アルコイリスと七色の樹液 19章
テンリたちの次の目的地はカリーも先程に言っていたとおり『神秘の地』である。その『神秘の地』には『祭祀の地』という別名がある。『神秘の地』ないしは『祭祀の地』には神と祖先を祭る風習が根強く他にも占星術や降臨術なども盛んである。テンリたち一行は二日後に『神秘の地』に到着した。
テンリたちは早速に花占いをしている女性を見つけた。その女性はラエビコリスツノヒョウタンクワガタである。彼女は名をエレンと言った。テンリは「こんにちは」と挨拶し、エレンは挨拶と自己紹介をした。
「わらわはここで様々な仕事をしておる」エレンの口調は独特の言い回しである。「どうじゃ? そなたらを占ってやろうか? ロハだ。無論」エレンは親切である。
アマギは真っ先に名乗りを上げたので、エレンはアマギのことを占ってくれた。占いとは様々な方法で人の心の内や運勢や未来などを予言させることを言いト占や占トとも呼ばれる。占いは「当たるも八卦・当たらぬも八卦」と言うとおり当たらなくとも通用する面があり軽蔑の意味を込め「裏ない」と書く場合もある。
占いは大別すると命・ト・相の三種に分かれ医と山を加え「五術」とも言われる。命は生年月日や生まれた場所によって運命や宿命を占うものである。トは時間や事象や方位などを元に事件を占うものである。水晶占いや一輪の花を手に取り花びらを一枚ずつ摘まみ「好き・嫌い」を判断する恋愛占いもこの一種である。
相は姿や形など目に見えない事象や環境から対象となる人の今後の運勢を見るものである。夢占いや人相占いや手相占いや風水がこれに当たる。エレンはアマギの手相を見た。
エレンは「そなたには水難の相が出ておる」と言った。アマギはきょとんとしている。意味はわかっているが、アマギには納得できなかったからである。ミヤマは「まあ」と口を挟んだ。
「アマはそこまで気にすることはないよ」ミヤマは確信をついた。「ここには水がない」
「ほう」エレンは敏感に反応した。「わらわの占いを信じないか。まあ、よかろう。ならば、次はそなたのことも占ってやろう」エレンは高飛車である。今度のエレンはミヤマの手相を見た。ミヤマはアマギと同じく水難の相が出ているとエレンは告げた。テンリは「それじゃあ」と言った。
「ぼくとナノちゃんもそれは同じなのかなあ?」テンリは不安そうである。
「エレンさんの占いによると」シナノは話に割って入った。「その災いはいつ起こるのかしら?」
エレンはあっけらかんと「今すぐじゃ」と言ったので、ミヤマは「いやいや」と言いそのあと「それはさすがにないだろう」と言おうとしたが、次の瞬間はアマギと一緒に天から降ってきた水でびしょびしょになった。
アマギは体を振って水分を払った。常識的に考えてアマギとミヤマの上だけに雨が降る訳はない。シナノはマギとミヤマの上を見た。そこには顔馴染みのシンドウがいた。
シンドウとは節足帝国で命を吹き込まれた大木である。シンドウは鼻をムズムズさせ「すんまへん」と謝った。先程の水はシンドウの鼻水だったのである。
「おれたちは別にいいけど」ミヤマは聞いた。「シンドウさんはそこで何をしていたんだい?」
「そなたらにもわらわの偉大さがわかったか?」エレンはシンドウが答える前に口を挟んだ。
「うーん」アマギは唸った。「的中したのはまだ一回だけだしな」アマギはあくまでも懐疑的である。
「そうだな」ミヤマは同調した。「一回だけなら、偶然っていうこともありうる。眉唾ものだよ」
「では忌憚なく人相占いをするが」エレンはむっとしている。「そなたらの二人には近くよくないことが起きる。そなたらはもしかすると大ケガする可能性もある」
ミヤマは「マジか」と驚いている。テンリは「ねえ」と口を挟んだ。
「シンドウさんはこの『神秘の地』に詳しいの?」テンリは聞いた。「もし、詳しいなら『神秘の地』を案内してくれないかなあ?」テンリはエレンの予言を聞きこの地を危険認定したのである。
「わては構いまへんでおます」シンドウは内情を述べた。「実はわてが甲虫王国に来て最初に足を運んだのは他でもなくこの『神秘の地』なのでおます。テンリはんが望むなら、わてはいくらでもガイド役を買って出るでおます。旧交を温めるのも悪くはないでおます」シンドウはテンリたちとの思い出を大切にしている。
「シンドウはこの者たちと知り合いであったか」エレンは少なからず驚いている。だが、テンリたちもシンドウとエレンが知り合いだったことにちょっとだけ驚いた。
シンドウとエレンはシンドウが甲虫王国にやって来て以来の仲である。その事実に納得すると、テンリはエレンに挨拶してシンドウと共にこの場をあとにしようとしたが、アマギは待ったをかけた。
アマギは自分とミヤマと一緒にいるとテンリとシナノにまで火の粉が降りかかると危惧し『神秘の地』巡りはテンリとシナノだけで行ってくるよう提案したのである。アマギは半ばエレンの能力を信じている。
ミヤマはエレンの予言を信じてはいないが、今回ばかりはテンリとシナノをシンドウに任せても大丈夫だと判断した。ミヤマとしてもテンリとシナノを厄介事に巻き込むことは本意ではないのである。
「ほなら」シンドウは言った。「わてはこの地にエレンはんと肩を並べる呪術師を知っているでおます。ますはその方に会いに行ってみましょか」シンドウは魅力的な提案をした。テンリは「うん」と応じた。
「よろしくね」テンリはやさしく言った。「アマくんとミヤくんは気をつけてね。二人なら、大丈夫だってぼくは信じているよ」テンリは自分のことよりも他者を優先している。
「エレンさんのことを信じていない訳ではないけど」シナノは前置きした。「私もそれは同感よ。私達は先に言っているから、気がすんだら、アマくんとミヤくんも元気な姿で合流しましょう」
テンリとシナノはシンドウに連れられ先へ行ってしまった。アマギはその際に手を振った。
「今さらだけど」ミヤマは感慨深げである。「シンドウさんとエレンさんが知り合いだったとは世界は狭いもんだ。それで?」ミヤマは話を進めた。「おれたちはいつ大事故に見舞われるんだい? って」
ミヤマは「ぎゃー!」と悲鳴を上げた。今度はロボット・カブトムシのボイジャーが横から飛んで来てミヤマとアマギは一緒になって吹き飛ばされたのである。エレンはしたり顔で「どうじゃ?」と言った。
「わらわのすごさが少しは理解できたか?」エレンは傲岸不遜である。「愚か者よ」
「それは十分にわかったけど」ミヤマは起き上がりながら言った。「エレンさんの予言は聞かされてから事が起きるまでの間隔が短すぎやしないかい?」ミヤマの指摘は尤もである。
「わらわの占いは少し先の未来の予知に限っておるからじゃ」エレンは平然と言った。
アマギはようやくボイジャーの下から這い出てきた。ボイジャーはアマギとミヤマに「申し訳ありません」と素直に謝った。アマギはどうして自分たちの方へ飛んで来たのかと聞いたが、ボイジャーは風に飛ばされたと言いお茶を濁した。ボイジャーは隠し事をしている。
「なにぶん」ボイジャーはさらに付言した。「拙者も今は吹っ飛びたい気分だったのです」
「ああ」アマギは納得した。「誰にでもそういう時ってあるよな」
「って」ミヤマは突っ込みを入れた。「そんなことあるかー! ボイジャーくんはどんな原理で動いてるんだよ。それと、アマもそこは納得するところじゃないだろう」ミヤマは興奮している。
「ミヤは落ち着けよ」アマギは宥めた。「これはきっとエレンさんの神秘的な力が働いたんだ。エレンさんはすごい虫だな」アマギは完全にエレンの手中である。ミヤマは「いやいや」と言った。
「アマの方こそ落ち着けよ」ミヤマはあくまでもエレン側にはつかない。「虫はそんな訳のわからない理由で吹き飛ばないだろう! ん? そうか。飛んでるのはボイジャーくんのネジの方だ。ボイジャーくんはなにせロボットだからな」ミヤマはどうにかして合理的な説明をつけた。
「潜熱ながら」ボイジャーは反対した。「拙者は正常そのものです。異常事態にはバイブレーションする仕組みになっているのですが、今はご覧のとおりその時ではありません。すごいのはアマギさんの言うとおりエレンさんの力です」ボイジャーはエレンの信奉者である。
ミヤマはボイジャーもエレンと知り合いだったことに少し驚いた。だが、アマギの方はエレンのことを神聖視しているので、今はそんなことに頭を回してはいない。エレンは「ふん」と鼻を鳴らした。
「そなたが信じないというのなら、わらわは信じるまでわらわらの力を発揮するまでじゃ」エレンは相変わらず高飛車である。ミヤマは疑念と不安が半々である。
もし、エレンの力が本当なら、アマギとミヤマは奇跡の体験をしたことになる。とはいえ、アマギはすでにエレンの力を信じているので、今度はどんなことが起きるのかとワクワクしている。
ボイジャーもエレンの偉大な力を十二分に理解しているので、エレンが次はどんな力を発揮するのかと身構えている。エレンは占いだけではなく他の能力も持っているのである。
テンリとシナノはシンドウの案内により今も移動中だった。シンドウによると、エレンと比肩する虫とはハノと言う名のメスのオベススツノヒョウタンクワガタのことだった。
ハノと言う名に聞き覚えはなかったが、テンリはハノもきっとすごい力の持ち主であると想像した。実際にハノは『神秘の地』でも有名な虫なので、その評価は間違いではない。
シンドウはハノだけではなくボイジャーの話もしていた。その概要はシンドウとボイジャーが懇意になったという趣旨のもである。シナノは樹木とロボットが仲良しとは珍奇だと内心で思った。
「シンドウさんはすっかりボイジャーくんと仲良しになったんだね」テンリはうれしそうである。「それはカイくんとケンくんとも一緒なのかなあ?」テンリは純粋な疑問を口にした。テンリはそれほどカイラクエンとケンロクエンとは接触していないが、二人の話はアマギとミヤマから聞いていたのである。
「それはもうすっかり懇意でおます」シンドウは即答した。「これも一重にテンリはんとシナノはんたちのおかげでおます。カイはんとケンはんも言っていましたが、テンリはんたちには国を守ってもらい感無量でおます。生まれは節足帝国ですが、わても育ちはこの甲虫王国ですから」
「シンドウさんは過去に『森の守護者』だったこともあるから、その想いは推して知るべしね。時に、シンドウさんはボイジャーくんとも親しくなってなにか気づいたことはないかしら? 例えば、ボイジャーくんはなぜ自分のことを『拙者』と言うのか、不思議には思わなかった? 本人は一人称なんてなんでも構わないと言っていたけど」シナノは過去を回想した。テンリはシナノの質問の意味を図り兼ねている。
「確かにわてもそれは気になったでおます」シンドウは応じた。「シナノはんは鋭い方でおます」
「ナノちゃんは才女だから、すごく頭がいいんだよ」テンリは誇らしげである。
「そうでしたか」シンドウはニッコリした。「それではボイジャーはんの秘密に鋭く気づくのも必然かもしれまへんな」シンドウはかなり含みのある発言をしている。
テンリはその後もシンドウにボイジャーのことを追求したが、シンドウは自分よりこれから会うハノの方が詳しく知っていると言いお茶を濁した。シナノはハノと出会うのが楽しみになった。
テンリたち一行はやがてシンドウの先導によりハノの元へやって来た。シンドウはテンリたちを対面させ事情を話したので、ハノは初めて『神秘の地』にやって来たテンリとシナノに「おいでやす」と述べた。
「ハノさんはこの地でどんなことをしているの?」テンリは話の口火を切った。
「わっちは降霊術を得意としております」ハノは優美である。「折角の機会です。お見せ致しましょうか? わっちはエレンほどの実力者ではございませんが」ハノは謙遜している。シンドウは『神秘の地』に初めてやって来たと言っていたし、ハノは非常に独特な喋り方をするので、シンドウの口調はハノの影響かなとシナノは推測した。テンリはそこまでディープに考えを巡らせてはいない。
降霊術とは死者の霊魂を呼び寄せる術である。一方の降神術は祈祷や呪法により神を招き寄せその乗り移った人に神の意志を述べさせたりする術である。降神術には神降ろしという別名もある。
テンリは降神術で神様とお話しすることを望んだが、シンドウは注意点を上げた。ハノの術の成功率は100パーセントではなかったのである。つまり、最悪の場合は危険を伴うという訳である。
「わっちが失敗してしまったのは一回こっきりですが、その時はエレンとボイジャーはんに多大な迷惑をかけてしまいましたどす。テンリはんとシナノはんはシンドウはんから聞いていますか?」ハノは慎み深く一応の確認をした。シナノは即座に「いいえ」と否定した。
「その話はちょうど保留になっていたの」シナノは冷静に打ち明けた。
「今はいい機会でおます」シンドウは話に割って入った。「ハノはんはボイジャーはんと初めて会った時のことを話してくれまへんか?」シンドウはすでにこの話をハノから聞いている。
「ええ」ハノは二つ返事である。「それはお安いご用どす」
この話はハノにとって悪夢のような体験だったが、今はそれも乗り越えている。ハノは今や一流の術師としての絶対的なプライドを保持しているからである。
テンリはもちろんのことシナノもハノの話に興味を持っている。二人はハノの失敗談を聞くことより、どちらかと言えば、ハノとボイジャーの昔話に気を取られている。
シンドウは不謹慎ながらもこの話を聞くことに多少の期待感を持っている。この話にはボイジャーの活躍が光る部分が多大にあるからである。以下はハノが体験した昔話である。
その当時のハノは駆け出しの降霊術師であり、エレンは駆け出しの易者だった。ある日のことである。ハノはエレンに術をかけようとしていた。周りに他の虫は見当たらない。安全面を考慮した結果である。
これはハノではなくエレンの言い出したことである。ハノとエレンはこの当時から親友だったので、エレンは危険を顧みずにハノの術の実験台になろうとしていた訳である。
「もし、失敗したら、エレンの体がどうなるか、それは全くの不明どす。本当によいのですか?」ハノは最後の最後まで知己のエレンを慮った。当のエレンは余裕の表情で「構わん」と応じた。
「ハノが一流の術者になるためには多少の犠牲は止むを得まい。ハノはもっと自分のことを大切にするのだ。そなたには自己犠牲の嫌いがある」エレンはハノの性格を的確に読み取っている。
「大きに」ハノは感謝した。「エレンはやさしいどす。忠告は肝に銘じておきます。わっちの方の準備はOKどすが、エレンの方はどうでしょう?」ハノは確認した。
「わらわも心の準備は万端じゃ」エレンは平然としている。「あとはハノのタイミングで術をかけるとよい」
ハノは降霊術で甲虫王国の英雄であるジークフリードを呼び出すことにした。ハノが呪文を唱えると、エレンの様子は豹変した。ハノはジークフリードからケルベロスを退治した頃の武勇伝を聞くため、まずは挨拶しようとしたが、実際はエレンにより、ハノは吹き飛ばされてしまった。
エレンはハノに思いっ切り体当たりしたからである。ハノはジークフリードの降霊に失敗し別の誰かを呼び出してしまったのである。それにはハノも気づいたので「誰どすえ」と聞いた。だが、返事はなかった。その代わりに咆哮が聞こえて来た。それもそのはずである。ハノはケルベロスをエレンに憑依してしまったからである。ハノは最初こそ戸惑っていたが、やがては意を決し言霊でエレンを宥めようとした。
ところが、興奮するエレンはついにハノに暴力を振るい出した。ハノはなおも食い下がったが、結局は徒労に終わり涙目になってしまった。ハノにはエレンを放置して逃げるつもりはない。
ボイジャーはそんな折にそこへ通りかかった。エレンがハノに襲撃しているところを見ると、ボイジャーは二人の間に割って入った。ボイジャーは「どうしたのですか?」とハノに聞いた。
「お困り事なら、私は力になれるかもしれません」ボイジャーは瞳でエレンを牽制している。
ハノは掻い摘んで今の状況をボイジャーに話した。ボイジャーは銀色をしたカブトムシだが、今のハノにそのことを追求する余裕はなかった。この時のハノは藁にも縋る想いだったからである。
ハノが説明し終えると、エレンは太い木を持ちなんとボイジャーの角を叩き折った。ハノは声にならない悲鳴を上げた。だが、ボイジャーは冷静に「どうやら」と言った。
「さしもの私もここでは本気を出さなければならないようですね」ボイジャーはエレンを見据えた。
ボイジャーは『ソード・カム』という機能を使い体から木刀を出現させた。ボイジャーが只者ではないことはわかっていたが、ハノはそれでもびっくりした。
「先程も申し上げましたが」ハノは機先を制した。「エレンは大切なわっちの友達どす。どうか、手荒な真似だけは遠慮してくれまへんか」ハノはこんな時でもエレンの身の安全を願っている。
次の瞬間にはエレンがボイジャーに襲い掛かり、ボイジャーは抜刀し『喜刃一閃』という技を使った。エレンは倒れ持っていた棒も砕けた。ボイジャーは無傷だが、ハノは過激なボイジャーの攻撃に恐れをなした。そのハノの様子を見ると、ボイジャーは「ご安心下さい」と言った。
「エレンさんは気絶されているだけです」ボイジャーはニッコリした。「驚かせてしまい申し訳ありません」
ボイジャーは角を失っても余裕綽々である。ボイジャーはロボットっであるが故に他の昆虫と同じく痛みを感じないのである。エレンの無事を確認すると、ハノはボイジャーのことを見た。
「どうしましょう」ハノはボイジャーの折れた角を見た。「見知らぬわっちのためにそこまでの無茶をされるとは思ってもおりませんでした」ハノの困惑は当然のものである。
「私はロボットですし、そちらのご婦人にも峰打ちで対応しました。ハノさんがご無事でなによりです」ボイジャーはハノの心配を煽らないため角のことには言及しなかった。
「大きに」ハノはお礼を言った。「ボイジャーはんはまるでお侍さんのようどす」
だが、ボイジャーはこの時点では「侍」なるものを知らなかった。ハノはボイジャーに「侍」とは武士とも言い刀で戦う人間界の社会層である旨を伝えた。ボイジャーはこの時に侍の一人称が「拙者」や「某」であることも知り「拙者」という呼称を甚く気に入った。
ハノはその後のボイジャーの動向を憂慮したが、その心配は不要だとボイジャーは断言した。節足帝国に戻れば、ボイジャーの角は戻るし、ボイジャーはついでに体の強化もしてもらおうと考えていたからである。
ボイジャーは元々独りぼっち防止のためにカイラクエンとケンロクエンの元へやって来ていたのだが、今のままでは同じ過ちを繰り返しかねないと危惧していたのである。
ボイジャーは結局のところエレンが目を覚ますまで親交を深めエレンが目を覚ますと二人の女性から感謝の言葉を貰い節足帝国へ一時帰国することにした。
エレンには本当に傷跡が残るようなことはなかったし、ハノはこの出来事から教訓を得て次からは失敗しないよう最善を尽くして降霊術や降神術を使うようになった。
時間は流れ現在の話に戻る。アマギ・サイドである。こちらではエレンが実は催眠術も使えることが判明していた。催眠術には自分自身を施す自己催眠と集団に施す集団催眠の二つがあり、本来は精神療法や精神病理の研究に応用されるものである。ボイジャーは何度かエレンの催眠術を見たことがあるが、アマギとミヤマは未だかつて催眠術を知らなかったので、この二匹の食いつきはよかった。
エレンはまして予言を二回も連続で的中させているので、アマギとミヤマの興奮はとても大きなものだった。エレンは「本当によいのじゃな?」と最終確認をした。アマギとミヤマは催眠術をかけられることに同意した。エレンはアマギとミヤマとボイジャーに催眠術をかけた。ボイジャーもついでに立候補していたのである。だが一向になんの変化も起きなかったので、ミヤマは「あれ?」と言った。
「エレンさんの催眠術はもしかして実はジョークでしたっていうオチかい?」
「ふん」エレンは鼻を鳴らした。「何を言うておる。そなたには周りが見えぬのか。よく二人を見てみるがよい」エレンはアマギとボイジャーのことを指して言った。
アマギとボイジャーは目が虚ろになり完全なトランス状態に陥っていた。
「えー?」ミヤマはびっくりしている。「アマはともかくボイジャーくんまで本気で催眠術にかかっているのかい? ボイジャーくんはロボットだろう? まあ、それには目を瞑るとしてエレンさんはこのあと何をするんだい?」ミヤマはなんの気なしに聞いた。ミヤマは自分が催眠術にかかっていないことも一旦は棚に上げている。エレンは平然とした口調で「簡単なことじゃ」と応じた。
「そなたらはわらわの手中で踊るがよい」エレンは不吉なオーラを纏っている。「わらわの催眠術にかからぬ不逞の輩を駆逐せよ」エレンはアマギとボイジャーに命令した。
すると、アマギとボイジャーはミヤマに襲い掛かって来た。アマギとボイジャーはいずれも手練れなので、ミヤマに成す術はなかった。ミヤマは刹那の間を置いて吹き飛ばされていた。
ミヤマは幸い無傷だったが、軽く見積もっても5メートルくらいは吹き飛ばされていた。だが、事件はこれで収束しなかった。獲物を失ったアマギはなんとボイジャーを標的認定したのである。アマギの本能はボイジャーが強いことを把握したので、アマギもボイジャーには容赦がなかった。
アマギは『進撃のブロー』をボイジャーに向かって使った。一方のボイジャーはすんでのところで攻撃をかわしたものの、アマギは攻撃の手を緩めず、ボイジャーは次の瞬間にはアマギの角で薙ぎ払われた。
ボイジャーはさすがにミヤマのように何メートルも吹き飛ばされることはなかったが、たった今の攻撃で臨戦態勢を取るようになった。エレンは「どういうことじゃ」と困惑している。
「そなたらは何をしておる?」エレンは制御の利かなくなった二人に問いかけた。「わらわの命はあの不届き物への天誅を下せというものだけじゃ。それ以上の狼藉を働けとは言うておらぬ」
「ご安心下さい」ボイジャーは言った。「拙者は今の一撃で完全に覚醒しました。アマギさんのことは拙者にお任せ下さい」ボイジャーはアマギと相対し『ソード・カム』の機能を使用した。
ボイジャーは木刀を持ち迫り来るアマギの攻撃を受け流し続けた。だが、やがては防戦一方のボイジャーにも限界が来た。再度『進撃のブロー』を使われると、ボイジャーは吹き飛んだ。ボイジャーに休息の時間は与えられない。アマギは『レンクス・ファイア』を使い炎の刃をボイジャーに放った。その直後である。ボイジャーは木刀を振り上げると『レンクス・ファイア』の炎を両断し無効化させて見せた。
「やれやれです」ボイジャーは吐息を零した。「さすがに『救国の兄弟』を相手にしては拙者の立つ瀬はないということですか。ですが、今の拙者は一人ではありませんし、アマギさんのことは信じています」ボイジャーは二つの含みのある発言をした。片方の発言の意味は間もなくわかった。ボイジャーは襲い来るアマギを前にしても身動きを取らなかったが、そのアマギの攻撃はボイジャーに届かなかった。「これはどういうことだい?」と言いながらミヤマは横からアマギの角を払い参戦して来たからである。
「申し訳ありませんが、今はご説明する余裕がありません。状況からなんとなく察して下さい」ボイジャーは一杯一杯の中で言った。察しは悪い方ではないので、ミヤマはすぐほとんどの状況を理解した。ボイジャーの催眠術は解けたが、アマギは未だ目覚めずに暴走しているといったところである。
アマギはその間にもミヤマを投げ飛ばし『レンクス・ファイア』を放った。その炎はボイジャーに向かって放たれたが、ボイジャーは木刀に炎を纏わせ「失礼」と言いアマギに『喜刃一閃・炎』を叩きこんだ。
しかし、アマギは『急撃のスペクトル』でそれを避けボイジャーの木刀は完全燃焼してしまった。刀は失ったが、ボイジャーにはまだ角がある。ミヤマは「マジかい?」と言い驚いている。
「この戦いって『セブンハート』もありなのかい?」ミヤマはそれでも一縷の望みをかけた。「愚問かもしれないけど、エレンさんはアマギにかかった術を解けないのかい?」
「それは先程からやっておるが、どういう訳か、全く効果はないのじゃ」エレンは途方に暮れている。ミヤマは少しばかり落胆した。ボイジャーは「となると」と言葉を継いだ。
「アマギさんが目を覚まされるまでは拙者とミヤマさんでなんとかするしかないということになります。逃げるという手もありますが、今のアマギさんには見境がない故に他の虫さんに危害を加えないという保証はどこにもありません」ボイジャーの指摘はこの上なくシンプルである。
「それなら」ミヤマはアマギの体を上から挟んだ。「アマも多少の暴挙は許してくれよ。悪いが、本気を出してもトントンにはならない。手を抜いてアマギと戦えば、おれたちは全滅しかねない」ミヤマはそう言うと前転の要領でアマギを投げ飛ばした。これはミヤマの必殺技『大車輪』である。
だが、アマギは吹っ飛ばされても羽を広げて風圧を緩和した。アマギはさすがのバトル・センスである。戦いは長期化すると思いきや一転して状況は覆った。
アマギはボイジャーに向かって吶喊したのだが、エレンはなんとその間に身を投げ出したのである。アマギの勢いは急には止まれず、ボイジャーは仕方なくエレンを掴み素早く自分とエレンの位置を入れ替えた。
アマギはそれでも構わずにボイジャーのことを薙ぎ払ったが、当のボイジャーはエレンを抱えたまま受け身を取った。ミヤマはアマギからのさらなる追撃に目を光らせたが、その必要はなかった。
アマギは「あれ?」と言いようやく覚醒したからである。ミヤマは嘆息している。エレンはボイジャーに「褒めて使わす」と言った。その後はミヤマが仕方なくアマギに事の次第を話すことになった。
アマギは催眠術で眠っていた間の記憶を失っていたからである。その話を聞き終えると、アマギは恐縮したが、ミヤマとボイジャーは尊大に構えアマギを許した。エレンは最後に「どうじゃ」と胸を張った。
「わらわのすごさが垣間見える一幕だったであろう」結局は無傷だったエレンはミヤマとボイジャーとは異なる意味で尊大である。エレンはやさしくはあっても催眠術の腕前は大したことないのではあるまいかとミヤマは疑った。というのは催眠術の解呪法があまりにもお粗末だったからである。
一方のボイジャーはエレンのすごさに賛辞の声を上げた。あの場面はボイジャー自身の活躍も大きくはあったが、それは横に捨て置いたのである。アマギはというと実際に自分の暴走の抑止力になったのだから、エレンは大したものだと主張した。ミヤマは「そうかい?」となんとなく釈然としなかったが、エレンの勇気は尊重されてもいいかと思い直した。ボイジャーは締めにケガ人が出なかったことを引き合いに出し一件落着とした。この時はまだアマギもミヤマも何者かのマッチ・ポンプに騙されているとは考えてもいなかった。
ハノの話を聞き終えると、テンリは改めてボイジャーはカッコいいロボットだと認識するようになった。シナノはハノとエレンの絆に感動した。エレンはハノのために実験台になることを厭わず、ハノは最後までエレンが傷つかないよう気を配り続けていたからである。
シンドウは初めから知っている話だったが、話を初めて聞いた時はボイジャーのことをもっと深く知れて大いに喜んだものである。ハノは落ち着き払っている。
「わっちはあれからも鍛錬に精を出したので、シンドウはんは100パーセントではないと言っておりましたが、今は失敗しない自信の方が強いどす。テンリはんとシナノはんが怖くなければ、わっちは降霊術でも降神術でもやってお見せしますえ」ハノは胸を張っている。
「テンリはんとシナノはんのことですから、尻込みはしないと思いますが、もしもの時は和手がなんとかするでおます」シンドウは親切である。テンリは「うん」と応じた。
「ぼくは心配していないけど、その前に今日のハノさんとエレンさんはたまたま一緒にいないだけなのかなあ?」テンリは意図があって聞いた。ハノは「そのとおりどす」と応えた。
「エレンさんはハノさんにとってのよき友でありよきライバルなのね」シナノは言った。ハノは「それもまた言い得て妙どす」と言い顔を伏せ恥じらいの表情を隠した。
「それはそれとしてテンリはんとシナノはんは誰を術で呼び出したいどすか?」
テンリは怪訝な顔をしている。ハノの急な話転換に微かな違和感を覚えたからである。だが、そのテンリは「うーん」と言い先のハノの質問の答えを出すことにした。
「ぼくは神様とお話ししたいけど、それは危険なことかなあ? 神様って怖いのかなあ?」
「わての経験則を言わせてもらえるなら」シンドウは話に割って入った。「以前に一度だけジュピターという神様と話したことがあるでおますが、その時はわてにできる仕事はないかを聞いたでおます。ジュピター様は結果的にわてを『森の守護者』になる橋渡しになってくれたでおます。そのあとにわてが『森の守護者』を止めたのはわての身勝手な我がままなので、ジュピター様には申し訳なく思ているでおます」
「シンドウさんが身勝手だとは言わないけど、シンドウさんの予想のとおり、もしも『森の守護者』を止めなければ、シンドウさんが大活躍していた可能性は否めない。いずれにしろ、神様との対話は有意義なものになりそうね」つまりはシナノもハノに降神術をお願いすることに同意している訳である。
「それでは憑依の対象にはわっちがなるどす。わっちが静かになったら、皆さんは改めてわっちに話しかけてみるといいどす」ハノはそう言うと術式を行使するために呪文を唱え意識を失った。
「ハノさんが静かになったということはもうハノさんは神様なのかなあ?」テンリはそう言うとハノの指示のとおり「こんにちは」と話しかけた。ハノは「ええ」と応じた。テンリとシナノは本当に神様がハノに憑依したのかと訝しんだ。当のハノは少し違うイントネーションで「こんにちは」と言った。
「私は女神のボナよ」ハノは別名を名乗った。シナノはそれでもハノが演技している可能性も考慮したが、テンリは簡単に神の降臨したことを信じ込んでびっくりしている。
今回はテンリの判断の方が正しかった。ハノはボナの降神術を成功させていたのである。
「ボナ様はどこまで下界のことを把握していらっしゃるのかしら?」シナノは探りを入れた。すでに9分9厘は信じ込んでいるが、シナノは理知的な側面を捨て切らなかったのである。
「私は女神と言えど全知全能ではないわ。けれど、あなたが人間界の出身で昆虫界にて両親と再会し、今は三人のお友達とアルコイリスを目指している程度のことなら、知っているわ」ボナは弁舌が豊かである。
テンリはそれを聞き感心している。一方のシナノは衝撃を受けた。シナノは別に神様の存在を信じていなかった訳ではないが、ボナの口にしたことは予想以上に詳細だったからである。
「ほなら」シンドウは泰然としている。「ジュビター様のことは知っておますか? わては以前に一度だけジュピタ-様と話したことがあるでおます」シンドウの内心はドキドキしている。
ボナは「知っているわ」と答えた上で実はジュピターにはゼウスという別名があり天使からはジュピターではなくゼウスと呼ばれている旨を話した。シナノはもう少し天上界のことを聞き出そうとしたが、テンリはその前に「ねえ」と先に口を開いた。テンリは素朴な疑問を提言した。
「ボナ様になら、ぼくのこともなにかわかることはあるかなあ?」テンリはボナが憑依したハノの方をじっと見つめている。ボナは容易く「もちろんよ」と答えた。
「あなたはアマギというお友達と『平穏の地』からここ『神秘の地』へとやって来た。たった今のことを言えば、あなたはおそらく虫の心を救うことになる。私の仕事が減ってそれはそれは助かるわ」
「まさか」シンドウはショックを受けた。「ボナ様はともかくテンリはんもあのことを知っているのでおますか。なぜでおます。いや。テンリはんはこれから知るという可能性もあるので、滅多なことは口にしない方がいいでおます」シンドウは話を自己完結させた。
だが、シンドウはボナの次の一言で自身の考えの甘さを知った。
「テンリくんにはもうバレているはずよ。この子は虫の機微に聡い子だもの」
皆はなんの話をしているか、今一わからず、シナノは珍しくも話においていかれている。だが、シナノはこの時間を有効に使う方が今は得策だと考えた。
「その話はテンちゃんから聞くとしてボナ様はなにかを司る女神なのかしら?」
「ええ」ボナは首肯した。「私は『精神の女神』ないしは『ハート・ゴッド』と呼ばれているわ。ようは虫や人の心奥に触れることに特化した女神よ。ついでに言えば、私は天上界の天使や妖精の心のケアもしているわ。シンドウくんの知るジュピターは『物質の神』ないしは『ゴッド・オブ・マター』の通り名を持っているわ。私の顕現もそろそろ限界だわ。これ以上は憑依したこの子の精神が持たない。昆虫界で降神術を使えるのはハノだけということを鑑みるとこの出逢いは数奇なものよ。聞きたいことを全てを聞くことはできなかったとは思うけど、私はあなたたちとお話できて楽しかったわ」ボナはそこまで言うと喋らなくなった。
ハノはボナが喋らなくなってからほんの数秒後に覚醒した。
「神様とのコンタクトには成功しましたが、皆さんは満足できましたどすか?」ハノはいみじくもはんなりと微笑んだ。「わっちはその間の記憶が抜けてしまうどす」
「本当に驚いたけど、憑依していたのは女神様で間違いはなさそうだった。私は満足よ。テンちゃんには言いたいことがありそうだけど」シナノは疑問を解消するために話を振った。
「ハノさんとエレンさんはどうしてケンカしているの?」テンリは直球勝負である。ハノはきょとんとしたが、すぐ「それは神様から聞いたどすか?」と当たりをつけた。
「答えはノーでおます」シンドウは否定した。「わてはそんなこと噯にも出していないでおます。返す返すもテンリはんにバレていたとは驚きでおます。テンリはんはどうやって見抜いたのでおますか?」
「ハノさんとエレンさんは仲良しのはずなのに、ハノさんはエレンさんのお話を嫌がっている風に見えたからだよ」テンリは返答は単純明快である。シナノは脱帽している。
「すんまへん」シンドウはハノに謝った。「わての力ではどうやら隠し通せなかったみたいでおます」
「シンドウはんのせいではないどす。このことは遅かれ早かれ向き合わなければならなかった問題どす」ハノはそう言うとエレンとの間い生じた確執を訥々と話し出した。実は二週間ほど前からエレンはスランプに陥っていた。エレンは大恥をかいたり占いの結果に文句を言われたりもしていた。
ハノはエレンのかわいそうなところを見ていられなかったので、スランプの脱出に助力する旨を申し出たのだが、エレンはハノの話に耳を傾けなかったどころか、その時分から自暴自棄になってしまっていた。エレンはやさしくてくれようとするハノさえも疎ましく思っていたのである。シンドウは「そこで」と言った。
「わてはボイジャーはんとその話を聞きエレンはんの助けをしていたのでおます。ボイジャーはんはカイはんとケンはんも巻き込んでいたでおます。つまり、わてらはエレンはんの占いや術式を成功させた風に装っていたのでおます。エレンはんはそれでも不完全な自分の能力に苛立っているご様子だったでおます」シンドウは語り終えた。これは繰り返しになるが「カイはん」ことカイラクエンと「ケンはん」ことケンロクエンはボイジャーの兄貴分のことである。シナノはある可能性に至った。
実はエレンが予言したアマギとミヤマの災厄はエレンの内なる怒りの表れだったのである。
あの時はシンドウがわざとくしゃみをして水難を起こし、次の予言は陰で見ていたボイジャーがわざとアマギとミヤマに激突していたのである。それではなぜアマギは催眠術にかかっていたのかというと、あれはただ単にアマギが催眠術にかかりやすい体質だったというだけの話である。だから、ミヤマは平気だったし、ロボットのボイジャーに至っては催眠術にかかった振りをしていたのである。
「そういうことなら」テンリは嘴を挟んだ。「ぼくにいい考えがあるよ。建前はハノさんに厳しくしていても本音はエレンさんも仲直りしたと思っているだろうから、話は簡単だよ」テンリはそう言うとハノとエレンが仲直りするためのプランをお披露目した。アマギとミヤマはテンリ・サイドがそうこうしている内にボイジャーに連れられこちらにやって来た。テンリはアマギとミヤマからエレンの様子を聞き計画を最終段階まで推し進めた。テンリはその際にアマギとミヤマに状況を把握させ、シンドウとハノはボイジャーに自分たちの工作がバレたことを報告した。ボイジャーはそれを踏まえテンリたちとの協力を惜しまないと誓った。
その後のテンリたち一行はエレンの元へ戻って来た。エレンはハノの姿を確認しても目を合わせようとはしなかった。エレンは退屈そうに「それで?」と聞いた。
「ぬしらは揃いも揃ってわらわになんの用じゃ?」エレンは不機嫌さを隠そうともしない。
「実はハノさんの術式が失敗しちゃってシンドウさんがおかしくなっちゃったんだよ。エレンさんなら、なんとかできないかなあ?」テンリはまず下手に出ることにした。
エレンは「ふ」と鼻白んだ。「これだから、凡夫には手を焼かされるというものじゃ」エレンはそう言うとシンドウに催眠術をかけ一見すると虚ろな目をしていたシンドウを落ち着かせようとした。
だが、それは失敗に終わり、シンドウは「ドシン・ドシン」と地響きを立て暴れ出した。シンドウの迫真の演技は壮絶なものであり、エレンはボイジャーに催眠術をかけシンドウを止めるよう命令を下した。
ここにシンドウVSボイジャーの戦いの火蓋が切って落とされた訳だが、エレンはなぜこの場の最高戦力であるアマギに催眠術をかけなかったのかというと、それは一重にテンリとミヤマがアマギの前に立ちはだかっていたからである。ボイジャーはあえて後手に回り、シンドウは根っこでボイジャーをシナノの方へ投げ飛ばした。シナノは避けずとも元々当てる気はシンドウにもなかったので、その心配は無用だった。
「ここはアマギはんたちに何とかしてもらうどす。エレンはとにかく逃げるどす。厄介事に巻き込んですいまへん」ハノはエレンを慮った。だが、エレンには逆効果だった。
「わらわに命令するでない」エレンは尚も言葉を紡ごうとした。しかし、今度はシンドウがハノに向かって倒れかかって来たので、エレンは口をつぐみハノとシンドウの間に割って入りハノのことを救済した。
ハノはエレンに助けてもらいながら「なぜどす」と言った。
「大切な友達を見捨てて逃げるなど言語道断の恥ずべき行為じゃ」エレンは真摯な気持ちで言葉を紡いだ。「ハノもまだ油断するでない」エレンは気持ちを切り替えた。
「言質は取りましたでおます」シンドウは急に落ち着きを取り戻した。
ハノはエレンのことを「ギュッ」と抱きしめたが、当のエレンはポカンとしている。
「どういうことじゃ」エレンは尊大な態度を取り戻し不敬極まりないと言わんばかりである。テンリはそこで説明役を買って出た。シンドウの暴走は演技であり、全てはエレンにハノを助けてもらうシナリオだったことを説明したのである。テンリは予めエレンとハノの関係について当事者のハノから聞いていたので、エレンがハノを助けない可能性は端から考えてはいなかった。テンリはそもアマギから「エレンはボイジャーを助けようとしアマギの攻撃を自らが盾になることにより止めようとしていたとも聞かされていたので、心配は尚さら不要だと考えていた。エレンは「なぜじゃ」と呟いた。
「ハノはなぜわらわのような面倒くさい愚か者にそこまでしてくれるのじゃ」
「わっちとエレンは友達どす。他に理由はいりまへん」ハノはきっぱりと言った。ハノはさらにエレンのことを抱きしめた。エレンは照れ隠しをしながら「まあ」とテンリたちの方を見て言った。
「大体の話は理解したが、なんというか、わらわのためにそなたらが動いてくれたというのであれば、ありがとうなのじゃ」エレンは柄にもなく傲慢の仮面を取った。シンドウとボイジャーは笑顔になった。ミヤマはそんな折に「やれやれ」と言い一気に雰囲気を壊しにかかった。
「ツンデレ姫の世話には手を焼かされるぜ」ミヤマはお茶らけている。だが、ミヤマに悪意はこれぽっちもない。シナノはそれを受け「ふふふ」と破顔一笑した。
「ミヤくんの三枚目ぶりはどんな時でも相変わらずね」
「確かに重い空気は一掃されました」ボイジャーはミヤマのセリフを好意的に受け取りシナノに同調した。
「ハノさんとエレンさんはこれでまた仲良しになったって言ってもいいのかなあ?」テンリは素朴な疑問を口にした。それは相棒のアマギも抱いた疑問である。
「わらわとハノは最初から仲良しじゃ」エレンは開き直っている。なにせ、ハノはわらわのために使えない凡俗共を遣わして寄こしたくらいじゃ」エレンはボイジャーたちの裏工作を見抜いていたのである。
「これは一本取られたでおます」シンドウは「凡俗」呼ばわりされてもスルーした。
「もう」ハノは呆れている。「エレンったら、ほんまにツンデレどす」
今は堂々としているが、先程は必死だったので、エレンはテンリの作った小芝居には引っ掛かっていた。ハノにはそれがよくわかっている。ハノとエレンは大親友だからである。それはエレンにも言える。つまり、エレンも自身が騙されていたとハノにバレていることを知っているのである。
話はまとまったし、日も暮れて来たので、テンリたち一行はハノらとここでキャンプ・ファイアをし、今晩はここで野営することにした。テンリとアマギは今日の出来事の意見交換をした。ミヤマはシンドウにダンスを教えた。シナノとボイジャーはそんな二人を囃し立てた。ハノはエレンと和解できたことを改めて実感し涙を流していたので、エレンはそんなハノにずっと寄り添っていた。今宵は上弦の月がよく映えている。実は自転と公転の周期がほぼ等しいので、月は常に一定の反面だけを地球に向けている。また、月は太陽に対する位置の関係により新月・上弦・満月・下弦の位相現象を生じるのである。
翌日である。エレンとハノは昨晩に協力して占星術でテンリたち一行の命運を占い、多少のハプニングはあるものの、前途は洋々であると予言していた。ミヤマは失礼ながらエレンが占っている時点で真偽の程を勘ぐったが、実は昨日のいざこざにより、エレンの占いは完全に復調していた。
エレンはついにスランプを乗り越えたのである。ハノはテンリを初めとした一向にお礼を言った。ボイジャーとシンドウはテンリたちの健勝を願った。エレンは最後まで素直になれず「そなたらも精々仲良くすることじゃ」と言っていたが、テンリたちはそのセリフを善意として素直に受け取った。本当はエレンも口下手なだけであり、テンリたちには多分に感謝をしている。
ボイジャーとシンドウはもう少し『神秘の地』に残るので、テンリたち一行はその二人とハノとエレンに見送られ甲虫王国のメッカであり最後の秘境である『極上の地』へ向けて出発した。
テンリたち一行の旅は順調に進みアルコイリスまでの距離と方向を示した石の道標も通過した。感動のクライマックスは徐々に近づきつつある。ミヤマは真っ先に心の内を吐露した。
「本当にここまでは長い道のりだった。なんだか、おれは感極まって泣けてきたよ」
「ミヤはおれとテンちゃん程の道のりではなかったけどな」アマギは余裕である。
「アルコイリスに到着したら、ぼくも一人前かなあ?」テンリは期待を膨らませた。
「わかりませんよ。遠足はお家に帰るまでが遠足です」ミヤマは茶々を入れた。
「あら」シナノは意外そうにしている。「さっきは旅が終ったようなことを言っていたのに、ミヤくんは急に掌を返すのね」シナノに悪気はない。そのため、ミヤマも「はっはっは」と笑って受け流した。
テンリたち一行がそんな益体のない話をしていると誰もが待ち望んでいた歓喜の瞬間はついに訪れた。『極上の地』はまさしく甲虫王国の理想郷に近い場所である。必然的にそこにはたくさんの甲虫が集まっていた。入口には体長115ミリのレギウスオオツノハナムグリがおり、彼はテンリたちのために祝詞を上げてくれた。もっとも、アマギだけは「でっかい虫だな」と言い碌に聞いていなかった。
祝詞が終わると、ハナムグリの男性は七色の樹液の説明をしてくれた。『極上の地』には7本の木がありそのそれぞれに一種類の樹液が出ている。その7本の木から出ている樹液はそれぞれ違った種類の樹液を出している。色は「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」といったラインナップになっている。
この話はアマギもしっかりと聞いた。ちなみに、ハナムグリの男性はテンリより75ミリも大きくアマギよりも35ミリほど大きいのである。その大きさにはテンリも少し気圧されていた。
それはともかくテンリたち一行はまず黄色に輝く樹液を堪能することにした。アマギは単純に「うまい」を連発しており、シナノは舌鼓を打ちながら「葉や幹も幻想的ね」と感想を述べた。アルコイリスの葉は光を帯びており、その葉の美しさは南十字星にも決して引けを取らない。
テンリは「おいしいね」という控えめなコメントを述べたが、ミヤマだけはまるでグルメ・レポーターのように饒舌だった。テンリたちにとってはこれまでの苦労もあり、アルコイリスの樹液の味は一入である。
テンリたちが二本目となる緑色の樹液を堪能していると、その静寂は唐突に破られた。アマギの下からヒリュウが出てくると、アマギは「うわー!」と驚きの声を上げたからである。
ヒリュウは何事もなかったの如く「甲虫王国のメッカ『極上の地』で会えるとは運命的やな」と言った。アマギは文句を言おうとしたが、今度はクスキがアマギの下から『サークル・ワープ』で現出したので、アマギのクレームは遮られた。クスキはというと「あらー」と言いテンリたちを見た。
「テンリちゃんたちとはお久しぶりね。テンちゃんはちょこっとばかり借りていくわよん」クスキはそう言うと「え?」と言い戸惑うテンリを連れ飛んで行ってしまった。
「ヒリュウはともかくクッちゃんまでもが出て来て早々に自由だな」ミヤマは呆れて目をパチクリさせている。
「というか、ヒリュウはいつまでそこにいるつもりだよ」アマギは今度こそは不平不満を述べた。
ヒリュウは未だにアマギの下におりアルコイリスの樹液を存分に味わっている。ヒリュウは「最高に美味やな」と言いながらアマギの下から這い出て来た。
「クッちゃんはともかくヒリュウは『宮殿の地』で『わいもコツコツとアルコイリスを目指す旅に出る』的なことを言ってなかったかい? 『サークル・ワープ』はズルだろう」ミヤマは指摘した。
「なんや」ヒリュウは心外そうにしている。「ミヤちゃんは忘れたんかい。ワイはあの時『コツコツと』なんて一言も言っとらへんで」ヒリュウは詭弁を使っている。シナノは「それなら」と言った。
「私達が『披露の地』で出会った意味は一緒に七色の樹液を堪能しようとして失敗し、今度こそはうまく合流できたと解釈していいのかしら?」シナノはいつだって理知的である。
ヒリュウは「そういうことや」と応じた。アマギは「それで?」と心配そうにしている。
「ヒリュウはなんでクッちゃんまで連れて来たんだ?」アマギはあくまでも相棒の安全を慮った。「テンちゃんは誘拐されてるけど、これって追いかけた方がいい展開なのか?」
ヒリュウは『トライアングルの戦いで』でアスカひいてはクーやソーとも面識ができていたので、『西の海賊』のクスキとも面識があってもアマギたちにとっては特に驚くべきことではないのである。
ヒリュウはサイジョウとも面識があり、クスキはキャプテンのサイジョウから特別に許可をもらいこの場にやって来たのである。ミヤマはシナノはそのことについての大体の予想はついている。アマギだけは唯一テンリが心配なので、今回はそこまで頭を働かせる努力を怠った。
「心配はいらへんよ。クッちゃんはテンちゃんと内々で話したいことがあるだけやって言うとったし、テンちゃんがクッちゃんに危害を加えられるなんてことも杞憂や。わいはなんでクッちゃんを連れて来たかというと、それは単純にクッちゃんもわいに同行したいと言うとったからや。クッちゃんはテンちゃんになんの話があるのか、わいもそこまでは知らへんけどな」ヒリュウの弁舌は豊かである。
クスキはテンリに用事がありそのためにテンリを連れて行った以上は仕方ないので、アマギたちはヒリュウと一緒にこの場でテンリとクスキの帰りを待つことにした。
同時刻である。テンリはクスキと一緒にマリン・ブルーの樹液を堪能していた。一旦はこの場で人心地をつき落ち着いてから話をしたいとクスキは申し出たからである。
もっとも、落ち着いていないのはクスキだけであり、テンリは至って普通である。いわゆる、テンリは通常運転というやつである。クスキはテンリに「最近は何をしていたのか」と問うた。テンリは『神秘の地』に滞在していた旨を伝えると、クスキは「巫女さんって素敵よねえ」と言った。
テンリは短気ではないが一向に話が進む気配はなかったので、結局は思い切って自発的に「クッちゃんはそろそろ落ち着いてきたかなあ?」と問いかけた。クスキは申し訳なさそうにした。
「話が脱線しちゃってごめんなさいね。あたしってば、実はヒリュウきゅんに恋しているのよん」
「うん」テンリは平然としている。「それはいいことだね。クッちゃんはオカマよりのメスだものね」テンリはクスキの突然のカミング・アウトにも全く動じた様子は見せていない。
「あらー」クスキはあんぐりとした。「メスよりのオカマと言われるよりはうれしいわ。あたしは感動して涙腺が崩壊しそうよん。それでね。ヒリュウきゅんはあたしのことをどう思っているかしらん。ヒリュウきゅんはあたしみたいなオネエでも受け入れてくれるかしらん」クスキはもじもじしている。クスキは思わず食べるという動作を停止しているくらいである。テンリは淀みなく答えた。
「ヒリュウくんは懐が広いから、受け入れてくれるとは思うけど、その話とヒリュウくんがクッちゃんを恋愛対象として見ているかは別の問題だね」テンリは「うーん」と言い自分にできることを探している。だが、その必要はなかった。クスキの顔はそれだけでパッと明るくなったからである。
「テンちゃんからは勇気を貰えたわ。善は急げよ。あたしは早速にヒリュウきゅんに思いを打ち明けてみるわ」クスキは羽を広げて少しばかり浮いた。テンリは「ちょっと待って」と言いクスキを呼び止めた。テンリは何もクスキの無鉄砲さや脈のありなしを心配している訳ではない。
「クッちゃんはどうしてアマくんやミヤくんやナノちゃんじゃなくてぼくを相談相手に選んでくれたの?」テンリは素朴な疑問を口にした。テンリとしてはそれが一番の謎だったのである。
「それはもちろんテンちゃんは誰よりも当たりが柔らかいからよん」
「そっか」テンリは微笑んだ。テンリは「ありがとう」と言うと自分にできることを考える行為を止めた。
クスキの決心はテンリと話す前から決まっており身内である『西の海賊』以外の虫から背中を押してもらいたかっただけだったからである。テンリはそれに鋭く気づいた。
その後のテンリとクスキはアマギたちと合流し、クスキはヒリュウに愛の告白をした。クスキはきちんと想いを届けるためヒリュウのいいところと惚れた理由を明確にした。
ヒリュウはいつだって自信満々でやさしくて友達想いで豪快で度量が広く云々と話したのである。若干はテンリがさっき言っていたセリフとも被っていたが、テンリはスルーしておくことにした。
ミヤマはさすがに茶化すことはしなかったが「マジでか」と小声で驚いている。アマギとシナノは平常心を揺るがすことはなかった。テンリとクスキは真剣な眼差しをしている。
テンリはクスキの恋を心から応援しているのである。
「クッちゃんの気持ちはよくわかったで」ヒリュウは皆の注目を一身に受けようやく口を開いた。「クッちゃんは全くそうじゃないゆう訳やないけど、わいはナノちゃんみたいに知的でお淑やかな女性が好きやねん。くっちゃんの想いには応えられへんでごめんな」ヒリュウにしては珍しく今は大まじめである。クスキはしゅんとしてしまった。ついでに言えば、テンリもがっかりしている。
「ていうか」ミヤマは口を挟んだ。「今度はさりげにヒリュウがナノちゃんに告白していないかい?」
「せやな」ヒリュウはあっけらかんとしている。「わいは密かにナノちゃんに恋焦がれていているんねん」
「ホントに今度はヒリュウがナノちゃんを好きっていう話になったー!」ミヤマは一人で騒いでいる。「ナノちゃんの返答はいかに」ミヤマはわかりやすく矛先をシナノに向けた。
「ごめんなさい」シナノは見事にヒリュウを撃沈させた。「私にはもう好きな男の子がいるの」
ミヤマは再度「マジでか」と言った。ヒリュウはそれでも「まあ」と言いブレない。
「ナノちゃんの想い虫はテンちゃんとアマちゃんとミヤちゃんの誰かやろうけど」ヒリュウは半ば決めつけている。ヒリュウの思考回路はいつだって雑なのである。
だが、今回のそれは飛躍したものではなかった。シナノは素直に「ええ」と応えたからである。
「今は打ち明ける気はないけど」シナノは付け足した。
「だあー!」アマギはついに我慢の限界を迎えた。「おれはもう惚れた腫れたの話には飽きた。おれたちはそろそろ腹ごしらえを続けないか? 折角の七色の樹液だぞ」アマギは「色気より食い気」を地で行っている。テンリは複雑な心境だったが、ミヤマは「いやいや」とテンリの心境を口に出した。
「感心するよ。アマはよくこの状況でご飯を食べられるな。とてもじゃないけど、おれはこんなぎくしゃくした空気の中で快く食事はできる自信がないよ。七色の樹液は確かに最高に美味だけど」
ミヤマは「ぎくしゃく」という表現を使ったが、まとめると、クスキはヒリュウが好きであり、ヒリュウはシナノに好意を抱いており、シナノはシナノで他に意中の虫がいるという構図である。
ようするに、クスキたちは四角関係の図式を成立させている。
「心配はいらないわよん」クスキは毅然としている。「今回は諦めるけど、あたしにはまだこれからがあるんですもの。ヒリュウきゅんがフリーな限り、あたしは何度だってアタックするんだから」
クスキはもはや躍起になっている。テンリにはその姿が貴く思えた。
「わいもそれは同じやで」ヒリュウも負けじと口を挟んだ。「わいは女の子に振られたくらいでしゅんとなるような性格はしてへんからな」結局はヒリュウもまだシナノへの慕情はある。
「よし」アマギはうれしそうである。「話はまとまった。次は待望の飯だ。レッツ・ゴー!」
アマギはテンションが上がっている。テンリはそんなアマギを眩し気に見つめた。
「アマくんは自由でいいね。ぼくもいつかはアマくんみたいになりたいな」
テンリは尚もキラキラした瞳をアマギに向けている。アマギはテンリの手を取って先導した。シナノはその二人をじっと見てミヤマに目を移すと微笑んだ。ミヤマは遅れて歩き出した。
テンリたちは結局のところホントにぎくしゃくしないでアルコイリスの七色の樹液を堪能することができた。クスキはヒリュウと一緒に食事をしていて楽しそうだったし、アマギは最初から最後まで恋愛沙汰に無関心だった。テンリは中立的な立場を貫き通したが、ミヤマは唯一もしかしてシナノが好きな男のことは自分なのではないだろうかと浮かれていた。ミヤマもシナノに好かれていれば、悪い気はしないのである。
この日のテンリたちは『極上の地』で一泊し行く朝もアルコイリスの樹液を堪能してから帰途に就いた。ヒリュウとクスキは来た時と同様に『サークル・ワープ』で『浜辺の地』へ帰って行った。最後は皆が笑顔だった。本当に四角関係でしこりは残らなかったのである。
ここではテンリたち一行の帰路に起きたことを記しておくことにする。実はヒュウガにはヒョウゴという名の革命軍の残党である弟がいたのだが、そのヒョウゴはテンリたちを襲撃して来た。だが、それはテティの父も助けたことのあるグリースの介入により阻まれた。
グリースとは『ネクスト・ジェネレーション』の一人であり体長およそ90ミリのグランティスオオクワガタである。テンリたちの帰路で敵襲を受けたのはこの一回こっきりである。
道中にはテティとも出会ったが、テンリは約束していたとおりアマギをテティに紹介し、テティはしっちゃかめっちゃかに喜んでいた。アルキメデスはルモに愛想をつかされ自棄くそ気味にアマギの手駒になると言ったが、アマギはそれを拒絶した。アマギは師匠の柄ではないし、弟子は欲しいとも思っていないからである。アルキメデスはそれでも自分が縄張り意識の強い井の中の蛙であることをすでに自覚していた。テンリはアマギの代わりに謝ると、アルキメデスはテンリのことも慕うようになった。
ピフィは世界一周旅行に向けてその機会を虎視眈々と狙っていた。キラは母の墓前で弟のメラと共に一週間に一回のペースで読経のような歌を鎮魂歌としていた。つまり、キラの歌は相変わらずの音痴だった。
キラの『魔法の杖』を盗んだスズはキラと友達になっていた。さらに特筆すべきはキラが『ガラスの心』をお気に入り認定していたことである。『ガラスの心』とはテンリが考え出したシマウマが主人公の童話のことである。テンリは気恥ずかしいながらも内心では大喜びしていた。
トグラは新しいギャグ「びっくりくりくりくりっくりー」を生み出していた。トグラは今日も今日とて色んな虫をびっくりさせることに夢中だった。虫を驚かせるだけでは飽きが来そうなものだが、トグラにとってはそんなことはないのである。トグラは異郷である甲虫王国に骨を埋めるつもりである。
個々人によって価値観が違っているのは当たり前のことである。トグラは「これが男のマロンなのさ」と言い、ミヤマは「ロマンだろ」というやり取りもあった。
ズイカクは忍者教室を通じてサクラとお友達になっており、二匹は目下のところカブトムシとクワガタとしては最高ランクの『下人の上』を目指していた。テンリたちはそんな二人を応援した。
テンリはいよいよ家に帰って来た。テンリは妹のミナに気づくと「ただいま」と言い、ミナは「おかえりー」といの一番に出迎えてくれた。この日のテンリはテンリュウとミナミとミナに旅路についての尽きることのないたくさんの話をした。特にミナは一番ワクワクして話を聞いていた。
シナノは『秘密の地』で両親に一生のお願いをしていたが、あれは住み処を『平穏の地』にしてほしいという話だったので、今日はシナノも『平穏の地』で父と母の出迎えを受けた。
テンリたちの冒険は形而上の財産となった。学ぶことは多くあったが、テンリたちの4匹は元から持っていた個性や美点もこの旅の冒険でより一層に引き伸ばされた。
シナノは他の三匹の影響から世間や他者の評判を気にしすぎないようになった。
ミヤマは以前より自分の個性を生かして生きるスタンスを確立させた。
アマギは様々な戦いによりありのままの自分を大切にし揺るぎないメンタルを得た。テンリは色んな虫に助けてもらったことにより他の虫に勝ちたいとがんばりすぎないようになった。テンリとアマギとミヤマとシナノの絆はこれからも一生変わらず互いを尊重し力づけられる大切な仲間のままである。