ。それより、どうやったら、これは開くんだ?」アマギは不思議そうにしている。そう言いながらも雨戸を角で押したり、端っこを持って引っ張ったり、傷つけて破ろうとしたりとしたり、アマギは様々な試みをしていたが、諦めると『開け。ゴマ!』という呪文を言い出した。しかし、当然のことながら、雨戸が開くことはなかった。

「なーんだ。呪文もダメなのか。それじゃあ、これは開かないものなのかな?」アマギは落胆した様子である。アマギはどうでもいいことについて諦めが早いのである。

「いや。まだ、わからないぞ。そもそも、人間界に魔法はないはずだから、呪文は聞かないだろう。もっと、実際的、かつ、物理的に考えるべきだよ。普通に考えれば、押しても引いてもダメなら横にスライドさせるんじゃないのかい?」ミヤマは斬新なアイディアをひねり出した。

「お、そうか。ミヤマって意外と頭がいいんだな」アマギはすっかりと感心している。

「褒め言葉として受け取っておくよ。まだ、そうと決まった訳じゃないけど、『いっせーのせ!』で一気に開くぞ!」ミヤマは言った。ミヤマの呼びかけに対して一旦は持っていた栗を下に置いた後、アマギは無言で頷いた。アマギとミヤマのスタンバイはOKである。

「いっせーのせ!うわ!意外と滑らかに開いた!」ミヤマはそう言うと、ちゃんとスライドした網戸を超えて素早く栗を拾い上げると、アマギと共に部屋の中へ雪崩込むことにした。

もう、外は暗くなっているが、カブトムシとクワガタは夜目が効くという特殊能力があるので、人気もなければ、蛍光灯の電気もついていない室内においてわずかに差し込む月光だけが頼りでもアマギとミヤマは4畳半の部屋の中にある二つの飼育ケースを容易に発見することができた。

その一方のケースの上に乗って少しミヤマと考えた後、アマギは自分の角を使って力ずくで飼育ケースの蓋をこじ開けた。栗をケースの上に乗せたまま、アマギから先に中に入り込んだ。アマギによる侵入は成功である。アマギは興味津々で辺りを見回した。

中ではノマという名の35ミリ程のオパクスサビクワガタがナトリという名の15ミリ程のサメハダチビクワガタのことを体格差があるのを利用して一方的に痛めつけていた。両者は共にオスである。ナトリはやられっぱなしで約30秒前からノマに反抗できないでいる。

「なあ!昆虫ゼリーをくれないか?」とりあえず、アマギはノマに対してニコニコ顔で聞いた。

「あ?ダメに決まっているだろう!」ノマはナトリを攻撃しながらどやしつけた。

「まあ、この状況から見たら、そうだろうな」ミヤマは地面に着地しながら言った。

「調子に乗ってんじゃねえぞ!おら!」ノマは全く攻撃の手を緩めていない。

「おいおい!やめろよ!」アマギはさすがに見るに見かねて間に割って入った。

「ああ?うるさせえな!誰だ!てめえは?ってうお!」ノマは及び腰になった。ノマはようやくアマギとミヤマ二匹の存在を認識した。どうして、ノマが及び腰になったのかというと、ノマとナトリの間に体格差があるのと同様にしてノマとアマギとも体格差があるからである。

 もっと、詳しく言えば、ノマはナトリよりも20ミリ大きいが、アマギはノマよりも45ミリも大きい。体格差ではアマギの方がノマよりも圧倒的に分がある。

「とりあえず、事情を聞いてやろうか」ミヤマは二本足で立って腕組みをしながら悪者のノマに対して高飛車に言った。6本足で立っているアマギも同様にして聞く耳を持っている。

「あの、全部、こいつが悪いんだよ。普通、ゼリーは古株のおれが独り占めするっていうのが筋っていうものだろう?それなのによ。こいつは今日からやってきた新入りのくせに何て言ったと思う?ずけずけと飯を自分にも寄越せって言うんだよ。なあ?悪いのはこいつだろう?」ノマは聞いた。

「いや。悪くない」アマギは否定した。それを受けると、ノマは動揺している。

「いやってなんだよ。それじゃあ、おたくらはおれが悪いって言うのか?」ノマは聞いた。

「うん。悪い。かなり悪い」アマギは頷いた。隣にいるミヤマも無言で頷いている。

「そんなバカな話あるか?」ノマは心の底から信じがたく思っている。

「うん。ある。それじゃあ、君はどうしてほしい?」アマギはナトリに対して聞いた。

「ええと、仕返しとかはいいから、何を差し置いてもサトミに会いたい!」ナトリは答えた。

「よし!それじゃあ、そうしよう!おれはアマギだ!君は?」アマギに聞かれると、ナトリは名乗った。ミヤマもこの流れに従って自分の名前をナトリに教えてあげた。

「ナトリくん。立てるかい?ゼリーを一つもらって行って一緒に帰ろう!」ミヤマは言った。

「え?君達も一緒に来てくれるのかい?」心底、ナトリは意外そうにしている。

「もちろんだよ。もう、おれ達は友達だもんな」アマギは当然の如く言った。

「友達?うん。そうだよね。君達はやさしいね?ありがとう」ナトリはそう言うと、アマギとミヤマの二匹と共に飛び立とうとした。もう、ナトリにとってもこの場に用はない。

「やい!やい!やい!兄さん達よー!それはないんじゃねえのか?誰の許可を得てゼリーを持って行くんだよ!」ノマはアマギとミヤマの二匹のことを止めるべく不意に突っかかってきた。

「どうしてだ?二つあるんだから、一つはナトリくんのものだろう?それなら、いいじゃないか。何の問題があるんだ?ああ、そうか。確認しないといけないのか。ナトリくん。これをくれないか?」仕方がないので、アマギは自分が持っているパイナップルのゼリーを指さして聞いた。

「うん。もちろん。いいよ」ナトリは当然の如く首肯してくれた。

「ありがとう。それじゃあな」前半はナトリに対して、後半はノマに対して、アマギはそう言うと、ミヤマとナトリと一緒に飛行の体勢に入った。しかし、ノマはまたしてもそれを止めに入った。

「やい!待てって言うんだよ!おれの話を聞け!郷に入っては郷に従えっていう言葉を知らねえのか?ここのドンであるおれ様から物を持ち出したいのならおれ様の命令に従え!そのゼリーが欲しいなら!腕立て伏せを50回しろ!」性根の腐ったノマは滅茶苦茶なことを言い出した。

「へん。そんな条件は聞いていられないよ。こっちには頼もしい仲間がいるんだからね」ナトリは胸を張って言い張った。ナトリはすっかりとアマギとミヤマのことを頼もしく思っている。

「いや。せめて10回にしてくれないか?」アマギは低姿勢で懇願した。

「あれ?腕立て伏せなんてやる気なんだ」ナトリは明らかに拍子抜けした様子である。

「かっきりと50回はやってもらおう!」ノマはふてぶてしい態度を取っている。

「仕方ない。やってやろう」ミヤマは一つ吐息をついて不承不承といった感じで妥協した。

唖然としていたが、救世主の言うことなので、ナトリは口出しをしないことにした。ただし、こういう解決策もありなのかなと、ナトリはアマギとミヤマのオールマイティぶりに対して思いを馳せた。器の小さいノマは優越感に浸っているので、今は満足そうである。

アマギは30回の腕立て伏せをしてミヤマは20回の腕立て伏せをして事なきを得た。ナトリは飼育ケースから脱出しケースの上でアマギが蓋を閉めているのを見ながら不思議そうにして聞いた。

「どうして、あんなやつの言うことを素直に聞き入れてやったの?ぼくには今一わからないな」

「言い合いをしていても面倒くさいからな」アマギは当然のようにして言った。ケンカは強いが、凶暴な性格をしてはいないので、アマギは自分の気に食わないからと言って暴力を振るったりはしない。

「根性の捻じ曲がった虫に対しては適当にあしらってやればいいんだよ」ミヤマは言った。

「そうか。君達って本当に格好いいね?ケンカをすれば、100パーセント勝てるのにも関わらず、そうしないなんてこれが有名な負けるが勝ちっていうやつだね?」ナトリは感激している。

あるいは、こんな言葉も当てはまるかもしれない。『燕雀、いずくんぞ、鴻鵠の志を知らんや』というものである。一見すると、アマギとミヤマの二匹は言いなりになっていてノマをいい気にさせているだけなので、格好が悪く見えるかもしれない。しかし、小物にはわからない大物の考えがあるということである。アマギとミヤマの方がノマよりも考えは崇高だったということである。ノマも最後には情にほだされてサービスとして自らのゼリーも譲ってくれた。今のアマギとミヤマの二匹は一つずつのゼリーを手にしている。

「君達のことはサトミと同じくらいに好きになったよ」ナトリは尚も興奮を隠さずに言った。

「そういえば、そのサトミっていう虫はどこにいるんだい?」ミヤマは聞いた。

「この近くの雑木林だよ。ぼくも元々そこに住んでいたんだけど、お腹が空いていたから、不覚にも人間によるライト・トラップに引っかかっちゃってね」ナトリは照れくさそうにしている。

「そうなのか。それは大変だったな。いつなん時に災難は襲ってくるのかはわからないから、怖いな。ところで、ライト・トラップってなんだ?」アマギは小首を傾げるような感じで聞いてみた。

「って、わからないで同情していたのかよ!」一応、ミヤマは指摘しておいた。

「大きく張り出された白い布の後ろに蛍光灯があってそれを慕ってその布に止まったが最後、人間に捕獲されちゃうっていうのがライト・トラップだよ」ナトリは丁寧に説明をしてくれた。

「ふーん。そうなのか。やっぱり、世の中にはおれの知らないことばっかりなんだな。ん?でも、待てよ。人間は虫を捕まえた後、どうするんだ?」アマギは不思議そうにしている。

「どうするんだって聞くまでもないだろう?こうするんだよ」ミヤマは飼育ケースを指さした。

「ぼく達、昆虫、特にカブトムシやクワガタは人間の観賞用にさせられるんだよ」ナトリは解説を加えた。ナトリは体験者なので、中々、説得力のある物言いになっている。

「へー。やっぱり、格好いいからかな?」深刻な話のはずだが、アマギはうれしそうである。

「簡単に言えば、そういうことだろうな」ミヤマもちょっとうれしそうである。

「でも、捕まったら、ある程度は自由が束縛されちゃうんだよ」ナトリは大切なことを口にした。

「ああ、そうか。それじゃあ、捕まるのはごめんだな。おれは色々なところを歩いて色々なものを見るのが好きなんだ。あれ?でも、さっきのクワガタは脱出したがる素振りを見せていなかったぞ」アマギは指摘した。さっきのクワガタというのは悪者のノマのことを言っている。

「うん。確かにそうだったね?それは飼われることによるメリットもあるからだよ。人間に飼われていれば、毎日、おいしいゼリーが与えられるし、危険もないからね」ナトリは淀みなく答えた。

「そうか。納得だ。確かにそれは魅力的かもな」アマギは相鎚を打った。

「それから、周りの環境にもよるね。例えば、家族がいないで天涯孤独だったり、一番、ケースの中では自分が強くて天下無双だったりしたならば、たぶん、その虫はケースから出たがらないだろうね」ナトリは賢いところを見せた。ナトリはノマを見て気づいたことを話しているのである。

「デメリットもあるとはいえ、そういうメリットがあってもナトリくんは出たかったんだよな?」ミヤマは確認した。ミヤマはノマという悪者についてではなくてサトミについて言及している。

「うん。ぼくは愛するサトミのためにも何としてでもここから出なければならなかったんだよ」ナトリは色男を気取って言った。それ程にサトミに対するナトリの思いは強いということである。

「そっか。それじゃあ、ナトリくんはサトミちゃんに会えるといいな。そろそろ、もう一つのケースにも入ってみよう!ゼリーの種類が違かったら交換してもらえるかもしれないからな。ナトリくんも付き合ってくれるか?」アマギは聞いた。今のアマギとミヤマが持っているゼリーは両方共がパイナップルの味なのである。ミヤマにしても違った種類のゼリーもほしい。

「もちろんだよ。でも、その前にどうしても聞いておかないといけないことがあるんだけれど・・・・」ナトリは言い淀んだ。実は、ナトリにはずっと気になっていたことがある。

「なんだい?なんでもいいから、聞いてくれて構わないよ」ミヤマは聞いた。

「君達はこんな人間に見つかるかもしれない危険を冒してまで一体ここに何をしにきたの?まさか、ゼリーが食べたかっただけじゃないよね?」ナトリは恐る恐る聞いてみた。

「いや。ただ、ゼリーがほしかっただけだよ。後、単なる冒険だ」アマギは簡単に答えた。

「はあ、君達って最高に格好いいや」ナトリはそう言うと、アマギとミヤマを羨望の眼差しで見つめた。それを受けると、ミヤマは胸を張って堂々と偉そうなポーズを取っている。

「いや。そんなことはないって。普通だよ。そんなことより、次、行こう」アマギはそう言うと、ゼリーを持ったままもう片方のケースに飛び移った。ミヤマとナトリもアマギの後に続いた。

「よし!今回はアマじゃなくておれが先陣を切ることにしよう!合図をしたら一匹ずつ降りてきてくれるかい?」ゼリーを横に置いて中を覗き込むと、早速、ミヤマは提案した。

「うん。わかった!」ナトリは首肯した。アマギはすでに蓋を開ける作業に取りかかっている。ミヤマにはある思惑があるので、今からそわそわしている。

「よし!こっちもさっきと同じ要領で開いたぞ!」アマギは無邪気に喜んだ。

「OK!OK!それじゃあ、いざ、パラダイスへ!」ミヤマはそう言うと、飼育ケースの中に飛び降りた。ミヤマは格好をつけながら止まり木の上に軽やかに着地した。

そのケースの中に入っていたメスのパラレルスオオクワガタはその様子を目をぱちくりさせて見つめている。彼女の名はチヒロと言う。よくわからないが、ミヤマは二本足で立って片手を上げてまた格好をつけた。ミヤマはその内にチヒロに向かってダンディな低音で言った。

「やあ!お嬢ちゃん!今夜はいい天気だね?よかったら、おれと一緒に夜の街へ繰り出してときめきのお散歩にでもしゃれこまな・・・・うげ!」ミヤマの上にアマギが降ってきた。

ミヤマのくさい口説き文句は台無しとなってしまった。せっかくホストみたいにしていたのにも関わらず、ミヤマは晴れ舞台がおじゃんになってしまって少し怒っている。

「おいおい!アマは話を聞いてなかったのかい?ちゃんと言いつけは守ってくれないと困るよ!」ミヤマはアマギの下からもぞもぞと這い出ながらぶうぶうと不平不満を口にした。

「うん。そうだな。それで、ミヤマは何か言っていたのか?」アマギは悪びれる様子もなく聞いた。アマギは碌にミヤマの話を聞いていなかったのである。

「そうだなって素直だな!そこまで素直に言われると、もはや、潔すぎて何も言えないよ!」ミヤマはお手上げのポーズを取っている。やはり、アマギには悪意がなかったのである。

「ごめん。ミヤマくん。止めたんだけど、アマギくんは『きっと、パラダイスのようにしてゼリーが一杯あるんだ!』って言って強行突破しちゃったんだ。もしかして、まだ、ぼくも入ってきちゃいけなかったのかな?」ケースの中の地面に着地すると、ナトリは謹厳実直な態度を見せた。

「いや。別にいいよ。おれは危険があるんじゃないかなあと思って制止していただけなんだから。うん。特に危害を加えるような虫がいなくてよかった」ミヤマは一人で納得している。自分でパラダイスだとか言っていたのだから、あまりうまいとは言い難い口実である。それでも、ミヤマは気恥しさから口八丁ぶりを発揮してみせた。いつもは厚かましいミヤマにもこんな一面がある。

「あの、あなた達は誰?どこからやってきたの?」チヒロは恐る恐るといった様子で聞いた。アマギとミヤマは順番に名乗っておいた。その際、ミヤマは舞台俳優のようにして気取った。

「ぼくはナトリで隣のケースからきたんだ!」ナトリは最後に自己紹介をした。

「お『ナトリ』で『トナリ』ってよく間違えないで言えたな」アマギはどうでもいいようなことを愉快そうにして言った。とりあえず、ミヤマはそんな茶々を軽く受け流すことにした。

「まあ、自分の名前だからな。そんなことより、おれ達は甲虫王国から来たんだよ」

チヒロは驚愕の事実を知って『え?』と口に手を当てて驚きを表現した。ナトリはチヒロの急な驚きように対して不思議そうな顔をしている。ミヤマとてそれは右に同じである。

「ん?どうしたんだ?もしかして、甲虫王国からきたらいけないのか?」アマギは聞いた。

「それは本当?お願い!私も一緒に甲虫王国へ連れて行って!」突然、チヒロ以外の女性の声が聞こえてきた。今まで侵入者のアマギ達の三匹の死角に入っていたメスのヒメオオクワガタがその声の主である。突然、姿を現した彼女の名はシナノと言う。本来、シナノは大人しい性格の女の子である。

「うん!いいぞ!一緒に甲虫王国へ行こう!」アマギはシナノの申し出を承知した。

「早いな」当然、予想してはいたが、一応、ミヤマは驚いた振りをしてみた。

「どうして?ミヤマは嫌なのか?」天真爛漫な性格のアマギは不思議そうにしている。

「別に嫌じゃないけど、まだ、名前も事情も何も聞いていないじゃないか。一応、聞いてみないのかい?アマにとってはどうでもいいことなのかもしれないけど」ミヤマは達観している。

「ごめんなさい。私はシナノよ。約一年前、この近くの雑木林で人間に捕獲されてから、ずっとこのケースに入れられているの。でも、私はパパとママの元へ帰りたいの!」シナノは主張した。

「そうなのか?よーし!それじゃあ、一緒に甲虫王国へ行こう!」アマギは声を張り上げた。

「おいおい!待てよ!アマ!まだ、話が終わってないんじゃないのかい?今の話のままだと帰るべき場所はこの近くの雑木林っていうことになるぞ。話に齟齬が生じているよ」ミヤマは言った。

「あ、そうか。それじゃあ、この近くの雑木林まで一緒に行こう!」アマギは元気一杯である。

「っておい!それじゃあ、滅茶苦茶じゃないか!だから、行き先が変更したのが、なぜなのか、それが問題なんじゃないか!」ミヤマは一向に進まない話をようやくまとめにかかった。

「ええ。その通りよ。約一カ月前、ここにやってきたチヒロがパパとママは甲虫王国に引っ越しをしたって教えてくれたの。だから、私がパパとママに会うためには甲虫王国に行かないといけないの」シナノは言った。それを受けると、鈍感なアマギも含めてオスの三匹は事情を理解した。

「チヒロっていうのは私のことよ。よろしくね。おかしな虫さん」チヒロは親切にも自ら名乗り出た。『おかしな虫さん』というのはミヤマのことを指している。

 ミヤマは聞き流したのではなくて『おかしな虫さん』というのはアマギのことだと思った。とはいえ、アマギにしろミヤマにしろ二人共がけっこうな『おかしな虫さん』である。

「そうなんだ。ぼくは隣のケースにいたけど、全然、そんなことは知らなかったよ。苦境に立たされているのは何もぼくだけじゃないんだね?そういえば、シナノさんとチヒロさんは仲がよさそうだけど、旧知の仲だったのかな?」ナトリは聞いた。ミヤマもその話に聞き入っている。

「ええ。そうよ。でも、こんなチャンスは二度とこない。悲しいけど、シナノとはお別れしなくっちゃね」チヒロはしんみりとした口調で言った。シナノも少し暗い顔になってしまっている。

「そうだな。あれ?でも、それなら、チヒロちゃんも一緒にくればいいんじゃないか?」アマギは聞いた。アマギにしてはしっかりと理屈の通った判断なので、ミヤマとナトリも同意見である。

「ううん。今は土の中で眠っているけど、私にはパパとママが一緒なの。家族ってかけがえがない程に大事でしょう?それに、私達の家族が悪い虫に難癖をつけられているところをこのお家の人間は助けてくれたの。私達はその後もノマって言う虫さんと同じケースに入れられて折り合いがうまく行かなかったらそれに気づいてこのお家の人間はケースを別々にしてくれたの。だから、このお家の人間には恩があるの。そういうこともあって私はここを離れられないの」チヒロは懇切丁寧な説明をした。

「そうか。それなら、仕方がないな。気持ちはおれにもよくわかるよ」アマギは理解を示した。

「それじゃあ、おれ達は上で待っていようか?」ミヤマは気を使って言った。ミヤマはシナノとチヒロに水入らずでお別れをさせてあげようとしたのである。しかし、チヒロはそれを制した。

「ううん。シナノはいつか甲虫王国に行くつもりだったんだもの。私はいつでもお別れをする心の準備はできていたから、このままで大丈夫よ」チヒロはつらそうな顔をして言った。

「今まで私なんかの友達でいてくれて、ありがとう」シナノはお礼を言った。

「ううん。私達はいつまでも友達のままよ。『今まで』じゃない」チヒロは瞳を潤ませている。

「うん。ありがとう。さようなら」シナノはそう言うと、羽を広げて少し体を浮かせた。

「さようなら。元気でね。私はシナノがパパとママに会えるようにお祈りしているからね?」チヒロのその言葉を受けると、シナノは手を振って緩やかな速度でケースの外へ出て行った。

ミヤマはシナノとチヒロのこの別れに対して何とも筆舌に尽くしがたい悲しみを感じていた。自分達がここまで旅をしてきて別れたキラやヒリュウといった虫達とは違って今までどんなに長い時間を一緒にいたとしても、もう二度とシナノとチヒロは会うことが適わないからである。

会うは別れの始めかもしれない。一期一会の出会いもあるし、死別を始めとして時に別れはどんなことにも匹敵しない程に悲しみの運命を伴うものであるのかもしれない。

それでも、艱難は汝を玉にする。悲しみや苦しみも知らず知らずの内に立派な虫に成長させてくれるものなのである。だから、ミヤマはもっとこれからの出会いを大事にしようと思った。

ミヤマとナトリと共にケースの外に出ると、アマギは飼育ケースの蓋をしっかりと閉めた。その時、ミヤマは大きな失敗をしでかしたことに気づいた。シナノとチヒロにばかり気を取られていてシナノの分のゼリーの種類を確認してもしも別のものならば、それをもらっておくべきだったのである。しかし、引き返すのもばつが悪いので、ミヤマは潔くそれについて目を瞑ることにした。

その後、アマギとミヤマはシナノに対して現在の状況を話した。甲虫王国に帰る前にナトリをサトミという女の子に会わせなければならないということを説明したのである。

当然、それを聞くと、シナノは文句を言うこともなくそれに付き合ってくれることになった。それを受けると、ナトリはシナノに対しても深い恩義を感じるようになった。

しかも、シナノはもう二度とチヒロと会えないのならば、サトミと再会できるチャンスを得た自分は幸せ者だと思って、ナトリはより一層の感謝の気持ちを抱くようになった。

「おいおい!アマ!今度はどこへ行くんだい?もう、帰らないのかい?」ミヤマはアマギが出口の網戸とは正反対の方向へ飛んで行くのを見て聞いた。シナノとナトリも不思議そうにしている。

「せっかく人間の家に潜入したんだから、少し人間の生活ぶりをチェックしたいじゃないか。すぐに帰ってくるよ」アマギはそう言うと、人気のある部屋へ飛んで行ってしまった。

残ったミヤマ達の三匹はアマギを待つことにしようか、アマギについて行こうか、しばらく話し合ったが、結局はミヤマ達の三匹もアマギの後について行くことにした。

ミヤマ達の三匹がアマギの向かった方へ飛んで行くと、正面には先程いたところと同じくらいの部屋が見えてきた。しかし、この部屋には人間の姿は見当たらなかった。アマギは向かって右側にある障子から人間のいる部屋を観察していた。ミヤマ達の三匹もそこにやってきた。何だかんだ言っても人間界の家を探検するのは初めてなので、ミヤマは浮き浮きしている。シナノとナトリはおっかなびっくりの状態である。

「やっぱり、みんなも見にきたのか?今、人間が何かチカチカしたものを見ているんだぞ!あれは何だろうな?」アマギは小さな穴を覗き込みながら誰にともなく聞いてみた。

「あ、大変!それ、開けちゃったの?」シナノは障子の指窓を見て聞いた。

「うん。あはは、これが本当の障子に目ありだな」アマギは愉快そうにしている。

「一応、塞いでから帰った方がいいんじゃないかしら?」シナノは不安げである。

「え?ダメだったのか?それじゃあ。塞ごう。で、何で塞ぐんだ?」アマギはシナノの方を向いて聞いた。穴を塞ぐにはどんな方法があるのか、ミヤマも興味津々である。

「人間界にはセロハン・テープっていうものがあるらしいの。それなら・・・・」シナノは言いかけた。

「よし!それじゃあ、行ってくる!ちょっと待っていてくれ!みんな!」アマギはそう言うと、またまた、暴走し始めた。障子をぶち破って向こう側へ移り、アマギは人間のいる空間へと突入した。ナトリは『えー?』と言ってこの上なくショックを受けているが、一方のミヤマは冷静に解説した。

「アマにとってみれば、どうせ、直すなら小さい穴も大きい穴も同じだっていう考えなんだろうな。大抵、アマはそういう考えで行動しているから、何を考えているのか、簡単にわかるよ。穴の大小が違えば、たぶん、直す大変さは同じじゃないんだけどな」ミヤマは呆れている。

アマギが突入した空間は6畳の部屋である。向かって右側にはキッチンがあり、この家の母親と思しき女性がなにやら料理をしている。テレビの前には父親とその息子が一人いる。

アマギが『チカチカしているもの』と言っていたのはテレビのことだった。一メートル程、人間と離れた場所にある三段の収納ボックスのてっぺんにアマギは降り立った。

「おお、すごいなー!人間は日常から煙幕を使っているのか!何のためだ?摩訶不思議だな!」アマギはすっかりと感激している。実際は煙幕などではなくて父親のくゆらせている紫煙である。

アマギは本懐のテープ探しに奔走することになった。とはいえ、それがどこにあるのか、そもそも、どういう形をしたものなのか、アマギはわからないので、一分が経過しても大した成果は上げられなかった。当然と言えば、当然の結果である。その内、アマギは行動範囲を広げるために羽を広げて飛んで一気に人間との距離をつめて電話台に着地した。しかし、アマギのその行動は結果的に命取りとなってしまった。

人間の息子が羽音を聞いてアマギの存在を認識してしまったのである。早速、息子はジェスチャーを交えながら声を出して父親に対してアマギへの注意を喚起した。

昆虫の声は人間に通じなくても人間の声は昆虫に通じるので、そんなことになっているとは露ばかりも疑っていなかったアマギにもやっと状況を把握することができた。

しかし、それは遅すぎた。父親は灰皿に吸殻を落としていたのだが、アマギに気づくと、タバコを置いて素早く手を伸ばしてきた。アマギは逃げ出す間もなくあっけなく人間の父親に角をつかまれて捕まってしまった。アマギはじたばたしたが、時すでに遅しである。

人間の父親と子供は何度か言葉を交わした後、同時に腰を上げて障子の方へ向って行った。その頃、シナノとナトリは障子の外で待っていたが、ミヤマは障子の中に入っていた。

障子は重くて開けられなかったが、ミヤマはアマギの開けた穴から人間のいる部屋に忍び込んでいたのである。ミヤマにも好奇心が旺盛なところがある。

「おいおい!アマ!やるんじゃないかと思っていたけど、本当に捕まっちゃったのかよ!全くなんてこった!」ミヤマは人間の死角に入る場所へ隠れながら思わず絶望的な声を上げた。

シナノとナトリはそのミヤマの声と人間のかすかな足音を聞いて慌てて部屋の隅に隠れることにした。その結果、間一髪でこちらも障子が開く前に人間の死角に入ることができた。

人間の父親と子供は障子を開け放したまま、飼育ケースのある部屋へと向かって行った。人間の二人はアマギをノマかチヒロの家族が住んでいるケースへ入れようとしているのである。

「まずいことになったぞ!あのケースを開けられるのはアマだけだ!そのアマがケースに入れられたが、最後、アマはもう二度とケースから出ていけなくなっちゃう!」ミヤマはシナノとナトリと合流して人間から一定の距離を保ったまま飛んでついて行きながら悲壮感を露わにした。

「なんとかしましょう!」シナノは飛ぶスピードを加速させながら言った。シナノには腹に一物がある。とはいえ、今のシナノは憫笑していられない。

 その間、ナトリは唸っている。ナトリは自分をノマの摩の手から救ってくれたアマギが苦境に立たされているにも関わらず、どんな助けの手も差し伸べられずに歯がゆい思いをしているのである。

 アマギをかけがえのない友達だと思っているミヤマとてそれは同じである。今のミヤマは頭をフル回転させて、アマギの救出方法を考えているが、中々いい案は生まれてくれない。

 残るのはシナノの作戦だけになるが、シナノは割と頭がいいので、この後、アマギを救出するためにミヤマとナトリに対して斬新なアイディアを提案することになる。


その頃、テンリとアスカは海の家から自分達の船へ二つのスイカの移送作業を終えていた。まさか、今のアマギが絶対絶命の危機に陥っているとはテンリは思いもしていない。

今、海の家とヴァイキング船を二往復もしたので、テンリは船の前の砂浜で体を休めて人間界の様子を窺っている。テンリはあわよくばもっと人間界を探検したいのである。

さっきまで船上で一息ついていたが、体力には自信があるので、アスカはスイカの運搬作業をしてもさして疲れてはいないので、今はテンリのところにやってきたところである。

「どうする?ここでアマギくんとミヤマくんを大人しく待っていてもいいが、少し人間界を探検してみるか?私の知っている範囲なら案内してあげることはできるぞ」アスカは提案した。

「うん。そうする。もっと、ぼくは昆虫界と人間界の違いを見てみたい」テンリは言った。

「よし!それじゃあ、そうしよう!せっかくの遠征だ。もっと、色々と見ていかないと損だ。テンリくんには釈迦に説法かもしれないが、くれぐれも私の元から離れたりしないようにするんだぞ!」

「うん。わかったよ。ぼくもアスカさんとはぐれちゃったら怖いからね」テンリはそう言うと、アスカが船を下りるのを待ってからその証左としてアスカの後に続いて歩き始めた。

多少、テンリには臆病なところもあるが、今はアスカという心強い味方がいるので、すっかりと安心している。テンリは他人を信用することができる虫なのである。

 にわかとはいえ、テンリという海賊の仲間を引き連れているので、危険に敏感になり、アスカは何事もなく仲間と一緒に無事に帰宅できるように使命感に燃えている。

 テンリとアスカの二匹は人間界の奥の方へ探検をすることになった。しかし、その後、虫にとって人間と接触することは危険であるということもテンリは学ぶことになる。


 話はアマギ・サイドに戻る。今まさに人間の父親がオスのノマがいる飼育ケースにアマギを入れようとして手をかけていた時、一瞬、人間の父親とその息子は度肝を抜かれた。

ミヤマとシナノとナトリの三匹は一斉に人間の二人の上空を飛び交い出したからである。時々、ミヤマ達の三匹は着地してからまた飛び立つという動作を繰り返した。

人間の父親はその内にアマギを掴んでいない方の手でそばに着地したミヤマを捕まえようとした。しかし、ミヤマはすんでのところでそれをかわして飛び立った。

しかも、アマギを掴んでいた父親の手から力が緩んだ刹那にアマギも羽を広げて飛び立った。これこそ『二兎を追う者は一兎をも得ず』というやつである。危険が伴うことにはなるが、この一連の動き全てはシナノが考案してミヤマとナトリが大賛成したものである。

その後、自由になったアマギはミヤマ達の三匹に対してお礼を言って総勢4匹の虫は高速移動を続けてアマギとミヤマの二匹がゼリーを掴むのを確認すると、出口である開けっぱなしになっていた網戸を目指して飛んで行った。しかし、ここで一つのアクシデントが発生してしまった。

ノマに痛めつけられていたナトリは体力の限界を迎えて力なく地面に落ちて行ってしまった。アマギ達の他の三匹はそれに気づいたが、ナトリはそれを制止して叫んだ。

「ぼくに構わずに逃げて!」ナトリはそう言うと、サトミとの再会を諦めて近づいてくる人間の息子の方の人間の手に落ちる覚悟を決めた。しかし、それは杞憂に終わることになった。

アマギはゼリーを投げ捨ててナトリのことを救出してくれた。アマギはそのままの勢いを利用して感動しているナトリを掴んで出口の網戸へと急行で向かって行った。

無事にアマギによってナトリが救出されるところを見届けると、シナノとミヤマも出口へと向かって行った。ミヤマはしっかりと一つのゼリーを手にしている。

障子の穴は塞げなかったが、アマギとミヤマにとってはゼリーのお返しのつもりでノマの入ったケースの上に栗を一つ残してキツネにつままれたような顔をしている人間の親子を尻目にして見事にアマギ達の4匹は全員が人間の家を脱出することに成功した。


 テンリ・サイドの話である。暗闇の中で光っているというせいかもしれないが、大層、テンリには気に入ってしまった機械があった。その名は飲料の自動販売機である。

テンリはアスカが親心から暖かい視線を送っている中で上下左右に飛び回ってしきりに感動している。テンリは仕舞には三台の機械の釣り銭の取り出し口に順繰りに入り込む始末である。

しかし、何が功を奏するかはわからない。奇跡的にもテンリが入った最後の機械の釣り銭受けから誰かが取り忘れてしまっていた硬貨が出てきた。テンリにはその硬貨の特質がよく理解できていなかったが、アスカに仕切りに褒められたので、悪い気分はしなかった。これで買い物ができるようになった訳である。

労せずして得た硬貨を使って買い物をするべくこの辺りの地理に明るいアスカはテンリを引き連れてコンビニエンス・ストアを目指すことにした。テンリとアスカの二匹が飛行すること20分ようやく目的地に到着することができた。しかし、アスカはすぐに店内には入らずに寄り道をすることにした。

何をしようとしているのかというと、なぜか、アスカは店のそばにある燃えるゴミを漁り始めた。硬貨を横に置いて待たされているテンリは不思議そうに地面の上から眺めていたが、アスカが木の棒を持ってくるとなんとなく事情が呑み込めた。アスカは武器を探していたのである。

その棒というのは人間が使用した割りばしのことである。割りばしは消耗品であり、訓練をしていると壊れてしまうので、時々、アスカは今のようにして回収にくるのである。

テンリとアスカの二匹は人間が自動ドアを通り抜けるのを見計らってバレないように素早く店内に侵入した。テンリはびくびくしているが、アスカは堂々としている。

「わあ!夜なのに中は明るいね?噂には聞いていたけど、人間界は夜でも昼みたいっていうのは本当だったんだね?しかも、色々なものがあるよ。どれでも貰ってもいいのかなあ?」テンリは通路の端っこから疑問を口にした。テンリはそう言いながらもしきりに辺りを見回している。

「ああ、そういうことだ。だが、硬貨は一枚だけだから、どれか一つだけにしよう!」テンリと同じく通路の端にいるアスカは答えた。テンリも少しはこの店のシステムを理解した。

テンリとアスカの二匹は欲しい商品を選ぶために店内を一周りしてみることにした。しかし、危険はどこに潜んでいるものかはわかったものではない。

テンリが飲料の入った冷蔵庫に見とれていると人間がドアを開けたので、少しアスカが目を離した隙にテンリはその中に入ってしまった。しかも、テンリが急激な温度差に気づいた時はすでに遅く人間はドアを閉めてしまったのである。テンリは冷蔵庫に閉じ込められてしまった。

「わあ!出られない!寒いのに出られないよー!アスカさん!助けて!」テンリはガラス窓を叩いて助けを求めている。アスカはそれによってようやく事態を把握すると素早く雑誌の陳列棚の下に硬貨を隠して羽を広げて割りばしをドアの取っ手に引っかけて冷蔵庫のドアを必死に引っ張り始めた。

「今すぐに助けるぞ!もう少し、がんばるんだ!テンリくん!」アスカはそう言ったが、人間が近づいてきたので、アスカは作業を止めて一旦は隅に隠れることにした。テンリはその間も疲弊している。

冷凍庫に近づいてきた人間の若い女性はピン・ポイントでテンリのいるドアを開けた。テンリはその隙に冷蔵庫から脱出した。テンリはすでにフリーズしかけている。

「凍死するかと思った!迷惑をかけてごめんね」テンリはそう言うと、アスカの方へ歩いて行った。

「いや。いいんだ。原因は私の監督不足だっ・・・・」アスカは途中までしか言えなかった。冷蔵庫を開けた人間の女性はアスカが言い終わる前に『きゃー!ゴキブリー!』と絶叫したからである。

「え?ゴキブリ?どこにいるの?」テンリはきょろきょろと辺りを見回している。

「私達のことだ。硬貨を店員に渡して逃げよう!」アスカは早口で行動を促した。

「うん。わかった。でも、ぼくはゴキブリと似ているのかなあ?」テンリはそんな無駄口を叩きつつも硬貨を持ってすでに羽を広げているアスカの後に続いた。アスカは目をつけていた折り紙を引っつかむとレジの前にいる禿頭でおっとりした顔立ちの男性店員を指さした。

「あの人に硬貨を渡すんだ!テンリくん!」アスカは飛行しながら言った。

「うん。わかったよ!」テンリはそう言うと、店員に向かって一直線で飛んで行った。アスカは折り紙を持ったまま出口に向けて左折したが、テンリはぎりぎりまで店員に近づいて行った。禿げ頭の男性店員はびっくりして『わー!』と大声を上げている。テンリはその店員が大口を開けている中へ向けて見事に硬貨をゴール・インして店を出て帰路に就いた。

「そうか!人間は硬貨を食べるんだね?」テンリは少しこれで頭がよくなったといった感じで言った。無知なだけであってテンリに悪意はなかったのである。

「いや。それは違うんだが、まあ、不可抗力だ。仕方ない。あの人には後でうがいでもしてもらおう」アスカは的確な判断を下した。アスカは相変わらず冷静沈着である。

本来、まだ、アスカは25歳なので、モラトリアムの期間内だが、押しも押されもせずに精神的にはすっかりと成熟している。だからこそ、テンリはアスカを信頼しているのである。

テンリは船に帰りながらアスカに対して折り紙の使い道を聞いた。その結果、どうやら、自分も少しは海賊事業に貢献したということがわかったので、テンリは安堵した。

色々あったが、こうして、テンリとアスカの遠征による冒険は幕を閉じた。これから、テンリにはもう一つの冒険が待っているのだが、とりあえず、今のテンリとアスカには船に帰ることが使命である。結論を言えば、テンリとアスカは無事に船に帰ることに成功した。


アマギ・サイドである。こちらは先程と変わらないメンバーのままである。アマギとミヤマとシナノとナトリの4匹が一緒である。今のアマギ達の4匹は途中でガソリン・スタンドという奇妙奇天烈な社会科見学をしながら農道を飛行している。アマギ達の4匹の目的地は先程の民家の近くにあるという雑木林である。シナノはアマギとミヤマに対して自分だけにわかる秘密の場所に宝物を隠してきたと言うので、それを持ってから甲虫王国に行きたいというたっての願いを遠慮気味に話した。

当然、アマギとミヤマの二匹はそれを快く受け入れてその秘密の場所とやらに向かうことにしたのである。ナトリも家に帰ってサトミと再会するために同行している。

シナノは障子の穴を塞いだ方がいいという提案をしたことによってアマギを危険に晒して挙句の果てに一つのゼリーを失う始末になってしまったことをしきりに恐縮している。

「私のために寄り道をさせちゃって本当にごめんなさい。でも、私はやさしい虫さん達に出会えて幸せ者ね?とりあえず、これ以上はトラブルが起こらなければいいんだけど・・・・」シナノは言い淀んだ。とはいえ、この後、残念ながらシナノの願いは成就しなくなってしまう。

「いやー。別にいいよ。おれはアクシデントでも何でも上等だよ」アマギはホーム・スチールでも決めたみたいにしてにこやかな笑顔で答えた。人並み外れた体力の持ち主なので、アマギは疲れというものを知らないのである。アマギは事件を歓迎するタイプである。

「どの道、ナトリくんを送ってあげる運命でもあったんだよ」ミヤマは軽い口調で言った。今のミヤマはくたびれてしまったナトリのことをつかみながら空を飛んでいる。

「ぼくもお世話になりっぱなしでごめんね」ナトリは弱々しく言った。とはいえ、その程度のことを気にするようなアマギとミヤマではないというのは言うまでもないかもしれない。

アマギ達の一行はシナノの神がかり的な土地感覚によって目的地に到着した。そこは木が密集した密林だった。平たく言えば、ジャングルだった。しかし、先程、述べた通り、シナノの願いとは裏腹に事はそう簡単に運ばなかった。シナノだけが知っているはずの秘密の隠し場所に行ってみたにも関わらず、シナノの宝物は見当たらなかったのである。あまつさえ、ナトリの探しているサトミの姿も見当たらなかった。

シナノの父と母はシナノの宝物を甲虫王国に持って行ったのではないか、ミヤマはそのような意見を出したが、アマギ達の4匹は念には念を入れてしばらくシナノの宝物の捜索活動を続けることにした。ナトリは必死になってサトミのことも一緒に探した。

この広い雑木林においても『雨垂れは石を穿つ』である。アマギ達の4匹はきょろきょろするだけではなくて聞き込みも行っていると情報を仕入れることができた。アベマキの木の下に住むオスのヒルトゥスヘラヅノカブトが後生大事にシナノの宝物らしきものを持っていると言うのである。彼の名はナゴヤと言うのだが、情報をくれた虫はナゴヤが気難し屋でもあることを教えてくれた。

人間界のカブトムシは夜行性なので、アマギ達の4匹が実際にナゴヤのいる場所へ行ってみると、問題の虫のナゴヤはちょうどエサを食べているところだった。

ヒルトゥスヘラヅノカブトのナゴヤは太くて立派な角と体に毛が生えているのが特徴である。しかし、それだけではなくて問題のナゴヤは右の一番後ろの足が切れているという奇形でもあった。

「おっす!こんばんは!」アマギは他の三匹と共に木によじ登りながら元気にフォーマルな挨拶をした。

「ん~?見ない顔だな。だが、用件があるっていうのなら、とりあえず、聞いておこうか」ナゴヤは言った。ナゴヤはそうしながらもアマギたちの4匹に対して値踏みするような視線を向けている。

「ああ。そうなんだ。用件があるんだ。早速だけど、宝物を返し・・・・」アマギは言いかけた。

「ちょっと待った!」ミヤマはアマギの話を中途で遮った。ミヤマは計算高くもナゴヤが話のわかりそうな虫かどうかの探りを入れてみることにしようと思っていたのである。

「最近おじさんはなにか珍しいものを発見したりはしなかったかい?」ミヤマは聞いた。

「ん~? なにやら、まどろっこしいやつだな」ナゴヤはそう言うと地面に向かって木を移動し始めた。せっかくここまで木を登ってきたのだが、アマギたちの4匹も渋々とナゴヤのあとを追った。

「別に最近じゃなくてもいいから、なにかをどこかで発見したりはしなかったかい? そういうものが手元にあるのなら、できれば、おれたちに見せてもらいたいんだよ」ミヤマは辛抱強く話を続けている。

「そういうものがあれば、ぜひ、ぼくたちに譲ってほしいんだよ」ナトリは口を挟んだ。

「というか、できればじゃなくて必ずなんだ」素直なアマギは本意を口にした。

「これか? これはわっしのものだ。誰にも渡さねえ」ナゴヤは地面に降り立つと太い根っこの間からあるものを取り出して言った。ナゴヤは木で鼻をくくったような対応である。

「あー! まさしくそれだ。そうだよな?」アマギはシナノを振り返って聞いた。

「ええ」シナノは強い気持ちを込めて頷いた。「それは小さい頃に私のためにパパとママが苦労して作ってくれた宝物なの。だから、よかったら、譲ってくれないかしら?」

シナノの宝物とは木の枝で作られた手製のお馬さんのことだったのである。それにしても、おじさんのナゴヤとおもちゃのお馬さん。あまり、お似合いとは言い難い組み合わせである。

「これはわっしが何かに導かれるようにして草むらから発見したラッキー・アイテムなんだ。だが、わっしも鬼ではない。条件をのむというのなら譲ってやっても構わんぞ」ナゴヤは言った。

「その条件っていうのは何だ?」アマギは聞いた。空想的な理想主義者ドン・キホーテのアマギは大して事態を深刻に受け止めていないが、ナゴヤからは耳を疑うような返事が返ってきた。

「足をちぎってよこせ!わっしが義足の代わりに使う!」ナゴヤは無常である。

「いや。それじゃあ、他の条件を聞かせてくれ」アマギは臆することなく言った。

「な~に~?わっしの要求をのめないだと~?それなら、諦めて帰りな!」ナゴヤは言い切った。

「足をよこせなんて非常識にも程があるじゃないか!ねえ?ミヤマくん」ナトリは同意を求めた。

「そうだよ。越権行為だ!暴虐なこと極まりない!」ミヤマは正論を述べた。しかし、依然として事態は前途多難なままである。ナゴヤは自分の言ったことを曲げる気がない。

「わかったよ。どうしてもって言うのならやるよ」アマギは口を開いた。

今のアマギの発言に対してこの場の者ははっとして一斉にアマギを注視した。背に腹は変えられないとはいえ、まさか、アマギは本当に足を切断するつもりなのかと、みんなは思ったのである。

しかし、アマギが手にしていたのはゼリーに着いた木の枝のカスである。アマギはこれを代用してナゴヤをちょろまかそうとしているのである。しかし、それには無理があった。

「おいおい!わっしのことをバカにしているのか?そんなので、いい訳がないじゃないか!」ナゴヤは異議を申し立てた。ナゴヤからは一向に妥協する気が感じられない。

「え? そうかい? しかし、よく考えてみると?」ミヤマは聞いた。

「え?」ナゴヤはどもりながら言った。「OKってか?」ナゴヤはミヤマに乗せられ思わず心にもないことを口走ってしまった。ナゴヤは実のところかなり単純な性格をしている。

「よっしゃー!」アマギは話を真に受け喜びを露わにしている。「OKをもらったぞ」

先程はあれでもTPOを弁えたつもりで義足を譲渡しようとし断られてしまったので、アマギは少し落ち込んでいたのだが、アマギの立ち直りは高速なので、今ではすっかりと喜色満面である。

「ちょっと待て~!」ナゴヤは突然に豪語した。「今の誘導尋問はなんだ?」

 しかし、そんなに大層なものではない。そうは言ったものの、ナゴヤは我に返るとゼリーに目を止めた。

「それじゃあ、こうするか。それをわっしにくれ」ナゴヤはそう言うとゼリーを指さした。

「うん」アマギは即答した。「別にいいぞ」アマギには全く迷いはなしである。ナゴヤは「よし」と言うとお馬さんを元の場所にしまって木に足をかけようとした。

「え?」ナトリは聞いた。「よしってどういう意味なの? お馬さんを返してくれるんじゃないの?」

「ん~?」ナゴヤは憎まれ口を叩いた。「わっしはそんなことは一言も言っとらんぞ」ナゴヤは相変わらずふてぶてしいままである。この状況はまさにいいところまで行ってもそうは問屋が卸さないという訳である。

ミヤマ横紙破りの老獪な手口を弄するナゴヤに対しさすがに少しはカチンときた。しかし、ミヤマはここが正念場だと自分に言い聞かせ粘り強く交渉を続けることにした。

「それじゃあ、そもそも、なにかに導かれるようにしてお馬さんを発見したっていうのはどういうことなんだい? 推測するによっぽどすごいことでも起きたんだろうな?」ミヤマは穏やかな口振りである。今はまだ低姿勢で接触していた方がいいとミヤマは判断している。

「すごいこと? ああ。すごいことだとも」ナゴヤは木にかけていた足を地面に戻しながら答えた。「家への近道を探していて草むらをもがいて進んでいたら、偶然にも手に触れたんだよ」

ナゴヤは少しばかり気をよくしている。どこにドラマがあるのか、どう考えれば、すごいことになるのかはよくわからなかったが、ミヤマはやさしく質問を続けた。

「だから、おじさんは本当にそれを大切に思っているのかい?これは冗談抜きで」

「言わずもがなだよ。こんな運命的な出会いっていうのはちょっとそこいらじゃ聞けないだろう?」

「そうかもしれないな。しかし、よく考えてみると?」ミヤマは平然と聞いた。

「そうでもない。って」ナゴヤは乗りツッコミをした。

「おい! 何を言わすんじゃ! ボケ」ナゴヤは怒りをぶつけた。内心は「どっちがボケだよ」と言い返したくなったが、これ以上は話がこじれるので、ミヤマはそれもぐっと堪えた。

「ああ。なんだか、面倒くさそうな雰囲気になってきたな。本当はもっとやさしい虫さんが宝物を拾ってくれてたら、よかったのに、人生っていうのは何もかもうまく行くって言うものじゃないんだな。残念・無念だ」アマギはとろんとした目つきで人生訓みたいなことを言っている。

「貴様はあんまりわっしを怒らせない方がええぞ。わっしは知る虫ぞ知る番長なんだ。配下には大勢の手下がいるんだぞ」ナゴヤは胸を張ってすごんで見せた。ただし、誰も怖がってはいない。

「そうかい。そうかい。しかし、よく考えると?」ミヤマは今やお決まりの質問をした。

「はったりです。って」ナゴヤは予想のとおりの返答をした。「おい!そんな訳はないだろう」

 二度あることは三度ある。ナトリは完全に白けているが、ミヤマは「やれやれ」といった様子である。

「全く頑固なオヤジだなあ。雷オヤジと二強が張れそうだ」ミヤマは言った。

「ああ。わっしの堪忍袋の緒はもう完全に切れた。手下を呼んでやっつけちゃる」ナゴヤは厳かな口調で言った。ナゴヤの様子は君子豹変といった雰囲気なので、ミヤマは思わず身構えた。

アマギは平然としているが、シナノとナトリは少し身構えている。しかし、ミヤマのセリフが逆鱗に触れたはずのナゴヤは気の抜けた口笛を吹いただけであって特に何も起こらなかった。

ナゴヤは「く~そ~!」と言い悔しさを露わにした。穴があったら、入りたいとは言うが、ナゴヤはその言葉を体現して見せた。何がしたいのかはよくわからないが、とりあえず、ナゴヤは恥ずかしさを紛らわすためにアベマキの太い根っこの間につっこんで行った。

「それで?」アマギは完全に白けている。「おっさんは何をやっているんだ?」

「相も変わらず、おじさんは騒がしい虫さんだね」ナトリも感想を述べ辟易している。

ミヤマも呆れ返ってしまい閉口している。ナゴヤは依然として根っこに顔をつっこんだままだが、一歩、シナノは前に進み出ると、悲痛な面持ちで言葉を紡いで行った。

「ねえ。おじさん。おじさんにとってお馬さんは大切な物だっていうことはわかっているの。だから、どうしても嫌ならば、私は強く返してほしいとは言わない。だって、そんな大切な物を手放した私が悪いんだもの。だけど、私にとってもお馬さんはこの世に二つとないかけがえのないものなの。もしも、少しでも譲ってもいいっていう気があったら、譲ってほしいの。お願い」シナノは頼み込んだ。

「よし!わかった!返そう!」ナゴヤは快い返事をした。ナゴヤにもようやくシナノの必死の訴えが伝わった。ただし、まだ、ナゴヤは根元に挟まったままなので、あまり格好よくはない。

「えー!本当かー?」アマギは喜びの声を上げた。青息吐息が喜びに変わった瞬間である。

「ただ~し、条件がある!」ナゴヤはやたらともったいぶった口調になって言った。

「なんだよ。また、条件があるのかよ」ミヤマはぶうぶうと批判的に言った。

「何のことはない。わっしを根っこから引っこ抜いてくれりゃあいいんだよ」ナゴヤは言った。

アマギとミヤマの二匹は体が抜けなくなったナゴヤを助け出して、アマギ達の一行はシナノの宝物の奪取に成功した。シナノは他の三匹に対して厚くお礼を言った。

しかし、まだ、問題は残っている。ナトリの知り合いであるサトミがいなくなってしまったことである。アマギ達の4匹はナゴヤと別れてから方々を探し回ったが、やはり、どこにもサトミは見当たらない。アマギ達の4匹はどうしていいのかがわからずに立ち往生している。

「なんということだ!きっと、ぼくは捨てられたんだ!ぼくはサトミにとってその程度の虫だったんだ!希望を失った!もう、前が見えない!一体、どうしたらいいんだ?ああ、本当にもうお仕舞だ!」ナトリは絶望感を露わにした。まるで、世界の破滅が直前に迫っているような感じである。

アマギ達の他の三匹はかけてあげる言葉を探して沈黙を守っていた。アマギとミヤマは渋面を作っている。しかし、しばらくすると、シナノは遠慮気味に思いつきを口にした。

「あの、もしかして、サトミちゃんっていう虫さんがいるのはこの雑木林じゃないっていうことはあり得ないかしら?」シナノがそう言うと、ミヤマははっとした。ミヤマはそんな可能性を考えてもみなかったのである。その言葉の意味を計りかねていたが、やっと、意味がわかると、ナトリは言った。

「ああ、本当だ!そういえば、ここはぼくとサトミが暮らしているところじゃないな」ナトリの言葉を聞くと、二本足で立ち上がり、何をするのかと思えば、ミヤマは派手に素っ転んで見せた。

「ほっとしたのは事実だけど、喜劇の落ちかい!」ミヤマは得意のつっこみを入れた。

「あはは、まあ、儲けたんだから、いいじゃん。よかったな。ナトリくん。これでまた希望が出てきたな!」アマギは自分のことのようにして喜んだ。アマギはあくまでもプラス思考だし、喜怒哀楽もはっきりしている。まるで、アマギは太陽のように明るい。

「やっぱり、そうだったんだ。もし、この近くに住んでいたのなら、私か、チヒロがナトリくんの顔を覚えていてもよさそうなものだったから」シナノは心底ほっとした様子である。

かくして、アマギ達の4匹による第二の雑木林の捜索活動は始まった。先程、ミヤマは少しばかり不平を述べていたが、あくまでもそれは一時的なものである。ミヤマはあれくらいのフェイントで長い間がっくりくるような性格ではない。今のミヤマはやる気満々である。ミヤマは前向きなのである。

シナノもサトミの住む雑木林を探すことについて意欲的である。一つはアマギがナトリを助ける時、一つは先程のナゴヤとのやり取りの時、アマギとミヤマは二つのゼリーを失ってしまったので、どうにかこうにか、シナノは恩返しをしたいと思っている。

ナトリは相変わらずミヤマに持ってもらっているが、ナトリは何も考えていない訳ではなくて黙想をして必死に自分の居場所を思い出そうとしている。ナトリが思い出すまでは仕方がないので、アマギ達の4匹は当てもなく夜の人間界を旅することにした。


 テンリとアスカは船に帰り着いていた。アスカはコンビニで購入したそんなに厚みがない折り紙を船に乗っけていた。その折り紙は甲虫王国の『玩具の地』という場所に寄付される。

テンリとアスカはすでに甲虫王国へ帰る準備も万端である。人間の食べ終わった後のものとはいえ、スイカを二つに折り紙を一つと昆虫にとっては巨大なものをどんどんと船に乗せて行って大丈夫なのだろうかと思うかもしれないが、船は頑丈だし、馬力もあるので、心配はいらない。

むしろ、そのくらいは収穫がないとせっかく航海に出た意味はない。とはいえ、行きよりもスピードが落ちるのは仕方のないことである。時間帯はとうに初更を過ぎて二更となっている。まだ、アマギとミヤマはテンリとアスカのいる船に帰ってこない。アスカはもう置いて帰ろうなどという冗談を言ったりもしたが、テンリは慌ててそれを制止した。別に今回の航海は急ぐ旅でもないので、アマギとミヤマの二匹が帰ってこない以上、もう、今夜は船を出すのは諦めて明日に改めて出航することになった。

テンリに対して今夜は骨休めに充てるべきだと、アスカは言った。テンリはアマギとミヤマを心配しながら船室でお気に入りのふとんにもぐって眠りに就いた。現在、テンリとアスカの乗っている船は人目につかないところに停泊してある。人間にとって甲虫王国の船は模型のようにミクロなので、そうは簡単に気づかれない。しかし、アスカはその夜も念には念を入れて夜警を怠らなかった。

アスカが骨休めするように言ったのはテンリについてだけだったのである。今夜に限っては言うことを聞かないアマギとミヤマという問題児が帰ってきたら早速きついお仕置きができるようにするための夜番でもあった。しかし、この夜、アマギとミヤマは帰ってこなかった。


テンリのいる人間界の翌朝は煙雨が降ったりやんだりしていた。そんな薄暗い天気と相まってか、やはり、アマギとミヤマの二匹が船に帰って来るような気配は一向に見られなかった。

話は変わるが、カブトムシやクワガタは乾燥を嫌う。ただし、自分自身に水滴がつくことも嫌がるというちょっぴり身勝手な生き物でもある。しかし、テンリにはその法則とは対をなす心積もりがあった。テンリは目を覚まして黒糖のゼリーで朝食を取った。テンリはこの時点でゼリーという食べ物が病みつきになっていた。食べ過ぎないように注意して少し休んだ後、テンリはある心積もりをアスカに伝えてみた。結局、アスカは徹宵とまでは行かないまでも三時間しか眠らなかった。

それでも、十分に元気なアスカに断りを入れて雨で濡れることも構わずに少しテンリは人間界の散歩に出ることにした。もちろん、すぐに帰ってこられる程度の距離を散歩するのである。

テンリは船番をアスカに任せてしばらくぼんやりとした心持ちで船の近辺を歩いて行くことにした。すると、ミドル・エイジの人間の男性がクーラー・ボックスを横に置いてぽつねんと椅子に座って一人で磯釣りをしているのをテンリは発見した。テンリは興味津々でその人間のそばに近づいて行った。何の気なしにテンリがクーラー・ボックスの端っこまで飛んで行くと中には25センチ程のオスの魚がいた。

その魚は不明瞭な5本の横帯があって下顎には一対の白くて長いひげを蓄えている。しかし、何という魚なのか、テンリはわからなかった。テンリは魚についてあまり詳しくない。

「おはよう!お魚さん!」テンリは滑り落ちないように注意して魚に対して話しかけてみた。

「やあ!おはよう!」アンクルという名の魚は口をパクパクして返事をしてくれた。

「おじさんは何て言うお魚さんなの?」テンリはこれまた何の気なしに聞いてみた。

「わっはっは、よくぞ、聞いてくれたな!コガネムシくん!何を隠そう、おじさんはオジサンという種類の魚だ!ついでに見たところおじさんを吊った人もおじさんだ!いや。まだ、驚くのは早いぞ!おじさんは甥っ子がいるから、伯父さんでもあるんだ。そして、おじさんはオジサンという種類にちなんでお父さんにアンクルという名前をつけてもらったんだ」魚のオジサンはどや顔をしている。

まとめてみると、アンクルは中年のおじさんであり、オジサンという種類の魚であり、甥がいるので、叔父さんでもあり、アンクルというおじさんの名を持ち、アンクルを釣った人間もおじさんという訳である。確かに、どうでもいいと言えば、どうでもいいことではあるが、アンクルには5つのおじさんが重なっているので、ある意味ではおじさん尽くめのミラクルなのである。

「ふーん。ミヤマクワガタのミヤマくんみたいだね。あ、それから、ぼくはコガネムシじゃなくてクワガタだよ」テンリは訂正した。昨日は人間にゴキブリと間違われて今日はアンクルにコガネムシと間違えられたので、人間界では虫についての知識が常識ではないのかなと、テンリは思った。

「うーん。なんだか、妙にのみ込みが早いなあ。いや。コガネムシと言ってしまったことは謝るよ。すまん。すまん。ところで、本来、オジサンの生息地は砂底とかサンゴ礁とかの付近なんだが、おじさんは甘いエサに釣られて釣られちゃったんだよ。釣りだけにね。しかも、これが三度目だ。わっはっは、どうだい?おもしろいだろう?」ハイ・テンションなアンクルは同意を求めてきた。

「うん。おもしろいね」テンリは特に笑顔を見せることもなく真顔で答えた。

「なんだか、あんまり、おもしろそうじゃないなあ」アンクルは言った。なんとなく自分のギャグが空回りしてしまっているので、アンクルは少し悔しがっている。しかし、アンクルはそのくらいで落ち込んだりはしない。アンクルは割と陽気な性格をしているからである。

「おじさんは人間に飼ってもらいたいの?」テンリは新しい話を始めさせてもらった。

「今のところ、人間に飼われたいとは思わないが、みんな。ここいらの人は釣ったら逃がしてくれるんで飼われる心配もないんだよ。まあ、あんまり、危険なまねをしてほっつき歩いていると、かかあに怒られちゃうんだけどね」現在のアンクルはとてもまじめな口調になっている。

「そうなんだ。釣られたら痛くないの?」テンリは矢継ぎ早に質問した。

「本当は釣られないようにエサだけを食べるのがベストなんだが、さっき、言ったようにエサがおいしいから、痛い思いをする危険を冒すだけの価値があるんだよ」アンクルは言った。

「そうなんだ。それじゃあ、ぼくも少しだけエサをもらってきてあげるね?」テンリは提案した。

「本当かい?それは大助かりだ!よし!決めた!それじゃあ、おじさんもエサをもらったら惜しげもなく一つずついい情報と悪い情報を教えてあげよう!うん。約束する!」アンクルは決心した。

「約束してもらっちゃったね。それじゃあ、行ってくるね!」テンリはそう言うと、勇気ある心の下、人間のおじさんを隔てた奥にあるエサを目指してクーラー・ボックスを飛び降りた。

踏みつけられるようなことがあっては万事休すだが、だからと言って、飛んでしまうと、羽音で気づかれる可能性があったので、テンリは人間のおじさんの動静をしっかりと確認して細心の注意を払って素早くエサをゲットした。とりあえず、テンリはエサのところまではやってこれた。

ただし、エサを切っている暇はなかったので、テンリは自分が持てる大きさのものを瞬時に選んだ。とはいえ、そのエサの量はアンクルの一匹だけならば、満腹にさせるような量である。

帰り際はエサを持っているので、テンリは人間のおじさんにバレないように止むを得ずに迅速かつ慎重にして飛んで行った。テンリは先程の位置に戻ってクーラー・ボックスにエサを投げ入れた。中々、スリルがあったので、案外、テンリも楽しみことができた。

「おお、やったな!ありがとう!君ならやってくれると思っていたよ!」アンクルはそう言うと、早速、食事を始めた。けっこう空腹だったアンクルはエサを完食した。

「それじゃあ、アンクルさんはどんな情報を教えてくれるの?ぼくは少しだけ楽しみだなあ」アンクルがエサを食べ終えるのを待ってから、テンリはようやく楽しそうな口調で聞いた。

「よし!よーし!それじゃあ、おじさん。いい情報から教えてあげよう!驚くなかれ!おじさん。実は、なあ。おばさんなんだ!」アンクルはとんでもないことを平気でカミング・アウトした。

「ふーん。そうなんだ。それはすごいことだね」テンリは平素の口調で言った。

「わっはっは、どうだい?驚いたかい?驚いただろう?」アンクルは上機嫌である。

「うん。びっくりしたよ。メスなのにオスみたいなんだね?」テンリは言った。同時に頭の中でアンクルはアスカみたいなものなのかと、テンリは思った。

「うーん。なんだか、あんまり、驚いてないみたいだなあ」アンクルは苦渋の表情を浮かべた。

「あれ?でも、これっていい情報なのかなあ?」テンリは肝心なことに気がついた。

「うん。誰にも教えていない秘密なんだから、いい情報だよ。よし!よーし!それじゃあ、次は悪い情報だ!おじさんなあ。おじさん。実は、おばさんじゃないんだ!」アンクルは言い切った。

もしも、ここに魚の言葉がわかる短気な生き物がいれば、今の衝撃の発言を聞いてアンクルの入っているクーラー・ボックスをひっくり返したい衝動に駆られているかもしれない。

しかし、現在のテンリは二本足で立ち上がってバランス感覚を試したりして遊んでいるだけである。アンクルはそのテンリの様子を見ながら少し不思議そうな顔をしている。

「ぼくはおじさんがおじさんだと思っていたよ」テンリは相変わらず平衡を取りながらあくまでも温厚に言った。テンリは素直なので、アンクルは男だと初めから信じ切っていたのである。

「わっはっは、そうだろう!って、あれ?あんまり、おもしろくなさそうだなあ。というか、今のセリフが胸にぐっとくるのはなぜだろう?」アンクルは一人で勝手に感傷に浸っている。

「そうかなあ?」テンリは小首を傾げている。すると、テンリの上から声が降りてきた。

「うげー!何だ?こりゃー!夢か?こんなところに虫さんがいるでねえかと思ったら二本足で立っているっぺ!こんなクワガタは珍しいっぺ!世界初のクワガタだっぺ!こらあ。持ってけえるのに限るっぺなあ!」この声の主は今まで黙って釣りをしていた人間の方のおじさんのものである。

テンリは『あ!』と言うと、逃げる間もなく人のおじさんに捕まって持ち上げられてしまった。テンリは同時に人間界において二足歩行は絶対にしてはいけないというアスカの注意事項を忘れてしまっていたことについて深く後悔した。しかし、もはや、後の祭りである。

「あー!クワっちー!いや!クワ吉ー!おい!おじさん!離してやってくれ!魚のオジサンのおじさんがエサを持ってきてくれるように頼んだんだよ!クワ吉は悪くないんだ!」アンクルは声を上げた。

テンリの渾名やら、おじさんの連発やらによって滑稽に聞こえなくもないが、とにかく、アンクルなりの人情で交渉をしている。ただし、人のおじさんには話が通じていない。

「だけんど、入れておく場所がねえなあ。そうだなあ・・・・」人のおじさんは言葉を濁した。

「そうだ。ポケットに入っているといいっぺ」人のおじさんはそう言うと、自分の胸ポケットにテンリを入れた。テンリはもぞもぞと動いてポケットから顔だけをひょっこりと出してみた。

「おお、中々、かわいいもんでねえか。ポケット・クワガタ。略してポケ・クワだっぺ!お家に帰ったら飼育セット買ってやるから、楽しみにしているといいど」人間のおじさんは上機嫌である。

「でも、ぼくはアルコイリスに行きたいから、おじさんのところにはいけないよ。ごめんね」テンリは謝った。テンリは自分に親切にしてくれる人のおじさんが気の毒になって悲しそうである。

しかし、人間に対するテンリのその呼びかけも空虚な独り言で終わってしまった。一度、話にあった通り、虫から人間への一方通行だけでしか、話は通じてはいない。

その後、一時間、経っても釣果は上がらずに人のおじさんは帰宅の準備を始めると、テンリは人のおじさんがやや前かがみになった時にポケットからこっそりと這い出て羽を広げた。

「人のおじさん。ごめんね。バイバイ!」テンリはホバリングをしながら言った。

「魚のおじさんもバイバイ!おもしろいお話を聞かせてくれて、ありがとう」クーラー・ボックスの上に6本足で降り立つと、テンリは最上級の懇意を込めてお礼を言った。

「おお、うまく逃げられたのか!いやー。おじさん。おもしろくなくて、ごめんなー!次に会う機会があれば、その時までにもっと腕を上げておくよ。それじゃあ、達者でなー!」アンクルは言った。しかし、悲しいことにもテンリとアンクルが再会する可能性は低い。

テンリは魚と人のおじさんとお別れをした。もう、ちょっと遊んでいたかったが、アマギとミヤマも帰ってきているかもしれないので、テンリは船のある場所へ飛び立った。

悲しいことにも楽しい時間はエンドレスではない。しかし、くよくよする必要はない。長い人生において待っていれば、また、必ず楽しい時間はやってくるからである。

人生は山あり谷あり、楽しい時間が去ってしまったことを嘆いているのならば、断然、つまらない時間を楽しい時間へのステップとしていた方がいいのである。


その後、アマギとミヤマは昼時になっても姿を見せなかった。アスカはしびれを切らして居ても立っても居られない程になって、テンリが不安になってきた夕暮れ時になって、アマギとミヤマの二匹はシナノを連れて姿を現した。アスカは冷酷な目をしている。

アマギとミヤマが帰ってくると、テンリはほっとしたし、同時に少しそんな自分を恥じた。テンリはアマギとアイ・コンタクトだけでも意思の疎通ができる。

テンリはそれ程にアマギのことをよく知っているのにも関わらず、まさか、事故にあっているのではないだろうかとアマギの身を案じていたなんて間違いだったかなと、テンリは思ったのである。

殺しても死なないような生命力を持つアマギを心配する必要などなかったという訳である。しかし、ミヤマに関して言えば、貧弱ではないが、無敵という訳でもない。アマギはメロンのゼリーを持って、ミヤマは乳酸のゼリーを持って帰ってきた。しかも、アマギとミヤマの二匹は乳酸のゼリーを手に入れた場所で乳酸菌飲料のヨーグルトまで飲んできたので、現在のミヤマはほくほく顔をしている。

「いやー。大冒険だったよ!おまたせ!待ったかい?」ミヤマは平然とした様子で言った。

「テンちゃんもどこかに行ってきたか?ん?」アマギは怪訝な声を出した。

アスカの様子が変なのである。アスカはたった一人なのにも関わらず、まるで10人がスクラムを組んでいるかのような迫力を持っている。アスカの感情がフラットでないことは誰が見ても明らかである。それに気づくと、テンリは恐怖の感情を抱いた。

「私の注意事項を聞かず一体どこへ行っていたんだー!」アスカはそう言うと、持っていた太い棒を使って大物スラッガー顔負けのスイングでアマギとミヤマという名のボールを打ち返した。アスカは見事にジャスト・ミートに成功した。ナイスなバッティング・センスである。

アマギとミヤマは『うわー!』とか『どわー!』と口々に絶叫して仮想球場の場外ホーム・ランとなって元きた道の方向へ飛び上がって消えて行った。シナノは唖然としている。蛇足になるが、野球のホーム・ランにはサーキットという別名が存在する。

「あ、新記録だ」テンリは恐怖から手で目を覆っていたのだが、怖いもの見たさでちらっと視界から消え行くアマギとミヤマを見てみた。何の新記録かというと、目算による飛距離である。テンリが比べたのはサクラに蹴り飛ばされたミヤマと投石機によるヒリュウの飛距離である。

「そうだ。ぼくはテンリだよ。君は?」テンリはシナノに対して話しかけた。

「私はシナノ。あの、お願いがあるんだけど・・・・」シナノは少し躊躇した。

「何でも言っていいよ。ぼくは力になるよ。でも、もし、ぼくにできないことならアスカさんも協力してくれるよ。ね?アスカさん」テンリは聞いた。テンリはアスカを信じている。

「ああ、協力しよう」アスカは答えた。やはり、アスカは度量が広い。

甲虫王国へ行きたいということ、家族に会うために行くのだということなどを細大漏らさずに、シナノはテンリとアスカに対しても説明をした。テンリとアスカは真剣にそれを聞いた。

シナノにとってみれば、多少、コップの中の嵐と言えなくもないが、あんな手荒なことをしてアマギとミヤマは無事なのだろうかと、シナノは心配に思った。

シナノはやさしいし、アマギとミヤマはシナノに親切にしてくれたので、シナノにもその思いは十分に伝わっているのである。やさしさが虫から虫へ伝わったのである。

たぶん、アスカは本気を出していないから、アマギとミヤマは大丈夫だろうと、テンリは思っているが、実は、アスカは手加減をせずにアマギとミヤマの二匹を打ち返した。


飛んで行ったアマギとミヤマが帰ってくると、いよいよ、人間界ともお別れであり、出航の時がやってきた。短い間だったが、テンリ達の一行には色んなことがあった。現在は雨も止んで好天に恵まれて絶好の船出日和である。空に浮かぶ豊旗雲も実にうつくしい。そんな明るい陽気とは対照的に、アマギとミヤマは競走や競泳でラスト・スパートをかけて持てる全ての力を出し切った後みたいにしてボロボロになって帰ってきた。テンリとシナノの二匹は心配したが、頑丈なアマギは大丈夫である。ただし、ミヤマは恐怖の体験をしたことによって精神的に竦み上ってしまっている。

シナノの動向はというと、アスカからもテンリからも昆虫王国への旅立ちにオーケー・サインが出た。アスカはシナノ以外にも甲虫王国に移住したいという人間界の虫を海賊船に乗せて何度か甲虫王国に連れて行ってあげたこともある。人間界が出生地であるシナノを初めとして各自は思い思いの感情を持って人間界にお別れを告げた。フィニッシュは格好よくポーズを決めることをミヤマは忘れなかった。それは右手を垂直にするポーズなのだが、ミヤマはつくづく絵になる男だと自分で自分に惚れ惚れした。ただし、ミヤマのことを完全な勘違い野郎だなと、アマギは思った。

船が出航すると、アスカ以外のテンリ達の4匹は近況報告を交わすことになった。アスカの言うことを聞かなかったアマギとミヤマの処分は難易度の高いゼリーの奪取をやってのけたことで相殺となった。しかも、それにはかなりの苦労をしていたのである。アマギとミヤマは労せずしてシナノがいた家にいた時点で二つのゼリーをゲットしていたのだが、ご承知の通り、事故と事件によって両方共その二つは喪失してしまった。それでも、ゼリーを手に入れたかったので、アマギとミヤマの二匹はシナノも連れ回して20件以上の住居侵入をやらかして二つのゼリーを手に入れた。これこそがこんなにも帰宅が遅れた理由である。ミヤマは帰宅が遅れたもう一つの理由についても言及している。

「いやー。それにしても、参っちゃったよ。ものすごい時間をかけてそのナトリくんの元々いた林を見つけたんだけど、一つ驚いたことがあったんだよ。さぞかし、ナトリくんとサトミちゃんは熱々でラブラブなカップルなのかと思えば、違ったんだよ」ミヤマの言う通り、実は、両者は恋人同士などではなくて単なるナトリの片思いに過ぎなかったのである。もっとも、そんなことは百も承知だったので、サトミが自分を待ち侘びていようがいまいが、ナトリはもう一度サトミと再会できたことに対して大いに感動した。ナトリはアマギとミヤマに対して感謝の気持ちを表した。

その後はテンリが体験した人間界での出来事を話すことになった。アマギとミヤマはテンリの話に出てきた自動販売機やらコンビニやらをお目にかかれずに残念そうにしていた。

「アマギくんもテンリくんも名前の頭に天国の『てん・あま』の字がくるのね?」一通り全員が人間界での土産話を終えると、シナノは徐に予てから気づいていたことを言った。

「ええと、あ、本当だ。よく気がついたね?そんなことを指摘してくれたのはナノちゃんが初めてだよ」テンリは言った。アマギはそのことについてミヤマから説明を受けている。

「そうなんだ。でも、ナノちゃんって?」シナノは不思議そうな顔をしている。

「ぼくが勝手に愛称を考えちゃったんだけど、ダメだったかなあ?」テンリは聞いた。

「ううん。そんなことない。うれしい」シナノはやさしく微笑んで言った。ようやくシナノがさっき言った意味をアマギに理解させると、ミヤマは不意に名案を思いついた。

「なるほどな。ナノちゃんか。テンちゃんは中々ニックネームを作るセンスがあるな。という訳で、提案なんだけど、おれにも一つニックネームを作ってくれないかい?これからはそう呼んでほしいんだよ」ミヤマは自分だけ渾名がないことを少し気にしていたのである。

「えー!今さら呼び名を変えるのかー?別にいいよ」アマギは口を尖らせて言った。

「って、いいのかよ!そんな訳で何かいいアイディアはあるかい?テンちゃん」ミヤマは聞いた。

「うーん。少し考えてみるね」テンリはそう言うと、目をつぶって考え事を始めた。

「まあ、おれの希望としてはプリンスとか貴公子なんていうのがあるだけど・・・・」ミヤマはアマギとシナノの顔を見て一度だけ言葉を切った。アマギは完全に白けきってしまっている。

「あまりにも月並みなんだよなあ」ミヤマは無表情のまま再び口を開いた。

「あら、そういう結論に達するとは思わなかった」シナノはミヤマを傷つけないように言った。

「ミヤマは自惚れが強いんだよ」アマギはシナノに対して解説を加えた。

「ミヤマくんが間を繋いでくれていたおかげで二つ考えついたよ」テンリは発言した。

「お、早速、聞かせてくれるかい?」ミヤマはすでに待ち遠しそうにしている。

「一つはサンくんだよ。ミヤマくんの『ミ』は数字の『さん』で、『ヤマ』は木が生えている山の『さん』とも読むからだよ」テンリはさっき考えたことを慎重な口振りで発表した。

「おお、すごいな!テンちゃん!よく思いついたな!」早速、アマギは賞賛した。

「よし!凝っているし、格好いいから、それにしよう!」ミヤマは即断即決した。

「あ、でも、ぼくはもう一つの方がいいと思うよ。ミヤマくんだから、ミヤくん」テンリは言った。

「ああ、サンとミヤなら絶対にミヤの方がいいもんな」アマギは付和雷同な発言をした。

「私が言うのもなんだけど、今までの呼び方と似ていた方が違和感がなくっていいんじゃないかしら?」シナノは言った。シナノもテンリとアマギの意見を後押ししてくれた。

「よし!決まりだ!よかったな!ミヤ!」早速、アマギは渾名で呼んだ。

「って、おれの意見は聞かないのかよ!まあ、サンも太陽っていう意味があって捨てがたかったけど、これからはミヤで行こう!おれはミヤマのミヤだ!よろしく!」ミヤマはそう言うと、二本足で立ち上がって誇らしげに胸を叩いた。ミヤマは新しい渾名のおかげで新鮮な気持ちになっている。

 テンリ達のオスの三匹のコンビネーションはすっかりと板についている。やさしさで場を和ませるテンリ、ムードを明るくするアマギ、お笑いのテクニシャンであるミヤマ、概ねの役割とポジションは固定されてそれぞれにとって、テンリ達の三匹はお互いになくてはならない存在なのである。

 シナノはそんなテンリ達の三匹に対して羨ましく思った。シナノにもチヒロと言う大切な友人はいたが、テンリ達の三匹の自由奔放なところは特にシナノには魅力的に映った。

人間界では色んな冒険をして、ミヤマは渾名までゲットをして、今のところは航海も順調である。しかし、こんな和やかな雰囲気が甲虫王国に着く頃には暗転するなどとは誰も思っていなかった。


 青天の霹靂は人間界を出港してから二日後の正午に発生した。すでに人間界とは完全に別れを告げて今は昆虫界の海を航海している。ここ数日と変わらずに天気は良好である。水天一碧という言葉が当てはまるような気候である。キャプテンのアスカもここまでの航海に満足げである。今のところ、テンリ達の一行の航海について取り立ててクローズ・アップする程の問題は発生していない。あくまでも、今のところはである。アスカは航海について部下の話も素直に聞き入れる度量の大きさを持っているが、テンリ達の4匹のクルーは常識を踏まえているので、誰も四の五の言ってアスカを困らせたりはしない。

 今のミヤマは自主的にマストの上で船番をしている。この船にはレーダーなんてついていないので、見張りは重要な仕事である。ミヤマはその仕事に責任感を持っている。アマギは船室で爆睡をしている。シナノはというと、右舷から海を眺めている。それぞれのクルーはやりたいようにやって自由に羽を伸ばしているという訳である。突然、船の左舷にある海上からは『グルルルル!』という珍妙な音が奏でられた。

「なんだ?カモメかな?」海を眺めていると、テンリは海上に浮かぶ鳥を発見してそれを眺めながら独り言を呟いた。その鳥はクチバシが太くて赤くて体は黒褐色をしている。

「いや。違うな。あれはカモメじゃない。エトピリカという鳥だ」アスカはテンリのそばに近づいてきながら説明をしてくれた。テンリは十分に納得した様子を見せた。

「ねえ。アスカさん。エトピリカはお腹が空いているんだよ。だって、お腹がぐうぐう鳴っていたよ。ぼく達のことを食べにきたのかなあ?だとしたら、早く逃げなくちゃいけないね?」

「あれはお腹の音じゃなくて鳴き声だ。だが、仮にお腹が空いていてもエトピリカは潜水して魚の群れを捕らえるから、私達に害を与えたりはしないはずだ」アスカは冷静な判断を下した。

「ふーん。そうなのか。やっぱり、アスカさんは物知りだね?あ、離れて行っちゃった!」テンリの言う通り『あれよ、あれよ』という間にエトピリカは船から遠ざかって行ってしまった。

「まあ、長年、航海をしていると、色々とわかってくることも・・・・まさか、あれは!」アスカはそう言うと、目を見開いた。突然、アスカはいかにも緊迫した様子で海を眺めるようになった。

「どうしたの?」テンリはアスカの顔色が見る見る悪くなって行くのを見て心配そうにしている。

現在、アスカの目線の先には昆虫にとっては大型の船が運航している。その船の種類はジーベック船と言って船体が大きくて船底が鋭く尖っているのが特徴である。

目の前の船の帆は赤色をしているのだが、注目すべきはマークである。右端のピラミッドと共に描かれているのはドクロである。あれは紛れもなく海賊旗ジョリー・ロジャーである。彼等はファルコン海賊団と言うアスカの所属している海賊団とは違う一味である。

ミヤマは大急ぎでアスカとテンリの元まで飛んできた。ミヤマはマストの上で方々を見渡して哨戒をしていたので、当然、こちらに近づいてくる海賊船に気づくことができたのである。

「あの船はアスカさんの仲間の船なのかい?」ミヤマは心配そうにして聞いた。

「いや。違う。あれは甲虫王国から認可されていない生粋の無法者共の海賊船だ!シナノくんは船室に隠れさせるんだ!まだ、寝ているようならば、アマギくんも叩き起こすんだ!」アスカにそう言われると、テンリは急いで行動に移った。アスカはミヤマを引き連れて操舵室へと向かった。

アウト・ローの船に遭遇してこちらには見習いの素人海賊ばかりとなれば、抵抗せずに欲しいものは全て彼等に差し出した方がいいのではないだろうかと思ったので、ミヤマはそれを口に出した。

「確かにそれも一つの手だが、それはできない。いや。百歩譲ってみんなががんばって手に入れたものを渡してしまったとしても君達自身を奪われるようなことになったら目も当てられない。ここは何とか逃げ切るしかない!」アスカは胸襟を開いた。ミヤマは数日前にカニから聞いた海賊による誘拐事件を思い出して寒気を覚えた。あれはファルコン海賊団の仕業だったのである。

「でも、仮にあの船に追いつかれて戦うにしてもどうするんだい?敵が何匹いるかはわからないんだろう?」とりあえず、ミヤマは少しでも自分を落ち着かせてから聞いた。

「おそらく敵の数は10匹だ。やつらはここからそう遠くない大きな島を根城にしているのだが、一船につき10匹のチームで行動を行うと聞いている。だが、戦況が悪くなったら大人しく白旗を上げよう!ただし、こちらの誰かの身柄を相手が欲したならば、私だけでも戦う!それが船長としての役割だからだ!」アスカは力強く言った。ミヤマはアスカの決意の強さに対して感動した。

どうか、ミヤマにしても追いつかれずにファルコン海賊団から逃げ切れることだけを祈りたい思いだった。その後、アスカの操縦する船は全速力で敵船から離れようとした。

しかし、それも徒労にすぎなかった。いくらか、向こうの船足の方が早かったのである。もはや、接近してきた敵船はアスカの船に横づけせんばかりにしてほぼ並走し出した。

すると、敵船の頭であるノートンと言う名の全長およそ80ミリのノコギリタテヅノカブト(ノコギリテナガカブト)はこちらを睨んできた。ノコギリタテヅノカブトは上の方の角と長い足先の内側に毛が密生していて下の方の角には鋸のようなギザギザがある。

人間界ではノコギリタテヅノカブトのオス同士が出会うと、かなり長い前足を振りまわして戦うことがある。もしも、それでも決着がつかなければ、角を使うという寸法である。

「ぐっひゃっひゃ!海戦じゃーい!一気に畳みかけるぞ!お前らもおれの後に続けー!」ノートンはそう言うと、切り込み隊長としてアスカ側の船に乗り移ってきた。

「へい!ノートンのお頭!」ダザイフと言う名のオスのオオツノメンガタカブトは代表して返事をした。代表してということはその後ろにもずらりと族が並んでいるという訳である。

アスカは棒術を使ってノートンに応戦した。すると、怒涛のようにして数匹のカブトムシやクワガタがこちら側の船に押し寄せてきた。こうして、激しい戦闘は開始された。

しかし、多勢に無勢である。二匹をノック・アウトさせたもののさすがのアスカでも旗色が悪くなってきた。ミヤマも必死に応戦しているが、敵の海賊達は鬱憤を晴らすかのようにして意気軒昂である。実は、ファルコン海賊団にとって『西の海賊』は宿敵なのである。

「くそっ!頼む!欲しいものはやるから、どうか、今日のところは引き返してくれ!どちらにしろ、私達に戦意はない!」アスカはやむを得ずに敵の海賊達に対して鬱屈した表情で大声を出した。

「ぐっひゃっひゃ!なんじゃい!おれ達の仲間を散々のしてくれやがったくせに今頃になって命乞いかい!そんなことが通用するかい!」ノートンはそう言うと、アスカを角で弾き飛ばして驀進を続けた。敵側のジープという名のスジプトヒラタクワガタは船室の前で奮闘しているミヤマに対して敵意の満ちた目で睨みつけた。ジープは腹黒いことで少々の有名な悪人である。

「そんなにも、ここで踏ん張っていたらその中に大事なものがあるって言っているようなもんだぜ!はっはー!どけ!どけー!」ジープはそう言うと、ミヤマに襲いかかった。ミヤマはすでに他の一匹と組みついていたので、ジープに上空から挟みこまれると、あっけなく投げ飛ばされてしまった。ミヤマは『うっ!くそー!』と言うと、船縁に体を叩きつけてしまった。

立派な角を持った敵のダザイフは勢いよくドアを開けると、仲間のクワガタの二匹と共に船室になだれ込んで行った。しかし、そう思った瞬間、ものすごい勢いで三匹は吹き飛ばされて出てきた。

「なんだよ。出てこないから、まだ、昼寝しているのかと思ったじゃないか」ミヤマは安堵した。今、ダザイフを含めた有象無象の敵を一蹴したのは船内にいたアマギである。

「悪かったな。ミヤ。おれはテンちゃんとナノちゃんを見守っていたんだよ。お、さすがに海賊だけあって威勢がいいな!」アマギは言った。いつもは明るいアマギも今は鬱勃としている。アマギはケンカが強いとは言っても戦いに飢えている訳ではないからである。

弾き飛ばされた三匹はアマギに対して雄叫びを上げて再び襲いかかってきた。しかし、アマギは一度に三匹を相手にしても全く動じることなくあっという間に一匹を戦闘不能に陥らせた。

「なんじゃい!手こずっているみたいだな?」のっそのっそと頭のノートンはそう言いながらやってきた。今のノートンは余裕の態度で薄笑いさえ浮かべている。

「お頭。こいつは中々の腕前なんです」ダザイフは報告をした。今のダザイフはアマギと対峙している。ノートンはダザイフと戦闘中のアマギに対して卑怯にも横から襲いかかってきた。

しかし、アマギも負けてはいなかった。アマギは一瞬の判断で力一杯に組みついたままのダザイフをノートンの方へ投げ飛ばした。しかし、ノートンはすんでのところで上方向に飛んで逃げた。

「なるほどな。おい!お前ら!撤退だ!」ノートンは大きな声でそんなことを言い出した。

「え?なんだって?」戦闘中にも関わらず、ミヤマは拍子抜けした声を出した。ミヤマと対峙していたジープはノートンの命令通りにすごすごと引き下がって行った。

「何だ?尻込みしたのか?意外と根性がないんだな」アマギも引き下がっていく敵を見て呟いた。しかし、それは間違った見方だった。操舵室の方からアスカの声が聞こえてきた。

「おい!一体、何のつもりだ?」アスカは鬼気の迫る声音で声を上げている。

アマギとミヤマがアスカの声のした方へ飛んで行くと、アスカは敵船の頭のノートンを含む4匹に囲まれていた。その4匹は一斉にアスカに襲いかかってきた。とはいえ、アマギとミヤマはそれを黙って見ている訳もなくてすぐに加勢に入った。激しい戦いは再開した。アスカは戦いながらも合点が行かない様子である。一度、撤退すると宣言したはずなのにも関わらず、どうして、また、攻撃を仕掛けてきたか、しかも、アスカ一匹だけを狙ってである。すると、アスカはあることに気がついた。敵の数は10匹いるはずだが、その内の二匹はアスカが打ちのめしてもう一匹はアマギが打ちのめした。そうすると、ここにいるのは7匹でないとおかしい。しかし、実際、ここには4匹しかいない。

ノートンが撤退と言ったのはこちらを油断させるためだけではなくて元々船で待機していた三匹に対して密かに合図を送っていたのではないだろうか、そして、アスカだけを狙ったのはアマギとミヤマをこちらに誘導させて船室に残りの三匹が入り込むつもりだったのではないだろうか、アスカはノートンと対峙しながらもそれに気づいたが、もう、すでにその時は遅かった。その頃、テンリとシナノの二人がひそかに隠れている船室では緊急事態が起きていた。


 アスカの予想の通り、船室には敵船のクルーがやってきていた。ただし、アスカの推測と違うのは三匹ではなくて4匹だったことである。残りの一匹はファルコン海賊団のメンバーではない。

 アマギとミヤマとアスカの三匹による鉄壁の布陣がいれば、テンリは『まず、間違いなく大丈夫だよ』とシナノに対して宣言していたが、その予想は外れてしまった。

 ただし、こうなった以上は男としてできる限りのことをやって、テンリはシナノを守ろうと固く決意している。それでも、今のシナノの心中は穏やかではない。

「何だ。まだ、ここにも船員がいやがったのか。だが、弱そうなやつらだけだな。よし!このゼリーを持って行くぞ!」敵のプリートと言う名のオスのパプアヒメカブトは言った。

「ねえ。待って!このゼリーはアマくんとミヤくんが一生懸命に努力して持って帰ってきたものだから、せめて一つは持って行かないで!」テンリはそう言うと、プリートに近づいて行った。

「テンちゃん!ダメよ!そんなことを聞いてくれるはずがない!」シナノは慌てて割って入った。

「ふん。中々、物分かりのいいやつだな。そういうことだ。ん?」プリートはそう言うと、まじまじとシナノのことを見た。そして、プリートは決断して残酷なことを言い放った。

「よし!この女もテイク・アウトだ!大頭の妾にする!連れて帰るぞ!おい!お前!セトって言ったか?連れて来い!」プリートによって指名されたのは一際に体の小さなアマミシカクワガタである。

そのセトの体長はテンリよりも少しだけ小さい37ミリである。しかし、セトは命令されても何もせずにおろおろしているだけである。どういうことなのか、テンリとシナノは不思議そうにしている。

「何をぐずぐずとやっているんだよ!この役立たずが!」エンイッドと言う名の敵のサキシマヒラタクワガタはそう言うと、セトのことを挟み込んで勢いよくセトを壁に向かって放り投げた。セトは『うっ!』という悲痛な声を上げた。テンリはこの隙にシナノを連れて船室から逃げ出そうとした。

「お前はどこへ行く気だ!」プリートはそう言うと、テンリの背中に突進して壁に突き飛ばした。シナノはテンリがやられてしまったのを見て思わず『テンちゃん!』と声を上げた。

「もういい!お前はゼリーを持て!行くぞ!」プリートはセトに対してそう言うと、乱暴にシナノを掴んで飛び立とうとした。エンイッドともう一匹も同様にして帰りの動作に入った。シナノは恐怖で顔を強張らせて『きゃっ!テンちゃん』と言ってテンリに助けを求めた。

「待って!連れて行かないで!」テンリもそう言ってプリートに食らいついた。

「こざかしい!邪魔だ!」プリートはそう言うと、再びテンリを激しい動作で壁に突き飛ばした。それでも、テンリはやられてもやられても食い下がった。テンリには引き下がれない理由がある。

しかし、その内にテンリがかわいそうなので、シナノは助けを求めなくなったが、テンリはついにプリートによって勢いよく地面に叩きつけられて気を失ってしまった。

プリートとエンイッドを含めた敵の4匹はシナノと三つのゼリーを持って無情にも自分達の船へと帰って行ってしまった。ファルコン海賊団はどこまで行ってもあこぎなのである。

その頃、アマギはダザイフを含めた二匹をKOされたボクサーのようにしてダウンさせていた。アマギの強さは群を抜いている。それはともかく、アマギはアスカの指示によってノートンとジープと言う他の二匹の相手をミヤマとアスカに任せて大慌てで船室に駆けつけた。

しかし、もう、アマギはその時には戦いに敗れて意識のないまま倒れたテンリの姿しか目の当たりにすることはできなかった。人間界での楽しいベンチャーを終えてほっとしたのも束の間、いきなり、こんなことになってしまって、アマギは目の前が真っ暗になる思いだった。

ミヤマとアスカの二人は今もしゃかりきになってノートンとジープと言う二匹のファルコン海賊団と戦っている。アマギも自分のできることをやることにした。


 人生は旅に例えることができるのかもしれない。旅をすれば、色々な人と出会い、色々なところで、色々な経験をすることになるからである。それは人生とよく似ている。

しかし、必ずしも旅は楽しい経験ばかりに満ち溢れているとは限らない。例えば、事故に合うかもしれないし、自分とは気の合わない人と出会うかもしれない。

そんな旅だったとしても人や虫は生きて行くことができる。人や虫は誰もが逆境にも勝てるようになるために必ず心強い人や虫がいてくれるからである。

まだ、そんな人との出会いがないのならば、自分にとって大切な人を見つけること、それが人や虫の心の糧になることもある。人生は決して暗いだけの旅ではない。

プリートによって気絶させられてしまったテンリが目を覚ました時はすでに外は日が陰っていた。現在のテンリのいる場所でノイズは聞こえてこない。この場所はとても静かである。

今まで何があったのか、テンリはしばらく反芻した。今日、起こった事件はまるで悪夢のようだったので、本当にただの悪い夢なのではないかと、テンリは思っていたからである。

「あー!ついにテンちゃんが目を覚ましたぞ!やったー!」アマギはテンリの顔を覗き込みながら言った。今のテンリは緩慢なモーションながらも眼をパチパチさせてみた。

アマギのその報告を聞くと、ミヤマもこの場に飛んできた。今のテンリは船室の中で体を休めさせられていたのである。ということは必然的にまだ航海は終わっていない。

「今のぼく達はナノちゃんを追っているの?それとも、アマくん達がナノちゃんを救出してくれたの?」テンリは聞いてみた。テンリはそうしながらも不甲斐ない気持ちで一杯である。

「いや。そのどちらでもないよ」ミヤマは暗い声で答えた。ミヤマはテンリが気絶してしまってからのことを簡単に述べた。大まかに言えば、次のようになる。

本船で戦っていたミヤマとアスカはアマギが船室へ向っても戦闘を続けていた。敵船はこの時点で帰路に着こうとしていた。つまり、進路を明らかに変えていたのである。

敵は頃合いを見て自分達の船へ帰って行った。ダザイフを始めとしてKOされたファルコン海賊団の5匹もよたよたとした足取りで自分達の船に戻って行った。

アスカとミヤマはそれについて深追いをしなかった。アスカとミヤマは乱暴な性格をしている訳ではないし、シナノが誘拐されかけているということも知らなかったからである。

アマギはシナノの姿が見当たらないので、とりあえず、船の中を探してみようかと迷った。しかし、アマギは最悪のシナリオを予想して敵船に乗り込むことにした。

その時、もう、敵は全員が船に乗り込んでいて逃亡の準備は万全だった。しかも、アマギが追いかけてくることも予期していたので、こちらに向けて大砲を向けていた。

大砲には鉄球が入っていたが、火薬はつめられていないので、爆発はしなかった。それでも、アマギの追撃をかわすのには十分だった。アマギは全ての球をよけることができずに危うく海に沈められそうになってしまった。こうして、シナノの救出は叶わなかった。

「もっと、早くおれが船室に到着していれば、こんなことにならなかったんだ」アマギは言った。

「敵の作戦の要はおれ達を引きとめることだったんだから、それだけ、相手も必死だったんだよ。それについて言えば、しょうがない」ミヤマは相変わらず暗い顔で言った。土壇場になって重大なエラーをしてしまったということは自分も同じであると、ミヤマは自覚している。

「事情は理解したけど、どうして、ナノちゃんを追わないの?」テンリは当然の疑問を口にした。とはいえ、テンリもアマギとミヤマがシナノの救出を諦めたとは露程も思っていない。

「アスカさんの提案なんだ。今の状態でおれ達が救出に行ってもまた同じことを繰り返すだけだから、仲間を増やすんだ。そして、また、戦う!」ミヤマはテンリの期待に添う答えを口にした。シナノを助けること、アスカを含めたテンリ達の4匹にとってそれは不文律なのである。

「仲間?そうか!アスカさんには個性の豊かな仲間がいるって言っていたものね?それは心強いね?」テンリはほっとしている。テンリは人間界に着いた時にアスカからそれを聞いていた。

「そうだな。それにもうおれは次の戦いで負ける気がしないしな」アマギは血気盛んに言った。

「そうなのかい?確かにそれは心強いけど、根拠が何かあるのかい?」ミヤマは聞いた。

「うん。もちろん、あるぞ!今度のおれは本気を出すんだ!」アマギは強い口調で言った。

「うーん。微妙な根拠だな。というか、あの時は本気を出していなかったっていうのかい?どうして?最初から本気を出していればよかったじゃないか」ミヤマは当たり前の理論を述べた。

「ぼくはわかるよ。もしも、アマくんが本気を出したら船がボロボロになっちゃうからだよね?」テンリは助け船を出した。テンリはよくアマギのことを理解してくれている。

「うん。そうだ!」アマギはにっこりと笑って言った。やはり、テンリは心強そうである。

「ほう。頼もしいじゃないか。てっきり、今頃は反省会でも開いているのかと思えば、みんなは前向きなんだな。感心するよ」アスカはこの部屋へやってきて口を挟んできた。

「うん。おれは基本的に性格が前向きなんだ」アマギは造作もなく答えた。

「確かにアマの前向きさの右に出る者はそうそういないだろうな」ミヤマは茶化した。

「ねえ。一つ気になっていることがあるんだけど・・・・」テンリはまじめくさった顔で言いかけた。

「ああ、食料か。大丈夫だよ。明日には昆虫界に着くみたいだから」アマギは断定した。

「いや。テンちゃんは食料のことを言ってないと思うぞ!なあ?テンちゃん」ミヤマは確認した。

「うん。あのね。セトくんって言うらしいんだけど、ナノちゃんを誘拐する時にナノちゃんを連れて行けって命令されて従わなかったら暴力を振るわれている虫さんがいたんだよ」テンリは言った。

「ふーん。そんなことがあったのか。何だろうな?仲間割れかな?」アマギは言った。

「なんだか、それにしてはおかしくないかい?だって、口論も何もなくて一方的にやっつけられていたんだろう?」ミヤマは聞いた。ミヤマは明らかに合点が行かない様子である。

「うん。問答無用っていう感じだったよ」テンリは神妙な顔で頷いた。

「断定はできないが、たぶん、それはシナノくんと同じ境遇の虫さんだ」アスカは発言をした。

「同じ境遇?ああ、そうか」ミヤマは何かを思いついた様子である。テンリも同様である。

テンリとミヤマの二匹は人間界に行く前にカニとヤドカリから聞いていた話を思い出したのである。あの時に二匹のクワガタが誘拐されたのを目撃したということを聞いた。

つまり、その片方の虫がテンリの見た虫である可能性が高いという訳である。それにより、セトは雑用としてファルコン海賊団にこき使われているのである。ただし、悪の道に洗脳ブレーン・ウォッシュすることは難しい。だから、セトは悪の命令に背いていたのである。

テンリはぽかんとした顔のアマギに対しても事情を説明した。誘拐されている虫の名前もこれで判明した訳である。今はセトとニーヤという名の虫も囚われの身になっているのである。

「そうか。それなら、ナノちゃんだけじゃなくてその二匹のクワガタも救出しよう!よーし!やる気が出てきたぞー!」テンリから全ての話を聞き終えると、アマギは意気揚々として言った。

どんな絶望の闇に閉ざされていようとも希望の光を信じ続けることは大切である。暗い気持ちでいても明るい気持ちでいても一緒ならば、明るく生きた方が得だからである。

シナノは妾として連れて行かれてしまったので、一生このままでは家に帰してもらえない可能性もある。身代金を要求されることも質が悪いが、それもそれで相当な陰湿さである。

いくら、頼もしい仲間がいるとはいえ、自分には何ができるだろうかと、テンリは不安に思ったが、シナノが囚われていることを思えば、そんなことは枝葉末節の問題である。事実、アスカの仲間達と合流したらテンリを始めとしたメンバーの各自の役割はこれから決まることになる。


テンリ達の一行の船が昆虫界の岸辺に着いたのは事件から一夜明けた昼頃だった。テンリ達の他の三匹を船に待たせると、アスカは早速『西の海賊』の仲間達を呼びに行った。

一応、皆、アスカの仲間の4匹はオスである。アスカは『西の海賊』において紅一点の存在だったのである。とはいえ、中には珍しい虫も含まれている。

アスカの仲間達の紹介のコンテンツをまとめておくことにする。まず、性別上はオスのタイゴホンヅノカブトはクスキである。一応とか、性別上とかと言うのには訳がある。クスキは自称メスなのである。ようするに、クスキはオカマなのである。クスキはテンリ達の三匹に対して自らのことを『クッちゃん』と呼ぶように催促した。次に、ラマヒラタクワガタの双子はソーとクーである。ソーとクーの二匹は体長も一緒であり、それぞれ、73ミリである。ソーとクーの二匹は頼りになる戦闘員でもある。

最後に『西の海賊』の作戦参謀的な役割を果たすのはヒラタクワガタのサイジョウである。サイジョウの体長は81ミリとかなり大型である。サイジョウも頼りになる強者である。

ただし、そのサイジョウを見ても大抵の虫は厳つい印象は受けないことが多い。余程のことがない限り、サイジョウは普段からやさしい物腰で他人と接するのである。しかも、作戦参謀の役目を果たすくらいだから、サイジョウはシャープな頭脳の持ち主でもある。サイジョウにはトウジョウという弟がいる。そのトウジョウも『東の海賊』としてここから遠く離れたもう一つの『浜辺の地』という場所で海賊をやっている。トウジョウも国から海賊行為を認可してもらっている。

一度、話に出ているが、サイジョウ達の5匹は『西の海賊』と呼ばれている。いずれにしろ、『西の海賊』のステータスは確立されているし、誰も彼もが粒ぞろいである。

テンリ達の三匹と『西の海賊』のお互いの紹介がすむと、船を出すことになった。特にぐずぐずしている理由もないし、できるだけ、シナノ達の三匹の救出は早い方がいいからである。

テンリ達の一行が敵地へ向けて使用する船は『西の海賊』の手持ちの中で一番大きなキャラック船が選ばれた。テンリ達の三匹の荷物は乗っていたヴァイキング船に乗せたままにしておいた。食糧はというと、アスカの仲間達が十分に用意してくれたので、特に心配はいらない。これからの目的地までには往路だけで二日はかかる。諸々の準備を終えると、船によるテンリ達の一行の大いなる冒険の第二章は幕を開けた。


 察しはつくかもしれないが、海賊とはいえ『西の海賊』は誘拐はしない。『西の海賊』は甲虫王国でも多くの国民に精鋭の揃った正義の集団として捉えられている。

 ファルコン海賊団は平気で一般人に暴力を振るうことがあるので、当然、バッシングの対象になっている。『西の海賊』とファルコン海賊団は両極端の性質を持っているのである。

今の『西の海賊』とテンリ達の三匹が戦いのターゲットにしているのはそのファルコン海賊団である。ということは、もしも『西の海賊』側が勝利すれば、ファルコン海賊団を懲らしめるといういい機会になるという訳である。そういう意味でも今回の戦いは意義深い。

「アスカさんのおかげで仲間が増えてよかったね?これでもっと心強くなったね?」テンリはアマギとミヤマに対して話しかけた。今は船員の全員がデッキに集合している。

「ああ、そうだな。でも、どうして、テンちゃんは掃除しているんだ?アスカさんに頼まれたのか?」アマギは聞いた。確かに今のテンリはデッキ・ブラシで甲板を掃除して回っている。

「念のため言っておくと、私は別に頼んでいないぞ。もちろん、掃除してくれるのなら喜ばしいことだが」アスカは言った。右に同じなので、サイジョウは心の中で同意している。

「あのね。アマくんもミヤくんもみんなが頼もしいと思うけど、何かしていないと、今のぼくはちょっと気持ちが落ち着いていられないんだよ」テンリは自分の心境を吐露した。

「なるほど。その気持ちはよくわかるよ」ミヤマは理解力のあるところを見せつけた。

「それじゃあ、安心させるためのいい情報を与えよう!」サイジョウは言った。先程、サイジョウは『魔法の石』で知り合いのタコを呼び出していたので、現在はそのタコに船を引いてもらっている。

「ぼく達は今から戦う連中と海戦をして負けたことはないんだよ」クーは話を引き継いだ。

「ああ、全戦全勝だよ。それなのにも関わらず、しつこく対戦を挑んでくるんでこっちは迷惑しているんだけどね。ただし、全面戦争をするのは今回が初めてだ」ソーは解説した。

「ふーん。そうなのか」アマギは感心した口調で言った。テンリとミヤマも感心している。

「私達は『四天王』とも呼ばれたりするのよん。それから『花の香りのパイレーツ』とも呼ばれたりするのよん」クスキは言った。クスキは特徴的なしゃべり方をする。

「ふーん。そうなのか。なんだか、へんてこだな」アマギは臆することなくコメントをした。

「クッちゃんの言うことは鵜呑みにしない方がいいよ。クッちゃんは嘘を吹き込むのがうまいんだ。『花の香りのパイレーツ』なんて呼ばれた試しがない」ソーは真相を口にした。

「もう!いやーねー!ソーちゃんったらー!」クスキはおばさんがやりそうな仕草をした。

「まあ、クッちゃんがおもしろい虫さんだっていうことはわかったよ。あれ?でも、どうして『四天王』なんだい?アスカさん達の全員を合わせると5匹じゃないか」ミヤマは鋭い指摘をした。

「それはサイジョウがぼく達を統括するチャンピオン的存在だからだよ」クーは言った。

しかし、当のサイジョウは身ぶり手ぶりでいやいやと言っている。アスカ達の他の4匹はサイジョウのリーダー・シップを買っているのだが、サイジョウにはそんなつもりはないのである。

「まだ、テンリくん達にはファルコン海賊団について詳しい話はしていない。これから向かう場所と敵の諸事情についてサイジョウから説明をしてくれないか?」アスカは懇願した。

「もちろんだよ。ぼく達がこれから行く場所は『無法の地』という離れ小島だ。今のぼく達が出航したところと同じようにして『無法の地』は森林地帯ではあるが、一つだけ大きな違いがある。それは基本的に『森の守護者』が寄りつかない点だ」サイジョウは真剣な顔で話を始めている。

集中して話を聞いているので、ミヤマは難しい顔をした。『森の守護者』とは人間界で言うならば、お巡りさんのような存在である。警察官がパトカーでパトロールするようにして日々『森の守護者』も異常がないかどうかを調べるために甲虫王国の様々なところを飛び回っている。ただし、甲虫王国は広いので、ごくわずかだが、残念ながら管理の行き届かないところも存在する。その代表格として一番に上げられるのが『無法の地』という場所である。甲虫王国はスペードの形をしている。そのせいなのか、離島である『無法の地』もスペードの形をしている。サイジョウは話を続けることにした。

「もう、察しはついているかもしれないが、名前の通り『無法の地』は悪者がのさばって悪事ばかりがはびこっている。余程のことがない限り、普通の虫は誰も寄りつかない。『無法の地』にいる海賊団はファルコン海賊団と呼ばれている。そのファルコン海賊団のバックには強大な勢力が控えている。みんなも噂ぐらいなら聞いたことはあるだろうが、オウギャクの率いる革命軍だ」

オウギャクとは甲虫王国において今もっとも悪名高いネプチューンオオカブトである。そのオウギャクを巨魁とする革命軍にはただでさえ血の気の多い者ばかりが集まっているのにも関わらず、その上、国内の穏健派と真正面から対峙する急進派の虫も革命軍に参加する意向を示している。

クーデターの要素も少し含まれているという訳である。第三勢力による革命の便乗も企てられているので、国王軍にとってはそれも悩みの種である。

「そうか。だから、海賊旗には赤旗を掲げていたんだな?」ミヤマは口を挟んだ。

「その通りだよ。ご明察だな。ミヤマくん」サイジョウに褒められて、ミヤマはうれしそうである。テンリはミヤマに対して尊敬の眼差しを送っている。革命軍は赤旗を掲げるものなのである。

「旗にはどくろマークの他に右下に三角形が描かれていたはずなんだ」クーは補足説明をした。

「あれは革命が成功した暁にやつらが国旗として掲げるマークなんだ」ソーも補足説明をした。

「あの旗の意味は完全なカースト制度を意味するのよん。立派な系統を持った者が下等な種族を支配する。言葉に出すだけで胸くそが悪いけど、そういう意味なのよん。嫌になっちゃうわよねー。本当に」クスキは言った。テンリはそれに対してデッキ・ブラシで床をごしごししながら返答した。

「あんな乱暴な虫さん達にこの国を治められたら怖くて夜も眠れなくなりそうだね?」

「とはいえ、もう、眠っているのが約一名いるけどな」ミヤマはアマギに一瞥をくれて言った。

小難しい話に退屈してしまったので、現在のアマギは安眠中である。テンリはアマギをやさしく揺り起こしてあげた。サイジョウは申し訳なさそうにしている。

「すまないな。アマギくん。もう、少しだけ、ぼくの話に付き合ってくれ。話を戻そう。これから向かう海賊団のアジトには頭と大頭と呼ばれる男がいる。彼等との対戦がぼく達の救済作戦の結末を大きく左右するといっても過言ではないはずだ。大頭はハヤブサという名のエレファスゾウカブトだ。知っているかもしれないが、エレファスゾウカブトは世界で最も重いカブトムシとして知られている。だが、厄介なのはその屈強な体だけではなくて『セブン・ハート』の使い手でもあるという点だ」サイジョウは言い切った。ミヤマはそれを受けると思わず息をのんだ。『セブン・ハート』とは甲虫王国に古くから伝わる7つの奥義のことである。しかし、それは誰でもが使える訳ではない。使い手から厳しい修業を経て伝授されないとならない。

「そうなんだ。それじゃあ、一筋縄では行きそうもないね?ぼくも『セブン・ハート』を見たことがあるけど、ハヤブサっていう虫さんはいくつの奥義を使えるの?」テンリは聞いた。

「いい質問だね。テンリくん。ハヤブサが使えるのは『迎撃のブレイズ』の一つだけだ。でも、これがわかっていてもかわすのは難しいかもしれないな。ただ、ハヤブサは『セブン・ハート』を使えるだけではなくて実力もあるからね。次に、頭と呼ばれているのは・・・・」サイジョウは言いかけた。

「ノートンという名のノコギリタテヅノカブトだ。一度、ノートンとは私達も船でやり合っている」アスカは口を挟んだ。ノートンはファルコン海賊団のナンバー・ツーだったのである。

「ああ、覚えているぞ!かなりずる賢そうなやつだったな」アマギは記憶を辿りながら言った。アマギは一対一でやり合っている中で横からノートンに攻撃されたことを思い出している。

 まとめてみると、ファルコン海賊団はハヤブサとノートンという二人の豪傑によって『無法の地』を蚕食して行ったのである。手強い相手であることは間違いない。

「もう一つだけ、クッちゃんに話してもらわないといけないことがあるな」サイジョウは言った。

「そうね。これから向かう土地の内部事情についてね」クスキは物知り顔で言った。

「え?どうして、クっちゃんはそんなことを知っているんだい?」ミヤマは不可思議そうにしている。

「あ、ぼくはわかったよ。一度、クっちゃんは偵察部隊として『無法の地』に乗り込んだことがあるんじゃないかな?」テンリは『だとしたら、すごいことだな』と思いながら推測を述べた。

「確かにそれはいい推理だけど、違うのよん。テンリちゃん。元々、私はあっちの海賊団に所属していたのよん。初めはあんなに悪さをしてはいなかったのよねー!でも、知っての通り、段々と悪事を繰り返すようになってきたのよん。あたしはそれで嫌気がさしてこっちの海賊団になったっていう訳なのよん。ただ、誤解のないように言っておくけれど、あたしは一度も人道にもとるような行為はしなかったのよ」クスキは少し必死な口調になりながらも自分の行動の弁解をした。

「うん。もちろん、おれはクっちゃんを信じるぞ!」アマギは言い切った。見ず知らずの虫のために命をかけて敵地に侵入しようとしているクスキの強い意志をアマギは信じたのである。

「ありがとう。アマギちゃん。そう言ってもらえてあたしもうれしいわ。それでね。おそらく囚われの身のシナノちゃん達は地下にいるのではないかと思うのよん」クスキは言った。

「地下?『無法の地』にある地下室のことかい?」ミヤマは真剣に聞き返した。

「そうよ。ミヤマちゃん。ご名答よん!現地に到着したらそこの場所はすぐに教えることができると思うのよん。そこで地下室に向かう役割の虫さんを決めておこうっていう訳なの。地下室は外側からなら簡単に施錠できるかんぬきだから、誰にでもできると思うの。あら、テンリちゃんが行ってくれるのかしら?」クスキは指名した。テンリは自分で手を上げて申し出ていたのである。

「それじゃあ、そのテンちゃんをおれが護衛しよう!その方がいいような気がする」アマギは言った。

「そうだね。陳腐なセリフだけど、ぼくもそういう提案をしようと思っていたんだ」クーは賛成した。

「おれも同意見だよ。それで行こう!」ソーも同意した。他に異議のある者はいなかった。

「知っておいてもらいたかった事実と行動すべき作戦は今のところ以上だ。今は休んでいてもいいけど、本番はくれぐれも気を引き締めて行こう!」サイジョウはそう言うと、操舵室へと向かった。

船は程よい緊張感と大いなる使命感を乗せて着々と海を進んで行った。その際、アマギは大物ぶりを発揮して舟を漕いでいた。ミヤマはこんなピリピリした中でよく眠れるなと感心した。

『西の海賊』のメンバーは気を使って自分達の気楽な冒険譚を話してくれた。小心者のテンリと心配性のミヤマでも少しはリラックスして航海することができた。

 その後、さっき、サイジョウが『今のところ』と言っていた通り、サイジョウのセッティングによって再びテンリ達の三匹と『西の海賊』の5匹は甲板に集合することになった。

 サイジョウはシナノと同じく囚われの身の二匹のクワガタを救出するための作戦を披露することになった。しかし、話し合いはブレーン・トーミングの形式を取ったので、何人かは意見を出して、サイジョウはそれを積極的に取り入れたので、計画はより高度なものに仕上がった。


テンリ達の一行の船はタコに船を引っ張って行ってもらったおかげでいくらか早く『無法の地』に到着した。出航から二日後の朝ぼらけにはみんなが敵地に足をつけていた。

船は敵のアジトまで最短距離で迎える場所に停泊させた。そばには敵のものである船も停泊している。型はガレオン船というものである。ガレオン船と言うのはテンリ達の一行が乗ってきたキャラック船よりも速度は出るが、転覆しやすいという難点もある代物である。しかし、そんなガレオン船を見ると、その荘重さに対して、テンリとアマギとミヤマの三匹は改めて圧倒されることになった。

入口にはパラソルと大がかりなゲートがあるので、ちょっとしたバカンス気分が味わえるようになっている。ただし、そのようにして実質がなくて外観ばかりを立派に飾ることを山師の玄関とか藪医者の玄関と言ったりする。それでも、テンリはその製作者はすごいなと思った。

テンリ達の一行がやってきたこちら側ではなくて『無法の地』の反対側の岸に行けば、高さが三メートルもの紅樹林マングローブというものを見ることもできる。

マングローブは海底に根を下ろすので、干潮の時には根元を露出するが、普段は幹の下部が海水に浸かっている。サイジョウは落ち着いているので、テンリ達の三匹にもそのような説明をしてくれた。それを見学できずにこんな時だが、ミヤマは少しだけ残念に思った。

現在の天候は曇りであり、今にも雨が降り出しそうである。それに加えて、霧がかかっているので、あまり視界もよくない。しかし、テンリ達の一行の目的はただ一つだけである。シナノとセトとニーヤという囚われの身の三匹の救出である。それを見失うことはあり得ない。

上陸の第一歩目はアマギとサイジョウが同時だった。その二匹は士気も高々にずんずんと歩を進めようとした。しかし、その時にどこからともなくドスの利いた声が聞こえてきた。

「よそ者だなー!何をしにきたんだ?ここは一般人が無闇やたらに足を踏み入れていい場所じゃないんだぜ!観光するなら他を当たってもらわないと困るんだよなー!そこのところはどうなのよ?」

「何だ?天の声が聞こえるぞ!誰かが上にいるのか?」アマギはそう言うと、天を仰ぎ見た。しかし、上空に生物はいない。サイジョウはそんなアマギに向かって指をさしながら言った。

「いや。違う。今のはここから聞こえたんだ」サイジョウの指さす先にはヨロイイソギンチャクがいる。このイソギンチャクは体高およそ8センチであり、体は褐色の円筒形をしている。

実際にそうであったようにしてイソギンチャクも生き物に分類されるので、しゃべることができる。ここにはいないが、そういう点ではフジツボも同じである。

「ふっふっふ、気づいたか。おれ様はここの門番をやっている者だ!ここから先を通りたければ、おれ様を倒してからにするんだな」イソギンチャクは不敵な笑みを浮かべながら言った。

「お、一つ目の難関だな?」アマギはいきり立っているが、サイジョウは冷静に切り返した。

「いや。構うことはない。イソギンチャクには攻撃の手段がない。行こう!アマギくん!」

「ああ、そうか。確かにそうだな」アマギはそう言うと、サイジョウの後に続いた。

「あ、ちょっと行かないでー!ひどいわ!ひどいわ!」人間ならば、ハンカチでも噛みしめて言いそうなセリフをイソギンチャクは絶叫した。テンリ達の一行は労せずしてイソギンチャクの横を通過した。あまりにも簡単に通過できたので、テンリは拍子抜けしてしまっている。

「あの門番は何なんだ?緊張感がゼロだな」ミヤマは歩きながらさめざめとしている。

「本当よねー?なーにー?あれ!オカマみたいな口調になっちゃって!いやーねー!」クスキは言った。もちろん、冗談のつもりである。しかし、ミヤマはそのおかげでまた緊張が解れた。

「でも、油断は大敵だよ。もしかしたら、戦意を喪失させるためにふざけているのかもしれないよ」テンリは至ってまじめである。とはいえ、テンリの考えにはソーとクーも多いに賛同した。

「ナイスな志向だね?テンリくんはいいことを言っているよ」ソーは満足げである。

「ああ、もう、ここは敵地だ。何があっても油断はしない方がいい」クーは注意を促した。『西の海賊』イズムによると、メリハリは重要視されるのである。シナノを救出するためのプロジェクトは着々と幕開けの時を近づけて行っている。テンリ達の緊張感も高まってきている。

約30分後、テンリ達の三匹と『西の海賊』の5匹は雁首を揃えて敵のアジトである少し開けた場所に到着した。アジトは船出がしやすいように海から割と近いところに設けられている。

そこには何匹かのファルコン海賊団のメンバーがいたが、彼等はテンリ達の一行を見つけると、テンリ達に対して胡散くさげな一瞥を投げかけてきた。テンリは少し威圧されてしまった。アマギは敵からの視線もお構いなく元気も良く『よーし!頼もー!』と大声を張り上げた。

「まるで、道場破りみたいだな」ミヤマは笑みを浮かべながら言った。

「まあ、似たようなものだ」サイジョウは微笑を浮かべている。サイジョウはさすがにここまで来ても落ち着いている。中々、肝っ玉が座っているので、いわば、外柔内剛というやつである。

そこに先程から異変を感じていた敵側の虫達はさらにちらほらと姿を現し始めた。そんな連中の中でもいかにも強そうな風貌をしたライヤットと言う名のダイオウヒラタクワガタは言った。

「一体、何の用だ?ここは観光にくるような場所じゃない。いや。この面々ならそんなことは百も承知のはずか」サイジョウ達の5匹の『西の海賊』を見ると、一度、ライヤットは言葉を切った。サイジョウと『四天王』と呼ばれる4匹はファルコン海賊団の中でもかなり有名なのである。

「目的はわからないが、やる気らしいな。それならば、排除するのみだ!」ライヤットはそう言うと、先頭にいたサイジョウに向かって飛びかかった。サイジョウは難なく襲いくる敵を弾き返した。

「悪いが、道を開けてもらおうか!行くぞ!みんな!開戦だ!」サイジョウは意気軒昂に言うと、前進を始めた。アスカやソーやクーといったメンバーもその後に続いて行った。

 クスキは自分達のことを『花の香りのパイレーツ』と言っていたが『西の海賊』のキャッチ・フレーズを作るとすれば、あるいは『ひるまない正義の軍団』というのも当てはまる。

 サイジョウの行動を見ると、魯鈍なものも含めたファルコン海賊団の一味は殺気を見せ始めた。テンリは少し怖かったが、勇気を奮い起こすことにしている。

 『西の海賊』はすでに合戦を始めているので、アマギは血が騒いでいる。ケンカは好きではないが、アマギはテンリと違って『西の海賊』と同様にしてひるむことがないのである。


 いよいよ、干戈を交えることになった『西の海賊』とファルコン海賊団だが、お互いに主力は一人も欠けていない上に『西の海賊』側には戦闘に慣れているアマギもいるので、激戦になることは不可避である。とはいえ、テンリとミヤマだって重要な戦力であることには変わりがない。

 ミヤマはさほどにケンカ慣れしている訳ではないし、一度、アマギにはケンカで負けていたが、普段のミヤマはふざけてばかりいてもそれなりの戦闘センスを持っている。しんがりで敵地に侵入していたミヤマは前回の戦いで船の上でも対峙していたジープと向き合っていた。雑兵のジープもそれを覚えていた。

「この間は決着がつかなかったな?今日こそどちらが強いかを白黒をはっきりとつけようじゃないか!食らえ!千手観音攻撃だ!」ジープはそう言うと、ミヤマに対して豪雨のような激しい突きの応酬を繰り出した。中々の離れ業を使っているジープは明らかに驕気の持ち主である。ミヤマは『よ!と!よ!と!は!』と言いながらダンスを踊るかのような軽やかなステップでのらりくらりと攻撃をかわして行った。ミヤマは不敵な笑みを浮かべて反撃に出ることにした。

「さーてと、そろそろ、おれの本気を見せてやろうか!食らえ!『大車輪』!」ミヤマはそう言うと、ふわりと体を浮かして次の瞬間にはジープの体を上から挟み込んで前転の要領であっという間に投げ飛ばしてしまった。その結果、ジープは地面に叩きつけられて一発でKOになってしまった。

人海戦術だと言わんばかりにして、実力者であることを示したミヤマの元には敵がわらわらと群がってきた。ミヤマは確かに『西の海賊』の単なる随員ではない。

 『西の海賊』側にはサイジョウから指示が出されている者もいるが、ミヤマはサイジョウの尻馬に乗るのではなくて多くの敵を引きつけておくことを自分の役割にしたのである。

 しかも、ダザイフやプリートを含めて敵の数は4匹もいるので、ミヤマにとっても決して楽な状況ではない。それでも、ミヤマはアマギを見習って自分の士気を高めている。


 アスカは馬鹿力の持ち主である。そのため、男を相手にしても棒一本で勝利をつかむことができる。事実、アスカはすでにエンイッドをKOさせたところである。

今のアスカの前には背中に刀を背負ったメスのオキナワマルバネクワガタが二本足で立ち塞がっている。彼女は名をユキと言う。アスカは相手が女でも容赦をしない。

アスカはユキに対して早速フェンシングの要領で武器を突き出した。ユキは素早くその割りばしの上に器用に乗っかった。ユキはおもぶるに言った。

「あたいは抜け忍だ!あたいはそこらの小娘と同じように見ていたんじゃやられない!」

「なるほどな。確かに君の名は聞いたことがある。女にしてファルコン海賊団の幹部の一人か。どうやら、相手にとって不足はなさそうだ」アスカはそう言うと、武器を引っ込めた。

ユキは地面に軽やかな動作で着地すると、一切、アスカに対してこけ威しなんか口にせずに背負っていた忍刀を抜いた。ユキは忍者だが、剣術の腕前は相当なものである。

ユキは『やー!』と言う掛け声と共に刀でアスカに襲い掛かった。しかし、アスカはひらりと身をかわして素早くユキの後ろに回り込んで自分の棒でユキの背中を叩こうとした。

しかし、ユキは羽を広げて上空へ逃げた。ユキは剣術だけではなくて身の軽さや感のよさと言ったようにして男に負けないくらいの戦闘センスを持っている女性なのである。


サイジョウは敵と対峙しながらしきりに目的を吹聴していた。自分達の目的はハヤブサを倒すことであってこの先にいるハヤブサに向かって突き進んでいるのだと、サイジョウは言うのである。

しかし、それはフェイクである。あたかも自分達の向かう先が目的地であると見せかけておいてシナノ達の囚われの身の三匹が監禁されているであろう地下室へ向かうテンリとアマギを援護している。サイジョウは頭脳派なので、智将と言ってしまってもいいくらいである。

クスキは特命を帯びてスタート地点からみんなと行動を別にしている。サイジョウが前に進んで行くと、敵側の頭であるノートンが立ちはだかった。

「ぐっひゃっひゃ!よう!サイジョウ!わざわざ、こんなところまでやって来るなんてお前さんも物好きな男だな?」ノートンは不気味な笑みを浮かべながらも余裕がたっぷりである。

「シナノくんを連れ去った張本人である君には言ってもわからないだろう。虫が自由を奪われているんだ。ぼく達にはそれを止めさせることができる力を持っている。君には不可解な行動に見えてもぼくは当然の行動を取っているつもりなんだ!」サイジョウは必死に主張した。

「ふん!おれ達の考えはどこまで言っても平行線っていうことか」ノートンは言った。

「そういうことかもしれないな。よくわかっているじゃないか」サイジョウは言い返した。

「少しはわかりあえたっていうのに悲しいよ。おれは侵入者であるお前を倒す!それが使命なんだ!わざわざ、ファルコン海賊団によってやられにきたなんて『西の海賊』も落ちたものだ!」ノートンはそう言うと、羽を広げて角を振り回しながら勢いよくサイジョウに飛びかかってきた。

「君達の考えには呆れさせられるよ」サイジョウは受けて立つと悲しげに言った。

 サイジョウVSノートンの戦いは幕を開けた。サイジョウとノートンは初めこそ激しい打ち合いをしていたが、ノートンはトリッキーな行動を見せ始めた。

 ノートンは羽を使って自由自在に飛び回って色んなところからサイジョウに対して打撃を加えてくるようになった。これはノートンが開発した『サドン・スパンク』という技である。

 さすがのサイジョウも中々これでは的を絞りづらくなってしまったが、目が慣れてくるとノートンの動きの先を読めるようになって早くもサイジョウはノートンの必殺技を見破った。


今回の戦いのキーを握るであろうテンリとアマギはスタートから直進せずに左に折れて大急ぎで地下室に向けて飛んでいた。作戦のギミックはとてもシンプルなものである。

いつもはマスコット・キャラクターのテンリも今回ばかりはリベンジのために真剣な眼差しをしている。シナノやセトやニーヤの三匹のこれからの人生は自分の肩にもかかっているということを自覚しているので、テンリは緊張を緩めることができない。

アマギは相変わらずどっしりと構えているので、今のところ、精神的な不安感を抱くようなことはしていない。しかも、アマギはいつでも戦闘の準備が万端である。

「本当にナノちゃん達は地下室にいるのかな?」アマギは何の気なしに聞いてみた。

「たぶん、いると思うけど、大丈夫だよ。もし、いなくてもサイジョウさんは二段構えの作戦をこしらえてくれたものね?」テンリはその点について不安感を抱いてはいない。

「そうだな。今はおれ達の使命を果たそう!」アマギは飛行をしながらも真剣な顔をしている。アマギはテンリの返答レスポンスによってますます自信を増すことができた。

 とはいえ、アマギには深く物事を考えてその通りに実行するという甲斐性なんてないので、今回に限って言えば、サイジョウのプランに乗っかるしか選択肢はない。

テンリとアマギが飛行を続けていると地下への入り口が見えてきた。そこはマンホールと同じくらいの穴が開いていて中に入ると一方だけに道が続いている。

人間にとってはそれ程ではないが、中にあるのは昆虫にとっては大きな幅のある道である。ただし、奥行きはそれ程にない。最もそれは部屋を隔てたドアのある壁があるせいでそう感じるのかもしれない。地下の構造は至って簡単なものだが、そう簡単に救出はできそうになかった。

テンリとアマギの二匹が穴に入ると、奥には三匹程のカブトムシやクワガタが控えていた。とはいえ、当然これもテンリとアマギの二匹は予想していたことである。

「おい!何者だ?何をしにきた?」マイレーと言う名のマレーヒラタクワガタは聞いた。

「おーい!早く逃げた方がいいぞー!今から地雷を投げ込むんだぞー!」アマギはマイレー達の敵の三匹から程よく離れたところにテンリと共に立ちながらにっこりして呼びかけた。

「あ、違うよ!アマくん!ダイナマイトだよ!」テンリは慌てて訂正した。

「ああ、そうだったっけ?それじゃあ、ダイナマイトを投げるから、逃げた方がいいぞー!」アマギは笑顔で言った。参考までに説明しておくと、ダイナマイトとはニトロ・グリセリンを原料とした爆薬であって本来はトンネルの掘削やダムの建設と言った土木工事に使用されるのものである。

「何ー?何を訳のわからないことをごちゃごちゃと・・・・まじかよ!逃げるぞ!」マイレーはそう言うと、大急ぎで他の二匹と共に出口へと向かった。テンリとアマギは平気な顔でそれを見送っている。

今のテンリが投げたのはダイナマイト等ではない。それは単なるはったりである。本当は発煙筒を投げたのである。テンリはこの時のために船でその発煙筒をサイジョウから授けてもらっていたのである。なんにせよ、はったりの効果はてきめんだったという訳である。

テンリは労せずして石室の扉へ向かうことができるようになった。サイジョウの作ってくれた作戦は成功したので、テンリは一先ずほっとしている。

「それじゃあ、おれは外に出て行った三匹を抑えておくから、救出を頼むぞ!テンちゃん!」アマギは言った。今のアマギには揺るぎない自信に満ち溢れている。『西の海賊』側の指揮を取るサイジョウがエースならば、最高の切り札であるジョーカーはアマギだと言ってしまっても過言ではない。

「うん。わかった」テンリの返事を聞くと、アマギは外へ飛び出して行った。テンリの作業をスムーズにするために、今、出て行った連中のカム・バックを阻止すること、それが今のアマギの役割である。

テンリは歩いて奥へ進んで行った。扉のかんぬきを外すと、テンリは把手に手をかけて手前に引いた。アマギが抑えてくれているならば、もう、テンリは敵襲の心配はないと思っている。

シナノは果たしているだろうか、まさか、敵がこの中から出てくるようなことはないだろうか、テンリはそういった一抹の不安を抱えながらも不安と期待を込めてドアを開けて行った。ドアはテンリの想像以上に重かったが、なんとか、全開にすることができた。結論から言えば、シナノは不在だった。しかし、その代わり、先日、テンリが船で会ったセトはいた。もう一匹、セトとほぼ同じ大きさの37ミリのオスのアマミミヤマクワガタもそこにはいた。テンリにも彼はニーヤだなとすぐに気づくことはできた。


『西の海賊』のエンブレム的な存在のサイジョウはノートンを下から挟み込むことに成功していた。もはや、ノートンの必殺技である『サドン・スパンク』はサイジョウに通用しない。

サイジョウはノートンを下から挟んだまま空中に浮かぶと勢いよくノートンを地面に向かって放り投げた。しかし、これでは止めを刺すには至らなかった。

ノートンはさすがにファルコン海賊団のナンバー・ツーだけあって体が頑丈である。ノートンは肩こりをほぐすかのようにして顔を左右に振るとサイジョウに向かって突進してきた。

「ぐっひゃっひゃ!中々、サイジョウは骨がある。それでこそ、倒しがいがあるっていうものよ。サイジョウの首を取れば、おれの名も上がるっていう寸法だ!」ノートンは言った。

「褒めてくれているのなら礼を言った方がいいのかな?だけど、勝つのはぼくだ!いささか、ぼくの相手として君では不足がある!」サイジョウにそう言われると、ノートンは怒りを滲ませた。

空中にいたサイジョウはノートンの攻撃を難なくかわしたが、読みが甘かった。サイジョウはその流れのままノートンによって横から挟み込まれてすぐさま地面に叩きつけられてしまった。

さっき、サイジョウがやったことをノートンに逆にやり返された訳である。しかし、サイジョウもこれぐらいではひるまなかったし、ダウンもしなかった。

サイジョウはすぐに体勢を立て直すと再びノートンを挟んで空中に浮かんでそのまま全身全霊の力を込めて地面に叩きつけた。ノートンは『ぐっ!』という苦しげな声を上げてそのままダウンしてしまった。これで勝負があった。サイジョウVSノートンの一戦はサイジョウの完勝である。


セトは指示に従わなかったために見せしめとしてボコボコにされてしまっていた。セトは悲しいことにもファルコン海賊団によってリンチにされてしまっていたのである。

そのため、セトは飛ぶことさも儘ならなかった。それでも、セトはテンリがやってきた理由とその要件を聞くと驚きながらも顔をぱっと明るくした。

自由を束縛されていたもう一匹のアマミミヤマクワガタは名をニーヤと言う。それによってヤドカリとカニが誘拐されているのを見たクワガタというのはこのセトとニーヤの二匹だったということが判明した訳である。セトとニーヤは友達同士という間柄である。

今のところ、無傷ですんでいたニーヤによって、セトは持ってもらうと地下室を出て地上に向かった。地上ではアマギがマイレーを含めた敵の三匹を圧倒して地下への侵入を見事に妨げていた。

しかも、すでに敵の三匹の全員の戦意をアマギは喪失させていた。あまりにも、アマギとの力に差があるとわかったので、マイレー達の三匹は平伏していたのである。

「アマくんのおかげでセトくんとニーヤくんの二人を救出できたよ!でも、ナノちゃんは地下にいなかったよ」セトとニーヤの二匹を従えて地上に顔を出すなり、テンリはアマギに対して声をかけた。

「そうか。それじゃあ、おれ達もあっちへ戻ろう!」アマギはそう言うと、テンリ達の三匹と共に飛び立った。あっちと言うのはサイジョウやミヤマといった面々が戦っている戦場のことである。

 現在、特命を帯びているクスキの行動の結果によっては総力戦でファルコン海賊団と争って力づくによって、テンリ達の一行はシナノを救出することになる。

 セトとニーヤはあっけなくマイレー達の三匹がやられているところを見て目を丸くしている。セトとニーヤはアマギとテンリという救世主に対して感謝の言葉を述べた。とはいえ、何も自分達だけの力で救出した訳ではないので、テンリとアマギは謙虚にそれを取り成した。

セトとニーヤはシナノを救出するついでだというようなことはテンリもアマギも口にはしなかった。仮にシナノが誘拐されていなくても『西の海賊』が味方ならば、テンリとアマギとミヤマはセトとニーヤの救出を決意した可能性が高いからである。


 アスカは甲虫王国において女性の中で戦闘のエキスパートと言ってしまっても過言ではない。戦いの布陣にはオフェンスとディフェンスがあって気が強いから、オフェンスが得意そうだが、実際、そんなことはなくて攻撃だけではなくて、アスカは守備もきちんとできる。

 アスカのすごいところは得意とする棒術を自分だけの力で磨いて行ったところである。師匠はいないので、アスカは独自に技を研究してきているという訳である。

 棒術だけについて言えば、サイジョウ達の他の『西の海賊』のメンバーでさえ一人もアスカに勝てる者はいない。アスカの棒術はそれ程に熟練したものなのである。

「よそ見は禁物よ!やー!」ユキはそう言うと、アスカに向かって刀を横に払った。しかし、アスカは間一髪でユキの持つ刀の切っ先から身をかわした。アスカは割と身のこなしが軽い。アスカの武器の方がユキの武器よりもリーチは長いので、その点についてはアスカの方が有利である。

「言ったはずよ!手を抜いていたんじゃあたいには絶対に敵わない!」ユキは苛立たしげである。

「ああ、そういえば、そうだったな。ご忠告をありがとう」アスカは余裕綽々である。しかし、そんなアスカもテンリとアマギとクスキの状況が気になっている。

 とはいえ、ユキはアスカが考え事をしている暇もなく猛攻に出た。ユキは素早く地面を蹴ると剣術の乱舞を繰り出してきた。アスカはそれを受けるとやや劣勢になってしまった。

 それでも、アスカは隙を見てユキの刀の峰に棒を叩きつけてユキのことを前のめりにさせた。アスカは止めを刺すべく力一杯に棒を振り上げたが、ユキによってそれはかわされてしまった。

 ユキの方は反撃に出た。ユキは片膝を付いたまま居合抜きをしてきた。それでも、抜群の反射神経でアスカは後ろへ飛び退いたが、今のところ、形勢は五分である。


クスキはというと、スタートからテンリとアマギと同じようにして直進せずに右折して人目につかないようにして約6メートル先の大頭のハヤブサの元へと向かっていた。

テンリとアマギも含めた『西の海賊』側から見れば、今のところ、理想的なフォーメーションが取れているという訳である。そのため、サイジョウはひそかに満足している。

とはいえ、クスキは大頭のハヤブサとケンカをするためではなくて目的はシナノの救出にある。シナノは奴隷としてではなくて妾として連れて行かれたというテンリの証言から急遽サイジョウは新たなる一手を考え出していた。そして、その作戦は功を奏した。

クスキはシナノを発見することができたのである。シナノがヒメオオクワガタであるということは聞いていたので、クスキも一目でそれと判断することができた。

ラッキーなことはもう一つあった。サイジョウやミヤマといった面々の攻勢を見に行っていてファルコン海賊団の大頭であるハヤブサは出払っていた。

この本営には塹壕がある訳でもない。シナノの見張り役はオスのパリーオオクワガタの一匹だけである。彼の名はパーリーと言うが、幹部ではなくて単なる部下の一人である。

クスキはこの好機を逃す術はないと考えて作戦外ではあったが、すぐに敵に身をさらすことにした。パーリーだけならば、クスキは自分にでも倒せると判断したのである。

「あらー!シナノちゃん!こんなところにいたのねー?ここじゃあ、退屈しちゃうでしょー!行きましょ!行きましょ!」クスキはマイ・ペースである。突如、現われた正体不明のオカマによって行き成り腕を引かれてシナノは閉口しているが、パーリーの驚きはそれに輪をかけてシナノ以上である。

「何だ?お前は!そうか!『西の海賊』だな?だったら、退治してやる!おらー!」パーリーはそう言って瞬時に状況を把握すると、クスキに対して勢いよく飛びかかって行った。クスキは『いやーん!誰か!助けてー!』と言って身悶えしながら絶叫している。

しかし、クスキは言葉とは裏腹に5本の立派な角でパーリーを挟み込むとあっという間にパーリーを投げ飛ばしてそばの木に激突させてしまった。本当にあっという間に勝負ありである。

「見ず知らずの女の子に襲いかかってくるなんてエチケットなさすぎ!失礼しちゃうわ!さあ、行きましょう!シナノちゃん!」クスキはシナノを促した。当然、シナノの方は当惑している。

「あの、助けてくれて、ありがとう。でも、あなたは?」シナノは不安そうにしている。

「あたし?あら、名乗らなかったわね。あたしはクスキのクッちゃん。テンリちゃん達と一緒にあなたを救出にきたのよん。もう、安心しても大丈夫よん」クスキは胸を張った。クスキはすでにさっきの戦闘の激しさとは打って変わってなよなよしているが、これはクスキの習癖である。戦闘をする時だけは男になってしまうという訳である。なんにせよ、クスキの偵察は捨て石どころか、すぐさま、最高の効果を発揮することになった。サイジョウの企画したプランは想像以上の成果を上げているという訳である。

 とりあえず、シナノはクスキのことを信用した。クスキは人目につかないようにして戦いの前線を避けてシナノのことを連れてこっそりと逃亡を計ることにした。


 ファルコン海賊団は30匹のメンバーによって構成されている。女性は三人もファルコン海賊団に所属している。皆、女性は武器を持って戦う。その三人の女性の中で間違いなく一番に強いとされているのは元忍者のユキである。ただし、今のユキはアスカに近づけないでいた。アスカの武器の割りばしにはリーチがあるからである。しかし、アスカが割りばしを横に払うようにした瞬間に隙が生まれた。

ユキはすぐさま間合いをつめて剣道で言うならば、面を狙った。アスカは慌てた様子で体勢を立て直して両手で割りばしを持って防御した。アスカの持つ割りばしは『すぱっ!』と二つに割れてしまった。アスカはこれによって武器を一つ失ってしまった。

「ふふふ、これで勝負あったみたいね?この勝負はあたいがもらった!」アスカはそう言うと、再びアスカに対して面を打った。しかし、アスカは折れた割りばしを二つに重ねて防御をした。その結果、ユキの剣は棒に突き刺さってしまい、ユキは身動きが取れなくなった。ユキは『しまった!』と言って慌てた。今度はユキの方が武器を失ってしまったのである。

「残念だったな。だが、もう、手遅れだ!」アスカはそう言うと、下に置いておいていたもう一つの割りばしでかなり痛烈な突きを繰り出した。まさしく肉を切らせて骨を断つである。

 ユキはそれによって仰向けにばたりと倒れて戦闘不能になってしまった。アスカVSユキの一戦は終了して勝利したのは『西の海賊』のアスカだった。

 アスカはエンイッドとユキという幹部クラスの敵を二人も倒すことに成功している。軛を争う今回の戦いにおいて『西の海賊』側は着実に白星を増やして行っている。

 一度、話に出た通り、ファルコン海賊団は30匹いる。『西の海賊』側はそれに対してたったの8匹だが、それでも『西の海賊』側はファルコン海賊団を圧倒している。


前回の開戦においてアマギによってノック・アウトされていたが、あれから、すでに二日が経過しているので、今のダザイフは体力と体調は万全の状態になっている。

今のミヤマはそんなダザイフとプリートを相手にしている。プリートと言えば、シナノの誘拐を決意してテンリを痛めつけて気絶をさせたミヤマの宿敵である。ミヤマは両側から襲いかかってくるダザイフとプリート対してとっさに羽を出して空に逃げた。敵は当然のことながら同士打ちとなってしまった。プリートは完全にダウンをしてしまった。しかし、なんとか、もう片方のダザイフは起き上がった。

これまでにも一人で何匹もの敵の相手をしてきたので、疲れは隠せないが、不借身命の覚悟で挑んでいるので、それでも、構わないとミヤマは思っている。

シナノやセトやニーヤの三匹が味わった苦しみはこの程度ではないのだから、もっと、がんばらなければいけないと、現在のミヤマは自分で自分を鞭撻して戦っている。

「くそー!こうなったら大頭の妾を盾にするぞ!」ダザイフは苦しまぎれに怒声を上げた。いかにも、それはチープな発言なので、ミヤマは肩をすくめたくなる思いだった。

「誰を盾にするですって?」クスキはシナノを連れてそばを飛行しながら言った。ダザイフは『何ー?』と言って目が飛び出さんばかりにして驚いた。ミヤマはシナノが救出されたことを確認すると晴れやかな気持ちになった。ミヤマの努力は無駄ではなかったのである。

「くそー!こうなりゃ、やけくそだ!クスキだけでもおれが倒す!このおれがやられてばかりで黙っていると思うなよ!覚悟しろ!クスキ!」ダザイフはそう言うと、クスキに襲い掛かった。

 クスキはまたもや『いやーん!』と言う悲鳴を上げたので、ミヤマは心配になったが、それは不要なものだった。これまた、先程のようにして戦闘モードに入ると、クスキは男になった。

 クスキは遅いくるダザイフに対して羽を広げて自分も猛スピードでアタックをしてぶつかる寸前になると思いっきり角を振ることによってダザイフを吹き飛ばしてしまった。

今や形勢はサイジョウ軍の方が圧倒的に有利である。依然『西の海賊』側の快進撃はトーン・ダウンしていない。しかし、敵の大頭のハヤブサはそれを打開すべく動き出していた。


戦場の上空を飛んでいたアマギは『ぐわー!』という悲鳴を聞いて急ブレーキをかけた。敵将のハヤブサによってアマギの近くの地上ではクーがやられていたのである。

今までの話には出てきていなかったが、ここまでのところ、クーとソーも有象無象の輩を相手にしてそれぞれ三匹もの敵を打ち取ることに成功していた。

ただし、今のクーはハヤブサの『迎撃のブレイズ』の餌食になってしまった。『迎撃のブレイズ』というのはサイジョウの話にも出てきた『セブン・ハート』の一つである。

角や顎で地面をこすって炎を出してそこにやってきた敵を燃やすという奥義が『迎撃のブレイズ』である。その相手が燃えている時間はわずか三秒程なのだが、一度でも食らえば、戦闘不能になることは請け合いである。それ程に『セブン・ハート』は強力なのである。

ソーはハヤブサにやられてぐったりしている兄弟のクーを気遣っていたが、ハヤブサの目はその間にもテンリとその後ろにいる救出された元奴隷のセトとニーヤに注がれることになった。

「ふん!そう簡単に事が運ぶと思うなよ!」大頭のハヤブサはそう言ってバスの声を響かせるとテンリのところへ襲いかかってきた。セトとニーヤはすっかりと恐怖で身を震わせてしまっている。アマギは『させるか!』と言うとすかさずにテンリとハヤブサの間に割って入った。

「みんなと一緒に逃げるんだ!テンちゃん!ここはおれが食い止める!」アマギは叫んだ。

テンリはアマギに対して返事をしようとしたが、それどころではなくなってしまった。大頭に倣って三匹もの敵がテンリのところに向かってきてしまったのである。

テンリは『あ!』と言うと思わず目をつぶってしまった。しかし、それは杞憂に終わった。ソーがすけだちにきてくれたのである。アマギはそれを横目で見ながらほっとしている。

「安心するんだ!まだ、おれがいる!」ソーは元気づけた。負傷したクーもテンリ達の隊列に加わった。もはや、戦闘をすることはできないが、まだ、クーは飛行することならばできる。

 アマギとハヤブサはそうこうしている内にも激戦を繰り広げている。ハヤブサはファルコン海賊団を牛耳っているだけあって戦闘の実力は文句なしで折り紙つきである。

 そのため、アマギにいくらケンカで自信があると言ってもハヤブサを相手にして何の作戦もなく勝利を手に入れられるかどうかは微妙だし、できたとしても一筋縄では行かない。

 しかし、テンリはアマギの勝利を確信していた。テンリはアマギがどれ程に強いのかを知っているし、なによりも、アマギには一つの秘策があることもテンリだけは知っている。


 合流したので、ミヤマとクスキは共闘をしている。本当ならば、クスキはシナノを連れてこのまま帰るつもりだったのだが、次々と敵が襲い掛かってくるので、中々そうは行かない。

やはり、ファルコン海賊団には頭数と言う武器がある。疲れ気味のミヤマと今も元気なクスキはシナノを囲むようにして多くの敵と戦闘を繰り広げている。

武器があれば、一緒に戦いたいくらいなのだが、どう考えても今に自分も戦線に加われば、足手まとい以外の何物ではないと考えて、シナノは大人しくしている。

「もう、降参だ!あんたには勝てねえ!」ライヤットはシナノを後ろにして戦っていたクスキに向かって突然そんなことを言い出した。屈強そうな見かけからは全く想像できないようなセリフである。

クスキは戦意のない相手に対しては慈悲の心を見せてくるりと後ろを向いた。しかし、シナノは慌てた。まだ、ライヤットは戦意を失っていた訳ではなかったのである。

「おれは『だまし討ちの大王』と呼ばれているのよ!」ライヤットはクスキに襲いかかって行きながら叫んでいる。繰り返しになるが、ライヤットはダイオウヒラタクワガタと言う種類の虫なのである。

しかし、あっけなくこの奇襲は失敗に終わった。横からサイジョウに挟み込まれてしまったのである。サイジョウは赤子の手をひねるようにしてライヤットをとっちめることに成功した。

誰だかはわからないが、味方が増えたみたいなので、シナノは益々心強くなった。事実、へとへとになっているミヤマも内心では全く同じ感想を抱いている。

ミヤマとサイジョウとクスキの三匹はシナノを守るために鉄壁の布陣を敷いて戦いに挑むことになった。皆、実力者なので、これを破るのは容易ではない。


アマギとハヤブサは空中戦を繰り広げている。ハヤブサは革命軍の下部組織であるファルコン海賊団を強化するオーガナイザーの役割を果たしているので、さすがのアマギでも苦戦している。

アマギは堅忍不抜の意志を持っているが、対するハヤブサとてそれは同じである。ハヤブサは革命軍のトップであるオウギャクからも目をつけられている程の実力者なのである。

アマギが一瞬だけハヤブサに捕まって投げ飛ばされると、ハヤブサは突然に地上に降りて行った。反撃に転じるべくそれを追ったが、アマギはすんでのところで思い直すことにして急ブレーキをかけて止まった。アマギは『迎撃のブレイズ』を恐れたのである。

「どうした?おれに近づけないのか?近づけないのならば、勝ち目はないぞ!」ハヤブサは攻めあぐねているアマギを見て言った。しかし、アマギはこの挑発には乗らずに不敵な笑みを浮かべた。

「相手が強ければ、おれも全力を出せる!近づかなくても勝ち目はあるさ!今、それを見せてやる!」アマギは意気込んだ。アマギはついに全力でとっておきを使うことにした。嫌な予感を抱いたので、ハヤブサは身構えた後に移動を開始しようとしたが、すでにそれは遅かった。

「兄ちゃん直伝の奥義だ!食らえ!『進撃のブロー』!」アマギはそう言うと角を勢いよく振った。アマギの角からは強烈なかまいたちが発生してそれはハヤブサに直撃した。ハヤブサはぴくりとも動かなくなってしまった。ただし、死んでしまった訳ではない。それでも『セブン・ハート』はどれもが一撃必殺という訳なのである。戦いの上級者ならば、油断をしないはずだが、余裕をかましてしまうところ、それがハヤブサのアキレス腱だったのである。アマギはそこを鋭く突いたという訳である。

「あれは『セブン・ハート』じゃないか!アマギくんも使い手だったのか!」少し離れた場所にいたアスカはアマギの戦闘に気づいて言った。アスカはそれと同時に難役を果たしたアマギに対して心の中で賛辞を送ってあげた。これによって事実上この戦いには決着がついた。

名立たる『西の海賊』のメンバーを抑えて敵将のハヤブサを打ち取って野球のクローザーのようにして最後の最後で勝負を締めくくった虫と言うのはアマギだったのである。

「よし!みんな!撤退だ!引き揚げるぞ!」サイジョウは大声で号令を上げた。

ハヤブサとノートンという海賊団のツー・トップを撃破された敵の面々の大半は追うのを諦めている。それでも、少数ながらも何匹かの虫は追撃をしてきている。

「おい!兄ちゃん!そんなに強いんならば、おれ達も飛び切りの位をよこしてやるっていうもんだぜ!おれ達と一緒に海賊をやらねえか?」敵のパプアヒラタクワガタはアマギに対して言った。

「いや。断る!おれは他の虫の心を傷つけるようなやつは嫌いなんだ!それじゃあな!」アマギはそう言うと帰路に着いた。テンリとミヤマもすでに帰路に着いている。テンリ達の一行はわずかな追っ手を振り切るベく来た道をできるだけ高速で飛行した。途中で力尽きたので、ミヤマはサイジョウに持ってもらうことになった。クーはソーに持ってもらって、セトはニーヤに持ってもらって逃亡を計っている。

しかし、結局、テンリ達の一行は船に乗っても追手を振り切ることはできなかった。敵は最後の抵抗としてテンリ達の一行の乗っている船に対して自分達の船についている大砲を浴びせてきた。一矢、報いたいからこそ相当に敵も必死になっている。

最前のイソギンチャクは何をする訳でもなく『ぎゃー!ぎゃー!』と奇声を上げてわめいている。ミヤマはそれを見るとやつは何の役にも立っていないなと密かに考えた。

その時に神風は吹いた。荒れ模様だった天気が崩れてどしゃ降りの雨が降り出したのである。元々、霧も出ていたので、敵の大砲も益々照準を合わせづらくなってしまった。

その結果、大砲の弾はテンリ達の一行の船に対して一発も当たることはなかった。テンリ達の一行を乗せた船は無事に出航した。憤懣やる方ないといったいくらかのファルコン海賊団のメンバーは怨嗟の声を上げてただテンリ達の一行の船を見送ることしかできなかった。

サイジョウ達の海賊団は世間において『西の海賊』と呼ばれているので、『西の海賊』とテンリ達の三匹の連合軍はファルコン海賊団に対して鮮やかに快勝したのである。

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