アルコイリスと七色の樹液 18章
テンリ・サイドではカラス丸の旧友であるイノシシのイーノーの登場により俄かに緊張感が増していた。カラス丸とイーノーは上記のとおり仲のいい二匹である。
カラス丸はイーノーに対してアマギとテンリの排除を依頼した。親友からの頼みなので、イーノーは快くそれを受け入れた。イーノーは割と気性の荒い動物なのである。
ここでのテンリとアマギの最も賢明な判断は「三十六計も逃げるが勝ち」というものなので、テンリはそれを口に出したが、その願いは潰えた。テンリとアマギがいくら上空に飛んでも、カラス丸は追いかけてくるし、イノシシはとても鼻がいいので、テンリとアマギはどこへ逃げてもイーノーにはテンリとアマギの居場所が手に取るようにわかるという仕組みになっているのである。アマギは「つまり」と言った。
「おれにはイノシシと戦うしか選択肢がない訳だな」アマギは余裕綽々である。「そのくらいの覚悟は『危険の地』にくる時点でしていたから、問題は別にないけどな」
「ほほう」イーノーは舌なめずりしている。「カブトムシはやけに自信満々じゃないか。カブトムシは本当におれちゃんに勝てると思っているのか? イノシシVSカブトムシだぜよ。もし、これでカブトムシが勝ったら、長い歴史上における世界初の出来事ぜよ」イーノーはそう言うとアマギに向かって突進を始めた。
アマギはそれに対して『進撃のブロー』を放ちギリギリのところでイーノーの突進を『急撃のスペクトル』で避けた。イーノーは鎌風を受けたので「ブヒャー!」という声を上げたが、体勢はすぐに立て直し臭いによってアマギの位置を把握し牙で攻撃を仕掛けた。
アマギはそれを角で受けたが、圧倒的な力の差によって吹き飛ばされてしまった。カラス丸は密かにニヤリとしている。テンリはこの戦いに早くも危惧を抱いている。テンリは思わず「アマくん!」と叫んだ。
「あんなにも強いアマくんが吹き飛ばされるなんてやっぱりイノシシくんの力は半端じゃないみたいだね」テンリは状況を把握した。「どうしよう? でも、アマくんなら、あれくらいじゃあ、やられないよね?」テンリはそう言いながらアマギのところへ向かった。アマギはやはりぴんぴんしてすぐに立ち直った。アマギは「心配かけてごめん」と詫びた。テンリとアマギの想い合いの場面である。
「でも、テンちゃんはおれのことを信じてくれ」アマギは嘆願した。「おれは絶対にこの戦いで負けることはない」アマギには微塵も不安を感じている様子がない。イーノーとカラス丸はやがてテンリとアマギの元にやって来た。アマギのことは信じているので、テンリの不安は消えている。
「おれちゃんはイノシシでこの図体だから、カブトムシはおれちゃんの動きが鈍いと思っていただろう?だが、おれちゃんはあいにく努力家でね。戦闘訓練を怠ったことはないぜよ。お遊びはここまでぜよ!」イーノーはそう言うと猪突猛進した。アマギはすでに戦闘態勢になっていた。アマギは『急撃のスペクトル』でそれをかわしイーノーの横から『レンクス・ファイア』を放った。足ではそれをかわせないと判断し、イーノーはゴロゴロと転がって炎の刃をかわして見せた。とはいえ、イーノーはアマギが炎を出したこと自体にはびっくりしている。ただし、イーノーはそのことを微塵も感じさせない追撃を行ってきた。
対するアマギは『急撃のスペクトル』で残像を見せ超高速移動によりイーノーの後ろに回り込み再度『レンクス・ファイア』を放ち、今度はイーノーの尻に見事に命中させた。イーノーは「熱ちー!」と騒いだ。
「まさか、おれちゃんがカブトムシごときにダメージを二度も負わされるとは思いもしなかったぜよ。認めてやるぜよ。カブトムシは確かに強いぜよ。だが、あっちのクワガタはどうかぜよ!」イーノーはそう言うとアマギとの戦いを放棄しテンリに向かって行った。なんと『スモール・レーザー』の効力が切れテンリは元の大きさに戻ってしまっていたのである。アマギは急行でテンリとイーノーの間に入ろうとしたが、それは間にあわなかった。イーノーが突撃したのはテンリが原寸大に戻って一秒もしない内だったので、テンリは動きが鈍っていた。テンリはやられそうなので、カラス丸はニヤリとしている。アマギは必死でテンリを庇おうとしている。しかし、次の瞬間には奇跡が起きることになった。それは当のテンリでさえも予想していなかった衝撃の奇跡だった。そのため、この場の者は一匹を除きびっくり仰天することになる。
こちらはミヤマ・サイドである。『芸術の地』のマスターであるサシマは人のいい性格をしているので、ミヤマとシナノを楽しませようとアートのすばらしさをおもしろおかしく教えてくれた。
今は移動中なのだが、マスター・サシマのおかげでミヤマとシナノが退屈することはなかった。今のサシマがミヤマとシナノを案内をしている先はアリサのいるところである。
アリサと言えば、性格はとてもやさしいのだが、気味の悪い生き物が大好きな少しばかり下手物趣味の女性だったなとシナノは密かに心の中で呟いてみた。それはいい得て妙である。アリサは「あら」と言った。
「サシマさんは『シャイニング』のお二人を連れてきて下さったのですね? ありがとうございます。お二人はまたこの地にきてくれてありがとう」アリサは笑顔になった。「私はとてもうれしい」
「アリサさんはお元気そうなので、こちらこそなによりです。サシマさんのお話によると、アリサさんはご自分でお作りになった作品をお見せして下さるそうですね?」シナノはあっけらかんとして言った。「私達はすごく楽しみです」おそらくはまた気味の悪いものを目にするのだろうとシナノは思ったが、そんな態度は微塵も見せなかった。ミヤマは純粋にアリサの作品に興味を魅かれている。
「そう言ってもらえると、私はすごくうれしいです。それでは私のアートのところへとお二人をご案内致しますが、マスターは『シャイニング』のことを私にお任せ下さい」アリサはきちんとサシマのことを気遣った。「マスターは何分にもこの地で親方も務められていらっしゃいますものね?」
「いやー!」サシマは謙遜した。「そう言うと、なんだか、格好いいですが、私は6匹いる親方の一人に過ぎないのですよ。それでは申し訳ありませんが、私はこの場を離れます。ミヤマさんとシナノさんはごゆるりと『芸術の地』で楽しんで行って下さい」サシマはそう言うとてくてくと歩き出した。ミヤマとシナノはアリサのところに案内してくれたお礼を言いマスター・サシマとお別れした。ミヤマとシナノはアリサに先導され歩き出した。シナノはちょっと緊張気味である。シナノはアリサと違ってグロテスクなものが苦手なのである。
「アリサさんの作ったアートは何でできているんだい? それとも、作品は絵画なのかな?」ミヤマは相も変わらずにアリサの作品の見学を楽しみにしている。シナノは少しミヤマを不憫に思った。
以前にテンリたちの4匹が『芸術の地』に来た時はシナノと別行動を取っていたので、ミヤマはアリサの悪趣味を知らないのである。とはいえ、その後のミヤマはすぐにぶったまげることになる。
「こちらがアリサさんの作品ね」シナノは目的地に着くと当たり障りのない感想を漏らした。「創造性がすばらしい。やまたのおろちにさらに手を加えたものみたいね」
しかし、ミヤマは気味が悪すぎて絶句している。本当のやまたのおろちは頭と尾はそれぞれ8つずつあるものだが、アリサの作った作品は4つ足と尻尾にも頭がついていおりなぜかお腹が空洞になっている。気味の悪いことはこの上なしの作品である。ミヤマは「これはすごい!」と言ってたまげている。
「化け物の中の化け物だ! できれば、二度とお会いしたくない化け物だな」ミヤマはようやく口を開いた。しかし、次の瞬間はミヤマにとっての本当の地獄が訪れる時だった。
「シナノちゃんとミヤマくんは褒めてくれてありがとう。アリサは煌々とした表情である。「私はとてもうれしい。それじゃあ、私はもっとすごいものを見せてあげる」アリサは『ソーサリー・フォース』をやまたのおろちまがいの怪物に使った。つまり、しゃべることはできなくとも怪物には命が吹き込まれてしまった。そうなると、これはもはやお決まりのパターンである。
20の顔を持った怪物はミヤマに襲いかかって来た。ミヤマは「ぎょえー!」と言って逃げ回っている。ミヤマは本当に不憫である。アリサは「うふふ」と微笑んでいる。
「ミヤマくんに懐いたから、おろちゃんはミヤマくんにじゃれているのね?」アリサは無邪気に喜んでいる。しかし、ミヤマは「二度とお会いしたくない」と言っていたので、やまたのおろちもどきは怒っているのではないだろうかとシナノは密かに思った。それは正解である。シナノは賢い女の子である。ミヤマはしばらく空に浮かんでいたが、羽もそろそろ疲れてきたので、地上に降り立った。結果的にそれが命取りになった。ミヤマはやまたのおろちもどきに足を噛みつかれてしまった。ミヤマは「ぎゃー!」と悲鳴を上げた。
「食われたー!」ミヤマは絶叫している。「というか、食われるー! 誰か、助けてくれー!」
さすがに他の虫と美的感覚の違いが激しいアリサでもミヤマがやまたのおろちもどきを嫌っているということには気づいた。そのため『ソーサリー・フォース』の力を止める方法を考えようとしたが、そんな時にミヤマのところには救世主が現れてくれた。化け物には『進撃のブロー』が三発も連続で当たった。
化け物は結果的にミヤマのところから退いた。その攻撃の主は『スリー・マウンテン』の一角のショシュンである。シナノは恩義を感じ「ショシュンさん!」と口にした。
「ショシュンさんがきてくれてよかった!」シナノは感嘆の声を上げた。「エナ王女もいらっしゃるのね?」シナノの言うとおり確かにショシュンの後ろにはエナの姿も見受けられる。
「シナノちゃんは褒めてくれてありがとう」ショシュンは謝意を表した。「でも、戦いはまだ終わっていないみたいだよ。ただし、今度の標的はミヤマくんから自分に切り替えたみたいだけどね」ショシュンは自分のところへと向かってくる化け物に対して発言をした。とはいえ、この戦いはすぐに終わりを告げた。
ショシュンは『トルネード・ブレスト』を使い竜巻を起こして化け物を竜巻に飲み込んだ。結局は敗北を認め、化け物は大人しくなった。ショシュンはさすがの強さである。
「こちらはアリサさんの作品ですよね?」ショシュンは紳士的な性格の持ち主である。「傷がついていなければ、幸いなのですが、攻撃を加えてしまってどうもすみません」ショシュンはレディーのアリサに対して平身低頭である。アリサは少しばかり取り乱し「いいえ」と言った。
「私の方こそ」アリサは軽率な行動を恥じている。「ごめんなさい。ショシュンさんがいらっしゃらなければ、ミヤマくんは大事故に巻き込んでしまっているところでした」アリサは心からお礼の言葉を口にした。「ショシュンさんは助けて下さってありがとうございます」アリサは恐縮している。怪物は粘土でできており、今はカチカチに固まっているので、かの有名なショシュンの攻撃を何度も受けても一応は少ししか、傷は残らなかった。それは不幸中の幸いである。ミヤマは「おれからもありがとうだよ」と言った。
「それにしても」ミヤマは冷やかした。「優男のショシュンさんとおデートとはさすがにエナ王女も隅に置けないな」ミヤマは調子に乗っている。「フー! フー! よ! 美男美女のカップル!」
「デートではありません。革命軍の残党がいたら、危険なので、ショシュン様は私を護衛して下さっているだけです。恥ずかしいことはおっしゃらないで下さいと何度も申し上げているではありませんか!」エナそう言うとミヤマに対して照れ隠しに5つの小石を投げ飛ばし、それは全部がミヤマに命中した。あいにく『運動の地』には行けなかったが、このやり取りを見てこの二人はずっとこんな感じだったのではないだろうかとシナノは想像した。シナノは勘がいいのである。ミヤマはこてんぱんにやられてから立ち上がった。
「わかった! わかった! おれが悪かったよ。それじゃあ、おれは一つ耳寄りな情報を提供しよう。これからのエナ王女とショシュンさんは美術館に向かうだろう? だったら、絵が飾られていない廊下は羽を広げて一気に進めばいいことがあるはずだよ」ミヤマは真面目を装っている。しかし、ミヤマは悪人面をしている。
「それは楽しみだね」ショシュンは謹厳実直な性格の持ち主である。「ミヤマくんはいい情報を教えてくれてありがとう」ショシュンは丁重にお礼を言った。
シナノは口を挟んであげようと思ったが、特にその必要はなかった。
「失礼ですが」エナは鋭い指摘をした。「ショシュン様はやさしすぎると思います。ミヤマ様のおっしゃるとおりにしても私達にはなんらメリットはないと思われます」エナはミヤマに対して懐疑心を抱いている。
「さすがは王女様ですね」シナノは加勢した。「今のミヤくんが言ったことは実現なさらない方が身のためだと思います。ただ、ショシュンさんなら、そんなことは言われなくても異変に気づく可能性は大いにありうると思いますけど」シナノは正直に言った。ミヤマは知らんぷりをして話を聞いている。ショシュンは照れ臭そうに「そうかな?」と言った。エナはシナノに対しては好感を持った。
「シナノちゃんは自分を高評価してくれているんだね?」ショシュンはとても紳士的な発言をした。「どうもありがとう」ショシュンの物腰はいつでも柔らかいのである。
エナと救世主でもあるショシュンはテンリとアマギにも会えなかったことを残念に思いながらミヤマとシナノとお別れすることにした。ショシュンは最後も丁寧な挨拶をした。
一度は下見にきているので、ショシュンは美術館までエナのことをエスコートしに行った。ミヤマとシナノの二匹はセンダイによって案内されたが、余程のことがない限り『芸術の地』の美術館は出入りが自由になっている。エナは憧憬のショシュンと一緒にいられて意気揚々としている。
アリサの作品である怪物は『ソーサリー・フォース』の効果が切れて元の粘土に戻った。アリサは気にしていないが、さすがに『スリー・マウンテン』のショシュンから『進撃のブロー』を三発も食らったら、アリサの作品は上記のとおりいくらカチカチに固まった粘土でも傷はついたが、それは後回しにして今度はセンダイに変わってアリサがミヤマとシナノのことを案内してくれることになった。そこでは船の新作や詩のお披露目会が催されていたので、ミヤマとシナノは十分に大満足することができた。
テンリは自分の体が元に戻っていることとイーノーが自分に向かって突撃していることに気づくのには遅れを取ってしまったが、他のことには敏感だった。それはアマギでさえも見落としていたことだった。テンリは『危険の地』に来た目的であるイワミとの再会に一早く気づくことができた。そのため、今はこっちに来たら、危ないというメッセージを送るため、テンリはイワミの方へとイーノーの驀進よりも早くその場を離れていた。イーノーはその結果として止まりきれずにテンリの後ろにあった大木に激突し伸びてしまった。
テンリにとってはまさかの緊急脱出である。とはいえ一番ほっとしているのはアマギである。今の状況はどう考えてもイワミが来てくれなかったら、アマギは自分も間に合わずに大切なテンリに大ケガを負わせてしまうところだったからである。それこそはアマギの戦士たる由縁である。
「なんだカー? おい! イーノーは起き上がれカー! 戦いはまだ終わっていないじゃないカー」カラス丸は必死に呼びかけた。しかし、当のイーノーはすでにKOの状態だった。
「どうする?」アマギは聞いた。「イノシシはもうダメだ。カラスは試しにもう一度くらいはおれと戦うか?」アマギは依然として強気である。テンリはそんなアマギを見てアマギのことを格好よく思っている。
「くそー! 仕方ないカー! おれは負けを認めてやるカー! 最近の虫はこんなにも強いなんて知らなかったカー!」カラス丸は「あばよ」言うとこの場から飛んで逃げた。常識のある生き物なら、カラスに勝つカブトムシとか、イノシシに勝つクワガタとかいるとは思わないのが普通である。
「こんにちは」イワミは挨拶した。「テンちゃんとアマくんとは久しぶりね。テンちゃんはさっき『こっちに来ちゃダメ』って言っていたけど、それはどういうこと?」イワミはとても落ち着いた口振りで状況を受け止めている。「あら? イーノーちゃんもいるじゃない! 皆はお友達なの?」イワミの大様さは昔と変わっていない。テンリは気まずそうに「うーん」と考え込んだ。
「ぼくはお友達になりたいけど、今までの様子からはちょっとそういう雰囲気ではなかったよ」テンリはそう言うとイワミに対してカラス丸とイーノーとの戦いのことを話した。
それを受けると、イワミはびっくりしてしまった。さらに自分たちがわざわざイワミのところへ来たのはイワミの夢を実現するためだとテンリが説明するとまたもやイワミはびっくりした。
「テンちゃんとアマくんは本当にいい子ね」イワミは言った。「ここに来るには勇気を出す必要もあったし、実際に怖い目にも合っているのにも関わらず、どうもありがとう」イワミは謝意を表した。「私とお別れをしてからテンちゃん達には新しいお友達ができたって聞いているけど、その子はいないの? 今」イワミは大いなる興味を抱いて聞いた。アマギはすぐに「ああ」と納得した。
「ナノちゃんのことか? 今のナノちゃんとミヤは他のところにいるんだ。二人は元気だぞ」アマギは主張した。「おれとテンちゃんも元気一杯だ。ん? イノシシはもう起きたのか?」アマギはイーノーが意識を取り戻し起き上がったのを見て感心している。「その体はさすがに伊達じゃないな」
ただし、テンリは警戒している。イーノーは目を細め「痛たた!」と言っている。
「まさか、クワガタはあのスピードのおれちゃんから逃げるなんて予測外だったぜよ。さてと、決着をつけるとするぜよ。あれ? カラス丸はどこぜよ。というか、イワミさんがいるぜよ。お久しぶりぜよ」イーノーは急に礼儀正しくなった。その変化には少しばかりテンリとアマギもびっくりしている。
「すごいね」テンリはイワミを褒めた。「イワミさんはネコさんなのに、イノシシのイーノーくんにも慕われているんだね」テンリはイワミを見上げた。口には出さなかったが、気持ちとしてはアマギも右に同じである。
「テンちゃんは口がうまいわね」イワミは言った。「イーノーちゃんは元気にしていた? イーノーちゃんはカブトムシのアマくんとクワガタのテンちゃんを傷つけちゃダメよ。二人はとってもいい子なのよ」
「そうだったかぜよ。それは申し訳ないことをしたぜよ。すまないぜよ。おれちゃんはカラス丸に頼まれて戦っていたのに、本当の二匹は悪人でもなくその上にカラス丸は逃げ出したとはどうしようもないぜよ。次にカラス丸に会ったら、おれちゃんはよく言い聞かせてやるぜよ」本来のイーノーは正義感のある動物だったのである。テンリとアマギはそれがわかるとほっとしている。テンリは「なんだ」と言った。
「イーノーくんとは話せば、ぼくたちはわかり合えたんだね。イーノーくんはどうやってイワミさんとお友達になったの?」テンリは先程から気になっていたことを聞いた。イーノーは「おお」と言った。
「テンちゃんはいいことを聞くぜよ。その出会いはおれちゃんがまだウリ坊だった頃に冒険に憧れて人間界に一人きりで突撃した時があったぜよ。しかし、色々なところで色々なものを見るというところまではよかったのものの、あろうことか、おれちゃんは帰り道を思い出せなくなったぜよ。一言で言えば、迷子とかいうやつぜよ。おれちゃんはめそめそと泣いていたら、イワミさんはおれちゃんに声をかけてくれて昆虫界のおれちゃんの家まで送り届けてくれたぜよ。だから、イワミさんはおれちゃんの大恩人なんだぜよ。受けた恩は忘れないというのがおれちゃんのモットーなんだぜよ」イーノーは熱意を込め言った。アマギは「おお」と感嘆した。「それは中々の感動的な話だな」アマギは評価した。「イワミさんがやさしいのは知っていたけど、実はイーノーもいいやつだったのか。生き物は第一印象で計れないっていうことだな」アマギは無邪気に自画自賛している。「少しはおれも頭がよくなったよ」そのアマギの様子を見ると、テンリは微笑んだ。
その後のアマギはイワミの夢を叶えるために持っていたポシェットから『マグネット・ベルト』を取り出した。テンリはその『マグネット・ベルト』をイワミの体に装着してあげた。
イーノーは黙ってそれを眺めている。すると、イワミの念願はついに果たされた。あろうことか、普通のネコなのにも関わらず、イワミは木を上って行き最後には木の頂上にまで達した。
そこから一望する景色は得も言われぬものだったが、イワミにはそれが霞んで見えた。 それはついに昔からの夢が叶ったからというのもあるが、なによりも、イワミにはテンリとアマギが自分の夢を忘れずにその上でそれを叶えてくれたことが涙を流す程にうれしかったのである。イワミのところにはイーノーを地上に待たせテンリとアマギもやって来た。イワミは「テンちゃんとアマくんはありがとうね」とお礼を言った。
「虫さん達はこうして高いところに登っていたのね?」イワミは涙を拭いながらも感傷にふけっている。「それはすごく素敵なことね」イワミに言われると、テンリは「そうか」と微笑みを浮かべた。
「ぼく達(虫)は当然のことだと思っていたけど、木に登れるっていうことはこんなにも他の生き物さんを感動させるんだね」テンリはやさしい口調で言った。アマギはニッコリしている。
「私は『魔法の毒』を飲んだ時に助けてもらったり、今も夢を叶えてもらったりしているから」イワミは言った。「テンちゃんとアマくんにはなにかお礼をしなくちゃね」イワミは律儀な性格をしている。だが、テンリはやんわりと「ううん」と言った。アマギは口を挟まなかった。
「大丈夫だよ。ぼく達はイワミさんにやさしくしてもらったもの。たくさん」テンリはちゃんとイワミからやさしくしてもらったことを忘れてはいない。「イワミさんは以前にぼく達を背中に乗せてくれたり、栗の木のある場所とか『忍者の地』とかにも連れて行ってくれたりしたものね」
アマギはテンリに感化され「ああ」と同意した。
「そうだな」アマギは言った。「イワミさんはいつも他の生き物にやさしいから、これはそのご褒美を貰ったんだと思ってもいいぞ」アマギは寛大である。イワミはテンリとアマギのやさしさに触れまた瞳からは涙が零れ落ちた。それを見ると、テンリとアマギは自分たちもうれしくなり再び笑顔になった。
「おーい!」大きな体のイーノーは木の頂上にいるテンリとアマギとイワミの三匹に対して地上から大きな声で呼びかけた。「皆は何をこそこそとしゃべっているんだぜよ。次はおれちゃんの番だろう? 別にゆっくりでもいいけど、イワミさんの気がすんだら、おれちゃんにもそれをやらせてくれぜよ」
「雰囲気はイーノーのせいでぶち壊されたな」アマギは呆れている。「わかったよ。『マグネット・ベルト』はちゃんとイーノーにも貸すから、今は大人しく待っていてくれ」今度は地上のイーノーに対して木の上のアマギが大声で呼びかけた。イワミはやがて色んなところへ木の上を散歩すると、次はイーノーがチャレンジすることになった。木に登ると、イーノーは開口一番「おお!」と歓声を上げた。
「すげえぜよ。イノシシが木登りをしているぜよ。おれちゃんはもしかすると全世界で初の木登りイノシシかもしれないぜよ」イーノーはそう言いながらもナマケモノみたいに木の枝にぶら下がっている。イーノーはイワミと同様にしてよっぽど木登りできたことがうれしかったのである。
「一応は落下しないように気をつけてね」クワガタのテンリは木登りの先輩としてイーノに対して助言した。「細い枝を歩いている時は特に要注意だよ」テンリに言われると、イーノーは「ああ」と応じた。
「わかったぜよ。例えば、こんなことをしたら、おれちゃんはいけないんだろう? あ」イーノーはそう言いながら木の上から落下した。「しまったぜよ」イーノーは4つ足を木から離したのである。アマギは降って来たイーノーを避けながら「どわー!」と言った。テンリとイワミもびっくり仰天である。
「って」アマギは突っ込みを入れた。「イーノーはおれ達を殺す気か! おれ達はたまたま真下にいなかったから、よかったものの、そうじゃなかったら、おれとテンちゃんは死んでいたし、イワミさんだってきっと骨折していたぞ!」アマギはイーノーの不注意さを諫めた。当然と言えば、当然である。
「すまないぜよ」イーノーは素直である。「しかし、木の上に登れたのは本当によかったぜよ。ありがとうぜよ」イーノーは「よっと!」と言いながら飛び起きた。イーノーは木から落ちても平気なのである。
「よかった」テンリはやさしく発言をした。「イーノーくんにもケガはなかったんだね? 結果よければ、全てよしだよ」テンリはきちんと今は友達になったイーノーの心配をしていた。
「テンちゃんはやっぱりやさしいわね」イワミは謝意を表した。「アマくんも私のことを気にかけてくれてどうもありがとう」今のイワミは幸福そうな顔をしている。イーノーは「よし!」とさらにボルテージを上げた。
「それじゃあ」イーノーは真面目な顔をして妙なことを言い出した。「おれちゃんからはテンちゃんとアマくんにお礼とお詫びのチューをしてハッピー・エンドにしようぜよ!」
「どこがハッピーだよ!」アマギはすかさずにつっこみを入れた。「どこをどう受け止めたら、それがハッピー・エンドになるんだよ! イーノーは考えることがミヤよりも下だな」
テンリとイワミは笑みを浮かべている。天然ボケとしてはアマギも他の生き物のことを言えた義理ではないというのは言うまでもないかもしれないが、今のアマギはようするに自分のことを棚に上げているのである。
いつかはまた会えるとはいえ、テンリとアマギはイワミとイーノーと一時のお別れをすることになった。テンリとアマギは危険を覚悟してこの『危険の地』にやって来たが、最後は細やかながらもイワミとイーノーから笑顔のあるお見送りを受けることになった。テンリとアマギはそれに感謝した。
こんなことになるとはよもやテンリとアマギも思ってはいなかったが一つだけ言えることは「類は友を呼ぶ」ということである。やさしい虫のところにはやさしい生き物が集まるようになっているのである。
ミヤマとシナノは『遊戯の地』にテンリとアマギよりも一足先に帰って来ていた。ミヤマとシナノはセンダイと出会ったところよりもさらに先へと進んでいた。そこは賑やかなところだった。
『遊戯の地』は遊び道具というよりもテーマ・パークの方がメインである。ミヤマとシナノは『遊戯の地』の中にある昆虫のための遊園地にやって来た。
ミヤマとシナノは10代前半の子供なので、気分は上々である。周りには節足帝国の技術をふんだんに利用したアトラクションがありそこそこ他の虫たちもいて賑わっている。そんな中で散策していると、ミヤマとシナノは矢庭にジェット・コースターに乗りたい衝動にかられたので、ミヤマはそれを口にしようとしたが、それは迷子センターの方から「おーい!」と声がして阻まれることになった。
「ぼくはここにいるだっち!」子供のクワガタは呼んでいる。「じいじは迎えにきてくれただっち?」
ミヤマとシナノの二人はあたりを見回したが、それらしき虫はいなかった。ミヤマは訝し気に「ん?」と言った。シナノはその子がミヤマの方を見ていることに気づいた。
「なんだい?」ミヤマは言った。「まさかとは思うけど、ジイジっておれのことじゃないだろうな? だとしたら、それはとんだ思い違いだな。おや? でも、あの子はどこかで」ミヤマの声は途切れた。先程に声をかけたメルシーという名のクワガタは防犯ブザーを鳴らしたからである。そうすると、迷子センターの係員が急行してミヤマのことを捕縛しそうになった。ミヤマは慌てている。シナノは「あの」と言った。
「私達は怪しい者ではありません」シナノは冷静である。「こちらのミヤくんはあちらの男の子に何もしていないですし、危害を与えるようなこともないと思います。ミヤくんはあの子の知り合いみたいですし」シナノは係員に対して弁解した。ミヤマはおかげでなんとか事なきを得た。ミヤマはとりあえずほっとしている。ところが、メルシーはというと「なーんだ」と言いおもしろくなさそうである。
「ジイジでもないし、変質者でもないだっちか。おもしろくないだっち」メルシーは気を取り直した。「ぼくの名前はメルシーだっちよ。よろしくだっち」メルシーは急に礼儀正しくなった。ミヤマは「おお」と言った。「よかった」ミヤマは安堵している。「一時はどうなることかと思ったけど、メルシーくんとは確か荷物の見張り役になってもらった時に一度だけ会ったことがあるよな? まあ、これはナノちゃんと出会う前の話だけど」ミヤマは初めてヒリュウと出会った時のことを思い出している。シナノは納得の表情をしている。シナノはさすがに飲み込みが早い。ただし、あの時点でのテンリたちはメルシーとさ程に深い関わりがあった訳ではない。メルシーは気の抜けた声で「ふにゃ」と応じた。
「ぼくも思い出したっちよ。にいにとは前に会ったことがあるから、ぼくはジイジと間違えちゃったんだっち」メルシーは素直に謝罪の言葉を述べた。「ごめんなさいっち」メルシーはやさしい性格をしている。
「メルシーくんはやさしいのね」シナノは指摘した。「でも、迷子センターにいるのなら、メルシーくんは私達と一緒にメルシーくんのジイジを探しに行かない? もし、メルシーくんのジイジがここにきたら、私達はまたここに帰ってくればいいし」シナノはお姉さんとして親切な申し出をした。「どうかしら?」
ミヤマはどちらでもよさそうにしているが、メルシーはまたもや「ふにゃ」と応じた。
「ぼくはちょうど退屈だったから、そうするっちよ。よろしくっち」メルシーは不服そうにしている。「ぼくはまだなんの乗り物にも乗れていないだっち」メルシーはせっかく前々から来るのを楽しみにしていた遊園地で早々に迷子になって遊べなくなってしまったので、それはそれで欲求不満だったのである。
ミヤマとシナノは迷子センターの係員に事情を説明しメルシーと行動を共にすることになった。メルシーはミヤマとシナノを信頼しておりものすごくうれしそうである。
自分も子供だが「子守をする以上はしっかりとメルシーの面倒を見てあげなければならない」とシナノは気を引き締めた。メルシーは目的地に着いた途端に迷子になるということやミヤマに対する態度からしてADHDなのではないかとシナノは予想している。ADHDとは人によって多少の違いはあるが、落ち着きがなくなってしまう先天性の病気である。ミヤマはちなみにシナノほどに聡明ではない。
こちらはテンリ・サイドである。テンリとアマギはイワミとイーノーに見送られミヤマとシナノのようにしてすでに『遊戯の地』に戻って来ていた。子供のテンリとアマギはワクワクのドキドキである。
テンリはあたりを見回して感動しているだけだったが、行動派のアマギは早くもお化け屋敷に目をつけた。最初は渋っていたが、アマギが一緒なら、心配はいらないかもしれないとテンリは考え直した。
そのため、テンリとアマギの二匹はお化け屋敷へと足を踏み入れることになった。入場料は無料である。テンリとアマギはスタッフに声をかけお化け屋敷の中に入った。少しすると、ミイラが立ち上がりテンリに向かって襲いかかって来た。テンリは「わー!」と悲鳴を上げた。しかし、アマギはそのミイラの頭を角でぶっ叩いた。ミイラはすると倒れて動かなくなってしまった。そのミイラは完全に気絶している。
「ありがとう」テンリはアマギにお礼を言った。「危ないところだったね。でも、こういうのはいけないことのような気がする。たぶん」テンリは戸惑っている。
アマギはそんなテンリとは対照的に今の出来事を明るく笑い飛ばし先へと進んで行った。今度はその内にアマギのところにもゾンビが走って来た。それに気づくと、アマギは「お」と言った。
「このゾンビはやる気満々みたいだな」アマギは楽しそうである。「力試しなら、おれは負けないぞ」アマギは「遠慮なく」と言うとゾンビに対して『迎撃のブレイズ』で攻撃した。ゾンビは危うく丸こげになるところだった。ただし、建物には少し炎がついたので、ゾンビは急いで布をパタパタして鎮火にかかった。
「悪い! 悪い! おれが一発で消すよ」アマギはそう言うと『進撃のブロー』の風で炎を消した。
しかし、お化け屋敷のセットはその代償として「スパッ!」と切れた。ゾンビはびっくり仰天している。テンリは少しばかり動じながらも「あらら」と声を漏らした。
「アマくんは確かに強いけど、今のも悪いことのような気がするのはぼくだけかな?」テンリは不信感を持っている。井戸の中から出てきたロン毛の女はやがてテンリの足を持って井戸の中に連れ去ろうとした。お化け屋敷は当然のことながら暗いのだが、アマギとテンリは虫なので、夜目は利いている。
アマギは「そんなことをおれがさせるかー!」と言うとまたもや『進撃のブロー』を使い危うくロン毛で顔のない女は切られそうになった上にセットは「スパッ!」と破壊された。
「あの」テンリはどんどんと破壊されゆくお化け屋敷を眺めアマギに対して言った。「ぼくを助けてくれるのはうれしいけど、これはたぶんここのスタッフさんに怒られちゃうかもしれないよ」
「そうか? まあ、テンちゃんが無事なら、おれはなんでもいいけどな」アマギは微笑んだ。「それに、テンちゃんは何も悪いことをしていないから、大丈夫だよ」
そのやさしさはものすごくうれしかったので、テンリにしてもさすがにそれ以上の注意をするのは気が咎めた。テンリとアマギはそんなこんなで無事にお化け屋敷を終えたが、スタッフからは帰り際に「破壊王さま!」と声を掛けられ「一昨日きて下さい!』と言われることになった。アマギは「おう!」と言った。
「楽しかったから、おれはまた来るぞ」アマギは充実感で満たされている。アマギはスタッフの言葉がまるっきりつうじていない様子である。さすがのテンリもそろそろ本当のことを教えてあげることにした。
「ねえ」テンリはアマギに対して呼びかけた。「一昨日きて下さいっていうのはもう二度とくるなっていう意味だよ。ぼくたちはちょっとやりすぎちゃったかもしれないね」テンリは控えめながらも注意してあげた。
テンリはアマギのセリフのとおり何の悪いこともしていないにも関わらず「ぼくたち」と言ったのはテンリのやさしさである。アマギは意外そうにして「え?」と言った。
「そうだったのか?」アマギは一応の反省をした。「それじゃあ、おれはあそこで悪いことをしちゃったのかな?」アマギはきょとんとしている。しかし、アマギにはなんでそうなるのか、今一理解できていない。
テンリはそんなアマギに対してやさしく説明してあげた。『セブン・ハート』の使用はお化け屋敷では禁止されていることや遊園地のお化け屋敷にはお化けはそもそも本当には現れず、お化けは全てが偽物であるということをテンリは説明した。お化け屋敷とは今の今まで肝試しだけにどれだけの強い心と力を持っているのかを試されているとアマギは思っていたのである。それはとんだ思い違いである。
こういうことはいい加減なアマギにはよくあることだが、それをカバーしているテンリの二人は名コンビと言ってしまっても過言ではない。性格は真逆でも、だからこそ、テンリとアマギは仲良しでいられるのかもしれない。ただし、テンリとアマギはやさしいと言う点ではどちらも同じである。
メルシーの子守を任されているミヤマとシナノの二匹はメルシーの祖父を探しつつもメルシーの要望により絶叫マシンを三連発で乗ることにしていた。一つ目に乗ったのはフリー・フォールである。フリー・フォールとは乗車部に乗客が乗ると最上部へ垂直に落下し水平(寝た状態)になって減速して停止するという代物である。二つ目にミヤマたち一行が乗ったのは回転ブランコである。回転ブランコとは回転する軸を中心に同形に複数のブランコが遠心力で傾斜して上昇して行くというものである。最後の乗り物はジェット・コースターだが、ミヤマたちの三匹の反応はまちまちである。
「おれはもうダメだ」ミヤマは弱音を吐いた。「おれはこの遊園地でこれ以上は遊んでなんかいられない。おれはそろそろフラフラしてきた」ミヤマは確かにセリフのとおりへとへとである。
シナノはそんなミヤマを見て「あら」と言った。
「ミヤくんはこういうのが苦手だったのね」シナノはミヤマとは打って違って涼しい顔をしている。「私はなんとなく意外な気がする。絶叫マシンなら、ミヤくんはもっとエキサイティングしていそうだけど、どちらかと言えば、こういうのはアマくんの方が好きそうね」シナノはやはりクールでいられるのが特徴である。それはシナノの長所の一つでもある。ミヤマは目を回しながらもシナノの落ち着きぶりに感心している。
「わーい! わーい! おもしろかったっち」メルシーは相も変わらずによく意味のわからないことを言っている。「ミヤじいじはぐったりしているけど、ナノねえねは平気だから、ミヤじいじの方が強いっち」
もっとも、メルシーはとりあえず大喜びである。シナノはすでにメルシーには精神障害が混じっているということを見抜いている。だから、メルシーは思ったこととは違うことを口にしているのである。
「今さらだけど」ミヤマは口を挟んだ。「おれのことはどうしてジイジなのに、ナノちゃんのことはきちんとネエネと呼んでいるんだよ! まあ、おれは気にしていないから、それはいいとして」ミヤマは聞いた。「メルシーくんはどうしてお父さんとお母さんとじゃなくておじいちゃんと一緒にここへ来たんだい?」ミヤマは割かし寛大である。メルシーは「ほにゃ?」と言ってミヤマの方を見た。
「普段のじいじは忙しくてたまにしか会えないから、ぼくはパパとママにジイジと一緒に遊んでくるように言われたっち」メルシーは楽しそうな顔をしながら言った。シナノは「なるほど」と相槌を打った。
「今日のメルシーくんのじいじはちょうどお休みを取れたのね? でも、ミヤくんの話によれば、ここはミヤくんたちとメルシーくんの出会ったところから離れていないかしら? メルシーくんはどうやってここまで来たの?」シナノは聞いた。「やっぱり『サークル・ワープ』かしら?」シナノは至って冷静である。メルシーは再度「ほにゃ?」と応じた。ミヤマはメルシーの子守にも慣れて来た。
「ぼく『サークル・ワープ』は知っていないっちよ。ぼくは『魔法の布』を使ってジイジたちとここまで来たんだっち」メルシーは言った。「じいじは色んな国に行ったことがあるから、実はすごい虫なんだっち」
「ふーん」ミヤマは感心している。「じいじを尊敬できるなんてすばらしいことじゃないか。メルシーくんは心のやさしい子だな」ミヤマは話をまとめた。「というか、メルシーくんは心の綺麗な子だな」
メルシーの言っていた『魔法の布』とは言うまでもなくりんし共和国のグッズである。『魔法の布』は一見するとただの布だが『魔法の布』に乗れば、労力を使わなくてもどこへでも行けるという代物である。
りんし共和国の魔法はまだまだテンリたちの4匹にも計り知れない。シナノはそんなりんし共和国にも行ったことのあるメルシーの祖父はどんな虫なのだろうと思いを馳せた。
切り替えの早いメルシーはすでに次に乗るアトラクションのことで頭が一杯だから、祖父を探すことはすっかり忘れてしまっている。とはいえ、それは裏を返せば、メルシーはそれ程までにミヤマとシナノのことを信頼しているということを意味する。ミヤマとシナノはそれ程に虫あたりがいいのである。
アマギはお化け屋敷で多大な迷惑をかけてしまったので、今はテンリの要望を聞いていた。テンリはメリー・ゴーラウンドに乗りたいと言ったので、アマギはそれを快諾した。
今のテンリとアマギは人間のようにメリー・ゴーラウンドの馬に乗っている。大体の察しはつくかもしれないが、テンリは騒がしい乗り物よりもメリー・ゴーラウンドのように穏やかな乗り物に乗ってみたかったのである。アマギからすれば、そのへんはどうでもいい口である。
一応はアマギが再び何か物を壊しはしないかとテンリは警戒している。アマギは藪から棒に「あー!」と言い出したので、テンリはまたトラブルかと思ってひやりとした。アマギはすぐ近くを注視している。
「あそこに乗っているテントウムシはもしかして」アマギは途中までしか言えなかった。テンリはアマギの目線の先に目をやったが、言葉を発することはできなかった。女の子が「あれー?」と言ったからである。
「昔に会ったことのあるお兄ちゃんだー!」このセリフはアマギが指摘したテントウムシの隣にいたナツのものである。「お兄ちゃんはどうしてここにいるの? ああ。そうか。私達と一緒の理由か」ナツは自問自答している。テンリはというと「あ」とナツのことを思い出した。
「君はあの時に親切にしてくれた女の子だね?」テンリは良友のアマギに対してきちんと説明をしてあげた。「あの時っていうのはね。ぼくたちは以前にヒリュウくんと一緒に物々交換のおじさんを探していた時があったでしょう? あの女の子はその時におじさんの居場所を教えてくれたんだよ」テンリは虫の顔をきちんと覚えているタイプである。アマギはというと「おお」と言って納得した。
「そうだったのか。おれはちゃんとあの時のことを覚えているぞ。それじゃあ、あの時は本当にありがとうな」アマギは礼儀正しくお礼の言葉を述べた。「テンちゃんも教えてくれてどうもありがとう」
「会ったのは初めてだけど、私はテンリお兄ちゃんだけじゃなくて実はアマギお兄ちゃんのことも知っているよ。アマギお兄ちゃんは『救国の兄弟』として有名だものね。私はナツだよ。よろしくね」ナツはとても友好的である。アマギはニッコリして「ああ」と応じ「よろしくな」とざっくばらんである。
「それよりも」アマギは聞いた。「あのテントウムシはもしかして忍者教室のエンザン先生じゃないか?」アマギにしては結構な自信を持って発言している。
それはアマギに言われるまでもなくテンリもすでに気づいていた。エンザンは「いかにも! たこにも! 最初はパー!」と訳のわからないことを言っている。テンリはさすがに昔のことを思い出した。アマギはそれに反して訳がわからずにきょとんとしている。ナツは即座に「そうだよ」と応じた。
「じいじは忍者教室の先生だよ。お兄ちゃん達は知っているんだね」ナツは説明した。「今のジイジは忍法を使って疲れているから、居眠りしちゃっているんだよ」ナツはエンザンの方を見た。
アマギはするとようやく状況を理解した。寝ている時のエンザンはとんでもないことを口にする。あれは強烈だったので、それはさすがのアマギでもかすかに記憶に残っていた。
テンリは「そうなんだ」と変てこなエンザンの寝癖を軽く往なした。
「あれれ?」テンリは腑に落ちなかった。「でも、おかしいよ。ナツちゃんはクワガタなのに、じいじのエンザン先生はどうしてテントウムシなの?」テンリは聞いた。
ナツは口を開こうとしたが、エンザンはようやくテンリたちの話声によって目を覚ますことになった。エンザンは相も変わらずに「ほっほっほ」と笑い朗らかである。
「お久しぶりぞな」エンザンは言った。「テンリくんとアマギくんは元気そうでなによりぞな。今のテンリくんの質問にはわたくしがお答えするぞな。わたくしの息子は結婚したぞなが、子宝には恵まれず、そのためにナツともう一人のクワガタを養子としてもらったぞな。お話は実に簡単ぞな」
「だけど」ナツは親切にも補足の説明をした。「私はパパとママもジイジも大好きなんだよ。弟はお子ちゃまだから、今は迷子になっちゃっているんだけどね」ナツは呆れている。
テンリは「そうだったんだね」と状況を的確に把握した。それはアマギとて同様である。
「あれ?」テンリは思い至った。「だけど、その子が迷子になったのなら、エンザン先生はその子のことを探しに行かなくてもいいの?」テンリは聞いた。他人事とはいえ、テンリは心配している。テンリは性格のやさしい男の子である。エンザンは「ほっほっほ」と陽気に笑った。
「テンリくんはさすがの思いやりのよさぞな」エンザンは褒めた。「しかし、心配は無用ぞな。今のわたくしの本体はここにいるぞなが『影分身』のわたくしの6匹は孫のことを探している最中ぞな」エンザンは説明してくれた。だから、ナツは弟が行方不明でもあまり動揺していないのである。アマギは「そういうことか」と納得している。アマギはさすがにこの程度の話にはついて来ている。
「さっきのナツちゃんが言っていたエンザン先生の忍法っていうのは『影分身』のことだったんだな? あれは格好いいものな」アマギは言った。「一度でいいから、いつかはおれもやってみたいな」
「世界は広いぞな」エンザンはしみじみと語った。「いつかはアマギくんの夢も叶う時が来るかもしれないぞな。時に、テンリくんとアマギくんは『トライアングルの戦い』であっぱれな活躍をしたそうぞな」エンザンは話題を変えた。「テンリくんとアマギくんの二人は厳しい戦いを乗り越えきっとまた本当のやさしさがなんなのかも知り一段と強さも増しているはずぞな。わたくしは年のせいで出られなかったぞなが、あの戦いにはユイ先生とその旦那さんのグレイシーさんも参加していたぞな」エンザンは新鮮な情報を教えてくれた。
それを聞くと、テンリは「そうだったんだね」と得心顔になった。
「ユイ先生のことは見かけなかったけど、あれ? グレイシーさんっていう虫さんはもしかして『マイルド・ソルジャー』の虫さんのことかなあ?」テンリは聞いた。エンザンは「ほっほっほ」と笑った。
「テンリくん達はさすがに長旅をしているだけあって顔が広いぞな」エンザンは褒めた。「今のテンリくんが言ったグレイシーさんは十中八九『トライアングルの戦い』に出ていたグレイシーさんぞな」エンザンは朗らかな口調で言った。ただし、アマギはグレイシーのことを知らないので、グレイシーとはコロシアムで見かけた屈強な戦士だということをテンリは教えてあげた。それを聞くと、アマギは「そうだったのか」と納得した。
「それはおれも見たかったなー!」アマギは愉快そうである。「おれもアルコイリスの帰りにコロシアムに行けたらいいなー!」アマギは願望を口にした。テンリはそのことを覚えておくようにした。
「私もまだコロシアムを見に行ったことはないよ。あれ? メリー・ゴーラウンドはもう終わりか。メルシーはどこかで見つかった?」ナツは祖父に対して質問した。しかし、エンザンの答えは「ノー」だった。なんにしても、弟探しはエンザンがやっているので、ナツは『遊戯の地』で遊ぶことを最優先させることにした。
ナツに誘われたので、以後はテンリとアマギの二人もエンザンとナツと行動を共にすることにした。それはもちろんエンザンにとっても喜ばしいことである。
社交的な性格をしているテンリとアマギはなんとなく今よりもっと楽しく遊園地を過ごせそうな予感を抱いている。元々の性格が明るくて大はしゃぎしているから、ナツはテンリとアマギにも影響を与え皆のテンションを上げさせてくれている。ナツは元々テンリとアマギと同様に社交的なのである。
ミヤマとシナノの二匹はメルシーの提案によってお化け屋敷に行くことになった。ミヤマとシナノとメルシーの三匹は目的地に到着した。お化け屋敷は壁が破壊されており妙にボロボロだった。
ミヤマとシナノの二匹は一発でそれが誰の仕業であるか、わかった。ミヤマとシナノは言うまでもなくそれがアマギの仕業だと見抜いたのである。そんなことをする虫はアマギくらいのものである。
ただし、メルシーはそんなことにはお構いなしで大はしゃぎである。メルシーにとってみれば、お化け屋敷はボロボロであっても演出の一つに過ぎないと無意識の内に思い込んでいる。
「失礼しまーす!」ミヤマは先陣を切った。「男・ミヤマはただいま参上しました! お化け屋敷が怖くて『トライアングルの戦い』に参戦できていたかって」ミヤマはお化け屋敷に入って早々に「わー!」と悲鳴を上げている。ミヤマは早速に後ろからゾンビに噛みつかれたのである。
ミヤマたちの三匹はそんなこんなでお化け屋敷を堪能したが、怖がってオーバー・リアクションしていたのは結果的にミヤマだけだった。メルシーは「わーい!」と喜んでいる。
「ぼくはとてもおもしろかったっち」メルシーは興奮気味である。「ミヤじいじは怖そうだったけど、ナノねえねはおもしろくなかったっち?」メルシーは鋭い指摘をした。シナノは一貫してお化け屋敷で平然としていたのである。シナノは「いいえ」と応じた。
「そんなことはないのよ。私も十分に楽しんだ。ミヤくんは背後霊まで連れて帰ってくるなんてさすがね」シナノはミヤマの方をちらりと見て言った。ミヤマは訝しげにしている。ミヤマは「ああ」と言った。
「なんか、重いと思っていたら、おれはやっぱり何かに取りつかれていたのか。ひえー! 恐ろしや! 恐ろしや!」ミヤマは身震いしている。そうかと思うと、メルシーはそれを喜んだ。
「わーい! わーい! 本物のじいじだ! ごちそうさまでした」メルシーは心からうれしそうな顔をしている。「ぼくはミヤじいじとナノねえねのおかげで本物のじいじに会えたよ」メルシーはエンザンの元へ駆け寄った。エンザンは「ほっほっほ」と朗らかに微笑んだ。
「ミヤマくんはお久しぶりぞな」エンザンは挨拶した。「シナノくんはどうもはじめましてぞな。ミヤマくんとシナノくんはメルシーの面倒を見ていてくれてどうもありがとうぞな。今のわたくしの本体はテンリくんとアマギくんのところにいるから、合流するのはいかがぞな?」エンザンの分身は提案した。
「おれとしてはいきなりエンザン先生が現れてびっくりしたけど、その案はメルシーくんのためにも賛成だよ」ミヤマは言った。「おれ達はテンちゃんとアマとも会えるのなら、それは一石二鳥だしな」ミヤマは好都合な話に喜んでいる。先程の恐怖はどこへやらである。シナノも「ええ」と賛同した。
「そうね」シナノはホッとしている。「困難はあったかもしれないけど、テンちゃんとアマくんもここに帰り着いたということは『危険の地』から無事に帰ってこれていたのね。私は心配していたから、それも本当によかった」シナノはさすがの気づかいを見せた。話はまとまったので、ミヤマとシナノとメルシーは分身のエンザンに連れられテンリたちのいる方へと向かって行った。エンザンはその際にシナノに対して自己紹介した。
ミヤマはエンザンに忍者教室でお世話になった旨を伝えたし、シナノはそのテンリたちと行動を共にすることになった経緯を話したので、シナノとエンザンは少しだけお互いのことを知ることができた。
メルシーは先程「ごちそうさまでした」と言っていたが、あれは「どうもありがとう」と言いたかったのである。メルシーはシナノの想像のとおり精神障害者だということもエンザンは明かしてくれた。ミヤマたちの4匹はやがてテンリたち一行と合流した。テンリとアマギとナツの三匹はそこでエンザンに見守られながら輪投げをして遊んでいた。この場には9匹の虫が勢ぞろいした訳である。アマギは「おお」と言った。
「ナノちゃん達はエンザン先生の言うとおり本当にやって来た! エンザン先生はやっぱりすごい忍者だな! ん?」アマギは驚いている。「ミヤとナノちゃんと一緒にいた方のエンザン先生は消えた!」
ミヤマたちと一緒にいた方のエンザンはアマギの言うとおりただの分身に過ぎなかったので、テンリたちと一緒にいた方のエンザン本体は分身を消した。『影分身の術』は自分の意志で止められるのである。
「もう」お姉さんのナツは弟のメルシーのことを戒めた。「メルシーは目を離すとすぐにどこかへ行っちゃうんだから! これだから、お子ちゃまは困るのよ。メルシーはちゃんと反省しないとダメよ」ナツはきちんとメルシーのことを心配していたのである。メルシーは「ふにゃ」と応じた。
「ごめんなさいだっち」メルシーは素直である。「じいじは探してくれてありがとうだっち」メルシーは気を反らした。「あ、ぼくもそれをやりたいだっち」メルシーはそう言うとアマギのところへ行って輪投げを始めた。エンザンは怒ることもなく「ほっほっほ」といつもの笑顔を浮かべた。
「メルシーは相も変わらず元気一杯でよろしいぞな」エンザンは寛大である。「ミヤマくんとシナノくんはナツとも一緒に遊ぶといいぞな。この子はメルシーの妹でナツと言うぞな」エンザンはミヤマとシナノの二匹に対してナツのことをきちんと紹介した。「ナツとはミヤマくんとシナノくんも仲良くしてあげてほしいぞな」エンザンは皆が仲良しになることを望んでいる。ミヤマは「ああ」と応じた。
「もちろんだよ。ただ、その前に聞くけど、テンちゃんは『危険の地』でどんな危ない目にあったんだい?」ミヤマは聞いた。「テンちゃんとアマはちゃんとイワミさんには会えたのかい?」
テンリは事の顛末を事細かに教えてあげることにした。それについての話が終わると、ミヤマは大いに驚いたが、ミヤマも負けじと話を誇張し『芸術の地』での化け物との戦いを得意げに話した。その間のシナノとナツは時々言葉を交えながらもミヤマとテンリの話を聞いていたが、アマギとメルシーはエンザンの監視の下で夢中になって輪投げをしていた。アマギはメルシーと一緒になって実に楽しそうにしている。
「ナツちゃんはもう輪投げで遊ばなくてもいいの?」テンリはミヤマに対しての一通りの話がすむと話題を現在のことに変えた。「メルシーくんはアマくんと一緒に遊んでいて楽しそうだよ」テンリは気を使った。ナツは「うん」と言いメルシーとアマギの方を見た。
「輪投げはもう飽きちゃったの。他の遊びはなにかないかなあ? あ、ブーメランがある! 次はブーメランで一緒に遊ぼう」ナツはシナノに持ちかけた。シナノはそれに諾った。
メルシーのことはお子さま扱いしているが、ナツの方もやはりお子様なので、シナノには甘えている。会ったばかりとはいえ、シナノは子供なのにも関わらず、ナツは大人っぽいシナノにすでに懐いている。
残されたテンリとミヤマはエンザンやアマギやメルシーと一緒に輪投げをすることも考えたが、ミヤマはさっきまで輪投げをしていたテンリに気を使い輪投げコーナーの隣にある射的でテンリと遊ぶことにした。テンリは「わあ!」と感嘆の声を上げ「すごい!」と惜しみのない賛辞を贈った。
「ミヤくんは百発百中だね」テンリはミヤマのことを褒めた。「そう言えば、ミヤくんはクナイの扱いも上手だったから、実はダンスだけじゃなくてミヤくんには射的の才能も持っていたんだね」
ミヤマは気をよくし「ふっふっふ」と「はっはっは」という笑い声を漏らした。
「テンちゃんはよく気づいてくれたな」ミヤマは気分が高揚している。「そうさ! おれは踊りながらだって射的ができるんだ」ミヤマはそう言いながらもダンシングして射的をしている。
ミヤマの的当ての技術は確かに天下一品である。しかし、ミヤマはその内に踊りながらよく前を見ないで射的していると「痛いっち」という声が聞こえてきた。テンリはそれに「あ」と反応した。
「メルシーくんはいつの間にか的の中に紛れ込んでる。メルシーくんは忍者みたいだったから、ぼくとミヤくんは気づかなかったね」テンリはそう言いながらもミヤマのミスをフォローした。
「ほっほっほ」エンザンは愉快な気分である。「メルシーには直々にわたくしが忍法を教えているから、少しは様になっていたぞな?」エンザンはどことなく誇らしげな顔をしている。ミヤマは「ああ」と即同意した。
「メルシーくんは相当に様になっていたよ。というか、気づかなかったとはいえ、玉を打っちゃってごめん」ミヤマはメルシーに対してしっかりと謝ることを忘れなかった。
「ぼくは大丈夫じゃないっち」メルシーは平然としている。「だから、心配はいらないっちよ。そんなことよりも、ぼくは他のアトラクションに行きたくなっちゃったっち」メルシーはもどかしげである。メルシーはやはり落ち着きがない。アマギはそこへ「おれも同じだ」と話に割り込んできた。
「うーん」アマギは周囲を見渡している。「あれなんかはどうかなあ? ここからは見えないけど、あれは確か人間が使う日常品のスリッパ・カップだよ」アマギはなにやら不可解なことを言い出した。ミヤマは頭が追いついていない。シナノは瞬時に理解し「ふふふ」と笑った。
「スリッパというものは確かに人間界にあるけど、アマくんの言いたかったのはおそらくコーヒー・カップじゃないかしら? コーヒー・カップは穏やかな乗り物だから、ミヤくんでも大丈夫そうね」シナノはアマギとメルシーの会話を聞きながらもナツと一緒にこちらへやって来た。
「シナノお姉ちゃんはすごーい!」ナツはシナノのことを羨望の眼差しで見ている。「さっき『遊戯の地』に来たのは初めてだって言っていたのに、シナノお姉ちゃんはなんでもよく知っているんだね」
アマギの意向はとおり、テンリたち一行はコーヒー・カップのアトラクションのところへと向かった。ミヤマはそこでダンスを踊った。アマギはさらにコーヒー・カップを力一杯に回しまくったので、ミヤマは吐き気を催すことになった。そのカップにはエンザンも乗っていたので、降りる頃にはエンザンまでもが足元をフラフラさせていた。エンザンはとんだとばっちりである。
別のカップに乗っていたので、テンリとシナノとナツとメルシーの4匹はセーフだった。無茶をしたアマギは平気だったので、エンザンとミヤマのことを心配したが、ミヤマにはもはや「誰のせいだよ!」という突っ込みを入れる気力さえもなくしていた。ミヤマとエンザンは少し暗くなってきた夕暮れ時に復活を果たし皆で観覧車に乗った。テンリたち一行はこれでこの日を締め括ることにした。
ミヤマは観覧車でのアマギとの同乗を断ったので、アマギとミヤマの二匹はそれぞれ引き離されることになった。テンリは常に思っていることだが、アマギと一緒にいると、同伴者はアマギが引き起こすトラブルに巻き込まれるので、ミヤマはそれを敬遠したのである。ところが、ミヤマはメルシーと同乗したのだが、メルシーはしきりに脱走しようとしていた。ナツはメルシーの姉とはいえ、ミヤマはナツにメルシーの世話を任せる訳にも行かず、結局はメルシーを見張っているだけで最後の最後まで今日という一日を騒がしく過ごすことになった。テンリはアマギとシナノとエンザンと同乗していたが、アマギは観覧車の揺れが気持ちよくて居眠りしていたので、こちら側にはトラブルは起きなかった。それが終わると、テンリたち一行は家に帰るエンザンたちとお別れすることになった。ナツはシナノのことを実の姉のように慕うようになっていたので、シナノとの別れを惜しんでいたが、シナノはそんなナツとまた会う約束をした。
メルシーは最後までミヤマのことを「じいじ」と呼んでいたが、その非礼はエンザンが詫びた。エンザンはその上でこれからのテンリたちの旅の無事を祈りナツとメルシーと一緒に『魔法の布』に乗って家に帰って行った。テンリとアマギとミヤマとシナノの4匹は暖かい目でエンザンたちを見送った。
テンリたち一行はエンザンとナツとメルシーと別れてから『遊戯の地』で一泊した。テンリたち一行はその次の日に新たな冒険へと出発した。テンリの持っている『ポシェット・ケース』に入っている『魔法の地図』によると、次の目的地は『発表の地』ということがテンリたちにもわかった。
そこでは誰もが自由にステージに上がりパフォーマンスしていいことになっている。その上『魔法の葉』もそこら中に散らばっているので『発表の地』では多種多様な演出も可能になっている。
『発表の地』では一芸に秀でた虫と素人の虫とただの観客たちが大勢いるため賑やかな場所になっている。実はミヤマが会いたい虫もここにはいる。テンリは純粋にワクワクしている。
「発表してもいいということはおれのダンスも色々な虫に見てもらえるっていうことだよな? おれはそれで人気者になったら、どうしよう? もしも『発表の地』でおれが引っ張り蛸の人気者になって皆に『行かないで』って言われてもおれのことはテンちゃん達も見捨てないでくれよ」ミヤマは得意げになって訥々と話をしている。しかし、それはいつものことながら些か自意識過剰の嫌いがある。シナノは「ふふふ」と笑った。
「ミヤくんはいつになく自信満々みたいね」シナノは言った。「ミヤくんが人気者になるところは私も見てみたいけど、ミヤくんのことはちゃんと置いて行かないから、心配しないで」
「それは確かに正論だけど、ミヤには果たして本当にそこまでのスター性があるのかどうか、それは大いなる疑問だな。おれたちはどうせもうすぐ『発表の地』に着くのなら、おれも見ているだけじゃなくてなにかを披露したいな。千回くらいは腕立て伏せをやってみようかな?」アマギは乗り気な様子で言った。
「うん」テンリは言った。「それは格好よさそうだね。でも、アマくんには『セブン・ハート』っていう奥義があるから、アマくんはそれを皆に見せてあげればいいんじゃないかなあ? 開けた場所が見えてきたよ。ん? あの輝きはもしかして」テンリは言葉を途切らせた。テンリは前方を注視している。アマギとミヤマとシナノの三匹はそれに倣ったが、そこには確かにテンリたち一行の目を引く虫がいた。
『魔法の葉』やステージが見えてきたので、テンリたち一行はついに『発表の地』に到着した。ミヤマはダンスを披露するため空いているステージに向かって一目散に飛んで行った。残ったテンリとアマギとシナノの三匹はステージ上のキラキラと光る虫のところへ向かうことにした。
「おお」アマギは歓声を上げた。「さっきの虫はやっぱりカリーだったか。久しぶりだなー! カリーはまだ生きていたのか」アマギは言った。先程から見えていた光り輝く虫はタマムシのカリーだったのである。
「ふふふ」カリーは動じていない。「わかっているよ。アマギくんはそんなことを言ってうつくしいぼくに嫉妬しているんだろう? そうさ。この世の中の昆虫は皆がぼくにうっとりと見とれてしまう。それはしょうがないことなんだ」カリーは自画自賛をしてうれしそうにしている。どうでもいいが、カリーの自己陶酔ぶりにはどうやら磨きがかかったのだなとシナノは密かに心の中で思った。テンリはそのカリーの自己陶酔を素直に受け止めた。テンリは「それにしても」と言って話題を変えた。
「カリーくんは本当に人気者だね? 忍法とか、舞とか、詩とか、カリーくんは多才なんだものね」テンリはカリーのことを持ち上げた。カリーはステージから降りてきたが、そこそこは有名なカリーと知る虫ぞ知る『シャイニング』が話し合いをしているので、周りにいた虫は驚いている。カリーは「ふふふ」と笑った。
「テンリくんは相変わらずやさしいね。そうさ。うつくしいぼくはうつくしいだけに留まらず天才なんだ。ふふふ」カリーはすっかり自分の世界に入っている。「皆はうつくしく生まれてきたぼくを恨まないでくれよ。皆は天才だかってジャグリングや折り紙の才能もあるこのうつくしいぼくを恨まないでくれよ。うつくしく生まれてきたことはぼくのせいではないんだ。そうだね。うつくしいぼくはあえて言うなら」カリーは途中までしか言えなかった。アマギは話の腰を折ったからである。ちなみに、今のカリーは自分のことを『24カラットの純金のようなものさ』と言おうとしたのである。カリーはあくまでも自分が大好きなのである。
「えー!」アマギは驚いた。「カリーはジャグリングもできるのか? それじゃあ、カリーはそれをやって見せてくれよ。ん? というか、ジャグリングってなんだ? リングのジャングル・ジムに登ることか?」
「アマくんは発想がユニークね。私が説明してもいいけど、百聞は一見に如かずだから、カリーくんにジャグリングの疲労をお願いしてもいいかしら?」シナノはアマギのためにも懇願をした。
「レ」カリーは少し動揺している。「レディーの頼みとあっては仕方ない。うつくしいぼくはステージに上がらずにシナノちゃんとアマギくんとテンリくんのためだけに披露して差し上げよう」カリーは「ご覧下さい」と言うと手近にあった二つの『魔法の葉』を取りそれをボーリングのピンのようなものに変えた。
カリーは舞を舞いながら軽快なステップを踏んでジャグリングをやって見せた。カリーはノー・ミスで三分くらいの芸を終えると格好よくポーズを決めピンを元の葉っぱに戻した。カリーは拍手してくれるテンリたちの三匹に対して口を開こうとしたが、それにはミヤマからの邪魔が入った。
「うえ~ん!」ミヤマは泣きべそをかいている。「おれは一生懸命にダンスを踊っていたのに、観客はおじいさんとおばあさんしか集まらなかったよー! どうしてだー? もういい! 実はパフォーマーとしておれには会ってみたかった王国一のジャグラーがいるんだ。カリーくんは知らないかい?」ミヤマはやけくそ気味になって聞いた。カリー再度「ふふふ」と笑って余裕を取り戻した。
「いきなりはうつくしいぼくのようには行かないよ。でも、ミヤマくんはお年寄りのファンも大切にしないといけないよ。本当にうつくしい人気者は心もクリスタルのようでないといけないよ。王国一のジャグラーというのはちなみにこのうつくしいぼくのことさ。ミヤマくんは知らなかったのかい?」カリーはさらりととんでもない事実を口にした。テンリたちはびっくり仰天である。アマギは「なんだって?」と言った。
「ということは今のおれたちは王国で最高峰の曲芸を見せてもらっていたのか? ん? あっちもなんだか騒がしくなっているな。よし」アマギは「行ってみよう」と言うと虫が集まっている方向に向かって一直線に飛んで行った。アマギは相も変わらずに自由奔放ぶりを発揮している。
「アマくんは一人にすると危険そうだから、私も行ってみる」シナノは「カリーくんはジャグリングを見せてくれてどうもありがとう」と言うとアマギに続いて飛んで行ってしまった。この場に残ったのはテンリとミヤマとカリーの三匹だけになった。カリーは特に落ち込んではいなかった。
「うつくしいぼくはまたあの子に人気を取られてしまったか。ふふふ」カリーは笑んだ。「そんなことはどうでもいいさ。うつくしいぼくは心もうつくしいから、あの子を妬むようなことは決してしない。ここには現に二人のファンが残ってくれていることだしね」カリーはどさくさに紛れて勝手にテンリとミヤマを自分のファンにしている。テンリはとりあえず「そうだね」と同意した。
「アマくんとナノちゃんが向かった先にいる女の子も人気者みたいだけど、カリーくんはそれに負けず劣らず有名人だものね。ぼくにはアイラちゃんもカリーくんのことを知っていた記憶があるよ」テンリは言った。そのことはミヤマもきちんと記憶に残っていた。カリーはそれに反応した。
「ああ」カリーは言った。「テンリくんはアイラちゃんのことを知っているんだね。そうさ。アイラちゃんもうつくしいぼくのファンの一人なんだ」カリーは些かやりすぎる程に堂々と胸を張っている。
「いや」ミヤマは否定した。「それは嘘だ。おれの記憶が確かなら、アイラちゃんはカリーくんみたいなナルシストは嫌いだって言っていたぞ。それよりも、カリーくんは王国一のジャグラーなんだろう? カリーくんはおれにもそれを見せてくれよ。おれはカリーくんのファンだぞ」ミヤマは曲芸を見せてもらいたいがために下手に出ている。カリーは「ふふふ」」と微笑んだ。
「人気者は困っちゃうなあ。うつくしいぼくのスター性はどこへ行っても隠せないようだ。だが、ファンの頼みとあっては仕方ない。どうぞ」カリーは「ご覧あれ」と言うともう一度『魔法の葉』でジャグリングを始めた。その際のカリーは舞を舞ったり影分身で曲芸を見せたりした。
その芸は先程のものよりもさらにグレードが上がっていたので、テンリとミヤマは圧倒された。カリーは芸を披露しながらトークも同時で進行させていた。カリーはやはり器用な青年なのである。
そのため、カリーはどうして人気者になろうと思ったのか、テンリは疑問を投げかけてみた。カリーは珍しい性格をしているので、テンリはなおさらそれが気になっていたのである。
今では本当にカリーのことを尊敬するようになっているので、ミヤマはテンリと同様にして興味を示している。カリーは喜んでその理由を話してくれた。以下はしばらくカリーの過去話である。
カリーが人気者になりたいと思うようになったきっかけは忍者教室に入ったことに起因している。カリーは忍者教室に入った時から神童と呼ばれていたが、当時は友達のいない孤独な少年でもあった。
しかし、カリーは特に友達がいなくても、傍目からはそれを気にしている素振りを見せなかった。ある日のカリーは忍法の実技を担当するユイの課題を全て完璧にこなしてその上でユイとの一騎打ちでもユイの『空蝉の術』を破ってそんじゃそこらの忍者教室の先生よりも強くなってしまった。
ユイはそれでもカリーに対して根をつめないで少し時間をおいて再び特訓を再開しようと助言をした。カリーのカリキュラムからはそういう訳でその日を境にして実技訓練はなくなった。
カリーは頭もよかったが、エンザンの講義だけはかろうじて受けてもいいことになっていた。実技科目がなくなってから数日後のカリーは講義の後にエンザンによって呼び出された。
「カリーくんは今日のわたくしからの問いの答えも大変すばらしいものだったぞな。しかし、最近のカリーくんはなにかわだかまりのようなものを持ってはいないぞな?」エンザンは聞いた。
「わだかまりですか?さすがはエンザン先生ですね。ぼくには確かに一つ引っかかることがあります。ユイ先生はぼくがユイ先生を倒してからあまりぼくの前に姿を見せないようになりました。それだけではありません。ぼくはユイ先生がぼくに隠れて忍法の猛特訓をしているのを見てしまいました。ユイ先生はぼくのことを恨んでいるのではないでしょうか?だとしたら、それはとんだお門違いです。ぼくの物覚えの早さは持って生まれたものです。多少は努力をしましたが、ぼくは他の虫から恨まれないといけないのだとしたら、それは不条理というものです」カリーは断固として真っ当な主張をした。カリーは頭の切れる少年である。
「ほっほっほ」エンザンはいつものとおり朗らかな口調で言った。「ユイ先生がカリーくんを恨んでいるということはないぞな。わたくしはユイ先生が新任教師だった頃からユイ先生のことを知っているぞなが、ユイ先生は決してそのような恨みを抱くような先生ではないぞな。しかし、わたくしはカリーくんがわたくしに正直な気持ちを打ち明けてくれてうれしいぞな。ユイ先生のことは気にせず、今はせっかく時間があるのだから、カリーくんは羽を伸ばして里帰りや小学校の同級生の所に遊びに行くのも一興ぞな。わたくしはちゃんとその許可を出すぞな」エンザンはとにかくカリーの気を静めようとしている。
「家族のところへ帰るのは悪くありませんが、あいにくですが、ぼくには小学校の頃も今と変わらずに友達なんて一人もいませんでしたよ。里帰りのことは考えておきます。エンザン先生は今日もすばらしい講義をありがとうございました」カリーはそう言うと一人でどこかへと行ってしまった。
エンザンはそんなカリーを見送った。エンザンの瞳には涙が浮かんでいた。カリーにはこの『忍者の地』においてもエンザンくらいしか話をしてくれるような虫はいないのである。
カリーは結果的に一日だけ家に外泊して再び代わり映えのない日常を『忍者の地』で過ごすことになった。何日か、そんな日が続いた頃に、ユイはカリーのところへとやってきて実技訓練の再会を提案した。
「失礼ですが」カリーは言った。「ユイ先生にできてぼくにできない忍法はもはやありません。階級はユイ先生の方が上ですが、ぼくがそれを追い抜くのは時間の問題だと思います。ぼくは最後にユイ先生と勝負をさせてもらった時もユイ先生は女性だから、実は手を抜いていたんです」
「ええ」ユイは素直に頷いた。「それは知っていた。私はそれでいてカリーくんに負けてしまった。私は未熟者だった。だけど、私も先生よ。先生は生徒に追い抜かれておいそれと引き下がるようでは失格よ。もう一度でいいから、カリーくんは私と対決をしてほしいの。もし、この勝負で私が負けたら、私は一つ階級を下げてもらう。その代り、私が勝ったら、カリーくんは前みたいに私の実技指導を受けてもらう。それでは不服かしら?」ユイはそれなりの自信を持っている。そのため、ユイは落ち着いているが、それはカリーの方も同じだったので、カリーは「いいえ」と寛容な対応をした。
「ぼくはそれでも構いません。ですが、ぼくは一向にユイ先生に負ける気はしませんけどね」カリーは「勝負はあっという間に終わらせてもらいますよ」と言うと『影縫いの術』でユイの影にクナイを突き刺したが、それは『空蝉の術』でかわされるということがわかっりきっていたので、今度は後ろに向かって『火炎の術』を使った。しかし、ユイはこれも『変わり身の術』でかわした。カリーはそれさえも予測していたので『分身の術』を使って自分を5匹に増やし自分たちの輪を作ってあたり一面に『火炎の術』を使った。ところが、次の瞬間に勝利を収めていたのはユイの方だった。ユイはカリーたちの真上にいて本物のカリーに向かい『影縫いの術』を使っていた。カリーはユイの術を受けた結果として身動きが取れなくなった。
「勝負はあっという間ではなかったし、今回は勝ったのもカリーくんではなかったようね?」ユイは軽やかに着地するとカリーの影からクナイを引き抜きながら言った。カリーは「ふふふ」と笑みを浮かべた。
「よかったですね。ぼくは勝気ではないから、負けても悔しくはありませんが、ぼくに勝つため、ユイ先生は必死になって努力をしていたのですから」敗者のカリーは一見すると少しも気持ちのブレは見受けられない。「たまには女性でも戦闘で役に立つことはあるということです」
「それはそうね。でもね。カリーくん」ユイは言った。「あなたのその憎まれ口には言葉とは裏腹に悔しさが滲み出ているように私には思えるけど?」ユイは余裕の笑顔を浮かべている。「これからは最初に言ったとおり私の実技訓練を受けてもらうことになるから、カリーくんのその男尊女卑の思想は捨ててもらうことになるからね」カリーはやがてユイの意見と指導に納得し自分の木に帰って行った。
エンザンは完全にカリーがいなくなったのを見届けてからユイのところへ姿を現した。エンザンは『隠れ身の術』でずっとこの場にいたのである。エンザンは「ほっほっほ」と笑っている。
「ユイ先生の戦闘は見事だったぞな。カリーくんにはこれでもっと強くなりたいという想いが芽生えたはずぞな」エンザンは相変わらず朗らかな口調である。ユイは「ええ」と応じた。
「そうだといいです。ありがとうございます。今回は私の思惑というよりもエンザン先生の作戦のとおりと言った方が正解かもしれません。恩に切ります。なにもかも、これらはカリーくんにまつわる問題の解決に繋がればいいのですが」ユイは少しばかり心配そうにしている。
「ほっほっほ」エンザンは動じていない。「カリーくんは確かに色々な問題を抱えている子ぞなが、根はとてもやさしくてとても純粋な子ぞな。わたくしはきっと大丈夫だと思うぞな」エンザンはそう言うと微笑んだ。ユイはそれを見るとやさしい気持ちになれた。エンザンは虫の心を穏やかにできる虫なのである。
次の日のカリーはエンザンの講義が終わると自分からエンザンのところへと行ってユイの実技訓練が再開したことを話した。それはカリーに言われなくてもエンザンにはわかっていたが、エンザンはあえてそしらぬ振りをしてカリーの話を聞いていた。カリーは真剣になってエンザンに対して話をしていた。
「それではカリーくんへの仕返しに成功して恨みを晴らせたから、ユイ先生は気持ちがすっきりしたとカリーくんは思っているぞな?」エンザンは穏やかに質問した。カリーは「いいえ」と戸惑い気味に答えた。
「ぼくはどうやら考え違いをしていたようです。昨日にユイ先生と会話をしていてユイ先生から恨みは感じられませんでした。なんというか、ぼくはむしろユイ先生から思いやりのようなものを感じました。それに応えるためにもぼくはもっと強くなりたいです。エンザン先生はそのためには何が最も必要だと考えますか?」カリーは論理的な思考によって聞いた。カリーは独り善がりをしてばかりではなくなっている。
「ほっほっほ」エンザンは言った。「わたくしはカリーくんがそういう気持ちになってくれてうれしいぞな。強くなるためには全ての生き物は他の生き物からいいところを吸収すればいいぞな。それには見て学んだり聞いて学んだりするのが近道になるとわたくしは思うぞな。だから、これからはわからないことがあったら、カリーくんはわたくしにもどんどんと聞いてくれていいぞな」エンザンは心を込めて言葉を紡いだ。それはカリーにも伝わり大きく頷いた。エンザンはカリーが去ってからカリーの慧眼に舌を巻いた。
まさか、カリーがユイの思惑にこうも早く気づくとは思いもしていなかったからである。カリーは本当に頭のいい虫なのである。それからというもの、時間が空いている時はエンザンもカリーの実技訓練に顔を出すようになった。エンザンはそれだけではなくカリーのために術のコツを調べてあげることもあった。カリーの術の未熟な部分はユイも丁寧に磨きをかける手伝いをするようになった。カリーは忠実にそれに従った。
「勉強の質問ではありませんが、エンザン先生はどうしてこんなにもぼくのことを気にかけてくれるのですか?」ある日の午後のカリーは例によって講義が終わるとエンザンに対して質問を投げかけた。カリーは心底から不思議そうにしている。エンザンは躊躇することなく即答した。
「ほっほっほ」エンザンはやさしく言った。「答えは簡単ぞな。最近のカリーくんにはたくさんの友達ができてきたぞなが、年が離れているとはいえ、わたくしもカリーくんの友達だからぞな。講義している時のわたくしは先生ぞなが、プライベートの時のわたくしはカリーくんのお友達ぞな」
カリーはそれを聞くと瞳から涙を流した。一人が好きなのか、本当に友達が欲しくなかったのか、欲しいけど、作れなかったのか、本当のカリーの気持ちはエンザンにもわからなかったが、やさしさに満ち溢れた性格のエンザンはとにかくカリーのことを一人ぼっちにしたくはなかったのである。
だから、カリーは今まで心を閉ざしていたことを後悔した。本当はカリーも友達が欲しかったのである。カリーの抱えていた三つの問題の内の二つはこうして解決した。
一つは友達がいなかったことである。もう一つは女性を見下していたことである。最後の問題である過信はユイとエンザンをもってしても半分しか解決することはできなかった。
カリーによる虫を見下す傲慢さは確かになくなったが、カリーの友達はその代わりカリーのことを「うつくしい」と評しカリーに対してエンザンもありのままの自分を曝け出すことの重要性を伝えたがためカリーの一人称は「ぼく」から「ぼく」の前に「うつくしい」がつくように変貌してしまったのである。
カリーはどうして人気者になろうと思ったのか、その答えはエンザンのような他の虫に影響を与える格好のいい男になりたいし、人気者というべきか、カリーは皆に好かれたいと思うようになったから、現在のカリーはファンを募集するに至ったのである。女性に対して必要以上に謙遜してしまうのはユイのようにうつくしさだけではなく女性は強くもなれるから、カリーは女性を尊敬しているのである。
話は現在に戻る。アマギとシナノがやって来たステージにはマドンナのシオンというプラチナコガネの女の子がいた。シオンの体はカリーにも負けないくらいキラキラと輝いている。
シオンは「シオンたん」という愛称で愛されている『発表の地』のトップ・アイドルである。今のシオンは多くのファンに囲まれて「ポップ♪ アップ ♪ミュージック♪」と歌ったり踊ったりしている。
シオンはピカピカの容姿をしていて『発表の地』ではマドンナなので、今も変わらず絶大な人気を誇っている。ステージを盛り上げるため『魔法の葉』でシオンが自分で作ったライトや飾り付けのセンスは抜群である。今のところの『発表の地』の人気者のランキングはカリーを超えシオンが第一位というのが実情である。シオンはやがて休憩のためにステージを降りた。すると一旦は虫だかりがなくなった。しかし、アマギとシナノだけはシオンと交流を持つためこの場に残った。シオンはアマギとシナノの存在に気づいた。
「あなた達はもしかして『シャイニング』のアマギくんとシナノちゃんですかぁ?」シオンは気さくに話しかけてきた。「私はお二人にお会いできて光栄ですぅ」シオンはニコニコしている。あの有名な『シャイニング』のお二人にも私のステージを見てもらっていたなんてすごく恥ずかしいですぅ」
「そうか?」アマギは負けずに気さくに応じた。「人気度はおれたちよりもシオンちゃんの方が高いんじゃないか? 他の虫たちは皆が『シオンたん・シオンたん!』を連呼していたぞ。それにしても、シオンちゃんのぶりっ子ぶりは」アマギは途中までしかセリフを言わせてもらえなかった。アマギは失礼なことを言い出しそうだったから、シナノはすかさずフォローに入ったのである。。
「シオンさんがとても有名なのは間違いないです。私は人間界の出身ですが、シオンさんの噂は人間界でも聞いたことがあるからです。シオンさんは15歳の時からアイドルの活動を開始し、19歳の現在は甲虫王国のどこへ行ってもシオンさんの名を知らない虫はいないと聞いています。こちらこそ、シオンさんにお会いできて光栄です」シナノは礼儀正しい。それはアマギの非礼をカバーしている側面もある。
「ありがとうございますぅ。でも、私はまだまだですよぉ。私はもっと歌とダンスを上達させるために毎日のレッスンをしているんですよぉ」シオンはすでにアマギとシナノと馴染んでいる。アマギは「へえ」と言った。
「そうなのか。それじゃあ、シオンちゃんはカリーに教えてもらったら、どうだ? ああ。シオンちゃんはカリーよりも年上なのかな? シオンちゃんはそれ以前にカリーのことを知っているか?」アマギは皆のアイドルのシオンに対してもの怖じすることなく聞いている。アマギはそもそもアイドルに興味がない。
「はい」シオンは肯定した。「お話したことはないですけど、カリーくんのことは知っていますよぉ。私は『発表の地』でしか活動していませんが、カリーくんは地方回りをしているので、私はカリーくんのことをとっても尊敬していますぅ。『スリー・マウンテン』は元より、最近はカリーくんだけじゃなく『シャイニング』や『ライジング・ジェネレーション』の人気ぶりもすごいので、私はそれに押されないようにするので、てんてこまいなんですよぉ」シオンは言った。『シャイニング』の名を出すとはシオンの言葉には多少の棘がある。
「そうか?」アマギは気にも止めていない。「それは悪いことをしたな。ごめん。それよりも、シオンちゃんはどうしてそういうしゃべり方をしているんだ? 人気を得るためか? それとも、それは普段からなのか?」アマギは聞きづらいことを平気で聞いた。シナノは嫌な顔をしている。
「これは普段からですよぉ」シオンは軽い調子で言った。「このしゃべり方は営業用じゃないですよぉ。アマギくんはズバズバとものを言うんですねぇ。私はびっくりしちゃいましたぁ」
「すみません。アマくんはシオンさんにだけではなくいつもこんな感じなので、シオンさんは許してあげて下さい」シナノはなぜか畏まっている。しかし、一方のアマギは平然としている。
シナノはそれと同時にやはりアマギを一人にしないでよかったなと思っている。実際にアマギの無礼な発言を聞いてこちらを凝視しているシオンのファンはいるので、シナノは仲裁に入らなければ、トラブルになっていた可能性は大である。とはいうものの、シナノがシオンに対して畏まっているのはアマギのせいだけではなく単純に目上の虫だからというのが本当のところである。シナノは分別のある女の子なのである。
アマギもいつの日か目上の虫に対して敬語を使うようになるかどうかは謎である。昆虫界にはそもそも縦社会は少ないので、敬語は特に使えなくてもあまり困ることはないのである。
批判はあるだろうが、毎日が無礼講のような昆虫界はすばらしいと言えば、すばらしいものだと言えるかもしれない。アマギやテンリには少なくともそちらの方が住みやすいのである。
一方のテンリ・サイドである。テンリとミヤマはカリーが人気者になりたいと思った理由を聞き感動していた。ただし、テンリにはまだ一つだけカリーについての解けない疑問があった。
とはいえ、それはあとで判明することになる。テンリとミヤマは大いにカリーを持ち上げた。カリーは気持ちの上で舞い上がりまたもやブラッシュ・アップした舞を始めた。
最初の方はテンリもミヤマもまじめにカリーの芸を見ていたが、テンリたちの近くでは突如として炸裂弾が破裂する音が聞こえたので、ミヤマはそちらに行ってみることにした。何が行われているのかはわからないが、テンリは怖いもの見たさでミヤマのあとに続いた。テンリは人並みに好奇心を持っているのである。
テンリはカリーに対して声をかけたが、自己陶酔している最中のカリーはそれに気づかなかった。そのため、気は引けたが、テンリはミヤマの面倒を見ることを優先させてもらうことにした。
「さっきの音はきっとド派手なアクション・ショーでもやっているんじゃないかな? カリーくんには悪いけど、ここは男として見に行かないという手はないだろう」ミヤマはテンリと共に歩きながら言った。
「うん。だけど、その虫さんは柄の悪い虫さんじゃないといいね。もし、そうだったら、ぼくたちまでショーに巻き込まれちゃうよ。そういうのは場外乱闘っていうよね?」テンリは不安そうである。
「ああ。それもそうだな。でも、それは大丈夫だよ。テンちゃんには革命軍の幹部を倒したおれがついているからな。ん? あそこに誰かいるぞ」ミヤマはテンリと一緒にトコトコと歩きながら前方を指さした。テンリはそこでオスのディティエールシカクワガタの姿を見つけることができた。
「こんにちは」テンリは挨拶した。「ぼくはテンリだよ。こっちはミヤくんだよ。この近くではなにかの音がしたけど、あれはなんだったか、君にはわかる?」テンリはフレンドリーに聞いた。
「ええ。わかりますよ。あの音は世にも珍しい砲弾の音です。私はそれを見に行くところだったのですが、テンリさんとミヤさんもご一緒しますか? ああ。申し遅れました。私はサイバーと申します」
「おお。サイバーくんが場所を知っているなら、それは願ってもない申し出だよ。サイバーくんは親切な虫みたいだな。それじゃあ、おれたちは一緒に行こう」ミヤマはそう言うとサイバーによってテンリと一緒に道案内をしてもらうことにした。サイバーはニッコリとしている。テンリは違和感を覚えている。
「ところで」サイバーは言った。「お二人は『シャイニング』のメンバーですよね?私は情報通だからと言うのもありますが、お二人はとても有名な虫さんたちです。私はテンリさんとミヤマさんにお会いできてとても光栄に思います」サイバーは礼儀正しく言葉を並べている。テンリは恐縮をしている。
「いやー!」ミヤマは照れている。「そう言ってもらえるとうれしいな。おれはなんたってあの革命軍の強敵であるコンゴウを倒した男だからな。誰でも褒められると悪い気はしないな」
「うん。ミヤくんの活躍はすごかったものね。あれ? 音がした場所はそんなに遠いところではなかったと思うけど、道は本当にこっちであっているの?」テンリはサイバーに対する不信感を抱いた。テンリの上からはすると不意に重りのついた網が振ってきた。テンリはその結果として身動きが取れなくなってしまった。
「わあ! なんだ? ミヤくん! ぼくがここから出るのを手伝ってくれる?」テンリは懇願した。ミヤマはその通りにしたが、テンリを助け出すことはできなかった。テンリは相当に重いなまりで囲まれてしまっているからである。テンリは怖い思いをしている。ミヤマはすぐさまサイバーの方へと向き直った。
「これはなにか変だ」ミヤマは言った。「ただの悪戯かもしれないけど、道はテンちゃんの言うとおり間違っているのかもしれない。サイバーくんもこの網の持ち上げを手伝ってくれないかい?」ミヤマは頼んだ。
「折角『シャイニング』の中で一番に厄介なアマギとあなた方を引き離すことに成功したのに、私がそんなことをすると思いますか? 道も間違ってはいません。この場所はあなた方にとっての死のデッド・エンドです。私は革命軍の残党です。『シャイニング』は一人ずつ消してゆくとしましょう。まずはミヤマさんからです。コンゴウを倒したとか、ほざいていましたが、私はあのチンピラの100倍は強いですよ」サイバーはそう言うといきなりミヤマに向かって『進撃のブロー』を5発も放って来た。
ミヤマはその内の一発を体にかすらせ倒れ込んでしまった。サイバーの動きはそれ程に速かった。動きに無駄のないサイバーは『迎撃のブレイズ』で倒れ込んでいるミヤマを燃やそうとした。ミヤマはなんとかしてそれを転がって避けたが、今度のサイバーは『急撃のスペクトル』でミヤマの先に回り込み自分の強靭な顎でミヤマのことを薙ぎ払った。ミヤマとサイバーの力の差はもはや歴然としている。戦闘を始めてからまだ三分も立っていないのにも関わらず、ミヤマはすでにボロボロの状態である。
それでも、もし、自分が倒されたとしたら、次はテンリがターゲットになることはわかりきっていることなので、ミヤマはすぐに立ち上がった。サイバーは自分がコンゴウの100倍は強いと言っていたが、あれはあながちただのはったりではない。しかも、ミヤマはコンゴウを倒したとは言っても、あれはソーという味方がいたからこそなので、自分でもたった一人でサイバーに勝つことは難しいということくらい自覚をしている。ミヤマはかといってテンリにアマギを呼んできてもらう訳にもいかないし、テンリを置いてこの場から逃げる訳にもいかない。そのあたりは全てサイバーの作戦勝ちである。ミヤマは必死になって打開策を模索した。
その頃のアマギとシナノはまだシオンのところにいた。シオンは変なしゃべり方をするから、アマギはおもしろがっているし、シナノは単純に人間界にいた頃から噂を聞いていたシオンと出会えそれを喜びに感じている。こちらはテンリ・サイドとは違って実にほのぼのとしていて和やかである。
しかし、その和やかなムードは突然に壊される。シオンはアマギとシナノとの会話中に『魔法の葉』をアイス・ピックに代えアマギに向かってそのアイス・ピックを投げてきた。
アマギはそれを『急撃のスペクトル』で避けると、今度のシオンはアマギの頭上に『魔法の葉』からできた氷のぶんちんのような塊を落とした。アマギは『レンクス・ファイア』でそれを溶かした。
「どういうこと?」シナノは少しばかり動揺している。「シオンさんはどうして急にアマくんのことを攻撃してきたの? まさかとは思うけど、シオンさんは革命軍の残党なの?」シナノは問いかけた。シオンは「きゃはは」と甲高い声で笑っている。アマギは臨戦態勢に入った。
「さすがに『救国の兄弟』はすごいですねぇ。私は感心しちゃいましたぁ」シオンはしれっとした顔をしている。「私はもっと遊んでもいいですかぁ?」シオンは怖いことを言い始めた。
「おい!」アマギは真剣な顔で応答した。「これは遊びの次元を超えているぞ。しかも、シオンちゃんはちゃんとナノちゃんの質問に答えていないぞ。シオンちゃんは何者だ? シオンちゃんはどうしてこんなことをするんだ? 普通の虫なら、今の攻撃は重傷ものだぞ」アマギはまだ臨戦態勢を取ったまま正当なことを口にした。シオンは「ええぇ」と言って全く反省の色を見せていない。
「そんなことは私だって知っていますよぉ。私は革命軍なんかじゃないですよぉ。ただぁ『セブン・ハート』とかぁ『ダブル・ハート』とかを生で見てみたかったからぁ、私はやってみただけですよぉ。びっくりさせてごめんねぇ」シオンは砕けた口調になっている。シナノは心の中でほっとしている。
「おれは別にいいけど、ナノちゃんがびっくりするから、攻撃はもうやめてくれないか? まったく」アマギは呆れている。「おれはなんでこんなところで『セブン・ハート』と『ダブル・ハート』を使わないと」アマギは言葉を途切らせた。「ん?」アマギは周囲を見渡した。
ここは『発表の地』なので、今のアマギの奥義を見せものの一つなのかと勘違いしている虫たちは声援と拍手をしていたからである。アマギはかねてより自分もなにかを披露したいと言っていたので、悪い気はしなくなってしまった。今のアマギはようするに脚光を浴びているのである。
「よかった。シオンさんはかわいい見た目とは違って相当に型破りな性格をしているんですね。まあ、アマくんがそう言うなら、私は別にいいけど、今のは本当にびっくりした」シナノは言った。
「シナノちゃんは『シャイニング』のメンバーだけど、女の子だから、びっくりしちゃいましたかぁ? その気持ちは私もわかりますぅ」シオンはあっけらかんとした顔をしながら言って退けた。「普通は急にあんなことが起きたら、女の子はびっくりしちゃいますよねぇ?」
「いや」アマギは言った。「シオンちゃんは絶対にわかっていないだろう。そもそも、相手がおれだから、よかったものの、性格の悪い虫にあんなことしたら、普通はシオンちゃんの方もただではすまないぞ。って」
アマギは「ぶぼっ!」と言った。「今度はなんだ?」アマギは訝しんだ。それもそのはずである。今度は突然にアマギの下から虫が出てきたのである。心なしか、シオンはあまり驚いていないような気がしないでもない。シナノは当然のことながら「え?」と言い驚きを隠せないでいる。
「ヒリュウくん?」シナノは言った。「事態は次から次へと急変してくるけど、ヒリュウくんにはなにかの用事があって私達のところに来たの?」一度は落ち着いてからシナノはヒリュウに対して疑問を呈した。
「ん?」ヒリュウは言った。「ああ。ナノちゃんか。まあ、そういうこっちゃな。けど、時期はやっぱり早かったみたいや。というか、ここはどこや? それにしても、わいはやけに頭が重いな。ん? アマちゃんやんけ」ヒリュウはアマギの体の下から質問した。「アマちゃんはわいの頭の上で何をしてはるんや?」
「こんにゃろう」アマギは怒っている。「ヒリュウはおれの体の下から『サークル・ワープ』で出てきたからだろう。おれはシオンちゃんからの攻撃よりもよっぽど今のヒリュウの登場の仕方の方がびっくりしたぞ。ヒリュウはよりにもよってピン・ポイントでおれのいるところに出てこなくてもいいだろう」
「すまん。すまん。次は気をつけるさかい。アマちゃんは許してくれや。それで?」ヒリュウは落ち着いている。「さっきも言ったけど、ここはどこや? お、君は」ヒリュウはようやくシオンの存在に気づいた。
「はい。私はシオンですぅ。ヒリュウさんは私のことをご存じなんですかぁ? 私はすごくうれしいですぅ。私がいるということはここは『発表の地』ですよぉ。偶然とはいっても、ヒリュウさんは私に会えてうれしいですかぁ?」シオンはどさくさに紛れて割と図々しい質問をしている。
「んー?」ヒリュウは惚けている。「まあ、そうやな。とはいっても、わいは君がシオンちゃんちゅう名前やちゅうことを知らんかったけどな。まあ、シオンちゃんはなにかを発表するんやろうから、これからもがんばってや。またな。わいの用事はもうすんだから、わしはもう帰るわ。ほな」ヒリュウは「ナノちゃんもアマちゃんも元気でな」と言うとこの場から『サークル・ワープ』を使っていなくなった。
「うわ!」アマギはびっくりしている。「ヒリュウは本当に帰っていた。嵐のようなやつだったな。ヒリュウのやつはシオンちゃんのことをからかっておれのことをびっくりさせて何がしたかったんだ? 一体」アマギは疑問を呈した。シナノは即「本当ね」と同意した。
「結局は何をしにきたのかを言わないまま帰っちゃった。しかも、ヒリュウくんはテンちゃんとミヤくんがいないということにも気づかなかったみたいだし、失礼だけど、ヒリュウくんの性格は相も変わらずに大雑把ね。まあ、ヒリュくんは『またな』って言っていたから、私達は次にヒリュウくんと会った時に今のことを聞いてみましょう」シナノはやはり頭の回転が早い。アマギはそう言われると納得をした。
この後のテンリたちの一行は確かにヒリュウと再会を果たすことになる。ヒリュウは自分の芸を見ないばかりではなく存在自体を『知らん』と言ってきたので、シオンは少しカチンときている。
しかし、さすがのシオンでもその腹いせでアマギに対して攻撃の八つ当たりをするようなことはしなかった。シオンはアイドルとして一応の自制心を持っている。その際のアマギとシナノはシオンをフォローしたので、それも少なからず影響を与えたのは間違いない。自制心はあるが、自尊心はそれと同じくらいに高いというのがシオンの性格である。休憩時間は過ぎたので、シオンは再びステージに登り歌とダンスで多くの虫を熱狂させることになった。アマギとシナノはそれを暖かい目で見守った。離れた場所にいるので、アマギとシナノはまだテンリとミヤマの窮状に気づいていない。
外面はいいが、内面はダークだから、サイバーは光夜叉の異名を持っている。サイバーは『トライアングルの戦い』でも一人で屈強な国王軍の兵士を何匹も倒していたというのが実情である。
ミヤマVSサイバーの一戦は終わりに近づきつつある。勝利を収めそうなのはサイバーの方である。サイバーは『セブン・ハート』の達人なので『突撃のウェーブ』や『追撃のクラック』でミヤマをじわじわと苦しませている。サイバーは当然のように全ての『セブン・ハート』を使いこなせる。
ミヤマは防戦一方でサイバーの攻撃を避けることしかできていない。ミヤマはそれでも男としてまだ食い下がっている。そんなミヤマの姿を見ていると、テンリはとてもつらい気持ちになってしまっている。テンリはテンリなりに網からの脱出をしようとしているが、それは徒労に終わっている。ボロボロなミヤマは一発逆転を狙って今まさに最後の一撃をサイバーに対して食らわせようとしている。
「サイバーくんは確かに強いけど、別に『スリー・マウンテン』と『トライアングルの戦い』で互角に戦った訳じゃない。おれもそろそろサイバーくんのスピードに目が慣れてきた。つまり、おれにも勝ち目はあるということだ」ミヤマは真剣な顔をしている。そのため、テンリは期待を膨らませた。
「それはただのはったりですね?」サイバーは冷酷である。「それとも、ミヤマさんは挑発しぼくに隙を作らせようとでもしているのですか? それなら、それは無駄なことだと言っておきましょう。ぼくは今までの戦闘において気を乱したことは一度もありません。さすがにこのままいつまでもミヤマさんのことをいたぶっているのも気の毒ですから、ぼくは次で終わりにして差し上げましょう」サイバーは「ミヤマさんはこの攻撃で楽になって下さい」と言うと『電撃のサンダーボルト』を使うべくミヤマの方へと飛んで行った。
しかし、ミヤマはすでにそこにはいなかった。ミヤマはサイバーが『セブン・ハート』を使う前にトップ・スピードでサイバーの顎を自分の顎で挟んでぐるぐると横回転を始めた。
ミヤマはスピードが乗ってきたところで勢いよくサイバーのことを木に衝突させた。ミヤマとサイバーの両者はその結果として崩れ落ちた。これは『風車』というミヤマの新技である。
「わあ!テンリは歓喜の声を上げた。「ミヤくんは勝った。だけど、ミヤくんも一緒に倒れちゃった。ミヤくんは大丈夫かなあ? 意識はある?」網の中のテンリはミヤマのことをきちんと気遣った。
「ぐっ!」ミヤマは苦しそうである。「ああ。なんとか、意識はあるよ。でも、おれはもうダメだ。サイバーくんには確かに勝ったけど、おれは今の攻撃で全体力を使い果たした。しばらくの間はもうこれ以上は動けない」ミヤマは大の字になり虫の息である。
すると、テンリとミヤマにとっては悪夢のような出来事が起きた。サイバーはなんと立ち上がったのである。テンリとミヤマは悪寒を覚えた。サイバーは「ふん」と鼻を鳴らし冷静沈着そのものである。
「ミヤマさんはあの程度の攻撃でぼくがやられるとでも思っていたのですか? テンリさんとミヤマさんのお二人はこれで終わりです。まずはミヤマさんからです」サイバーは「ミヤマさんは今度こそ本当に楽になって下さい!」と言うと木に穴を開ける程の『衝撃のスタッブ』でミヤマに止めを刺そうとした。
しかし、やられたのはサイバーの方だった。サイバーには横から『スパイラル・ウィンド』という螺旋状の鎌風が直撃した。サイバーは今度こそ本当に気絶してしまった。テンリは目敏くある虫を発見した。
「あ、君はもしかしてムーレンくんかなあ? ぼく達のことを助けてくれたの? それとも、ムーレンくんはサイバーくんみたいにぼく達を倒しに来たの?」未だ網の中のテンリは聞いた。ミヤマも突如として現れた虫に対して目を向けたが、ミヤマはその虫のことを知らなかった。それもそのはずである。
ムーレンとはテンリが小学生だった頃に不良生徒として幅を利かせていたが、当時はアマギにより成敗された虫だからである。テンリとアマギは知っているが、ミヤマが知らないのにも無理はないのである。
「おれのことを覚えているのか。テンリくんは記憶力がいいな。おれはテンリくん達を助けに来たんだ。今のおれは『森の守護者』だからな。昔はテンリくんに怖い思いをさせてしまってすまなかったと思っている。本当に申し訳ない」ムーレンの言葉からはしっかりとした誠意を感じ取ることができる。
「ううん。昔のことは気にしなくていいよ。ムーレンくんはそれよりもぼくたちを助けてくれてどうもありがとう。ムーレンくんは昔から強かったけど、本当はやさしい虫さんだったんだね」テンリは称賛した。
すると、ムーレンはやんわりとそれを否定した。今のムーレンは確かに心を入れ替え『森の守護者』をやっているが、昔の悪行を全て水に流してはいない。
ダメなことはダメだとアマギに負けて反省し今のムーレンがいるのである。なんの因果か、ムーレンは以前にトリュウを襲撃した凶徒の一味を叩きのめしたことにより次世代の明星としても期待されている。
テンリとアマギとシナノの三匹は以前にアンタエウスという古参の『森の守護者』に出会ったが『森の守護者』には今でもムーレンやグリースやブライヤーといったように新進気鋭の新顔が続々と登場している。その『ライジング・ジェネレーション』からは次の『スリー・マウンテン』が現れるのではないかと言われている程である。ミヤマは「なるほど」と言い納得した。
「まさか、おれはそんな虫さんが助けにきてくれるとは思っていなかったよ。おれからもお礼を言うよ。ムーレンさんは助けてくれてどうもありがとう。本当に助かったよ。ムーレンさんはそれにしても悪党共の元締めだったとは思えない程に物腰が柔らかいな」ミヤマは感想を漏らした。
「そう言ってもらえるとうれしいよ」ムーレンは照れた。「おれがここに来たのは半ば必然的だったんだ。ゴールデン国王さまは『シャイニング』のことを気にかけていらっしゃるから『森の守護者』は密かに『シャイニング』の行く先を見守っているんだ。今のおれがあるのはテンリくんとアマギくんのおかげだ。さもなければ、今頃のおれはシャンデスのようにして『監獄の地』で燻ぶっていたことだろう。テンリくんは思い出したくないかもしれないが、小学生の頃のテンリくんに決闘を挑んでいたシャンデスはコンゴウとヒュウガに成敗され、今は『監獄の地』の囚人になっている。シャンデスは『ワースト・シチュエーション』事件でも脱獄していない。コンゴウとヒュウガは褒められたものではないが、シャンデスは因果応報だ。ああ。すまない」ムーレンは申し訳なさそうにした。ムーレンはミヤマがテンリを網から出してあげようとしているのを見たからである。しかし、ミヤマにも網をどけることはできなかったので、ムーレンは小さな『進撃のブロー』の鎌風で網を切りテンリを助けてあげた。ミヤマは安堵している。テンリはこうして自由の身になった。
「ありがとう」テンリはお礼を言った。「ムーレンくんはアマくんにも会って行く? アマくんはこの近くにいるんだよ。ムーレンくんが心変わりしたことを知れば、アマくんはきっと喜ぶと思うよ」テンリは提案した。
「いや」ムーレンは応じた。「それはうれしい提案だけど、おれはまだアマギくんに顔を見せることはできない。おれはもっとやさしくずっとやさしくなってから、機会があれば、その時にアマギくんとは会うよ。悪いけど、テンリくんはおれが『小学生の頃のおれを倒してくれてありがとう』と言っていたとアマギくんに伝えておいてくれないかな? サイバーはいつ目を覚ますかもわからないし、おれはもうサイバーを連れて行くよ」ムーレンはちょっぴり名残惜しそうである。テンリは「うん」と頷いた。
「わかった。ぼくはムーレンくんと友達になれて本当にうれしいよ」テンリの言葉は純粋でありかつ真っすぐである。ムーレンの瞳からはすると涙が零れ落ちた。ミヤマはそのやさしさに打たれ貰い泣きをしている。今のムーレンは風来坊を経て昔のような剛腹さが消えている。ムーレンはサイバーを連れて早速『監獄の地』に向かって行った。ムーレンはその際にテンリたちの旅の無事を祈ってくれた。
テンリとミヤマはアマギとシナノのいる場所へ向けて歩き出した。ミヤマはこれにて一件落着だと思っているが、テンリとミヤマにはこのあとにも驚きの展開が待っている。
それはグッド・ニュースではなくバッド・ニュースである。そんなことがあるとは露ほども疑っていないので、ミヤマはテンリと楽しく会話をしている。テンリは未だにドキドキとしているが『トライアングルの戦い』を経て強い心を手に入れたので、ミヤマは以前よりも切り替えが早くなっている。
シオンのステージは楽しめたので、アマギとシナノの二人はテンリたちの場所へ帰ろうとしたが、二人はその前にシオンに対して挨拶をしておくことにした。これは律儀なシナノの提案である。
アマギとシナノはシオンが舞台を降りるとシオンのところへと向かったが、二人はシオンによって帰ることについて待ったをかけらえてしまった。
アマギとシナノのことを気に入ったので、シオンは二人とまだ遊び足りないと主張したのである。二人の気はとてもやさしいので、アマギとシナノはそう言われてしまうと従わざるを得ない。
これ以上はなんの遊びをするのか、見当もつかないので、アマギはワクワクしている。アマギとシナノはシオンによって舞台裏に案内された。アマギとシナノはここからとんでもない事態に巻き込まれる。
「まずはこの『サークル・ワープ』を潜ってくれますかぁ?」シオンは頼んだ。舞台裏にはシオンの言うとおり『サークル・ワープ』があったので、アマギは迷いもなく素直にそれを潜った。
「確認だけど、シオンさんは私達をどこへ連れて行ってくれるのかしら? 私達はまだアルコイリスに行く訳にはいかないのだけど」シナノは確認した。シナノはやはり思慮深い女の子である。
「行き先はアルコイリスではなくてそれ以外の楽しい場所ですから、それは大丈夫ですよぉ。シナノちゃんはもしかして尻込みしちゃいましたかぁ?アマギくんはすでに行っちゃっていますよぉ」シオンは挑発した。シナノは仕方なくアマギのあとを追った。シオンはニヤリとしてシナノの後姿を見つめている。アマギたちの三匹はアリーナにやって来た。そこではアマギたちのことをショウカクが待ち構えていた。
「あれは誰だ?」アマギは疑問を呈した。「シオンちゃんはおれたちをどこに連れてきたんだ? ん? あのクワガタは赤のペンキをつけていないか? となると、あのクワガタは革命軍の残党か?」
「いいえ。残党ではないはずよ。あのショウカクという虫はアマくんのお兄ちゃんによって『トライアングルの戦い』で敗北して捕縛されたはず」シナノは情報通である。情報は一種の武器である。
「それなのに」シナノも不思議そうにしている。「ショウカクはどうして檻の中に入っていないのかしら? 場所を間違えたみたいだから、私達は帰りましょう」シナノはシオンに対してこの上なく最もな提案をした。アマギはシナノの意見に深く賛同している。シオンはとりあえずの受け答えをした。
「そうですねぇ。あれぇ? おかしいなぁ? さっきまではここにあったはずの『サークル・ワープ』がなくなっていますぅ。仕方ないから、私達は当てどもなく帰り道を探しましょうかぁ」シオンの危機感は心なしかゼロである。シナノはそれを敏感に察した。アマギはそれよりも肝心なことに気づいていた。
「そんなに悠長なことを言っていてもいいのか? あのショウカクって虫はラン兄ちゃんにやられたんだろう? となると、ショウカクは当然のことながらおれのことも憎んでいるんじゃ」アマギはショウカクからの『突撃のウェーブ』を『急撃のスペクトル』で避けながら「うわ!」と声を上げた。アマギは「やっぱりか!」と言って呆れている。ここは円形の闘技場なので、シオンはシナノを観客席へと誘った。
「シオンさんはアマくんにショウカクと戦わせる気なのですか?」シナノは不可解そうにしている。「逃げても追いかけられるのなら、それは仕方ないけど、ショウカクはかなりの実力者のはずです」シナノは正論を述べた。できれば、シナノはアマギとショウカクをぶつけたくはないのである。
「そうですねぇ。アマギくんとショウカクはどっちの方が強いのか、勝負が楽しみですねぇ。アマギくんはがんばって下さいねぇ!」シオンは自分のペースを崩すこともなく応援をした。
「ったく」アマギは呆れている。「シオンちゃんは滅茶苦茶だな。おれは別に元気だから、少しくらいはショウカクの相手をしてやってもいいけど、ラン兄ちゃんはせっかくショウカクを倒したのに、ショウカクはわざわざ脱獄してきたのか?」アマギはショウカクからの急襲を受けないようにして身構えながら聞いた。アマギはこの上なく迷惑そうである。ショウカクは余裕な態度で応じた。
「そのとおりさ。おれっちは脱獄してから革命軍の残党を探していたんだ。サイバーやヒョウゴといった面々はまだ捕まっていないはずだからな。しかし、おれっちはここでキリさんを倒したアマギと偶然にも遭遇した。これはなにかの縁だ」ショウカクは「おれっちは今こそキリさんの仇を打たせてもらう!」と言うと『急撃のスペクトル』で5匹に増えアマギのことを囲み『進撃のブロー』を放った。これは『メニー・ウィンド』という技である。アマギは上空に逃げたが、そこにはショウカクがいた。
アマギはあっという間に『進撃のブロー』をもろに至近距離から受けた。「ぐわっ!」と声を上げたが、アマギはすぐに体勢を立て直した。アマギとショウカクは空中に浮かんでいたが、双方は共に『急撃のスペクトル』を使っていて何が起きているのか、シナノとシオンにはもはや早すぎてわからなくなった。
「ショウカクは革命軍の幹部だな? だけど、おれは負けない。不要な争いを長々としていても何もおもしろくはない!」アマギは「勝負はこれで終わりだ!」と言うと本物のショウカクを見極め『進撃のブロー』を三本も放ち『レンクス・ファイア』の炎の刃を二つも放った。結果『進撃のブロー』は避けられたものの、ショウカクは『レンクス・ファイア』を三つも受けて戦闘不能になった。
「なんだ?」アマギは合点が行っていない。「これはなにかおかしいぞ。ショウカクはもっと強い虫だと思っていたけど、意外とあっけなかったな。おーい!」アマギはシナノとシオンに対して大声で呼びかけた。「ナノちゃんとシオンちゃんはもう降りてきても大丈夫だぞ!」アマギはすでにニコニコしている。シナノとシオンは呼びかけに応じ一緒にアマギのいる競技場に降りて来た。
「アマくんが強いということは知っているけど、アマくん自身も不可解に思っているのなら、合点は行くことになる。『サークル・ワープ』がなくなったこと、シオンさんは少しも動じていないこと、ショウカクはあっけなく倒されたこと、ここはまるでバーチャル・リアリティーのような世界ね。シオンさんは私達に『魔法の壺』で幻覚を見せていましたね?」シナノは核心を突いた。シナノは頭の回転が速い。
「わかっちゃいましたぁ?」シオンは悪びれずに応じた。「シナノさんは頭がいいですねぇ。ですが、私は悪気があってしたことではないので、お二人は許して下さいねぇ。ごめんなさぁい。えへ」シオンは「それでは現実の世界に戻りますねぇ」と言うと岩の陰にあった『魔法の壺』の蓋を閉めた。アマギとシナノとシオンの三匹はその結果として元いた『発表の地』に帰って来た。アマギはあたりを見渡して大いに関心をしている。
「おお」アマギは言った。「ナノちゃんはよく見破ったな。おれは完全に騙されていたよ。まあ、何事もなかったから、そんなことはなんでもいいか。ショウカクから受けた『進撃のブロー』のダメージも錯覚だったみたいだ」こういう時はアマギの度量の広さがよく際立つことになる。
「ええ。それなら、よかった。でも、謎はまだ残ってる。シオンさんはどうして私達を仮想世界へ連れて行ったのか、シオンさんは『魔法の壺』を使ったはずなのに、独特の香りはどうしてしなかったのか?」シナノはいつものようにして自然と頭が回転をしている。シオンは簡単明瞭に答えた。
「私はどうしてお二人をアリーナにお連れしたか、それは簡単な理由ですよぉ。私はアマギくんとショウカクさんを戦わせて戦闘シーンを見たかったんですぅ。私は実を言うとああいう過激なものを見るのが好きなんですぅ。アマギくんとシナノちゃんは他の虫さんたちにはこのことを秘密にしておいて下さいねぇ。私のイメージ・ダウンになっちゃうのでぇ。『魔法の壺』を空けたのに、香りがしなかったのはこれのせいですよぉ」シオンはそう言うとステージ裏から消臭剤を取り出した。シナノは今までそんなものに騙さ
れていたのかと少しばかり拍子抜けした。聡明なシナノには大きな向上心があるので、次からは気をつけようと密かに考えた。それはシナノらしいと言えば、シナノらしい考え方である。
単純なアマギは『魔法の壺』の使い方にはそんな方法があったのかと感心をしている。危ない目にあった一番の被害者のはずだが、アマギは全くお構いなしである。
かわいいネコを被ってはいても内面は過激なことを好むシオンはアマギを使って普段のストレスを発散できたのだと気づいたが、アマギは気にしていないので、シナノはそれでよしとすることにした。
テンリとミヤマの二人はアマギとシナノとカリーのいる場所へ向けてテクシーで移動していた。かなりの疲労を溜めていたはずだが『魔法の杖』をつけているので、ミヤマはすでに歩ける程度には体力が回復していた。『魔法の杖』はテティからの貴重な贈り物である。ミヤマは『魔法の杖』を重宝している。
シューティング・ゲームをやってみたいとか、エステを受けてみたいとか、ミヤマはテンリに対して雑談していたが、テンリとミヤマの二匹はとんでもない光景を目の当たりにすることになった。
ムーレンにより『監獄の地』に贈られたはずのサイバーはなんとテンリとミヤマのことを待ち伏せしていたのである。テンリとミヤマはこれには大いに驚かされた。サイバーはしゃあしゃあと言った。
「お待ちしていましたよ。まさか『ライジング・ジェネレーション』から邪魔が入るとは思っていませんでしたが、私は伏線を引いておいて正解でした。さあ、テンリさんとミヤマさんは今度こそここが死のデッド・エンドです」サイバーは「逃がしはしませんよ!」と言うと早速『突撃のウェーブ』で攻撃をして来た。ミヤマはテンリを持ち上げてそれをかわしたが、今度のサイバーは『進撃のブロー』を三つも放って来た。今はただでさえも体力が万全ではないのに、テンリを運びながら逃げたので、ミヤマは一つの鎌風を体にかすらせた。テンリは申し訳なさそうにしている。一方のミヤマは「くそっ!」言い混乱している。
「どういうことだい?」ミヤマは疑問を呈した。「ムーレンくんはせっかくサイバーくんを倒してくれたのに、サイバーくんはムーレンくんを倒してここに舞い戻ってきたということかい?」
「ううん。それはきっと違うよ。ムーレンくんに限ってそんなことはないと思うよ。サイバーくんはもしかすると『奇岩の地』で手に入るパワー・ストーンを使って二匹に増えていたんじゃないかなあ?」テンリはそう言いながら会話をすることによってミヤマのことを少しでも休めさせてあげようとしている。
「テンリさんはいい読みです。正解です。本来は二人になってアマギさんを倒す計画だったのですが、こうなっては仕方ありません。ミヤマさんの体力がリミットを超えているということはもうわかっています」サイバーは「私がミヤマさんの最後の引導を渡して差し上げましょう!」と言うとミヤマに向かって『急撃のスペクトル』で急接近し『迎撃のブレイズ』を放った。ミヤマはいよいよ三途の川を渡るのかと思った。
炎は結果としてメラメラと燃え上がり、三秒後には灰だけが残った。サイバーは勝利を確信したが、燃えたのはよく見るとミヤマではなくて丸太だということにテンリは気づいた。ミヤマは九死に一生を得ていた。カリーは「ふふふ」と微笑みながら不意に現れた。まさかの二度目の救世主の登場である。
「今の君が燃やしたのはうつくしいぼくが『変わり身の術』で出した丸太さ。事情は詳しくわからないが、もし、君がミヤマくんを倒したいのなら、まずはこのうつくしいぼくを倒してからにすることだね。ふふふ」カリーは悠然としている。「うつくしいぼくのセリフは相も変わらずにうつくしい」
テンリは「カリーくん!」と歓声を上げた。「ミヤくんを助けてくれてありがとう。ぼくたちは革命軍の残党のサイバーくんに命を狙われているんだよ」テンリは「カリーくんはこれでサイバーくんの動きを止められないかなあ?」と言うと『ポシェット・ケース』からクナイを出しカリーに対してそれを渡した。
「やれやれ」サイバーは途方に暮れている。「今日という日は次から次へとよく邪魔者が現れますね。自分たちだけではどうにもできないとはテンリさんもミヤマさんも情けないですね」サイバーは『シャイニング』のことを嘲った。悔しくは思ったが、ミヤマはその挑発には乗らなかった。ミヤマにはきちんとした理性が働いている。ミヤマはとりあえず「ごめん」とカリーに対して謝った。
「おれは戦力にはならないけど、カリーくんに勝算はありそうかい? サイバーくんは強いから、おれたちには逃げるという手もあるけど」ミヤマは弱腰になってしまっている。
「ふふふ」カリーは余裕である。「その必要はないさ。勝算はある。うつくしいぼくは華麗に勝利を収めてお見せしよう。サイバーくんは間違っているよ。本当の強さは一人じゃないと言えることさ。困った時に誰かが助けてくれるのは普段からテンリくんとミヤマくんが他の虫にやさしくしている賜物であり情けなくなどはない!」カリーはそう言うと『影分身」で5匹に増えサイバーを取り囲んだが、サイバーは『ラウンド・リスト』で四方八方に大爆発を起こした。4匹のカリーは消えてしまったが、サイバーの上空にいた本物のカリーは『影縫いの術』によりテンリから預かっていたクナイでサイバーの動きを止めようとした。
しかし、サイバーはそれを『急撃のスペクトル』で避けた。そればかりか、サイバーは地面に刺さったクナイを『衝撃のスタッブ』で『パキッ!』と音を立てて二つにへし折ってしまった。
「口先だけは威勢がいいですが、あなたの実力はこんなものですか?」サイバーは「私にとってはあなたなど遅るるに足りません!」と言うと『進撃のブロー』を使おうとしたが、それはできなかった。カリーは『口寄せの術』でペリカンのキヨセを呼び出し、サイバーはキヨセによって踏んづけられたからである。
「やあ」カリーはキヨセに対して言った。悪いけど、キヨじいはちょっとそこを動かないでくれるかな? 彼を倒す術は他にもあったけど、彼の言うことは一々うつくしくないので、うつくしいぼくはこういう手段を取らせてもらったよ」カリーはそう言うと尖っている方のクナイの先をサイバーの影に突き刺した。カリーは今度こそ『影縫いの術』を成立させた。カリーVSサイバーの一戦はカリーの圧勝である。
「余はちょうど退屈していたのじゃ。余はカリー殿に呼び出してもらえてうれしい限りじゃ。それに、テンリ殿とミヤマ殿とも会えたのだから、余はとても満足じゃ」キヨセは一転して心配そうになった。「余は役に立ったのだろうか?」キヨセはテンリたちが戦っていたことを察している。
「それはもう大いに助かったよ。うつくしいぼくとしては荒っぽいやり方だったけど、悪党は蹴散らせたんだ。これ以上にない程の誉れさ」カリーは優雅な仕草をしながら気取っている。
「そう言えば、カリーくんはキヨおじいちゃんとお友達だったんだね。カリーくんとキヨおじいちゃんは本当にありがとう。カリーくんの舞は途中までしか見てなくてごめんね」テンリは素直に謝った。
「いやいや」ミヤマは割って入った。「それはおれの責任だよ。おれが勝手なことをしていなければ、こんなことにはならなかったんだ。謝るのはおれの方だ。ごめん」ミヤマはカリーに対してきちんと謝った。
「ふふふ」カリーは微笑んだ。「うつくしいぼくがそんなことを気にすると思うかい? 容姿も内面もうつくしいぼくはなんとも思ってはいないよ。二人が無事なら、それはうつくしいぼくにとってはなによりの幸せさ。来るのが遅くなったうつくしいぼくにも責任はある」カリーは言った。カリーはただならぬ気配を敏感に察知してここにきていたのである。キヨセは「うむ」と唸った。
「皆はやさしい心の持ち主だから、余はお話を聞いているだけでも心が洗われるようじゃ。余はカリー殿と『玩具の地』で知り合い『スリー・マウンテン』の凱旋パレードを見物していた時にさらに親睦を深め『影縫いの術』の契約を交わしていたのじゃ。まさか、こんなにも早く役に立つとは思っていなかったが、事が丸く収まったのなら」キヨセはうれしそうにしている。「余は本望じゃ」
「へえ」ミヤマは感想を述べた。「カリーくんは嫉妬しないで『スリー・マウンテン』の凱旋パレードの見物に参加していたのかい?それは意外だな。カリーくんは博愛主義者なんだな」
「そのとおりさ。妬みはうつくしさと似ても似つかない関係にある。純粋にこの国を救ってくれた虫たちを賛辞することは当たり前のことさ。ふふふ」カリーは自信に惚れ惚れとしている。「うつくしいぼくはなんてうつくしいセリフを口にするんだ。ところで」カリーはハッとした。「キヨじいは透けてきているみたいだけれど」カリーは見たままのことを口にしている。キヨセは「うむ」と頷いた。
「余は『玩具の地』の管理者であるベイとも『口寄せの術』の契約をしている。余はそこからも呼び出しがかかったのであろう。本当はもう少しこの場にいたかったが、余は行かねばならぬ。余はテンリ殿とミヤマ殿とも会えて元気が出たぞ。カリー殿も余を呼び出してくれてありがとう」キヨセは礼を述べた。
「ぼくもキヨおじいちゃんが来てくれてうれしかったよ。ありがとう」テンリはお別れの言葉を述べた。「またね。バイバーイ」テンリは手を振った。キヨセはすると微笑みを浮かべてこの場をあとにした。
「それでは元いた安全な場所に戻ろう。おれたちはもしかするとアマとナノちゃんにも心配をかけさせちゃっているかもしれない」ミヤマはそう言うと歩き出した。ミヤマは『魔法の杖』のおかげで歩行ができるようになっている。カリーはテンリのクナイを折ってしまったことを詫びたが、テンリは気にしていなかった。
テンリとアマギとミヤマは『忍者の地』で三つのクナイをゲットしたが、一つはソウリュウに上げ一つはテティに上げていたので、テンリたちはこれで全てのクナイを失ったことになる。
テンリはサイバーが復活することを恐れたが、分身のサイバーはミヤマが帰りの提案をした時に運よくもちょうどパワー・ストーンの効果が切れ消えてしまった。テンリはようやくほっとした。
その後はさすがに三匹目のサイバーが現れることはなくテンリとミヤマはカリーと一緒に元いた場所へ帰って来た。そこではアマギとシナノが心配そうにしていたが、テンリが事情を説明すると、アマギとシナノは大いに驚いた。テンリはきちんとムーレンからの伝言もアマギに伝えた。アマギは言った。
「おれとナノちゃんもごたごたに巻き込まれていたけど、ミヤとカリーくんはテンちゃんを守ってくれてありがとうな。ムレーンとキヨじいにもお礼を言いたかったけど、それはまた今度でいいか」
「ええ。私もそのとおりだと思う。私はアスカさんとも話していたけど、ここから先の旅路も一人での行動は慎んだほうがいいみたい。私の知っている範囲ではヒュウガの弟のヒョウゴという革命軍の残党もかなりの実力者みたいだから」シナノは提案した。カリーはそっぽを向いている。
「そうだな」ミヤマは素直に応じた。「おれもそのことは肝に銘じておこう。トラブル・メーカーのアマギにもそれは言えるけど、今回はおれの失態だった。しばらくの間は軽はずみな言動はよそう」
「学習能力が高いから、ミヤくんは偉い虫さんだね。ぼくも気をつけるよ。ところで」テンリは慎重に話題を変えた。「アマくんとナノちゃんは今まで何をしていたの?」テンリは聞いた。シナノはそれを受けるとかいつまんでシオンとのいざこざとヒリュウの登場などの事柄を話した。
「へえ」ミヤマは十分に納得した。「確かにあそこにいるシオンちゃんって女の子の人気ぶりはここからでも窺えるな。カリーくんは少しもジェラシーを感じていないのかい?」ミヤマはカリーを見た。
「ふふふ」カリーは余裕である。「そのとおりさ。うつくしいぼくは『スリー・マウンテン』を敵視しないのと同様に他のアイドルの人気ぶりを妬むようなまねはしないのさ。言ってみれば、シオンちゃんは同業者だから、うつくしいぼくとは仲間のようなものさ」カリーはシオンの方は見ないようにしている。
「そうなのか?」アマギは言った。「それじゃあ、おれたちはここで待ってるから、カリーくんはシオンちゃんに舞いを見せてあげてくれないか? カリーには一目を置いてるみたいだから、そうすれば、シオンちゃんはきっと喜ぶぞ」アマギはなんの気なしに提案したが、当のカリーは『ぎくっ!』とした。
それでも、テンリたちの4匹に見つめられると、カリーは仕方なくシオンの元へと向かった。とぼとぼと歩いてきたカリーを見つけると、ステージ上のシオンは喜んだ。アマギの目論見のとおりである。
「あれぇ」シオンは早速に声をかけた。「もしかしてぇ。あの有名なカリーくんがスペシャル・ゲストとして私のところに来てくれたんですかぁ? それではぁ、私が歌うのでぇ、カリーくんは舞いを見せてくれませんかぁ?」シオンは完全な無茶ぶりをしてきたが、観客のボルテージは上がっている。
「あ、ああ。もちろんさ」カリーは一応の同意をした。「ファンの頼みとあってはやらない術はない。シオンさんのためにもここは一肌を脱ぐとしよう」カリーは目が泳いでいる。観客は「おー!」と言ってキラキラしたカリーとシオンの夢のコラボレーション・ステージに期待を膨らませた。ところが、実際にステージに上がってみると、カリーはロボットのような動きしているだけだったので、観客には笑い者にされてしまった。
「あ、あんまり」カリーは笑顔が引きつっている。「長くなると、シオンさんも疲れるので、今日はこのくらいにしよう。それでは」カリーは「アディオス」と言うとそそくさとテンリたちの元へ逃げて行った。
カリーに勝ったので、シオンは内心でほくそ笑んでいる。とはいえ、そんなことはおくびにも出さず、シオンはかわいらしくお礼の言葉を述べてファンからの好感度をアップさせた。カリーとシオンのステージを遠巻きながらもずっと見ていたテンリたちは不思議そうにしているが、カリーは何食わぬ顔をして戻って来た。
「もしかして」シナノは言った。「カリーくんって女性と話をするの苦手なの? 不快には思っていなかったけど、カリーくんは私との会話でもちぐはぐよね」シナノはさすがに敏感である。
「バ」カリーはシナノの方を向いていない。「バレてしまっては仕方ない。うつくしさを尊ぶうつくしいぼくとしては女性の前に出ると緊張してしまってうまく女性と会話や行動が取れなくなってしまうのさ。うつくしいぼくとしてはうつくしいぼくらしい性分さ。ふ」カリーはカッコよく話をまとめた。
「って」ミヤマは突っ込んだ。「カッコつけてはいるけど、それはそれで問題だと思うぞ。仕方がない。カリーくんには恩があるから、カリーくんをプロデュースして老若男女に好かれるだけでなく女性とも自然な交流を持てるようにしてあげよう」ミヤマは太っ腹である。
カリーは渋っていたが、シナノにも背中を押されると、結局はカリーもその提案に乗っかることにした。面倒くさそうなので、ぼうっとしていたアマギはすでに安眠しているが、他の皆はそのことを黙認している。
「カリーくんは色んな才能を持っているけど、一番に自信のある芸は何かなあ?」テンリはここで具体例を上げた。「ジャグリングかなあ? それとも、舞かなあ?」テンリはカリーを見つめている。
「ふふふ」カリーは微笑んだ。「うつくしいぼくに美しい雲自信のない芸はないけど、しいて言うなら、それは忍術や忍法かな。テンリくんとミヤマくんのために戦っていたぼくはなんとうつくしかったことか。あれはスーパー・スターにふさわしい働きだったな。ふふふ」カリーは一人で悦に入っている。
「よし」ミヤマは普通に受け流した。「それじゃあ、そんなスーパー・スターにはファンのおれから頼みがある。カリーくんはまたシオンちゃんのところへ行って今度は得意の術を披露してくれないかい?」
「ああ。いいとも」カリーは快諾した。ファンの頼みとあっては止むを得ない」カリーは「ビシッと決めてこよう」と言うと歩き出した。シナノに「気をつけてね」と言われるとおどおどしていたので、カリーは本当に大丈夫だろうかとテンリとミヤマは心配になった。ただし、シナノが言った「気をつけて」とはシオンの内に秘めた凶暴性についてのことである。そのことはテンリとミヤマもまだ知らない。
カリーは再びシオンの元にやって来てシオンにしどろもどろながらも自分はこれからシオンのために忍術を披露する旨を伝えた。今はちょうどシオンのが捌けている時だった。
「私のためですかぁ?」シオンは意外そうにしている。「それはとってもうれしいですぅ。一度でも口にした以上は本当に私のことを楽しませてくださいねぇ」シオンは言い終えると同時に持っていた『魔法の葉』をティンパニ(ケトルドラム)に変えた。シオンはそれを叩いてリズムを取っている。少しはそれで気持ちがほぐれたカリーは『火炎の術』で身の回りに小さな炎を拡散させて舞を始めた。
シオンは同時に『魔法の葉』をカリーの上に放り投げそれを輸送船に変えるという突拍子のないことをしでかした。カリーは咄嗟に『空蝉の術』で自分と小石を入れ替えそれを避けた。
カリーは「えー!」と言い少なからずびっくりしている。「シオンさんはうつくしいぼくを抹殺する気かい?」カリーはシャウトした。「今の攻撃はシャレにならないレベルだよ!」
「ごめんなさぁい」一応はシオンも謝った。「カリーくんなら、あれくらいは簡単に避けられるかなと思ってつい行動に移してしまったんですぅ。それから」シオンは不気味な笑みを浮かべた。「カリーくんなら、これも平気ですよねぇ?」シオンはそう言うと『魔法の葉』をミラー・ボールやドレッサーや吊り座席と言ったものに変えそれらをカリーに向かって投げつけて来た。
カリーはというとそれらを全部『変わり身の術』で回避した。カリーは再びシオンに対して文句を言おうとしたが、今のシオンはみすぼらしい男に絡まれていてそれどころではなかった。
「おい」第三者の男は言った。「姉ちゃんはおれの女にならねえか?」男はシオンの腕を掴んでいる。「姉ちゃんは結構な上玉だ。つまり、おれ様の女としてはふさわしいってことだ」
「あなたはどちら様ですかぁ?」シオンは気丈に振る舞った。「私は皆のアイドルですよぉ。私としてはあなたと私では釣り合いが取れていない気が致しますぅ」シオンがそう言うと、男は「なんだと?」「おら!」と言ってシオンのことを突き飛ばした。シオンはなす術もなく倒れてしまった。
「もう一度でも今のセルフを言って見やがれ」男は凄んだ。「おれの名はミョウガだ。おれは『危険の地』でも幅を聞かせているならず者だ。姉ちゃんはそのおれ様の言うことが聞けないってのか? おい!」
「私としては」シオンの声は微かに震えている。「ならず者のあなたには『危険の地』ではなく『監獄の地』に行かれることをおススメしますよぉ」シオンは勇気を出して言い切った。
ところが、ミョウガは今のシオンのセリフで完全にぶち切れた。葉っぱを身にまとった貧相なミョウガは倒れているシオンのことを足蹴にした。シオンは「きゃあ!」と悲鳴を上げた。シオンはそれでも『魔法の葉』を手にし反撃に転じようとしたが、ミョウガの動きはそれよりも遥かに速かった。シオンは顎でシオンのことを再び突き飛ばしたかに思われたが、それは思われたというだけの話だった。
カリーは『魔法の葉』をクナイに変えそれをミヨウガの影に突き刺した。これは立派な『影縫いの術』である。ミョウガはこれにより身動きが取れなくなってしまった。
「君はミョウガくんと言ったかな?」カリーはクールである。「小悪党の君ではうつくしいぼくの相手にはならないよ。君はこれに懲りて悪事を止めることだね。さもなくば、うつくしいぼくはきみを問答無用で『監獄の地』へ誘うよ」カリーはなおもクナイの切っ先をミョウガへと向けた。
「それは勘弁してくれ」ミョウガはしゃがれ声で言った。「おれはもう何もしないよ。頼むから、許してくれ」
「いいだろう」カリーは平然と言った。「ただし、うつくしいぼくは君の言葉を信用していない」カリーは「これ以上の悪事ができないように止めはさしておくよ」と言うと『魔法の葉』をクナイに変えそれを投げた。
カリーはそれと並行して『火炎の術』を5度も使いミョウガを炎上させた。カリーが先程に投げたクナイはミョウガには当たらずブーメランの要領で帰って来るとミョウガの影を引き抜く役目を果たした。ミョウガは哀れにも「ひょえー!」と言って逃げて行った。それ以上はカリーも手出しをしなかった。
「大丈夫かい?」カリーはシオンに対して聞いた。「うつくしいぼくとしては当然のうつくしい行動を取ったまでさ。例はいらないよ。ふふふ」カリーはいつものとおり一人で悦に入っている。とはいうものの、カリーの笑みの本当の意味は別にある。シオンはもじもじしていたが、結局は意を決して口を開いた。
「あのぉ」シオンは頬を赤く染めている。「もしぃ、私がまたピンチになったらぁ、カリーくんは男の子だからぁ、その時はまた駆けつけてくれますよねぇ?」言っていることは図々しいが、シオンは恥じらいの表情を見せている。カリーは「うっ!」と声を上げた。カリーは今までシオンのことをあまり気にしていなかったからこそ、今回はあのような展開まで持って行けていたのである。
「も、もちろんだよ」カリーの声は上ずっている。「うつくしいぼくは正義の味方だからね」カリーはそう言うとそそくさとテンリたちのいる方へ帰って行った。残されたシオンはというとぼうっとカリーの後姿を見つめている。シオンは「私はどうしちゃったんだかな。一体」と呟いた。
一方のカリーはテンリとシナノから賛辞の言葉を投げかけられている。その理由はもちろんカリーがシオン
に格好のいいところを見せられたからである。カリーは「ふふふ」と笑って満足気である。
「うつくしいぼくにかかれば、こんなところだよと言いたいところだけど、今回のMVPはやっぱりミョウガもといミヤマくんだろう」カリーはそういうと何食わぬ顔をしているミヤマを見やった。先程のミョウガはミヤマの変装だったのである。テンリもミヤマのことを称賛の眼差しで見つめた。
「そんなことはないよ。全てはカリーくんの手柄だ。おれは大したことをしたとは思ってないよ。そんなことより、おれとしては新たな恋の予感を抱いているんだけど、そこのところはどうなんだい?」ミヤマは「ん?」と言ってカリーを小突いた。カリーは露骨に嫌そうな課をしている。
「えー!」テンリは驚いた。「カリーくんはひょっとしてシオンちゃんのことを好きになっちゃったの? それはすごいね」テンリは単純である。アマギはちなみに未だ夢の中である。
「あら」シナノは口を挟んだ。「それは違うんじゃないかしら? カリーくんは照れているから、今はしどろもどろになっているけど、どちらかと言うと、恋をしたのはむしろシオンさんだと思うけど」
え」ミヤマは意外そうにしている。「そうだったのかい? 本当のところはどうなんだよ。この色男」ミヤマはカリーに対して詰問した。テンリはカリーのことを円らな瞳で見つめている。
カリーは「ふ」と鼻を鳴らした。「うつくしいぼくは憧憬の対象にはなってもあのような陳腐な芝居で恋はしないさ。つまり、シナノさんの見解は正しい。ミヤマくんはもっと虫を見る目を磨くべきだよ」
「ふん」ミヤマやや不機嫌である。「おれはどうせ恋愛には疎い男だよ。けどね。カリーくんはせっかくのおれの親切を鼻で笑っていることもどうかと思うね」ミヤマはオヤジくさくなっている。
「それで?」アマギは目を覚ました。「ミヤの下らない話はもうすんだのか? あれ?おれらはそもそも何をやっていたんだ? ここでの用事はまだすまないのか?」アマギはいい加減である。
「アマくんは相変わらずマイ・ペースね。ええ。アマくんは目を覚ましたし、カリーくんのことはプロデュースできたからここに長居する理由はもうなさそうよ」シナノは提案した。
「それじゃあ」テンリは言った。「ぼくたちは次の目的地が楽しみだね」
「ここからアルコイリスに行くなら」カリーは説明した。「次の通過点は『神秘の地』だよ。うつくしいぼくは皆にここで逢えてよかったよ。アディオス」カリーは惜別の意を表した。
「って」ミヤマは突っ込んだ。「カリーくんは何を丸く収めようとしてるんだよ。おれの説教はちゃんと聞いていたんだろうな。ああ!」ミヤマは待ってくれよ」と言ってテンリとアマギとシナノのあとを追った。
テンリたちの3匹はすでにカリーとのお別れの言葉を述べミヤマを置いてけぼりにしてカリーとお別れしていたのである。テンリたちを見送るカリーは眩しそうにしてお天道さまを見上げた。
やがては笑顔になると、今度はテンリたちの旅の無事を祈り、カリーは背を向けた。結局のところ、カリーの女性恐怖症は完璧には治らなかったが、それぞれの道を歩みだした皆の心には一片の曇りもない。
テンリたちのやさしさはとてもうれしかったので、カリーは今回の機会を機にこれからも女性との接し方を訓練しようと決意した。なにより、カリーは窮屈な生き方を嫌っていたのである。