アルコイリスと七色の樹液 15章
翌日である。今日は『トライアングルの戦い』から4日目である。『スリー・マウンテン』を初めとした国王軍のパレードはもう少し先に予定されているが、革命軍の敗北と事実上の壊滅によって甲虫王国の国民にしてみれば、興奮冷めやらぬ日々は未だに続いている。甲虫王国のそこかしこで蔓延していた悪の数は確実に減っている。ズイカクはそんな中で『トライアングルの戦い』の結果によって歓喜をした者の一人である。
ズイカクは革命軍に何かをされた訳ではない。しかし、ズイカクはリュウホウという男に服従させられていたという事実がある。あのことを一つ取っても、もしも『森の守護者』が革命軍の起こすごたごたにかかりきりでなければ、ズイカクはもっと早くリュウホウの摩の手から逃れられていたかもしれなかった。それは見逃せない観点である。例えそうでなくても、革命軍の壊滅によって嫌な思いをしないですむようになった虫がいたとすれば、ズイカクはそれだけでもとてもうれしい気持ちになるのである。ズイカクはリュウホウの一件によって自らがつらい経験をしていることもあって他人(特に苦境に立たされている者)を思いやる気持ちがしっかりとついたということである。今のズイカクは『平穏の地』にいる。ズイカクは自分の祖父であるサセボに会いに来たのである。サセボは孫のズイカクの来訪を喜んで迎え入れた。
「ズイくんや。わしの所へ来てくれてありがとう。わしはちょうど久しぶりにズイくんと話がしたかったんだよ。わしはズイくんに話したいことも聞きたいこともある。ズイくんは確か二週間くらい前にわしの所へ来てくれた時に忍者として『下忍の中』になると言っていたね?ズイくんはあれにはもうなれたのかな?」サセボは聞いた。サセボは忍者の知識についてはあまり詳しくはない。
「いんや。それはまだだべ。『下忍の下』になるには三日ですんだけど『下忍の中』になるにはみっちりと訓練をしないといけないから、最速でも三週間はかかるんだべ。でも、講習をしてくれるイバラ先生も実技を教えてくれるユイ先生もとっても親切だから、おらは毎日が楽しいべ。『下忍の中』のクラスで一緒になったサクラちゃんはばあちゃんが亡くなって今は一緒じゃなくて寂しいけど、他にもおらに話しかけてくれる生徒さんは何匹もいるんだべ。だから、今のおらはすんごく幸せだべ」ズイカクは言った。
「それはよかったよ。わしはズイくんの元気な姿を見ると元気が沸いてくるんだよ。それじゃあ、ズイくんはこれからもケガをしないように無理せずに程々にがんばるんだよ。わしは影ながら応援をしているからね。そうそう。これは絶対に話しておかないといけないことなんだけどね。ズイくんは『トライアングルの戦い』における『シャイニング』の活躍を知っているよね?二週間前にも言ったけど、ズイくんと同様にしてテンちゃんとアマくんを孫のようにかわいがっていたから、わしはとても誇らしいよ。ズイくんは『シャイニング』にお世話になったというのだから、わしはしっかりとお礼を言わないといけないね。『シャイニング』はやはりテンちゃんとアマくん以外の虫さんもやさしそうな虫さんなのかな?」サセボは聞いた。今はようするにミヤマとシナノが話題になっている。ズイカクは思っている通りのことを口にした。
「んだ。じいちゃんの言う通りだべ。ミヤマくんとシナノちゃんはすんごくやさしくておらにもやさしくしてくれたから、おらはとてもうれしかったべ。テンリくんとアマギくんはそれに負けないくらいにやさしかったべ。そんな皆が『トライアングルの戦い』で活躍したと聞いたならば、おらはすんごくうれしくなったべ。だけど『シャイニング』の皆は苦労もしたはずだから、一言くらいは労いの言葉をかけてあげたいべ。『シャイニング』の皆はどんなに離れていてもおらにとっては大切な大切な友達だべ」ズイカクは本当に『シャイニング』のことを思っている。ズイカクは『シャイニング』に大恩があるからである。
「うん。うん。ズイくんのやさしい気持ちはわしにもよくわかるよ。わしもね。テンちゃんたちには『お疲れさま』と言いたくてうずうずしているんだよ。ああ。そうだった。昨日のわしはとんでもない虫さんたちに会ったんだよ。ズイくんは誰だと思うかな?」サセボはクイズ形式で訊ねた。
「うーん。難しいべ。じいちゃんはアイラちゃんとピフィさんとでも会っただべか?」
「それは惜しい。アイラちゃんとピフィさんと言うのはズイくんの新しいお友達だったね。わしはちゃんと覚えているよ。正解は『シャイニング』のシナノちゃんのご両親だよ。ズイくんもびっくりだろう?わしもあまりの偶然に腰を抜かしそうになったよ。シナノちゃんとそのご両親はどうやら人間界で生き別れてしまったそうなんだ。だから、わしはシナノちゃんのご両親の話をよく聞いてあげて今のシナノちゃんが一緒に行動しているテンちゃんとアマくんはとても素直でいい子だという話をしてあげたんだよ。そうしたならば、シナノちゃんのご両親は安心をしたみたいだったよ」サセボは誇らしげである。
「それはよかったべ。じいちゃんはすんごくいいことをしただべ。シナノちゃんは後に聞いた話によると『オープニングの戦い』でファルコン海賊団に誘拐されてしまったそうだべ。そんな不幸な体験をしてしまったのならば、今度はそれを取り返すくらいにシナノちゃんには幸せになってもらいたいべ。次に会う時のテンリくんたちはきっと一回りも二回りも大きくなっているはずだべ。だから、おらはそれに負けないように忍者教室での勉強をがんばるべ」ズイカクは意気込んでいる。サセボは目を細めた。
「うん。それはいい心がけだね。それではわしからはズイくんにすばらしい言葉を送ってあげよう。本来は人生とは希望に満ちているものなんだ。その希望は虫を作る。だから、虫が大いなる希望を持つことはとても大事なことなのだよ。その際には決して引け目を感じる必要はないんだよ。なぜならば、全ての虫には個性という名のうつくしさがあるのだからね。継続は力なりと言う通りに希望に向かって突き進むことはとてもパワフルなことなんだよ。そのパワーたるや、絶大なものだよ。となると・・・・」
「あの、じいちゃん。すんごく申し訳ないんだけど、おらは『忍者の地』で講義があるから、続きはまた今度の機会に聞かせてくれるだべか?」ズイカクは恐縮しながらも話を遮って問いかけた。相も変わらずに晦渋なことを言うサセボは健在である。拍車のかかったサセボは今のズイカクや以前のアマギのようにしてどこかで制止をしないとべらべらと捲くし立て続けて止め処がなくなってしまうのである。
「ああ。そうか。それはすまなかったね。わしとしたことが、わしはズイくんに会えたのがうれしくて少し浮かれてしまっていたようだ。それじゃあ、ズイくんはがんばって行ってくるんだよ。くれぐれも無茶はしないようにね。それじゃあ、気をつけて」サセボは少し名残惜しそうにして言った。
「んだ。ありがとうだべ。おらは近い内にまたじいちゃんに会いに来るだべ。それじゃあ、バイバイだべ」ズイカクはそう言うと『忍者の地』に向けて意気揚々と歩き出した。ズイカクは忍者教室に通うようになってから少し逞しくなった。そのため、サセボは今もズイカクの去り行く後姿を見て微笑ましく思っている。
サセボはズイカクから話を聞いてズイカクがリュウホウに虐げられていたという話を知っている。その話を聞いた時のサセボは思わず愕然として完全に意気消沈してしまった。
ズイカクは自分の苦しい体験を聞いてもらいたかったから、サセボに対してその話をしたのではない。それだけの理由ならば、ズイカクはサセボを悲しませるだけになってしまうからである。
問題はテンリたちの4匹とアイラが自分を苦境から助け出してくれたことやリュウホウは改心してもう自分に対して居丈高な態度は取らないと約束したことである。ズイカクはそういったことをサセボに対して話したかったのである。それこそはズイカクの狙いだったのである。
案の定。サセボはその話を聞くと感動をしてきっとズイカクのこれからの人生は今までの苦労を打ち消す程に幸せなものになるだろうと思って自分もその手助けをしようと思った。テンリたちの4匹の『シャイニング』は文字の通りにズイカクに対して光を与えてくれたのである。
話は変わる。サセボは78歳の老人だが、とても元気なので、趣味は二つもある。一つは健康増進のためのスクワットである。サセボは足腰を鍛えて少し離れた場所で散歩をするのも好きなのである。サセボはいつまでも若々しくいたいのである。サセボのもう一つの趣味は思考である。サセボは色んなことを考えてその意見を他の虫に話すことが大好きなのである。しかし、サセボの言うことは難しい時もあるので、聞いている虫が100パーセント理解できない時もあるというのは玉に瑕である。
サセボは今回も様々なことを考えて体を休めていた。今日のサセボはすると二回目となる二人の訪問者を迎え入れることになった。その二人とはテンリュウとミナのことである。
テンリュウの一家はサセボと家が近いので、サセボの家によく遊びにくる。サセボはいつでも遊びにきてくれた虫を歓迎してそればかりかそれを心待ちにして日々の生活を送っている。
「こんにちは」サセボは挨拶をした。「今日はとてもいい日だ。わしら(国民)の運気は『トライアングルの戦い』で国王軍が勝利してから上がっているのかな?実はさっきまでズイくんがわしの所へ来てくれていたのだよ。テンリュウさんとミナちゃんはいつもわしを構ってくれてどうもありがとう」サセボは心からのお礼を言った。サセボは年甲斐もなく浮き浮きしている。ミナはそれに応じた。
「どういたしましてー!ミナちゃんもパパもサセボおじいちゃんは好きだから、元気にしているか、心配なんだよー!ズイにいには元気だったー?」ミナは弾けるような笑顔で聞いた。
ズイカクはテンリュウとミナがサセボを訪れている時に偶然そこへやってきたことがあるので、ミナはズイカクと面識がある。テンリュウとミナはもちろんテンリとアマギの二匹がズイカクの友達であるということもちゃんと知っている。サセボはテンリュウとミナがズイカクと面識を持てて喜んでいる。
「うん。ズイくんはとっても元気だったよ。今度はミナちゃんもズイくんに会ってあげてね。ミナちゃんは明るいから、ズイくんはミナちゃんと一緒にいると元気が出るって前に来た時に言っていたよ。テンリュウさんとミナちゃんと会うのは久しぶりだけど『シャイニング』の話は聞いているよね?無論『トライアングルの戦い』で上げた戦歴も含めての話だけど」サセボは思わせぶりにして言った。
「うん。ミナちゃんとパパも知っているよー!『シャイニング』にはテンちゃんとアマくんも入っているんだよねー?一杯!一杯!テンちゃんとアマくんは活躍したんだってー!すごいねー!」ミナは言った。
「うん。ミナちゃんの言う通りだよ。私も『シャイニング』の正体を知った時はたまげました。テンちゃんにも新しいお友達ができたことは私もうれしく思いましたが、私はテンちゃんが『オープニングの戦い』と『トライアングルの戦い』の両方に関与していたとはうれしいというよりも肝を冷やしました。アマくんの業績はすごい。私はあの有名なキリシマを打ち取ったなんてニュースを聞いた時も腰を抜かしそうになってしまいました。まあ、革命軍は壊滅したのだから、テンちゃんたちの旅も落ち着いてくれるといいのですがね。国王様は実際にそのための措置を取って下さっています」テンリュウは落ち着いた口調で言った。ミナはその話に耳を傾けている。少しの間ならば、ミナは落ち着いていられるのである。
「ああ。そのようだね。しかし、国王様の取る政策は大きく分けて三つあるということはわしも聞いてはいるのだが、その具体的な内容はまだ知らないのだよ。テンリュウさんとミナちゃんは知っているのかな?」サセボは聞いた。隠居しているサセボは世事に疎いのである。サセボはそれを少し恥じている。
「うん。ミナちゃんは知っているよー!今は虫助けをした虫さんには国の偉い虫さんからビーズがプレゼントされるんだよー!ねー?パパ!」ミナはちゃんと明るい口調で確認をした。
「うん。その通りだよ。それは一つ目の政策だね。今はそのビーズを10個集めると海外旅行へ招待させてもらえるんです。この政策は中々いいものだと私は思っています」テンリュウは言った。
「そうだね。わしは同感だよ。そうすることによって国民間の相互の助け合いを促進する役割を果たしている訳だね。テンリュウさんとミナちゃんは海外旅行に行きたいかい?」サセボは聞いた。
「うん。ミナちゃんは行きたいよー!ミナちゃんは甲虫王国から出たことがないんだよー!外国に行くとミナちゃんの知らないことはきっと一杯あるんだよー!だから、ミナちゃんは外国に行きたいのー!」ミナは元気が一杯である。テンリとアマギもちなみに外国には行ったことはない。
外国には『サークル・ワープ』で気軽に入ってはいけない。例えば、りんし共和国に入るには芸を見せないといけないし、節足帝国に入るには事前に講習を受けなければならない。
しかし、ゴールデンの提案と他国の好意によって10個のビーズを集めれば、そういった規制は一部か、あるいは全部が免除されるという訳である。もちろん。移動手段も確保してもらえる。
「そうだね。実はパパも海外旅行には雑虫合衆国に一度だけ行ったきりだから、パパはまた海外に行ってみたいよ。国王様が打診された二つ目の政策は『森の守護者』の増員です。新たに増やした『森の守護者』は基本的に『無法の地』を整備するために働くそうです。これからの『無法の地』はそれによって観光地として大いに盛況すると私は思います。『無法の地』という名前は公募によって新たな命名がなされることになるそうです」テンリュウは順を追って説明をした。サセボは深く頷いた。
「そうか。そうか。わしも『無法の地』は甲虫王国の大きな問題の一つだと思っていたが、いよいよ『無法の地』にも手が加えられることになるのか。『無法の地』には確かマングローブを初めとした珍しい植物があるから、整備されれば、人気を博す観光地になることは間違いないだろうな。となると、遊覧船も出るのだろうか?わしも行ってみたいものだ。それでは国王様の行う最後の政策を教えてもらってもいいかな?」サセボは穏やかに聞いた。穏やかなのはサセボだけではなくて今日は和風も吹いている。
「ミナちゃんが教えるー!ミナちゃんは学校の先生に教わったから、ちゃんと知っているんだよー!最後の一つは小学生に国の虫さんがブザーをくれるんだよー!」ミナは得意げにして説明をした。
「うん。そうだね。国王様は三つ目の政策として節足帝国から防犯ブザーを大量に輸入して小学生に携行してもらうように手配しているそうなんです。そうすれば、近くにいる『森の守護者』は飛んで来ることができますからね。国王様はとにかく『やさしく安全に住みやすく』をモットーにされている訳です」テンリュウは知っていることをあらかた話すとそこで言葉を切った。ゴールデンは個人主義も大いに尊重してそれに気を配った政策をしようとも考えている。
「なるほどね。国王様の政策はテンリュウさんとミナちゃんのおかげでわしにもよくわかったよ。これからの甲虫王国の将来はとても楽しみなものになってくる訳だね。それではお礼としてわしからも言葉をプレゼントさせておくれ。先程のわしが考えていた心の豊かさについての話をさせておくれ。この場のこの状況で何が一番に重要なのか、それに自問自答をして行動に移してみてもそれが吉と出て絶対にそれが成功するとは限らない。しかし、その時に苦労をしていれば、成功した時の喜びは大きくなるし、自信とも繋がる。その自信はそして物事の成功率を上げて結果的に心の豊かさにも繋がって一つの輪となる。苦労・自信・心の豊かさには密な関連性があるという訳だよ。心の豊かさとは具体的になんなのか、それは経験の多さから発生する自信と度量が大きいという意味での緩やかさではないだろうかとわしは思う。ただし、虫はどれだけの経験や学習を積んでも、森羅万象の全てを理解して完全無欠になることはできない。となると、虫は人生の長い道をなにがなんなのか、よくわからないで生きているという所もあるが、それは少しでもいい自分になろうと夢見ているから、人生を楽しめるのかもしれない。先程に出た緩やかさとは良心と言う言葉と少し近いとわしは思っている。例えば、心の豊かさについて十人十色の考えがあって誰かがわしの考えと違うものを提示してきたとしても、それは・・・・」いよいよ興に乗ってきているサセボは自己陶酔をしている。
「なるほど。それを受け入れてその指摘をどう生かすか、それが大事になってくる訳ですね。サセボさんのお話はとても勉強になります」テンリュウはフレキシブルな合いの手を入れた。
難しい話を理解できずに退屈してしまったミナは土で自画像を描いている。しかし、やさしいので、サセボはミナを見ても気を悪くするようなことはしない。
「その通りだね。テンリュウさんはわしの大切な理解者だよ。今日もお話を聞いてくれてありがとう」サセボはとてもうれしそうである。サセボはいつもかくかくしかじかと長話をするが、サセボは自分の話をしたいという欲求と相手が興味を持っているかどうかという確認の結果としてかろうじてプライオリティーを正しく理解しているので、ちゃんと話の切り上げ時は心得ているのである。
「そうだー!サセボおじいちゃんは困っていることはないー?困っていることがあったら、ミナちゃんはビーズをもらえるから、サセボおじいちゃんはなんでも言ってねー!」ミナはお絵かきを止めて言った。
「おやおや?ゴールデン国王様の政策の効果はすでに表れているみたいだね。そうだね。わしは常々ズイくんの忍者の練習風景を見たいと思っているのだけど、それはまた大変なんだよ。わしは元気なつもりでも体がついてこない時があってね。だから『忍者の地』に行く時はミナちゃんもついてきて休憩場所を見つけてくれたり、樹液の出る木を見つけてくれたりすると本当に助かるんだ」サセボは遠慮気味にして言った。忍者教室では授業参観のようなこともやっているのだが、サセボはまだ一度もズイカクの勉強風景や練習風景を見てみたことはない。サセボはズイカクのがんばっている姿を一度は見てみたいと思っているのである。
「わかったー!それじゃあ、ミナちゃんも一緒に行ってあげるねー!」ミナは同意をした。
「その時は私もお供させてもらえますか?私ならば、サセボさんを持ち上げて移動をよりスムーズにさせてあげることもできると思うのです。それは余計なお世話ですか?」テンリュウは聞いた。
テンリュウの体長は54ミリでサセボの体長は60ミリなので、サセボはテンリュウよりも6ミリも大きいのだが、コクワガタにしてはテンリュウは力持ちなので、その点の心配はいらない。
「いやいや。そんなことはないよ。ぜひともお願いしたい。ミナちゃんとテンリュウさんはわしを気遣ってくれてどうもありがとう。とはっても、わしは今すぐにではなくてミナちゃんの学校が休みの日にお願いしようかな」サセボは言った。サセボはミナに対して必要最低限の配慮をしたのである。
「うん。いいよー!」ミナは二つ返事で引き受けた。テンリュウにもそれに異論はない。
その後のテンリュウたちの三匹は『忍者の地』に行く日程を取り決めることにした。ズイカクの訓練は毎日あるので、遠征はミナの次の休みの日である三日後に出発することを決定した。
海外旅行という話題が出たので、サセボはサイエンス・フィクションのような節足帝国の話を肴にしてテンリュウとミナと一緒に話に花を咲かせた。サセボは一度だけ節足帝国に行ったことがあって節足帝国の虫が設計して小人のアンドロイドが製造した蒸気機関車にも乗ったことがある。
テンリュウとミナはサセボと別れて帰途に就いた。テンリュウは甲虫王国の平穏が保証されつつあることを快く思っているが、自分の息子であるテンリがそれに一枚かんでいることについて今も夢でも見ているかのような気分である。ただし、テンリュウはテンリの成長を快く思っていない訳ではなくて旅に出たことによって、急成長したテンリにびっくりしているだけである。
テンリはそれでも苦労も一杯したはずであるとテンリュウにはわかっているので、テンリュウはその時の心の助けになってくれたであろうアマギに対して多大な感謝の気持ちを持っている。
幼いながらも『シャイニング』が『トライアングルの戦い』で果たした役割は理解しているので、ミナはテンリとアマギのことを誇らしく思っている。ミナはテンリとアマギのことが大好きなのである。
ミナは大物の兄と大物の知り合いを持っても特にそれを自慢したりはしない。小学校では自慢しなくても話題になっているということもあるが、ミナはテンリとアマギから直接的に話を聞くまで待たないとほら話をしてしまう可能性があるので、きちんと自粛をしているのである。
ミナは自慢したくても自慢できる程にテンリたちの冒険の内容を知らないという訳である。嘘をつかないというよりも素直な性格をしているので、ミナは嘘をつけないのである。
テンリュウとミナとテンリの母であるミナミの三匹がテンリたち『シャイニング』の平穏無事を祈って『シャイニング』の帰還を心待ちにしていることは間違いはない。
甲虫王国の中には『トライアングルの戦い』の勝敗がどちらに転んでいたとしても生活に変わりがなかった生き物も存在する。それは甲虫王国に住む動物たちのことである。
オウギャクは『トライアングルの戦い』で革命軍が勝利していたとしても動物までも配下に加えるつもりはなかったので、動物にとっては国王軍が勝利しても大喜びする程のことではなかった。
しかし、中にはやさしい考え方を持っている動物もいて『トライアングルの戦い』によってたくさんの虫の生活の安全が保障されたことについて自分のことのようにして喜ぶ者もいる。ペリカンのキヨセはその中の一人である。今日は『トライアングルの戦い』から5日目である。
キヨセの家は『動物の地』にあるのだが、最近のキヨセは放浪の旅を続けているので、昨今の『動物の地』はキヨセにとってベッド・タウンみたいになっている。
キヨセは『動物の地』ではなくて今も『奇岩の地』にいる。『奇岩の地』と言えば、カイラクエンたちの三兄弟の住処だが、キヨセは別の虫に用件があってこの地にやって来た。
キヨセのお目当ての虫は旅のカウンセラーのクシロである。クシロはテンリも相談させてもらったクワガタである。キヨセは以前『育児の地』においてクシロの義理の妹に出会って相談事があれば、斡旋してくれると言われていたので、今回はその言葉に甘えることにした。
キヨセはクシロの義理の妹から現在のクシロの居場所を聞いて『奇岩の地』にやって来た次第である。キヨセはごつごつした岩の上をペタペタと歩くこと数分してクシロを発見することに成功した。
クシロがオオクワガタであるという情報はキヨセも知っていた。現在のクシロは小さな岩石の横で休憩中なので、相談者は一人も見られなかった。クシロは特に疲れ切っているという訳ではない。
「どうも」キヨセは言った。「余はキヨセじゃ。余は貴君の義理の妹の紹介でやってきたのだが、今は相談させてもらうことはできるかな?」キヨセはいつもの通りに朗らかな口調でクシロに対して確認をした。
「ええ。大丈夫ですよ。ぼくも弟のノシロからペリカンの相談者がやってくると言われていたので、心の準備はできています。早速ですが、相談内容をお聞かせ下さいますか?」クシロは聞いた。
「うむ。余はあの有名な『シャイニング』のテンリ殿の助言によって色々な生き物からおもしろい話を聞いて回っているのじゃ。そのことには問題はない。余の生活はテンリ殿のおかげで潤って毎日が楽しくなったのじゃ。ところがじゃ。先日はメスのクワガタさんから話を聞かせてもらっている時に問題が発生したのじゃ。プライバシーの侵害になるから、その話の内容は伏せておくが、彼女はおもしろい話ではなくて悲しい話を聞かせてくれたのじゃ。しかし、余は恥ずかしながらおたおたしてしまって彼女に対してしっかりと慰めてあげることができなかったのじゃ。余はそこで相談なのだが、落ち込んでいる虫さんやつらい経験をした虫さんに出会った時はどうすればその虫さんを元気づけてあげることができるであろうか?うまい慰め方と言うものはあるのかどうか、余はそれが聞きたいのじゃ」キヨセは真剣な顔をしている。
「お話は大変よくわかりました。キヨセさんはとてもおやさしい方のようですね。そうでなければ、他人のことをそこまで真剣に考えてましてやぼくの所に相談しようとは思わないはずです。他人を慰める時にはとても大事なことがあります。それは相手のことを思いやる気持ちです。キヨセさんはもうおわかりですよね?キヨセさんはすでに他人を慰める時の一番に大切な心構えを持っておられるのです。キヨセさんはそれでも納得しておられないようなので、ぼくは思いやりの次に必要なものをお教えします。一つ目は相手の話をよく聞くことです。その際には自分の意見は口に出さずに相手の言いたいことを自由に言わせてあげることが重要になってきます。二つ目は相手の意見を否定しないことです。悩んでいる虫さんや苦しんでいる虫さんは自分との戦いを行っているのです。そこに他人が土足で踏み込んで横槍を入れるなんてことはやってはいけないことです。相手の話をよく聞くことと相手の話を否定しないことは最初に申し上げた相手のことを思いやる気持ちがないとできないことです。慰めの言葉がつっかえてしまったり、中々出てこなかったりしてもいいのです。例え、ほんのちょっとの言葉でも、それが見せかけだけではなくて真に思いやりのあるものならば、悩んでいる虫さんにとっては何よりの力になるからです。ぼくから申し上げることができるのはこれくらいですが、ぼくのお話は役には立ちましたか?」クシロはとても落ち着いた口調で確認をした。
「うむ。大変に参考になった。クシロ殿に会いに来たのはやはり正解だったようだ。これからの余はクシロ殿に言われたことを肝に銘じて生活して行こうと思う。ここからは雑談になるが、クシロ殿はどうしてこのような相談を受けようと思ったのかな?」キヨセは気になっていたことを聞いた。
「幼少時代のぼく自身は悩み事で苦しんでいたのです。昔のぼくは人見知りが激しくて虫とうまく会話をすることもままなりませんでした。でも、そんな人生でもぼくには初めての友達ができました。その友達は名をソハクと言います。ソハクはぼくのことを思ってぼくの引っ込み思案を直そうとして色々なアドバイスをしてくれました。ソハクは今も昔も割とフレンドリーなので、誰とでもすぐに仲良くなれるタイプの虫さんなんです。しかし、ソハクは全くタイプの違うぼくの気持ちを考えるのは大変だったと思います。ソハクはそれでもぼくが弱音を吐いても粘り強く元気づけてくれました。ぼくは虫となんて関わらなくても一人で生きていけると強情なことを言った時もありました。ソハクはそんな時にぼくのことを第一に考えてそっとしておいてくれました。ソハクはほとぼりが冷めた頃にまた虫と接することのすばらしさを解いてぼくが虫嫌いにならないようしてくれました。ぼくはそんなことを何度も繰り返した結果として虫とうまく話ができるようになってそればかりか会話が好きになったのです。ぼくはそれに至るまでに25歳までかかってしまいましたがね。ぼくはソハクに対しても本当に感謝をしているし、出来の悪い教え子だったことについて申し訳なくも思っています。現在のソハクは元気に暮らしています。ソハクはしかも小学校の先生としてです。ぼくに言わせてもらえるならば、ソハクは最高の先生だと思います。言葉は虫を変えてその上に虫の心を救うことができるとぼくは知りました。言葉は虫を傷つけるナイフにもなるけど、うまく使えば、虫をやさしく包み込む羽衣にもなります。ぼくは自分が体験したみたいにして他の皆にも言葉の力で悩みに打ち勝ってほしいと思ったのです。それは長くかかるかもしれないけど、ぼくはそういう虫さんたちに対して何度でも会いに行って何度でも話を聞いて何度でもやさしい言葉をかけ続けるつもりです。長々と話してしまいましたが、ぼくの話はおもしろくありませんでしたか?」クシロは長話になったことについての心配をした。
「いやいや。今の話はすごくいいお話じゃ。余は感動したよ。インタビューみたいだが、クシロ殿は相談を受けてアドバイスをする時どんなことを心がけているのかな?」キヨセは聞いた。
「一番に大切にしていることはやはり思いやりです。ぼくは先程にキヨセさんに申し上げたもの、そのままを心がけています」クシロはこの上なく単純明快な返答を口にした。
「おお。そうだったな。これは失礼した。今のは愚問だったようじゃ。余は時々とぼけたことを聞いてしまうのじゃ。許しておくれ」キヨセはとても気恥ずかしそうにしている。
「ぼくは気にしていませんよ。ぼくだってそういうことはよくあります。話は変わりますが、キヨセさんは先程『シャイニング』のテンリくんと知り合いだとおっしゃっていましたね。実はぼくもそうなんです。ぼくが出会った時はまだ『シャイニング』のメンバーは三匹でしたが、その後はあれ程にまで有名になるとは思いもしませんでした。ぼくは『シャイニング』と出会った際にテンリくんに対して助言をしましたが、今や『シャイニング』は酸いも甘いも噛み分けているので、今度はぼくの方が人生訓を聞きたいくらいです。キヨセさんは『シャイニング』からはどんな印象を受けましたか?」クシロは意見を求めた。
「大物と言う感じではなかったよ。余は『シャイニング』のメンバーの全員と会ったが、『シャイニング』の皆は腰が低いのじゃ。しかし、大物とは得てしてそういうものなのかもしないな。おそらくはテンリ殿たちには自分が大物であるという認識もないのであろう。クシロ殿が『シャイニング』と面識があったとはそれにしても意外じゃ。余は『育児の地』で初めて『シャイニング』と出会ったのだが、クシロ殿はどこで『シャイニング』と出会ったのかな?」キヨセは聞いた。キヨセとクシロはすっかりと打ち解けている。
「ぼくは『平穏の地』で会いました。その時点ではまだテンリくんたちも旅の序盤だったのではないでしょうか?話は変わりますが、キヨセさんはオウギャクの身柄についての話をご存知ですか?」
「うむ。余は知っておるぞ」キヨセは頷いた。キヨセは意外と情報通である。
オウギャクは昨日の『スリー・マウンテン』たちの協議の結果『過疎の地』への流謫が決定した。革命軍のトップに関するこの情報は瞬く間に甲虫王国を駆け巡った。
「ぼくは意外に思いましたが、オウギャクには早くも反省の色が見られているそうですね。だから、オウギャクには『魔法の粉』も使われないという話です。元革命軍のナンバー・ツーのキリシマはやはりそのまま『監獄の地』に収容されて『魔法の粉』を使うとぼくは聞いています」クシロは情報を提供した。凶暴な性格をしているウィライザーにも『魔法の粉』は使われることになった。
「それについてはやはり賛否両論があるだろうが、それがキリシマ殿のためになるのであれば、余はそれに賛成じゃ。成功するとは思えないが、キリシマ殿にまた暴れられて脱獄なんてやられてしまったら、目も当てられないからな。もっとも、脱獄中のキリシマ殿と余が出会ったら、余はパクッと食べてしまうだろうがね。ははは、今のはもちろん冗談じゃ。余はいくら極悪人でもそんなむごいことをできないのじゃ。虫さんなんて食べてしまったら、余は消化不良になってしまう」キヨセは言った。
「そうですね。キヨセさんは確かにやさしそうな方ですから、虫さんは食べないかもしれませんね。キヨセさんはそれにしても中々ユーモアのセンスがおありですね。自分で選んだ道とはいっても、ぼくはいつも深刻な話ばかりを聞いているので、キヨセさんの話を聞いたら、ほっとしました。いや。でも、最近は・・・・」クシロは言いかけた。この場には乱入者が不意に現れたから、クシロはセリフを遮ったのである。
しかし、まさかのキリシマではない。その男は豪快なヘッド・スライディングを決めてこの場に慌ただしくやってきた。キヨセはそれを受けるとのん気にも元気が一杯だなと感心をした。
「クシロさん。宣伝とアフター・ケアの仕事は大方が終了です。あとは不在だった方の確認を残すのみとなりました」乱入者のクワガタは息を切らせながらも一息で言った。
「そうか。ご苦労だったね。いつもありがとう。ああ。キヨセさん。こちらはごく最近にぼくの助手を務めてくれることになったリュウホウくんです」クシロは礼儀正しく紹介をした。
「そうであったか。今の余はリュウホウ殿の師匠のクシロ殿からアドバイスをもらって世間話をさせてもらっていたのじゃ」キヨセにそう言われるとリュウホウはすぐに状況を把握した。
リュウホウと言えば、ズイカクの幼馴染みの男である。テンリたちの4匹とアイラと出会うまでずっとズイカクを服従させていたあのリュウホウである。リュウホウはどうしてヘッド・スライディングをして現れたのかというともう二度とズイカクと仲良しだった子供時代を忘れないようにするためである。
一度は話に合った通りにズイカクの後ろ歩きとリュウホウのヘッド・スライディングの二つは二人が仲良しだった頃の象徴なのである。今のリュウホウはクシロの助手を務めているが、その元々の経緯はリュウホウがクシロに対して人生相談をしたことに端を発している。リュウホウはあることを悩んでいた。
今までのリュウホウは盗賊として悪事を行ってズイカクを無理やりにその仕事に引き込んで多くの虫からものを盗んできた。そのため、リュウホウはそれを改めていこうと考えたのだが、悪いことをしてきた自分はそもそもこの世に存在していてもいいのだろうかと疑問に思った。
リュウホウはここからもわかる通りにテンリたちとの出会いをきっかけにして本当に今までのことを心から反省してリュウホウの中の世界はひっくり返ることになった。リュウホウは悪者が生きている意味をクシロに対して相談をした。リュウホウは自分の罪を全て暴露してクシロに対して懺悔した。クシロはそれに対して真剣に耳を傾けて最終的には次のような答えを出した。生きている意味のない虫はいない。
リュウホウは自分が悪者であることについて苦しんでいるが、その必要もない。なぜならば、虫というものは何度も失敗をして何度も間違いを起こしてしまう生き物だからである。虫はそれでも何度でも起き上がることができる。そればかりか、虫はその転んだ数だけ進化して行くことになる。ひどいことをしてしまっても立ち直るチャンスは誰にでもある。自分が悪者であることに苦むのではなくて悪者だと自覚したのならば、それを是正するために必死に努力すれば、それでいいのである。
虫はいくつになってもやり直せるし、いくつになっても変わることができる。甲虫王国にはそのチャンスを与えるためにも現に死刑の制度は採用されてはいない。生まれついてやさしくて思いやりがあっていつでも正しい虫がいれば、それはベストである。しかし、環境や生まれつきの性格によって何が正しいのか、それを取り違えてしまう虫だって世の中にはいる。そんな虫にとって大切なことは進化をして少しでもやさしく正しくなろうと努力することである。場合によっては周りにいる人が助けてあげないといけない場合もあるかもしれないし、それはとても難しい時もある。現在のリュウホウは自分の否を認めているので、進化をしているということである。リュウホウは確実に前進している。リュウホウはそれを自覚するべきである。
最初のリュウホウは生きている意味の有無を聞いたが、それはクシロも肯定をした。それをもう少しつっこんでみれば、クシロはよりやさしくより正しくなるために生きてみるのはどうであろうかと提案した。これは提案であって押し付けではない所がポイントである。リュウホウはクシロの返答に対して甚く感動をした。
できれば、リュウホウはクシロの助手にしてほしいと申し出た。会ったばかりだが、リュウホウはクシロのことを尊敬していたし、クシロの仕事ぶりを見て助手を務めれば、クシロにとって楽になるだけではなくてリュウホウもやさしい虫になるためのいい修業になるから、一石二鳥だと強い意志を持ってリュウホウは主張をした。クシロは迷ったが、助手がいれば助かるというのも事実だし、リュウホウの意気込みが本気であるということはわかっていたので、結局はリュウホウのことを助手としてクシロは受け入れることにした。
リュウホウはこうしてクシロに弟子入りしたのである。リュウホウの仕事内容は新しいクライアントの呼び込みとアフター・ケアとして以前に相談してくれた虫のその後の動静を聞いて回ること二つである。
クシロの年は29歳でリュウホウはズイカクと同い年の18歳である。リュウホウはあたかも即身成仏のようにしてクシロのことを思っている。リュウホウはようするにそれ程にクシロに感化されたのである。
「ペリカンの相談者ですか。クシロさんのお仕事はいよいよグローバル化してきましたね。ぼくにとってもそれはうれしい限りです。キヨセさんとクシロさんは今までどんなお話をなさっていたのですか?」リュウホウは聞いた。トークは得意だし、リュウホウは相も変わらずに外面もいい。
「オウギャクとキリシマの刑罰についてだよ。オウギャクもキリシマも無期懲役ということに変わりはないようだけどね」クシロは新たな情報を開示した。仕事柄の影響で多くの虫と話をして時には今のキヨセと同じようにして雑談を交わすこともままあるので、クシロは情報通なのである。
「そう言えば、国王軍の凱旋パレードの日程は発表されたようだな。確か『トライアングルの戦い』から10日後だったはずじゃ。つまり、今日からは5日後じゃ。余の住んでいる『動物の地』ではパレードが予定されていないが、ちょうど今いる『奇岩の地』では開催されるようじゃ。幸い『奇岩の地』と『動物の地』は隣り合っているから、当日の余は見にくる予定なのじゃ。動物の観客は珍しいと思うが、余は『スリー・マウンテン』のファンなのじゃ。余は少し変わっているのだろうか?」キヨセは聞いた。
「いやいや。ぼくはそんなことないと思いますよ。生き物の好みがバラバラであることは当然のことだと思います。『蓼を食う虫も好き好き』っていうやつですよ。ああ。すみませんね。ぼくは偉そうなことを言ってしまいました。いずれにしても、キヨセさん以外にも動物の『スリー・マウンテン』のファンは皆無って訳じゃないと思いますよ」リュウホウはごく軽い調子で慰めの言葉を口にした。
「うん。リュウホウくんはいいことを言うね。リュウホウくんは他人に対して思いやりを持てるようになった証拠だよ。ぼくはひょっとしたら5日後もここにいるかもしれません。そしたら、ぼく達はまたキヨセさんとここでお会いできるかもしれませんね」クシロは大きな期待を込めて言った。
「うむ。それは楽しみなことだ。おっと。余は楽しくて些かクシロ殿とリュウホウ殿と長く話し込んでしまったようじゃ。余はそろそろ家に帰るとしよう。余はクシロ殿とリュウホウ殿を応援しているぞ。無理をしすぎないように程々にがんばるのじゃ。余の相談事を聞いてくれてどうもありがとう。それではさらばじゃ」キヨセはそう言うと体の向きを変えた。リュウホウは手を振っている。
「お元気で」クシロは口上を述べた。「気をつけてお帰り下さい」クシロはそう言うとリュウホウと共にキヨセを見送った。キヨセは行きと同様にして飛び立たずに『奇岩の地』の景色を楽しむために歩いて帰途に着いた。その後のクシロはリュウホウの仕事の成果を聞くことにした。リュウホウの口から出てきたのはどれもクライアントが快方に向かっているというものだったので、クシロはとても満足した。
クシロは三年前から身上相談を始めたのだが、革命軍とのトラブルを相談として持ちかけてくるクライアントは少なくなかった。クシロはそのために大いに心を痛めていた。
クシロはかといってそれ以外の相談内容をないがしろにするようなことはしなかったが、実際は国王軍と革命軍が激突をして国王軍が勝ったので、悩みが解消したり、これ以上は暴力沙汰で悩んだりする虫を食い止めることができたので、クシロは結果的に『トライアングルの戦い』によって狂喜乱舞した程である。それは心を入れ替えて平和を愛するようになったリュウホウも同様である。
つまり『トライアングルの戦い』には多くの国民の思いが込められていたという訳である。『スリー・マウンテン』を初めとした『マイルド・ソルジャー』は見せかけではなくて本当に国民のためを思って一生懸命に革命軍と戦っていた。『マイルド・ソルジャー』は多くの国民からの声なき声に後押しされてがんばれたのである。国王軍は革命軍と比べて背負っているものからしてレベルが違っていたのである。
今日は『トライアングルの戦い』からちょうど一週間後である。テンリたちの4匹のこれまでの動向はおざなりになっていたので、ここでは少し紹介しておくことにする。ショシュンに懐いているので、テンリは何回かショシュンの所に遊びに行った。ショシュンはもちろんそれを拒むことをせずにむしろテンリのことを歓迎した。遊びにきてくれたテンリに対して今までの自分の経験を話したが、それだけではテンリが退屈してしまうのではないだろうかと思ったので、ショシュンはテンリと『宮殿の地』と『秘密の地』の食べ歩きを提案した。食べ歩きというのは樹液の出る木を探し求めて旅をするということである。
テンリはその提案に喜んでアマギとミヤマも一緒に行くように誘った。しかし、その提案は喜んだが、完全に復活していた訳ではなかったので、アマギはしぶしぶと辞退をした。
ミヤマはこの提案に乗った。後に説明することになるが、シナノには別の用事があった。メンバーはという訳でテンリとショシュンに加えたミヤマの三匹で旅をすることになった。ちょうど退屈をしていたので、ミヤマは意気揚々である。アマギが一緒じゃないのならば、この計画はなしにしようかと心やさしきテンリは迷った。しかし、アマギがそんなことを許す訳もなくて結局は自分の分までたくさんの樹液を食べてきて欲しいと言ってアマギはテンリを送り出した。自分の敬愛するショシュンはそもそも気を使って提案をしてくれているだから、テンリは拒否しようにも気が引けてしまったのである。
ミヤマはその旅の途中に何もない所でスリップしたり、肘を主体にした意味不明のダンスを踊ったりして相も変わらずに三枚目を演じた。旅はそんなミヤマの活躍もあって大成功に終わった。テンリは旅の途中にソウリュウ一家の話題を持ち出したので、ショシュンは国宝が何なのかという以外の情報を全てテンリとミヤマに対して話をした。テンリは純粋にソウリュウの活躍を格好よく思った。
アマギはというと『トライアングルの戦い』から5日後に完全復活を果たした。アマギはショシュンに対して予ねてからお願いしたかったことを口にした。アマギはルークにお礼を言ったかったのである。ルークはハヤブサに襲われているテンリを助けて気絶しているアマギを安全な所に移してくれた恩人だからである。
ショシュンは『監獄の地』に行ってルークの手が空いた時に『宮殿の地』にきてくれるようにと手配をしてくれた。ルークは次の日に城にやってきてアマギと面会をすることになった。アマギは忙しい所を呼び出してしまったことを詫びて『トライアングルの戦い』での恩に対して心を込めてルークに対してお礼の言葉を述べることになった。ルークはそれを受けるとうれしそうにしたが『マイルド・ソルジャー』として当然のことをしたまでだという態度は崩さなかった。その場に同席していたミヤマはそれを格好よく思った。この時ばかりはテンリとシナノも同席をしてルークのことを歓迎していた。
全治一週間を宣告されていたにも関わらず、アマギは二日も早く回復をしているので、ルークはそのことを称賛した。ルークは共に『監獄の地』で仕事をしていたアマギの兄のランギについて性格がいいと言って褒めてくれた。それを受けると少し困ったが、アマギはとりあえずお礼を言っておいた。
ルークはアマギが元気になったお祝いとして少しの間だけアマギに対して稽古をつけて修行の仕方を教えてから仕事場である『監獄の地』に帰って行った。先程『ルークはランギと共に仕事をしていた』と過去形で言ったが、それには理由がある。ランギは『トライアングルの戦い』から4日後に『監獄の地』での仕事を切り上げて『無法の地』に向かった。ルークはそれを説明してくれたので、テンリたちの4匹はそれを知っている。『無法の地』の整備は早くも始まっているということである。『無法の地』はファルコン海賊団がアジトにしていたが、住んでいるのはファルコン海賊団だけではなかった。その多くは『無法の地』という名の通りに悪者で占めらている。だから、ランギは出張をすることになった。事実上は戦いの強さにおいてランギは甲虫王国で一番と言ってしまっても過言ではないので、ランギが一人いれば『無法の地』で『森の守護者』に逆らおうとする者は激減するという構図になっている。現在のランギは戦闘における甲虫王国のディフェンディング・チャンピオンのイスに乗っている。そうなると『監獄の地』はルークだけが唯一の『マイルド・ソルジャー』となりそうだが、事実はそうではない。しかし、大多数の戦士が導入された訳ではない。
ランギの抜けた穴は同じく『スリー・マウンテン』のジュンヨンがカバーをしている。ジュンヨンは休み時間を除いて基本的に今日も『監獄の地』にいる。ジュンヨンの話は後程にも出て来ることになる。
『シャイニング』の話題に戻ることにする。『シャイニング』の元にはもう一人の大物が訪れていた。それこそはこの王国の王妃であるイヨである。イヨ王妃はテンリたちの4匹に対して挨拶をして後日にシナノのいる『めしべの間』を訪れた。イヨ王妃は才女のシナノに対して文字のレクチャーを受けてみないかと持ちかけた。イヨ王妃はシナノの頭がいいことは知っていたが、シナノは同時に人間界の出身なので、文字が書けないということも知っていた。知的好奇心の旺盛なシナノはという訳で喜んでイヨ王妃の誘いに乗った。シナノはイヨ王妃に案内されて『花王の間』にやってきた。そこには映写機があったので、シナノはそれによって勉強をさせてもらった。その講義を担当していたのは節足帝国に住む小人のアンドロイドである。
テンリとミヤマはちょうどその時にショシュンと一緒に食べ歩きをしていたのである。つまり、シナノはイヨ王妃と文字のレクチャーの約束があったから、テンリとミヤマに同行はできなかったのである。
シナノは講義によって少し文字を覚えて自分の名前が書けるようになった。シナノの学習能力はとても高かったので、イヨ王妃は驚いたくらいである。その後のイヨ王妃はシナノの冒険譚を聞きたがったので、シナノは少しそれを話した。イヨ王妃は気配りのできる女性なので、シナノがファルコン海賊団に誘拐された件は話さなくてもいいと言ってくれた。その心遣いはシナノもありがたく思った。
シナノはそれ以外にもイヨ王妃の趣味である謎かけを聞かせてもらった。例えば『雨』とかけて『一度は使ったシール』と解くとその心は『はれてない』といった感じである。
シナノはゴールデンからもらったシールを背中に貼っているが、イヨ王妃は同様にしてオシャレをしている。イヨ王妃はのりでスパンコールというものを背中にくっつけている。
スパンコールとはスパングルとも言って光線を受けるとキラキラと輝く金属か、またはプラスチック製の小片である。イヨ王妃のものは重さを考えてプラスチック製である。
追想はここまでにして『シャイニング』についての現在の話である。特筆すべきは何といってもいよいよシナノが両親と再会できることになったことである。シナノを両親の元まで案内してくれるのはショシュンである。ランギとジュンヨンの二人の『スリー・マウンテン』は忙しく立ち働いているのにも関わらず、ショシュンは暇なのかと思われるかもしれないが、実際にそう言ってしまうのは酷である。ソウリュウ一家の件と『シャイニング』の世話の二つはゴールデン国王から与えられたショシュンの役目だからである。
ショシュンはよくテンリたち『シャイニング』と遊んでいるが、それはショシュンの仕事なのである。とはいっても『シャイニング』の世話はショシュンが買って出たところもある。
今のショシュンとシナノの二匹は城の外にいる。その隣にはテンリとアマギとミヤマの姿もある。ただし、テンリとアマギとミヤマの三匹はシナノを見送りにきたのでもなければ、同行するためにいる訳でもない。テンリたちの三匹はアスカに薦められていた『運動の地』に行くことになっている。
当初のテンリはシナノの両親に会ってみようかと思っていた。しかし、その機会はこれからいくらでもあるので、それよりも、折角『運動の地』も近くにあるし、アスカからはオススメされているのだから、テンリはそっちに行った方がいいとシナノは主張をした。シナノは別に自分の両親をテンリたちの三匹に会わせたくない訳ではない。しかし、シナノはそうすると一人だけ『運動の地』で遊べなくなってしまうから、テンリは気の毒に思った。それでも、テンリとアマギとミヤマの三匹は今までシナノが両親と会うために旅を中断してくれていたのだから、それは自分からのお返しだと思ってほしいとシナノは主張をした。テンリはその案に乗っかることにした。アマギとミヤマはその案に同意見だった。
「今日はいい天気でよかったね。ぼくは『運動の地』に行くことも楽しみだけど、ナノちゃんはようやくパパとママに再会できるんだと思うとそれも楽しみだよ。ここに至るまでは長かったけど、ナノちゃんの今までの正しい行いはいよいよ報われるんだものね。ショシュンさんはナノちゃんのことをよろしくね」テンリは言った。今ではテンリとショシュンはすっかりと仲良しである。
「うん。今回の任務の意義深さは自分も重々承知しているよ。しくじることは決してしない。って、気負いすぎかな?テンリくんたちはなんにせよ心配はいらないよ。テンリくんたちはテンリくんたちで思う存分に楽しんできてね」ショシュンは無理算段することなくいつもの通りの気分で勇気づけた。
「ええ。ショシュンさんの言う通りに私の方にはショシュンさんがいるから、何も心配はいらない。テンちゃんたちは遊ぶことに専念してね。でも、ケガはしないように注意してね」シナノは言った。
「おう。任せてくれ。おれは遊びまくるぞ!ナノちゃんの分まで遊ぶから、帰ってきた時はボロ雑巾のようになっているかもな。あはは、でも、そこまで行ったら、ダメか。ケガはしなくてもまた体力を回復するために旅を中断しないといけなくなっちゃうもんな」アマギは自分を戒めた。
「おれ達はいずれにせよ程よく体力を使って遊んでくるよ。ナノちゃんはパパとママによろしく言っておいてくれるかい?旅の許しが出れば、おれ達はナノちゃんを守るともな」ミヤマは言った。
「ええ。わかった。ありがとう。それは必ず伝えておくことにする」シナノは伝言を了承した。
「いつものミヤマくんは緩いけど、決める時はびしっと決めるんだね。そのギャップは格好いいね。自分達はそろそろ行こうか。テンリくんたちは気をつけて行ってきてね」ショシュンはそう言うとテンリたちのオスの三匹に背を向けて歩き出した。シナノはその後に続いている。
アマギは空に浮かぶレンズ雲を見上げながらほのぼのとした気持ちになっている。シナノの願いはいよいよ成就することになってアマギだけではなくてテンリとミヤマもうれしいのである。
「よし。ナノちゃんは無事に出発したから、もう安心だね。地図もあるし、道筋は難しくないから、大丈夫だと思うけど、ぼく達も道に迷わずに『運動の地』に辿り着けるといいね。それじゃあ・・・・あ、痛て」テンリは不意に不可解な発言をした。ミヤマはびっくりして不思議そうにしている。
「ん?どうしたんだ?会いて?テンちゃんも誰かと会いたくなったのか?ああ。わかったぞ。テンちゃんはパパとママに会いたくなったんだな?おれも同じだよ」アマギは勝手な解釈をしている。
「うん。まあ、それも間違ってはいないんだけど、さっき小さい石ころがぼくの所に向かって飛んできたんだよ。なんだろう?痛て!また飛んできたよ」テンリはそう言うと石の飛んでくる方を見た。アマギとミヤマはそれに倣ってテンリの視線の先を追ってみることにした。そこには城の角に隠れて一匹のメスのカブトムシがこちらを覗き込んでいた。ミヤマはすると急に騒ぎ出した。
「あー!あれはまさか!メスのヒメカブトで尚且つここが『宮殿の地』のお城の中とくれば、ひょっとしてひょっとしなくてもエナ王女じゃないか!プリンセス!フー!」ミヤマは興奮をしている。
「どうでもいいけど、ミヤは果てしなくうるさいな!ミヤは興奮しすぎだよ!」アマギは指摘をした。エナはこちらにやってきた。エナはミヤマの言う通りにヒメカブトだが、そうなるとイヨ王妃のカブトムシの種類はヒメカブトということになる。エナはイヨ王妃と同様にしてオシャレをしている。
エナの背中にはハート・マークのラメが入っている。これは入れ墨とはまた違った甲虫王国のオシャレである。エナの背中のラメの色はラブリーなピンク色である。
「はじめまして」エナは言った。「私はエナと申します。小石をぶつけてしまったことは申し訳なく思っております。ごめんなさい。どうか、お許し下さい。私は皆様方の注意をどうしても引きたかったのです。それというのも、一つのお願いがあってのものなのです。いえ。私などのお願いはもしかすると聞きたくないかもしれませんね。それなら、それでよろしいのですが」エナは言った。アマギは無念無想で話を聞いている。
「エナ王女はすごく謙虚な虫さんなんだね。ぼくは石の件について怒ってないよ。ぼく達はエナ王女のお願いっていうのも聞くよ。ね?」テンリはきちんとアマギとミヤマからも同意を求めた。
「ああ。もちだよ。おれは改めましてミヤマです。以後はお見知りおきをよろしくお願いします」ミヤマはそう言うと片手をエナに対して差し出した。エナはミヤマの手にちょこんと手を触れただけですぐに手をひっこめてしまった。噂は兼々聞いているので、エナはミヤマがわざわざ自己紹介をしなくてもちゃんと『シャイニング』のメンバーの全員のことを知っている。ミヤマはここでも空回りである。
「なるほどな。エナ王女は謙虚な上に奥手でもあるんだな。おれはそういう奥ゆかしい女性が好きですよ」ミヤマはダンディーな低音によっていかにも格好をつけて言った。しかし、今のミヤマの歯が浮くようなセリフを聞くと白々しいなとアマギは思った。ただし、テンリはミヤマのことを格好よく思っている。
「私はすぐに手をひっこめてしまったからですか?いいえ。ミヤマ様のお手は失礼ながら些か不潔なのではないかとそのようなことが頭をよぎってしまったものですから」エナは言った。
「ガーン!そうだったのかい?」ミヤマはショックを受けてしまっている。しかし、アマギは隣で大爆笑をしている。普段は謙虚なのだが、エナは時々お高くとまる時もある。
「ええと、ミヤくんはとりあえず不潔じゃないと思うよ。話を戻すけど、エナ王女のお願いっていうのは何のことなの?必要なら、ぼくは手を貸すよ」テンリは親切に申し出た。
「ありがたく存じます。誠に差し出がましいのですが、もしも、よろしければ、私は皆様方と同行をさせて頂いて『運動の地』に連れて行ってもらいたいのです。私は王女ですが、強制ではありませんので、もしも、お嫌ならば、はっきりと言って下さって構わないと存じます」エナは思いを伝えた。
「なーんだ。そんなことか。もちろん。ついてきてもいいぞ。その方が楽しくなるもんな。あれ?でも、王女ってそんなにも簡単に外出できるもんなのか?」アマギは疑問を呈した。
アマギはテンリとミヤマに確認しなくてもエナを同行することに関してテンリとミヤマにも異論がないということはわかっている。その判断は当然のことながら間違ってはいない。
テンリたちの4匹の『シャイニング』はすでに言葉を交わさなくても、意思の疎通ができるようになってきているのである。そこからも『シャイニング』の結束の強さは窺うことができる。
「私はすでに外出の許可を父上様と母上様から得ております。父上様と母上様は『シャイニング』の皆様ならば、大丈夫だと太鼓判を押しておられました。重ねて無礼な申し出をさせて頂くことをお許し下さい。テンリ様は『ポシェット・ケース』をお持ちですね?私には持参したいものがありますので、よろしければ、それをテンリ様のポシェットに入れさせてもらうことはできないでしょうか?」エナは聞いた。打たれ強くなってきたミヤマはとっくにショックから立ち直っている。エナはなぜテンリの『ポショット』について知っているのかというと単純な話である。エナは母親のイヨ王妃からそのことを聞いていたからである。
「うん。いいよ。このポシェットはどんなに物を入れても、重さは変わらないみたいだからね。もしも、大きいもを入れるのなら、ぼくも運ぶのを手伝うよ」テンリは再び親切な申し出をした。
「はい。ありがたく存じますが、私には次女のソフィーユがおりますので、大丈夫かと存じます。それでは取って参りますので、しばしお待ち下さい」エナはそう言うと城の中に入って行った。
テンリの持っているポシェットは重さが変わらないだけではなくて容量も無限大なのである。エナを待っている間のテンリは大物になった気分になってしまった。テンリとアマギとミヤマはエナ王女と出会ったことによって国王と王妃と王女の三人と知り合いになったからである。
「エナ王女は何を持ってくるんだろうな?エナ王女はやっぱり王女だから、腹巻かな?日傘かな?どっちもUV対策になるだろう?当たっているかな?」アマギは勝手な憶測を口にしている。
「腹巻はともかくとしても、アマにしては気の利いたことを言っているけど、おれは違うと思うな。王女と言えば、やっぱ宝石だろう。色々とキラキラするものを身に着けて『私はこんなにも綺麗ですのよ』とかね。エナ王女。それは些か傲慢ですな」ミヤマは格好をつけている。
「傲慢で申し訳ありません。傲慢な女は帰って参りました」エナは二本足で歩きながら言った。
「げっ!いたの?意外と帰ってくるのは早かったな!いや。ごめん。さっきのは冗談だから、どうか、気にしないで下さい。単なるジョークです」ミヤマはへりくだっている。しかし、ふざけているのではなくて相手が王女なので、ミヤマはついつい畏まりすぎてしまっているのである。
「かしこまりました。でも、これ以上は私の怒りのゲージがアップしないようにミヤマ様はどうぞお気をつけ下さい」エナは釘を刺した。エナは冗談で仕返しをしているだけである。
これ以上は調子に乗らないように気をつけないともしかしたら自分は国家権力の下にひどいことになるのではないだろうかとミヤマは一人で勝手にぞっとしてしまっている。
エナ王女と次女のソフィーユが持ってきたのは『魔法の壺』と『魔法の葉』が一つずつである。エナは葉っぱを持ってきた。女性ながらも力持ちなソフィーユは壺を持ってきた。
テンリは文句を言わずにその二つのアイテムを自分の持っているポシェットに入れてあげた。隣にいるアマギとミヤマはそれをぼんやりと見つめていた。ここでは元からポシェットに入っていたものを整理しておくことにする。ポシェットの中には珍重している栗と三人分の忍者のバッジとクナイと二つの桜貝と『魔法の地図』といったものが入っている。いずれもテンリたちの一行の冒険の証である。
冒険の準備はという訳で万端である。エナはソフィーユに対してお礼を言ってソフィーユを下がらせた。その際は礼儀正しくソフィーユに対してテンリもお礼の言葉を述べておいた。
「よーし!それじゃあ、いよいよ『運動の地』に向けて出発だー!」アマギは相も変わらずに元気が一杯である。これはいつも通りの儀式なので、テンリとミヤマはそれで気が引き締まった。
エナの周りにはアマギみたいにやかましい虫がいないので、エナは少々びっくりすることになってしまった。エナはそれでも自分のペースを崩すことなく奥ゆかしく歩を進めている。
すでに出発の時点でエナと知り合うことにはなったが『運動の地』でも出会いはあるのだろうかとテンリは期待を持った。テンリは基本的に虫付き合いが好きなのである。
アマギはまたテンリとミヤマと旅ができるようになったことについてうれしくてうれしくてたまらない様子である。しかし、性格はテンリと同様にして純真無垢なので、アマギはシナノがいないことについては割り切っているとはいっても、多少はアマギも寂しくは思っている。
ミヤマはこの旅について無上の喜びであると感じている。ミヤマにはしかもエナと出会ったことによって一つの思惑ができている。テンリたちの三匹はいずれにしても『トライアングルの戦い』を乗り越えて公平無私な態度から見ても誰もがワクワクしてドキドキする今回の旅に出ることになった。
エナは生まれた時から王女だった。それもそのはずである。父親のゴールデンは30歳で国王に即位してゴールデンが31歳の時にエナはこの世に誕生したからである。エナの誕生は甲虫王国の国民からだけではなくて外国の虫からも祝福されることになった。父親のゴールデン国王は子煩悩だし、母親のイヨ王妃はよく幼いエナを散歩に連れて行ってくれた。エナはありったけの愛情を注がれて成長したのである。
ゴールデン国王は仕事で外へ出ている時も多かったが、エナは度々イヨ王妃と一緒にゴールデン国王の実技訓練を見に行くこともあったので、エナは今もゴールデン国王を頼もしく思っている。
エナにとっては『トライアングルの戦い』においてオウギャクとの対戦でゴールデン国王が敗北したことはこの上ないショックだった。エナはランギがゴールデンの仇を打ってくれたことをうれしく思っている。
話の路線を元に戻すことにする。エナは三歳になって小学校に通うようになった。甲虫王国には小学校にレベルの違いはないので、エナは庶民と同じ学校に通った。
そこではエナの上品で奥ゆかしい性格が際立った。それもそのはずである。イヨ王妃は人間界で言う所の塾みたいにして城に帰ってきたエナに対して勉強や礼儀作法を教えていたからである。
ただし、イヨ王妃は度の過ぎた教育ママではなかったので、エナはそれを嫌がったりはしなかった。その点はノー・タッチだったが、ゴールデン国王は妻のイヨ王妃を信じていた。
小学校に在学中のエナには特異なエピソードが一つある。エナは小学校の5年生の時に社会科見学として『芸術の地』に行った。それがこの事件のことの発端である。
一度は話に出たが『芸術の地』には造船所がある。それが問題になった。エナの同級生は作りかけの船を見ていつかは自分も船に乗ってみたいと主張をした。それは確かにエナも同意見だったので、エナは無鉄砲なことにもクラス・メートに対して今度の機会に皆で船に乗って『無法の地』に旅行をしに行くことを約束してしまった。同級生の面々はその結果として大喜びをしてエナは城に帰るとゴールデン国王に対してその旨をお願いした。しかし『無法の地』は危険地帯なので、当初のゴールデン国王は渋った。
しかし、ゴールデン国王は愛娘のエナの熱意に負けて自らも船に乗って『マイルド・ソルジャー』の30匹の精鋭を連れて行くことを条件にしてエナの申し出を許可した。
その『マイルド・ソルジャー』には当時16歳だったジュンヨンも含まれている。その頃のランギとショシュンは軍には入隊をしていなかった。この計画は結論を先に述べると成功した。『無法の地』にいる間は常にエナにはSPが付き添ってそれ以外の同級生にも『マイルド・ソルジャー』が威信にかけてなんとかして児童を守り通した。当時の『マイルド・ソルジャー』は一世一代の勝負に勝利したのである。
びっくしりたのは『無法の地』に住む悪党共である。例えば、エナ王女を誘拐して悪だくみを企むこともできたのだが、ゴールデン国王や『マイルド・ソルジャー』の守りはあまりにも鉄壁だったので、それは最後まで崩せずに最終的にエナを初めとした児童に対して『無法の地』の悪者は指の一本も触れることができずに指を銜えて見ていることしかできなかった。この珍事によって楽しいか、あるいはうれしい思いをしたのはエナとその同級生だけではない。『マイルド・ソルジャー』の株はこの事件によって急上昇した。
『森の守護者』とは違って普段はあまり比較的に目立たないことの多い『マイルド・ソルジャー』にもこの時ばかりはスポットが当てられることになったという訳である。
エナの同級生以外の甲虫王国の他の小学生はこんなことがあったとなると羨ましい思いをしそうだが、大抵は『マイルド・ソルジャー』の活躍に目を奪われて話題はそれで持ち切りだった。当時は小学校の一年生だったミヤマもその一人である。ミヤマは今でもそのことを未だに覚えている。
時は流れて現在のエナは花も恥じらう17歳である。エナはお淑やかな性格も好かれて今も多くの国民から愛されている甲虫王国の王女である。今回のエナは『シャイニング』の三匹と旅をすることになったが、父親のゴールデン国王と母親のイヨ王妃はしきりに『シャイニング』を褒めるので、エナは『シャイニング』に対して好感を持つようになっていた。その期待は実際に会ってみても裏切られなかった。
「そう言えば、エナ王女は普段からよく外出をするのか?まあ、王女はいくら箱入り娘でもずっと城に籠っているっていう訳じゃないのかな?王女はむしろ色んな所に行って見聞を広めているのかもしれないな。実際はインドアとアウトドアのどっちなんだ?」アマギは歩きながら話題を持ち出した。
「一概にどっちかとは言い切れませんが、少し前までの私はよく外に出ることもありました。ただ『トライアングルの戦い』が起きる可能性があったので、それまでは基本的に外出を禁止されておりました。私は主に『玩具の地』に行くことが多かったのではないかと思います。私はブーメランなるものがお気に入りでした。ランギ様は『ブーメラン・ブリーズ』という技をお使いになるので、私も『セブン・ハート』を使ったような気分になれたからなのです。でも、今回は『運動の地』に行けましたなら、その内『芸術の地』にも行ってみたいと思っております。近々『芸術の地』はリニューアル・オープンをするという情報が私の元に入っているのです。私はそれを思うと今から楽しみなのです。私の中ではもちろん『運動の地』もそれに負けないくらいに楽しみなのです」エナは少し長い話を終えた。テンリは真摯な気持ちでそれを聞いていた。
「あたしも楽しみだわ。うふ。いや。ごめん。いつもの乗りでつい調子に乗っちゃったよ。エナ王女の前では厳粛に行かないといけないな。それではきりっとした感じでお聞きしますが、エナ王女は『運動の地』に行ったことがあるのかい?」ミヤマはシークな声を出しながら質問をした。
「ええ。伺ったことはあります。私は三度『運動の地』に行ったことがありますが、三度とも見学をしていただけなので、参加するのは今日が初めてなのです。私は運動音痴なんです。だから、皆様方の足を引っ張らなければいいのですが」エナは不安そうな素振りを見せながら事実を明かした。
「それは心配することないよ。ここにはエナ王女よりもっと運動ができない虫がいるからね。誤解のないように言っておくとぼくのことだよ。アマくんとミヤくんは運動神経がいいものね。でも、アマくんとミヤくんはそんなぼくでも受け入れてくれるんだよ。やさしい・・・・ん?」テンリは言葉をつまらせた。
今のテンリたちの一行は『宮殿の地』を歩いているのだが、一同は目の前にテントが張られているのを発見した。その中では何者かが体を休めている。テンリたちの一行テントの前にやって来るとは足を止めた。好奇心が旺盛なアマギはテントのことをじろじろ見ていて興味深げである。エナは前に進み出た。
「こんにちは」エナは挨拶をした。「ジュンヨン様。エナです。お休み中なのにも関わらず、声をおかけしてしまって申し訳ありません。しかし、今の私はジュンヨン様のお会いしたかった方々と一緒なのです」エナは言った。ジュンヨンはするとテントの中から出てきた。何が出てくるのかと思っていたら、ただの虫だったので、アマギは少し拍子抜けしてしまっている。それはそれで少し失礼である。
「いいえ。構いませんよ。エナ王女はどこかへ・・・・ん?うわー!」ジュンヨンは驚嘆の声を上げた。テンリとミヤマの二人は何事かと思ってびっくりしてしまった。ジュンヨンはどうして驚いたのかというと『シャイニング』の三匹を見つけてしまったからである。アマギには全く動じた様子は見られない。
「いやいや。みっともない所をお見せしてしまってどうもすみません。エナ王女は『シャイニング』の皆さんとお出かけをされるのですね?どちらまで行かれるご予定なのですか?」ジュンヨンは聞いた。ジュンヨンはさすがに『スリー・マウンテン』の一角だけあってすでに落ち着きを取り戻している。『シャイニング』の三匹はとりあえず傍観をすることにした。それはそれなりに賢明な判断である。
「私達は『運動の地』へ行こうと思っております。ジュンヨン様は『監獄の地』でのお仕事にはもう慣れましたか?今は休憩時間なのですよね?」エナは疑問に思ったことを聞いた。『スリー・マウンテン』は大好きなので、今のエナは少しはにかんでしまっている。テンリは敏感にそれに気がついた。
「ええ。その通りです。今はルークさんに巡回を頼んでいます。ぼく専用のこのテントは気を落ち着けて精神を統一するのに適しているから、ぼくはわざわざ『宮殿の地』に帰ってきて休息を取っているんです。仕事には慣れたかでしたね?シラキさんやレンダイさんを初めとした『監獄の地』の看守たちはとても親切なかたばかりなので、ぼくはすぐに馴染むことができました。ぼくはエナ王女に心配してもらえて光栄に思います。そうだ。申し遅れました。ぼくはジュンヨンです。シナノさんとは話をしたから、皆さんはシナノさんから聞いているかもしれませんが、ぼくは『シャイニング』のファンなんです。お会いできてうれしく思います」ジュンヨンは目一杯の感動をしながら言った。テンリはそれを受けると気恥ずかしそうにしている。
「ファンですか。おれはいよいよメジャー級の男になってきたな。それじゃあ、おれはファン・サービスとして特別にジュンヨンさんにはダンスを見てもらうことにしよう。レッツ・ダンシング!」ミヤマはそう言うと勝手に踊り始めた。アマギは本当は嫌がっているんじゃないかなと思ったが、当のジュンヨンは目を輝かせている。それはテンリも同様である。テンリはいつの時でもミヤマのことを尊敬している。
ミヤマのダンスは独自性が豊かなので、エナは珍しそうにしてミヤマのダンスを見ている。結局の所は遠慮をして一分も踊らなかったが、ミヤマ本人は満足感に充ち溢れている。
「すごい!すごい!ミヤマくんは才能があるね!今日は『シャイニング』の意外な一面を見れてぼくにとってはとてもいい日だよ」今のジュンヨンは心から感動をしている。
「ジュンヨン様は『シャイニング』の中では特に誰がお好きなのですか?」エナはずばりと聞いた。
「うーん。やっぱり、アマギくんかな。いや。ぼくはもちろんそれ以外のメンバーも好きだよ。でも、しいて言うならば、アマギくんだね。ぼくは『オープニングの戦い』でのハヤブサの討伐や『シンフォニーの戦い』でのセリケウスの討伐や『トライアングルの戦い』でのキリシマとフィックスの討伐の情報の一つ一つを知る度にワクワクしてエキサイトすることができたんだ。これからは無難に旅をした方がいいから、そういう情報はもう聞けないかもしれないけどね」ジュンヨンは笑顔で言った。
「それは確かにそうだな。おれだってどうしても虫を倒したいから、戦いを選んでいる訳じゃないからな。それにしても、ジュンヨンさんの話はおれもうれしく思ったけど、なんだか、変な気持ちだな。まあ、どうでもいいんだけど、テンちゃんにだってソウリュウっていうファンがいるから、テンちゃんとお揃いになったことはうれしいな。ジュンヨンさんはなんにしても今まで応援をしてくれてありがとうな」アマギはきちんとお礼を言った。アマギは全く気後れしていない。ミヤマは羨ましそうな顔をしている。
「滅相もない。こちらこそ元気をくれてありがとうだよ」ジュンヨンはお礼を返した。
「でも、アマくんは格好いいから、ファンは探せばもっといると思うよ。ぼくもアマくんのファンだもの。エナ王女はさっき『運動の地』に行くって言っていたけど、ジュンヨンさんは『運動の地』に行ったことがあるかなあ?『運動の地』はどんな所なのか、ジュンヨンさんは知っている?」テンリは情報を求めた。
「うん。行ったことはあるから、ぼくは知っているよ。『運動の地』にはローカル・ルールがあって所々に競技の説明をしてくれる虫さんがいるんだよ。個人戦もできるし、団体戦もできるし、個人で楽しむこともできるから、『運動の地』はとにかくおもしろい施設が目白押しなんだ。期待はどんなに楽しみにしていても裏切られないよ。『運動の地』は甲虫王国でも指折りの娯楽施設だからね。おっと。ぼくはそろそろ行かなくちゃいけないな。ぼくはエナ王女と『シャイニング』のメンバーに会えてよかったよ。気をつけて行ってきて下さい」ジュンヨンはテントから出ながら思いやりの気持ちを持って言った。
「かしこまりました。それでは私達も行って参ります」エナはそう言うと歩き出した。
「バイバーイ」テンリは別方向に歩いて行くジュンヨンに対してお別れの言葉を述べた。ジュンヨンはそれを受けると後ろを振り返ってうれしそうにして手を振ってくれた。
テンリたちの一行は再び『運動の地』に向けて歩き出した。今のエナは大好きな『スリー・マウンテン』の一人と出会って機嫌がよさそうにして先頭をとことこと歩いている。
『シャイニング』の4匹はジュンヨンに会ったことによってついに甲虫王国の命運をかけて戦った『スリー・マウンテン』の全員と話をしたことになった。それはとても光栄なことである。
ランギとは元から面識はあったが、他の『スリー・マウンテン』のメンバーと出会ってその皆は性格がよかったので、謙虚なテンリは頭の下がる思いになった。実力のある虫の腰が低いのならば、実力のない自分はもっと畏まっていないといけないなとテンリは思った。しかし、テンリは最初から傲岸不遜という訳でもないので、それはただ単に再確認をしたことになるのかもしれない。
アマギは兄が『スリー・マウンテン』のメンバーなのだが、他のメンバーの話はほとんど聞いたことがなかった。ただし、テンリはショシュンの話をするので、ショシュンのことはアマギも予め少しは情報を得ていたので、アマギは昔からショシュンには会ってみたかった。ショシュンはするとテンリの言う通りに高尚な虫だったし、テンリは益々ショシュンが好きになったみたいなので、アマギは随分と満足をしている。ただし、アマギはテンリに好かれたいと思っているが、テンリに好かれたショシュンに対して嫉妬をしたりはしない。なぜならば、基本的にはアマギの辞書には嫉妬という文字は存在していないからである。
ランギと会った時のミヤマはランギを褒めまくっていたが、ミヤマは『シャイニング』の中では一番の『スリー・マウンテン』のファンなのである。そのため、ミヤマは予てから『スリー・マウンテン』に自分のダンスを見てもらいたいという夢を持っていた。ミヤマはそしてショシュンとジュンヨンにはダンスを見てもらうことができたので、内心ではとても感激をしている。ミヤマは感無量である。
「そう言えば、エナ王女の持って行きたいって言った『マジック・アイテム』ではどんな遊びができるの?エナ王女はそもそも王女だから『マジック・アイテム』を全て持っているの?」テンリは聞いた。
「いえ。私は全ての『マジック・アイテム』を持っている訳ではありません。持参したもの以外にも『マジック・アイテム』は持っていますが、それは折に触れて頂いたものなのです。例えば『魔法の壺』は私の誕生日のお祝いとしてりんし共和国の偉い方が下さったもので『魔法の葉』は父上様から10歳の誕生日にお祝いとして頂いたものなのです。それらではどんな遊びができるのかでしたね?『魔法の壺』は皆様をびっくりさせたいので、秘密にさせてもらいますが、今『魔法の葉』は使ってみましょうか?『魔法の葉』ならば、皆様でご自由に使って頂いても構いません」エナは親切な申し出をした。
「ああ。それは大賛成だよ。実物を見るのは今日が初めてだけど、確か『魔法の葉』は自分が頭に思い描いたものに変形させることができるんだったな。それじゃあ、テンちゃんからやってみてくれるかい?」ミヤマは聞いた。つい先程から歩きながら二本足でポシェットの中をごそごそとしていたのだが、テンリはちょうど今『魔法の葉』を取り出した所である。テンリはミヤマの申し出に対して応じた。
「うん。わかったよ。それじゃあ、ぼくはどうしようかな?ええと、ぼくはこうしよう」テンリはそう言うと『魔法の葉』をタマムシに変化させた。というよりも、テンリはカリーをイメージした。
テンリはエナに対してカリーの説明をした。カリーと言えば、以前にテンリたちの4匹が出会た虫のことである。カリーは自分のことを『うつくしい』と言って自分のファンを集めて回っている輝かしい体をした虫のことである。エナはその話を興味深そうにして聞いた。
「なるほど。テンちゃんは綺麗な心を持っているから、綺麗なものを想像した訳だな。それじゃあ、次はおれにやらせてくれるかい?」ミヤマは聞いたテンリは当然のことながらそれを了承した。
ミヤマはという訳でテンリと同様にしてうつくしいものを想像して『魔法の葉』を自分自身に変化をさせて見せた。ミヤマは自分の姿を客観的に見つめてうっとりとしてしまっている。
無駄な時間のようだが、今のテンリたちの一行は立ち止っている。とはいっても、それはテンリが『魔法の葉』をカリーに変化させた時からずっとそうである。
「ミヤマ様は何をなさっておいでなのですか?もしも、自分の姿に見とれているのであれば、それはそれで結構なことですが、ミヤマ様が二人というのは些か強烈なので、私は見るに堪えない思いをしております」エナは綺麗な言葉遣いを駆使しながらもきちんと言いたいことを言った。
「そうかい?おれはやっぱり・・・・って、見るに堪えない?エナ王女はさらっとひどいことを言うな。まあ、でも、冗談なのはわかっているよ。エナ王女はそのくらいのことはおれが許してくれるということがわかっているんだろうな」ミヤマは一人で納得をしている。ミヤマの解釈は間違っていなかったので、エナは反論をしなかった。ミヤマはそもそも普段からカリーのように自分を格好いいと思っている訳ではなくてただ単にギャグとしてカリーのまねをしていたにすぎない。折角なので、次はアマギが『魔法の葉』を使ってみることにした。予想はつくかもしれないが、アマギが想像したのは食べ物である。アマギはという訳でバナナになった『魔法の葉』に飛びついて食べ始めた。そのバナナはなんと食べることができた。
「すげー!うまいぞ!元は葉っぱなのにも関わらず、食べられるなんてりんし共和国はすごい国だな!だけど、例えば、おれが全部これを食べちゃったら『魔法の葉』は消滅しちゃうのかな?」アマギは聞いた。
「いいえ。そんなことはありません。私も『魔法の葉』を食べ物にしたことはありますが、その物の三分の一がなくなったら、それ以上は食べることはできずにまた元の『魔法の葉』に戻ってしまうのです」エナは説明をしてくれた。この場合は経験者は語るので、間違いはない。
「へえ。『魔法の葉』はよくできているんだね。魔法についてもっと知りたいから、ぼくは益々りんし共和国に行ってみたくなっちゃったな」テンリは言った。テンリには新たな夢ができた。
「それはおれも同感だよ。いつかは皆で行けたらいいな」ミヤマは期待を膨らませてうれしそうである。バナナを食べていたので、口を挟まなかったが、アマギはそれに共感をしている。その後のアマギはテンリとミヤマにもバナナを食べるように勧めたので、テンリとミヤマは素直にそれに従った。エナは高級なものしか口に合わないのかと思ったが、アマギはエナにも勧めてみるとエナも忠実にそれに従って結局はおやつの時間になってしまった。ただし、テンリたちは4匹いてもバナナを三分の一まで食べることにはならなかった。エナは皆が少しずつバナナを食べるとそのバナナを元の『魔法の葉』に戻すことにした。
『魔法の葉』はどうやって戻すのかというと単純に『魔法の葉』に触れて葉っぱをイメージすればいいのである。とはいっても『魔法の葉』は三時間すると自然に元に戻るようにできている。
楽しむことはできたので、テンリたちの一行は満足そうである。しかも『運動の地』では『魔法の葉』を使ってどんなことができるのだろうかとテンリは期待を膨らませている。
テンリ達の一行はまだ『宮殿の地』を歩いている。しかし『宮殿の地』と『運動の地』は隣接しているので、順調に行けば、到着までは然程に時間はかからないはずである。
「エナ王女はユーモアのセンスもあるし、お淑やかな所もあって噂で聞いていた通りの虫さんだったね。エナ王女は『スリー・マウンテン』と同じようにして甲虫王国を代表する虫さんだけど、ぼくはエナ王女がその名に恥じない立派な虫さんだと思うよ」テンリは歩きながらエナを褒めた。
「そうだな。求婚者はそうなると一杯いるかもしれないな。おれはそこでエナ王女に提案なんだけど、おれと結婚をしないかい?そうすれば、おれはエナ王女こと子ネコちゃんを恐ろしいオオカミから守ってあげることができるよ。悪い提案ではないだろう?」ミヤマは聞いた。テンリは隣でびっくりしている。
「えー!ミヤはいきなりプロポーズをし出したー!ミヤはついに全部の頭がとち狂ったのか?次の展開はどうなるんだ?まあ、予想できなくもないけど」アマギは急にクール・ダウンをした。
「折角のミヤマ様のご提案ですが、返答はごめんなさいです。ミヤマ様はオオカミに見えてしまうのです、いいえ。私にはミヤマ様が物の怪に見えてしまうのです。私は物の怪と暮らすのはどうかと思います。このような返答しかできませんが、どうか、お許し下さい」エナは平に謝った。当然の結果が待っていたので、アマギは何とも思わなかった。しかし、テンリはそんな断り方があるのかとびっくりしている。
「ああ。別にいいよ。おれはこういう扱いに慣れているからな。おれはそれにしてもゴールデン国王の息子にもなれずにエナ王女の夫にもなれずについに貴族になるという夢を叶えられなかったという訳か。でも、皆さん!それでもいいとは思いませんか?ぼく達はナンバー・ワンにならなくともオンリー・ワンなのだから!さあ!皆!あの夕日に向かってダッシュだ!」ミヤマはそう言うと二本足で立ち上がって走り出した。現在の時刻は午前の10時である。夕日はもちろん見えていないので、エナは唖然としてしまっている。
テンリは遅ればせながらミヤマのことを追いかけたが、アマギとエナは白けているので、その二人はゆっくりと歩いたままである。ただし、テンリはかわいそうだなとアマギは思った。
冗談とはいっても、ミヤマはプロポーズなんてしてしまって照れ隠しとして走り去ってしまっているのである。ふざけているだけなので、ミヤマの夢は別に貴族になることではない。
テンリは律儀にも自分のことを追いかけてきてくれていることに気づいたので、ミヤマは走る速度を緩めてその内にストップをした。これから『運動の地』で運動をするというのにも関わらず、ミヤマは走らせてしまってテンリには悪いことをしたなと思ったが、テンリは全く気にしてはいない。テンリはむしろいいウォーミング・アップができて喜んでいる。テンリとミヤマはしばらく立ち止ってアマギとエナの二匹と合流することにした。テンリとミヤマの二匹はしばし『運動の地』についての世間話をした。
その間はエナに対して『魔法の葉』を自動車にして『運動の地』までそれに乗って行けば、いいのではないだろうかとアマギは言ったが、それは残念ながらできないとエナは答えた。
例えば、テンリが想像して作ったカリーが動かなかったようにして『魔法の葉』は単体で使うだけでは絶対に『魔法の葉』で変化させたものは動き出したりしないのである。
心頭を滅却すれば、火もまた涼しというと大げさだが、基本的に乗り物をつかえない昆虫の旅は歩いてばかりでもこれから楽しいことがあると思えば、ひたすらに歩くということも苦にはならない。それに気づいたので『魔法の葉』についてアマギは特にがっかりとはしなかった。
今のテンリたちの一行はその通りなので、その後はテンリ・サイドとアマギ・サイドの二つが合流すると感覚としてはあっという間に『運動の地』に到着することになる。
シナノは少し緊張をしている。それはこれから久しぶりに会う両親が怖い虫だからではなくてやさしくて大好きな両親に再会できる時が近づいているので、シナノは胸の高鳴りを覚えているのである。
家族は一緒にいることが一番である。血は水よりも濃しという通りに誰にとってもどんな時でも本来は家族というものは特別な存在であるべきである。シナノはテンリたちの他の三匹の前でほとんど女々しい所を見せることはなかったが、実際は夜の寝る前なんかは夜空を見上げて両親のことを思って感慨に耽る時もあった。シナノは父と一緒に人里を訪れたことや母と一緒においしい樹液を求めて散歩したことを初めとして両親と過ごした期間は短い間でもそういった思い出を本当に大切にしている。
話は変わるが、シナノの母はニリーという名前だが、シナノの父はとても珍しい名前をしている。シナノの父の名は驚くべきことにもンイードと言う。シナノの父親の名が『ン』から始まると聞いた時のテンリたちの他の三匹の反応は三者三様である。テンリは斬新だで格好がいいと言った。アマギはしりとりの常識が覆ったなと言った。ミヤマはテンリとアマギの意見を総括してこういう斬新なアイディアに触れたら、これからは常識に捕らわれないダンスを踊るようにしようと決心を口にした。
父の名はシナノも格好いいと思っているし、当のンイードも自分の名前を気に入っているので、シナノはテンリたちの三匹がこの話題で盛り上がってくれて少しうれしかった。
現在のシナノと案内係のショシュンは『宮殿の地』を抜けて『秘密の地』を歩いている。ンイードとニリーは『秘密の地』の南にある『合宿の地』という所にいる。
『合宿の地』とは『マイルド・ソルジャー』の多くが寝泊まりしている所のことである。ただし、例外もある。ジュンヨンはいつも『宮殿の地』で夜営しているし、ショシュンは『宮殿の地』の城で夜をよく過ごしている。ランギは『合宿の地』で寝泊りをしている派である。ランギはワイルドな所があるので、室内よりも宿営をしている方が落ち着いていられるのである。城にいれば、風雨にさらされないですむので、一気に全員は無理だが『マイルド・ソルジャー』の虫たちは順番で城に寝泊まりできるようになっている。
「目的地にはもうすぐで着くはずだよ。そう言えば、シナノちゃんが面会している間の自分はどうしていようか?シナノちゃんとご両親の面会は長引くと思うけど、自分は別に話が終わるのを待っていてもいいよ。今の所は自分に予定はないからね。まあ、自分がいたら、シナノちゃんは落ち着いて話ができなくなっちゃうかな?」ショシュンはてくてくと歩きながら謙虚な姿勢でシナノに対して問いかけた。
「いいえ。そんなことはないけど、ショシュンさんを待たせているのも悪いから、ショシュンさんは先に帰ってもらっていていいと思う。私は大体の帰り道を覚えているけど、できれば、ショシュンさんは時間になったら『サークル・ワープ』で私を迎えにきてくれないかしら?本当に差し出がましいお願いでごめんなさい。だけど、パパとママとの話次第では『サークル・ワープ』が必要になると思うの。ダメかしら?」シナノは聞いた。謙虚なので、シナノはあまりにも自分のリクエストが多いと気兼ねしてしまうのである。
「ううん。ダメではないよ。シナノちゃんのためなら、自分は張り切って迎えに行くよ。だから、シナノちゃんは申し訳なく思う必要はないよ。それじゃあ、自分はどのくらいが経ったら、迎えに行こうか?」
「ショシュンさんの都合に合わせて5時間よりも後なら、私はいつでもいいと思う。おそらくはそれだけあれば、私はパパとママに必要な話をできてパパとママからも話を聞くことができると思うから」
「了解したよ。今日の自分はさっきも言った通りにそんなに忙しくないから、今日中には必ずシナノちゃんを迎えに行くよ。『シャイニング』の新たな旅の出発予定日は明日だものね。シナノちゃんは聞いた話によると宝物をキリシマくんに壊されてしまったみたいだね?それはご両親ともゆかりのものなのかな?だとしたならば、それは尚更にお気の毒なことだけど」ショシュンは気を使っている。
「ええ。宝物だったお馬さんはママが材料を調達してパパが作ってくれたものだったんだけど、私はあんまり気にしてはいない。パパとママには本当に申し訳ないと思っているけど、私はもっと大切なものを手に入れたから」シナノは言った。これはアスカに対しても言っていたセリフである。何のことを言っているのか、アスカは理解できたが、その意味はショシュンにもすぐにわかった。
「そっか。シナノちゃんはしっかりしているね。自分はシナノちゃんよりも年上だけど『シャイニング』のメンバーからは自分も学ぶべきことが多いみたいだ」ショシュンは笑顔である。
その後はショシュンに対して今までテンリたちの他の三匹の面倒を見てくれていたことについて保護者みたいだが、シナノはきちんとお礼を言った。それを受けると逆にこちらこそ構ってもらっているのだから、ショシュンはお礼を言いたいくらいだと言って相も変わらずにとても謙虚な姿勢を見せた。
シナノにはするといよいよ両親と対面する感動的な時はやってきた。シナノとショシュンの二人は話をしている内にいつの間にか『合宿の地』を歩いていたのである。
シナノは『パパ!ママ!』と言って両親の元に駆け寄った。シナノはとりあえず元気そうなので、ンイードとニリーは笑顔でシナノのことを向い入れた。ショシュンはそれを微笑ましく見つめている。家族はやはり一緒にいることが一番だなとショシュンはしみじみと思った。
シナノの家族の三匹は気遣いをそれでも忘れずにショシュンに対して厚くお礼を言った。ショシュンはそれを受けると『どういたしまして』という言葉で穏やかにそれを打ち消した。
この結果は自分一人だけの手柄ではないということをショシュンはわかっているからである。そもそもの始まりはンイードとニリーが甲虫王国にやってきたことである。ゴールデン国王はその二人を受け入れてアスカがシナノを甲虫王国に連れてきた。アンタエウスとクルビデンスという二匹の『森の守護者』はシナノとゴールデンに対して情報を仕入れた。シナノはこのようにして色んな虫のおかげでここまできたのだから、自分は最後の仕上げをしたに過ぎないと賢いショシュンは重々承知をしている。
ただし、そんなことを言うのは野暮なので、ショシュンはそのことについて口を閉ざしてシナノを迎えに来るということを再確認して『宮殿の地』に帰って行った。ここにはとなるとシナノの家族だけが残った訳である。積もる話はあるが、シナノたちの三匹の家族はまず無事な姿で再び出会えたことについて大いに喜び合った。
しかし、シナノは無事でないものの話もした。それは宝物のお馬さんのことを言っている。一度は話に合った通りに宝物のお馬さんが壊れてしまった時にテンリの提案によってシナノは『偉人の地』にお墓を作ってお馬さんを埋めてしまっていた。ただし、ンイードとニリーはその話を聞いてもシナノのことをかわいそうに思っただけで怒るようなことはしなかった。シナノの両親はシナノの命が一番に大事だと思っている。
更に重要なのはシナノの次の話である。お馬さんは壊れてしまったが、それと同じか、それ以上に大切なテンリとアマギとミヤマの三匹という仲間を得ることができたのだという話をシナノはした。サセボから話を聞いていたので、テンリたちの三匹がすばらしい仲間であることは知っていたが、ンイードもニリーは直接的にシナノから話を聞くと改めて感動することができた。シナノはうれしそうな顔をしてその話をしていた。
シナノの家族はその後も色々な話をした。ンイードとニリーが甲虫王国へ行く時の決心やゴールデン国王の懐の深さは話題に上ったが、メインはやはりシナノのこれまでの冒険譚である。
これは少し先の話になるが、シナノはまだテンリたちの三匹と旅を続けたいということを伝えてその上でンイードとニリーに対して一生のお願いをすることになる。シナノは今回の経験によって虫と虫の繋がりの大切さについてを学んだ。時には衝突してしまうこともあるかもしれないが、自分と一緒にいてくれる相手がいるということはすばらしいことである。だから、できれば、その相手を失う前にいつも一緒にいてくれる相手への大切さに気づいてちょっとしたことでも感謝の気持ちを持つことはいいことである。
死別でなければ、一度は別れた大切な相手と今回のシナノのようにして再会できることもある。それは偶然でも必然でも虫との出会いは重要なものだから、仮にまた会えなくなるのだとしても、邪険にはせずにその出会いを大切にするべきである。虫と虫との出会いというものはいつでも自分に転機を与えるチャンスを孕んでいるものだからである。テンリたちとの出会いはシナノにそれを教えてくれた。
『運動の地』は『宮殿の地』の南にある。『運動の地』は『宮殿の地』に隣接しているし『宮殿の地』のすぐ西には『秘密の地』があるために時々『マイルド・ソルジャー』は軽い運動と遊びを兼ねて『運動の地』にやってくることもある。『運動の地』にはそれ程の人気があるという訳である。
軽い運動といった通りに『運動の地』にはハードな競技だけではなくて運動が苦手な虫にも楽しんでもらえるようにするためにたくさんの簡単な競技も用意されている。間違いなく言えることは『運動の地』は毎日が運動会であっていつも大盛況をしているということである。
エナを含めたテンリたちの一行はついに『運動の地』に到着をした。数ある『運動の地』の施設の中でテンリたちの4匹が最初にやってみることにしたのはローン・スキーである。
テンリたちはどうしてローン・スキーを選んだのかというと『運動の地』に入った時に一番に近くにあったので、アマギはこれがいいと言ったからである。テンリたちの残りの三匹にも異論はなかった。
ローン・スキーの施設の前にはオスのピサロタテヅノカブトがいた。彼は名をシラツユと言う。シラツユはテンリたちの4匹に対してローン・スキーのやり方について説明をしてくれた。ジュンヨンは『運動の地』にはローカル・ルールを説明してくれる従業員がいると言っていた通りにまさしくシラツユという男性は『運動の地』の従業員なのである。説明を終えるとまた用事があれば、自分に言ってほしいと言ってシラツユは近くの事務所に帰ってしまった。その際のテンリは丁寧にお礼を言った。
「さてと、切り込み隊長は誰がやるか。まあ、聞かなくてもわかるような気はするけどな。アマはくれぐれも装置を壊すなよ。おれとアマにはなにせ『玩具の地』でラジコンのリモコンを壊したっていう前科があるんだからな。ここにはエナ王女もいるんだから、粗相は絶対に厳禁だぞ」ミヤマは注意を促した。
「わかっているよ。おれは最初にやってちゃんと皆のお手本を示すから、皆は期待をしておいてくれ。おれはびしっと決めてやるぞ!」アマギは根拠はないくてもいつもの通りに自信が満々である。
「まあ、アマギ様はとても男らしいのですね。私はしかとアマギ様の雄姿を見届けさせてもらいます。私はとても楽しみです」エナはしおらしく目を輝かしている。テンリは同じく期待を膨らませている。
アマギはテンリの協力の下で装置を装着することにした。ローン・スキーの装置は5つあって今は使っている虫はいないが、百聞は一見に如かずという通りにまずお手本を見てからそれぞれで楽しもうというのがテンリたちの4匹の魂胆である。ローン・スキーとはグラス・スキーとも言ってキャタピラーのついた短いスキー板で芝の斜面を滑走するスポーツのことである。テンリとアマギの二匹は人工芝の坂の上で作業をしている。ミヤマとエナは坂の下で待っている。キャタピラーとは複数の車輪にベルトをかけて回転させて走行する装置のことである。例えば、キャタピラーはブルドーザーやトラクターにも使われている。
「よし!ぼくはこれで多分いいんだと思うよ。アマくんは体が大きいけど、運動神経はいいから、ぼくはきっとうまく行くと思うよ。がんばってね。ぼくはアマくんを応援しているよ」テンリは励ました。
「うん。ありがとう。テンちゃんの助けと言葉をもらえば、おれは元気100倍だ!おーい!それじゃあ、行くぞー!」アマギは坂の下にいるミヤマとエナに対して声を張り上げた。ミヤマはそれを受けると手を上げてOKの意を表した。エナは無言でもアマギの活躍を心待ちにしている。
坂は三メートルもあるので、虫にとっては相当に長い距離である。アマギは皆の期待を一心に背負ってスキーをスタートすることにした。キャタピラーは虫用だから、6本足と二本足の装置があったが、アマギは6本足の装置を選んだ。6本足ならば、必然的に安定性はあるので、ストックはいらない。
アマギは快調な滑り出しを見せて気持ちよさそうにして斜面を滑っている。アマギは下にいるミヤマとエナも初のローン・スキーで大成功を収めそうだと思っている。坂の上のテンリはドキドキしながらそれを見ていたが、異常事態はその内に起きた。アマギは『しまった!』と言うと6本足なのにも関わらず、バランスを崩して体を横向きにしたまま坂をごろごろと転がって結局はそのままゴールに到着をしてしまった。
「大丈夫?アマくん!ケガはない?」テンリはおっかなびっくりしながら飛行して聞いた。
「ああ。大丈夫だよ。おれは無傷だ。下は芝生だもんな。おれは技をやろうと思ったんだけど、失敗をしちゃったよ。でも、おれはまたやってみよう」アマギはテンリが地面に着地するのを見ながら言った。
「アマギ様は何をなさろうとしたのですか?途中までは格好よかったのにも関わらず、後半は些か格好も悪くごろごろしていただけのように私には見えてしまいました」エナは謙虚に言った。
「あはは、あれは確かに転がっていただけだな。おれはカーブをしようと思ったんだよ。だから、おれはそれに失敗して横向きになったら、結局は転がっちゃったんだ」アマギは事情を説明した。
「おいおい。それはやっちゃいけないことじゃないか。さっき競技の説明をしてくれたシラツユさんは6本足でのカーブは禁止だって言っていたじゃないか。アマのことだから、シラツユさんの話はどうせ聞いてなかったんだと思うけど」ミヤマはいつものことながらほとほと呆れるといった様子である。
「なーんだ。そうだったのか。道理で難しかった訳だな。でも、おれは気にしないぞ。ケガはなかったんだから、結果はオーライだ」アマギはいつもの通りに太陽のようにして明るい。アマギは基本的にどんな失敗をしてしまっても尾を引くことはない。誰もがそんなに強い虫ばかりではないが、テンリは少なくともそういうアマギの性格を見習いたいと思っている。長所と短所は誰にでもあるものである。
続いてはミヤマがローン・スキーに挑戦することになった。今度は自分が二本足の装置でスラロームをやって見せるとミヤマは啖呵を切ったからである。テンリたちの他の三匹は素直にそれを拝ませてもらうことにした。特に純粋無垢な性格をしているテンリはミヤマの格好いい滑りが見られるかと思うとかなりの期待をしている。スラロームとは急斜面に設けられた棒を左右に通過しながら滑り降りるスキーの競技のことである。ミヤマと助手のテンリは坂の上でせっせと準備をしている。
スラローム用の棒はアマギが滑った所にはなかったので、テンリたちの一行は場所を隣りに移動した。ミヤマに対する皆の期待は高まるばかりである。ミヤマは満更でもない様子である。
「ミヤマ様は自信がおありのようなので、私は楽しみです。いつもの飄々とした雰囲気とは違って先程のミヤマ様はスイッチが入ったようなお顔をされていました。ミヤマ様はきっとすばらしい滑りを見せてくれるのでしょうね?」エナは同じく坂の下にいるアマギに対して問いかけた。
「うーん。どうだろう。エナ王女は素直だから、ミヤを純粋に信じてくれているんだよな?だから、本当はおれも言いたくないけど、ミヤは十中八九の確率で失敗をやらかすような気がする。すでに失敗をしたおれが言える義理でもないんだけどな」アマギは意外と謙虚な所を見せている。
坂の頂上にいるミヤマのスタンバイは完了した。アマギは6本足だったが、今回のミヤマは二本足での挑戦である。ミヤマは両手にストックを取りつけている。人間ならば、ストックを持つが、指のない昆虫の場合はストックを手にくっつける。ミヤマはそういう点でもテンリという助手が必要だったのである。
ミヤマはアマギとエナに対して合図を送るとスキーをスタートした。避けるべき棒は全部で4本ある。一本目の棒は右にかわしてミヤマの俊敏性が光った。ミヤマは意外にも軽々とそれをやってのけたので、これはミヤマが全部を綺麗に棒を避けきれるかもしれないとアマギは期待を持った。隣にいるエナは同様の感想を抱いた。しかし、そう簡単には行かなかった。ミヤマは一本目の棒をよけた後に右手を突き上げるといういらぬことをしたせいでバランスを崩して二本目の棒を避けきれずに顔面に棒をぶつけてしまった。棒は曲がるようになっているから、ケガはミヤマもしなかった。ミヤマは結果的に立ち直ることができずに残りの二本も顔にぶつけてアマギとエナの元に到着をした。エナは唖然としているが、アマギはやっぱりかという顔をしている。アマギの悪い予感は的中してミヤマは悪い期待に応えてくれたという訳である。
「大丈夫?ケガはない?ぼく達のために格好いいポーズを決めてくれたから、ミヤくんはバランスを崩しちゃったんだよね?気を使わせちゃってごめんね」坂の頂上にいたテンリは降りてくると素直に謝った。
エナはテンリのやさしさに触れて感心をしている。当のミヤマはテンリのやさしさに感動しているが、そんなテンリに対して申し訳ない気持ちで一杯である。アマギはすると酷評を始めた。
「いや。テンちゃんは謝る必要ないぞ。ミヤはだって格好をつけたかっただけでおれ達に気を使った訳じゃないからな。おれはミヤには呆れてものも言えないな」アマギは吐息をついている。
「決めつけかよ!まあ、図星だから、反論はできないんだけど、おれはさっきの体験で完全に読めた。次は軽やかなストックさばきで大成功を収めてみせるよ」ミヤマは息巻いている。
「まあ、ミヤマ様はちょっとやそっとではめげないのですね。ミヤマ様は失礼ながらただの三枚目かと思っておりましたが、私は少し見直しました。私も早くスキーなるものをやってみたくなってしまいました」エナは期待で目を輝かせている。テンリはエナの意見と同じ気持ちである。
アマギとミヤマのことは皆で見ていたので、少しの話し合いの結果として一回目だけはテンリとエナも皆の前でスキーを滑ることになった。三番手として滑ったのはエナである。スピードが出るのが怖くてのろのろで斜面を滑ったが、エナはアマギやミヤマのような大きなミスをやらかすことはしなかった。
4番手のテンリはスピードもエナよりはあるし、大きなミスも侵さなかったので、初体験にしてはこの4匹の中では一番にうまかったと言ってしまっても過言ではない。
エナとテンリは6本足でスラロームのない斜面を滑った。これはアマギも挑戦していたコースだが、初心者にはやはりこれが一番にやりやすいのである。テンリは着眼点がよかったのである。
一通りは皆の腕前を見ることができたので、テンリたちの一行は個人で思い思いにスキーを楽しむことになった。こんな調子が続いて少し時計の針を進めることにする。
これはテンリが皆の前で滑り終わってから30分後の話である。テンリたちの4匹はこの時分になると少しは最初よりも技術が上達してきている。ミヤマは高らかな声を上げた。
「はい!注目!皆さーん!あの愉快で陽気なミヤマくんはこれから滑りますよー!この完璧な滑りを見て下さーい!」ミヤマは声を張り上げた。今のミヤマは坂の頂上にいる。
やさしい性格をした残りのテンリとアマギとエナの三匹は素直に坂の下に行ってミヤマが滑るのを見守ることにした。テンリは今回もミヤマに対して大いなる期待を寄せている。
「ミヤくんはがんばってね。ミヤくんはたくさんの練習をしたから、今度はきっと成功するよ。ミヤくんは自信を持ってね」テンリは坂の下から大きな声を出した。ミヤマはそれを受けると片手を上げて応えた。
ミヤマがいるのは最初に大失敗をやらかしたスクロームのコースである。ミヤマは必然的に二本足で立って手にはストックをくっつけている。テンリとアマギとエナは他のコースも滑っていたが、ミヤマはスラロームのコースしか最初から最後まで滑っていなかった。ミヤマは雪辱に燃えている。ミヤマはスクロームでうまく滑走できなかったことが非常に悔しかったのである。ミヤマはいざ出陣の時である。
ミヤマは一つ目の棒を右に避けて二つ目は左に避けた。テンリたちの三匹の観衆はいよいよミヤマのスクロームの成功について期待を持った。バカにしたり、茶化したりもしているが、アマギはなんだかんだ言ってもちゃんとミヤマを応援してあげている。三つ目の棒を右へ避けて王手をかけたミヤマはその結果として期待に応えて最後の一つも難なくかわした。ミヤマはゴールに到着するとようやくポーズを決めた。
「ミヤマ様はすばらしいです。私は感動を致しました。努力というものはやはり実を結ぶものなのですね。決める時はしっかりと決めるなんて私はミヤマ様のことを見直しました」エナは言った。
「はっはっは、どうよ?おれが本気を出せば、ざっとこんなものよ。エナ王女からは改めて信頼を勝ち得たみたいだし、アマだってそうだろう?ああ。テンちゃん。おれのサインは後でちゃんと渡すからちょっと待って・・・・ふご!」ミヤマは不意に悲鳴を上げてぺしゃんこになってしまった。
ソウリュウ一家のナンバー・スリーであるドンリュウはミヤマの上から降ってきたからである。テンリたちの他の三匹は突然のこの出来事について唖然としてしまっている。
ミヤマの災難は立て続けに起こった。ソンリュウ一家のナンバー・ツーであるトリュウは息つく間もなく次の瞬間にはそこへダイブしてきたので、ミヤマはその結果としてドンリュウもろとも横に吹っ飛ばされてしまった。ミヤマはもはやもみくちゃの状態である。テンリはミヤマが気の毒そうである。
「うっわー!なんだか、ごった返しているなー!ん?でも、トリュウくんとドンさんがいるということはやつもいるのか?そうだとしたら、大変だ!テンちゃんを変態から守らないと!」アマギはそう言うとすかさずにテンリのことを護衛することにした。エナは目を丸くしてしまっている。
「って、どうでもいいけど、アマはおれのことを心配してくれんのかい!こっちはひどい目にあっているんだぞ!おれの身には何が起きたんだ?」ミヤマはそう言うとドンリュウとトリュウの体の下からもぞもぞと這い出てきた。テンリはミヤマの所に行ったので、テンリを護衛中のアマギはテンリについて行った。
「いやはや。おいどんはまた失敗をしてしまったでごわす。おお。ミヤマどんではないでごわすか。それだけではなくて『シャイニング』が勢ぞろいでごわす。いや。そうでもないでごわすな。シナノどんはいないでごわす。シナノどんは一体どうしたのでごわすか?」ドンリュウはけろっとした顔で問いかけた。
「ナノちゃんはパパとママに会いに行っているから、今はいないんだよ。でも、ほら、今日はナノちゃんの代わりとしてエナ王女がいるんだよ」テンリはエナに対して注目を浴びせた。ドンリュウは突然のテンリの発言に意表を突かれたが、トリュウは王女に会えたということを実感してうれしそうな顔になっている。
「これはこれは」トリュウは言った。「お初にお目にかかります。おれはトリュウと言います。以後はお見知りおきをよろしくお願いをいたします。いや。若様は有名だから、エナ王女はおれのことを知っているとは思いますがね」トリュウはそう言うとミヤマがしたようにしてエナ王女に対して右手をすっと差し出すことにした。エナの方はトリュウの右手にちょこんと触れるとすぐにその手をひっこめてしまった。トリュウは不思議そうな顔をしている。テンリとアマギは次の大体の展開を予測している。
「申し訳ありません。トリュウ様は察するにむっつりすけべなのではないかと思ったので、セクハラをされてはたまらないと思って握手は一瞬ですませてもらうことに致しました。どうか、お許し下さい」エナはやんわりとトリュウを攻撃した。トリュウはそれを受けると『ガビーン!』という顔をしたが、ドンリュウは豪快に大笑いをしている。テンリとアマギの二匹は無表情のまま静かに事態を傍観している。
「ところで」ミヤマは言った。「おれのことは大変に長らく忘れられているけど、ドンさんとトリュウくんは何をやっていておれに覆いかぶさったり、タックルをしてきたりしていたんだい?おれは怒ってないから、別にいいんだけど」ミヤマは少し寂しそうな顔をしながら発言をした。
「ミヤマどんはなんて寛大なんでごわすか!おいどんとしたことが、これは失礼したでごわす。ごめんでごわす。ミヤマどんには申し訳ないことをしたでごわす。以前にもアマギどんの上に落っこちてしまったこともあるでごわすが、おいどんは地面のすれすれで羽を広げて落下を止めるという『発表の地』で披露しようと思っている技に磨きをかけていたのでごわす」ドンリュウは必死になって説明をした。
「そういうことだよ。おれはそしてドンリュウが地面にぶつかったら、大変だと思ってドンリュウをキャッチしようと思ったという訳だ。ごめんよ。ミヤマくん。そう言えば、君達はローン・スキーをやっていたみたいだね?よかったら、皆はおれとドンリュウの神技を見るかい?皆は見てくれるのならば、おれ達はやってみせるよ」トリュウは言った。今のトリュウは自信が満々な様子である。
「うん。おれは見てみたいぞ。でも、おれはその前に質問なんだけど、ソウリュウはいないのか?おれは別に会いたい訳じゃないけど、テンちゃんが襲われたら、大変だもんな」アマギは言った。アマギは今もテンリの近辺を窺っているが、テンリは少し当惑してしまっている。エナはそれを不思議そうにしてみている。
「ああ。若様はいるよ。おれ達(ソウリュウ一家)は皆で『運動の地』に遊びにきたからね。でも、今のおれ達は別行動をしているんだよ。ただし、今の若様は一人じゃない。正式に入った訳じゃないけど、ソウリュウ一家には見習いとして新入りが入ったから、若様はその彼とハーフ・パイプをされているんだよ」トリュウはソウリュウ一家に関する諸事情について簡単な説明をしてくれた。
「ふーん。そうなんだ。ソウリュウ一家ってやっぱり人気があるんだね。ぼくもソウリュウくんには見習いたい所が一杯あるもんね。そう言えば、ぼくはさっきから思っていたんだけど、ドンさんは何を腰につけているの?」テンリは聞いた。トリュウはショシュンからもらった印籠をつけているが、今日はドンリュウの方も確かにくたびれた縄を腰に巻きつけている。ミヤマはテンリと同様にして興味を持った。
「ああ。これのことでごわすか?いや。若様は元々フリルをつけているし、トリュウはショシュンどんから貰った印籠を身につけるようになったら、おいどんだけは何も身につけていないことになるので、とりあえずはそこらにあったものをおいどんも身につけてみただけでごわす。それ程に深い意味はないのでごわす。アマギどんからは要望をもらったでごわすが、それ以外の皆もおいどんとトリュウのローン・スキーにおける美技を見たいでごわすか?」ドンリュウは聞いた。トリュウだけではなくて負けじとドンリュウの方も自信が満々である。今まで厳かに沈黙を守ってきたエナはここで逸早くそれに応じた。
「はい。私はとても拝見したく思います。その美技は自信ありげな所から察するにさぞかしすばらしいものなのですね?私はそれを見れるのだと思うとドキドキしております。私にはもう一つお願いがあるのですが、もしも、よろしければ、私をソウリュウ様に会わせては頂けないでしょうか?ソウリュウ様が私のような女は相手にしないというのならば、私はもちろん潔く諦めますが」エナは慎ましく言った。
「さすがは甲虫王国の王女様ですね。エナ王女は謙虚なんですね。若様もぜひともエナ王女には会いたいはずです。若様の所には後程にご案内させて頂きますが、どうか、エナ王女は少々お待ち下さい。さてと、テンリくんとミヤマくんはおれ達の美技を見たいかな?」トリュウは聞いた。テンリとミヤマは頷いた。トリュウとドンリュウの二匹はスキーのスタンバイをすることになった。テンリは期待を膨らませている。
テンリを初めとした観客の4匹は場所を移動することになった。今までのテンリたちの4匹がスキーをしていたその反対にはもう一つの坂があったので、トリュウとドンリュウの二匹はそちらでスキーをすることになったからである。テンリたちの4匹が使っていた坂よりも、その坂は長くて約6メートルもあって尚且つジャンプができるようになっている。トリュウとドンリュウの準備はやがて終わった。トリュウとドンリュウは坂の上でポーズを決めているので、テンリとエナの二匹は拍手をしてあげなければならなくなった。
「おれ達はソウリュウ一家を代表して華麗な技を披露させてもらうことにします。それではよく括目していて下さいよ。おれの技のタイトルは『クロス・スター』だ!」トリュウは張り切って言った。
「おいどんの技は続いて『アベレージ・ジャンプ』でごわす。おいどんはトリュウと一緒に滑るつもりでごわすが、おいどんの方もちゃんと見ていてほしいでごわす」ドンリュウは主張をした。
「わかったぞー!期待しているぞー!」アマギは大声で返事をした。テンリとエナは同意したことを示すために手を振ってあげているので、トリュウとドンリュウは満足そうである。
「というか、おれは一つ疑問なんだけど、ドンさんの『アベレージ・ジャンプ』って直訳をすると普通のジャンプにならないかい?それはどこが美技なんだよ。まあ、ドンさんは確かにジャンプできるだけでもすごいと言えば、すごいけど」ミヤマは一人で勝手に結論を出した。テンリは特に口を挟まなかった。
トリュウとドンリュウの二人は満を持してスキーをスタートさせることにした。トリュウとドンリュウは快調な滑りを見せているが、不自然な点は一つだけある。ここの斜面は広いからできるのだが、トリュウはドンリュウに向かって滑っている。テンリはこれからなにか危険なことが起きるのでないだろうかとハラハラしてしまっている。トリュウとドンリュウの二人はいよいよジャンプをした。
トリュウとドンリュウはそのまま行くと激突するかどうかは微妙な所である。テンリとミヤマとエナはこれがトリュウの技なのだなと気づいている。つまり、アマギは気づいていない。
しかし、トリュウは直前で怖くなってしまって羽を広げると自分で飛んでしまってどこかに向かってとんずらをこいてしまった。テンリたちの4匹の観客は唖然としている。
ドンリュウはそんな中でもっとすごいことをした。ドンリュウは着地するのが怖くなってしまってトリュウと同様にして自分の羽を広げて減速して緩やかに地面に着地をした。
「うっわー!つっこみどころは満載だなー!とりあえず、聞いておくけど、ドンさんとトリュウくんってスキーのジャンプをしたのは今日が初めてかい?」ミヤマはそばにいるドンリュウに対して聞いた。
「え?どうしてバレたのでごわすか?いや。実は次にテンリどんに会ったら、ソウリュウ一家はどんなにすばらしくて格好がいいかを示しておくようにと若様からは言われていたのでごわす。しかし、なにぶんにもうまく着地できるかどうかと不安になってしまったので、おいどんはあんな結果になってしまったでごわす。若様には申し訳ないし、格好の悪いところを見せてしまってテンリどんにも申し訳ないでごわす」ドンリュウは完全に意気消沈をしてしまって項垂れてしまっている。テンリはそれでもやさしかった。
「そんなことはないよ。トリュウくんとドンさんは格好よかったよ。新たなことに躊躇なくチャレンジをしてみるっていうその心意気は立派だものね。ぼくにはドンさんもトリュウくんも勇者に見えたよ」テンリはドンリュウに対してこれ以上ない程のいい言葉をかけてあげた。
「まあ、テンリ様はなんて心が広いお方なのでしょう。差し出がましいですが、私は感動をしております。テンリ様はおやさしいくて他人を敬う気持ちが強いのですね?『シャイニング』はミヤマ様のおふざけさとアマギ様の力強さとシナノ様の賢さだけではなくてテンリ様のやさしさも特筆すべきことなのですね。私は益々『シャイニング』に好意を持つようになりました」エナは心からの賛辞を送った。
エナの『シャイニング』評は相当に的を射たものである。テンリはそれを受けると照れてしまった。アマギは褒められても何も思わなかったが、ミヤマは気分をよくしている。
逃亡中だったトリュウはテンリたちの5匹の元に帰って来た。恥を忍んでいるので、トリュウは少し申し訳なさそうだが、テンリを初めとしたメンバーはトリュウを暖かく迎え入れた。
「ドンリュウからはすでに説明を受けているだろうから、必要はないかもしれないけど、一応は言っておくと初心者なのにも関わらず『クロス・スター』だなんて大見得を切ってごめん。本当に申し訳ないことをしたと思っているよ。さあ!それじゃあ、おれ達はエナ王女のご要望に応えて若様に会いに行こうか。もちろん『シャイニング』の皆も一緒に行くよね?」トリュウは『シャイニング』もといテンリのことを誘った。
「ああ。行ってやるとするか。新しくソウリュウ一家に弟子入りした虫のことも気になるもんな」アマギは言った。異論はテンリとミヤマにもなかったので、トリュウは先頭に立ってソウリュウの元に皆を案内をしてくれることになった。テンリたちの6匹は歩き始めた。テンリたちの4匹が先程までにいた所からソウリュウのいる場所までは5分もあれば、歩いて行ける。ただし、それは『運動の地』が狭いからではない。
「そう言えば、トリュウくんはソウリュウくんが考案したっていう『栄光あるイリュージョン』作戦で国王軍に捕まっちゃったんだよね?その後はどうなったか、ショシュンさんからは聞いてほとんどをぼくは知っているけど、トリュウくんは怖かったよね?そういう意味ではソウリュウ一家の皆は勇気があるんだね?ぼくは皮肉を言っている訳じゃないよ」テンリは付け足した。アマギはあまりいい顔をしてはいない。
「おお。さすがはテンリどんでごわす。てんりどんはおいどんたちの気持ちがよくわかっているでごわす。その言葉は若様にも言ってあげてほしいでごわす。今はエナ王女もいるから、若様はきっと大喜びをするでごわす。若様の喜びはおいどんの喜びでもあるのでごわす」ドンリュウは少しはしゃいでいる。
「結束力の強さを言えば、おれ達『シャイニング』とソウリュウ一家は確かにもしかするといい勝負なのかもしれないな。ソウリュウ一家に新たに加入した男っていうのは何者なんだい?物好きな虫はいるものだな」ミヤマはしみじみとした顔で言った。ミヤマはソウリュウを過大評価したり、過小評価をしたりしている。
「正確にはあくまでも見習いだから、彼は正式にソウリュウ一家に加入した訳じゃないけどね。ミヤマくんはもうすぐ彼に会えるから、おれは言ってもいいんだけど、とりあえずのヒントを出すとすれば、ミヤマくんは会ったことがあるし、テンリくんとアマギくんも知っている虫かもしれないよ。エナ王女は残念ながら知らないだろうね。彼は別に有名人っていう訳じゃないんだ」トリュウは秘密めかしている。
ミヤマはソウリュウ一家の新たな見習いとは誰なのかを考えてみることにした。しかし、テンリとアマギは何も考えていない。アマギは本当に何も考えていないが、テンリは実際にその虫に会うことによって驚いてみたいと思っているからである。エナは知らない虫だということなので、そのことは必然的に考えずに『運動の地』でのこれからの遊んでソウリュウに合えることの喜びを噛みしめている。
テンリたちの一行はハーフ・パイプをするための施設に到着をした。そこにはソウリュウが一人で佇んでいた。つまり、今のソウリュウ一家の新入りは席を外しているという訳である。
「若様!ただいまでごわす!おいどんは十分に楽しめたでごわす。おいどんとトリュウはしかもすごい虫さんを連れてきたでごわす。『シャイニング』とエナ王女でごわす」ドンリュウは報告をした。
「なんだって?おお。本当だ!久しぶり!テンちゃーん!」ソウリュウはそう言うとテンリに向かって羽を広げた。しかし、アマギはテンリの前に立ってそれを阻止することにした。
「出たな!テンちゃんのストーカーめ!ソウリュウはまずエナ王女に挨拶をしたらどうなんだ?なぜなのかは知らないけど、エナ王女はソウリュウに会いたがっていたんだぞ」アマギは主張をした。
「え?そうなの?ああ。そうかもしれないな。それではお初にお目にかかります。おれこそはかの有名なソウリュウ一家の若様です。以後はよろしく」ソウリュウは優雅に言った。
「こちらこそよろしくお願いを致します。ソウリュウ様のお噂は予々聞き及んでおります。ソウリュウ様は私の想像していた通りに逞しそうなお方ですのね。私はソウリュウ様とお会いできて大変うれしく思います」エナはそう言うとソウリュウが手を差し出したので、自分も手を差し出してしっかりと握手をした。
「えー!なんでだい?おれとトリュウくんはあんな扱いだったのにも関わらず、この差はなんなんだい?まさか、エナ王女はこんなやつがいいのかい?」ミヤマはびっくりしてしまっている。
「おいおい。ミヤマくん。若様に向かってこんなやつとは失礼だな。なぜなのか、おれはわかっているよ。若様はきっと大物だから、同じく大物のエナ王女には若様が大物であるということがわかって結果としてエナ王女はこの方を邪険にしてはならないという結論に至ったんだよ。おそらくはそのはずだ」トリュウは勝手な解釈をしている。ただし、アマギとドンリュウは別にどうでもよさそうである。
「いや。それは違うよ。話はトリュウが言う程にそんなに深遠じゃないと思うよ。おれはただ単に『トライアングルの戦い』でジュンヨンくんを助けてエナ王女は『スリー・マウンテン』が好きだから、『スリー・マウンテン』を助けたおれはその結果としてエナ王女から尊敬の眼差しで見られるようになったというだけの話だと思う。それでは」ソウリュウはそう言うと今度こそテンリに向かって飛びついてテンリの上に覆い被さった。油断をしていたので、アマギは不覚にもソウリュウに隙を突かれてしまった。
ソウリュウの弟子のトリュウとドンリュウはジェラシーを感じているが、ソウリュウはとてもうれしそうなので、どちらかと言えば、少しは微笑ましい気持ちでそれを見守っている。
アマギは相も変わらずにソウリュウのことを変態を見るような目で見つめている。エナは突然の事態に対して目を丸くしてびっくりしてしまっている。それは初見のエナにとっては無理もないことである。
「わー!ソウリュウくんだ!久しぶりだね?今のナノちゃんはパパとママの所に行っているから、ここにはいないんだよ。ソウリュウくんに新しく弟子入りした虫さんは今どこにいるの?」テンリは聞いた。ミヤマはそれを受けると辺りをきょろきょろと見回している。ソウリュウは鼻の下を伸ばして言った。
「ああ。そのことか。今の彼はソウリュウ一家と『運動の地』でスポーツ対決をする相手を探しに行ってくれているんだよ。でも、その必要は今なくなったんだけどね。それにしても、その青色のブレスレットはかわいいね。テンちゃんのかわいさがより一層に際立つから、おれはそういうのが好きだよ。アマギくんとミヤマくんもつけているみたいだけど、アマギくんとミヤマくんの場合は飼育員に管理されている動物園の動物みたいだな」ソウリュウは自分の言葉で笑っている。ソウリュウは同時にでれでれである。
「って、ソウリュウはしたり顔で説明をしていないでそろそろテンちゃんから離れろよ!」アマギはそう言うと角でソウリュウのことを追いやった。ソウリュウは大人しく引き下がることにした。
「先程のソウリュウ様は新入り様がソウリュウ一家さまの対戦の相手を探す必要がなくなったとおっしゃっていましたが、それは『シャイニング』のお三方と私の4人が対戦の相手として選ばれたという意味なのでしょうか?」エナは問いかけた。テンリはとりあえずこの話を集中して聞くことにした。
「ああ。その通りですよ。エナ王女はさすがに聡明でいらっしゃる。それでは異論のある者はいるかな?」ソウリュウは聞いた。誰も『シャイニング』は反論をしなかった。
テンリは色んな虫と仲良くするのが好きだし、楽しそうならば、アマギはなんでもいいのである。今はシナノこそ不在だが、ミヤマはソウリュウ一家と『シャイニング』のどちらの方がより優秀なのかをここで白黒つけるものも悪くないかもしれないなと思った。それらが『シャイニング』のそれぞれの思惑である。
テンリたちの一行は4匹VS4匹で団体戦を行うことになった。しかし、頭数はまだ一人だけ足りていないので、そのもう一人の帰還を待つことになった。エナは意外と待たされることにも抵抗がない。
しかし、テンリたちの一行は然程に待たされるようなことにはならなかった。ソウリュウ一家の新顔であるナイは二分もしない内に皆の注目を浴びてこの場に登場をした。
「ただいま帰りました。対戦相手を探し回ったのですが、4匹の団体はどうもいらっしゃいませんでした。どうもすみません。あれ?しかし、この状況は何ですか?『シャイニング』にエナ王女なんてオール・スター戦でも開催するつもりですか?」ナイは期待に満ちた顔をしている。
「まあ、間違ってはいないね。彼等はおれ達の対戦相手になってくれるっていうんだから、ナイくんは役目を果たせなくても気に病むことはない。ご苦労だったね。さてと、テンちゃんとエナ王女とその他の二名の皆さん。紹介しよう。彼こそはソウリュウ一家の期間限定の新顔、ナイくんだ。ナイくんはソウリュウ一家のいい所を吸収して行く行くは独立してソウリュウ一家にも負けない程の男になる予定なんだ」ソウリュウはこれ以上ない程にナイのことを持ち上げた。当のナイは照れくさそうにしている。
「へえ。それは夢があっていいね。ぼくもいつかはソウリュウ一家のような男になれたらいいのにな」テンリは言った。トリュウとドンリュウはそれを受けると諸手を上げて賛成したい気持ちになっている。
「いや。ソウリュウのことは見習わない方がいいと思うよ。テンちゃん。度量の大きさは確かにおれも認めるけど、不器用な所があるし、なによりも、ソウリュウは変態じゃないか」ミヤマは主張をした。
「ミヤマどん。それは言い過ぎでごわす。若様には独自の世界観があるだけでごわす。それを履き違えてしまってはいけないのでごわす。そうだ。今ここにはテンリどんがいるから、なにか、ナイどんも格好いいことをするでごわす。おいどんとトリュウはすでにスキーのジャンプを披露したのでごわす」ドンリュウは恥ずかしげもなく自慢をした。実際は不首尾に終わったのだが、それは誰も口にしなかった。
「了解しました。それではハーフ・パイプの施設があるので、おれは華麗なるハーフ・パイプの技術をお見せするとしましょう。一応はその前にお聞きしますが、ソウリュウさんはなんらかの芸をテンリさんにお見せしたのですか?」ナイは素朴な疑問を口にしている。ミヤマは高みの見物をしている。
「ちっちっち、ナイくんは甘いよ、若様は何もしなくてもいいんだ。なぜだか、ナイくんはわかるかな?」トリュウは問題形式で聞いた。ドンリュウにはもちろん答えがわかっている。
「おれはわかるぞ。ソウリュウには何かしたくてもできないんだ。ソウリュウは不器用だもんな?あはは、おれと一緒だな」アマギは笑い飛ばした。隣のソウリュウはがっくりときてしまっている。
「いいえ。アマギ様。それは違うのではありませんか?ソウリュウ様は何もしなくてもただ存在するだけでも格好がいいから、あえて何もなさらないのです」エナはなぜか断言をしている。
エナの答えは大正解だったので、トリュウとドンリュウとナイの三匹は拍手喝采でそれに応えている。どうでもいいけど、エナはソウリュウのファンになったみたいだなとミヤマは思った。
まとめてみると少しややこしい話になってしまうが、エナとソウリュウとテンリとアマギの4匹の間には三角関係ならぬ四角関係なるものができてしまったのである。
ナイはハーフ・パイプをやるために準備に取りかかることにした。説明は少々遅れてしまったが、ミヤマはナイのことをしっかりと覚えていた。ミヤマは人並みに記憶力がいいのである。
ナイと言えば、ミヤマが以前ホーキンスと戦ってピンチに陥った時に救世主のソウリュウとフィートをミヤマの所まで連れてきてくれた元革命軍の男のことである。ナイのことはテンリとアマギもミヤマから聞いていた。テンリはその話を覚えていたが、アマギはすっかりとそのことを忘れてしまっていた。
一度は話にあったが、アマギは基本的に一度会った虫の顔は忘れないが、会ったこともないし、話でしか聞いたことのない虫についてはよくすぐに忘れてしまうことがある。
今のナイがやろうとしているハーフ・パイプについて少し説明を加えておくことにする。ハーフ・パイプとはスノー・ボードの競技の種目の一つのことである。ハーフ・パイプで滑走するコースは半円筒形の内面をしたものである。その斜面を滑り降りる勢いで何度も反対側の斜面を滑り上がって縁より高く飛び上がって回転や反転といった技を連続して滑走の技術を競うのがハーフ・パイプという競技である。
ナイはいよいよ準備ができた。テンリたちの観客の7匹はハーフ・パイプのコースから外れたコンクリートの上にいる。ナイはコースの上にいる。ナイはやる気が満々である
「それでは皆さん!おれはこれからソウリュウ一家を代表してハーフ・パイプをやらせてもらいます。おれは小さい頃からハーフ・パイプをやってきたので、自分で言うのもなんですが、ハーフ・パイプは相当にうまい方だと思います。技は危険そうですが、皆さんは安心をして十分にお楽しみ下さい」ナイはいつにも増して自信がたっぷりである。ソウリュウはそんなナイの姿を見て満足そうである。
「うん。わかったよ。ぼく達のために危険そうな技にも挑戦してくれるなんてナイくんはやさしいね。ソウリュウくんに見込まれる程なら、ナイくんはきっとすごい所を見せてくれるんだね。ああ。でも、ハードルはあんまり上げない方がいいのかなあ?ごめんね。ナイくん」テンリは素直に謝った。
「いや。大丈夫だよ。テンちゃん。ナイくんのハーフ・パイプはおれも見せてもらったけど、あれは中々のものだった。ハードルを上げても心配はいらないよ。それじゃあ、武運を祈る」ソウリュウは言った。ナイはいよいよスノー・ボードを発進させることにした。エナは固唾を呑んで見守っている。
両サイドの坂を行ったり、来たりしている内にスノー・ボードの勢いは増してナイは坂の縁にきた時に反転したり、ひっくり返したりして何度も技を成功させることになった。
トリュウとドンリュウの二人はソウリュウ一家の先輩として目を細めながらそれを見学させてもらっている。ハーフ・パイプを初めて見るエナはすっかりと感心してしまっている。
それにしても、ソウリュウ一家で一番すごいのはナイなのではないだろうかとミヤマは内心で思い始めている。スポーツに関して言えば、確かにそうなのかもしれない。
テンリの『すごい!』とか、アマギの『格好いいー!』といった声援を受けながらナイは皆の元に帰ってきた。しかし、結局はソウリュウ一家の見習いであるナイもつめは甘かった。
余裕をかまして両手を上げながらテンリたちの7匹の観客の元へ帰ってくるといい気になりすぎていたので、ナイはそのまま行き過ぎてしまって木に『ドスン!』と正面衝突をしてしまった。
ナイはその結果として仰向けに倒れてしまって気絶こそしなかったが、しばらくはぴくりとも動かなくなってしまった。ソウリュウはまるでナイの成仏を祈っているかのようにして合掌をしたので、それを見たテンリはそんなに重症なのかと思ってびっくりしてしまっている。エナはそれを見て言った。
「まあ、ナイ様はなんて逞しいのでしょう。競技中の勇ましさも去ることながら終わった後の演出もとてもパワフルですのね。私はとても感動を致しました。いい見世物を見せて頂いて本当にありがとうございます」エナは礼儀正しく心からのお礼を言っている。ナイはもちろん返答をするどころの状態ではない。
「あのー。なんか、エナ王女は誤解をしていないかい?確かに競技中のナイくんは格好よかったけど、最後のあれは100パーセントの確率で事故だろう。おれも他の虫のことは言えないけど、ソウリュウ一家は何かをやるとなにかしらの落ちがあるんだな。おもしろいから、それはそれでいいんだけどな。おお。大丈夫かい?ナイくん」ミヤマはナイに対して聞いてみた。今のナイはちょうど起き上がったのである。ナイは無事であることを主張して皆を安心させるとスノー・ボードの取り外し作業に取りかかることにした。
「ナイくんが激突をした時は驚いたけど、ナイくんにケガがなかったのはよかったな。それじゃあ、次はどうするんだ?ソウリュウはおれ達と団体戦をしたいって言っていたな?それはどういう運びでやるんだ?」アマギは問いかけた。テンリとミヤマとエナの三匹は漏れなく興味津々である。
「実の所はそれ程におれ達(ソウリュウ一家)は『運動の地』に詳しい訳じゃないから、元々は対戦相手が見つかったら、この地の従業員にローカル・ルールを聞いてみるつもりだったんだ。だから、おれは相談窓口のあるセンターに問い合わせて説明を聞いてくることにする。おれだけではもしかすると聞き漏らしがあるかもしれないから、もう一人だけでいいから、おれについてきてはくれないかな?」トリュウは同行してくれる虫を募った。ただし、トリュウはソウリュウの手を煩わせるつもりはない。
「はい!ぼくが行くよ。皆の役に立ちたいものね。シラツユさんっていう虫さんにまた聞けば、シラツユさんはきっと親切に教えてくれるはずだよ」テンリはいつもの通りに穏やかな口調で言った。異論は誰にもなかったので、テンリとトリュウの二匹はシラツユのいる窓口まで羽を広げて超特急で説明を聞きに行ってしまった。この場に残ったのはアマギやソウリュウを初めとした合計7匹の虫達だけということになった。
「おいどんはいよいよ本格的に『運動の地』を堪能できることになってワクワクするでごわす。おいどん達(ソウリュウ一家)はやるからには負けないように努力をするでごわす。そうでごわす。テンリどんとトリュウを待っている間にチーム名を考えるというのはどうでごわすか?」ドンリュウは提案をした。
「なるほど。ドンリュウさん。それは名案ですね。それじゃあ、こういうのはどうですか?チーム名『ソウリュウ一家』なんてよくないですか?」ナイは何のひねりもなく言った。
「おいおい。ナイくん。それは受けを狙っているのか?だとしたら、それは完全な不発だよ。仮に、本気で言っているのならば、ベタすぎるよ。おれは若様として手本を見せてあげよう。おれ達(ソウリュウ一家)のチーム名は『ライフ・ライン』だ!よし!これで決まりだ!名前の由来?おれ達(ソウリュウ一家)はこの甲虫王国においてなくてはならない存在だからだよ。ふっふっふ、おれには中々のネーミング・センスがあるだろう?」聞かれてもいないのにも関わらず、ソウリュウは解説をして勝手に悦に入っている。
「って、自画自賛かよ!しかも『ライフ・ライン』なんてでかく出たもんだな。おれは関係ないから、別にいいんだけどさ。それじゃあ、おれ達のチーム名はおれが決めることにしよう。キャップはおれでチーム名は『チーム』だ。どうだい?中々の乙な命名だろう?」ミヤマは得意げである。
「え?チーム名が『チーム』ってどういう意味だ?そこには深い意味でもあるのか?まあ、ミヤが言い出したのなら、意味がなくても不思議ではないけど、おれ達のチーム名はどうして『チーム』なのか、エナ王女はわかるか?」アマギは大して期待も持たずに聞いた。エナは意外にも論理的な答えを提示した。
「ええ。私はミヤマ様のおっしゃりたいことに察しをつけることができました。『チーム』という単語をアルファベットに致しますと『TEAM』となります。これはテンリ様と私とアマギ様とミヤマ様のイニシャルの頭文字を取ったものだと思います。確かに『チーム』というチーム名は奇異ではありますが、私は別に反論を致しません」謙虚なエナは従順な態度を見せた。チーム名にこだわりは持っていないので、アマギもミヤマの意見に乗っかることにした。アマギは相も変わらずに屈託がない。その後はテンリとトリュウが帰ってくるとソウリュウとミヤマの二匹はそれぞれ自分達のチーム名を披露することにした。トリュウはソウリュウに対して忠実だし、テンリはやさしいので、二人はどちらもそのチーム名にケチをつけなかった。
テンリとトリュウはそれが終わるとシラツユから教わった団体戦のプログラムの説明をした。それぞれの出場選手が4匹の場合は全員が一度ずつ出場をして4回戦を行うことになる。もしも、二対二で引き分けたなら、五つ目の競技として全員が出場をするリレーで決着をつけることになる。
各種目の競技場には『サークル・ワープ』があるので、説明を受けるために競技を行う際は今度からそれを使って会いにきて欲しいとテンリとトリュウはシラツユに言われている。
第一種目はすでにテンリとトリュウもシラツユから説明を受けているので、テンリとトリュウの二人は忘れないように皆に対してそれを説明しておいた。他の皆は一名を除いて真剣にその話を聞いていた。
となると、誰がどの種目に出るかも重要になってくるが、実はもう一つ重要なことがある。『運動の地』の団体戦においてエントリーされた出場者は選手としてだけではなくて他の味方の虫のサポーターとしても試合に出場しなければならない。サポーターは基本的に手を出すことはできずに選手に対してはアドバイスだけを口にすることができる。ボクシングで言うならば『運動の地』におけるサポーターはセコンドのような存在である。サポーターはとにかく重要な位置を占めてくるという訳である。
テンリとトリュウが種目の説明をすると『チーム』と『ライフ・ライン』の二チームは誰が何試合目に出て何試合目でサポーターを務めることにするかを決定することになった。
こちらは『チーム』側の作戦会議の模様である。一応はキャプテンを自称するミヤマは皆に対して自由にしゃべっていいという旨を伝えているので、そこでは当然の結果が待っていた。
「よし!おれは決めたぞ!おれは一番がいい!おれのサポーターはテンちゃんにする!よーし!がんばるぞー!よろしくな!テンちゃん!あれ?そう言えば、第一試合は何をやるんだっけ?」アマギは聞いた。当然の結果というのはアマギのこの判断のことを言っていたのである。
「おいおい。アマはやっぱり話を聞いてなかったのかよ。第一試合は障害物競走だよ。これは今回の試合の中でも一番にハードだっていうから、障害物競走は確かにアマに任せた方がいいかもな。それはそれとしておれは余りものでいいから、テンちゃんとエナ王女はどの種目がやりたいかを聞かせてくれるかい?」ミヤマはキャプテンらしく他人の意見を尊重して他人のことを優先して聞いた。
「差し出がましいですが、私から申し上げさせて頂きます。私は第4種目の玉入れさせないなるものをやりたいと思っております。それ以外の競技で私がまともに担当できるかは自信がないのです。テンリ様がお嫌ならば、テンリ様はもちろん忌憚のないご意見をおっしゃって下さい」エナは言った。
「うん。ありがとう。だけど、エナ王女は玉入れさせないでも別にいいよ。ぼくは第二試合の大玉ころがしがいいかな。大玉じゃなくてぼく自身が転がされないようにしないといけなそうだけどね。残りものには福があるって言うけど、ミヤくんは本当に残ったものでいいの?」テンリは聞いた。
「ああ。もちろんだよ。おれは我らが『チーム』のキャップを自認しているからな。おれはオールマイティーに何でもこなしてみせるよ。それで?残った種目はなんだい?ああ。第三試合の綱引きだな。まあ、なんとかなるだろう。アマのサポーターはテンちゃんだけど、それ以外の虫のサポーターを決める必要があるな。さてと、どうするか」ミヤマは難しい顔をしている。しかし、その必要はなかった。テンリとエナはミヤマに対して協力的だったので、二人は誰が自分のサポーターでもいいと言ってくれた。配役はその結果としてさして時間を取られることもなく決定した。テンリのアシスタントはミヤマになってミヤマのアシスタントはエナになってエナのアシスタントはアマギが務めることになった。テンリの緊張感は高まるばかりである。とはいっても、アマギは緊張感の欠片もない。『チーム』と『ライフ・ライン』の両チームは話し合いを終えて各自の対戦相手が決定することになった。そのライン・アップを上げておくことにする。
第一試合はアマギVSナイ・第二試合はテンリVSドンリュウ・第三試合はミヤマVSソウリュウ・第4試合はエナVSトリュウというのがスターティング・メンバーである。
必要な雑務は終えたので、テンリたちの8匹は第一戦の行われる障害物競走の競技場へ向かうことになった。テンリとトリュウはその場所をシラツユから教わっていたし、そこは別に遠くでもなかったので、テンリたちの一行はすぐにその目的地に到着することができた。障害物競走の競技場は地下なので、サポーター以外は残念ながら選手の活躍を見ることができない。観客は競技場である地下道に入ってはいけないのである。
「よし!それじゃあ、部外者のおれ達はナイくんをゴールで待っているから、ナイくんはくれぐれもソウリュウ一家の名に恥じない働きをするんだよ。まあ、ナイくんには若様というサポーターがついているから、心配はいらないと思うけどね」今のトリュウは安心しきっている。トリュウの言う通りに第一試合のナイのサポーターはソウリュウだが、そのソウリュウは少しまずいなと思っている。今回の相手は『セブン・ハート』を使えるアマギだから、ソウリュウはナイがバカ正直に勝負を挑んだとしても勝ち目はないかもしれないなと思っている。ソウリュウにしてみれば、アマギのサポーターのテンリもアマギと同様にして高評価である。
「任せて下さい!おれは『ライフ・ライン』の切り込み隊長として大きな働きをして後の皆さんに勢いをつけます!相手はあの有名な『シャイニング』のアマギさんですから、おれは胸を借りるつもりで精一杯にがんばろうと思います。乞うご期待です」ナイは内なる闘志を燃やしている。
「ナイ様はすばらしい意気込みですのね。でも、アマギ様は歴戦の勇者ですから、いつも通りの心意気でやれば、好成績を残せるのではないかと私は思います。私も応援をさせて頂くので、どうか、アマギ様はベストを尽くしてがんばって下さい」エナ王女は健気にも謙虚にエールを送った。
「うん。わかったぞ。ありがとう。エナ王女には励ましてもらったし、サポーターにはテンちゃんがついているんだから、盤石の布陣だ!おれはきっと勝利を掴んでみせるぞ!ナイくんも言っていたけど、この一戦は後続のテンちゃん達に勢いをつけてバトン・タッチするためにも負けることのできない試合だもんな」アマギは言った。ナイに負けず、劣らず、アマギは意気込んでいる。エナは拍手を送ってくれている。
「いよいよ、おもしろくなってきたでごわす。アマギどんの実力は知っているから、おいどんはアマギどんを相手に回すとこの上なく怖いでごわすが、ナイどんには若様がついているから、若様はきっとなんとかしてくれるはずでごわす。そうでごわす。若様はおいどん達『ライフ・ライン』にここいらで気合いを入れて欲しいでごわす」ドンリュウはトリュウと同様にしてソウリュウに対する忠誠心を見せた。
「ああ。そうだな。それじゃあ、そうしよう。さあ!行くぞ!えい!えい!」ソウリュウがそう言うとトリュウとドンリュウとナイの三匹は『おー!』というかけ声を上げた。
ミヤマはなんというベタなかけ声だと密かに思ったが、それによって『ライフ・ライン』のメンバーはより一層の団結力を発揮できるようになった。それに気づくと『チーム』のキャプテンを自称するミヤマはなにかをしなくてはと思って『ミヤちゃん!ゴー!』と言ったが、結局の所はいきなりに言われたので、テンリでさえもついて行くことができずにミヤマはアマギとエナから白い目で見られただけで終わってしまった。
「よっしゃ!気合は注入した!行くぞ!ナイくん!いよいよだ!おれ達のチーム『漆黒のブリザード』の旗揚げの時だ!」ソウリュウは気持ちを高ぶらせている。ナイはそれを受けると士気を高ぶらせた。
「って、おい!ソウリュウはそれでもいいのかよ!チーム名は変わっているじゃないか!ソウリュウ一家は『ライフ・ライン』じゃなかったのかよ!」ミヤマは形式的につっこみを入れておくことにした。
ソウリュウはふざけているだけなので、チーム名を変更した訳でもないし、チーム名をど忘れした訳でもない。トリュウとドンリュウは当然のことながらそれを察している。選手のアマギとナイとサポーターのテンリとソウリュウ以外のメンバーは『サークル・ワープ』によって一足早く障害物競走のゴールへと向かった。
アマギ・サイドの4匹は障害物競走の競技場である地下へと入って行った。障害物競走のルールは至って簡単である。障害物競走はその名の通りに数々の障害を突破して相手よりも早くミヤマたちの4匹が待っているゴールに辿り着けば、勝利はそれで確定する。一度は話に合った通りにサポーターのテンリとソウリュウは常に飛行をしていて基本的には手を出してはいけないことになっている。テンリとソウリュウのできることは例外を除いて味方の選手に対して口でアドバイスをすることだけである。
いよいよ『チーム』VS『ライフ・ライン』の戦いは開幕である。ソウリュウは自分がスタートのかけ声をやりたいと主張したので、他の三匹はそれに同意をしてソウリュウによる威勢のいい『よーい・ドン!』のかけ声によってアマギVSナイの障害物競争は始まった。