アルコイリスと七色の樹液 3章
テンリ達の4匹にとっての忍者教室の二日目の模様である。今日は気合いを入れているので、眠ったりはしていないが、講義の内容についてどこまでアマギが理解しているかは謎である。
昨日、寝る前に、テンリは教わったことを頭の中で復習していたので、今日の講義にも遺憾なく入ることができた。テンリのいいところの一つは努力家であることである。
ミヤマは今日もマイ・ペースで学習をしているし、サクラも疑問に思ったことは覚えておいて後でエンザンに質問しようと思ってまじめに講義を受けている。
「続いては具体的な忍術の種類についてお話し申し上げるぞな。まず、相手と会話の中で心理を突く話術『五車の術』というものがあるぞな。名前の通り、それには5つの戦術があるぞな。その1、相手を煽てて隙を伺う『喜車の術』ぞな。その2、相手を怒らせて冷静を失わせる『怒車の術』ぞな。その3、相手の同情を誘う『哀車の術』ぞな。その4、相手を羨ましがらせて戦意を喪失させる『楽車の術』ぞな。その5、相手の恐怖心に付け込んで戦意を喪失させる『恐車の術』ぞな」エンザンは相変わらず紳士の品格を持って話を進めている。
「すみません。先生」遠慮がちに挙手をしながら、ミヤマは声を出した。
「あい。何かな?ミヤマくん。どんなことでも言ってくれていいぞな」エンザンは応えた。
「フンが出そうなので、排泄に行ってきてもいいですか?」ミヤマは聞いた。
「ちょ、ちょっと、ミヤマくん。よくレディーの前でそんなことが言えたわね。下品よ」ずっこける素振りをしてから、サクラは言った。テンリとアマギは無言でそれを見つめている。
「ああ、それもそうだな。悪い。悪い」ミヤマは頭をかいて謝った。
「ほっほっほ、まあ、みんなで待っているから、行ってきていいぞな」エンザンは寛容である。
「ありがとうございまーす」ミヤマはそう言うと、そそくさとこの場を離れた。
「ねえ。ミヤマくんを待っている間、アマくんに『五車の術』をやってみてもいい?」テンリは聞いた。テンリの申し出は間を持たせるのには打ってつけである。
「うん。いいぞ。でも、『五車の術』ってなんだ?」アマギは聞いた。アマギは寝ていなくてもエンザンの講義は右から左へ通り抜けて行ってしまっていたのである。
「アマギくんって能天気すぎよ。『五車の術』は話術で相手の心理を突くことよ」また、ずっこける素振りをしてから、サクラは言った。エンザンはおもしろそうにしてそれを眺めている。
「そうか。それじゃあ、いいぞ。やってみてくれ。テンちゃん」アマギは促した。
「アマくんって力持ちでやさしくて格好いいよね?ぼくはアマくんのことが大好きだよ!」テンリは言った。今のテンリは相手を煽てて隙を伺うという『喜車の術』を実践した。
「あはは、いやー。テンちゃんは褒め上手だなー」アマギは頬を赤らめて照れている。
「って言うか。アマギくん!単純すぎ!アマギくんだって足くさいし、息くさいし、辛気くさいところだってあるじゃない!」サクラの方は『怒車の術』を実践している。アマギは『何をー!』と言って怒り出した。それを見ると、テンリは笑みを浮かべた。
「ほら、やっぱり、アマギくんって単純でしょ?冗談よ。冗談」サクラは満足そうである。
「ねえ。サクラちゃん。昔、アマくんは辛気くさいことで有名な友達に裏切られてひどい目にあったことがあるんだよ。だから、辛気くさいっていうワードは心の傷をさらにひどくしちゃうんだよ。なるべくこれからは言わないように注意してね」真剣な顔をしながら、テンリは言った。
「え?そうだったのね。ごめんなさい。アマギくん。私はそんなことが思いもよらなくって・・・・」サクラは今にも泣き出しそうにしている。嘘がバレないようにするために、テンリはアマギに対して手振りで『しー』とやっている。テンリは『哀車の術』を使ってみたのである。
テンリは嘘をつくことが嫌いなので、内心は嘘をついた罪悪感で申し訳ない気持ちになっている。しかし、アマギはテンリのことを温かい目で見守っている。
「いやー。大量にフンが出た!あれじゃあ、一杯、水分が体の中から絞り出されちゃっただろうな」おしゃべりをしながら、ミヤマは帰ってきた。今のミヤマはとても気分がよさそうである。一応、説明をしておくと、カブトムシやクワガタのフンは水分を多く含む液状なのである。
「ちょっと、ミヤマくん。しんみりとしたムードを壊さないでよ。しかも、下品なことは言わないでって言ったでしょうがー!」サクラはそう言うと、ミヤマの元へ行って思いっきりお尻を蹴っ飛ばした。『ぎゃー!』と絶叫しながら、遥か彼方へと、ミヤマは飛んで行ってしまった。
「すっげー!サクラちゃんは最強なのか?」アマギは唖然としているが、テンリは恐怖でぶるぶると震えてしまっている。またもや、講義はミヤマが帰ってくるまで中断することになってしまったが、やさしいので、エンザンは全く気を害していない。
数分が経つと、ご老体も顔負けの状態でよぼよぼとミヤマは姿を現した。テンリは心配そうにしたが、見るからにわざとらしいので、アマギとサクラは完全にしかとを決め込んでいる。
「ほっほっほ、みんなはのびのびとしていてけっこうぞな。それにしても、テンリくんは『五車の術』の中々の使い手ぞな」エンザンは相変わらず朗らかな口調で言った。
「おお、すごいな!テンちゃん!先生に褒められたぞ!」アマギは囃し立てた。
「ううん。ぼくはすごくないよ」テンリはそう言うと、うれしそうにして照れた。
「ああ、おれがいない間に、そんなことがあったのかい?それなら、おれもテンちゃんの『五車の術』を聞きたかったのにな」ミヤマは人心地をついてぼそぼそと後悔を口にした。
「それでは、講義を再開するぞな。『五車の術』と並ぶ、もう一つの代表的な忍術『五遁の術』というものについてお話しするぞな。これは敵から逃走する際、敵を足止めする術のことを言うぞな。その1、煙幕や炎上を発生させる『火遁の術』ぞな。その2、水音を立てて相手の注意をそらす『水遁の術』ぞな。その3、土や石を投げて相手の注意を反らす『土遁の術』ぞな。その4、草木を利用して隠れる『木遁の術』といったものがあげられるぞな」エンザンはつっかえることなく話している。エンザンはどれもこれも理屈だけではなくそれを実践できる。
その後もこんな調子でこの日は講義は続いて行った。もう、ミヤマはふざけたことはしなかったという訳である。かなり、サクラによるお仕置きがミヤマには効いている。
休み時間、テンリはアマギとお話をしてアマギが理解していない部分を教えてあげたりした。そうすることによってアマギも少しは忍者についての知識を増やすことができた。
虫は人間のようにしてノートを取ることができないので、復習のために、もう一度だけ、エンザンは昨日と今日の講義のダイジェスト版で講義をしてくれた。この日、エンザンによる講義は無事に終了することになった。テンリはほっとしている。いよいよ、明日は実技訓練が行われる三日目である。
天気は快晴の早朝、テンリ達の4匹はコナラの木から出発してイバラに案内されてある場所に到着した。その着いた場所にはいくつかの修行のための施設や道具が揃っていた。
そこには約44ミリのメスのカミキリムシの姿も見受けられた。彼女の名はユイと言う。今日、テンリ達の4匹の面倒を見てくれる先生がユイである。
カミキリムシは極めて種類が多くて5ミリというスモール・サイズから、150ミリというビッグ・サイズまで人間界にはおよそ二万種以上も存在している。
カミキリムシの幼虫は樹木の材部を食い荒らす。カミキリムシの幼虫は鉄砲虫とも呼ばれる。成虫のエサは若木の枝の皮や葉や花粉などである。
テンリ達の4匹が出会ったユイの種類は中でもヒゲナガカミキリという種類のものである。ヒゲナガカミキリは体が細長くて鋭い大顎とカミキリムシの中でも、一際、長い触角を持っている。
ただし、ヒゲナガカミキリについて触角が長いのはオスの場合だけである。確かに、ヒゲナガカミキリのオスは体の倍以上の触角を持つのだが、メスの触角は短い。
「それでは、ユイ先生。みんなをよろしくお願い致します」イバラは呼びかけた。
「ええ。わかりました。任せて下さい。私は責任を持って面倒を見ます」ユイは答えた。
「イバラさん。案内してくれて、ありがとう」テンリは律儀にも去り行くイバラの後ろ姿に向かってお礼を言った。イバラは振り返って笑顔を見せてくれた。
「かわいい坊や達ね。ごきげんよう。今日一日、私があなた達の面倒を見ることになった『上忍の中』のユイよ。よろしく。私は怖い先生ではないから、思ったことは口にしてもいいのよ」イバラの姿が見えなくなると、ユイは言った。エンザンと同様にしてユイもテンリ達の4匹の名前は知っている。
「それじゃあ、ユイ先生の忍法を見せてもらってもいい?」テンリは気楽に聞いた。
「いいわよ。そうね。それじゃあ、ミヤマくん。私に襲いかかってきてちょうだい」ユイは言った。
「え?いいのかい?先生」ミヤマは半信半疑といった様子で聞き返した。
「もちろんよ。どこからでもかかってきなさい」ユイのそのセリフを聞くと、ミヤマは遠慮なく飛び上がってユイを上から挟み込んだ。すると、ユイの体は真っ二つになってしまった。
「えー?ごめんなさーい!そんなつもりじゃ・・・・うげ!」ミヤマは情けない声を上げた。ミヤマは二本足で立っていたのだが、突然、後ろから誰かに引っ張られて裏返しにひっくり返されてしまった。
「私はここよ。何を謝ることがあるの?」ユイは聞いた。ミヤマのことをひっくり返した張本人はユイだった。何が起きたのか、テンリにはさっぱりわかっていない。
「あ、ミヤマくんが挟んだのはただの泥だんごだわ。いつの間に、ユイ先生と入れ替わったの?」サクラが不思議そうにしている。その間、ミヤマは起き上がって元の場所に引き返した。
「すっげー!今のは何ていう技だ?」性格が単純なアマギは興奮気味に聞いた。
「うふふ『空蝉の術』それがこの技の名前よ」ユイは答えた。『変わり身の術』は丸太を身代りにするが『空蝉の術』とはそれ以外のものを術者の身代わりにする忍法なのである。
エンザンの『分身の術』もすごかったが、ユイの『空蝉の術』もすごかったので、テンリ達の4匹はユイのすごさを十分に認識することができた。
一度、話に合った通り、例えば『空蝉の術』のような忍法をクワガタが使うことはできないが、テンリはそれを残念には思わなかった。虫にはできること、できないこと、その二つがあって当然だからである。それに、自分が使えなくても忍法は見ているだけでもおもしろいものである。
クワガタの自分でもできること、テンリは忍術について一生懸命に勉強をしようと決している。その気持ちはアマギ達の他の三匹も同じである。
テンリ達の4匹の気分をリラックスさせるために、少し、ユイはエンザンのすごさを話した。昔のエンザンは忍者教室に通うことなく独学で忍法を会得していた。
エンザンは忍者教室の虫にスカウトされるに至ると、飛び級をして、わずか、三日間で『中忍の下』になって見せた。実は、エンザンは忍法の天才だったのである。
おもしろい話を聞いて、ユイの狙い通り、少し、テンリ達の4匹は緊張をほぐすことができた。とはいっても、あまり、アマギは最初から緊張なんてしていなかったし、ミヤマはリラックスしすぎて、なぜか、ダンスを踊り出すという落ちもしっかりとついている。
ユイは仕方なくミヤマのダンスについてコメントをして気を取り直して教習に入ることにした。ユイに連れられて少しだけテンリ達の一行は場所を移動した。
「さあ、訓練を始めるわよ。坊や達。まずはこれ」ヒノキの木を指さしながら、ユイは言った。
「なんだ?一体、木で何をするんだ?」少し、はしゃぎながら、アマギは聞いた。
「上方向を向いたまま、木を横方向に移動するのよ。やってみて」ユイは指示を出した。
ユイに言われた通り、テンリ達の4匹は実践を試みた。みんなが10周し終わると、この訓練はおしまいになった。みんな、そつなくこなすことができたのである。テンリは初めての実技訓練を無事に終えられてほっとしている。アマギは次の訓練が待ち遠しい様子である。
「次の修行に移りましょう!次はあれよ!」ユイはそう言うと、あるものを指差した。
ユイが指差した先には高さも横幅も30センチ程の壁がある。テンリ達の4匹はそちらへと歩き出したユイについて行くことにした。すると、壁は一つではなくて三つ連続して立てられていることが確認できた。その壁と壁の間隔もまた、およそ30センチである。
「なんだ?壁で何をするんだ?」アマギはさっきと同じようにして聞いた。
「ねえ。アマギくん。早い内に言っておくけど、コメントがマンネリ化しているわよ」サクラはある意味ではもっともな指摘をした。サクラはあだやおろそかな発言に厳しい。
「そうか?そうかもな。それじゃあ、気をつけよう」アマギは素直に反省した。
「これを登るだけなら、簡単だけどね。違うのかなあ?」しげしげと壁を眺めながら、テンリは思ったことを口にした。ミヤマは一人でウォーミング・アップを始めている。
「残念だけど、テンリくんの予想は違うわ。よく見てちょうだい。壁の前にラインが引いてあるでしょう?坊や達は壁に向かって飛んでラインの上にきたら、壁をよけて、また、次の壁を乗り越えるのよ。壁は三つあるから、三回、それを繰り返すの。かなり難しいから、これをみんながマスターするのには時間がかかるかもしれないわね。誰が最初にチャレンジする?」ユイは希望者を募った。
「まず、おれにやらせてくれ!これはテンちゃんとミヤマと一緒にカラスから逃げる時、使った戦法だから、おれには自信があるぞ!」アマギは相変わらず元気よく言った。
「え?みんなはカラスに追いかけられたことがあるの?そんなことがあってよく無事だったわね」サクラはすっかりと感心した様子である。ミヤマはそれについてその時の様子を話し出した。
「まあ、それ程でもないんだけどな。あの時はカラスが腹を空かしていておれ達の元へやってきたんだ。しかも、カラスは鬼の形相で迫ってきたんだけど、テンちゃんはそこでその場を打開するための妙案を思いついたんだよ。それは木に向かって・・・・」ミヤマは言いかけた。突然、『きゃー!』というサクラは悲鳴を上げた。テンリも隣で青ざめている。
「ん?どうしたんだい?何かあったのかい?」ミヤマは不可解そうにしている。
「ミヤマくん。見ていなかったの?アマくんが三つ目の壁で失敗しちゃって壁にぶつかっちゃったんだよ」テンリは説明した。確かに、テンリの言う通り、アマギは壁の前でうずくまっている。
「ごめんなさい。私のミスだわ。全然、スピードは出さないでいいっていうことを言い忘れていたわ。大丈夫?アマギくん」ユイはそう言うと、心配そうにしてアマギの元に駆け寄った。すると、アマギはすぐに元気よく起き上がった。それを見ると、テンリはようやく安堵することができた。
「うん。大丈夫だ。でも、確かに、もっと、スピードを緩めればよかったな。次は気をつけよう」性格がとても素直なので、アマギはユイの助言も素直な気持ちで聞き入れた。
テンリ達の4匹は修行の危険さを身にしみて感じながらも修行を続けて行った。ユイが言っていた通り、全員が三つの壁をクリアするのには多くの時間を割いた。
アマギはここで一つの技を会得した。何度か壁にぶつかりそうになっている内に、下を向いたまま、アマギは飛行できるようになった。アマギは一回転することによって壁を乗り越えて、また、元の体勢に戻って飛行するという技を身につけた。
やはり、アマギは運動神経がいいという訳である。そんなアマギに対して結局のろのろでしか壁を避けられなかったテンリは大きな尊敬の念を抱いた。
最初、テンリは実技教習とは厳しくて怖いものというイメージを抱いていたが、段々とそのイメージは薄れて行った。先生のユイはとても親切でやさしいのである。
お調子者のミヤマと能天気なアマギといつも明るいサクラ、この三匹が集まれば、どう転んだとしてもシビアな雰囲気にはなりっこないというのが事実である。
サクラは壁を避ける練習での成功によって自分自身に自信を持つようになった。その証拠として続いての綱渡り修行において、いよいよ、行け行けのサクラの才能は開花した。サクラは一メートル程の綱渡りを一発で成功して見せた。
「おお、やるじゃないか!サクラちゃん!」ミヤマは賛辞の言葉を述べた。
「すごいね!サクラちゃんはバランス感覚が優れているんだね?」テンリは言った。
「誰にだって一つくらいは取り柄があるっていうことよ」サクラは照れ笑いを浮かべながらも誇らしげにしている。実は、サクラはあにはからんや褒め言葉に弱い。
綱渡り修行をテンリ達の4匹の全員がクリアすると、その後は様々な修行をこなして行った。サルが木から木に飛び移るようにして縄を使って遠くへ飛び移る『飛び猿の術』や鉤縄を高いところにひっかけて二本足でよじ登って行く登り術やタヌキが木に登って隠れる如くできるだけ早く木のてっぺんに登って行く隠形術やテンリ達の4匹の内の誰かが忍び竹で盗聴をしている中で薄い壁越しに音を立てずに歩行する訓練や隠し扉を二本足で立ってうまく回転させる遁走術や手裏剣を標的に命中させたり、逃げながら、打ったりする手裏剣術といったものをテンリ達の4匹はこなして行った。
最後の手裏剣術でミヤマは独自の技を生み出した。驚くべきことに、後ろを向いたまま、ほぼ、百発百中でミヤマは手裏剣を標的に命中させることができた。
いつも、すっとぼけているミヤマだが、今日に関して言えば、クール・バージョンのミヤマを目にすることができた。意外とミヤマは器用だったのである。
もしも、テンリ達の4匹が『下忍の中』になるのならば、三日前、ホタルが飛び交っていた辺りで『水蜘蛛の術』というものを学ぶ。それは雪道で使う輪かんじきのようなものを履いて、水上を自在に移動するという技である。まだ、時期が早いので、これについて言えば、今回、テンリ達の4匹は他の虫がやっているところを見学するだけにしておいた。
テンリ達の4匹による忍者教室の最後の日も無事に終了した。しかし、忍者としての認定とテンリ達のオスの三匹の旅の再出発は翌日ということになった。ユイによる教習が終わったのは午後の7時だった。
今、すっかりと日は影り、だいぶ、昼間よりも夜は温度が下がっている。まだ、現在はユイによってテンリ達の4匹が教習を受けた日であるが、時刻は午後の9時である。
それ程に、忍者としての訓練はハードではなかったが、テンリは割り当てられたコナラの木の下で骨休めをしている。ミヤマも同じようにして隣では体を休めている。
特に、今はやることがないので、アマギも一緒になってテンリとミヤマの隣で休憩を取っている。ただし、疲れを知らないので、まだまだ、アマギは元気が一杯である。
「明日になったら、おれ達は晴れて忍者だな?三日間だけだったけど、アマとテンちゃんには印象に残っていることはあるかい?あるとすれば、一番、何が印象に残ったかな?」ミヤマは聞いた。
「うーんとね。ぼくはエンザン先生が『分身の術』をしたことかなあ」テンリは考え考え答えた。
「ああ、確かに、あれも印象的だったな。あの時、おれは初めて忍法っていうものを見たもんな。でも、おれの場合、そうだなあ。やっぱり、昔、エンザン先生は節足帝国に旅行をして色んなおもしろいものを見てきたっていう話が一番に印象的だったかな」アマギは大まじめな顔をして言った。
「おいおい!それは雑談じゃないか!全然、忍者と関係ないぞ!」ミヤマは指摘した。
「そうか?別に、いいんじゃないか?そう言うミヤマは何が一番に印象に残っているんだ?」アマギは問いかけた。少し、興味があるので、テンリはミヤマの方を向いた。
「やっぱり、おれはサクラちゃんに蹴っ飛ばされたことかな。かなり、あれは印象に残ったな」
「全然、それも忍者と関係ないよ。ミヤマくん」今度はテンリが指摘した。
「ああ、本当だ。まあ、なんにしても、忍術を実戦で試せる時が楽しみだな。おれ達もこの三日間でちょっとはパワー・アップした訳だからな」ミヤマは感慨深げな顔をしている。
「なあ。おれはいいことを思いついたぞ!聞いてくれるか?」アマギは問いかけた。
「うん。どんなことでも聞くよ。何を思いついたの?」テンリは興味津々で聞き返した。
「早速、忍術を実践に移すんだよ」アマギは単純明快な答えを口にした。
「え?どうやって?まさか、忍術で通り魔でもする気かい?」ミヤマは物騒なことを言った。
「いや。そんなことはしないよ。おれ達は忍びなんだから、寝ている先生に静かに忍び寄ってびっくりさせるんだよ」アマギは提案した。いかにも、単純なアマギが考えそうなことである。
「なるほど。難易度はなんとなく高そうだけど、確かに、それはおもしろそうだな。賛成だよ」ミヤマは話に乗った。その案は魅力的に感じられたので、テンリは同意した。
「よーし!そうと決まったら、早速、サクラちゃんも誘って行動の開始だ!」アマギは力強く言った。話はとんとん拍子で進んで、テンリ達の三匹はサクラの元へやってきた。テンリ達のオスの三匹は先生へのサプライズ作戦のあらましを手短に話した。
アマギはすでにうきうきしていてテンリとミヤマの二匹を急かすから、テンリとミヤマは早急にサクラに話を聞かせた。全ての話を聞き終えると、サクラは疑問を投げかけた。
「えー!何?それー!そんな恩を仇で返すようなことって許されるのかしら?」
「違う!違う!おれ達の成長ぶりを示すための一種の恩返しだよ!」ミヤマは弁解した。
「ふーん。物は言いようね。それじゃあ、私も参加してあげる。でも、一体、誰を驚かせるの?」サクラは聞いてみた。サクラとしては別に誰でもいいという考えである。
「やっぱり、ぼく達に忍術を教えてくれたエンザン先生とユイ先生がいいんじゃないかなあ?」テンリは提案した。そもそも、イバラには本当にお世話になっているので、驚かせてはいけないような気がし、テンリは意図的にイバラをオミットすることにしたのである。異論は聞こえてこなかった。
「それじゃあ、二か所へ行くっていうこと?それとも、私達が二手にわかれるの?」サクラは聞いた。
「二手にわかれよう!おれはテンちゃんと一緒にエンザン先生のところに行くぞ!」アマギは即断した。テンリはご指名を受けてとてもうれしそうである。しかし、ミヤマはちょっと不服そうである。
ミヤマとしてはテンリをお供にしようと思っていたのである。しかし、それはミヤマがサクラを嫌っているからではない。もしも、ミッションに失敗したら、ミヤマが恥ずかしいからである。
別に、テンリだと恥ずかしくないという訳ではないが、ミヤマとしてもサクラに見られるよりは気心の知れたテンリに見られる方がまだましだと思ったのである。ミヤマは失敗することを前提にしているが、反論する程のことでもないと思ったので、結局、ミヤマはサクラとコンビを組むことになった。
「よし!それじゃあ、早速、出発だー!」みんなが寝静まっている夜中なのにも関わらず、アマギは大声を出した。時に、元気すぎるところがアマギの悪いところになることもある。
「ねえ。アマくん。一応、ぼく達は忍びの端くれとして行動するんだから、もう少し、小声で話そうよ」非難しているようには聞こえないように、注意をしながら、テンリは控えめな口調で言った。
「ああ、それもそうか。ごめん。それじゃあ、また、後で会おうな。ミヤマとサクラちゃん」アマギは小声でそう言うと、テンリと共に歩き出した。テンリはミヤマとサクラに手を振った。
ミヤマとサクラは手を振り返してくれた。それぞれの目的地に向けて、テンリ・サイドとミヤマ・サイドは二手にわかれて行った。
この計画の発起人はアマギだが、一番、忍びらしくないのもアマギだから、どうやって、そのアマギをコントロールするのか、それはテンリの肩にかかってしまっている。
ミヤマ・サイドは無難に事をやり遂げそうだが、何が起きるかはわからない。そもそも、実は、ミヤマとサクラにもユイを出し抜く自信は全くない。
先生達の寝床は講義や実技訓練が終った後、先生が帰って行く方向だということしか、知らないのだが、テンリとアマギはその事実といい加減な感を手がかりにしてずんずんと歩いている。
アマギは相棒のテンリと一緒にいると、とても落ち着くので、全く今は緊張していない。アマギの場合、テンリがいなくても緊張することはない。今はテンリがいるので、アマギは普段以上にリラックスすることができているという訳である。
気が弱いので、ちゃんと先生を驚かせることができるかどうか、テンリはとても不安で一杯であるが、今は月明かりに照らされてテンリも気持ちよく夜の散歩を楽しんでいる。
「ねえ。アマくん。さっきから、考えているんだけど、先生には何て言って驚かせればいいかなあ?」テンリは聞いた。テンリは気の利いた驚かせ方をさっきから考えていたのである。
「やっぱり『わー!』じゃないか?」アマギは答えた。やはり、アマギは単純である。
「うん。それもいいね。やっぱり、オーソドックスが一番いいのかなあ?ぼくは・・・・」テンリが言いかけると、どこからともなく『うえ!』という呻き声のようなものが聞こえてきた。
「え?上?上には何もないぞ。テンちゃん。それとも、『上』って言ってエンザン先生を驚かせるのか?ずいぶんと奇妙な掛け声だな」そう言いながらも、アマギは上を見上げている。
「ぼくは何も言ってないよ」テンリがそう言うと、今度は『ふご!』という声が聞こえてきた。
「ふご?なんだ?」テンリはそう言うと、辺りを見回したが、特に、異常は見られない。
「ん?やっぱり、テンちゃんにも何か聞こえただろう?呪文かな?」アマギは聞いた。
「さあ、よくわからないけど、ミステリアスだね。それよりね。ぼくは『エイリアンだー!』って言って驚かせるのがいいんじゃないかなって思ったんだよ。どうかなあ?」テンリは提案した。
「うん。それにしよう」いい加減なアマギはあっさりとテンリの案を採用した。
物事を深く考えない性質のアマギは不可解な言葉については全く触れずに歩き続けて行った。こういう時、アマギの無神経さは役に立つ。
ただし、テンリは神経質なところもあるので、呻き声は何か悪いことが起きる前兆なのではないかと悪い方へ想像してしまい、それからは怖いので、アマギにぴったりと寄り添って歩いて行った。
アマギは先程の呻き声について無関心であり、テンリは恐怖心を抱いているが、その二つだけではなくて、実は、この『忍者の地』ではもう一人の虫の感情も呼び起こしていた。
その頃、ミヤマとサクラは早々にユイを発見していた。実は、ユイの休息場所は確認ずみだったので、ミヤマとサクラの二匹はすぐにユイのことを発見することができた。
どうして、すぐに見つけることができたのかというと、今日の夕方、サクラは忍者の実践についてわからないことがあったので、それをユイに聞きに行ったことがあったのである。
ミヤマはサクラの好プレーを褒めた。しかし、その一方でちゃんとテンリとアマギはエンザンのところへ辿り着けるのか、他人事ながら、ミヤマは心配になっている。
「ねえ。ミヤマくんが先に行ってよ」サクラはひそひそ話をしている。
「別に、いいけど、そんなに恐がらなくてもいいんじゃないかい?」ミヤマは泰然自若としている。
ミヤマは夜の闇にまぎれて木の間で寝いているユイの背後に回った。サクラはここにきて気が引きてしまっている。ミヤマは静かに呪詛の言葉を述べた。
「うらめしやー!うらめし・・・・」ミヤマは言葉を半ばで止めざるを得なくなった。突然、サクラは『きゃー!』という悲鳴を上げてミヤマを遥か彼方へと蹴り飛ばした。
ミヤマは『ぎゃー!』と言って絶叫しながら、どこかへと飛んで行った。ミヤマにはあまりにも突然の出来事で何がなんだかさっぱりわからないまま、ミヤマは宙を舞っている。まったく持って気の毒である。
どうして、サクラは悲鳴を上げてミヤマを蹴り飛ばしたのかというと、いきなり、サクラは後ろから体を掴まれてびっくりしたからである。ミヤマを蹴り飛ばす必要は全くなかったのだが、サクラは思わず体で驚きを表現してしまったのである。
サクラはミヤマに申し訳なく思いながらも今も恐怖で体をこわばらせているが、自分を掴んできた主を確認するために恐る恐る振り返った。そこにはユイの姿が認められた。
「え?どうして?ユイ先生はそこにいたはずなのに」サクラはそう言いながらもユイが寝ていた場所を振り返った。サクラはそこで泥団子を目にすることになった。
サクラは既視感に囚われたが、すぐに何が起きたのかを理解することはできた。ユイは今日の訓練の最初にも見せてくれた『空蝉の術』を使っていたのである。
「一度、お譲ちゃん達にもこの術は見せたでしょ?私は眠りが浅いせいもあるけど、いつ、いかなる時も忍びは油断をしない。それも心得の一つよ。残念だけど、私を驚かそうなんて10年早いわ。それよりも、ミヤマくんは大丈夫なの?」ユイは余裕の笑みを浮かべながらも気づかった。
「あ、捜しに行かなくちゃ!あの、就寝中だったのに、ごめんなさい。ユイ先生」サクラは謝った。
「うふふ、別に、いいのよ。それじゃあ、おやすみなさい」ユイは言った。
「おやすみなさい。先生」サクラはそう言うと、ミヤマ探しに奔走することになった。
それを見送ると、再び、ユイは眠りに就くことにした。熟睡から起こされる形になったが、全然、ユイは怒っていない。ユイは生徒を大事にする先生だからである。
自分に向かって勝負を仕かけてくれたミヤマとサクラのことはうざったく思うどころか、むしろ、ユイにとってはとてもかわいい行為に思えてならなかった。
少し、ミヤマを探すサクラは落胆している。ユイを驚かすことなんてできなかったことにより、サクラはよく自分の未熟さを理解することになったからである。それでも、サクラは落胆してばかりではなくて、もっと、虫としてレベル・アップしたいと思うようになっていた。勉強に熱心だし、サクラは向上心も持ち合わせているという訳である。
アマギとテンリの二匹は苦心惨憺してやっとの思いでエンザンを発見していた。かなり、エンザンは体の小さなテントウムシだから、見つけるのが大変だったのである。
それでも、見つけられたということはテンリとアマギの運のよさが影響している。テンリとアマギはトラブルに巻き込まれることもあるが、基本的には運がいい方なのである。
現在、エンザンはヤドリギの木の下ですやすやと安臥している。エンザンに気づかれないように、テンリとアマギの二匹は細心の注意を払ってそっと近づいて行った。
「そっとだぞ。テンちゃん」アマギは声のトーンを落として注意を促した。返事をすると、抜き足、差し足、忍び足でアマギと共に、テンリはエンザンに近づいて行った。
「いや。そんなことを言ったって無理なものは無理ぞな。え?お手をしてくれるって?それなら、いいぞな。ぐうぐう」エンザンはよくわからないことをぶつぶつと言っている。
「なんだ。エンザン先生は起きているんじゃないか」アマギは拍子抜けした様子である。しかも、アマギは小声で話すのをやめて声の大きさも今は普段の通りになっている。
「ううん。今、エンザン先生は起きていないよ。アマくん。だって『ぐうぐう』っていびきをかいていたんだもの。だから、まだ、驚かせるチャンスはあるよ」テンリは小声で応答した。
「そうか。今のは寝言だったのか。紛らわしいな」アマギは小言を述べている。
「お手がどうとかって言っていたけど、一体、どんな夢を見ているんだろうね?」テンリは聞いた。
「イヌと話をしているんじゃないかな?まあ、いいや。もう、ちょっと近づこう。テンちゃん」
「うん」テンリはそう言うと、アマギと共にエンザンに急接近して行った。突然、アマギはエンザンの目の前で『エイリアンだー!』と大声を上げた。
「わー!本当だ!しかも、UFOもあるよー!」テンリも大声を上げた。
「うーん。むにゃむにゃ。はっ!」エンザンは不意に驚いたような声を上げた。
「ははは、先生。びっくりした?」無邪気な笑顔を浮かべながら、テンリは聞いた。
「やけに早いと思ったら、上から紐で操っているぞな」また、エンザンはぶつぶつと言っている。
「なんだ。まだ、寝ているんじゃないか。もう一度だ。テンちゃん」アマギは言った。
「うん。きっと、次は成功すると思うよ」まだ、テンリは諦めていない。
「それでは、諸君。ここで問題ぞな。ぐうぐう」エンザンは先生の口調になった。
「お、問題を出すっていうことは起きたのかな?」アマギは聞いた。
「ううん。きっと、まだ、寝言を言っているんだよ」テンリは推測を述べた。確かに、会話の流れからしても『ぐうぐう』というセリフからしてもそれが正解である。
「大きいか、小さいかで言ったら、大きくて形は丸い。さて、これは何でしょう?」エンザンは話を続けている。寝言で問題を出すとは、エンザンは恐るべしである。
「謎々だね?あ、ぼくはわかったよ。地球だ!」テンリはうれしそうに答えた。
「ああ、なるほど。てっきり、おれは大きい丸かと思ったよ。さすが、テンちゃんだな」アマギは言った。とはいえ『大きい丸』という答えが出てくる時点でアマギも大した単純さである。
「ううん。そんなことはないよ。だって、アマくんの方が正解かもしれないよ」テンリは言った。
「正解はむにゃむにゃ」エンザンは肝心なところで口ごもっている。
「えー?何て言ったのかはわからないよ!答えがわからないと、気になって眠れなくなっちゃうよ!また、エンザン先生は答えを言ってくれないかな?」テンリは控えめながらも苦情を述べた。
「エンザン先生。正解を教えてくれよ!」エンザンを揺すりながら、アマギは訊ねた。
エンザンは不意に二本足で起き上がった。アマギはエンザンが起きたのかと思って喜んで、テンリはエンザンが怒ったのかと思い、恐怖したが、どちらもそれは外れていた。
「君の未来に幸あれ、ぞな」ポーズを決めながら、エンザンは言った。
「なんだ?そりゃ!ダメだ!こりゃ!」アマギはがっくりと肩を落として言った。
エンザンを驚かせるということは難攻不落の城を攻め落とす程に、難しいということがわかったので、テンリとアマギの二匹は敗北を認めて寝床に帰ることにした。
もう、ちょっとで驚かせたかもしれないと思い、少し、悔しく思ったが、これ以上、エンザンに迷惑をかけるのは本望ではなかったので、アマギは潔く帰ることにした。
テンリは感心している。忍者たるもの、寝ている時もしゃべるくらいでないといけないのだなと、テンリは学んだのである。もっとも、それが合っているかどうかは難しいところである。
テンリとアマギの二匹はコナラの木に帰ってきた。ミヤマはすでに帰ってきていた。ミヤマはあんまり明るい顔をしてはいない。
再び、ミヤマはサクラに蹴飛ばされたことによって恐怖の体験をして道に迷ってしまったからである。それでも、サクラに見つけてもらって謝罪の言葉を受けると、その場ではミヤマは機嫌をよくした。ミヤマはサクラを恨んだりはしていない。
テンリ達のオスの三匹はお互いの結果報告を始めることにした。エンザンとの駆け引きについてアマギとテンリから話を聞き終えると、ミヤマはお腹を抱えて笑った。
「はっはっは、なんだよ。結局、驚かせるの『お』の字にも至らなかったのかい?」
「悪かったな。これでも、おれ達はがんばったんだぞ。なあ?テンちゃん」アマギは同意を求めた。
「うん。精一杯にやったよ。少なくとも、近づいてバレるようなことにはならなかったものね?」テンリは言った。その点についてだけ言えば、テンリも少しは誇らしく思っている。
「はっはっは、確かに、おれも二人のがんばりは認めるよ。エンザン先生も大したものだな」まだ、ミヤマはおかしそうにしている。ミヤマのふてぶてしさはある意味では一級品である。
「ミヤマの方はどうだったんだ?成功したのか?」アマギは水を向けた。
「成功も何も大成功だよ。びっくりしすぎて思わず飛び上った程だからな」ミヤマはそう言うと、心の中で『おれが』という言葉を付け足した。しかし、ミヤマは少し罪悪感に囚われている。
「えー!本当?ミヤマくんとサクラちゃんはすごいね?」テンリは素直に感心している。
「まあ、それ程でもないよ。また、明日からは長旅が続くことだし、もう、今日は寝よう。おやすみ」ミヤマはそう言うと、早急に話を切り上げて寝床へと向かって行った。
サクラがこの場にいないのをいいこととして適当なことを言ってはみたものの、上記の通り、ミヤマは良心の呵責に苛まれているので、早くこの話を終わらせたかったのである。
せんずるところ、驚いたサクラに蹴り飛ばされたミヤマといい、寝ぼけたエンザンにはぐらかされたテンリとアマギといい、一匹も忍者教室での訓練の成果は発揮できなかった。
しかし、また、それも一興である。それは明日以降のお楽しみということになったし、長い旅において、いつか、忍者教室で学んだことが役に立つこともあるかもしれないからである。
テンリはアマギとミヤマに対して『おやすみ』を言うと、ユイが飛び上がる様子を想像してみたが、今一、イメージが浮かばなかったので、仕方なくそれは諦めることにした。少しの間、黙禱をしてこれからの旅の無事を祈ってから、テンリは眠りにつくことにした。
翌日である。テンリ達のオスの三匹は朝食として樹液を食べると、サクラの元へ行って少し忍者教室で学んだことについて話をすることにした。
そうしている内に、イバラはその場にやってきたので、テンリ達の4匹はイバラに連れられて『下忍の下』を認定してもらうために、センター・インフォメーションにやってきた。
テンリ達の4匹はそこでイバラから『下忍の下』のライセンスである両面テープ付きのバッジを受け取った。皆、テンリ達の4匹はうれしそうである。
テンリ達の4匹はテンリの提案でイバラと共にエンザンとユイの元へお礼を言いに行った。それが終わると、いよいよ、テンリ達のオスの三匹はサクラとイバラとのお別れの時がやってきた。その矢先、もう一つ、テンリは肝心なことを思い出した。
「ねえ。イバラさん。そういえば、サムニさんはどこにいるの?サムニさんにも挨拶をしたいよ」テンリは言った。アマギはそれをすっかり忘れていたが、思いはテンリと一緒である。
「あら、そうね。すぐ近くにいると思うから、待っていてね」イバラはそう言うと、サムニを呼びに行った。格別に待たされることもなくサムニはイバラと共にやってきた。
「もしかして、サムニさんは調子が悪いの?」テンリは聞いた。確かに、サムニはあまり元気がなくとぼとぼと歩いている。ただ事ではないなと、ミヤマは思っている。
「今、サムニさんは風邪気味なのか?」アマギも心配そうにしている。
「いや。それが世にも奇妙な話なのだが、昨夜、二度、記憶の限りでは金縛りにあったのでござる」サムニは事情を説明した。それを聞くと、隣にいるイバラは心底びっくりしている。
「金縛り?まさか、そんな訳あるのかい?」不信感を隠そうともせずに、ミヤマは言った。
「もしかして、夢でも見ていたんじゃないの?」サクラは疑わしそうにしている。
「うーむ。やはり、そうでござろうか?」サムニは考え込んでしまった。
「ねえ。もしかして、それってぼくとアマくんがやったんじゃないかな?」テンリは唐突に奇妙な発言をした。それを受けると、ミヤマは肝をつぶしてしまった。ミヤマは遠慮気味に聞いた。
「え?知らなかったな。テンちゃんとアマはサムニさんにそんなに深い憎しみがあったのかい?」
「えー!信じられなーい!どんな怨恨があるの?」サクラは女の子っぽく言った。
「いや。ちょっと待ってくれよ!おれとテンちゃんはそんなこと・・・・やったんだっけ?」アマギは聞いた。テンリが言うからにはそうかもしれないと、アマギは瞬時に判断したのである。
「アマギくんは自分でやったことも覚えていないの?本当のところはどういうことなの?テンリくん」サクラは愕然としながらも説明を求めた。ミヤマとイバラも耳を澄ませている。
「サムニさんは眠る時も『隠れ身の術』をしている?」まず、テンリは聞いた。
「うむ。しかし、それが何か関係があるのでござるか?」サムニはすぐさま反応した。
「あるよ。だって、昨日、ぼくとアマくんは気づかない内に、サムニさんをふんづけちゃったんだもん」テンリは推測したことを述べた。それを受けると、ミヤマもだいたいは納得することができた。
「ああ、あれか。どこからか、声が聞こえていたと思っていたけど、あれはサムニさんの声だったのか。それじゃあ、ごめんなさい」姑息な手段を使わずに、アマギは素直に謝った。
「ごめんなさい。サムニさん」テンリも正直に謝罪をした。無意識の内とはいえ、テンリとアマギはサムニの不可思議さという感情を呼び起こしていたのである。
「いやー。気にしなくていいでござる。原因がわかってなによりでござる。もしも、わからなければ、今夜からは怖くて徹夜続きになるところだったでござる。それよりも、とりあえず、君達は今日で忍者教室を卒業ということでござったな?これからはここで学んだことを忘れずに、気が向いたら、もっと、上のコースにも、ぜひ、また、受けに来てほしいでござる」サムニは本心から言った。
「そうね。よかったら、また、来てね?それと、これは一人に一つずつクナイを上げるわ」イバラはそう言うと、テンリ達の4匹に対して順番にクナイを手渡して行った。
「えーん!卒業も悲しいけど、もっと、みんなとのお別れは悲しいよー!」早速、サクラは泣きべそをかいている。サクラはどんな時でも涙もろい性格をしている。
「大丈夫だよ。また、ぼく達はみんなでサクラちゃんに会いに行くよ。ね?」テンリはアマギとミヤマの二匹にも同意を求めた。当然と言うべきか、アマギとミヤマは頷いた。
「それに、その時はサクラちゃんもびっくりするようなアルコイリスまでの道のりであった土産話も聞かせてあげられるだろうよ」ミヤマは餞別の代わりとして温かい言葉を送った。
「ぐす。うん。みんな。元気でね。また、会おうね。イバラさんとサムニさんもさようなら。お元気で」サクラはそう言うと、涙ながらにも『食物の地』へ向けて歩みを進めて行ってしまった。
「それじゃあ、もう、おれ達は行くよ。色々と、ありがとう。サムニさん。イバラさん」アマギは言った。いつもはおちゃらけているが、アマギも締める時は締めるのである。
「おれ達のために、イバラさんが芸を披露してくれたことは忘れないよ」ミヤマは言った。
「ぼく達の面倒を見てくれて、ありがとう。それじゃあ、バイバーイ!」テンリの言葉を最後にしてテンリ達の三匹は前へ進んで行った。サムニとイバラは笑顔で手を振ってくれている。
いよいよ、テンリ達の三匹は新たな門出を迎えた。これからどんな冒険が待っているのか、アマギは楽しそうである。テンリとミヤマも新鮮な気持ちで再スタートを切っている。きっと、いつの日か、テンリ達の三匹の忍者教室での経験は役に立つはずである。
少々、荷物は多くなってきているが、種々雑多なものは全てアマギが引いている木の皮のふとんに乗せているので、今、テンリとミヤマは手ぶらで旅をしている。
テンリ達の三匹は七色の樹液を求めて『忍者の地』を抜けると、順調なペースで半日歩き続けた。これからの出来事はテンリ達の三匹から少し離れた場所で起きたものである。
ヒリュウはオスのアマミノコギリクワガタ(リュウキュウノコギリクワガタ)である。ヒリュウは大顎が長くて太く立派であり、黒色の体色が特徴的である。ヒリュウの体長は約75ミリである。
中々、ヒリュウは恵まれた体格を持っていて腕っぷしにもそこそこの自信がある。しかし、ヒリュウはめったにケンカをするような性格ではない。
毎日、特に、ヒリュウは当てもなく色々なルートをぶらぶらと歩くのを趣味としている。ヒリュウはウォークが好きなので、家族からは『ウォーク・マン』という異名をつけられている。
ヒリュウは末弟なので、イリュウとキリュウとチリュウという三匹の兄がいる。ヒリュウは4兄弟の中で、一番、格好いい名前を持っているのは自分であると自負している。
今日もいつもと同じようにして日なたを通ることによってお日様の光を一杯に浴びながら、ヒリュウは拠点の木からどんどんと離れて行っている。
しかし、この安らかさも今日の場合は嵐の前の静けさにすぎなかった。枯れ枝を踏みしめながらヒリュウが地面の上を歩いていると、藪から棒に後方から誰かが話しかけてきた。
「よう!あんちゃん!あんたかい?例の物を持っているクワガタっていうのは」声の主はウルスという名のオスのケンタウルスオオカブトである。ウルスは体長が86ミリで長い角の付け根に短い角がある。ウルスはヒリュウよりも11ミリも大きいということである。
「ん?誰や?あんたらは」聞き覚えのない声だったので、振り返りながら、ヒリュウは独特の口調で逆に聞き返した。そうしながら、ヒリュウはそこにウルスだけではなくて連れがいることに気づくことができた。だから、ヒリュウは『あんた』ではなくて『あんたら』と言ったのである。
ウルスと一緒にいるもう一匹はロングという名のオスのエレファスホソアカクワガタである。ロングの方は体長が約88ミリである。ロングはヒリュウよりも13ミリも大きい。ロングは長くて優雅な大顎が体長の多くを占めていてメタリックな黄色が特徴的である。
「なーに。別に、名乗る程ものじゃあないさ」ロングは悠長な口調で言った。
「そうかいな。そんで要件はなんや?」ヒリュウは警戒心を見せた。
「おいら達の要求を素直にのむっていうのなら、話は至って簡単だ。例のものをよこせ!」突然、ロングはすごんで一挙に仮面を脱ぎ捨てた。今のところ、ウルスとロングは無名ながらも悪漢なのである。ウルスとロングの二匹のケンカの実力はフィフティー・フィフティーである。
「例のもの?意味がわからんことを言う虫やな。わいは例のものなんていうけったいなものは持っとらんで」ヒリュウは全く怖気づくこともなく独特の口調で言い返した。
「とぼけるなよ。調べはちゃーんとついているんだ。ここいらにはヒリュウとか言うオスのノコギリクワガタが例のものを持っているっていう調べがな」ウルスは諭すようにして言った。
「そうかいな。せやけど、おかしいな。わいはそんなものは知らんで。きっと、あんたらの調べが間違っとったんやろ」ヒリュウは乱暴にそう言うと、この場を後にしようとした。
ウルスは『おい!』と言うと、ロングに目配せした。すると、目配せされたロングは木の上に飛んで行った。ウルスとロングには最初からある邪悪な作戦があった。
「何のつもりや?まあ、わいには関係のない話やけどな」ヒリュウはそう言うと、再び、一度、止めた足を動かし始めた。しかし、再び、ヒリュウはその足を止めなくてはいけなくなってしまった。ロングの飛んでいった方向から『きゃー!』というメスの悲鳴が聞こえてきたからである。
ロングは間もなく体長19ミリ程のメスのレティキュラスマルカブトを顎に挟んで戻ってきた。彼女は名をレティと言う。レティはロングに誘拐されてしまったのである。当然、レティは心細くなって『助けて!お願い!』と言って悲痛な面持ちで泣き喚いた。
「へっへっへ、静かにしていな」極悪人のロングは余裕綽々である。
「おい!何のつもりや!冗談にしては行き過ぎやで!その子をどうするつもりか、わいは知らんへんけど、とにかく、悪いことは言わへんから、早くやめい!」ヒリュウは怒声を上げた。
「おいどん達に例のものを素直に渡すって言うのなら、この子には手を出さないでやろう。だが、もし、逆らえば、この子は痛い目を見ることになるだろうな」鋭い目つきでヒリュウを睨みつけながら、ウルスは言った。ロングはそうしている間も暴れるレティを力でねじ伏せている。
「せやけど、その子はわいとは何の関係もないやろ。いや。そもそも、わいだってあんたらとは何の関係もないはずやろう?どうして、わいがあんたらみたいなチンピラの相手をせにゃならんのや!今、わいは楽しい散歩中やったんやで!それを妨害せんといてくれや!」ヒリュウは言い放った。
「関係があるかないか、それはおいら達が決めることだ」ロングは相変わらず余裕たっぷりである。
「はっ、笑わせてくれるな!どちらにしたって二匹がかりでもわいに敵わないと判断してか弱いカブトムシのメスを盾にするようなやつらを相手にする程に、わいは暇やないんや!悪いことは言わへんから、痛い目みん内にその子を開放してやったらどうや?」ヒリュウは余裕な態度で交渉した。
「カチーン。どうやら、おいら達は舐められているようだな」ロングが怒りを露わにした。
「そうまで言うのなら、おいどん達の強さを証明してやるよ!」ウルスはそう言うやいなやヒリュウに猛突撃をした。ヒリュウはあまりの衝撃によってなす術もなく弾き飛ばされてしまった。
ロングはレティを放り投げると、ひっくり返って倒れているヒリュウを上から挟み込んだ。ロングは素早い動きによってヒリュウをそばの木に激突させた。ドスン!
「おいら達が大人しくしている内に指示に従っていればいいものを。おいら達にケンカを売っておいて無事でいられると思うなよ!死んで後悔するなよ!」ロングは大声で喚いている。
ヒリュウは『弱いやつ程、よく吠える』と言おうとしたが、それは叶わなかった。ウルスがヒリュウい襲い掛かってきたからである。それでも、ヒリュウは受けて立った。
こうして、理不尽、至極な二対一のバトルが幕を開けた。レティを怖がらせたウルスとロングに対して、もはや、正義感の強いヒリュウは引き下がる気はない。
そんな中、このまま、逃げるという手もあったが、ヒリュウは自分のためにウルスとロングを挑発してくれたので、誰か、助けを呼ぶために、レティは羽を広げることにした。
その頃、テンリ達の三匹はというと、えっちらおっちらと平和に歩いていた。今、テンリ達の三匹は『忍者の地』を抜けてついに『石油の地』という場所にやってきた。
たくさんの石油がある場所を油田というが、まさしくこの地はそれに該当する。ただし、現在、地図の類を持っていないので、テンリ達の三匹はそのことを知らない。
石油は大昔の海に栄えたプランクトンや魚の遺骸が海の底に溜まってできたものだと言われている。石油は砂でできた岩や火山活動でできた岩の隙間に染み込んでいる。
油井という井戸から汲み上げられたままの石油は原油と呼ばれる。その原油は精製されて灯油や軽油や重油やパラフィンといったものを作るのに使われる。この地の石油は節足帝国で重宝されて燃料や化学製品の原料として有効的に使用されている。
現在は気候も穏やか、テンリ達の三匹の気分も穏やかである。ここまで順調にきているので、テンリも満足である。しかし、一つだけ、小さな問題はあった。
「ようするに、三個は欲張りすぎたっていうことだな」ミヤマは納得顔である。
「なんだよ。ミヤマはテンちゃんにケチをつけたいのか?」アマギは不満顔で言った。
「いや。別に、そういう意味で言ったんじゃないよ。でも、こう何度もポロポロと落ちるっていうのは問題だろう?」ケンカする程に、仲がいいとは言うが、ミヤマは円満解決を望んだ。確かに、口ではアマギに勝つ自信があるが、本来、どちらかと言えば、ミヤマはなあなあ主義なのである。
「早いところ、節足帝国のポシェットが手に入るといいんだけどね」テンリは期待顔である。
これは何のことを言っているのかというと、アマギの引っ張っている木の幹のふとんの上には栗が三つと『魔法の杖』が一つとクナイが三つとバッジが三つ、乗っかっているのだが、たまに、小石や木の根っこの上を通る時、その振動で栗がころころと落ちてしまうのである。
「トグラくんは『樹液の地』の西側に『雑貨の地』があるって言っていたけど、どのくらい、先にあるのかはわからないね?もしかしたら、うんと先にあるのかもしれないよね?」テンリは確認した。
「まあ、その内、見つかるよ。気長に待とう。それより、栗拾いはミヤマに任せてテンちゃんは特等席に乗ってみるか?」かねてから考えていたので、アマギは提案をした。
「栗拾いはおれの役目なのかよ!まあ、別に、いいけど」ミヤマは独り言を呟いた。
「特等席ってどこのことかなあ?」テンリは無邪気な口調で聞いた。
「聞いて驚かないでくれよ。特等席はおれの上だよ」アマギは淀みなく答えた。
「えー!本当?いいの?ぼくが乗ったら、アマくんは重くないかなあ?」テンリは聞いた。
「大丈夫。大丈夫。おれは力持ちだから、そのくらいはへっちゃらだよ」アマギは応じた。
「それじゃあ、その間、ミヤマくんは栗拾いをしてくれるの?」テンリは聞いた。
「ああ、いいよ。任せてくれ。そのくらいはどうってことないからな」ミヤマは寛容である。
「ありがとう。それじゃあ、乗るね」テンリはそう言うと、アマギの背中の上によじ登った。
「どうだ?テンちゃん」アマギは聞いた。ミヤマはその間も栗を見張っている。
「わーい!戦車みたい!」テンリは無邪気に喜んでいる。ミヤマは自分もうれしそうな顔をしている。まだ、テンリとアマギと出会ってから間もないが、楽しさを共有できるくらいに、ミヤマはすでにテンリとアマギとの結束力が高くなっている。ミヤマはそれについてひそかに誇らしく思っている。
「しかも、攻撃もできるぞ!ほら!」アマギはそう言うと、長い方の角を上下させた。
「すごいね!それじゃあ、戦車の名前は何にしようか?」テンリは聞いた。
「うーんと、それじゃあ『アマル』なんてどうだ?アマギと何々丸を合体させたんだ!」
「まるで、人間界のおまるみたいなネーミングだな」ミヤマは言った。おまるなんてかなりマニアックな単語だが、クナイのことも知っていたし、ミヤマは割と知識が豊富なのである。
「ん?何か言ったか?ミヤマには不満でもあるのか?」アマギは反応した。
「いや。別に。独創的ないい名前だなと思って」ミヤマは空とぼけている。
「本当だね!『アマル』って格好いい名前だね?」テンリは相変わらず無邪気である。アマギも満足そうである。ミヤマには天来の着想が浮かんだ。
「あれ?でも、この発想は使えるんじゃないかい?誰かが・・・・」ミヤマは言いかけた。突然、テンリ達の三匹の上空から『誰かー!』という女性の声が聞こえてきた。
「そう。誰かが栗の上に乗っかって上から圧力を加えていれば、栗は落ちないんじゃないかい?」上空から入った横槍をものともせずに、ミヤマは自分の案を口にしている。
「あれ?ミヤマくん。今、誰と話をしていたの?」テンリは不思議そうにしている。
「え?誰とってそりゃあ・・・・誰とだ?まさしく謎だな」ミヤマは小首を傾げた。また、上空から『誰か!助けてー!」と女性の声が聞こえてきた。
「カブトムシのメスがSOSを発信しているぞ!おーい!誰かはここにいるぞー!助けるぞー!」アマギは大声で呼びかけた。アマギは先程までの和気藹々としたムードからは一転して真剣な顔をしている。当然、事態を把握したテンリとミヤマもスイッチを切り替えている。
助けを求めていた女性、レティはテンリ達の三匹に気づいて地面に降り立った。テンリはすでに緊張しているが、まだまだ、アマギの方はゆとりを持っている。
「大変なの!説明している暇はないわ!お願い!とにかく、私について来てくれる?」早る気持ちを必死になって抑えながら、レティはかなり不躾だとわかっていても早言葉で言った。
「なんだか、よくわからないけど、わかった。紐を解いてくれるか?テンちゃん」アマギは聞いた。
「え?荷物を置いて行くの?それじゃあ、ぼくが見張っているから、アマくんとミヤマくんが助けに行ってあげて」テンリは提案をした。その方がいいかなと、ミヤマも思っている。
「うーん。しょうがない。もし、何かあったら、すぐにおれ達を呼びに来るんだぞ!テンちゃん」アマギは念を押した。相棒の言うことなので、もちろん、テンリはただちに諒解した。
「うん。わかった。瀕死になっても帰ってきてね」テンリは心から激励した。
「って、無事を祈ってくれるのはうれしいけど、言い方が怖すぎるよ。テンちゃん」ミヤマはアマギの角とふとんを繋いでいる紐をほどいているテンリに対してつっこみを入れた。
「ごめんね。それじゃあ、がんばってね!」テンリは急いで謝ると、アマギとミヤマを見送った。
アマギとミヤマの二匹はレティに連れられて空を飛んで行った。慌ただしい中でもテンリは荷物を持っているから、襲われないかと、アマギは心配である。
危なくなったならば、テンリも逃げるか、アマギとミヤマを呼びにくるかするはずなので、これ以上、アマギはそのことについて考えるのはやめることにした。
テンリの方はアマギとミヤマのことを心配してばかりいるが、この後、自分の方にもトラブルが舞い込んでくるなんてこの時点では思いもしていなかった。
現在、アマギとミヤマはあまり緊張をしていない。特に、元来、ミヤマはことなかれ主義者なのだが、大抵の場合、緊急事態になっても慌てふためく柄ではない。
アマギもそれは同じだし『食物の地』ではアルキデスと対戦しているので、戦闘に関してほぼ現在のアマギはブランクなしである。なによりも、アマギは自分に自信を持っている。とはいっても、アマギの場合、それは頭脳を使う労働以外の話である。
平常心のまま、アマギとミヤマはレティの後ろを飛んでいる。この三匹の中で一番に平静さを失っているのはレティと言ってしまっても過言ではない。
「それでそんなに慌てて一体何事なんだ?」早速、空を飛びながら、アマギは聞いた。
「よく私もわからないけど、ケンカよ」レティは慎重な口ぶりで言った。
「ケンカ?ちょっとした力比べのケンカなら問題ないけど、度が過ぎているとか、そういうことかい?」今度はミヤマが聞いた。ミヤマはそうしながらも答えを予想している。
「ええ。知らない虫さんなんだけど、オスのノコギリクワガタくんが私を庇って二匹を相手にケンカを始めていたの。それに『死んで後悔するな』とか、物騒なことを言われていたし、最後に見た時もかなり痛めつけられていたみたいなの」平静を保ちながら、レティは一生懸命に言った。
「なるほど。確かに、それは穏やかじゃなさそうだな。ようするに、それを止めればいいんだよな?だとしたら、簡単だ」アマギは単純な数式を説いた後のような口調である。
「あ、あれよ!見えてきたわ!」レティの言葉を合図にして三匹は高度を落として行った。そこにはグロッキー状態のロングと空中でウルスに掴まれているヒリュウの姿を目の当たりにすることができた。
「お、勝っているじゃないか」深く考えもせずに、アマギは適当なことを言った。
「おいおい!アマは絶対にさっきの話を聞いてなかっただろう?おれ達が助けるのはノコギリクワガタの方だぞ!つまり、空中で自由を奪われている方だよ」ミヤマは冷静に解説をした。
「そうか。それじゃあ、一匹、倒したみたいだけど、負けているな」なぜか、アマギはこんな事態になってものどかに落ち着いている。アマギはそれ程に自分の能力を信頼しているのである。
そうこう言っている内に、ウルスは勢いをつけてヒリュウを地面に投げつけた。しかし、うまいこと、そこはナイスな動きでミヤマはヒリュウをキャッチすることに成功した。
ヒリュウは今までロングをきりきり舞いにさせて倒すことには成功したが、ウルスのパワーの前では無残に散ってしまっていたのである。アマギはウルスと正対することにした。
「なんだ?お前らは!まさか、正義の味方を気取りじゃないだろうな?」ウルスは聞いた。
「別に、気取ってはいないけど、二対一で戦うなんて卑怯じゃないか。どれ程に、二対一が苦しいものかをおれとミヤマと戦って実感してみるか?」飛行しながら、アマギは聞いた。
「おいどんの邪魔をする気なら、そうしてやるよ。二匹、一辺にかかってこい!もっとも、おいどんはそのくらいで引けを取る程に、柔じゃないけどな!力でねじ伏せてぶっつぶすのみだ!」ウルスはそれだけ言うと、空中でアマギの下に角を入れるべく猛スピードで向かってきた。
しかし、アマギは急降下してそれを回避した。そのまま、アマギはウルスの体の下に一撃を入れた。さらに、アマギは体勢が崩れたウルスを角で挟んで地面に投げ込んだ。ドスン!
「うげっ!この野郎」地面に落下したウルスは頭を強打して呻いている。
「おーい!行ったぞ!ミヤマ!」アマギはミヤマに対して注意を促した。
ひっくり返った体勢を整えるために、ウルスは起き上がろうとした。ウルスが体を起こそうとしたところで、突然、正面から、何かが飛んできてウルスの体に当たった。ウルスは『痛て!なんだ?』と言いながらもようやく体勢を立て直している。
「クナイだよ」ミヤマはウルスに問いかけに対して答えた。しかも、ミヤマはすでにウルスにクナイを打った位置とは逆方向に移動していた。バク転をする如くふわりと飛び上がると、ミヤマはウルスの胴を挟んでそのまま回転して地面に叩きつけた。ドスン!
「ぐへっ!」ウルスはそう言うと、度重なる打撃によって戦闘不能になってしまった。
「よっしゃ!一丁、上がり!この可憐な美技をテンちゃんにも見せてあげ・・・・うわっ!」ミヤマは声を上げた。再起不能と思われていたロングによってミヤマは後ろから挟まれて持ち上げられてしまったのである。それを見ると、空中にいたアマギは地上へと降下を始めることにした。
「おいら達をこけにしやがって!調子に乗ってんじゃねえぞ!」ロングはそう言うと、ミヤマを挟んだまま、地面をごろごろと転がってから、自らが宙に浮く程に、強い勢いで地面に叩きつけた。ミヤマは『うっ!』と言うと、情けない格好で倒れてしまった。
「全く世話が焼けるな。ミヤマは詰めが甘いぞ!」地上に降りていたアマギはそう言うと、ロングを素早く正面から挟んでこれまた素早く一度地面に叩きつけた。もともと、虫の息だったロングは一発でKOとなってしまった。アマギは見事な手際である。結果的に言えば、それがウルスとロングの二匹の引導を渡すことになった。これにて、アマギとミヤマによるウルスとロングの折伏は完了した。
「よし!終わったぞ!二匹共、大丈夫か?」アマギはミヤマとヒリュウに対して気づかいを見せた。
「目が回ったけど、なんとか、おれは無事だよ」へろへろなミヤマは答えた。
「わいの方も大体は無事や」レティに付き添われながら、ヒリュウは返答をした。
甲虫王国の国民は個性を重んずる自由主義者の集まりなので、特に、アマギとミヤマはヒリュウの特異なしゃべり方について感想を持たなかった。
少しこの場の雰囲気は落ち着いてきた。息を整えていたが、まだ、ふらふらする足取りの状態のまま、二足歩行でウルスとロングの元へ行くと、ミヤマはやにわに豪語し始めた。
「おい!全員、正座しろ!」ミヤマはそう言ったが、命令されたウルスとロングの二匹がさすがにそれは無理だと言うので、恐縮そうにして6本足で佇ませることでミヤマは納得した。
「どうして、こんなことをしたんだい?」ミヤマは普段の口調に戻って聞いた。今のミヤマは最強のゴール・キーパーのようにして堂々たる風格で仁王立ちをしている。
「実は、その、おいどん達は・・・・」ウルスは恐縮そうにして何かを言いかけた。
「ええい!うるさい!おいどんだか、ちんどん屋だか知らないけど、問答無用だ!」ミヤマは喚き出した。ミヤマは勝者の気分を十二分に味わっている。驚き入ってしまい思わず『えー!』とごろつきのウルスは声を上げている。当然と言えば、当然の反応である。
「しかし、二対一でも許されることじゃないのにも関わらず、その上、自分達のケンカに対してメスまで引き込むなんてどういう了見だったんだい?」また、ミヤマは普段の口調に戻っている。
「どうしても、おいら達は・・・・」ロングがそう言うと、再び、ミヤマは喚き出した。
「ええい!うるさい!おいらだか、ボイラーだか、知らないけど、問答無用だ!もう帰れ!」
驚き入って今度はロングが『えー!』と声を上げた。こうして、ミヤマは悪者を成敗した気持ちになった。まだ、ミヤマは仁王立ちしたままである。
確かに、ウルスとロングの二匹は反省しているような雰囲気ですごすごと立ち去って行った。ミヤマはよくわからない解決法によって倫理を取り戻した。
先程、自らが打ったクナイを拾い上げてから、アマギ達の他の三匹の方を振り返ると、ミヤマは一様にしてアマギ達の三匹から白眼視されていたことについてようやく気づいた。
「ん?どうかしたかい?何か不都合でも?」ミヤマはへらへらしている。
「なあ。ミヤマ。ミヤマって実は二重人格だったのか?」アマギは素朴な疑問を口にした。
「いやいや。見ていてわからなかったかい?熱血教師を演じていたんだよ。おれはダンスだけでなくて演技もトップ・クラスにうまいんだよ。知らなかったのかい?」ミヤマは聞いた。
「うん。知らなかった。てっきり、おれはミヤマのもう一つの人格が現れたか、ミヤマの人格破壊が起こったのか、さもなければ、頭がおかしくなったのかと思ったよ」アマギは言ってのけた。
「おいおい。ひどい言われようだな。まあ、それ程に、おれの演技が堂に入っていたっていう訳か」ミヤマは勝手に自画自賛して納得をした。別に、アマギはどうでもよさそうである。
「あー!大変だわ!こんなことになっていたなんて!」突然、レティは悲鳴を上げた。
「ん?どうしたんだ?」やっぱり、慌てず、騒がず、アマギは落ち着いて聞いた。
「右足が折れているわ!どうしよう?」ヒリュウの足を見ながら、レティは言った。確かに、よく見ると、ヒリュウの右足は関節ではない部分が折れ曲がってしまっている。
「ああ、これか。こんなんは構わへんよ」ヒリュウには全く動揺した気配がない。
「本当だ。折れているな。痛そうだな」アマギはヒリュウを気づかった。しかし、カブトムシやクワガタは痛みを感じないので、あくまでも気持ちの上での心づかいである。
成虫は脱皮をしないので、一度、負った傷はもう二度と自然には治らない。自然界においてケガは致命的なことなのである。そういう点で虫は大変なのである。
やや話が変わってしまうことになるが、敵に襲われると、自分の体の一部をわざと切り離して逃げるチャンスを作る者もいる。これは自切と言い、トカゲのしっぽ切りは割と有名だが、実は、昆虫の中ではナナフシやゴキブリにもそのような行動が見受けられる。
「あれ?でも、さっきは無事だって言っていたじゃないか」アマギは指摘をした。確かに、それは理に適った指摘である。それなので、どういうことなのか、ミヤマは耳を澄ませている。
「わいはこうも言ったはずやで。大体やって」ヒリュウはとんちのような返答を返してきた。
「ああ、なるほど。納得だよ。確かに、そう言われれば、そうだな」アマギは得心した。
「って、感心している場合か!本当にどうする?」ミヤマは二本足で立って腕組みのようなポーズを取ながら、解決策を考えた。しかし、ミヤマにはすぐに妙案が思い浮かんだ。
「あ、簡単だ!おれ達の持っている『魔法の杖』を使えばいいんじゃないか!」ミヤマのひらめきも時には役に立つのである。テンリ達の三匹の持っている『魔法の杖』はイバラの芸がすばらしいからと言ってサービスとしてもう一つ『医療の地』のツヒラが余分にプレゼントしてくれた一品である。
「いや。せやけど、そこまでしてもらわんでもええよ」ヒリュウは冷めた口調で言った。
「乗り掛かった船だ。そのくらいはなんでもないよ。なあ?アマ」ミヤマは同意を求めた。
「うん。もちろんだ。それよりも、テンちゃんが心配だ。あんなにも一杯の荷物を持っていたら、強盗に襲撃されないとも限らない。だから、早く帰らないか?」アマギは提案した。
「ああ、そうだな。確かに、そうした方がよさそうだ」ミヤマは案に乗っかった。
「あんたらはとんだお人好しやな。ありがとう。ほんまに感謝するよ。言いそびれていたけど、わいは助けてくれたことにも感謝しているで。大きにありがとう」ヒリュウはお礼を言った。
「気にしない。気にしない」アマギは何でもないと言った様子である。
「あの、それじゃあ、私は・・・・」今まで黙っていたレティは不意に口ごもった。
「ああ、もう、大丈夫だよ。後はおれ達が何とかするよ」ミヤマは大様に言った。
「ええ。わかった。助けてくれてくれたことも本当にありがとう」レティはお礼を言った。
「どういたしまして」アマギは笑みを浮かべた。ミヤマは手をひらひらさせて応えた。
「厄介事に巻き込んじゃってごめんな」ヒリュウはレティに対して謝った。
「ううん。あなたのせいじゃないもの。それじゃあ、私はこれで。さようなら」アマギ達とヒリュウを斡旋してくれたレティはそう言うと、少し名残惜しそうにしてオスの三匹とお別れをした。
ヒリュウを加えてアマギとミヤマはテンリのいる場所を目指して歩き出した。その際、まだ、自己紹介をしていなかったので、アマギとミヤマは名乗ってヒリュウも名前を明かした。
力自慢のアマギにとってさっきの戦闘はどうってことないが、ミヤマはウルスとロングの二匹を相手にしてもひるむことがなかったので、これも忍者教室での修行のおかげかなと内心は思っている。とはいえ、アマギがそばにいたから、ミヤマも安心できたという側面もない訳ではない。
その頃、テンリはある出来事のおかげで浮き浮きワクワクしていた。アマギとミヤマをウェイティング中のテンリは僥倖に恵まれたので、アマギとミヤマの帰りが待ち遠しいのである。
しばらくしてヒリュウを連れてアマギとミヤマの二匹はテンリのところへ帰ってきた。ウルスとロングに対して戦いで勝利したので、実は、今のミヤマは凱旋気分で鼻高々である。
見たところ、テンリに別状はないので、アマギはほっとしている。これはアマギによる過保護というよりもテンリという友達の身の安全を心配することは当然の心理である。
ヒリュウは『魔法の杖』の存在を知ってはいるが、本当に自分の足は治るのかどうかは半信半疑である。気が強いので、治らなければ、治らないで、ヒリュウは別にいいと思っている。
「ねえ!アマくんとミヤマくん!見て!見て!節足帝国のポシェットだよ!」ヒリュウのことはちらっと見たが、それよりも先に開口一番、テンリは喜色満面な様子で言った。
「えー!本当か?そのきんちゃくみたいなのがそうなのか?やったな!テンちゃん!」アマギは欣喜雀躍せんばかりである。期待通りの反応を見られたので、テンリは満足そうである。
「一体、どうやって、テンちゃんはポシェットを手に入れたんだい?」ミヤマは聞いた。
それを受けると、テンリは事情を話し始めた。ずっと、テンリはここでアマギとミヤマのことを待っていたら、リアカーを引いたヌーサンスという名のオスのサビイロカブトがやってきた。テンリ達の三匹の荷物を見てテンリに対してそのヌーサンスは『物々交換をしないだろうか?』と聞いてきた。テンリは試しに『節足帝国のポシェットを持っている?』と聞いてみた。ヌーサンスは『持っている』と答えた。結局、テンリの『魔法の杖』とヌーサンスの『ポシェット・ケース』を交換したという訳である。
「そっか。まあ、テンちゃんの判断は間違っていないよ」アマギは簡単明瞭に言った。とはいえ、そうなってしまうと、ヒリュウのケガを治すことはできなくなってしまった。
「そうだな。テンちゃんはこっちの事情を知らなかったんだから、不可抗力だよな」ミヤマは同意した。事実、ミヤマはテンリの行動について正しいことをしたと思っている。
「こっちの事情って?そういえば、ぼくはテンリだけど、君は?」ヒリュウを見すえながら、テンリは聞いた。ミヤマはヒリュウを放っておいたことを申し訳なく思った。
「わいはヒリュウや。よろしく。せやけど『魔法の杖』がなくなっちゃったっていうのなら、みんなの世話になる必要もなくなった訳やけれどな」ヒリュウは実直な口調で言った。
「え?世話って何のこと?」テンリは不思議そうにして聞き返した。アマギとミヤマはテンリに対してヒリュウにまつわる事情を手短に話した。ウルスとロングという悪漢はヒリュウのことを襲い、それに巻き込まれてしまったレティはアマギとミヤマを呼び寄せてアマギはウルスとロングを倒すことに成功したが、結果、ヒリュウは負傷してしまったということを話したのである。
「そうだったんだ。大変だったんだね?それに、ぼくは悪いことをしちゃったね?でも、それなら、もう一回、物々交換で『魔法の杖』を返してもらおうよ!」テンリはすぐに湧いて出た霊感を口にした。
「あ、そうか。その手があったか。それじゃあ、そのヌーサンスさんっていうカブトムシはどっちに行ったんだい?テンちゃんにはわかるかい?」早速、ミヤマは必要なことを聞いてみた。
「あっちだよ」テンリはそう言うと、アルコイリスまでの進行方向から見て左側を指さした。
「よし!それじゃあ、すぐに追いかけよう!荷物をポシェットに入れてくれるか?テンちゃん。今のところ、まだ、ポシェットはおれ達のものだから、荷物を入れてもいいだろう?」アマギは聞いた。
「うん。そうだね。今、入れてみるね」テンリはそう言うと、作業に取りかかった。ポシェットに荷物を入れれば、荷物を見張っている虫が必要なくなるので、これは妙案である。
しかし、おかしなことにも一向に荷物がポシェトに入る気配はない。トグラの話ではポシェットよりも大きいものも吸い込まれるようにして収納できるはずなのにも関わらずである。
「あれ?おかしいな。入らないよ。アマくんもやってみてくれる?」テンリは動揺している。
「うん。いいぞ」アマギもそう言うと、作業を始めたが、結果は同じである。
「なんだ?これ。不良品かな?」アマギは首を捻っている。しかし、ミヤマにはある一つの考えが浮かんでいたが、口に出さないでいると、ついに、ヒリュウは禁断の言葉を口にした。
「ひょっとして、それはパチもんとちゃう?」ヒリュウは遠慮がちに言った。
「え?えー!それじゃあ、まさか、テンちゃんが取引をしたヌーサンスっていうカブトムシは詐欺師だったのか?」心底、アマギは驚いた様子である。アマギは騙されやすいのである。
「まあ、その可能性が高いわな」ヒリュウは表情に乏しい顔で答えた。
道理でアマギがきんちゃくとポシェットを間違えた訳である。問題のものはその二つを足して二で割ったような見かけなのである。テンリが掴まされたものはよくできた模造品である。
「でも、そうなると、わい自身のためでもあるとはいえ、わいも惜しみなくヌーサンス探しに協力するで。恩人とその友人がパチもんを掴まされたとあったら、わいも黙っている訳にも行かへんからな」俄然、ヒリュウはやる気を出した。ヒリュウは人情に厚い。
「いずれにしてもぼくが騙されたせいだね?本当に、ごめんね」テンリはすまなそうにしている。テンリはアマギと同様にしてあまり猜疑心というものを持っていない。
「いいんだよ。テンちゃんのせいじゃないよ。たまに、騙される方が悪いとか言う虫もいるけど、そんなのは絶対に間違っているよ。100パーセント騙す方が悪いんだよ」アマギは励ました。
「おれも同意見だ。そもそも、どっちにしたってヌーサンスには会いに行く予定だったんだから、返品してもらうっていう単純明確な目的ができてよかったじゃないか」ミヤマはポジティブである。
「ぼくのことを気づかってくれて、ありがとう」テンリは心からお礼を言った。
「大丈夫だよ。さあ、行こう!紐を結んでくれるか?テンちゃん」アマギは聞いた。テンリは『うん』と言うと、改めて荷物と繋がる紐をアマギの角にくくりつけることにした。
テンリはよく失敗をすると、いつまでもくよくよと思い悩んでしまうが、テンリにとってアマギとミヤマのさっきの言葉は本当に心のわだかまりを癒してくれることになった。
会ったばかりとはいえ、ヒリュウもテンリを慰めてくれた。今のヒリュウはヌーサンスを探し出すことについて闘魂を燃やしている。
誰かが失敗をした時、その虫が次はその失敗を繰り返さないようにしようと考えることが全てではない。失敗をしてしまった虫に対して周りの人が助けてあげてカバーすることも大事なのである。何をおいても虫や人は助け合って生きていく生き物だからである。
テンリ達の4匹のヌーサンス探しの寄り道が始まった。現在、アマギは荷物を引くために、ミヤマは栗を拾うために、地上を歩いて進んでいる。
テンリとヒリュウの二匹は飛行して、それぞれ、アマギとミヤマの左右をくまなく探している。ヌーサンスを探すために、ヒリュウは相変わらず血眼になっている。
テンリも負けじと見落としのないように必死になってヌーサンスを探している。案外、テンリは目がいい。そんな調子で数10分、捜索を続けていると、テンリはある発見をした。
「ん?なんだ?あれ」そう呟きながら、テンリは上空で浮かんでいる虫に近づいて行った。
「ねえ。どうして、君は羽を使わないで空を飛んでいるの?もしかして、超能力者なの?」飛行しながら、テンリは聞いた。テンリの言う通り、今、メスのアルジェリアマルカブトは何もしないで空を飛んでいる。ナツという名の彼女は体長が23ミリ程でまだあどけない少女である。
「ううん。超能力じゃないのよ。これはね。さっき、交換してもらった節足帝国の『フライ・シール』っていうのを使っているのよ」ナツはテンリの問いに対して親切に答えてくれた。
「ふーん。そうなんだ。そのシールを貼れば、自由に飛べるようになるんだね?疲れないし、便利そうでいいね。立ち入ったことを聞くけど、それは何と交換してもらったの?」テンリは聞いた。
「お兄ちゃんが聞いたことあるかどうか、わからないけど『サーチ・マシン』っていう節足帝国の樹液探知機よ。それは樹液のある場所に近づくと反応してもし樹液が出ていなくても木の幹を取り除いて見つけてくれるのよ。でも、私はお家のヤナギの木からたくさんの樹液が出るから、必要なかったの。お兄ちゃんも、何かを交換してもらえば?」ナツはやさしそうな笑顔を見せて提案した。
「うん。そうしようかな。もしかして、物々交換をしてもらった虫さんっていうのはヌーサンスさんかな?もっと、詳しく言えば、サビイロカブトだった?」テンリは聞いた。
「うん。サビイロカブトのおじさんだったよ。すごく愛想がよくて親切にしてくれたの」
「やっぱり、そうか。それはいつ頃の話?」テンリは真剣な顔で質問をした。
「ついさっきよ。もし、お兄ちゃんも会いたいのなら、あっちの方へ行けば、会えると思うよ」ナツはそう言うと、自らの斜め右方向を指さした。ナツはとても人懐っこい。
「そっか。お話を聞かせてくれて、どうもありがとう」テンリは最後にお礼を言った。
「ううん。別に、いいよ。それじゃあね。お兄ちゃん」ナツはお別れの言葉を述べた。
「バイバーイ!」テンリはそう言うと、ナツと別れることにした。
早速、テンリはヌーサンスの目撃情報を伝えるべく大急ぎで他の三匹の元へ帰って行った。テンリが手短に話をすると、血気盛んなヒリュウは偽物のポシェットを持って目的地に向かって急発進した。テンリもアマギとミヤマに対して断りを入れて慌てて後を追った。
アマギとミヤマは仕方なくお留守番をすることにした。あれだけの元気があるのならば、ヒリュウが何とかするだろうと、アマギとミヤマは思った。
しばらくすると、全速力で向かったかいがあり、バーターの商人であるヌーサンスのところへヒリュウは追いついた。今のヌーサンスはちょうど暇そうにして休憩をしていた。
「やい!おっさん!やっと、見つけたで!ほんま、苦労したけど、おっさんも運の尽きや!」ヒリュウはペテン師であろうヌーサンスに対して切り込み隊長よろしく威勢よく言った。
「へいへい。まず、そちらの手持ちをお聞きしましょうか?」ヌーサンスは全く臆することなく手ぐすねまで引いている。ヌーサンスは事態をのみ込んでいない。
「手持ちもへったくれもない!そないなこと言うて誤魔化しても無駄やで!」ヒリュウは突っぱねた。
「はて?へったくれとは?」ヌーサンスは営業用のスマイルを維持したまま聞いた。
「へったくれはへったくれや!取るに足らないものや!」ヒリュウはなぜか説明をしている。
「ヒリュウくん。何の話をしているの?」テンリはここで空から地上にやってきた。
「今、このおっさんにへったくれの意味を教えていたんや。まあ、少し、乱暴な言葉とはいえ、このくらい知っとかなあかんで!」ヒリュウは興奮している。もはや、ヒリュウは唾を飛ばさんばかりである。
「ふーん。どうして、そうなったのか、よくわからないけど、まだ、本題には入っていないんだね」テンリはヒリュウの暑苦しさによって少し押され気味になりながらも言った。
「あ、せやった。すっかり、ペースを乱されとった」ヒリュウはようやく我に返った。
「それでは、こちらの手持ちをお教えしましょうか?」ヌーサンスは提案した。
「いいや!教えんでええ!知っとるわ!『魔法の杖』があるはずやろ!」ヒリュウは言った。
「へいへい。かしこまりました。それでは、こちらですね」ヌーサンスはそう言うと、リアカーから『魔法の杖』を取り出した。それはまさしくテンリと交換した『魔法の杖』である。
「お、まだ、交換せずに持っとったか。そんなら、このパチもんのポシェットと交換し直しや。嫌や言うんやったら、どうなるか、わからへんで!」ヒリュウは鋭い目つきでヌーサンスを睨みつけた。
「え?本当ですかい?あっしがレプリカを交換しちまいましたか?それなら、もちろん、交換し直しでけっこうですよ。へいへい。どうもすんませんでした」ヌーサンスは平身低頭している。
「へ?そんな簡単にええの?おっさん。詐欺師ちゃうんか?」ヒリュウはあまりにも強い先入観に囚われてしまっていたので、予想外の展開に対して呆気に取られている。
そんなヒリュウをよそにしてヒリュウの持つポシェットを受け取り、ヌーサンスはヒリュウに対して自分の『魔法の杖』を手渡した。これにてトレードの成立である。
「あっしが詐欺師ですって?心外ですな。違いますよ。あっしは真っ当な物々交換の商人ですぜ。それでも、イメージ・ダウンになっちまいますから、お詫びとして何かをあげやしょう。あっしに落ち度があったっていうのは変えられない事実ですからね」ヌーサンスはかなりの太っ腹である。
確かに、自分でも言っている通り、ヌーサンスは甲虫王国という国家でも公認されている正式な商人である。そんなヌーサンスが悪人であるはずはない。
「なーんだ。おっさん。ええ奴やな。はっはっは」ヌーサンスをバンバン叩きながら、ヒリュウは笑顔で言った。その間、テンリは興味津々でヌーサンスのリアカーの中身を覗き込んでいる。
「ねえ。おじさん。この中から好きなものを何でも選んでもいいの?」テンリは聞いた。
「へいへい。ええですよ。あいにくポシェットはありやせんがね」ヌーサンスは言った。
「色々あるから、選り取り見取りだね?それじゃあ、これにしようかな」テンリは決断した。テンリが手にしたのはアルコイリスまでの道のりをピック・アップした甲虫王国の地図である。
「なんや。そんなんでええのかいな?テンちゃん」ヒリュウは不思議そうにしている。
「うん。いいんだよ。ぼく達はアルコイリスを目指しているからね。それに、地図があれば、おもしろそうな土地に寄り道もできるからね。これでもいい?おじさん」テンリは聞いた。
「へいへい。もちろん、構いやせんよ。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありやせんでした」ヌーサンスはそう言うと、ぺこりと頭を下げて商売を再開すべく体の向きを変えた。ヌーサンスは最後の最後まで腰の低いままである。ヒリュウは呆然としてそれを見送っている。
「ううん。気にしないでいいよ。地図をくれて、ありがとう。バイバーイ!」テンリは去りゆくヌーサンスの背中に対して呼びかけた。当のヌーサンスは振り向いて手を上げて応えてくれた。
「さっき、ぼくが会ったカブトムシの女の子も騙されていた訳じゃなかったから、今のおじさんはいい虫さんだったんだね?それじゃあ、ヒリュウくんの足を治そうか。あれ?でも、どうやって、使えばいいのかな?」ヒリュウから受け取った『魔法の杖』を持ちながら、テンリは疑問を呈した。
「たぶん、治れ、ゆうて杖を振ればいいんとちゃう?」ヒリュウは簡潔に答えた。
「そうかなあ?それじゃあ、やってみようか。治れ!」テンリはそう言うと、ヒリュウに言われた通りにしてみた。すると、あっという間に、ヒリュウの折れた足は元通りになった。
「あ、治った!ヒリュウくんの言う通りだったね?」テンリは感心した様子である。
「おお、ほんまやな。なにはともあれ、大きに、ありがとう」少なからず、ヒリュウは驚いた様子を見せながらも律儀にお礼を言った。ヒリュウはちゃんと礼儀作法を心得ている。
テンリの持っている『魔法の杖』は『ポキッ!』とへし折れてしまった。一度、使ったら、もう、使えなくなってしまうので『魔法の杖』はただの枯れ枝になってしまったのである。
テンリは元『魔法の杖』を地面に置きっぱなしにしてヒリュウと共にアマギとミヤマの二匹の元へ帰って行った。ミッションをクリアしたので、テンリは意気揚々である。
『魔法の杖』を捨ててしまっても別に不法投棄とかにはならない。使えなくなった『魔法の杖』はそこら辺に落ちている木の枝と何ら変わりはないからである。
テンリ・サイドはアマギ・サイドと合流した。テンリからアルコイリスまでのマップを手に入れた旨を聞くと、大層、アマギとミヤマの二匹は喜ぶことになった。
アマギとミヤマはテンリの功績を称えてマップを見て感動している。ただし、アマギには見方がわかっていない。テンリ達の一行は元の道に戻ることにした。
「なあ、かけっこをせえへん?わいはかけっこが好きなんよ」ヒリュウは提案をした。
「お、中々いいな!おれはやるぞ!」早速、血気盛んなアマギは話に乗った。
「乗りがええな。アマちゃん。それじゃあ、行くで!よーい、ドン!」ヒリュウはそう言うと、アマギと共に二本足で駆け出した。クラウチング・スタートのヒリュウVSスタンディング・スタートのアマギである。当然、アマギが走ると、ふとんの上にあった荷物は落下してしまった。
「え?おい!ちょっと待てー!荷物はどうするんだよ!」ミヤマは呼びかけたが、手遅れである。
「ねえ。ミヤマくん。ぼくはヒリュウくんの性格が読めてきたよ」テンリは語りかけた。
「ん?どんな性格だい?テンちゃん」アマギとヒリュウという二匹のにわかランナーを見送りながら、ミヤマは聞いた。テンリとミヤマはそうしながらも荷物を拾い上げている。
「ちょっと失礼だけど、一言で言うと、雑っていうのが当てはまるかな」テンリは言った。
「ああ、妙に納得できるな。まあ、アマにも似たようなところはあるけどな。そういえば、ごたごたしていて中々聞く機会がなかったんだけど、そもそも、ヒリュウは何が原因で一対二なんていう不利なケンカを始めたんだろうな。動機も雑なのかな?」ミヤマは感慨深げである。
「どうだろうね。もう一つ、謎があるよ。どうして、飛ぶ時、ヒリュウくんは超低空飛行なんだろうね?」テンリは不思議そうな顔をしている。確かに、テンリの言う通り、ヌーサンスを探している時、ずっと、ヒリュウは下の方ばかり探していて一度も上空は捜索していなかった。
そんなことを話しながら、テンリとミヤマも手分けして荷物を運んでアマギとヒリュウの後を追うことにした。しかし、荷物運びをさせられても実は少しミヤマは喜んでいる。
ミヤマは今までテンリと二人きりで話し合うということが少なかったので、ミヤマはここぞとばかりにしてテンリに対して話しかけた。例えば、モザイクを知っているかと聞くと、テンリは知っていると答えたので、よくわからないが、モザイク・ダンスという震動しながら、踊るダンスを披露したりしてミヤマはテンリを楽しませてくれた。
かけっこというからには終わったら、案外、アマギとヒリュウはすぐ近くで待っているのかと思いきやレースはオーバー・ヒートしていて持久走に変貌していたので、中々、テンリとミヤマの二匹はアマギとヒリュウに追いつくことができなかった。まさしくデッド・ヒートである。テンリとミヤマが追いつくのにはかなりの時間がかかってしまった。やっと、テンリとミヤマの二匹が追いつくと、アマギとヒリュウはそろって『ぜえ!ぜえ!』と息を切らせていた。アマギは大きな歩幅で走るストライド走法によって、ヒリュウは歩幅を狭めて足の回転を速めて走るピッチ走法によって、競技に挑んでいた。
「結局、競争はどっちが勝ったんだい?」ミヤマはとりあえず聞いてみることにした。
「タッチの差だったけど、おれが勝った!」アマギは充実感に満ちた顔で言った。
「アマちゃんはその図体でまさかそんなに体力があるとは思わんかったわ。まあ、恩人に花を持たせてやるのも悪ないよな」心底、ヒリュウはそう言いながらも悔しそうにしている。
「え?それじゃあ、ヒリュウくんは手を抜いていたの?」テンリは聞いた。
「ああ、ちゃうちゃう!語弊のある言い方やったな。別に、手は抜いてないで。わいも勝負自体は真剣にやったで!」ヒリュウは慌てて説明をした。ミヤマはしばらくアマギとヒリュウの息が整うのを待つことにした。テンリも一緒に待っていると、やがて、アマギとヒリュウの呼吸は整ってきた。
「なあ。どうして、ヒリュウは二匹を相手取ってケンカをしていたんだい?」ミヤマは聞いた。
「ああ、あれな。あれはおれの持っている瞬間移動の『サークル・ワープ』を狙っていたらしいねん」ヒリュウは言った。聞きなれない言葉なので、テンリは不思議そうな顔をしている。
「なんだ?それ」アマギは聞いた。ミヤマは興味深そうにして耳を傾けている。
「名前のまんまや。それに乗れば、ワープができるんねん」ヒリュウは答えた。
「へー。そんなのがあるんだ。やっぱり、それは節足帝国の輸入品なの?」今度はテンリが聞いた。
「そういうことや。そんで二匹を相手にしていたのは相手が二匹やったからや」ヒリュウは言った。
「おいおい!なんなんだ?その適当な理由は!」ミヤマはつっこみを入れた。
「ねえねえ。それじゃあ、どうして、飛ぶ時、ヒリュウくんは地面すれすれで飛ぶの?」テンリは矢継ぎ早に聞いた。テンリ達の三匹はヒリュウに対して質問コーナーを設けさせてもらっている。
「そ、それは・・・・なんでやと思う?ミヤちゃん」ヒリュウはしどろもどろになって聞いた。
「おれが答えるのかい?ええと、ケガをしているからとか?」ミヤマは聞いた。
「せ、せや。実は、そういうことやったんや。ミヤちゃんは頭ええな」ヒリュウは褒めた。
「え?それじゃあ、もう一つ『魔法の杖』が必要じゃないか」アマギは言った。
「そうだね。また、探しに行かないとね」テンリは同意した。ヒリュウのためならば、別に、また、寄り道をすることになってしまったとしても構わないと、テンリ達の三匹は思っている。
「え?えー?あ、あの、やっぱり、それはあれや。嘘やねん」ヒリュウは慌てて訂正した。
「そうなのかい?それじゃあ、本当はどうしてなんだい?」ミヤマは追及した。
「それはその、なんていうか。怖いからや」ヒリュウは歯切れも悪く言った。
「ああ、なるほどね。そういうこともあるよね」テンリはすぐに納得をした。
「性格は大雑把なくせに妙なところが神経質なんだな。まあ、仕方ないか」ミヤマは言った。
「それじゃあ、飛ぶ練習をしよう!飛べるようになれば、気持ちがいいぞ!」アマギは言った。
「え?誰もわいをバカにせえへんのかいな?」ヒリュウはきょとんとしている。
「どうして、飛べないくらいのことでバカにするの?」テンリは不思議そうにしている。
「うおー!今のわいは感動の涙で前が見えへんわー!」ヒリュウは男泣きを始めた。実は、空を飛べないからこそヒリュウの趣味は散策だったのである。ヒリュウが泣きやむと、テンリ達の三匹はヒリュウの飛行レッスンを開始することにした。ヒリュウもテンリ達の三匹に対して頼み込んだという訳である。
最初はアマギがヒリュウを持ち上げて段々と高いところから手を放すようにしてみた。穏やかな性格らしくこれはテンリの発案したものである。しかし、ヒリュウは約50センチ・メートルの高さでギブ・アップしてしまった。当然のことながら、テンリ達の三匹はそのくらいで怒るようなことはしない。
ヒリュウの飛行レッスンは引き続いてステップ・アップすることになった。その内容とは石と太い木の枝を利用したてこの原理に基づく投石機である。ヒリュウはこれによって空を飛ぼうという訳である。これはミヤマによる発案である。
「よし!それじゃあ、早速、行くぞ!」セットが完了すると、アマギは言った。
「あ、待って!その前に提案なんだけど、どうせなら、鳥の気持ちになって飛んだ方がいいんじゃないかなあ?まあ、単なる気分の問題なんだけどね」テンリは少し気恥ずかしそうである。
「せやな。OK!テンちゃんのその案は頂きや!ほな、頼むで!アマちゃん!」ヒリュウは言った。
「おう!任しておいてくれ!それじゃあ、行くぞ!」アマギはそう言うと、開いている方の木の枝に向かって思いっきり体重をかけて飛び乗った。その反動によってヒリュウの体は浮いた。
「ホー、ホケキョ!」そう言いながら、ヒリュウは遥か彼方へと飛んで行った。
「あ、ウグイスになりきっているんだね?」テンリは自分の案が採用されてうれしそうである。
「それにしても、ヒリュウっておもしろいやつだな」ミヤマはコメントをした。
「しかし、かなり遠くに飛んで行ったな。想像以上だよ。ミヤマがサクラちゃんに蹴り飛ばされた二倍ぐらい、ヒリュウは遠くへ飛んで行ったぞ」遠くを仰ぎ見ながら、アマギは言った。
「ああ、確かに、そうかもしれないな。新記録の達成っていう感じだな。って、不必要な比較はしないでくれないかい?あれはちょっとしたトラウマなんだよ」ミヤマは不服そうにしている。
「そうなのか。ごめん。まあ、気にするなよ。時間が経てば、その内、忘れるよ。あれ?どうしたんだ?テンちゃん」アマギは聞いた。今のテンリは羽を開いて少し飛んでいる。
「ちょっとヒリュウくんが心配だから、ぼくは見てくるね。アマくんとミヤマくんはここで待っていてね?」飛行しながら、テンリは言った。やはり、テンリは思いやりのある男の子なのである。
「ああ、わかったけど、テンちゃんだけで大丈夫かい?」ミヤマは聞いた。
「うん。大丈夫だよ。でも、危険に遭遇しそうになったら、また、ヒリュウくんと一緒にここに帰って来るよ。それじゃあ、すぐに帰ってくるからね」テンリはそう言うと、ヒリュウの元へと飛び立った。
「わかったぞ!くれぐれも気をつけてなー!」アマギは大声で呼びかけた。
今回はテンリが荷物を預かっていないので、アマギは安心してテンリを見送ることができている。そもそも、甲虫王国には物騒な虫ばかりがいる訳ではない。
それでも、ミヤマは荷物から目を離さずに警戒している。用心することに越したことはないし、なによりもせっかく手に入れたマップを誰かに盗まれたくはないからである。
アマギは余裕な気持ちで少しミヤマは目を光らせてテンリの帰りを待つことになった。しかし、その後、テンリも一筋縄では帰ってこれなくなってしまう。
その頃、ヒリュウは舞台の上にいた。一体、何が起きたのかというと、ヒリュウは『石油の地』を越境してしまい、ここ『劇団の地』という場所ににやってきていた。その名の通り、ほぼ毎日『劇団の地』は劇が行われる土地である。入場料は無料である。
出演者に出演料が支払われる訳でもないので、劇はボランティアみたいなものである。この地では西部劇や時代劇などが行われてちゃんとリハーサルも行われている。
『劇団の地』では20匹程の観衆のいる中で劇が行われていたのだが、舞台にいた主役の男優と運悪く衝突してしまい、その主役、諸共、ヒリュウは気を失っている。
突然、劇の主役であるオスのタイワンオオクワガタが倒れたせいで舞台裏では大騒ぎである。そこへ何も知らないテンリは飛んできてヒリュウを見ると、当然、驚くことになった。
「あれ?ヒリュウくんは気絶しちゃったの?しかも、別のクワガタくんも気絶しているみたいだね?ということははなんだかすごくぼく達は悪いことをしちゃったみたいだね?」テンリは言った。
ヒリュウともう一人のクワガタは衆人環視の元におかれているので、勝手に舞台に上がって、その二匹を救出していいのかどうか、テンリは迷っている。
「おーい!おいおい!そこのコクワガタくんや!ちょっと!」小声で話しかけてきたのはオスのオオエボシカブトである。体長は約44ミリあり、裏方の彼の名はハイルーダと言う。
ハイルーダによって手招きされたので、テンリは大人しくそれに従い、舞台の裏側に回った。そこにはハイルーダ以外にも虫が三匹もいる。全員、彼等は『劇団の地』の従業員だが、一様に困った顔をしている。とりあえず、テンリはハイルーダから用件を聞くことにした。
「とにかく」ハイルーダは断じた。「時間はあまりないんだ。飛んできたクワガタくんとは知り合いなんだったら、君はがんばってこの場をなんとかしてくれ!頼む!」ハイルーダは渡りに船と言わんばかりにして小声で相談をした。ヒリュウと主役のクワガタはその間に『劇団の地』の従業員の虫の手によって舞台の裏側へと運ばれてきた。今のところはヒリュウには回復する兆しは見られない。
「うん。ぼくは別にいいよ。でも、おじさんはなんとかしてくれって言うけど、ぼくは具体的には何をすればいいの?とりあえずは台本を読めばいいのかな?」怖いもの知らずのテンリは聞いた。
「舞台の上には怪獣がいただろう?君はあれを倒してくれ」ハイルーダは指さした。
「え?怪獣さんなんていたかなあ?ああ。本当だ。怪獣さんは確かにいるね。え?」テンリは話の途中で遮られてしまった。ハイルーダはテンリの背中を押して無理やり舞台へと上がらせてしまったのである。
「それでは頼んだぞ!グッド・ラックだ!」ハイルーダはにこやかに言った。
「えー?まあ、ぼくは別にいいや。それじゃあ、ぼくはせっかく忍者になったことだし、ここでは忍術を試してみよう。忍術は怪獣にも聞くのかなあ?」テンリは持ち前の単純さで怪獣との対決を決意した。
怪獣は待ちくたびれて咆哮を上げている。観衆は突然に主役が変わったことについて戸惑いが隠せない様子だったが、なんとか、それは不慮の事故として受け入れてもらえた。
怪獣は恐竜のシャモサウルスのような形をしている。シャモサウルスとは首を守る帯のような鎧や頭骨がとても厚い4足歩行のアンキロサウルス科の鎧竜のことである。
「よーし!まずは『楽者の術』だよ。ぼくは食べると火が吹けたり、冷凍ビームを出せたりする伝説の木の実を持っているんだよ。すごいでしょう?怪獣くんは欲しいかなあ?」テンリは聞いた。
「おれは喉から手が出る程に欲しいガオー!」怪獣はなぜか答えを返してきた。
観衆からは『おー!』という歓声が上がっている。しかし、テンリは術が利いたことよりも怪獣がしゃべったことに対して大きな驚きを感じたが、とりあえずはすぐに気を取り直した。
「それじゃあ、次は『恐車の術』だよ。ぼくは怪獣でも沈んじゃう底なしの沼の場所を知っているから、怪獣くんは戦っても無駄だよ。ぼくはそこまで怪獣くんを誘導すれば、怪獣くんはどこまでもずぶずぶとその沼に沈んじゃってもう二度と上がってくることはできないんだよ。怖いでしょう?」
怪獣は『ガオー!』と言って尻込みをした。観衆からは再度『おー!』という感嘆の声が聞こえてきたので、テンリは満足そうにしている。アマギとミヤマはそこへ飛んで来た。
「おーい!テンちゃんは大丈夫かー?」アマギはニコニコしながら大声で聞いた。ミヤマは劇が開催されている状況を見て尻込みしているが、一切、アマギにはそんなことは関係なしである。
「大丈夫だけど、とりあえず、ぼくのまねをしてあの怪獣を倒すのを手伝って!」柔軟性のあるテンリは提案した。いきなり、アマギとミヤマはテンリにそう言われても少しきょとんとしている。
「言い忘れていたけど、ぼくは忍者戦隊のテンリ・ブルー!」アマギとミヤマに対して説明をしている暇がないので、やむをえず、ポーズを決めながら、テンリは言った。
「おれはアマギ・レッド!」アマギも中々の柔軟性でポーズを取って調子を合わせた。
「それじゃあ、おれはミヤマ・グリーンだ!しかも、エメラルド・グリーン!」ミヤマはそう言うと、自分も、ポーズを取った。特に、そこまで細かく色を指定する根拠はないのだが、そこはミヤマなりのご愛嬌である。アマギとミヤマはすっかりとこの場に馴染んでいる。テンリ達の三匹は適応能力の高さを見せつけた。劇の観客にしてもヒーローが増えたことによって一層の期待を膨らませてくれている。
ミヤマは『これでもくらえ!』と言うと、後ろ向きになって持ってきていたクナイを投げた。ミヤマが投げたクナイは見事に怪獣に直撃した。再び、観衆からは歓声が上がった。
しかし、ミヤマが投げた二本目のクナイについては怪獣も後ろ向きになって自分の尻尾ではたき落すことに成功した。今度は意気揚々とアマギが前に進み出た。
「よーし!最後はおれの忍術で止めを刺すぞー!」アマギは相変わらず元気が一杯である。皆、観衆は食い入るようにして舞台上を見つめている。アマギは素早い動作によって逆さで宙づりのような状態で飛んで行ってゆっくりと怪獣に近づいて行った。アマギは唐突に一回転すると『とう!』と言って角で上からチョップのようにして怪獣の頭に打撃を加えた。
怪獣は『ガ、ガオー!』と言ってやられた振りをして倒れた。その結果、観衆の間ではパチパチと拍手が上がった。こんな感じで適当なアドリブによる即席の舞台は幕を閉じた。
こちらもドタバタの舞台裏に戻ると、ミヤマによってこうなってしまった経緯を聞かれたので、テンリはアマギとミヤマに対して詳細な事情を話すことにした。
「まあ、なんとか、取り繕えたから、いいか」テンリの話を聞き終えると、ミヤマは楽観的に言った。
「そうだな。それに、案外、楽しかったからな」アマギは言った。舞台の裏方の仕事を担当するハイルーダは『あの、君達』と言って話に割って入った。
「あ、いきなり、乱入したりして、ごめんなさい」テンリは相変わらず素直に謝った。
「いや。何をどうすれば、あんなことになるのか、わからないけど、もう、すんだことだから、別に、いいよ」ハイルーダは言った。皆『劇団の地』の従業員は寛容なのである。
「しかも、けっこう、お客さんの受けもよかったしね」怪獣の着ぐるみの中に入っていたメスのケンタウルスサイカブトは言った。隣にいるハイルーダもそれに共感している。
「え?そうかなあ?けっこう、いい加減なところもあったけどね」テンリは言った。
「いや。そうでもなかったよ。ちゃんと筋道だっていたし、お客さんは小学生連れの家族ばかりだから、あんな感じでよかったと思うよ。アドリブにしては上出来だよ」ハイルーダは褒めた。
「やっぱり、物事はなるようにしかならないけど、何とかなるもんだな。ところで、まだ、ヒリュウは目を覚ましていないのか?」アマギはすぐに気になったことを口にした。
「覚ましとるで。しかし、ほんまに、ごめんな。全部、わいのせいやな」当のヒリュウはすまなそうに返事をした。性格は大ざっぱなところもあるが、ヒリュウは仁義のある男なのである。
「いや。別に、そんなことは心配しなくていいよ。そもそも、投石器の発案者はミヤマだし、ヒリュウを飛ばしたのはおれだもんな。おれも悪いことをしたよ。ごめん。それよりも、荷物を預けているから、早く帰ろう」アマギは提案した。少し、ヒリュウは元気になっている。
「そうだな。それじゃあ、失礼しました」礼儀正しく舞台関係者に対して挨拶をすると、ミヤマは忘れることなく舞台で打った大切な二つのクナイを手にすることにした。
ちょうどこの時、ヒリュウが来るまで舞台で主役を演じていたクワガタはパニック状態で意識を取り戻したが、テンリ達の4匹は諸事情の説明はハイルーダを始めとした舞台関係者に任せて飛び立った。気がやさしいので、テンリはハイルーダに対して最後も謝罪の言葉を述べた。
ヒリュウは無茶な提案によって投石器で吹き飛ばされたのだから、怒っても不思議ではないのにも関わらず、恐縮していたが、それはテンリ達の三匹の気持ちがうれしかったからである。
一つ、これからのエピソードについて触れておくと、口コミにより、カブトムシやクワガタの忍者教室の入会希望者が急増するのは今から少し先の話である。忍者教室を卒業したテンリ達の三匹がイバラやサムニを始めとした『忍者の地』の虫達への恩返しができたことは知る由もない。
他の三匹と共に荷物の場所へ帰る間、当の荷物は置き去りで大丈夫なのかと、テンリは聞いたが、ミヤマからは通りすがりの小学一年生のオスのクワガタに見張りを頼んだので、大丈夫であるという答えが返ってきた。それを受けると、ヒリュウは安心した。
確かに、見張りをつけておけば、置き引きは防げるが、やはり、強盗に遭遇していたら、大変なので、少なからず、テンリとアマギとミヤマの三匹は不安感を抱いている。
ミヤマの言葉の通り、テンリ達の4匹が荷物のある場所に帰ってくると、メルシーという名のオスのフェイスタメルシワバネクワガタが待っていた。メルシーの体長は約50ミリである。依頼主の帰宅を見届けると、メルシーは元気よく『お待たせ!』と言った。
「いや。ええって。わいらも今きたところやから、心配いらへんで」ヒリュウは答えた。
「あれ?なんだか、この会話はおかしくない?」テンリは疑問を呈した。
「ああ、確実に、おかしい」ミヤマはヒリュウの適当さ加減に呆れている。
「まあ、何でもいいよ。とりあえず、荷物に異常はなかったか?」アマギは聞いた。
「うん。ずっと、ぼくは荷物から目を離さなかったけど、何も変わったことはなかったっち。それじゃあ、どれにするっち?」メルシーは少しうれしそうにしてはしゃぎ気味の声で聞いた。
「え?どれにするってどういう意味?」テンリは不可解そうにしている。
「見張っていてくれたら、お返しとして何かをあげるって言ったんだよ」アマギは説明を加えた。
「あ、そっか。それじゃあ、何でも好きなものを選んでいいよ。ね?」テンリはアマギとミヤマにも確認した。それを受けると、アマギとミヤマは同意した。まさか、メルシーは『下忍の下』のバッジを欲しがるようなことはないだろうが、今回に限って言えば、テンリ達の三匹は例えメルシーがヌーサンスから譲り受けたマップを選んだとしても上げるつもりである。
「本当?みんな。アンポンタンなんだね?ええとね。それじゃあ、ぼくは栗の置物がいいっち!」少し迷ったような素振りを見せた後、小学一年生のメルシーは元気よく答えた。
「うん。三つあることだし、一つ、上げるぞ!ところで、アンポンタンってなんだ?」アマギは不思議そうにしている。その間、ヒリュウは一人で飛行のシュミレーションをしている。
「ようするに、アホっていう意味だよ。さっきの『お待たせ』の使い方といい、勘違いで使っちゃったんだろうな」ミヤマは独自の解釈を述べた。確かに、ミヤマの見立て通り、荷物を預けていたメルシーは思っていることとは真逆のことをつい口走ってしまう珍しい性分の持ち主である。
「それじゃあ、ありがとうね」メルシーはお礼を言うと、辞去するべく歩き出した。
「いやいや。お礼を言うのはこっちの方だぞ。ありがとうなー!」ミヤマは栗を転がして去って行くメルシーの後ろ姿に対して改めてお礼を言った。テンリはメルシーに対して手を振っている。
「さてと、また、ヒリュウの飛行レッスンを再開するか」アマギは気を取り直して言った。
「いや。そのことやけど、これからはわいが一人でがんばるよ」ヒリュウはそう言うと、そばにあったクスの木の方を向いた。ヒリュウはその木に約一メートルよじ登って行った。
ヒリュウが何をするのか、それはわからないが、テンリ達の他の三匹は黙って見守っている。ヒリュウは意を決したようにしていきなり細い木の枝に向かって飛び降りた。
低いところだと実感もわかないし、格好もつかないので、そこから、ヒリュウは飛行しようとしたのである。しかし、ヒリュウの目論見は大きく外れた。一ミリも飛行できずに、ヒリュウは股を枝に強か打ちつけてしまった。かわいそうなので、見物人のテンリはとても心配そうな顔をしている。
ヒリュウは『はうっ!』という悲鳴を上げた。それでも、地面に落ちることなく保険として確保しておいた枝に逆さにくっついたまま、ヒリュウは痛みによって身もだえしている。
「一体、あれはなんなんだ?大丈夫か?」アマギは不安そうにしている。
「あんな感じでヒリュウだけで練習なんてできるのかい?」ミヤマは疑わしそうにしている。
「もしかして、ヒリュウくんはぼく達を笑わそうとしてわざとボケを演じたんじゃないのかなあ?」テンリは期待も込めて言った。テンリはヒリュウを美化している。
「せ、せや。テンちゃんの言う通りや!よう、わかったな!」ヒリュウはよろよろと地面に降りてきた。
「いや。嘘をつけ!絶対に、あれは事故だろう!」ミヤマはすかさずつっこみを入れた。
「まあ、どちらにしてもこれ以上、みんなの世話になるのはあかん。いつか、必ず、借りは返すつもりやけど、作り過ぎると、返すのに苦労するさかいな。でも、ほんまに、みんなにはお世話になった。改めて言わせてもらうで。大きに、ありがとう!」ヒリュウは真心を込めて言った。
「いや。お礼なんていいよ」ミヤマはなんだか照れくさそうにしている。
心底、ヒリュウはテンリ達の三匹に対して感謝の気持ちを持っている。ヒリュウにとって投石機による先程の大ジャンプはかなりの恐怖体験だった。
しかし、口にするのもおぞましくてできないのだが、ヒリュウはなんとなくあの体験によって飛行のためのコツを掴んだような気になったのもまた事実である。
「だから、もう、みんなはアルコイリスを目指すとええ」ヒリュウは穏やかな口調で言った。
「そうか。ちゃんと次に会う時は飛べるようになっているといいな」アマギはニコニコしている。
「ああ、アマちゃんの言う通り、次に会う時までにはしっかりと飛べるように練習しとくさかい、そのことに関しては何も問題はあらへんで。しかも、わいのニックネームはスカイ・ウォーク・マンになっているかもわからへんで。必ず、わいは進化するんや」ヒリュウは決心に満ちた顔をしている。
「うん。そうなるといいね?陰ながら、ぼく達も応援しているよ」アマギの角にふとんを繋ぐ紐を結びつけながら、テンリはヒリュウを元気づけるようにしてやさしく言った。
「紐を結んでくれて、ありがとう。テンちゃん。それじゃあ、元気でな。ヒリュウ」アマギは言った。
ようやくアマギの角に紐を結ぶテンリの作業は終わったので、いよいよ、テンリ達の三匹はヒリュウとお別れをすることになった。テンリは少し寂しそうである。
「無理しない程度に飛ぶ練習をがんばれよ!いつか、また、会おう!」ミヤマは言った。
「またね。バイバーイ!」テンリは手を振ってそう言うと、他の二匹と共に歩き出した。
「わいもみんなの旅の無事を祈っているで!気いつけて行ってくるんやでー!」ヒリュウは去って行くテンリ達の三匹の背中に向かって最後に励ましの言葉を述べてくれた。
テンリ達の三匹はヒリュウともお別れを告げた。無論、テンリ達の三匹はヒリュウとの別れを悲しんではいるが、また、ヒリュウに会えることを楽しみにもしている。
ウルスとロングとの抗争→ヌーサンスとの駆け引き→『劇団の地』での事件、ヒリュウにとって今日はドタバタしているが、やはり、一番の思い出はテンリ達の三匹と出会えたことである。
ウルスとロングとの戦いで助けてくれたこと、ケガを治してくれたこと、飛行の練習に付き合ってくれたこと、ヒリュウはテンリ達の三匹に対して恩ができた。
早速、どんな恩返しがいいか、ヒリュウは考え始めている。その後、ヒリュウはテンリ達の三匹に対してすばらしい恩返しをしてくれることになる。
テンリ達の三匹はアルコイリスを目指してどんどんと歩き続けた。スコールのような雨にも負けず、風にも負けず、小刻みに休憩を挟みながら、テンリ達の三匹は歩いて行った。テンリ達の三匹はすでにヒリュウの家がある『石油の地』を通り抜けている。
その道中において一つテンリ達の三匹には発見したことがあった。ヌーサンスから、不良品を物々交換してしまったお詫びとしてもらった地図はただの地図ではなくて『魔法の地図』であるということである。それ故、その地図は現在地が点滅して表示されたり、拡大縮小ができたりするのである。
ヒリュウと別れてから、三日目の夕刻、話し合いの結果、行きたいところがあったので、テンリ達の三匹はアルコイリスまでのコースを一時的に外れることを決定した。
一体、どこへ向かおうというのかというと『浜辺の地』という場所の先にある海である。進行方向から左折して地図を見ながら、道を間違えないように、テンリ達は進んで行った。そのかいあってテンリ達の三匹の目の前にはお目当てのものが見えてきた。
「おお、着いたー!これが海っていうやつか!海は広くて大きいな!青いな!おれも泳ぎたいな!あはは、それは無理か」瞳をキラキラさせながら、アマギは言った。
「テンちゃんは溺れないようにな」ミヤマは注意した。『危険の地』においてはしゃぎすぎてしまい、テンリは池の中に落ちて溺れてしまったことがあったからである。
「うん。ぼくは細心の注意を払うようにするよ。だから、安心してね」テンリは言った。
「わかった。確かに、テンちゃんなら、大丈夫だろうな。よーし!それじゃあ、一番、乗りはおれだー!ひゃっほー!」ミヤマはそう言うと、先陣となり、羽を広げて海に向かって飛んで行った。ミヤマは海を前にして完全にハイ・テンションになっている。
「おいおい!ミヤマ!テンちゃんには注意しといてそのはしゃぎっぷりで大丈夫か?」アマギは危惧するように言った。しかし、そんな忠告もミヤマの耳には届いていない。
「おーい!テンちゃんとアマも見てみろよ!これがあの有名な海の波っていうやつだよ。水が近づいてきたり、離れて行ったりするよ。おもしろいだろう?」すっかりと波打ち際に佇んでいるミヤマは感激した様子である。全員、テンリ達の三匹は初めて海を目にしたのである。
「へー!すごいな!おもしろいな!しかも、大きいな!ところで、テンちゃんは見に来ないのか?」アマギは問いかけた。テンリは一匹だけ海から距離を置いている。
「また、溺れて迷惑をかけるようなことにならないかなあと思って離れているの」テンリはしんみりとした口調で言った。テンリはいつにもましてナイーブになっている。
「そんな心配はいらないって!もし、溺れちゃってもミヤマがあっという間に助けてくれるよ!」アマギは淡々と言った。アマギはいつもの通りどんな時でも大らかである。
「え?おれが助けるのかい?」少し海に浸かりながら、ミヤマは確認するようにして聞いた。
「なんだ?嫌なのか?まさか、嫌な訳ないよな?」アマギは詰問している。
「もちろん、嫌じゃないけど、ということは、アマは助けないのかい?」ミヤマは聞いた。
「おれも助けるよ。でも、ミヤマの方がこのことに関して言えば、プロフェッショナルじゃないか」
「いや。別に、プロフェッショナルっていう訳でもない・・・・」ミヤマは言いかけた。
「もし。お三方は旅の者かのう?」突然、男性の声が聞こえてきた。テンリ達の三匹はいきなり呼びかけられて一斉に声のした方を振り向いた。そこには年老いた老人のヤドカリがやってきていた。当然、その彼はヤドカリなので、巻貝の殻を背負っている。ヤドカリは成長して大きくなると、貝殻を取り変える。ヤドカリにはアナジャコやカニダマシなどと言った貝殻に入らない種類も存在する。
「うん。おれ達は旅をしているんだぞ。しかし、珍しい虫もいるんだなー。それで一体じいちゃんは何ていうクワガタなんだ?」ヤドカリをじろじろと見ながら、アマギは質問をした。
「いや。アマ。クワガタじゃない。この生き物は・・・・」また、ミヤマは言いかけた。
「わしの名は・・・・ビー、ビービ、バーバ♪ブーブ、ブ、バーバ♪カンチよくワガタじゃ」節をつけて歌いながら、ヤドカリは乗り乗りのままいけしゃあしゃあと言ってのけた。
「って、なんだ!そりゃあ!もはや、意味不明だよ!」ミヤマはつっこみを入れた。
「おじいさんにはテーマ・ソングみたいのがあるんだね?」テンリは無邪気に言った。
「本当だな。けっこう、格好いいなー!」アマギはすっかりと騙されている。
「いや。言わせてもらえるのなら、カンチョーが入っている時点で格好よくないし、そんなクワガタは聞いたことないし、どこからどう見てもじいさんはヤドカリじゃないか!」やっと、ミヤマは核心を突いた。ミヤマはクナイやおまるを知っているだけあってヤドカリを知っていたのである。
「ふーん。おじいさんはヤドカリだったのか。ぼくは初めて見たよ。中々、ヤドカリさんって格好いい生き物なんだね?」波打ち際から岸の方へ歩き出しながら、テンリは言った。
「ところで、じいちゃんはここで何をやっているんだ?」アマギは聞いた。
「わしか。わしはその・・・・はて?何をやっておったんじゃろうか?」ヤドカリはとぼけている。
「ずいぶんと適当だな。おれ達に話しかけてきたっていうことは何か言うことがあったんじゃないのかい?まあ、重要なことかどうか、そこまではわからないけど」ミヤマは言った。
「は?なんだって?」突然、ヤドカリは大きい声を出して言葉を聞き返した。
「おれ達に何か言うことがあったんじゃないのかい?」再び、ミヤマは聞いてみた。
「は?なんだって?」また、ヤドカリは聞き返した。長くなるので、以下は思い切って大鉈を振るって省略することにする。耳の遠いヤドカリが同じことを際限なく聞き返してそれに対してミヤマは粘り強く答えるというやりとりが続いて行った訳である。
ミヤマのがんばっている間、テンリとアマギの二匹は海の水を『バシャ!バシャ!』して遊んでいる。いい加減、ミヤマもうんざりしてきたところで不意に今度は砂浜の中から誰かの声がした。
「やあ!じいさまにてこずっているみたいだね?」今度の声の主も男性である。
「お、今度は何クワガタが現れるんだ?」また、アマギは興味津々で聞いてみた。
何が飛び出してくるのか、テンリは楽しみにして待っている。ただし、ヤドカリとのやり取りに疲れたので、別に、ミヤマは何でもよさそうである。ある生物が砂浜から飛び出してきた。
「ぼくはキンセンガニだよ」砂から出てくると、カニは答えた。今、現れたカニは甲の幅が約4センチである。形は全体としてほぼ円形であり、平らな甲は淡黄色の地にあずき色の小点がある。
「ぼくはカニさんも初めて見たけど、すっごく格好いいんだね?」テンリはすっかりと感激した様子である。アマギは出てきたのがクワガタじゃなくてがっかりしてしまっている。
「そうかい?それは、どうもありがとう」カニは悪びれもせずに照れた。
「カニさんは横歩きしかできないって本当なの?」テンリはここぞとばかりにしてカニに聞きたかったことを聞いてみることにした。アマギとミヤマは興味深そうにしている。
「うん。そうだよ。ただし、目が回ると、文字通り、前後不覚に陥ってほんの少しだけ前に歩ける時もあるんだよ」カニはなぜか誇らしげにして胸を張って説明をしてくれた。
「カニといえばあれだよな?鶴は千年、亀は万年、蟹は億年だよな?」アマギはそんなことを言い出した。さっきのショックからとっくのとうに、アマギは完全に立ち直っている。
「いや!そんなのないない!聞いたことないぞ!」当然、ミヤマは指摘をした。アマギは衝撃の事実を聞いて硬直してしまった。アマギはこの話をモウギという名の父から聞いていたのだが、けっこう、アマギの父もいい加減な性格なのである。それでも、テンリは何かを学習した。
「へー。そうなんだ。あ、ミヤマくん。話があったんだよね?ごめんね。ぼく達が話を遮っちゃたね」テンリは申し訳なさそうにしている。やはり、テンリはやさしい。
「いいや。いいよ。それでおれ達は旅の者だけど、カニくんにはヤドカリのじいさんが言いたかったことが何かわかるかい?」ミヤマはテンリからもらい受けた話の主導権を使って聞いた。
「うん。たぶん、わかるよ。じいさまは最近に起きた海賊による身の毛もよだつ誘拐事件について言いたかったんだと思うよ」カニは何でもないことのようにしてさらっと怖いことを言ってのけた。
テンリは『海賊?誘拐?』と言っていきなり飛びだした危なっかしいワードによって頭が混乱した様子である。ミヤマは動揺しているが、当然、アマギは全く動じていない。
「うん。ついこの間の話なんだけどね。ぼくとじいさまはクワガタのオスが二匹も海賊に襲われて強制的に連れ去られて行くところを目撃したんだよ。最初、一匹だけが連れ去られそうになってそれで海賊達も満足して帰ろうとしていたんだけど、運悪くもう一匹も海賊達の前に姿をさらしてしまったんだよ。不運としか言いようがないね?確か、後で捕まった方のクワガタくんはニーヤと呼ばれていたよ。海賊に捕まってしまった片方のクワガタくんはニーヤくんと言うんだね?じいさまはそういったことを言いたかったんだと思うよ。そうだよね?じいさま」カニは確認した。近くに住んでいるので、カニとヤドカリは気心が知れているのである。阿吽の呼吸というやつである。
「は?とんでもねえ。わしはカブトムシだよ」ヤドカリは奇想天外なことを言い出した。
「え?一体、何の話だ?」当然のことながら、アマギは聞き返した。
「いや。気にしないでおくれ。じいさまは耳が遠いだけじゃなくて聊かボケちまっているんだよ。どうしようもないことだね」いつものことなので、カニは動じていない。
「それはいいとしてこう言っちゃなんだけど、君達はクワガタが拉致されているシーンを見ていながら、指をくわえて見ていたということかい?」ミヤマは追及した。
「そう思われても仕方ないかもしれないけど、こっちサイドはじいさまのヤドカリが一匹、飛ぶこともできないし、武器と言ったら、この両手にある小さなハサミくらいの一介の無力なカニが一匹だけだったんだ。これじゃあ、どうすることもできなかったよ」カニは肩を落とした。
「ああ、そうか。ごめん。愚鈍なことを言っちゃったな」一度、ミヤマは自分の額を軽く叩いた。
「いいや。いいんだよ。でも、そういうことだから、君達も細心の注意は払っておかないと危険だよ。別に、脅かすつもりはないんだけどね」カニは遠慮がちながらもちゃんと注意を促した。
「どうしよう?もう少しここで遊びたかったのにね?」テンリは不安そうにしている。
「いや。何も心配いらないって!大丈夫だよ!おれは強いから」アマギはあっけらかんとしている。
「腕っ節には自信があるようだね?ただ、多勢に無勢とも・・・・」カニは言いかけた。
「あー!あれはなんだ?」遠くを仰ぎ見ながら、突然、アマギは大声を出した。
「ああ、あれのことか。あれはサーフ・ボードだよ」慌てて気を取り直すと、カニは急いで答えた。確かに、よく見れば、砂浜にはサーフ・ボードが突き刺さっている。
「サーフ・ボードってサーフィーをする道具のことでしょ?」テンリは聞いた。
「そうじゃよ。わしらもよくあれで遊ぶんじゃい」ヤドカリは久しぶりに話に入ってきた。
「へー。じいさんもできるのか。やって見せてくれるかい?」ミヤマはお願いした。
「任せんしゃい」ヤドカリはそう言うと、一度、胸を叩いてサーフ・ボードを取りに行った。
「ねえ。あのヤドカリのおじいさん。本当にサーフィーなんてできるの?」テンリは不安そうにしている。少し、テンリは失礼な質問かとも思ったが、ヤドカリの身の安全を優先した。
「さあ。前はできていたけど、最近はどうかな?」カニは曖昧な答えを口にした。
「なんだ?そりゃ!ずいぶんと適当だな」ミヤマはコメントした。また、自分はライフ・セイバーの役割を果たすことになるのだろうかと思い、ミヤマはひそかに気を引き締めた。
そんなことを言っている内に、ヤドカリはサーフ・ボードに乗ってできるだけ遠くの沖へ行こうとしていたが、あまり前に進めないので、近場で妥協した。
いよいよ、波乗りということになったので、全員、テンリ達の三匹はヤドカリに注目をした。しかし、ヤドカリはボードに乗るや否やそのまま真っ逆さまになって転倒した。
「あーらら、やっちゃったな」アマギはのん気な口調で言った。しかし、そこからはすごかった。ヤドカリは足で水をかいて波の勢いも借りてけっこうなスピードで岸まで泳いできた。ヤドカリを羨望の眼差しで見ようとしたが、瞥見してみると、テンリ達の三匹は一斉に喫驚した。
「わあー!出たー!怪物だー!海草の妖怪だー!」テンリは代表して声を上げた。
ヤドカリには昆布がぐるぐる巻きになってくっついていたのである。ヤドカリは労せずして昆布刈りをやって見せた。こんなもの食べられないが、見事な昆布巻だなと、ミヤマは思った。
「とんでもない。わしはゾウムシじゃよ」ヤドカリの老人は相変わらずすっとぼけている。テンリはヤドカリの体についた昆布を取り払う作業を手伝うことにした。
「ところで、どうじゃった?わしのサーフィングは中々のものじゃろう?」粗方の昆布を取り払うと、なぜか波乗りに失敗してしまったはずのヤドカリは自信満々な口調で言った。
「まあ、失敗するんじゃないかと予想はしていたけど、むしろ、サーフィングうんぬんよりもスイミングの方が断然すごかったよ」一応、ミヤマは白々しくも褒めておいた。
「次に誰かチャレンジしたい虫さんはいるかい?」カニは唐突に聞いてきた。
「おれはやりたいぞ!」アマギは暴虎馮河にもいの一番に挙手をした。
「えー?あれを見てやるなんてアマは勇気があるな!」ミヤマは思わず感激の声を漏らした。
「まあな。おれはフロンティア・スピリットの持ち主なんだ」アマギは誇らしげに言った。
「へー。そうなんだ。アマくんってやっぱり格好いいね?」テンリは手放しで褒めた。アマギはテンリによって荷物と繋がった紐を解いてもらって続いてサーフィングを初挑戦することになった。
アマギはヤドカリが海にほっぽり出してきたサーフ・ボードを持って帰ってくるところから始めなければならなかった。その作業はスムーズに終わり、早速、アマギはヤドカリのまねをしてサーフ・ボードに乗ってみることにした。しかし、結論を先に言えば、前評判むなしくアマギも転倒して溺れることになった。
当然と言うべきか、救助にはミヤマが向かった。テンリはサーフ・ボードを持って帰ってきた。その結果、アマギは幸いにも無事な姿で帰ってこれた。テンリ達の三匹は海の恐ろしさを十分に実感したのだが、それでも、久しぶりのエンターテインメントだから、テンリ達の三匹はサーフィンを続行することにした。順番をローテーションで回してサーフィンをして溺れると、誰かが助けるというパターンまでもローテーションして、テンリ達の三匹はそれなりにサーフィンを楽しんだ。途中であまり遠くへ行きすぎると、危ないということがわかったので、テンリ達の三匹はなるべく浅瀬でサーフィングを行うことにした。テンリ達の三匹がちゃんと一回以上はボードの上に乗れるようになると、サーフィングはお開きになった。
「もうこれから君達は森の中へ戻るのかい?」カニは聞いてきた。現在、休憩を取りながら、テンリ達の三匹は砂浜に佇んでいる。まだ、ヤドカリはこの場にいる。
「いや。このまま、しばらくはこっちの海沿いを歩いて行こうと思っているんだ」浜辺を指差しながら、アマギは答えた。テンリとミヤマも同意見なので、特に口を挟まなかった。
「それなら、警戒した方がいいかもしれないね。この先を進むと、海賊船が何隻も停泊しているっていう噂なんだよ」カニはノーマルな話題を持ち出してテンリ達に対して新たな情報を与えてくれた。
「ふーん。それなら、都合がいいや。一度、海賊船っていうやつを見てみたいからな」いつでもポジティブなので、アマギは海賊に対して全く今回も怖じ気づいたりはしていない。
「うん。アマくんが一緒なら、百人力だもんね?」テンリは無邪気に喜んでいる。
「確かに、そうだな。それに、見るだけなら、大丈夫だろう」ミヤマは楽観的である。
「それじゃあ、くれぐれも気をつけて行くんだよ」カニは穏やかな言葉つきで言った。
「ああ、わかったよ。カニくんとヤドカリのじいさんも元気でな」ミヤマは言った。
「おれ達のことを心配してくれて、ありがとうな」素直なアマギは謝意を表した。
「サーフィンをやらせてくれて、ありがとう。それじゃあね、バイバーイ!」テンリはそう言うと、アマギとミヤマの二匹と共に歩き出した。カニは右のハサミを上げてそれに応えている。
「え?おーい!わしを置いて行かないでくれー!」突然、ヤドカリはわめき出した。
「ああ、そうだった」アマギはそう言うと、慌てて後ろを振り返った。
「そうだったってボケに対してボケ返しか!」ミヤマはつっこみを入れた。テンリ達の三匹とヤドカリが同行するなどという約束は一切していなかったのである。
「おじいさんもぼく達と一緒に行きたいのかなあ?」テンリはやさしい口調で言った。
「テンちゃんは相変わらず考え方がやさしいな」ミヤマは褒め称えた。
テンリ達の三匹はすっとぼけたヤドカリの老人に対して状況の説明をすることになったが、やっと、事情をのみ込むと、ヤドカリもお別れの言葉を投げかけてくれた。
一度、お別れの言葉を述べたから、少し恥ずかしかったが、改めてカニとヤドカリに対して言葉をかけると、テンリ達の三匹は今度こそこの場を離れることになった。
テンリ達の三匹のことを本当に思いやってくれているので、どうか、テンリ達の三匹が海賊に遭遇しませんようにと、やさしい性格をしているカニは願った。しかし、その後、その願望は当てが外れることになってしまう。それがテンリ達の三匹の運命だったのである。
約20分、テンリ達の三匹は海道を歩いて行った。『浜辺の地』は広いので、まだまだ、道は続いているが、今のところ、テンリ達の三匹も海賊は見かけていない。
テンリ達の三匹は間もなく港で大小様々な5隻の船舶を発見した。これこそカニの言っていた海賊船である。しかし、今は幸いにも辺りに海賊の姿はない。
全てここにある船の種類はバラバラである。喫水が浅くて長いヴァイキング船、一本のマストに大きな三角帆を持つダウ船、船体の中央を支える竜骨がないジャンク船、三本のマストが備わっていて丸みを帯びたキャラック船、一番に小さな筏といったものがある。
「おー!すっげー!格好いいー!」アマギは感動のコメントを述べた。
「こんなのに乗って航海できたら、さぞかし楽しいだろうな?」ミヤマは感慨深げである。
「少しぐらいなら、乗っても怒られないかなあ?ん?うわー!何か飛び出てきた!」テンリは思わず声を上げた。突然、体長、二センチ程のオスのホソハマトビムシが出現したのである。
「なんだ?何クワガタだ?」また、アマギは性懲りもなく聞いた。
「クワガタじゃない。これはハマトビムシだよ。アマ」ミヤマは教え諭した。やはり、ミヤマは博識なのである。テンリはミヤマの整合性の確かさについて尊敬の眼差しを向けている。
普通、今、現れたホソハマトビムシのようにしてハマトビムシとは海岸で見られる生き物だが、熱帯や亜熱帯の地域では内陸の湿った落ち葉の下などにも住んでいる。
「どうだった?わちきのジャンピングは」ハマトビムシはそう言うと『ピョン!ピョン!』とそこいら中を飛び跳ね回り始めた。名前の通り、ハマトビムシはジャンプが得意なのである。
「ははあ。中々、大したもんだな」ミヤマはすっかりと感心した様子である。
「よし!その一言で気に入った!一つだけこの船の中で好きなのを使ってくれていいよ。これは全部がわちきのものだから。今回ばかりは出血覚悟の大サービス!好きなだけ乗り回しなさい!」ハマトビムシは太っ腹な発言をした。それを受けると、テンリは衝撃の事実についてびっくりしている。
「何ー!それは本当か?それじゃあ、これにしよう!早速、荷物を積み込もう!」アマギはそう言うと、桟橋を超えてヴァイキング船に荷物を運び始めた。テンリは無言で固まってしまっている。
「おいおい!さっきのセリフは本当なのか?もし、嘘だったら、本物の持ち主にどんな仕打ちをされるかはわかったもんじゃないぞ!やめた方がいいんじゃないかい?」ミヤマは危惧している。
「ケヒヒ、よくわちきの顔を見てごらん。これが冗談を言っている顔に見えるかい?」ハマトビムシにそう言われると、テンリとミヤマの二匹はハマトビムシの顔を覗き込んだ。
「はっきりと言ってちょっとにやけていないかい?おい!アマ!どう考えてもやっぱり止めにしといた方がいいんじゃ・・・・」ミヤマは妨害によってそこまでしか言えなかった。
「おい!お前ら!一体、何をやっているんだ?」森の方から女性の誰かの声がした。
「わー!本物の海賊が来たー!やっぱり、ハマトビムシが船なんか持っている訳なかったんだ!連れ去られるぞ!逃げろ!アマとテンちゃん!」ミヤマはそう言うと、砂浜の中に潜り込んでしまった。
「ケヒヒ、全部、今までのことは嘘だぴょーん!知ーらんぴっぴ!それじゃあ、バイならー!」コミカル、かつ、リズミカルにそう言うと、ハマトビムシはすたこらさっさと逃げて行ってしまった。先程、現れたのはアスカという名のメスのテルシテスヒメゾウカブトである。海賊と言えば、てっきりと男かと思っていたテンリは現れたのが女性だったので、少し意外そうである。人間界おいてゾウカブトの角には幸せを招く力があるという言い伝えがある。一部の地域のアクセサリー店では加工されたゾウカブトの角が売られることがある。とはいえ、今、現われたアスカという名のゾウカブトはメスなので、角は生えていない。
「まさか、船に触ったりはしていないだろうな?」アスカは勝ち気そうな声で聞いた。
「ええと、触ってないって言いたいけど、触っちゃった。ごめんなさい」テンリは謝った。
「まあ、素直に謝ってくれたから、許すとしよう。もっとも、触るだけなら、別に、構わないからな」アスカは意外と寛容である。念のために言っておくと、しゃべり方はボーイッシュだがアスカは、間違いなく女性である。アスカは男らしい女なのである。
「ごめんなさい。おれは船に乗っちゃたけど、謝ったから、許してくれるか?」格別、アマギは怖じ気づくこともなく船の上から言った。テンリは不安そうな顔をしている。
「何?乗船したのか?まあ、いい。とりあえず、降りてこい」アスカは指示を出した。
「なあ。船を貸してもらいたいんだけど、ダメかなあ?」素直に下船すると、アマギは単刀直入に聞いた。どんな答えが返ってくるのか、テンリは少し期待を持っていたが、アスカは『ダメだ!』と鋭く言い放った。アマギはしょんぼりしてしまった。それは冷たくされたからではなくて、当然、アマギは船に乗れるものだと思っていたからである。テンリはそれを見てアマギをかわいそうに思った。
「ぼくはテンリだけど、君は?」今度は落ち込んでいるアマギを横目にしてテンリが聞いた。
「私はアスカだ。私はここで女海賊をやっている」アスカは説明をしてくれた。
「え?それじゃあ、ぼく達のことを捕まえたりするの?」テンリは聞いてみた。
「いや。そういうことはしない。だが、その前に、バレバレの隠れ方をするなー!」アスカはそう言うと、持っていた棒を使ってミヤマを砂浜から取り出した。先程のハマトビムシよろしくミヤマは飛び出てきた。テンリは大人しくしてその一部始終を見つめている。
「や、やあ!おれはミヤマ!よろしく!おれ達のことを捕まえたりしないっていうのは一体どういうことだい?」起き上りながら、ミヤマは何事もなかったかのようにして質問をした。
「簡単に言えば、甲虫王国に海賊行為を許されているからだ」アスカはさらっと受け答えをした。
「海賊行為は許されているけど、誘拐はしちゃいけないの?」テンリは聞いた。
「そういうことだ。言うなれば、私達は私掠船のクルーだ。民間船ではあるが、私掠勅許状を与えられているので、甲虫王国の敵対勢力や無法者を拿捕するということを約して海賊行為を奨励されているんだ」アスカは言った。アスカは基本的に悪事をしない海賊なのである。
「そうなんだ。それじゃあ、どれもここに並んでいる5隻はその私掠船っていういい船なんだね」テンリは合点が入った様子である。テンリはアスカに対して好印象を持った。
「いいかどうか、それは難しいところだが、大筋ではそんなところだ」アスカは少し戸惑いがちに答えた。一応、航海に出ると、アスカも物を盗むことがあるからである。
「あの、一つ、質問してもいいかい?」手を上げながら、ミヤマは聞いた。
「何だ?まるで奥歯にものが挟まったような言い方だな」アスカは言った。
「ひょっとしてあの筏も海賊船なのかい?」ミヤマは恐る恐る聞いてみた。
「もちろんだ。今さっきそう言っただろう?」アスカは念を押した。
「えー?そうなのかい?何かイメージが崩れるな。海賊船ってどれもこれも他の4隻みたいにして大きいものばっかりなのかと思っていたけど、本当はこんな船でも海賊船の名を語れるのかい?」卒倒せんばかりにして驚きながら、ミヤマは言った。テンリは無言である。
「バカを言うな。これは筏でさえも年長者の知識を結集して作られたありがたい代物なんだぞ!どれもどこからどう見ても格好いい海賊船ばかりじゃないか!」アスカは先唱した。一応、問題の筏にも船外機という小型のエンジンを搭載しているので、地味に優れものである。
「そうかな?まあ、そうか。テンちゃんはどう思う?」ミヤマは話を振った。
「ぼくは筏も海賊船でいいと思うよ。アマくんもそうだよね?」今度はテンリが話を振った。当のアマギは『出航だー!』と言って大声を出している。アマギの方を見ると、ミヤマは大物女優のスキャンダルを聞いたかのようにして驚くことになった。テンリとアスカとてそれは同じである。
アマギは錨を上げてヴァイキング船を出している。アマギはさっきから出航の仕方を自分なりに解析して珍しく答えに行き着いていたのである。
「おーい!あいつは何を勝手にやっているんだー!」アスカは思いっきり叫んだ。
「わーい!ぼくも船に乗せてよ!アマ船長!」船の方へ飛んで行きながら、テンリは言った。
「おい!待て!勝手なことは許さないぞ!」アスカはそう言うと、船の方へ飛んで行った。
「しばらく姿が見えないと思っていたら、そういうことだったのか。全く、アマは相変わらずのトラブル・メーカーだな」ほとほと呆れるといった顔つきをしながら、ミヤマもテンリとアスカの後に続いた。アマギがいるところには何かしらの事件が起こるようになっているのである。
「あれー?バレた!なんでだ?こっそりと出航したはずだったのに!」アマギは驚嘆している。
「普通、あれだけの大声を出せば、バレるに決まっているだろう!」ヴァイキング船に到着するなり、アスカはぴしゃりと言った。今、テンリとミヤマも続々と船に到着している。
「仕方ない。それじゃあ、テンちゃん。栗を一つアスカさんに上げてもいいか?」アマギは聞いた。アスカにくりを上げることによって乗船を許可してもらおうという魂胆である。
「うん。別に、ぼくはいいよ」テンリはそう言うと、アスカに期待に満ちた瞳を向けた。
「テンリくんはよくても私はダメだ!船は貸さない!」アスカはつっけんどんである。
「仕方ない。これだけは使いたくなかったけど、伝家の宝刀だ!」アマギはもったいぶった口調で言った。アマギはちゃんと珍しくも奥の手を持っていたのである。
「ほう。一体、何をする気だ?力づくか?」アスカは全く動じていない。
「いや。違うよ。ミヤマ。アスカさんに色じかけだ!」アマギは最後の手段を口にした。
「え?やるの?別に、おれはいいんだけど。ね~え~!あなた~!お願~い!うふ!」身をくねらせながら、ミヤマはそう言うと、最後に投げキッスをした。テンリは茫然としている。アマギは『おえー!』と言って吐き気を催した。それを受けると、ミヤマはショックを受けている。
「そんなものが通用するかー!よしんば、通用するとしても私は純粋な乙女だ!話し方が男っぽいからって勘違いするな!」アスカは怒っている。男扱いされると、アスカは怒るのである。
「まあまあ、落ち着いてアスカさん」とりあえず、ミヤマは宥めにかかった。
「って、誰のせいで取り乱したと思っているんだ!」当然、アスカは苦情を申し立てた。
「それよりも、おれの演技はどうだった?かなりうまいだろう?テンちゃんはおれの演技の才能のことを知らないものな?」ミヤマは全くアスカの苦情には気を害した様子もなく聞いた。
「うーんとね。うん。どっちかというと、メスっぽかったよ」テンリは答えた。
「なんだか、微妙な感想だな。まあ、でも、ありがとう」ミヤマはお礼を言った。
「仕方ない。次の作戦だ!ミヤマのダンスを見てすばらしかったら、船を貸してくれ!」アマギは提案した。珍しくアマギにはポンポンと作戦が頭に浮かんできている。
「見るだけは見てやろう」アスカはそう言うと、棒を持っていない方の手を腰に当てた。
「って、また、おれがやるのかよ!まあ、いいや。レッツ・ダンシング!」ミヤマはそう言うと、やけくそ気味にして約30秒の簡単なサンバのダンスを披露した。ミヤマはさらにサービスとしてドジョウすくいも演じてみせた。ミヤマにとっては相変わらずステージ・ダンスのつもりである。
「今のは何だ?まるで幽体離脱した魂が行く当てもなくさまよっているみたいだな」ミヤマのダンスが終ると、早速、アスカは真顔で言った。それを受けると、アマギは笑みを浮かべた。
「ガーン!よくわからないけど、変なけなされ方をされた」ミヤマは落ち込んでしまっている。
「ねえ。ぼく達は忍者教室で下忍になったんだよ。ほら。でも、ダメかなあ?」忍者教室でもらった『下忍の下』のバッジを見せながら、テンリは必死な口調で聞いた。アマギだけではなくてテンリとミヤマも海賊船で航海をしてみたいと思っている。一度、アスカは吐息をついた。
「仕方ない。もう、船は出してしまっていることだし、みんなの熱意もわかったから、船の使用を許可しよう」アスカは好意的な宣言をした。テンリ達の三匹にとって歓喜の瞬間である。
「本当か?やったー!」アマギは思わず歓声を上げた。テンリもうれしそうである。苦労の末、テンリ達の三匹はついに船のチャーターに成功したという訳である。
「そもそも、ちゃっかりと荷物の積み込みも終えているみたいだしな。航海する気も満々みたいだし、中々のしたたか者じゃないか」アスカは意外にも褒めてくれている。
「ああ、それはハマトビムシとかいうのに騙されたんだよ」アマギは説明をした。
「そうなのか?まあ、何でもいい。それよりも、これは重要だから、よく聞くんだぞ!乗船の許可はするが、私が船長として指示を出す!何があってもそれを絶対に守ること!いいな?」アスカにそう言われると、当然、文句はなかったので、テンリとアマギは順々に返事をした。
「ミヤマくんはどうした?返事がないぞ!」アスカは鋭い口調で言った。感情のイレギュラーな男であるミヤマは押し黙ったままである。それを受けると、アマギは面倒くさそうな顔をしている。
「たぶん、ミヤマくんはせっかくのダンス・パフォーマンスが空振りに終わって落ち込んじゃったんだよ。大丈夫?ミヤマくん」他人を気づかうことのできるテンリは聞いた。
「ああ、大丈夫。アスカさんの指示には従うよ」ミヤマはしおしおと力ない声で言った。
「進路のことだが、みんなはどこへ行きたい?やはり、人間界か?」アスカは聞いた。それを受けると、テンリ達の三匹はすぐに合意した。
「よし!それなら、決まりだ!目的地は人間界だ!」アスカは決断した。
まだ、聞いていなかったので、アスカは改めてアマギの名を聞いてクルーの命を守るという大役について十分に再認識をして気を引き締めることにした。
「向こうに着いたら、逐次、点呼を取る!これは口を酸っぱくして言うが、船長である私の指示には絶対に従うこと、もし、異常事態が発生したら、すぐに私に連絡を取ること、いいな?海賊には特別なライセンスは求められない。だが、みんなは海賊としては初心者だ。それなので、今回、海賊として奪い取るターゲットは人間の食べ終わったスイカとしよう!一番、私にはそれが無難だと思えるからだ。それに、私はスイカが海辺のくず籠の中にごろごろとある穴場を知っている。それを得られれば、ミッションは完了だ!そこで忘れてはならないのが人間界に行くことには危険も伴うということだ!特に、人間に捕獲されてしまったら、脱走できるチャンスは皆無に等しい。これも重要なことだが、二足歩行はしないこと、本来、甲虫王国の虫にしか、二足歩行はできない芸当だ。そんなところを見られたら、一発で人間のターゲットにさせられてしまう。よく以上の注意事項を肝に銘じて置くんだぞ!」アスカはリード・オフ・マンとして長々と訓示を述べた。ミヤマは敬礼をしている。
「はい!アスカ船長!」テンリは自分なりに恭しく気を引き締めて返事をした。
「人間界までの到着時間は後どのくらいなんだ?」アマギは聞いた。
「諸事情によって変化するが、およそ三日後だ」アスカは戸惑うことなく答えた。
「へ?そんなにかかるのかい?」ショックから立ち直っていたミヤマは聞き返した。
「何だ?何かの予定でもあるのか?」アスカは詰問口調で聞いた。
「いや。別に、急ぐ旅ではないけど、食料は?途中で停泊するところでもあるのかい?」ミヤマは聞いた。ミヤマは割としっかりしているので、テンリは感心している。
「ない!だが、食料なら、船室にうんとあるから、心配はいらない」アスカは解答を口にした。
「えー?本当か?それじゃあ、早速、晩ご飯にしよう!」アマギはそう言うと、脇目も振らずに、大急ぎで船内を駆けて行ってしまった。アマギは相変わらず食い意地が張っている。
今夜、テンリ達の三匹はアスカと共に贅沢な食事を味わうことになった。船内には人間界から持ち帰ってきたリンゴと黒糖のゼリーが蓄えられていた。
外ではこの船の帆と旗がはためいている。フラグは無地ではなくて左の矢印が描かれている。アスカは『西の海賊』という団体の一員なので、それはウエストを意味している。これは海賊旗というよりもシンボル・マークと言った方が近いのかもしれない。
この日から、テンリ達の三匹とアスカの航海は始まった。これから、どんな冒険が待っているのか、テンリ達の三匹は大いに楽しみにしている。
少し時刻は進んで、翌日の昼時である。船は大海原の真っただ中にあり、見渡す限りのコバルト・ブルーと水平線が広がっている。天気も良好で現在は凪の状態である。
テンリ達の4匹のクルーは別々の場所で時を過ごしている。キャプテン気分を味わいながら、テンリは舵輪の前に佇んでいるし、アスカは船内にいる。
ミヤマはマストの上の展望台から望遠鏡を覗き込んでいる。右舷の甲板で船縁に両腕を乗せながら、アマギは何も考えずにぼんやりと海を眺めている。
「おーい!ミヤマ!方位磁石を見せてくれないかー?」マストの上にいるミヤマに対して少しだけ体の向きをずらすと、アマギは暇つぶしをするために話しかけることにした。
「OK!今のおれは使っていないから、じっくりと見ていていいぞ!それじゃあ、投げるから、キャッチしてくれよ!」ミヤマはそう言うと、アマギに向かって足元にあった方位磁石をそっと投げた。
「おお、ナイス・キャッチ!やっぱり、おれのコントロールがいいから・・・・って、うわー!大変だー!」突然、ミヤマは絶叫し始めた。アマギは落ちてくる方位磁石を角でキャッチしようとしたのだが、あえなく失敗してしまい、方位磁石を海の中へ落としてしまったのである。
「しまったー!ごめん!おれが取ってくるよ!」アマギはそう言うと、大慌てで船縁に足をかけた。
「いやいや!泳げないくせに無茶をするなよ!しかし、どうしよう?なんとか、誤魔化さないと、おれ達はアスカさんに海に放り出されてそのままゴー・トゥー・ヘブンだ!」ミヤマは完全な誇大妄想をしてしまっている。ただし、ミヤマは冗談半分でそんなことを言っているのである。再び、ミヤマは『ん?うわ!』と声を上げた。続けてハプニングは起きている。
「何だ?何だ?地震か?」アマギは突然の揺れに対して戸惑っている。
「まさか、ここは海上だぞ!まだ、海底火山の噴火とかの方が可能性はあるよ!」ミヤマは論駁した。冷静に分析しているみたいだが、実は、ミヤマはかなり動揺してしまっている。
次から次へと災いが起きてまさしく『前門のトラ、後門のオオカミ』のような状態である。ただし、アマギの方は臆面もなくけろりとしている。むしろ、アマギはこの事態を楽しんでいる。
「おい!何事だ?しけか?嵐か?」船内から出てくるなり、アスカは言った。
「うわー!ついに出たー!い、いや。慌てることはないんだった。別に、おれとアマは何も悪いことをしていないから、慌てる必要なんて・・・・」ミヤマの話を途中で遮って、アマギは発言をした。
「ごめん。アスカさん。おれ達は連係ミスで方位磁石を海に落としちゃったんだ」
「おい!バカ正直だな!嘘も方便っていうじゃないか!」ミヤマはすかさず指摘した。
端からアマギには弥縫策を取るつもりはない。例え、物事が破綻しようが、どうしようが、真実一路を貫くこと、それこそアマギの基本的なスタンスなのである。
「何?本当か?あれは一つしかない貴重品なんだぞ!いや。しかし、それと今のグラグラは関係あるのか?とりあえず、ミヤマくんはそこを降りて来い!」アスカはてきぱきと指示を出した。どこからか『フォ、フォ、フォ、フォ!』とよく意味のわからない声が聞こえてきた。
「は?今度は何事だい?」ミヤマは甲板に降りてくるなり疑問を呈した。
「お、何か海にいるぞ!一体、あれは何カブトムシだ?」アマギは海の生き物を発見した。
「一体、アマギくんは何を見て話しているんだ?どこからどう見てもあれはフグだ!」アスカは指摘した。確かに、アスカの言う通り、この船の近くに顔を出した真ん丸な魚はフグである。
「そんなことより、あのフグはおれとアマが落とした方位磁石を口にくわえているぞ!おーい!それを返してくれないかい?」とりあえず、ミヤマは友好的な口調で聞いてみた。
「フゴ!フゴ!フゴ!フゴ!」フグは方位磁石のせいで口が利けなくなっている。
「よう!マルモリ!口に異物が挟まって口が利けなくなったみたいだな?」アスカはフグに対して話しかけた。無論、マルモリとはフグの名前である。両者は顔見知りだったのである。
『フグを食う無分別、フグを食わぬ無分別』と言うが、フグはテトロドトキシンという毒を持っている。見た目は怖くないので、マルモリを見ると、アマギはファンキーな魚だなという感想を抱いている。アマギはマルモリがフグであることを認識した。
マルモリは全長およそ18センチのショウサイフグである。ショウサイフグはゴマフグとも言って毒を持っている。そのショウサイフグはマフグという種類のフグにも似ているのだが、尻びれや尾びれの下縁が白いので、ちゃんと区別することができる。
「今、取ってやるから、待っていろ!おい!ミヤマくん!出番だ!」アスカは呼んだ。
「へーい。わかりやした」文句を言わず、ミヤマはそう言うと、マルモリの上に乗って方位磁石を引っ張った。それにしても、なんと、この作業は滑稽なことだろうと、ミヤマは内心で思った。
確かに、端から見れば、コントをやっているようにも見えるかもしれないが、ミヤマは下らない深慮を止めることにした。悪戦苦闘の末『スポン!』とマルモリの口から方位磁石は抜けた。
「この野郎!お前か?おれにこんなものを食わせたのは!」マルモリはそう言うと、海水を『びちゃ!びちゃ!』させておちょぼ口でミヤマを食べようとした。アマギは笑ってそれを見ている。
「うわ!外見と名前にそぐわずに凶暴だな!」ミヤマはマルモリの柄の悪さに対してたじろいだ。
「すまない。腹が立つのはわかるが、許してやってくれ。私の大切な船員だ」アスカはマルモリに対して詫びを入れた。ミヤマはそうしている内に大急ぎで船上に戻ってきた。
「そりゃあ、もちろん、姉御のたってのお願いとあっちゃあ、気を静めやすが、くれぐれもゴミのポイ捨てはさせないで下さい。よろしく頼みますよ」マルモリは遠慮がちな口調で言った。
「わかっている。二人共、これからは十分に気をつけるんだぞ!」アスカは釘を刺した。
「ああ、これに懲りてもうしないよ」ミヤマに続いて、アマギも同意した。
「おれもだよ。もう、物臭はしないよ。それにしても、アスカさんはすごいな!フグと知り合いなのか?」アマギはすでに反省を終えて気持ちを切り替えている。
「まあな。長年、航海を続けている内に顔見知りになった。海の生き物と知り合いになれるのは中々いいものだ。ところで、さっきの体当たりはマルモリの仕業か?」アスカは居丈高に聞いた。
「遺憾ながら、そうです。姉御が乗っているとわかっていれば、そんなことをしやせんでしたけどね」マルモリは申し訳なさそうである。マルモリはアスカの気っ風のよさに敬服している。
「よし。それなら、マルモリの体当たりと内の船員の粗相で貸し借りはなしだ。ここで会ったのも何かの縁だ。いつもの通り、あれを頼んでもいいか?」アスカは思わせぶりにして聞いた。
「わかりやした。姉御」マルモリはそう言うと、船の後ろ側に回った。
「なんだ?あれって?」アマギは聞いた。ミヤマも不思議そうにしている。
「すぐにわかる」アスカの言う通り、すぐにその意味は理解することができた。少し船のスピードが上がったのである。マルモリが後ろから船を押してくれているのである。
「それより、姿が見えないが、テンリくんはどうした?」アスカは疑問を口にした。
「そういえば、どうしたんだろう?これだけのごたごたが起きていて全く気づいていないっていうのは少し変だな。熟睡しているのかな?アマじゃないんだから、テンちゃんなら、それでも、気づきそうなものだけど、まさか、事故でもあったのかな?」ミヤマは呟いている。
「よし!おれが見てくる!」アマギはそう言うと、羽を出しで飛んで行った。
操舵室に入ると、アマギはヘロヘロになったテンリの姿を目の当たりにすることになった。テンリは具合が悪そうにして段になったところで倒れこんでいた。
「わー!何事だ?大丈夫か?テンちゃん!一体、誰にやられたんだ?」アマギは大騒ぎをしている。
「別に、誰にもやられていないんだけど、気分が悪いの」テンリは返答した。
「それじゃあ、とりあえず、船室で休ませてもらおう」アマギは提案をした。
アマギはテンリを持ち上げて船室まで連れて行ってアスカにこの異常事態を教えた。テンリを心配しているので、ミヤマも船室にやってきた。
「船酔いだな」テンリの具合を見ると、アスカは迷うことなく言った。
「船酔い?その言葉は聞いたことがあるけど、それは何なんだい?」ミヤマは聞き返した。
「虫によっては船の揺れで気分が悪くなる者もいるんだ。それを船酔いと言う。今は苦しいかもしれないが、安静にしていれば、何も問題はない」アスカは安心させるようにして言った。
「そうなのか?それじゃあ、今はマルモリに船を押してもらっていることだし、人間界に着くまでの辛抱だな。テンちゃん。がんばれ!おれが応援しているぞ!」アマギはエールを送った。
「うん。ありがとう」テンリはお礼を言った。180度、ミヤマはここで話題を変えた。
「そういえば、前から疑問に思っていたんだけど、アスカさんは角も顎もないのに、どうやって、戦うんだい?海賊と言うからには戦闘を行うことだって皆無じゃないだろう?」ミヤマは聞いた。
「ひょっとして、念力でも使えるんじゃないか?」アマギは思いつきを口にした。
「念力は使えない。だが、愚問だな。確かに私だって海賊である以上は戦うこともある。だが、私には棒術の心得があるから、そのような心配は不要だ」アスカは力強く言った。
「そうなのか。それじゃあ、頼りになるな。さすがは船長だ!」ミヤマは感心した様子である。
「ねえ。話は変わるけど、人間界に着いて人間から何かをもらったら代わりに栗を上げたらいいと思うんだけど、どうかなあ?」テンリは弱々しい口調ながらも提案した。
「おお、それはグッド・アイディアだ!そうしよう!」アマギは乗り気である。
「テンちゃんらしいやさしい発想だな。おれも同意するよ!」ミヤマは言った。
「何かを奪う代わりに贈り物をする海賊なんて聞いたことがないが、私はみんなのそういうところは好きだぞ」アスカは言った。アスカは本心をそのまま口にした。
「アスカさんもそういう率直なセリフを吐くんだな」ミヤマは冷やかし気味に言った。
「どうもみんなと一緒にいると心が休まるような気がするんだ。いや。これも私らしくないセリフだったな。なんにせよ、直に船は昆虫界と人間界の境目を超えるぞ!」アスカは断言した。
テンリ達の一行の乗るヴァイキング船は人間界に突入して行った。しかし、その道のりは平坦なものではなくて途中でサンゴ礁を眺めたり、座礁しかけたりもした。
それでも、船が転覆することはなかった。一重にそれは熟練の航海術を持つアスカのおかげである。アスカはさすがに海賊を名乗るだけのことはある。
テンリ達の三匹もアスカに対して絶対的な信頼感を寄せるようになった。しかし、その後、アスカを裏切る者が出てきてしまうというのも事実である。