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アルコイリスと七色の樹液 11章

『ワースト・シチュエーション』事件の後『監獄の地』では迅速な秩序の維持が求められていた。看守長のシラキと副看守長のレンダイはそんな中で中心になって動いていた。オウギャクとキリシマは囚人を逃がしたと言っても50匹中20匹の虫はそのまま脱獄できなかったのである。ただし、重要な囚人は根こそぎ脱獄をしてしまっている。シラキは『ワースト・シチュエーション』事件における不行跡の責任を取って辞任しようとした。しかし、レンダイはシラキを引き止めた。今までの『監獄の地』が平和だったのはシラキのおかげだし、今の所はこの地においてシラキにとって代わる超新星は出現していないからである。レンダイは何よりも自分に虫としての生き方や教訓を訓育してくれたシラキにそんな格好の悪い形で身を引いてもらいたくなかったのである。シラキはその甲斐あって続投をすることになった。

責任感の強いレンダイは自分自身も大過に伴って離任を考えなかった訳ではない。しかし、失敗をしてしまったならば、レンダイはそれを取り返すために仕事を続けて努力し続けることも国民への恩返しになるのだと考えたのである。それには根拠となった背景も存在する。シラキとレンダイには多くの国民から『止めないでほしい』という声が寄せられていたのである。レンダイはその声にとても感動をした。レンダイはそういう経緯があって起き上がり小法師のような存在になろうと決意をした。レンダイは倒れてもすぐに起き上れる強い男を目標として生きて行くことに決めたのである。

現在のレンダイは檻の中に異常がないかどうかの見回りを行っている。しかし、獰悪な囚人は脱獄しているので、最近の『監獄の地』は比較的に穏やかである。だから、レンダイは満足そうな顔をして大股で歩いていた。事件はちょうどその時に発生した。レンダイの近くから突然『ぐわー!』という看守の悲鳴が聞こえてきたのである。レンダイはキリシマに続いてまた破獄する者が現れたのではないだろうかと嫌な予感を抱いた。レンダイの思考は現場に向かいながらも悪い方へ悪い方へと向かってしまっていた。レンダイが現場へ急行するとそこには信じられないような光景が待っていた。

「くくく、ちょろいな。この分ならば、用事はすぐにでもすませることができそうだ。ん?レンダイ?主力の登場か?」レンダイを見てそう言って放胆な笑みを浮かべているのは脱獄囚のウィライザーである。ウィライザーは5匹の看守を相手にしてすでに三匹を屈服させている。

「皆さん!大丈夫ですか?何のつもりですか?ウィライザーくん!君達(革命軍)の目的は『ワースト・シチュエーション』事件によって果たされたはずです。君はどうしてまたこの『監獄の地』を襲撃するのですか?」レンダイは落ち着いている。ウィライザーはそうではないかなとレンダイは思ったが、そんなことはなかった。気性は確かに荒いが、ウィライザーは常に興奮している訳ではないのである。

「くくく、おれが何をしに来たのか、わからないのか?あの件では確かにおれも含めて脱獄した虫もいるが、最近になって再び入獄させられた者もいる。おれはそいつ等にも甘い汁を吸わせてやろうと思っているんだ。そうすれば、おれを脱獄させてくれたオウギャク公にも恩返しができる」ウィライザーは理屈を捏ねている。ウィライザーはきちんとオウギャクに対する忠義心というものを持ち合わせている。

「恩返し?それは私も国民の皆さんにしなければならないことです。ウィライザーくんは見た所では一人のようですが?」レンダイは聞いた。レンダイはすごくそれが気になっていたのである。

「ああ。その通りだ。こんなにも柔いガードの機関の陥落はおれ一人で十分だ」

「言ってくれますね。だとしたならば、ウィライザーくんは再び入牢することになったとしても後悔しないで下さいよ!」レンダイはそう言うと『突撃のウェーブ』でウィライザーに攻め入った。レンダイの気迫は十分である。ウィライザーはそれを避けてレンダイの横に回り込んだ。ウィライザーは顎でレンダイを叩こうとした。しかし、レンダイの方はその攻撃を自分の顎で阻止をした。ガキン!

『ローレスの戦い』によって『西の海賊』に倒されたノートンとソウリュウによって倒されたクラーツと『シャイニング』によって倒されたセリケウスとホーキンスといった面々がウィライザーの救出作戦における目標の虫達である。それはレンダイにも察しがついている。ただし、レンダイは知っているが、ウィライザーは知らない事実がいくつかある。そばにいた看守の一人であるオスのメンガタハナムグリは応援を呼ぶべく駆け出して行った。ウィライザーによって投げ飛ばされてしまっっていたレンダイはそれを見ると心強くなった。レンダイは起き上がって素早い動きでウィライザーを投げ飛ばすと口を開いた。

「シラキさんも直にやって来ます。君は間違いなく捕まるでしょう。今の内に観念したらどうです?」

「笑わせてくれる。それはおれの本当の実力を知らないから、出てくるセリフだ。言っておくが、お前は助けがやって来るまで立っていられるとは思うなよ」ウィライザーはそう言うと独自の奥義を放つ構えに入った。しかし、レンダイは先手必勝の『突撃のウェーブ』を使おうとした。ウィライザーとレンダイの間にはその時に『進撃のブロー』の鎌風がやって来た。ウィライザーは意外そうにした。

「止めろ!そこまでだ!」第三者はそのように言うとウィライザーとレンダイの間に割って入った。ウィライザーは奥義を使う前だったが、すでに飛び始めていたレンダイは爆風の余波で転がってしまった。

レンダイはそれでも前を見ると絶望的な気持ちになった。レンダイはてっきりと自分の味方が来てくれたのだと思っていたのにも関わらず、その第三者とは革命軍のポイント・ゲッター的な存在であるショウカクだったのである。レンダイはショウカクと対戦をして一度の敗北しているので、レンダイにとってはまずい事態である。レンダイはそれでも挫けることなくやるだけはやるつもりである。

レンダイはここ『監獄の地』で骨を埋めるつもりなのである。しかし、事態は意外な方向に向かった。ショウカクはレンダイにとってまるで天佑神助のような意外な言葉を口にしたのである。

「スタンド・プレーはよせ!ウィライザー!お前って奴はどうしてそうなんだ?本拠地に帰るぞ!」

「何だと?ショウカクこそ無用な心配はよせ!これからがおもしろくなって来るんだ」ウィライザーは納得ができない様子である。ショウカクはそれに対して順を追って説明をした。

「お前はただ単に戦って暴れたいだけだろう?お前はおれっち達(革命軍)にとって重要な戦力だ。失う訳には行かない。ウィライザーが脱獄したあの時はオウさんとキリさんがいたから、事件は成功したんだ。今ではそれでなくともそれなりの対応が取られているはずだ。なあ?レンダイさん。おれっちの意見は間違っているかい?そんなはずはないよなあ?」ショウカクは同意を求めた。

「ええ。その通りです。クラーツ達は今この地にいません。重要な囚人である現在の彼等は別々の地で檻に入っています。もう一つ言わせてもらえるのであれば、ここには直に『スリー・マウンテン』の何人かは来てくれる手筈になっています。そうなれば、さすがの君達だって無事ではすまないはずです」

「そういうことだ。おれっち達はここで暴れる意味はない。ここにいることはどう考えたって害にはなっても益にはならない。革命軍の戦力ならば、フィックスやハヤブサだっているんだから、ウィライザーに心配してもらわなくても問題はない。帰るぞ!」ショウカクは歩き出した。

「今回ばかりはショウカクの言う通りにするとしよう。お楽しみはお預けということか」ウィライザーはそう言うとショウカクと共に撤退して行った。ウィライザーは酒宴のようにしてコンゴウとヒュウガの持ってきた調合ずみの樹液を食している時に何気なく『監獄の地』の襲撃を仄めかしていたので、ショウカクはウィライザーについて目を光らせていたのである。ショウカクはその甲斐あってすぐに部下からウィライザーの行く先を聞くとウィライザーに追いつくことができたのである。

ショウカクはウィライザーが革命軍の不協和音とならないようにするためにいつもウィライザーに関するアンテナを張っているのである。面倒には思っているが、ショウカクはその役目をちゃんと果たしているのである。ショウカクという男は抜け目がないのである。

 レンダイの元には10匹の看守達とシラキがやって来た。しかし、事態は収束しているので、レンダイは丁寧に今あったことを説明した。駆け付けたシラキ達はそれを聞くと三々五々に散って行った。彼等は皆が大事に至らなくて一様に安堵をしている。その後『スリー・マウンテン』の一人であるショシュンはこの地にやって来た。しかし、ショシュンはシラキ達の時と同じようにしてレンダイから事態は終結したという事情を聞かされることになった。ただし、ショシュンはそれを聞いても気を緩めることをしなかった。

「大きな損害が出なかったのはよかったよ。だけど、負傷者もいるのならば、彼等にはゆっくりと体を休めるように言ってくれるかな?安心してくれ。レンダイ。君達には自分達『スリー・マウンテン』がついているんだ。心細くなっただけの時でもいいから、これからも気軽に自分達のことを呼んでくれ。いいね?自分は少なくとも逸早く駆けつけるつもりだよ」ショシュンは微笑んだ。

「ありがとうございます。ショシュンさんのおかげで元気が出ました。これからはより一層の努力をして私も職務に当たろうと思います」レンダイは本当に感激をしている。

 その後のショシュンは数匹の看守達と看守長のシラキにも言葉をかけて最後はレンダイに見送られて『秘密の地』に帰って行った。ショシュンはやさしさに満ち溢れた性格をしているのである。

 レンダイは今日の出来事によっていよいよスイッチを入れ直した。レンダイは『来るのなら来い!』と度胸が据わったのである。影響を受けたのはレンダイだけではなかった。

 看守長のシラキを初めとした『監獄の地』のメンバーだけではなくて『スリー・マウンテン』を含めた国王軍にも今日の小競り合いは緊張感を増幅させる結果になった。


今日の夕景は夕日によって辺りの木や草が茜色に染まっている。遠方では夕雷が鳴っている。雨は降っていない。空は夕雲で覆われている。時々聞こえる雷以外はひっそりとした日没である。

 今日のテンリ達の4匹はそのような状況の下で休息を取ることにしていた。現在地はまだ『偉人の地』である。後三日も歩けば、この地を抜けることはできる。しかし、テンリ達は焦らずにゆっくりと旅をしている。だから、今はまだこの地で野営をすることに決めたのである。

今のシナノは木の幹で樹液を吸いっている。テンリは『魔法の地図』を使って地上でこれからの目的地を確認している。ミヤマはダンスの練習に励んでいる。アマギはシナノの宝物であるお馬さんの人形で遊んでいる。とても平和な日常のワン・シーンである。今までは民族舞踊フォーク・ダンスをしていたミヤマはそのダンスを止めて6足歩行に切り替えながらアマギに対して言った。

「アマ!それは貴重品だから、扱いにはくれぐれも注意してくれよ。もしも、お馬さんを壊すようなことがあったならば、小さいおじさんがどこからともなく現われて来て体当たりをしてくるぞ!まあ、それぐらいならば、アマにとってはまだいい方だよ。場合によっては破壊光線を放ってくるかもしれないよ。おお!怖わい!くわばら!くわばら!」ミヤマは普段と変わりもなく調子に乗っている。

「あはは、小さいおじさんって何の話だよ。それじゃあ、こうしよう!ここに安置しておけば、お馬さんは絶対に安心だ」アマギはそう言うとミヤマの背中の上にお馬さんを置いた。テンリはそれを見て二人のそばで微笑んでいる。ミヤマはいつもの通りに調子に乗り始めた。

「そうそう。ここに置いておけば、絶対に安全の保障付きだ。神棚のようにして神聖で押し入れのようにして気軽に置ける。これこそは改良に改良を重ねてやっと実現したミヤ・ラックだ!さあ!今ならば、お安いですよ~!そこの奥さん!どうです?って、アホか!ミヤ・ラックってなんじゃい!」ミヤマはつっこみを入れた。アマギはそんなミヤマに対して『やんや!やんや!』の大喝采を送ってあげた。ミヤマは背中からお馬さんを下してそばに置くとテンリの方を向いて言った。

「あちらに見えますのはミヤ・ラックの新型であるテン・ラックというものでございます」

「うわー!一転して下らなくなって・・・・・」アマギは余りにも驚きすぎて絶句をした。ミヤマは突然『ぐわー!』という切ない声を上げて成す術もなく一メートルも後方に弾け飛んで行った。シナノのお馬さんはまっ二つに『スパッ!』と切れてしまった。超特大の『進撃のブロー』はものすごい勢いで飛んできたからである。お馬さんはそれが直撃した。しかし、ミヤマはこれでも余波を受けただけなのである。

「おい!誰だ?何のつもりなんだ?」アマギは何者かに聞いた。答えの一つはテンリに付き添われているミヤマから口に出されることになった。奥義に直撃した訳ではなかったミヤマにはまだ意識はある。ミヤマがアマギの問いの答えを知っているということは攻撃した虫はミヤマの知っている虫ということである。先を越されなければ、テンリにもその答えを口にすることはできた。

「まさかとは思うけど、あれはキリシマか?」ミヤマは青ざめた顔をして言った。

「その通りだ。おれの名はキリシマだ。初対面だというのにも関わらず、おれの名を知っていてもらっていて光栄だよ。『アブスタクル』のミヤマくん」キリシマは平然とした口調で言った。キリシマは上述の通りにコーカサスオオカブトである。コーカサスオオカブトは三本の長い角を持って人間界でもパキパキ音を立ててどちらかが投げ飛ばすまで戦いを続けるという気性の荒さを持っている。

「何の恨みがあってミヤを攻撃したんだ?ナノちゃんの宝物は壊れたぞ!キリシマには何か言うことはないのか?場合によってはただではすまさないぞ!」アマギは意気込んだ。ただし、アマギは成るべくケンカ腰にならないように平静を保っている。アマギは短気ではないのである。

「なるほど。正義感が強い。これは厄介な虫だ。できれば、敵に回したくはない」キリシマは言った。

「アマ。おれはいいよ。かすっただけだ。怒る程のことでもない」ミヤマは言った。テンリは付言した。

「そうだよ。悲しいことだけど、ナノちゃんは許してくれるよ。だから、見逃してあげよう」

 アマギは黙り込んでいる。アマギにもテンリとミヤマの意図がわからない訳ではない。二匹はさすがのアマギでもキリシマには勝てないのではないかと危惧しているのである。キリシマの強さはそれ程までに王国の皆から恐れられているのである。テンリはミヤマに対して目配せをした。

テンリはキリシマの体格の大きさだけではなくて本物の威圧感みたいなものを肌で感じ取っているのである。ミヤマはそれに呼応して更にアマギの士気を収めさせようとした。

「キリシマは技の練習をしていてそこに偶然おれがいただけだろう。それならば、ただの事故だよ」

「わかった。本当はキリシマの謝罪の言葉を聞きたかったけど、テンちゃん達がそう言うならば、おれはキリシマを許す。キリシマはもう行っていいぞ。おれはこのことを忘れることにする」アマギは言った。

「これは驚いた。『アブスタクル』は名を上げるだけあってやはり筋の通った一端の信念と騎士道精神を身につけているみたいだな?あの程度の攻撃を避けられなかった時は幻滅したが、おれは気に入ったよ。おれは今『行っていい』と言われたが、そういう訳には行かない。おれはお前等『アブスタクル』に用があってここまで来たんだ。一つの要件だ。いや。場合によっては二つだな」キリシマは真剣に言った。

「何だ?それなら早くそれをすませてくれ。おれはもう寝るんだ」アマギはつっけんどんに言った。テンリとミヤマは緊張の面持ちである。シナノはこのタイミングでこの場にやって来た。お馬さんを見たシナノはこの上なく悲しそうな顔をした。しかし、シナノはそれを声には出さなかった。シナノはこの場の異様さに気づいているのである。キリシマは皆からの注目を浴びてやっと重たい口を開いた。

「おれの要件は至って簡単だ。革命軍のメンバーとしてお前等を招待したい。いや。君達を招待したい。メリットはお互いにあるはずだ。おれ達にとってみれば『アブスタクル』という敵がいなくなって戦力を補強できる。君達にとってみれば、命を狙われることはもうなくなって革命の成功後はそれなりの地位を得られることになる。悪い話ではないだろう?答えを急ぐことは・・・・」キリシマはセリフを途中で遮られた。

「断る!おれは他の虫を傷つけて虐げるような政策が嫌いなんだ!この考えは変わらない!」アマギは自信を持って言った。この場だけは手下になっていつかの反撃のチャンスを窺った方がいいのではないだろうかと考えていたが、シナノはアマギの決意を知ると考えを改めることにした。

「そうか。結論を急ぐことはないと思うが、おれも無理にとは言わない。もう一つの要件だ。内の傘下の海賊のハヤブサと内で重要な地位にいたセリケウスとホーキンスの仇は今おれが果たさせてもらおう。この場にいる者はもう全員が死んだものと思え!」キリシマはドライな口調で言った。キリシマは羽を広げて『突撃のウェーブ』を使おうとした。しかし、アマギはそれを見越してキリシマに組みついた。キリシマはすぐにアマギを放り投げてアマギに向かって木に穴を空ける程の突きを繰り出した。この奥義は『衝撃のスタッブ』である。アマギは簡単にそれを避けた。しかし、キリシマは振り向き様に再びアマギに向かって特大の『進撃のブロー』を二発も繰り出した。それはアマギのそれよりもずっと大きかった。それを避けることしかなできかったアマギはその攻撃にかすってしまった。

テンリはアマギが吹き飛ばされている内にグロッキーの状態になってしまった。キリシマは地面を角で叩いて地割れを起こすとそれはテンリに向かって伸びてテンリは下からの爆発にあって弾け飛んだ。この奥義は『追撃のクラック』である。『追撃のクラック』は一瞬の内にそれだけのことが起こるので、回避は難しいのである。テンリは激しい痛みを伴って意識を失ってしまった。

「ちくしょう!キリシマはどうしてこんなことをするんだよ!」ミヤマはそう言うとキリシマに対して突撃をした。しかし、ミヤマはあっという間に弾き飛ばされて気絶してしまった。ミヤマはキリシマから『突撃のウェーブ』を食らってしまったのである。シナノはテンリとミヤマを庇うべく二匹の前に進み出た。

「くそっ!テンちゃんとミヤまで巻き込まれて負けてたまるか!うおー!」アマギはそう言うと全力を出し切ってキリシマに向かって『進撃のブロー』を三発も連続で放った。これはキリシマがどこに逃げても一発は当たるように計算したものである。しかし、当のキリシマは全く動じなかった。

「この程度がアマギの限度か?」キリシマはそう言うと『急撃のスペクトル』で自分の残像を見せて色々な所から『進撃のブロー』を放った。キリシマの強力な奥義はアマギの奥義を粉砕しただけではなくて回避をしようとするアマギと逃げ惑うシナノに対して一つずつ直撃をした。桁外れの身体能力を持っているキリシマはダイナミックな技を連発しても少しも息を切らしてはいない。これこそは革命軍のナンバー・ツーの実力である。キリシマは重傷を負って意識を失ったテンリ達の4匹を見て呟いた。

「我ながら下らない時を過ごしたものだ。手抜かりは禁物だ。こいつ等は一匹ずつ確実に息の根を止めて行くとするか。まずは・・・・うっ!」キリシマは左横から来た『進撃のブロー』を完全には避けきれずにそれを体をかすめた。攻撃の主はアマギである。キリシマはそれに気づくと少し態度を改めた。

「驚いたな。アマギは『セブン・ハート』を受けてもまだ動けるのか?この情報は入っていなかったな。おれは少しアマギを見くびっていたようだ。心してかかるとしよう」キリシマは言った。

「おれは負けない!テンちゃん達の無念はおれが晴らすんだ!うおりゃー!」アマギはそう言うと『進撃のブロー』を二発も連続で放った。しかし、これは次の攻撃への布石である。

アマギはキリシマが同じく『進撃のブロー』でアマギの攻撃を打ち消している隙にキリシマの横に回り込んで接近をして角で地面を擦って『迎撃のブレイズ』を使おうとした。

その時のキリシマはすでに宙を飛んでアマギの後方に回り込んでいた。キリシマは『突撃のウェーブ』を使ったのである。さすがのアマギもこれによって意識を失ってしまった。

後には無傷で完全なる勝利を収めたキリシマが残っているだけである。日は沈みかけている。テンリ達の4匹は圧倒的なキリシマとの実力差の下で全滅をしてしまった。


 時間は例え虫がどんな体験をしたとしてもいつもの通りに過ぎ去って行くものである。その体験がつらいことならば、普通はあっという間に過ぎ去ってもらいたいものである。その苦しい時間はいつかは必ず終わるものである。そう信じることは慰めになることもある。テンリは一夜を明けた夕刻に目を覚ました。少しぼんやりしていたテンリは何があったのかを思い出した。テンリは命を奪われていないということに気づくと意外に思った。テンリには心の準備なんてできていなかったが、キリシマは自分達のことを亡き者にしてしまうとばかり思っていたからである。現在地はテンリが意識を失う前と同じである。

「アマくんはもしかしてあれからものすごく強いキリシマっていう虫さんを倒してくれたの?」テンリは視界に入っていたアマギに対して話しかけた。テンリはアマギも無事そうで安堵をしている。

「おお!よかった!テンちゃんも無事だったか!だけど、それは違うよ。おれもさっきまで気絶をして眠っていたんだ。キリシマにはおれも勝てなかったんだ。おれが付いていながらこんなことになるなんて本当にごめんな。お詫びのしようがないよ」アマギはすっかりと落胆してしまっている。

「アマくんは何も悪くないよ。アマくんはいつもぼくのことを守ってくれるから、アマくんのしてくれることはそれだけで十分だよ。アマくんはぼくにとって変わらずにヒーローのままだよ」テンリは言った。ミヤマは前に進み出た。ミヤマは今までテンリの後ろでシナノのことを見守っていたのである。

アマギは『セブン・ハート』を二つも食らっておきながらも最初に意識が戻ってミヤマは次に目を覚ましていたのである。しかし、シナノは未だに困睡状態のままである。

「アマは確かにおれ達の中で一番に強い。だけど、アマはだからと言っておれ達の身を守ってくれるガード・マンという訳じゃない。おれはテンちゃんと同じくアマにこのことで気に病んでほしくはないよ。話を変えよう。キリシマはどうしておれ達のことを殺さなかったんだろう?おれ達には『死んだものと思え』って明言していたよな?何らかの理由で気が変わったのかな?」ミヤマは厳かな口調で聞いた。

「ああ。そうかもしれないな。はっきりとした理由は今の所はわからないけど、チャンスはこれで生まれたな?そうだ。ナノちゃんならもしかしたらキリシマがおれ達に止めを刺さなかった理由を推察できるかもしれないな?」アマギは思い出したようにして言った。シナノは頭が切れる女の子だからである。

「ナノちゃんはまだ眠っているみたいだけど、起きたらまたあの時のことを思い出して怖い思いをしちゃうかもしれないね?お馬さんはナノちゃんのパパとママとの思い出が詰まった宝物のおもちゃなのに壊れちゃったなんてあまりにもかわいそうだよ。ぼく達はナノちゃんの支えになってあげないといけないね?」テンリは不安げにして言った。テンリは心からシナノのことを心配している。

「ああ。そうだな。テンちゃんはやさしいしくてしっかりしているな?あの出来事はテンちゃんにとってもトラウマになりかねないものだったのにな。おれはテンちゃんの力強い言葉を聞いて安心したよ。そういえば、アマはさっき『チャンスはこれで生まれた』って言っていたよな?それはただ単に一命をとりとめたっていう意味で言ったのかい?」ミヤマは不思議そうにして問いかけた。

「いや。違うよ。キリシマを倒すんだ。おれは皆をこんな目に合わされてナノちゃんの宝物まで壊されて泣き寝入りはしない。キリシマと次に会った時は負けない。だから、おれは再戦のチャンスが生まれたって言ったんだ」アマギの口調は真剣そのものである。テンリとミヤマは肌でそれを感じ取ることができた。だから、テンリとミヤマの二匹はそれを止めはしなかった。テンリはその代りとして助言をした。

「ぼくはアマくんを信頼しているけど、アマくんはまた戦った時に少しでも負けるかなって思ったら必ず逃げてね?逃げることもきっと立派な戦法の一つだよ」テンリは力強く言った。

「うん。わかった。折角の助かった命だ。おれは見す見すと棒に振るようなことはしないよ。おれにはいつも一緒にいてくれる大切な仲間がいるもんな」アマギはとてもうれしそうである。

「話は一段落したから、ご飯にしよう。おれ達は丸一日も何も食べてないから、皆も腹ペコだろう?腹が減っては戦はできぬだよ」ミヤマはそう言うと手近の木に攀じ登り始めた。

 テンリとアマギの二人もミヤマと一緒に食事を取ることにした。三匹はもうキリシマのことを話題にはしなかった。これ以上は皆が嫌な思い出を思い出して苦しむことはないと思ったのである。

 サセボも言っていた通りに旅をしていると時に大変なこともあるというのはわかっていたが、テンリとアマギもさすがにこれ程までの試練に遭遇するとは思いもしていなかった。

 昨日の出来事はティーン・エージャーのテンリ達にとっては相当な恐怖を伴って同時に挫折感も味わうことになった。しかし、アルコイリスを目指して旅を続けて行くことに変わりはない。


 『シャイニング』の4匹は翌日にシナノが目を覚ますと旅を再開した。テンリ達はそれぞれの想いを胸にしていつもよりも気を引き締めて歩を進めている。

アマギは一度の勝負に負けた位では長期間も落ち込むことはない。アマギは長い間そういうような悪い思い出を覚えていないという幸せな性格の持ち主なのである。

つい最近に対ホーキンス戦によってまた少し勇気というものを身につけたミヤマは悪夢のような出来事を忘れようと皆に対して必死に明るい話題を提供しようとしている。

神経質な性格のテンリは心に傷を負ったが、アマギのような明るい性格のよき友がいるので、他の虫が怖くなるようなことは免れた。テンリはテンリなりにがんばっているのである。

シナノは悲劇のヒロインを演じることをしなかった。シナノは皆の前では普段と変わりなく接していたのである。ただし、シナノにとっての宝物が壊れてしまったことは多大な精神的ダメージとなっている。他の三匹は気づいていないが、シナノはその証拠として雀の涙の食事しか取らなくなってしまった。しかし、シナノは皆には心配をかけないようにするためにそのことを隠している。

元はと言えば、アマギがシナノの宝物で遊んでいたから、お馬さんはキリシマによって壊されることになってしまったのである。だから、アマギはシナノに対して何度も謝った。しかし、アマギのせいではないということはわかっているので、シナノはアマギのことを恨んではいない。シナノはテンリの提案によってお墓を作ってお馬さんを土に埋めてしまった。悲しいお別れだが、気丈なシナノは涙を流すことはなかった。

 テンリ達は恐怖の体験から5日後にまだ事件の尾が引く中で耳寄りな情報を得た。気持ちが沈んでいる時に前を向いて歩けるようにするための心温まるお話を聞かせてくれるアウリーという名のおじさんがこの近くにいるというのである。キリシマとの一件があるだけにテンリ達には聞き流せない情報である。テンリ達の次の進路はこうして決まった。話題のおじさんを訪問することにしたのである。

目的地に到着した時の時刻は夜だった。アウリーはテンリ達がアウリーのいる木に登って行くと食事中だった。アウリーはオスのアウリガンスプラチナコガネである。

アウリーは体長が29ミリで銀色に輝く美しいコガネムシである。アウリーは鏡のように周囲の物を映し出す綺麗な体をしている。テンリはそれにびっくりした位である。

コガネムシは人間界に約1万7000種も分布している。成虫は種々の植物の葉を食べて幼虫は地虫やネキリムシと呼ばれる。そう呼ばれる理由はコガネムシが植物の根を食い荒らすからである。アウリーは食事中だと言ったが、アウリーは樹液ではなくて葉っぱを食べているのである。

「おやおや?まろの紙芝居を見に来てくれたのかな?」アウリーはテンリ達に気づくとまろやかな口調で話しかけてきた。アウリーはアポイントメントなしでも別に気にしてはいない。

「うん。そうなんだ。お話を聞かせてくれ。おじさん。ここいらではすごい有名なんだな?おれは楽しみにしていたんだ。早く話を聞かせてくれ!あれ?おじさんはさっき紙芝居って言ったか?それは何だ?」アマギは聞いた。アウリーではなくてシナノはそれに対して答えた。

「絵を次々に見せてその場面にお話を加えて行くタイプの見世物のことよ」

「そうか。おじさんが絵を描いたのか?」アマギは聞いた。アウリーは柔らかな口調で言った。

「うん。まろの特技はトークのうまさと絵のうまさなんだ。それらを融合して紙芝居を始めたんだよ」

「そうなんだ。アウリーおじさんはすごい才能の持ち主なんだね?」テンリは褒めた。

「いや。いや。まろはそれ程の虫ではないよ。まろには偶然そういうことができるというだけの話であってもしかしたらまろではなくて他の虫さんにその才能は花開いていたかもしれない。まろはこういうことを自慢しない主義なんだ。だけど、今日はもう遅いな。すっかりと暗くなってしまった」アウリーは言った。

「そうか。今日はもう終わりなんだね?」テンリは聞いた。しかし、アウリーは否定をした。

「ううん。いいよ。それじゃあ、紙芝居を始めようね」アウリーは準備を始めた。

「いいのかよ!それじゃあ、どうして『もう遅い』なんて言ったんだよ!」ミヤマはつっこんだ。

「ああ。あれね。あれはアウリー・ジョークだよ。おもしろいでしょう?さっきから見ていれば、君達は何だか落ち込んでいるみたいだね?」アウリーは言った。アマギはそれに対して反応をした。

「え?おじさんにはわかるのか?すごいな。さすがは心温まる話をするだけのことはあるな」

「え?当たったの?すごいな。たまには当たることもあるんだ」アウリーはのんびりしている。

「って、なんじゃそら!それも一種のアウリー・ジョークなのかよ!おじさんはものすごくのんびりとしているな!だけど、おれはおじさんが気に入ったよ」ミヤマは穏やかに言った。

アウリーはテンリ達と共に場所を移動すると特に何も言わずにすぐさま紙芝居を開始した。アウリーはいつでもマイ・ペースなのである。テンリは『お願いします』という言葉をかけ損ねてしまった。しかし、聞いてもらっているいう感じで低姿勢なアウリーは別にそれを不愉快には思わなかった。

 詳しくしている部分もあるが、以下はその大まかな内容である。題名は『精一杯のがんばり』である。そのタイトルは何だかよさげなので、テンリは期待を膨らませた。


 昆虫界の大抵の住民は長生きである。人間も又そうである。だから、色んな経験をして色んなことを知って色んな幸せと遭遇する。でも、つらい経験をするもある。そんな時はもう生きていきたくないと思う時だってあるかもしれない。しかし、生きていれば、いつかはまたいいこともあるかもしれない。

虫や人はどんな立場に立たされても決して一人ではないからである。生きていれば、誰かが必ず手を差し伸べてくれるはずである。虫にしても人にしても誰もがやさしさというものを持っているからである。虫や人は性善説を取っても性悪説を取っても誰もがやさしくなれるのである。そんな人生が後わずかだと宣告されたならば、どうだろうか、幸せな虫は絶望するかもしれない。不幸せな虫は自棄になってしましまってもうどうでもいいと思ってしまうかもしれない。例えば、死を望んでいる虫や人がいたとしてもいつでも誰かが死んでしまうということは深い悲しみが伴うものである。生ある者は皆いつかは幸せを手にする権利があるからである。だから、できれば、避けることのできない死は先に延ばしたいと思うのが人情である。

 成虫になってからはそんな中で平均して10日前後しか生きられないという切ない境遇に立たされる生き物がいる。それはセミである。脆くも儚い一生を送ることになるセミは自分達の境遇をどのように感じているのか、どのように思っているのか、想像するのは難しいことである。アブラゼミやミンミンゼミは7年間も幼虫で過ごしている。中には17年も幼虫で暮らすセミもいる。夏だけではなくて春になると成虫になるセミもいる。ハルゼミはその一例である。セミは約3000種が知られていてテイオウゼミのような13センチ位の巨大なものからイワサキクサゼミのような2センチ程のものもいる。

これは人間界のとある山奥での物語である。土の中からはもぞもぞと体長46ミリ程のツクツクボウシの幼虫が這い出て来た。彼の名はツクツクである。そのすぐ横からは体長32ミリ程のチッチゼミの幼虫が土中から顔を出した。彼の名はチッチである。その二匹は揃って同じ木の幹に上ると羽化をした。セミにとっては第二の誕生の瞬間である。ツクツクは少し落ち着くとそばにいるチッチに対して声をかけた。

「やあ!ぼくはツクツクっていうんだ!調子はどう?ぼくは結構いい感じ!」

「ぼくはチッチだよ。ぼくもいい感じみたい」チッチは弱々しく言った。これはチッチの個性である。

「一緒に羽化をしたから、ぼく達は何だかいい友達になれそうな気がしない?」

「うん。そんな気がするよ。これを見てよ。ぼく達は今までこんな姿をしていたんだね?」チッチは抜け殻のことを言っている。ツクツクはそれに対して答えた。

「本当だね。今のぼく等は幼虫の頃と比べると結構いい感じだね?そうだ。早速だけど、鳴いてみようよ!ぼく達はきっといい声で鳴けると思うよ。ツクツクボーシ!うん。いい感じ!ほら!チッチくんもやってごらんよ!きっとすばらしい鳴き声を奏でられるよ。ぼくにでもできたんだもの!」

「ぼくにはあんまり自信がないや。それ!チッツッツ!」チッチは鳴いてみた。

「うまい!うまい!コンテストは今から楽しみだね?ぼく達は決勝戦で戦えるかもしれないよ。これからのぼく達は自由に鳴いて自由に飛び回れる!これからはきっと楽しい毎日が送れるようになるんだ!やっほー!」ツクツクはそう言うと大空を飛び回った。チッチはその後に続いて宙を舞った。その後のツクツクとチッチは一緒に遊ぶことにした。ツクツクとチッチは追いかけっこをしたり、わざと変な声で鳴いてみたりして二人で友好を深めることにした。ツクツクとチッチの二人は一期一会という言葉がある通りに出会いを重んじる。二匹は誰とでも仲良くなりたいというとてもフレンドリーな性格をしているセミなのである。

 セミは自分自身が短い一生だということはわかっている。だから、ツクツクとチッチは精一杯に悔いのないように生きようとすでに決めている。ツクツクとチッチはたったの一日で親友になった。


 セミにとっての一大イベントであるコンテストは翌日になると開かれることになった。セミには成虫になった次の日に鳴き声の美しさを競うための集まりがある。参加するセミの数は約10匹である。

参加資格を持つツクツクとチッチは一緒にその会場に足を運んだ。二人はエントリー・ナンバーを貰って順番を待つことにした。夏の間は毎日この大会は開かれて多くのセミが優勝を狙ってやって来る。セミの価値は鳴き声だけで決まる訳ではない。しかし、このコンテストはセミの楽しみの一つなのである。

「ねえ。ツクツクくん。ぼくは何だか胸がドキドキしていて落ち着かないんだよ。これはなんとかならないかな?ぼくはきっと小心者なんだね?」チッチは多くのセミに囲まれて緊張気味である。

「大丈夫だよ。そんなことは気にしちゃいけないよ。チッチはいっその事そのドキドキを皆にも聞いてもらったらどう?ははは、冗談!冗談!チッチは自信を持っていいんだよ。少しはどんなセミでも緊張をするものだよ。もちろん。ぼくもそうだよ」ツクツクは言った。隣にいたツマグロゼミは不意に話しかけてきた。

「あれ?まさかとは思うけど、君はツクツクくん?多分そうだよね?」

「うん。ぼくはツクツクだよ。だけど、君はどうしてぼくなんかの名前を知っているの?」

「ぼくなんかってそんな見え透いた謙遜をしなくたっていいよ。君のことは皆が知っている。だけど、ぼくは君が血統を自慢するような傲慢なセミじゃなくてうれしいよ」

「話が見えないんだけど、ぼくは有名なの?どうして?」ツクツクは聞いた。

「誰も教えてくれなかったの?君は代々鳴き声のいいセミが生まれてくる家系の虫なんだ。言ってみれば、サラブレットなんだよ。いやー!会えてよかったよ。それじゃあ、優勝を目指してがんばってね!」

「ありがとう。君もがんばってね!チッチは今の話を聞いた?びっくりしちゃったよ。ぼくは担がれたのかな?今のセミくんはやさしそうなセミくんだったから、ぼくは本当にサラブレッドなのかな?いやー!参っちゃうな。ぼくはそんな器じゃないのにな」ツクツクは謙遜をした。

「そんなことはないよ。ぼくはツクツクくんを初めて見た時からツクツクくんは普通のセミと違った風格を兼ね揃えているなって思っていたんだよ」チッチはツクツクの事を囃し立てた。

「冗談でしょう?チッチはいずれにしてもお世辞がうまいね?だけど、ぼくは血筋を重視しないよ」

「それじゃあ、ツクツクくんはこれからもぼくみたいな小心者とも友達でいてくれる?」

「もちろんだよ。ぼく達は死ぬまでずっと友達のままだよ。だけど、チッチの方は嫌じゃない?」

「そんなことはないよ。痛て!」チッチは何者かにど突かれてしまった。チッチは無理にそばを通ろうとするエゾという名のセミによって突き飛ばされたのである。エゾは体長68ミリのエゾゼミである。エゾはチッチに対して何も言わずにどこかに行ってしまった。ツクツクは心配をした。

「大丈夫かい?謝りもしないなんてひどいね?彼だけにはぼくも負けないようにしよう」

「気を使ってくれてありがとう。ツクツクくんはやさしいね?だけど、ぼくがこんな通路にいたのが悪いんだよ。今のセミさんにもきっと悪気があった訳じゃないよ」チッチは取り繕った。

「そうかなあ?というか、チッチの方がずっとやさしいよ。ぼくもチッチを見習わなくちゃね?」ツクツクにはちゃんと学習能力がある。先程のエゾの発表はその時にちょうど終わった。方々からは大きな歓声が聞こえて来た。エゾの音色はすばらしいものだった。ツクツクは闘志を燃やしている。

 コンテストはその後も順調に進んでいよいよチッチの番はやって来た。初めての晴れ舞台なので、とても緊張してはいるが、今ではチッチもベストを尽くそうと心に決めている。

「よっ!真打の登場だ!チッチは自信を持って慎重にがんばって!」ツクツクは囃し立てた。チッチは激励を受けて力一杯に鳴いて見せた。しかし、チッチの発表は途中で遮られてしまった。

審査員は『もう止めていい』という意思を表示したのである。ただし、三匹の審査員の内の二匹はそのように主張したが、体長およそ40ミリのニイニイという名のニイニイゼミだけは最後まで音色を聴きたいと言い張った。しかし、結局はその願いは聞き入れられなかった。

「なんて横暴なんだろう!チッチの鳴き声のよさがわからないなんて今日の審査員はダメだね?」ツクツクはチッチが自分の所に戻って来ると不平不満を述べた。

「そんなことはないよ。妥当な判断だよ。ぼくには才能がないんだよ」チッチは落ち込んでいる。

「そんなに自分を卑下しちゃいけないよ。ぼくは呼ばれた!ぼくはもう行かなくちゃ!ぼくはチッチの仇を打ってあげるからね!大丈夫だよ。ぼくはきっと審査員をぎゃふんと言わせてあげるよ」ツクツクはそう言うと大急ぎで審査員の前に出た。ツクツクは結果的にすばらしい音色を聞かせて審査員は大いに驚くことになった。これにはチッチも大喜びである。ツクツクの鳴き声の音色は回を追うごとに段々と洗練されて行っている。それを見ていたエゾは密かにそれを快く思ってはいなかった。

 コンテストは決勝戦まで進んで行った。その組み合わせは準決勝を勝ち抜いたツクツクとエゾである。コンテストは準決勝ですら大いに盛り上がっていた。だから、決勝はそれ以上の大盛況が予想される。

 ここは山奥だから、控室なんていう大層なものはないが、今のツクツクは出番まで待機をしている。ツクツクのにわかサポーターであるチッチはツクツクよりも不安そうである。

「ぼくはまたドキドキしてきたよ。本当はツクツクくんじゃなくてぼくが気を揉んでもしょうがないんだろうけど」チッチは言った。チッチは生まれつきの小心者なのである。

「安心して大丈夫だよ。ぼくは結構いい感じだよ。優勝は狙うけど、ぼくは負けても悔いが残らないようにベストを尽くすつもりだよ。さあ!一世一代の大勝負だ!」ツクツクは意気込んだ。

「ツクツクくんはすごく格好いいね?ぼくにはとても真似ができないよ。もしも、ツクツクくんは優勝してもツクツクくんはそれでも落ちこぼれのぼくと友達でいてくれる?」チッチは聞いた。

「もちろんだよ。これはさっきも言ったけど、虫はどんなに境遇が違っていても友達になることができるんだよ」ツクツクは胸を張って言った。エゾは突然この場にやって来た。

「よう!ツクツク!ここまでの経過は大凡5分5分だが、決勝では負けないぜ!言ってみれば、ツクツクは生まれる前から恵まれた才能を保証されていた天才だ。しかし、ツクツクはいつまでもそのイスに座っていられるとは思うなよ。おれみたいな成り上がりの逆襲はいつ襲って来るかはわからないものだ。おれは昨日一人で一日中レッスンをし続けていたんだ。おれは必ず才能を努力で越えて見せる。勝つのはあくまでもおれだ!おれはそれだけが言いたかったんだ。あばよ!」エゾは言いたいことを一方的に言うとすたすたとこの場を去って行ってしまった。チッチは呆然としている。ツクツクは不意に喜び始めた。

「ねえ!チッチは聞いた?エゾくんは間違いなくぼくのことを天才だと言っていたよ!参っちゃうな!」

「うーん。挑発されたことについては何も言わないなんてやっぱりツクツクくんはすごいんだなあ。大物っていう感じだね?」チッチはすっかりと感心してしまっている。ツクツクはそれとは対照的に今も有頂天になっている。その後はエゾから先に鳴き声の音色を辺りに響かせた。

「ギー!ギー!ギー!」エゾは持っている力の全てを出し切った。審査員の心象はそうなると当然のことながら悪くはなかった。その内の一匹であるニイニイは思わず唸り声を上げた程である。

 続いてはツクツクの番である。ツクツクは有名なので、歓迎の言葉は様々な所から聞こえてきた。チッチはそれを見るとドキドキしながらも自分まで誇らしい気持ちになった。

「審査員の方々も含めた皆さん!ぼくの鳴き声を聞いてくれてありがとう!ぼくは今日の締め括りとして決勝の名に恥じないように精一杯にがんばります。それではお聞き下さい。ジー!オーシン!ツクツク!」ツクツクは取って置きの音色をお披露目した。ツクツクはそれにしてもまるでコンサート会場で1000匹のセミを相手にするミュージシャンみたいだなと思ったが、同時にそれもツクツクの愛想のよさの一つでもあるのだなとチッチは感心をした。チッチはツクツクの鳴き声の音色に聞き入った。

 今日のコンテストの結果は出た。栄えある優勝者はツクツクである。ニイニイ以外の二匹はツクツクを選んだのである。ただし、その二匹はチッチの音色を最後まで聞いてくれなかった審査員なので、ツクツクにとっては何だか複雑な心境である。しかし、チッチは大喜びである。その後のツクツクは表彰台に上がって大歓声に包まれた。注目を浴びることに慣れている訳ではないが、ツクツクはそれでも堂々としている。ツクツクの隣にいる準優勝のエゾはツクツクに対して話しかけた。

「おめでとう。そう言うべきなんだろうな。しかし、おれはツクツクに負けたとは思っていないぞ。今日の審査員は偶然そう思っただけの話だからな。審査員は現に満場一致という訳ではない。この借りは近い内に返してやる。覚悟しておけよ」エゾは悔しさを滲ませて低い声で言った。

「へい。へい。わかっていますよ。ぼくは偶々鳴き声の綺麗なセミの家に生まれたっていうだけの話だ。だけど、ぼくはこれ位で驕り高ぶることはしないよ。エゾくんの演奏は本当にすばらしかったからね。ぼくはまだまだ練習を重ねないといけない。それ位のことならば、ぼくにもよくわかっているよ」ツクツクはそう言うと親友のチッチの所に向かって行った。この場に集まっていた多くの参加者や観客のセミは徐々に解散をして行った。今日のコンテストはこれにて閉幕である。

 エゾはツクツクを見送るとある一つの決心を胸にして孤独に歩き出した。エゾには未だにこれといった友達はいなのである。審査員の一人であるニイニイはエゾを追いかけて来た。

「エゾくん!順位は二番目だったけど、おめでとう!これはとても栄誉あるすばらしいことだよ。決勝戦はセミのコンテストの歴史上でも稀にみる大接戦だった。エゾくんか、ツクツクくんか、決めるのは審査員の一同もとても難しかった。しかし、私は君の鳴き声に対する情熱に心を打たれた。君はこれからもっと成長していけるよ。私は応援しているよ」ニイニイは呼びかけた。エゾは答えた。

「ありがとうございます。用件はそれだけですか?おれにはやることがあって急いでいるんです」

「ああ。それは悪かった。私はこれが言いたかったんだよ。どうだろう?私はエゾくんの鳴き声をよりよくするために手を貸してあげたいんだ。私にエゾくんのトレーナーをやらせてはくれないかな?無理にとは言わない。エゾくんには何やらやりたいことが他にもあるようだからね」ニイニイは言った。

「ええ。そうなんです。だから、折角ですが、お断りします。おれは自分の進むべき道を自分自身で決めたいのです。あしからず」エゾは成るべく失礼にならないように心がけて言った。

「そうか。いや。いいんだよ。私は差し出がましいことを言ってしまってすまなかったね。それでは元気でね?」ニイニイはそう言うと体の向きを変えた。ニイニイは少し寂しそうである。

「お気使いをありがとうございます。ニイニイさんもお元気で」エゾはそう言うと体の向きを変えてすたすたとニイニイの元から離れて行ってしまった。エゾは自分の世界観を持っているのである。

 この日の夜のツクツクとチッチは祝杯の代わりにすごくおいしい草の汁を食べた。ツクツクは多くのセミから人気を得ているが、親友はチッチだけなのである。チッチはもう気後れするようなことはなくなっている。二匹は出会ってからまだ二日も経っていないが、チッチとツクツクは互いを大親友だと思うようになっているのである。虫と虫の親密さは必ずしも付き合った時間の長さと比例するとは限らないのである。

「今日は感動したよ。ぼくは死ぬまでにツクツクくんのような男になりたいな」チッチは言った。チッチは今も今日のツクツクの活躍を受けてすごく恍惚とした気持ちでいるのである。

「ならなくていいよ。チッチは今のままでいいんだよ。ぼくはそう思う」ツクツクは言った。

「そうかな?ぼくは落ちこぼれで未熟者だけど、それでもいいのかな?」チッチは聞いた。

「チッチは落ちこぼれなんかじゃないよ。セミの価値は鳴き声なんかで決まる訳じゃない。だけど、向上心は重要かもしれないね?だから、努力はぼくも続けるつもりだよ」ツクツクは宣言をした。

「そうだね。ぼくもそうするよ。話は変わるけど、ツクツクくんはさっきエゾくんから挑戦状を受け取ったって言っていたよね?あれは具体的にはどういう意味なの?」チッチは不思議そうにしている。

「ああ。あれね。ぼくにもよくわからないんだよ。待っていれば、エゾくんの方からその内に連絡をしてきてくれるよ。それまではのんびりとしていよう。ひゃっほー!ぼく達は自由だ!」ツクツクはそう言うと辺りを飛び回り始めた。チッチは例によって例の如くその後に続いた。

 ツクツクとチッチは二人で遊びながらビビットな笑顔を見せた。虫はどんな時も自分のやりたいことをやるのがベストなのである。そうすれば、悔いが残らないからである。

 ツクツクとチッチは明日からも自由気ままに生きて行くつもりである。ツクツクとチッチは自分達の一生の短さを心得ている。ツクツクとチッチは一生が短いことを悲しくは思っていてもその運命を受け入れているのである。そういう意味ではツクツクとチッチは心の強い虫だとも言うこともできる。


 翌日のツクツクは目を覚ますとチッチと共に心ゆくまで鳴いた。鳴き声を響かせているセミはツクツクとチッチの他にも一杯いたので、今朝の山奥はとても賑やかである。人間界では熱い時間帯に鳴くセミは少なくて比較的に涼しい朝や夕方の方が多くの種類の鳴き声を聞くことができる。ツクツクとチッチはその法則に則っている。エゾは午後になるとツクツクとチッチの元を訪ねて来た。エゾが来ることはわかっていたツクツクとチッチもエゾのことはきちんと待っていた。エゾはツクツクに対して話しかけた。

「おれは昨日も話した通りにコンテストでの雪辱を晴らしに来た。逃げないよな?」

「もちろんだ。ぼくは逃げないよ。ただ一つ聞いておきたいんだけど、それは危険を伴う決着のつけ方なのかな?」ツクツクは応じた。その点に関してはチッチも心配そうにしている。

「そんなことはない。今回はレースをしようと思っている。単純な飛行レースだ」エゾは言った。

「そっか。それはよかった。ツクツクくんはよくぼくと一緒に飛び回ったから、ウォーミング・アップはもう万全だね?エゾくんも修業をしたのかな?」チッチは聞いた。エゾは答えた。

「ああ。短期間だったが、おれはそれに全精力を注ぎこんだ。悪いが、おれは負ける気がしない」

「おもしろくなってきた。チッチには審判をやってもらおう。チッチはゴール地点にいてもしも際どい勝負になったらどちらの方が早かったかを判定をしてね?」ツクツクはお願いをした。

「うん。わかった。ぼくは責任が重大だね?コースを決めたら一度は確認しておかなくちゃね?」チッチは言った。三匹は手ごろなルートを決定した。ずるはできないようにするためにルートは極力カーブの少ない道が選ばれた。飛行レースは準備が終わるとすぐにぶっつけ本番である。ルートはそこそこ長い中距離走である。そのルートはゆっくりと歩行して確認しただけで実際にはツクツクもエゾも本番まで本気では飛行をしなかった。もしも、飛行をすれば、ツクツクとエゾは疲れてしまって本番になった時に勝負に支障を来してしまうからである。レースはいよいよ開始である。チッチはゴールで待機をしている。開始の合図はツクツクとエゾが声を揃えて行った。ツクツクとエゾはどちらもフライングをせずに一発でスタートした。エゾは練習の成果を見せてぐんぐんとスピード・アップして行った。しかし、ツクツクは負けじとトップ・スピードを出してエゾを追い抜いた。ツクツクは振り返りもせずに呟いた。

「よーし!今のぼくは結構いい感じだ。このまま一気に決めてやる!ちょろい!ちょろい!」

「無駄だ!ハイ・スピードはいつまでも出し続けていられる訳じゃない。大事なのはペース配分だ。おれはその練習も積んできた」エゾはそう言うと焦らずに自分のペースで飛び続けた。

 レースの決着はついた。エゾの勝利である。エゾとツクツクとの差は約二秒である。チッチは興奮しながらも『勝者エゾくん!』と名を高らかに呼んだ。チッチは親友が負けてしまってがっかりしていてもそれとは関係なく誰とでも公平に接することができるのである。それはチッチのいい所である。

 ツクツクはよくがんばったが、敗因は最初に飛ばしすぎて体力を消耗してしまったことである。エゾは崖の下で息を切らしている。ゴール・テープのようなものは用意できなかったので、ツクツクとエゾの二匹は崖にタッチをすることでゴール・インしたことと見なすことにしたのである。

「何かに没頭するのはすごく楽しいことだね?ぼくとエゾくんの勝負はこれで5分だけど、エゾくんは第三ラウンドも何かやるつもりなの?」ツクツクは息を切らしながら問いかけた。今のツクツクはレースに負けてしまってもすごく清々しい気持ちでいる。チッチはそんなツクツクを眩しそうにして眺めている。

「そのつもりだった。しかし。止めておこう。おれは十分に満足することができた。後は精一杯に悔いのないように生きることだけが差し当たってはおれの目標だ」エゾはもう息を切らさずに答えた。

「エゾくんはもっと怖いセミくんのイメージだったけど、案外と穏やかな所もあるんだね?ぼくは何だか少しほっとしたよ。ぼくは小心者だからね」チッチは口を挟んだ。

「そうか。おれはチッチくんの誤解が解けてほっとしたよ。おれはそこらの不良と一緒にされていたらたまったもんじゃないからな」エゾは安堵している。ツクツクはそれを聞いて笑顔になった。

「そうだね。今まではごめんね。エゾくんはこれでぼくとツクツクくんの友達だね?ぼくは二人も友達ができてうれしいな。エゾくん!危ない!逃げて!」チッチは唐突に大声を上げた。エゾはまだ崖の下にいたのだが、そこでは崖崩れが発生してしまったのである。チッチから声をかけられたのにも関わらず、呆然としていたエゾは逃げるのが遅れてしまった。エゾは土砂に埋もれてしまうかと思われた。しかし、チッチはその時にその間に体を入れてエゾに一時の猶予を与えた。

エゾはその甲斐あって何とかそこから脱出することができた。しかし、チッチは激しい砂埃に包まれて土砂の下敷きになってしまった。チッチは土に埋もれて姿が見えなくなってしまった。

非常に危険な事態である。ツクツクは『チッチー!』と言うと青ざめた顔のまま必死になってチッチの上の砂を退かす作業に取りかかった。エゾは無言でその作業を手伝うことにした。

「そんな!チッチ!ぼくはこんな所でチッチとお別れをするなんて嫌だよ。死なないで!ぼくはチッチが生きていてくれたらもうエリートぶったりしないよ」ツクツクはそれだけを言うとそれきり黙々と砂を払い退けて行った。それはとても悲しい作業である。エゾはツクツクと同様にして悲しそうである。

チッチはようやく発掘された。ただし、チッチは深い眠りについていてツクツクとエゾの呼びかけには応えられなかった。現時点ではチッチの生死の行方は全く不明である。ツクツクとエゾの二人はチッチが意識を取り戻すまで付きっ切りでチッチを見守ってあげることにした。

 チッチはそれから二時間後に奇跡的に目を覚ました。チッチはとても運がいいことに比較的に土砂の少ない所の下敷きになっていたのである。ツクツクは歓声を上げた。

「わー!チッチ!ありがとう!生きていてくれてありがとう!ぼくはチッチが死んじゃったらどうしようかと思ったよ!」ツクツクは顔に満面の笑みを浮かべて感無量の体である。

「エリートぶるのを止めるんじゃなかったのか?」エゾはうれしそうな顔をして茶々を入れた。

「え?ツクツクくんは最初からエリートぶってなんかいないじゃない」チッチは不思議そうにしている。チッチは体力はまだ回復をしていなくてもしゃべれるようにはなったのである。

「えへへ、ぼくは頭が混乱していてとんでもないことを口走っていたみたいだね?ぼくはそんなことを本当に言っていたのかな?」ツクツクは疑問を呈した。エゾは少し嫌そうな顔をした。

「ああ。おれに対する当てつけなのかと思ってひやりとしたから、おれはよく覚えている」

「そうだ。エゾくんにケガはなかった?ぼくはそれだけが心配だったんだよ」チッチは言った。

「おかげさまで無傷だよ。チッチくんはおれの命の恩人だ。どうもありがとう」エゾは普段のクールな仮面を脱ぎ捨てて素直にお礼を言った。チッチはそれをやんわりと否定をした。

「お礼なんていいんだよ。ぼく達はもうお友達だものね?ぼくは柄にもなくあんなことをしてツクツクくんとエゾくんに心配をかけてごめんね。これからはちゃんと自分の立場を弁えるようにするよ」

「うーん。チッチはやっぱり謙遜しがちな所がよくないね?チッチの立場は自分が思っているよりもずっとしっかりしたものだよ。まあ、チッチとエゾくんは無事でよかったよ。本当はチッチの代わりにぼくが飛び込めば、よかったのかもしれないけどね。ぼく達はただでさえ短命なんだから、せめては寿命をまっとうしたいもんね?」ツクツクはしみじみとした口調で言った。

それについては命の危機に立たされたチッチとエゾも全く持って同意見である。崖崩れの件はツクツクとチッチとエゾの結び付きをより強固なものにした。命の大切さを学んだツクツク達はこの日のことを忘れずに生きていくことを誓って三匹で仲良く食事をした。三匹はまた明日も元気に朝を迎えられるようにぐっすりと睡眠を取った。死と断絶していれば、命の大切さは特に気にしていなくても生きて行ける。

しかし、たまには命の大切さについても想いを馳せてみるのもいいことかもしれない。生き物は色んな要因が重なってようやく生を受ける。生まれてこられたということはそれだけでとてもすばらしい奇跡なのである。その貴重さはどんな虫でもどんな人でも一律なものなのである。


 今日はツクツク達が成虫になってから4日目である。朝のツクツクとチッチは鳴いて暑い昼はごろごろして過ごしていた。ツクツクとチッチはご満悦の様子である。朝のツクツクとチッチは散歩もした。そこでは今日のコンテストの模様を見に行ったり、立ち話で他のセミの不祥事スキャンダルを聞いたりして過ごしていた。現在は昼である。感受性センシビリティーの豊かなチッチはついさっきまで地面に落書きをして遊んでいた。ツクツクは暇を持てあましていても幸せそうである。

「ん~!おてんとうさまも元気そうだ。ぼくも元気だよ。ぼくは結構いい感じ!退屈な時間は得てして歓迎をされないけど、何事もなく一日を過ごせるっていうことはいいことだよね?チッチはそう思わない?」すっかりとリラックスしているツクツクは明るい口調で聞いた。

「ぼくもそう思うよ。刺激に飢えている虫さんもいるだろうけど、ぼくは平穏な日常って好きだな。ポカポカな陽気は何かいいことが起こる前兆みたいだよね?」チッチは問いかけた。

「そうだね。ぼくもこういう気候は大好きだよ。ん?あれは確か鳴き声のコンテストで審査員を務めていたセミさんじゃないかな?おーい!」ツクツクは呼びかけた。ニイニイは足を止めてこちらにやって来た。鳴き声のコンテストの審査員は成虫になってから大体5日目~6日目のセミが担当をする。今のニイニイは成虫になってから8日目である。ニイニイは今日を入れて後3日位しか生きられないのである。それはニイニイも重々承知している。カウント・ダウンは虚しいものだが、ツクツクとチッチの世代は平均すると今日を入れて後7日しか生きられない。ニイニイは声をかけられるとうれしげな顔をした。

「やあ!君達だね?君達のことはよく覚えているよ。ツクツクくんとチッチくんだったよね?改めて言わせてもらうが、私はニイニイだよ。いい天気だね?こんな日は何にも考えずに羽を伸ばすのが一番だ。これは私の持論であって一般論ではないんだけどね」ニイニイは言った。

「そうなんだ。だけど、ぼくはそれと同意見だよ。ニイニイさんはよかったら少しぼくに鳴き声のレッスンをしてくれないかな?」チッチは遠慮がちに懇願をした。ニイニイはそれに対して二つ返事で承諾をしてくれた。ニイニイは分け隔てもなく少しでも皆が綺麗に鳴くことができるようになることを願っているのである。ツクツクはニイニイによるチッチのレッスンを楽しげにして観察をすることにした。ツクツクの鳴き声の音色はすでにエキスパートの域にまで達している。

「ニイニイさん。ごめんなさい。ぼくは呑み込みが悪いよね?だけど、ぼくは一生懸命にやったんだよ」鳴き声はレッスンが終わると少し上達したが、チッチは申し訳なさそうである。

「おや?おや?チッチくんの呑み込みが悪いなんていうことはないよ。だけど、そうだね。一生懸命に物事に取り組むセミの姿はかけがいのない程に美しくて格好のいいものなんだ。チッチくんの今の姿は掛け値なしで胸を張ってもいいんだよ」ニイニイはやさしい口調で言った。

「ありがとう。ぼくはニイニイさんのおかげで少し自信が出てきたよ」チッチはうれしげである。

「チッチの幸せとぼくの幸せはイコールなんだよ。今日はすごくいい日だな。いや。いい日は来る日も来る日も続いているけどね」ツクツクは成虫になってからの日々を回想している。ツクツクの一日目はチッチと友達になって二日目はコンテストで優勝して三日目はエゾと友達になって今日はニイニイと親交を持てたのである。自分は恵まれているなとツクツクはつくづく思っている。

「君達はとてもいいチームだね?だけど、チッチくんのレッスンをしている間のツクツクくんは少し退屈だったね?二人には後世へと伝えておかなくてはならない遊びを伝授させてもらおうか。急なことだけど、二人はそれでもいいかな?それはそんなに難しいことじゃないから、しゃちほこばる必要はないんだよ」ニイニイは聞いた。ツクツクとチッチは当然それを了解した。好奇心の旺盛なツクツクとチッチの二匹は新しいことに関しては何に対しても胸を躍らせてしまうのである。ニイニイが教えてくれたのは馬跳び・反復横跳び・走り幅跳びのジャンプ競技の3つだった。セミは羽を使ってはいけないのである。これらの陸上競技はこの地方のセミが人知れずに遥か昔から伝えてきた伝統芸能みたいなものである。

馬跳びではツクツクとチッチの相性のよさを窺わせる見事な連係プレーをやって見せた。ツクツクとチッチは元々運動能力が飛び抜けて低いという訳ではないのである。しかし、反復横跳びでは意外にもツクツクの鈍臭さが露呈してしまった。チッチの動きはそれに対して相当に際立ったものだった。ツクツクよりも14ミリ小さいチッチは小回りが利くのである。ツクツクはチッチの活躍を見ると大いに喜んだ。走り幅とびでは残念ながらツクツクもチッチも大した記録は残せなかった。セミの体型や身体能力では元々走り幅跳びでいい記録を出すのには無理があるのである。しかし、大切なのはこのような運動が先祖代々から伝わってきたという事実と今を生きるセミがそれをしっかりと覚えるということである。この三種類のジャンプ競技はこの地方のセミにとっての童歌やマザー・グースのような伝承童謡みたいなものなのである。

「よかったよ。私の教えを聞いてくれてどうもありがとう。本当はツクツクくんとチッチくんみたいにして素直に教えを聞いてくれる子ばかりならばいいんだけどね」ツクツクは意味ありげに言った。全ての仕事を終えたニイニイは役目を果たしてすごく安心をしている。

「ということは教えを素直に聞いてくれない子もいるっていうこと?」チッチは聞いた。

「うん。そうなんだよ。今は少し大げさに言ってしまったけど、最近の若者は些か素直でない子が多くなっているんだよ。こういう愚痴はいつの時代にも言われていることなんだろうけどね。私の若かった頃は私も『最近の若者はなっとらん!』っと言われていたんだろうね」ニイニイは自嘲をした。

「ははは、そういうものなんだ」ツクツクは笑った。チッチは話題を変えることにした。

「ぼくは前から少し気になっていんだけど、ニイニイさんは若い頃に鳴き声のコンテストでどんな成績を残したの?鳴き声のうまいニイニイさんはもしかして神童って呼ばれていたのかな?」

「そんなことはないよ。それは買い被りというやつだよ。私は準決勝で敗退してしまったよ。私はそれからというもの死にもの狂いで努力をしてコンテストの審査員を任されるようになったけど、私の実力は全体的に見て上の下っていう所じゃないかな。自分で言うのもなんだけど、努力は実を結ぶといういい例だよ。私はそんな程度の実力だから、他のセミの鳴き声はいいとか、悪いとか、本当はあれこれと言える程に偉い身分ではないんだよ。悲しいことにね」ニイニイはしんみりとしてしまった。

「そんなことはないと思うな。ぼくはチッチのレッスン中にニイニイさんの鳴き声を聞かせてもらっていたけど、ニイニイさんの鳴き声はとってもよかったよ。ニイニイさんは結構いい感じだよ。ぼくはそんなにも自分のことを分析できるなんてすごいことだと思うな」ツクツクは慰めた。チッチは更に加勢をした。

「ぼくもそう思うよ。高飛車じゃない所も審査員に選ばれた理由の一つなんじゃないかな?」

「どうもありがとう。老い先は短い命だけど、私は死ぬまでにそんなにも温かい言葉を聞けて本当に幸せ者だよ。私はこれでいつ逝ってしまっても悔いはない」ニイニイはそう言うと遠い目をした。

「それはちょっと言いすぎだよ。そんなことは言わないで」ツクツクは懇願をした。

「いや。私にも近い内にお迎えは来る。これは絶対に避けられないことだよ。今から覚悟をしておいても損をすることはきっとない」ニイニイは言った。今のニイニイは哀愁を漂わせている。

「それはそうかもしれないけど、ニイニイさんは死ぬのが怖くないの?」ツクツクは遠慮がちに聞いた。

「怖くない。そういったら嘘になるな。情けないけど、はっきりと言えば、私は死ぬのが怖いよ。私は今こうして普通に生きいていることがそうじゃなくなる。それは想像できないことだ。だから、死は万人にとっての何よりもの恐怖なんだ。ああ。こんな話をしてしまって申し訳ないね?若い君達にはまだ実感が沸かないだろうね?いや。私はそれを貶しているんじゃないよ。それはいいことだ」ニイニイは言った。

「そうかもしれない。だけど、生老病死は避けられないことだもの。ぼく達は死ぬということについて今から無理にでも理解しないといけないよ」チッチは言った。ツクツクは同意をした。

「そうだよ。ぼく達は死についていつもは忘れていてもいつかは直面しないといけない問題だよ」

「君達はとても偉い考えを持っているね?私の若い頃とは大違いだ。うん。君達はすばらしい。そうだ。こんな時になんだけど、私はついこの間とんでもない話を小耳に挟んだんだよ。もったいぶらずに言ってしまうけど、この山のある場所には不老不死の秘薬が存在するというのだよ。私は明日そこに行ってみるつもりなんだよ。場所は確認ずみではっきりとしているのでね。ダメで元々だ。私はそれがデマであっても少しもがっかりはしないよ」ニイニイは平素の口調のままとんでもない情報を暴露した。

「すごい!ニイニイさんはさすがの情報収集力だね?もしも、その話が本当ならば、ニイニイさんは今度ぼく達も一緒に連れて行ってくれる?ぼくは何だか希望が沸いてきたな」チッチは大喜びをしている。

「いや。いや。そんなうまい話は果たしてあるだろうか?その話には何か裏があるんじゃないかな?」ツクツクは素直に喜んでいない。ツクツクには警戒心というものがあるのである。

「ツクツクくんには何か思い当たる節でもあるの?」チッチは聞いた。しかし、ツクツクは曖昧である。

「何もないよ。だけど、皆が舞い上がるよりも一人位は冷静な頭脳の持ち主がいた方がいいんじゃないかなと思ってね。ただそれだけの話だよ。ぼくにも特に深い考えがある訳じゃない。だから、明日はぼくも楽しみだよ。ああ。愉快だな。ぼくは毎日が結構いい感じだよ」ツクツクはそう言うと伸びをした。

「それはとてもいいことだね?私も明日を楽しみにしているよ。今日は早く帰って寝るとしよう。もしも、手に入ったならば、私は二人にも不老不死の薬を分けてあげることを約束するよ。それじゃあ、ツクツクくんとチッチくん。またね」ニイニイはそう言うとこの場を離れることにした。

「さようなら。気をつけて帰ってね」チッチは言った。ニイニイは少し振り返ってからこの場を去ってしまった。ツクツクは浮き浮きしながらチッチに対して改めて話を切り出すことにした。

「ねえ。チッチ。もしも、永遠の命を手に入れたならば、チッチはどうする?ぼくは時間をかけてぼくの鳴き声を様々な所で聞いてもらいたいな。それは少し厚かましいかな?」ツクツクは謙虚である。

「そんなことはないよ。ツクツクくんの鳴き声はそれだけの価値もあってそれ程にすばらしいよ。ぼくはどうするかだったね?そうだなあ。ぼくは外国に行って山奥では見られない色んな景色を見たいな。もしも、できることならば、ぼくはエキゾチックな雰囲気を味わってみたい」チッチは言った。

「そうだね。チッチはそれにしてもロマンチストだね?ぼくもそしたらその旅行に連れて行ってくれる?旅は道連れって言うものね?」ツクツクは諺を使った。ツクツクは楽しそうにしている。

「もちろんだよ。ツクツクくんも一緒に行こうね?明日は本当に楽しみになってきたなあ。こういうことを考えていると夢が膨らむものね?」チッチはそう言ってワクワクしている。その後のツクツクとチッチの二人は永遠の命を手に入れた時のことを肴にしてこの話題に花を咲かせた。ニイニイはツクツクとチッチに対して楽しい話題を提供してくれたのである。議論はその後も白熱してセミが永遠の命を手に入れたらどうなるのかを事例研究法ケース・スタディーによってツクツクとチッチは掘り下げて行った。しかし、ツクツクとチッチは物事が自分の思い通りになることばかりではないということをまだ知らなかった。ある邪悪な作戦はこうしている今も暗々裏に進められていた。それは最悪の事態を招くことになる。


 翌日はツクツクとチッチが成虫になってからの5日目である。ツクツクは朝寝坊をしてしまった。ツクツクはいつもチッチの隣で眠っている。しかし、今朝は寝坊をしたせいでチッチはそばにいなかった。

ただし、ツクツクは大してそれを重要視しなかった。チッチはおそらくは一人で散歩にでも出ているのだろうとツクツクは考えた。普段のツクツクは能天気なのである。今日は少し遅めになってしまった日課をツクツクは始めた。ツクツクは鳴き声を辺りに響かせることにしたのである。

もしも、不老不死の薬が手に入らなければ、ニイニイは明日で亡くなってしまうのかなとツクツクは鳴き声を響かせながらも考えた。それはとても悲しいことだから、どうか、仙薬の噂は本当であってほしいとツクツクはしきりに思っていた。どんなにツクツクがニイニイの死は避けられないことを理解していてもそれと同時にやってくる悲しみだけは避けられないからである。


その頃のチッチはツクツクの想像の通りにちょっと遠出をして散策を楽しんでいた。できれば、ツクツクと一緒がよかったが、眠っているツクツクを起こすのはかわいそうに感じたチッチは結局一匹で散策することに決めていた。チッチにはちゃんと自主性がある証拠である。チッチは優秀なツクツクの金魚のフンだと後ろ指を指されるのも避けたかったのである。ただし、今の所はそんなあくどいことを口にするセミは出現してはいない。恥ずかしさもあったが、チッチは時々木に止まって鳴いてみることにしていた。周囲の反応は今一だったが、健気なチッチはそれでも失敗を恐れずに何度もそれを繰り返した。

チッチが鳴くために木に止まった時にその下からは話し声が聞こえてきた。盗み聞きは悪いことだと知ってはいたが、チッチは鳴くのを止めることなく何となくその会話に耳を傾けてみることにした。カマキリは立ち止まってそわそわしながら次のようなことを言っている。

「バカなセミはわんさかといるもんだな。自分で言うのもなんだが、こんな猪口才な手に引っかかるとはうれしい見当違いだ。もしも、この作戦がダメでも作戦なんかはいくらでも作れる」

「おい!おい!作戦はもう成功したみたいな言い草だな。君の役目の大半は終わったからと言って気を緩めないでくれよ。いつどういう形で不測な事態が起こるかはわかったものではないんだからな」これはクモのセリフである。今のチッチが聞いているのはカマキリとクモの連合チームの話合いなのである。両者はどちらもオスである。カマキリはクモに対して話を続けた。

「わかったよ。おれだってやる時はやる男だ。お前さんはそこを見込んでおれとタッグを組むことを決めたんだろう?お前さんはそれよりも最後の仕上げをしっかりと頼むぞ!お前さんがセミをうまいこと糸で絡め捕ってくれないと全ての作戦はおじゃんになっちまう。それだけは絶対に避けなくちゃならん」

「言うまでもない。私は完璧主義者だ。私は芸術的に絡め捕って見せるさ。君はそれにしても不老不死の薬があると偽って一気にセミを仕留めちまうなんて卑劣なことを考えるものだ。セミの寿命が短いという足下を見た辺りは敬服するがね」クモはにやりと笑みを浮かべた。

「へっへっへ、崇めてくれてありがとさん。しかし、そういうお前さんも立派な悪者だ。おれの作戦に同意してくれたんだからな。悪者同士で仲良くやろうじゃないか」カマキリは言った。

「ひっひっひ、まあ、そういうことだな」クモはそう言うと笑い声を響かせてカマキリと一緒にどこかに行ってしまった。後にはチッチの鳴き声だけが残っている。チッチは顔を青ざめさせてクモとカマキリを見送っていた。自分は鳴き声に熱中していたから、話を聞かれていないと思われていたのか、聞かれていても何の差し障りもないと思われていたのか、どちらなのか、チッチにはわからなかった。

 チッチはとにかくクモとカマキリの二人の後をついて行くことにした。自分に何ができるのかはわからなくてもニイニイの命が危ないとチッチは思ったからである。

「よう!チッチくん!何をしているんだ?その様子だと密偵ごっこか?」チッチはバレないようにそろそろと飛行していると不意に何者かによって後ろから声をかけられた。

「わー!なんだ!エゾくんか!ぼくは驚きすぎて死ぬかと思ったよ!」チッチは言った。先程の声の主であるエゾは不服そうにした。ただし、この程度で不機嫌になるようなエゾではない。

「なんだと言われると少し寂しいけど、チッチくんは取り込み中みたいだな?おれは引き下がろうか?」エゾは聞いた。エゾはツクツクとチッチと知り合いになって以前よりも丸くなったのである。

「ううん。今はニイニイさんの命が危機にさらされているんだよ。ぼくは何とかして助けてあげたいから、エゾくんはツクツクくんを呼んで来てくれる?ぼくは多分この道を真っ直ぐに行った所にこれから向かうと思うから、ぼく達はそこでまた落ち合おう。それじゃあね」チッチはそれだけを言うとこの場を去って行ってしまった。エゾは怒濤のような言葉を浴びせられて茫然自失の体である。

「ニイニイさんの命の危機?何のこっちゃ?まあ、いいか。おれはツクツクを呼んでこないといけないらしいな」エゾはそう言うと訳もわからずに役目を果たすべく羽を広げた。その際は何やら緊急事態らしいので、エゾはツクツクとのレースで鍛えた飛行能力をフル活動することにした。飛行訓練はこんな所でも役に立つなんて人生に無駄はないという訳である。思いやりもあるエゾはニイニイがピンチだと言われれば、助けてあげたいと強く思うことができる。それは少なからずツクツクとチッチからも影響を受けている。

自分はチッチによって崖崩れの件で助けてもらっているので、今度はニイニイのことを自分が助けてあげようとツクツクの所に向かいながらエゾは思うようになった。


 ニイニイを含めた5匹のセミはチッチがエゾと立ち話をしている隙にカマキリとクモの仕かけた網に引っかかっていた。その網は紐が木の枝にぶら下がっている。

 ここまではセミを身動きのできないように捕獲するというセミとカマキリの邪悪な計画スキームも完璧に成功している。この捕獲作戦は知的なクモによる発案である。

ここにはまだカマキリとクモは到着してはいない。しかし、クモとカマキリがここにやって来るのは時間の問題である。罠に嵌ったセミ達は一様に苦悶の表情をして話し合っている。

「ひどい!不老不死になれるというあの噂はやっぱり嘘だったんだ!ぼく達はこれからどうなってしまうんだろう?」アユタヤという名のアユタヤゼミは不安を隠せない様子である。

「誰がやったのかは知らんが、おれはこんなことをした奴を許さんぞ!年寄りを労わろうという気が全く感じられん!くどくどと説教をしてやる!」ロクショウという名のロクショウゼミは言った。

「なまじ年を取っていたばかりに生への執着心が強いから、こういう羽目になるんだ。私としたことがなんという情けないことだ。悔やんでも悔やみきれん」ヒグラシという名のセミは言った。

 ここにいる者達は寿命が後一日か二日のセミだけなのである。そこら辺にもクモとカマキリの狡猾さは窺うことができる。ニイニイはここで落ち着いた口調で皆を宥めることにした。

「まあ、まあ、皆さん。これは相当に悪質ですが、これは単なる悪戯かもしれません。私達はきっとすぐに開放してもらえますよ。希望はどんな時も捨ててしまってはいけません。私達は前を向きましょう」

「そうだといいけど、ここまで手の込んだ悪戯をする虫なんて珍しいんじゃないかな?我々はもはや絶望的ですよ。ん?下で何か物音が・・・・うわ!」マレーというセミは声を上げた。網はオープンしたので、ニイニイ達の5匹のセミは網から解き放たれて一斉に落下して行った。5匹はその下にあったクモの巣に絡め捕られることになった。ニイニイは半ば覚悟をしてはいたとは言っても驚愕をしている。

「痛たた!年寄りはもっと丁重に扱ってもらいたいものだ。これはどういうことだ?失礼なこと極まりないじゃないか!」ロクショウは怒っている。カマキリは言語道断だと言わんばかりに切り返した。

「へっへっへ、それは言うまでもない。お前さん達はおれ達のエサになるんだ。あんなバカな噂に引っかかる位なんだ。文句は言わないよな?お前さん達はそもそも年寄りだ」カマキリは余裕である。

「ひっひっひ、その通りです。あなた達は欲望に負けた。あなた達は実に意志の弱いセミだ。後は好きなだけ冥土で後悔しなさい。それ!」クモはそう言うとロクショウをクモの糸でぐるぐる巻きにした。こうしてしまえば、セミはロクショウに限らなくても直に窒息死してしまうという寸法である。ニイニイを含めた残りの4匹のセミ達はそのシーンを見て恐怖で身を震わせることになった。

「嫌だ!ぼくはまだ死にたくないよ!ぼくは後わずかな命でも全うしたい!誰か!助けてくれ!誰でもいい!誰か!来てくれ!」小心者のアユタヤは不意に喚き出した。

「ひっひっひ、誰も来やしませんよ。今わの際のセミは見苦しいったらありゃしない。まあ、別にいいでしょう。断末魔の叫び声は好きなだけ上げていなさい」クモはそう言うとヒグラシを糸でぐるぐる巻きにした。

「ひえー!死にたくないよー!」マレーはヒステリカルにそう言うと意味不明のことを叫び出した。

「ふっふっふ、袋のネズミは本当に見苦しいもんだぜ。おれのこの鎌で傷つけてやろうか?苦しみを与えて殺してやってもいいんだぜ」カマキリは言った。しかし、クモはそれを制止した。

「止めなさい。カマキリくん。彼等は本気で怖がっているんだ。君にはサディズムの気があるのかもしれませんが、私にはそんなものを見て楽しみ趣味はない」クモは断固とした口調である。

「ふっふっふ、わかったよ。お前さんは相も変わらずに堅物だな」カマキリは言い返した。

「ひっひっひ、できれば、誠実と言ってもらいたいものだね。それ!」クモはそう言うといよいよニイニイに糸を絡めようとした。ニイニイは恐怖の闇に呑み込まれながら死を覚悟した。しかし、クモは糸がニイニイの下半身を絡め捕った所でその作業の中断を余儀なくされた。チッチは『やめてー!』と言ってクモに体当たりをしたのである。クモは宙に浮かんであっけなくすてんと尻餅をついてしまった。

「何奴だ?おれ達の食事の邪魔をする奴はただじゃおかないぞ!お前も食ってやる!」カマキリは威嚇をした。不慮の事態にカマキリはそれでも少なからず戸惑っている。

「ぼくはチッチだ!強いんだ!皆!ぼくは今すぐに助けてあげるからね!」チッチは意気込みを述べた。

「やったー!救い主が来てくれたぞ!ありがとう!」できることならば、残る三匹の内の一匹であるアユタヤは飛び跳ねたい衝動にかられている。想いはニイニイとマレーも同じである。

「こら!待ちやがれ!」カマキリは大声で怒鳴った。チッチは大急ぎでニイニイを掴んで逃亡しようとしたのである。しかし、ニイニイに絡みついている糸は中々切れてくれなかった。

「あらら、ぼくはあんなに格好よく登場したのにうまく行かないや。だけど、がんばらなくちゃ!うーん!うーん!」チッチはそう言うとニイニイに繋がった糸を切るために齷齪している。

「助けに来てくれたことはうれしいけど、チッチくんはそんなにも若い身空でこんな所にきたらダメだよ。今からでも遅くはない。君は逃げるんだ」ニイニイはチッチに対して悲しげに話しかけた。

「そんなことはできないよ。ぼくはニイニイさん達を見殺しにはできない。ぼくは落ちこぼれだけど、努力すれば、それはきっと報われるはずだから、ぼくは絶対に諦めないよ」チッチは主張をした。

「しかし、私はもう少しの命しかないが、君には明るい将来が待っている。どうか、逃げてくれ。私からの最期のお願いだ。私達は決して君のことを恨んだりはしない」ニイニイは言った。

「そんなことはできないよ。命の重みは年寄りも若者も皆が同じはずだもの」チッチは断固として言った。ニイニイは衝撃を受けて言葉を詰まらせてしまった。糸がちょっとやそっとでは切れないことを知っていたカマキリはそのやり取りを聞き終えるといかにも面倒くさそうにして口を挟んだ。

「茶番はその位でいいか?気はすんだだろう?お前等は仲良く二匹であの世に行きな!」チッチは『うわ!痛いよー!』と叫んだ。チッチはカマキリに鎌で切りつけられたのである。

チッチはニイニイから手を放してカマキリから逃れて地面に着地をした。そこではクモが待ち構えていてチッチのことを糸でぐるぐる巻きにし始めた。チッチはもがき苦しみながらも必死の抵抗をした。しかし、チッチの体は徐々に白い糸で絡み取られて行った。クモは満足そうである。

「ひっひっひ、何もかもはこれで元通りだ。ん?」クモは不審そうにした。

ツクツクは『やめろー!』と言うとクモに対して強烈な体当たりをお見舞いした。クモはまたもや宙を飛んで七転八倒した。ツクツクの後ろにはエゾも控えている。

「ツクツクくん!エゾくんも来てくれてありがとう!」チッチは喜んだ。

「いいってことよ。しかし、安心するにはまだ早すぎる」エゾは受け流した。

「おい!おい!次から次へと一体なんだっていうんだ?邪魔っけな奴らが続々と現れやがって!役者はこれで揃ったのか?」カマキリは心外そうにして聞いた。ツクツクは胸を張った。

「登場人物はこれだけさ!ぼく達は『ザ・セミ・レンジャー』だ!よろしく!」

「いや。そういうギャグは今いらないと思うぞ」エゾは冷静につっこみを入れた。

「だよね。ぼくも今そう思っていた所だよ。チッチはとにかく休んでいていいよ!ぼく達が後は何とかして見せる!」ツクツクはそう言うとクモに向かって勇猛果敢に突っ込んだ。クモは糸を出した。しかし、ツクツクは簡単にそれをひょいと避けた。次の瞬間のクモは再び衝撃を受けていた。ツクツクはクモに対して体当たりをしたからである。しかし、クモはこの時に青筋を立てていた。

 エゾVSカマキリは空中戦である。カマキリは自慢の鎌でエゾを切りつけようとした。しかし、エゾはそれをかわした。エゾはそれで終わることなく後ろ向きになったカマキリに対してツクツクと同様にして思いっ切り体当たりをお見舞いした。エゾの身体能力は高いのである。その間『休んでいていい』と言われていたチッチは囚われの身の一匹であるアユタヤの救出に取りかかっていた。ニイニイ程に糸に絡め捕られてはいなかったチッチは苦労はしても体の糸を振り払うことはできたのである。カマキリはエゾを振り払ってこちらにやって来てチッチに対して鎌を振り下ろした。しかし、チッチはそれを難なくかわしてアユタヤを救出してアユタヤと一緒に安全な所に避難した。自由になったアユタヤはチッチに対して大いに感謝をした。

「ありがとう!君にはなんてお礼を言ったらいいか、ぼくはわからないよ。君は命の恩人だ!」

「ぼく達はまだ助かったと決まった訳じゃないから、まずは落ち着いて!もしも、よかったら君もニイニイさんともう一匹のセミさんの救出に手を貸してくれる?」チッチは早口でお願いをした。

「合点承知の助だよ。君達の恩には何としてでも報いて見せるよ」アユタヤは言った。

「どうもありがとう。それじゃあ、気をつけてね!」チッチはそう言うとツクツクVSクモの一戦に加わることにした。チッチによって助けられたアユタヤはエゾの方に参戦をした。

その頃のエゾはマレーを救出することに成功していた。手順はチッチがやったのと同じである。エゾはカマキリの攻撃をかわしてカマキリにクモの糸を切らせたのである。

エゾはチッチがそれをやって見せた時にそれを見逃さなかったのである。エゾならば、わかってくれるだろうと思ってチッチはエゾではなくてツクツクの方に加勢をすることにしていたのである。

「ちくしょう!おれの腹の虫はこんな奴らに虚仮にされたとあっちゃ収まらねえ」カマキリは飛行してエゾの攻撃を避けながらぼやき始めた。カマキリはかなりの短気なのである。

「ひっひっひ、安心しなさい。カマキリくん。話を聞く限りでは奴らの弱点はここだ!」クモはそう言うとニイニイを最後まで糸でぐるぐる巻きにした。チッチの攻撃はクモに避けられてツクツクは羽に糸が絡まって身動きが取れなかったのである。ツクツク達が最後に見たニイニイの顔はとても安らかなものだった。

ニイニイはまるで眠るように穏やかな顔のまま糸に包まれて行った。ツクツクは『ニイニイ!そんな!』と叫ぶと羽が糸で絡まって動けない自分の情けなさを呪った。

 壮絶なバトルはその後も続いた。アユタヤとマレーに糸を解いてもらった。ツクツクはチッチと共にクモと戦った。エゾの方はアヤタヤとマレーと共に勇気を持ってカマキリと戦った。

 ツクツク達はニイニイが糸で覆われてから10分後に天敵であるカマキリとクモを撃破することに成功した。カマキリとクモは幾度となく繰り出されるツクツク達の体当たりでKOされたのである。

しかし、ニイニイの件があるだけにツクツク達には笑顔はなかった。囚われの身だったアユタヤとマレーの二匹はツクツク達に対して感謝をした。ツクツク達は糸で窒息死させられたロクショウとヒグラシの供養をアユタヤとマレーに任せることにした。ツクツクとチッチとエゾの三匹は糸を解いたニイニイの亡骸を自分達の住処の近くまで持って帰って来た。ニイニイの命が亡くなってしまっていることは明らかだった。

しかし、ツクツク達の三匹はそのことには触れなかった。ツクツク達の三匹は皆が深い悲しみに暮れていたてそのことについては触れられなかったのである。この場の者は誰一人として『ニイニイは寿命が来たのと大して変わらない』とは思わなかった。セミにとっては例え本当に一生が短くても寿命を全うすることが大きな目標の一つでもあるからである。この場はしんみりとしたムードに包まれている。

「死を覚悟した瞬間のニイニイはとても安らかな顔をしていた。どうしてだろう?ニイニイは死ぬのが怖いって言っていたはずなのに」ツクツクはしんみりとした沈黙を破って呟いた。

「自分の命はもう長くないから、ニイニイさんはいよいよとなると達観をしていた。おそらくはただそれだけではないだろうな」エゾは言った。チッチは悲しみにくれたまま結論を出した。

「ニイニイはやさしかったから、ぼく達にはきっと安からな気持でいてもらいたかったんだよ。ニイニイさんはもしかしたらぼく達が助けに行ったこともうれしかったんじゃないかな?だけど、それはニイニイにしてあげた最初で最後の思いやりになっちゃったね?ぼく達はこれからもっともっとセミとセミとの繋がりを大事にして行かなくちゃいけないね?ぼく達はどんなことがあっても後悔をしなくてすむように」

「そうだな。おれにもそれがどれだけ大事なことなのかは身に染みてわかったよ」エゾは言った。チッチは涙をこぼした。それはニイニイの本望ではなかったはずなのにも関わらず、チッチは泣けてしまった。チッチはニイニイの死が本当に悲しかったのである。ツクツク達の三匹はしばらく体を触れさせて思いを共有していた。身近な虫が亡くなるのは初めての経験ということもあってニイニイの死はツクツク達の三匹にはかなりの衝撃だったのである。その後のツクツク達の三匹はニイニイの知人に対してニイニイの訃報を伝えることでこの日を費やした。ニイニイは色んな虫から慕われているセミだった。


 今日はツクツク達が成虫になってから6日目である。この日はニイニイの告別式が行われることになっている。ただし、大したことをする訳ではない。お坊さんを呼んでお経をあげてもらうのではなくて知人や友人がニイニイにお別れの言葉を述べて皆でニイニイを土に埋めてあげるのである。

 会葬者はそれ程に多くはない。ツクツクとチッチとエゾを含めても6匹である。鳴き声のコンテストでニイニイと審査員をしていた二匹のセミも葬列に加わっている。残りの一匹はニイニイの奥さんである。告別式におけるニイニイとのお別れの言葉は年輩者から順に行われた。

 ツクツクの番はいよいよ回ってきた。気丈な性格をしているツクツクはニイニイの死を心から悲しんでも今日も昨日も涙を流すことはなかった。それはエゾも同様である。

「ぼくはニイニイと出会えて本当によかったと思っているよ。反復横跳び等の色んな運動を教えてくれたこともそうだけど、ニイニイはチッチやぼくのためになることをたくさん教えてくれたね?ぼくはニイニイとの会話でとても印象に残っていることがあるよ。ニイニイは死が怖いって断言していたね?ぼくは飾らないその言葉に胸を熱くしたよ。そうだよね?死ぬのは誰でも怖いよね?だけど、生きている誰もが経験したことのないこの恐怖を別に乗り越える必要はないんだよね?ぼく達はいつも怯えていてもいいんだよね?死を恐れないことは傍目には格好よく映ることがあるかもしれない。嘘じゃなくて本当に命を賭けるっていうことはとても重要な決断だものね?だけど、そんな決断は別にしなくてもいい。もっと言えば、ぼく達は命を賭す決断をできなくてもいい。生への執着心は見苦しくても持ち続けていていいんだよね?生きるっていうことは生き物に与えられた最高の権利だものね?ニイニイの言いたいことを掘り下げれば、そういうことだったんじゃないかな?ぼくは少なくともそう捉えたよ。もしも、間違えていたらごめんね。ニイニイは悲しいことにも死と直面することになったね?ぼくは生涯その時のニイニイの表情を忘れないと思う。ニイニイは死を覚悟してそんな状況にありながらぼく達に感謝をしてくれたんだよね?そんな心のゆとりを持つことができるニイニイにはやっぱり鳴き声のコンテストの審査員を任されただけの度量があるんだなってわかっていたことだけど、ぼくはそれを再認識したよ。最後になるけれど、ぼくはニイニイの冥福をお祈りしているよ」ツクツクは焦らず急がずに言葉を結んだ。ツクツクはニイニイと出会えたことを心から喜びに感じている。ツクツクは少しの間だけ暗い表情のままニイニイを見つめた。ツクツクは引き下がった。今度はチッチが前に進み出た。チッチはニイニイの安らかな死に顔を見るとまたもや泣き出しそうになってしまった。しかし、チッチは泣かなかった。今はニイニイへの想いを伝える時だからである。チッチはもう泣かないと決めていた。

 ニイニイは別に大層な棺桶に入っている訳ではないが、ニイニイの遺体の顔以外は枯れ葉で覆い被されている。チッチは今は亡きニイニイに対して語り出した。

「ニイニイは鳴き声のコンテストの時にぼくの鳴き声を最後まで聞きたいって言ってくれたね?ぼくはあの時のあの言葉を本当にありがたく思っているよ。もしも、ニイニイがそう言ってくれなければ、ぼくは気が小さいから、もう二度と鳴きたいなんてきっと思わなくなっていたと思うよ。ニイニイはまさかそんなことまで予測していた訳ではないだろうけど、ぼくはそのやさしさを死ぬまで忘れないよ。ぼくはニイニイがしてくれたようにして他の虫さんにやさしくしてあげたいと思う。そうすれば、そのやさしさは虫から虫へ伝わって皆がやさしくなれるもんね?そんなことは単なる空想だって言われるかもしれないけど、ぼくはそう信じていたいんだ。ニイニイはどう思うかな?ニイニイは鳴き声が下手なぼくにも一生懸命にコーチとしてうまい鳴き声の出し方を教えてくれたね?後悔は先に立たずっていう言葉があるけど、ぼくはあの時にもっと感謝をしておけばよかったなって後悔しているよ。ぼくはあの時のことは感謝してもしきれない程にうれしかったんだ。ニイニイはいずれにしてもぼくの心の拠り所になってくれたね?ぼくは自分なりに努力をしてニイニイが教えてくれた三つの運動を後世に残して行くつもりだよ。何事も懸命に取り組む姿は格好いい。そう言ってくれたのはニイニイだもんね?月並みなことしか言えないけど、ぼくなんかのためにやさしい言葉をかけてくれてありがとう。ぼくの心の中では生きているけど、ぼくはニイニイとはもう会うことはできないね?だから、さようなら。永遠に」チッチは悲しい顔をしている。チッチはニイニイの顔から目を離すと引き下がった。続いてはエゾの番である。取りを務めるエゾは何よりも先に謝った。

「すみません。おれはニイニイさんの行為を受け入れませんでした。ニイニイさんがおれに鳴き声の質を向上させるためにコーチをしてくれるって言ってくれた時のことです。あの時のおれは周りがよく見えていなかったんだと思います。今にして思えば、おれは素直にニイニイさんの好意に甘えさせてもらえばよかったと思います。ニイニイさんは鳴き声のコンテストで唯一おれの鳴き声を評価して下さったセミさんでした。魚心あれば、水心と言います。仲間になれるチャンスをくれた虫に背を向けたらいけませんよね?おれは一人でも何でもやって行けると過信をしていました。だけど、今はその考えを改めています。今はおれにも仲間になってくれてうれしいと感じるツクツクとチッチくんがいてくれるようになったからです。本当はもっと早く気づくべきでしたけど、今ならば、ニイニイさんのやさしさはおれにもよくわかります。これも言っておかなくてはならないことです。おれは自分で思っているよりもずっと貧弱でニイニイさんを助けてあげることができませんでした。すみません。おれは何だか謝ってばかりですね?おれはこれからの短い人生を前向きに生きて行こうと思います。しかし、ニイニイさんという気骨な男の存在を忘れてしまう訳ではありません。おれは多分それでも前向きに生きていこうと思うのはニイニイさんがそう望んでくれるからです。違いますか?最後はおれに対して深い感銘を与えてくれたお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました」エゾは弔辞を読み終えた。全ての会葬者によるニイニイに対するお別れの言葉を終えるとツクツク達の三匹を含めたこの場の皆は穴を掘ってそっとニイニイを埋葬してあげた。ニイニイの穏やかな顔はまるで生き残ったツクツク達にこれからも元気で楽しく生きて欲しいというメッセージを伝えているようである。

 全ての会葬者のセミ達はかくて告別式を終わると三々五々散って行った。セミは実の所そこかしこにもいたのだが、告別式があると知っていたセミは鳴くのを控えていたのである。セミ達の鳴き声は式の終わりと同時にこの場に木霊し始めた。いつも通りの日常は再開したのである。

 告別式からの帰途のツクツクとチッチとエゾの三匹はしばらく無言だった。そんな中で沈黙を破ったのはいつもは陽気なツクツクである。しかし、今のツクツクの口調はすこぶる暗いものである。

「死っていうものはどうして避けられないんだろう?ぼく達はどうせ死ぬのならいっそのこと生まれてこなければよかったのにな」ツクツクは呟いた。エゾは驚きの声を上げた。

「ツクツクがブルーになるなんて思ってもみなかったな。しかし、、そう悲観するべきじゃない。おれはニイニイさんに前向きに生きるって約束をしたんだ。先人達は幾度となくこの死別を乗り越えてきたんだ。それはおれ達にだってきっとできないことじゃない。ニイニイさんのことはもちろん忘れちゃいけない。おれ達はそれでもこれからもがんばって生きて行こう。おれ達はどうせ今日を入れても後5日の命だ。このまま生き続けていれば、おれ達はまた楽しいこともうれしいことも享受できる。死を恐れるのは皆が同じだ。恥ずかしいことではない」エゾは力強い口調で言葉を紡いだ。エゾには強い決心が認められる。

「そうだね。ぼく達も近い将来に死を迎えることになる。だけど、明けない夜はない。ぼく達はそう信じて一日一日を生きて行こうよ。ぼくはよく物事を悲観的に捉えちゃうけど、そんな時は藻掻き苦しみながらもきっと光明は差すって信じようよ」チッチは前向きに言った。ツクツクは少し持ち直した。

「そうだ。ぼくとしたことが、運命を受け入れられなくて現実逃避をしちゃっていたよ。ぼく達は今できることを一生懸命にやればいいんだったね?」ツクツクは明るい口調になった。

「そうさ。それだけでいいんだ。おれ達は無理に気取らなくてもいいんだ」エゾは即座に同意をした。

「ぼく達(生き物)は皆ありのままを晒け出して胸を張って生きていていいんだよ」チッチは精一杯の力を込めて言った。チッチはもう自分を卑下してばかりではない。ツクツクはその変化を喜んでいる。

 その後のツクツクとエゾは鳴き声のコンテストで審査員を任されることになる。チッチはニイニイから伝授された三つの運動を年少者に教えることになる。ツクツク達の三匹は短い一生の中でも今日もできることを精一杯にやって前向きに生き続ける。ニイニイの死は決して忘れることができなくても今を生きることは両立できるのである。ツクツク達の三匹はこれから先も命の灯火がどんなに弱くなってしまっても最後まで精一杯に生きるつもりである。ニイニイの死はその大切さを教えてくれたからである。


アウリーは話を終えると疲れたように黙り込んでしまった。テンリ達はしばし余韻に浸って誰も口を開かなかった。飽きっぽいアマギはちゃんと話を聞いていた。少しは絵があるとアマギも集中できるのである。

細部ディテールにまで拘っているアウリーの写真のようにしてうまい絵は30枚以上もあってグラデーションも豊かだった。気持ちの沈んでいる時に前を向いて歩けるようにするための心温まる話というのがアウリーの話の前評判だった。ツクツクとチッチとエゾの三匹は身近な虫の死に直面しても立ち直って力強く生きていることから例えどんな困難な状況に立たされたとしてもいつかは必ず虫は立ち直ることができて前を向いて歩けるようになるということが言いたかったのである。

「いいお話ね。死っていう重苦しい問題について正面から向き合うセミさん達はとても立派だった」シナノは遠慮がちに口を開いた。シナノは今の話に心から感動をしている。

「うん。ぼくはアウリーさんのこの作品に込めたメッセージも何となくわかったよ。ぼく達(生き物)は決して無理をしないで自分にできることだけをすればいいんだよね?そのことに一生懸命な姿は美しいことなんだね?」テンリはしっかりと正鵠を射ている。アマギは感心をした。

「今の話にはそういう意味が込められていたのか。それじゃあ、おれがキリシマに負けたことはやっぱり正当化されるのかな?おれは全力を出し切ったからな。いや。おれは納得できない部分もあるけど、本当は自分を追い込みすぎちゃいけないっていうことか?おれはそれなら気が楽になったよ。皆には申し訳ないけどな。生きることの素晴しさは今のお話でおれにもよくわかったよ」アマギは真剣に言った。

「アマはどれだけ話を理解できたのか、おれは心配だったけど、テンちゃんの解説で大まかな意味は理解できたみたいだな?この話は聞けてよかったよ。ありがとう。ん?まさかとは思うけど、アウリーさんは死んじゃったのかい?」ミヤマはそう言うとアウリーを揺さぶった。アウリーからは少しの間うんともすんとも返事はなかった。アウリーはテンリ達の他の三匹も不安そうにするとようやく反応を示した。

「ああ。悪い。悪い。まろとしたことが、まろはちょっぴりと死んでいたみたいだね」

「って、おい!今は死っていうテーマについて真面目な話をしていたばっかりなのにその当人がその反応かいな!」ミヤマはは不満を述べた。アウリーはそれを笑い飛ばした。

「今のはまろのアウリー・ジョークだよ。面白いでしょ?大いに笑ってくれたまえ」

「ははは、アウリーおじさんはやっぱり面白いね?アウリーさんはこの作品を作るのにどれ位の時間をかけたの?」テンリは真剣に聞いた。ミヤマは茶化した。

「というか、テンちゃんは『ははは』ってちゃっかりと世渡り上手な所を見せたな」

「そうだねえ。まあ、創作期間はざっと95年と言った所かな」アウリーは考え考え言った。

「えー!まじか?すげー!アウリーさんはすごい職人なんだな!」アマギは驚いている。

「いや。職人ではないだろ!創作期間は真に受けるなよ!今のは100パーセントの確率でアウリー・ジョークだろ!アウリーさんは見た感じ95歳を超えてるようには見えないし!」ミヤマはつっこみを入れた。

「本当はどれ位なのかしら?この作品は絵を描いて物語も考えないといけないから、アウリーさんはきっと苦労したんでしょうね?」シナノは真面目に聞いた。今度のアウリーはちゃんと答えた。

「まあ、そうだね。約一か月は彼此かかったかな。まあ、若気の至りっていうやつだよ」

「言葉の使い方を間違っているよ。今のはどうせアウリー・ジョークなんだろうけど、感動はどんどんと薄らいで行っているような気がするのはおれだけだろうか?」ミヤマは問いかけた。

「むむむ、そうまで言われるとまろも黙ってはいられない!まろはツクツク達も使っていた体当たりをお見舞いしてやる!」アウリーは意気込みを述べた。ミヤマは身構えている。

「おお!じゃれあいのケンカか?やれ!やれ!どっちもがんばれ!」アマギは囃し立てた。乗り乗りのアマギに比べると飛び切りにやさしい性格の持ち主であるテンリは不安そうである。

悪ふざけだと割り切っているシナノは放任をしている。アウリーは全く緊張感のないまま攻撃に出た。アウリーは前向きのまま誰もいない後方に向かって体当たりをした。

「いや。そっちに飛ぶんかい!どんな攻撃の仕方だよ!」ミヤマはつっこんだ。

「あはは、いいぞー!アウリー・ジョークの最高潮だ!」アマギは噴飯している。テンリとシナノは無言で白けている。一応の常識を持ち合わせているアウリーは姿勢を正した。

「おふざけはこの位にしよう。真面目な話をそろそろしよう。ともすれば、まろはすっとぼけたコガネムシだと勘違いされてしまうからね。本当のまろはまろやかな味なのにね」アウリーはゆったりと言った。

「いや。誰もアウリーさんなんか食べないだろう!アウリーさんは十分にすっとぼけたコガネムシだと思うのはおれだけか?」ミヤマはふざけ半分で言った。マイ・ペースなアウリーはそれをしかとした。

「死というものはいつか必ず誰の元にもやって来る。そこで重要になるのはそこに至るまでどんな生き方をするかということだよ。皆は先程まろの伝えたかったことを的確に捉えてくれていたね?そう。もしも、できないことがあったとしても今の自分にできることを一所懸命にやれば、生き物はそれでいいんだよ。その時に自分を他人と比較する必要はない。生き物の一人一人には自分以外の誰も持っていない個性というものを持っているんだからね。それは最大限に尊重されて然るべく貴重なものなんだよ。虫の個性は世界に一つだけのものなんだ。生き物は得てして他人と自分を比べると自信を失ったり、恨みを抱いたりしてしまう危険性もあるからね。自分を他人と比較しないことはもちろん口で言う程に簡単なものではないね?だから、まろは余裕ができた時にそれを認識してつらい時や悲しい時に思い出してくれたらと思うよ。生き物は誰もが大きなことを成し遂げられる訳じゃない。だけど、生き物は一つずつ小さな目標を達成していければただそれでだけでいいんだよ。その積み重ねはきっとその虫の役に立つ時が来るだろうからね。塵も積もれば山となるだよ。だけど、まろの言うことはいつ何時でも必ずしも正しいとは限らないこともある。その時はどうかまろの話を参考にしておくれ。それではさようなら。本当にいい人生だった。君達と会えて本当によかった。まろの骨は清らかにせせらぐ川に流しておくれ。うっ!」アウリーはそう言うと苦しそうにした。

「え?まろおじさんは死んじゃうのか?ダメだ!生きろ!生きるんだ!まろおじさんはここで死ぬような虫じゃないぞ!」アマギは苦しそうなアウリーを見て励ましの言葉を投げかけた。

「そうだよ。おじさんは寿命を迎えるには早すぎるよ。ぼくはおじさんが死んじゃったら悲しいな」相変わらずやさしいテンリは激励をした。アウリーは素直に感動をした。

「おお!まろはこんなにも必要とされていたのか。それじゃあ、元気100倍だ!復活!」

「やったー!生き返った!」テンリはそれを真に受けて大喜びをしている。

「いいぞー!その調子だ!」アマギは揃いも揃ってアウリーのことを仰いでいる。

「一体この茶番は何なんだ?」ミヤマは白けている。シナノは同意をした。

「何なんでしょうね?おじさんは死について重く語ったり、軽々しく扱ったりしてよくわからない。そこにはそれ位に明るく生きようっていう意味が込められているのかしら?」

「さすがはナノちゃんだな。解釈の仕方が違う」ミヤマは手放しで褒めた。ただし、シナノには少し感動が冷めてしまっている部分もある。しかし、十分に勉強をさせてもらって楽しませてもらったシナノはとても満足をしている。その後のテンリ達の4匹は旅を中断して今夜一晩をアウリーと一緒に過ごすことにした。

ネッシーの存在を信じているアウリーはテンリ達に対してネッシー存在説を熱く語った。アウリーは人間界に行ったことはない。それなのにも関わらず、アウリーはネッシーの存在をを信じていると主張している。アウリーのそういう所はかなりいい加減なのである。ただし、アマギは食事を終えると早々にスリープ状態になってしまったし、ミヤマとシナノは話半分にしか聞いていなかった。実質ちゃんとアウリーの話を聞いているのはテンリだけだった。ミヤマは前座は終わったとばかりにして熟女の反復横跳びを熱心に演じて見せた。ミヤマの役者魂には火がついたのである。しかし、それは全く面白くなかった。だから、ミヤマは大恥をかくことになった。テンリとシナノは思わず失笑をしてアウリーはきょとんとしていた。

ミヤマは『私は疲れちゃったざます』と言って恥ずかしさから逃亡して眠りに就いた。宝物を壊されてしまったシナノも含めたテンリ達の4匹の心の傷は修復されつつある。


 翌日のテンリ達はアウリーによって出発する前にパワー・スポットの木がある所まで案内された。アウリーはべらべらと捲くし立てて半ば強制的にテンリ達を引っ張って行ったのである。

しかし、テンリ達には別に不満はなかった。案内された所は昨夜の寝床から大して離れていなかった。テンリ達は皆でその木に手を触れた。その木は下の方が皆に触られてつるつるのすべすべになっていた。テンリ達はとにかくおまじないを受けることができて大いに喜んだ。テンリ達の4匹はそれが終わるとアウリーに対して感謝とお別れの言葉を述べて新たな旅に出ることにした。テンリ達の前途はパワー・スポットへ行ったおかげで洋々である。ただし、繊細なテンリは時々キリシマとの接触に関してフラッシュ・バックを経験することもあった。そんな時のアマギはテンリに対してやさしい言葉をかけてあげた。これからの話はテンリ達の4匹がアウリーと別れてから『偉人の地』を通り抜けた5日後のことである。


 アマギだけはテンリによって地図で確認してもらうと別行動をすることになった。現在のテンリ達の三匹は『宮殿の地』というところにやって来ている。アマギだけはその更に先の西に向かうことにした。アマギにはフィートにも宣言していた予てから行きたい所があったのである。それはテンリと旅を始める前からアマギが決めていたことである。テンリは笑顔でアマギのことを送り出した。

 残りのテンリ達の三匹は『宮殿の地』にある武闘会に足を向けることにした。武闘会はコロシアムのような大がかりなものはないが、そこではいつも『マイルド・ソルジャー』がぶつかり合って大盛況の興業なのである。それは『マイルド・ソルジャー』の訓練も兼ねて行われている。甲虫王国の武闘会と言えば、テンリも噂を聞いたことがある位に有名なのである。アマギは目的地で一泊する予定なので、残りのテンリ達にとって武闘会での戦いの観覧は打って付けの暇潰しになる。こちらはテンリ・サイドである。

 今のミヤマは通りすがりのメスのティビアリスホソクワガタから武闘会の情報を仕入れた所である。ミヤマは他の二匹と共に歩き出しながら自信たっぷりに口を開いた。

「そうか。一般人は武闘会に参加できないのか。惜しかったな。おれなら優勝を狙えたのにな」

 この大会は三日に一度行われていて勝ち抜き制(トーナメント制)である。年に一度はバトルロイヤルというものも開催されているが、今は時期が違っている。

「そうだね。ミヤくんは革命軍の強い虫さんに勝ってレベル・アップしているものね?ミヤくんならきっと勝ち抜けただろうね?」テンリは煽てた。ミヤマは益々図に乗り出した。

「そう。そう。100がマックスならば、おれは何て言ったってレベルが95位にまで到達しているだろうからな。おれはきっと名立たる強豪もばったばったと倒しちゃうんだろうな」

「え?何?何?今日だけは一般人も参加できるの?それはよかった。これで思う存分に暴れられるみたいね。ミヤくん」シナノは話を振った。シナノは別に誰かと話をしていた訳ではない。今のシナノはふざけているのである。ミヤマは結果的に皆の予想通りの反応を示した。

「いや。ぼくは何だかお腹が痛くなってきちゃったな。うん。そうそう。腹痛っていうやつだよ。こういう時は無理しない方がいいよね?今日のぼくはという訳で大会をパスさせてもらいます。よろしく。こんな感じでいいかい?」ミヤマは真顔になって確認を取った。テンリは微笑んでいる。

「ええ。話に乗ってくれてありがとう。力は確かに強くなったと思うけど、強さは別に売りにしなくてもおしゃべりが上手だから、ミヤくんはそれだけで十分よ」シナノは言った。

「うん。ぼくもそう思うよ。話は変わるけど、ぼく達はここに来るまでに色んな虫さんや動物さんに会って来たよね?ミヤくんとナノちゃんはまた会えるなら誰と会いたいかなあ?決めるのは難しいけど、ぼくはヒリュウくんかな。ソウリュウくんはやさしいけど、ソウリュウくんとはまだ会ってからそんなに日が経っていないからね。ナノちゃんは知らないことだけど、ヒリュウくんは偽物のポシェットをぼくが掴まされた時にぼくの失敗を帳消しにするために尽力してくれたんだよ。ヒリュウくんは性格が粗雑だけど、性格は個性的だで実は高い所が苦手っていう一面もあってやさしいから、ぼくはまたヒリュウくんに会ってみたいな。ナノちゃんはどうかなあ?」テンリは話を振った。今のテンリは機嫌がよさそうである。

「テンちゃんの話を聞いたら私もヒリュウくんに会ってみたくなった。私の会いたい虫さんは人間界で生き別れた親友のチヒロかな。だけど、私は会えないことを覚悟で昆虫界にやってきたから、一番に会いたいのはアスカさんかな。元はと言えば、私にはアスカさんが海賊をやっていたおかげでパパとママと出会えるチャンスが生まれたようなものだから、私はアスカさんのことを大切な恩人の一人だと思っているの。私はズイくんにも会ってみたい。ズイくんは私達と出会うまで厳しい境遇に耐えて生活をしていたから、これからはうんと幸せな生活を送っていて欲しいって思う」シナノは穏やかな口調で言った。

「それに関してはおれも同意見だよ。だけど、重複を避けて言うならば、今のおれの会いたい虫さんはキラくんかな。ナノちゃんは知らないことだけど、キラくんとは旅の序盤で出会っておれはキラくんとすっかりと意気投合したんだよ。おれはダンスでキラくんはソングであの時は大いに活躍したっけな。忘れてはならないのがテティくんだな。こっちはテンちゃんが知らない話だけど、テティくんはパパが記憶喪失になって寂しい想いをしていたから、おれとナノちゃんはテティくんを励ましてあげたんだよ。おれ達はそのせいで無駄な穴掘りをやらされたっていう被害を被っちゃったんだけどな。テティくんとは何にしても惜しい虫を亡くしたものだ。南無阿弥陀仏。テティくんよ。安らかに眠れ」ミヤマはすっかりと落ち込んでしまっている。

しかし、それはもちろん事実ではない。それにも関わらず、テンリはそれを信じ込んでいるので、シナノは横槍を入れようとした。テンリ達の三匹の右端からはその時に声が聞こえてきた。

「なーにー?ぼくちゃんのことを呼んだー?」そう言って『ぴょん!ぴょん!』と飛び跳ねているのはクレヨンの箱である。クレヨンの箱が昆虫界にある理由はごく簡単に人間界から誰かが舶載してきたからである。クレヨンの箱が動き回っているのは中に虫が入っているからである。箱はその内にミヤマのことを踏み潰すとその中からはテティが飛び出して来た。テティは言った。

「やあ!ミヤマっちとシナノっち!元気だった?ぼくはそうだなあ。破茶滅茶に元気だよ!あれ?ミヤマっちはどこに行ったのかな?そうだ。それよりも何か困っていることはない?」

「おれは踏み潰されております。困っていることは箱がおれを押し潰していることです」ミヤマは箱の下から呟いた。ミヤマはテティの元気さに対して途方に暮れている。テティは『ああ。ごめん!ごめん!』と言うと慌てて箱の上から飛び退いた。ミヤマはそれと同時にして勢いよく箱を放り投げた。しかし、ミヤマは箱に恨みがある訳ではない。恥をかいたミヤマはちょっとは格好いい所を見せてやろうと考えただけである。それは皆に黙殺をされた。シナノはミヤマとは全く違う話を始めた。

「最近は少し嫌なことがあったけど、私達は元気よ。その後のテティくんのパパはどう?」

「パパはすこぶる元気だよ。ぼくちゃんのパパは『森の守護者』の仕事を再開したんだよ。本当はぼくちゃんもママもあんなことがあったから、できれば『森の守護者』の仕事は止めて欲しかったんだけど、パパは『大丈夫だよ』って言うから、ぼくちゃんとママは結局はパパが『森の守護者』の仕事を続けることに納得をしたんだよ。ぼくちゃんはそれが決まった時に心のどこかでパパには格好のいい『森の守護者』でいてもらいたかったんだなって気づいたんだよ。虫のいい話なんだけどね」テティは照れ臭そうである。

「そっか。テティくんは元気一杯だから、テティくんのパパはきっとテティくんから元気を分けてもらえたのね?」シナノは真心を込めてやさしい口調で言った。テティは喜びを露わにした。

「てへ、シナノっちに褒められちゃった。ぼくちゃんはうれしいな。そうだった。申し遅れました。ぼくちゃんはテティだよ。君はテンリっちとアマギっちのどっちかな?」テティは問いかけた。

「ぼくはテンリだよ。よろしくね。テティくんはアマくんとぼくのことを知っているんだね?テティくんはそれにしても会ったことがないのによくぼく達の名前を覚えていてくれたね?ぼくはうれしいよ。テティくんはやさしい虫さんなんだね?」テンリが真っ直ぐな気持ちで言った。テティは返答をした。

「てへ、テンリっちにも褒められちゃった。ぼくちゃんはテンリっちのことが好きになったよ。ぼくちゃんはどうしてテンリっちのことを覚えているかっていうともちろんミヤマっちは頼れるぼくちゃんの師匠でシナノっちは頼れるぼくちゃんのお姉さんだからだよ。その友達の名前を忘れるなんてことはできないんだよ。ぼくちゃんはそれにしてもまさかここで皆と出会えるなんて思ってもみなかったな。今日は吉日だよ」

「ぼく達にとってもそうだよ。だけど、そうか。テティくんは義理難いんだね?そう言えば、テティくんはどうしてこの箱の中に入っていたの?テティくんは箱入り息子なの?」テンリは聞いた。

「ははは、それはおもしろいギャグだね?今度からはぼくちゃんも使わせてもらうよ。ぼくちゃんはどうしてこの中に入っていたかっていうと・・・・」テティには皆まで言わせず、ミヤマは話を継いだ。

「おれはわかるよ。登場シーンは格好よく決めなきゃダメだからだろう?前もそうだったもんな」

「そうそう。ぼくちゃんはミヤマっち達を見かけて何か格好のいい方法で登場しなきゃって思っていたら箱があったから、差し当たりはその中に入ったんだよ」テティは自信を持って言った。ただし、それを格好いいと言えるかどうかは難しい所である。テンリはあることを思い出した。

「あれ?そう言えば、ミヤくんはテティくんが死んじゃったみたいなことを言っていたよね?」

「ああ。それはぼくちゃんも聞いたよ。どういうことなの?ぼくちゃんは死んでないよ。ミヤマっち」テティは恨めしげにして言った。シナノはこの状況を静観している。

「ああ。あれね。あれは今時の若者に流行のアウリー・ジョークだよ」ミヤマはどっしりと構えている。

「アウリー・ジョーク?それはあんまりおもしろくはないね?」テティはバカ正直すぎるのである。

「だろうね。言っているおれ本人も不愉快になる位なんだ。とんでもないものを発明してくれたもんだ。発明者は誰だ?出てこい!」ミヤマはなぜか怒りを露わにしている。

「本当に出てきたりして」シナノは呟いた。ミヤマは青ざめた。先程はテティの話をしていたらその当人が出現したので、ミヤマはまたそんなことになるのではないだろうかと危惧したのである。しかし、アウリーは出てはこなかった。そう何度も奇跡は起こらないものである。

 その後はテティも武闘会の近くに用事があるというので、テンリ達はテティを加えて旅を再開することにした。この地は百鬼夜行という訳ではないが、テンリは旅の仲間が増えて心強く思った。

 シナノは『嫌なことがあった』と言っていたので、テティはそれについて聞きたがった。シナノは代表して説明をしたが、乱暴をしてきた相手がキリシマだという情報は伏せた。

 シナノはテティに無用な心配をさせてしまうと悪いと思ったのである。同意見だったテンリとミヤマはそれについては口を挟まなかった。テティは話を聞き終えると激しい憤りを覚えることになった。テンリはその際にテティがギプスのようにして腕に木の枝を二本も付けていることに気がついた。


アマギの行きたかった所というのは『秘密の地』である。そこでは内乱や戦争に備えて日々人間界の自衛隊のような『マイルド・ソルジャー』が訓練を行っている。オスだけではなくて弓やパチンコを使ってメスもそこでは訓練を行っている。ただし、メスの数は少数な上に銃槍のような危険な武器も数は少ない。

秘密という以上は当然『秘密の地』は部外者の立ち入りが禁止されている。『秘密の地』という場所は一般人にとって甲虫王国では唯一の立ち入り禁止区域なのである。今のアマギはそれを無視して『秘密の地』に侵入している。だから、アマギは残りのテンリ達の三匹を連れて来ることができなかったのである。規則破りは自分一人で十分だとアマギは考えたのである。いつもはいい加減なアマギもその位の気使いならできるのである。アマギはどうして『秘密の地』にやって来たのかというと兄のランギに会いにきたからである。その理由は不法侵入を正当化させる訳ではないが、アマギは決して冷やかしに来たという訳ではないのである。今は旅に出ているが、アマギは本来『平穏の地』で両親と暮らしている。だから、たまには実家に帰ってきた時にランギはアマギと顔を合わせることはある。しかし、アマギの方からランギを訪ねるということは初めての試みなのである。アマギの行動はランギにとってはちょっとしたサプライズなのである。しかし、ランギはちょっとやそっとでは動じない性格である。ただし、その位のことはアマギもぼんやりと予測はしている。

 侵入者のアマギは飛行しながらランギを探している。しかし、アマギはランギを中々見つけられていないでいる。それもそのはずである。『秘密の地』は途轍もなく広大なのである。

 アマギは時々兵士を見かけている。しかし、彼等はアマギを見ても特にアクションを取らないでいる。この地は管理が杜撰だと言ってしまうとかわいそうだが、誰にも危害を与えずに堂々と飛行していれば、兵士は特に何も言われないのである。兵士はブルーのペンキを背中につけている。しかし、今のアマギのようにして飛行しているとそれが見えないからである。アマギはとんでもない者を目にしてしまった。

「何だ?あれはまさかキリシマか?キリシマはどうしてこんな所にいるんだ?」アマギはそう言うと地上に降下して地面に着地した。一応は確かにそこにいた者はコーカサスオオカブトの成りをしている。彼は体長もキリシマと同じ位である。しかし、彼はただ一つ決定的に違う所もある。それは本物と違ってアマギの発見したコーカサスオオカブトがピンク色をしているということである。

「おい!キリシマ!ここで会ったが100年目だ!この間の雪辱を晴らしてやるぞ!どこからでもかかって来い!しかし、変色するカブトムシがいるとは知らなかったな。あはは、なんか、笑えてきた。キリシマはその性格にその色って全く似合わないな」アマギは緊張感の欠片もなく言った。

しかし、ピンク色のカブトムシは依然として黙り込んだままである。それどころか、その大きなカブトムシはアマギが話しかけてもぴくりとも体を動かさない。アマギは決心をした。

「キリシマは無口になったみたいだけど、そっちに動く気がないっていうことは余裕からか?それならば、おれは遠慮なく仕掛けさせてもらうぞ!うおー!」アマギはそう言うと勇猛果敢に敵のカブトムシに組み付いた。そのすぐ近くからは不意に笑い声が聞こえてきた。

「ははは、これはおもしろい!いや。笑っちゃいけないよね?真面目に物事に取り組んでいる虫を笑うなんてことは最低だ。ごめんよ。しかし、今のは本当におもしろかったよ」オスの虫は愉快そうにしている。

「誰だ?ああ。おれはアマギだ。まさかとは思うけど、本物のキリシマはそっちか?」アマギは聞いた。

「君はやっぱりおもしろいよ。自分はショシュンだ。よろしくね」シュシュンは礼儀正しく言った。ショシュンがキリシマである可能性はゼロである。ショシュンは体長およそ90ミリの明るい朱色をしたアスタコイデスノコギリクワガタだからである。ショシュンはキリシマと違ってカブトムシでさえないのである。ショシュンの背中には青のペンキで印が付けられている。これは『マイルド・ソルジャー』であるという証明書の代わりをしている。アマギはしばし黙考した後に発言をした。

「ショシュンさん?どっかで聞いた名前だな。そうか!王国の三強の一人だ!ショシュンさんはテンちゃんが尊敬している虫じゃないか!いい所で会った。ショシュンさんもキリシマを倒すのを手伝ってくれ」

「自分は構わないけど、それはキリシマじゃないよ。やーい!お前の母さん。でべそー!ほらね?何にも反応をしない。これは精巧なロボットなんだよ」ショシュンは言った。

「そうだったのか。道理で何にも喋らなかった訳だ」アマギはそう言うとようやくピンク色のロボットから体を離した。アマギは今までずっとロボットと組みついていたのである。

「自分はアマギくんと今日初めて会うよね?自分は一度会った虫の顔を絶対に忘れないから、間違いないはずだ。改めてはじめまして。アマギくんは兵士の新入りなのかな?」ショシュンは聞いた。

「新入り?ここに新しく入ってきたっていう意味では新入りだけど、おれは『マイルド・ソルジャー』ではないぞ。部外者だ」アマギは平然と言って退けた。いつものことだが、アマギに小細工はできないのである。しかし、ショシュンはアマギが部外者だと知っても全く怒らなかった。

「そうなんだ。アマギくんは正直者なんだね?だけど、そういう時は『期待の大型ルーキーです』って言ってもいいんだよ。嘘も方便だからね。まあ、自分はどう言われても怒る気はないんだけど」

「そうか?それじゃあ、そういうことにしておいてくれ。おれは期待の大型ウッキーだ」

「大型ウッキー?それじゃあ、単なるボス・ザルだよ。自分が言ったのはルーキーだよ。まあ、いいや。自分で言うのもなんだけど、自分はそれなりの権力を持っているから、アマギくんのことは客人として自分が歓迎をしよう。ようこそ。もしも、革命軍が攻めて来ても自分はアマギくんを守ってあげるよ。安心してね」

「ありがたいけど、その必要はないぞ。おれは強いから、自分の身は自分で守れるぞ」

「そうか。それは心強いね。アマギくんは正直者の上に自信家でもあるんだね?アマギくんは勘違いとは言ってもキリシマと戦って・・・・そうか。自分としたことが、君は先日ソウリュウくんと一緒にクラーツの一団を倒したメンバーの一人なんだね?つまり『シャイニング』のメンバーだ。ということは必然的に『西の海賊』とも知り合いな訳だな。だから、アマギくんはキリシマと敵対しているという訳か」

「おれは好きで敵対している訳じゃないけどな。キリシマとはとにかく再戦をしないとならないんだ。命は大事にするけど、おれはそう誓ったから、誓った以上は絶対にその通りにする」アマギは断言をした。

「いや。それは自分達『マイルド・ソルジャー』に任せてくれ。兵隊はそのためにいるんだからね。大丈夫だよ。自分達は決して負けたりはしないよ。それは断言できる。兵隊達はそれ程に強いんだよ」

「わかった。ショシュンさん達はそれならおれの援護に回ってくれ。おれもそれなら安心できる」

「いや。アマギくんは全然わかっていないね。アマギくんはさっき『もう一度』と言っていたけど、キリシマとは一度は戦ったということだよね?キリシマは冗談は抜きで強かっただろう?」

「うん。キリシマは相当に強かった。だけど、次は負けないように念には念を入れておれはここで鍛えてもらおうと思ったんだ。それもここを訪れた理由の一つだ。ダメかな?」アマギは低姿勢のまま聞いた。

「うーん。熱意はよくわかったから、少し位は訓練させてあげてもいいけど、キリシマを倒すのはあくまでも自分を初めとした兵士だからね?それだけは忘れないでね?」ショシュンは忠告をした。

「ということは訓練させてもらえるのか?よっしゃー!それじゃあ、稽古をさせてくれ!ショシュンさんはやさしいな!」物事を深く考えないアマギはすでに有頂天である。自分の言ったことをアマギは一体どれだけ理解してくれただろうかと思いながらショシュンはアマギに稽古をつけてあげることにした。ショシュンはアマギの言った通りにやさしいのである。ショシュンは桃色のロボットの腹部を弄ってからロボットと距離を置いた。ロボットはショシュンに向かってどんどんと向かってきた。そうかと思えば、ロボットは羽を広げてショシュンの横からものすごい勢いで角を払った。それはかなりの高速だった。

しかし、ショシュンは舞を舞うようにしてするりと体を滑らせてその攻撃を避けた。ロボットはそれでも攻撃の手を緩めずに激しく執拗に空中に飛んで行ったショシュンを追った。ショシュンはのらりくらりとその攻撃を全て軽やかに避けている。ショシュンは涼しい顔をしている。

「おお!すげー!ショシュンさんは全ての攻撃をギリギリの所で避けている!ショシュンさんにはまるで次にどこに攻撃が来るのかわかっているみたいだ!これがこの国のベスト・スリーの実力か!」アマギはすっかりと感心をしている。アマギはすでにショシュンが実力者であることを見抜いている。

「自分は戦闘において剛柔を重視している。今のアマギくんに見てもらっているのは柔ならば、これは剛だ。おお!」ショシュンはそう言うとロボットの攻撃をかわしてからロボットを横から縦に顎を挟んで引きずるようにして自分の後方に持って行って一回転してから下に向かって放り投げた。

ロボットは激しく地面に叩き付けられた。ショシュンはそれが終わるとすぐにひっくり返っているロボットに追いついてロボットの電源をオフにした。ロボットは元の通りに大人しくなってしまった。アマギは相も変わらずに先程のショシュンの動きに感動をしている。

「もう言うまでもないと思うけど、これは戦闘の相手をしてくれるマシンだ。レベルは10段階ある。今の自分が戦っていたのはレベル5だよ。自分からしてみれば、今のは微温いけど、アマギくんはここから始めようか?」ショシュンはアマギのことを気遣いながらも落ち着いた口調で言った。

「よし!そうしよう!早速だけど、ショシュンさんはマシンをオンにしてくれ!やったるぞー!」アマギは気合いを入れた。ショシュンはロボットに近づくと設定はそのままにしてスイッチを入れた。

「よーし!姿はキリシマと同じだから、おれは益々燃えてきた!どっからでもかかってこい!よっ!」アマギはそう言うと先程のショシュンを真似てひらりとロボットの攻撃を避けた。しかし、度重なる羽を広げたロボットからの応酬に耐えられなくなったアマギはその内にロボットに組み付いた。しかし、アマギはロボットを投げ飛ばそうとしてもそうは行かなかった。ロボットは本物のキリシマの倍くらいの重量があるのである。ロボットはましてやじたばたしているので、アマギは余計にロボットを投げにくかった。アマギは逆に上空に投げ飛ばされて宙に浮いた。ショシュンはこの時に少しレベルが高すぎたかなと思っていた。しかし、ショシュンのその心配は無用だった。アマギは空中で体制を立て直すと羽を広げて向ってくるロボットから身をかわしてすぐさま後ろ向きになると勢いよく下の方の角でロボットを地面に叩き落とした。ロボットはその結果として地面に転がった。ショシュンはすかさずロボットの電源を切りって言った。

「お見事だよ。完全な一本だ。おそらくは自分でもあれを食らったら相当な深手を負っていただろう。アマギくんにとってはこの位はお茶の子さいさいみたいだったね?それじゃあ、次はレベル6で・・・・」

「いや。レベルはもっと一気に上げてくれ。おれはレベル10でも勝てる自信がある」

「そうかな?もしもの場合は自分が割って入ることになるけど、アマギくんはそれでもいいね?」

「うん。おれはそれでもいいぞ。ショシュンさんは心配をしてくれてありがとう」アマギはお礼を言った。ショシュンはレベルを10に調整してから再びアマギのためにロボットの電源を入れた。ロボットは巨体に似合わぬ超高速移動でアマギに襲いかかった。アマギは避けきれずにその攻撃を少し受けた。

アマギはすぐにロボットによって宙に投げ飛ばされた。アマギは息つく間もなくバランスを崩したまま落下するとロボットに4本の鋭利な角で串刺しにされそうになった。アマギは何とかそれを避けた。

ロボットは次の一手を打ってきた。ロボットはアマギに向かって角を横へ払ってふらふらしているアマギを上空に放り投げた。ロボットは宙を浮かんでいるアマギに向かって羽を広げてやって来た。アマギはその突撃を軽く避けてレベル5を倒した時の要領でロボットを叩き付けようとした。しかし、ロボットはわざと羽をしまって間一髪でアマギの攻撃を避けて空振りしているアマギを引っ掴んで逆に地面に叩き付けた。

ロボットはそのまま再びあまりのダメージで身動きが取れないアマギを串刺しにしようとした。アマギはその瞬間に重傷を覚悟した。しかし、そうはならなかった。ショシュンは高速で落下してくるロボットの横っ腹を挟んで間一髪の所でロボットに攻撃をさせなかった。、ショシュンはまだ羽を広げたままロボットを顎で挟んでいる。ショシュンはしっかりと飛び出すタイミングを計ってくれていたのである。

「アマギくん。このロボットのような突撃が得意な相手とはこうして戦うんだよ。まずはそれを受け流す」ショシュンはそう言うと離したそばから突撃してくるロボットの攻撃を軽やかに避けた。行き過ぎてしまったロボットのお尻を顎で挟んでショシュンは惰性つきでロボットを後方に放り投げた。現在のアマギは地上にいる。ショシュンとロボットの両者は未だに空を飛んでいるままである。

「ここまでは柔だよ。ここから先は剛だ」ショシュンは解説を加えてくれた。勝負はロボットが振り向いてショシュンを探そうとしていた時に決まっていた。ショシュンはあっという間にロボットの真上へ移動して顎でロボットを地面に叩き落としていたのである。これは完全な一本である。地上にいるアマギは大いに感心をしている。ショシュンはロボットの電源を切ると吐息をついて言った。

「こういう敵と戦うことは慣れだね。アマギくんの筋はかなりいいよ。アマギくんはいい所までは行っていると思う。アマギくんはきっといいお師匠さんに教えを受けたんだろうね?互角とまでは行かないまでもレベル10と防戦一方っていう訳でもなかったもんね?本当は素性の知れない虫さんをトレーニングするのはいけないことだけど、アマギくんはある程度は有名だから、とりあえずはよしとしよう。自分はアマギくんがレベル10に勝てるようになるまで付き合ってあげるよ。時間はそれ程にかからないんじゃないかな?」

「本当か?ありがとう!ショシュンさんはさすがに名を上げるだけあって度量が広くてやさしいな。おれはショシュンさんを尊敬するよ。それじゃあ、訓練をお願いします!」アマギは言った。

「了解だよ。自分はさっきから剛柔が大事だといっているけど、柔はただ単に避けるだけじゃない。相手の攻撃の反動や惰性を使ってこっちの方の攻撃の威力を倍増させることもできるんだよ」ショシュンは説明を始めた。アマギはふむふむと頷いている。先生ティーチャーのショシュンによるアマギの猛特訓はこうして続いて行った。戦闘のテクニックだけではなくて性格も柔軟なので、ショシュンは決してスパルタ教育をすることはない。その後のアマギはロボットに対して『セブン・ハート』を使ってはいけないのかと聞いた。ショシュンはアマギが奥義の使い手であることについて少し驚いたが、答えはどっちつかずだった。ロボットはすごく頑丈にできているので、奥義を使うのはいいが、効き目はゼロだからである。

 ここで吸収できるものはとにかく全て吸収をして能力をより一層の高次元へと向けるべく集中力を持続してアマギは真摯な気持ちでショシュンの教えを受けることにした。


 いつも明るい嚮導のテティは今も鼻歌混じりに皆の先頭を歩いている。テンリとシナノはミヤマの他にもムード・メーカーが増えたことを喜ばしく思っている。大抵の場合はテンリ達が旅をしている中でトークはミヤマが独占チェッカーしている。しかし、テティという男の子はそれに負けず劣らずにのべつ幕なしにおしゃべりをする。特にミヤマとシナノとは立場が違ってテティという新しい友達が増えたテンリは上機嫌である。テンリは頃合を見計らって歩きながら気になっていたことを聞いてみた。

「テティくんはどうして腕に木の枝をつけているの?それは腕輪みたいなファッションなの?」

「ああ。これね。ううん。それはちょっと違うよ。これはママの形見だよ」テティはさらっと言った。

「え?テティくんのママは確か病弱だって言っていたよね?ママはあれから亡くなっちゃったの?」シナノは深刻そうにして聞いた。しかし、テティはそれとは打って変わって元気よく否定をした。

「ううん。亡くなってないよ。今のは絶賛流行中のアウリー・ジョークだよ。おもしろいね?」

「何だ?そりゃ!テティくんは適応能力が高いな!アウリー・ジョークは使い方を一歩でも間違うとひどい虫だと思われるから、テティくんは注意をした方がいいと思うよ。本当はどうして木の枝なんかをくっ付けているんだい?」ミヤマは聞いた。テティは愛嬌たっぷりに答えた。

「たかが木の枝だけど、されど木の枝だよ。これはどこにでも落ちている枝じゃないんだよ。りんし共和国から輸入された『魔法の枝』なんだよ。疲れを取ってくれるアイテムだから、これをつけていれば、走ったり、飛んだりしてもすぐに体力を回復できるんだよ。魔法と言うからにはもちろん単なる思い込みではないよ。形見ではないけど、ぼくちゃんはこれを寝たきりのママからもらったんだよ。そのママはこれを知合いからぼく達の家族の三人分をもらったんだよ。体の弱いママには打ってつけなんだよね」

「そうなんだ。それはよかった。それはひょっとして何か今回テティくんが旅をしている事と関係はあるのかしら?」シナノは鋭いことを聞いた。テティは少し驚いた。

「さすがはシナノっちだね?鋭いね?ぼくちゃんは今『魔法の枝』を二つ持っているから、一つはパパに上げるんだよ。パパは武闘会の近辺をパトロールしているそうだから、ぼくちゃんはそこに『魔法の枝』をお届けするんだよ。てへ、自分で言うのもなんだけど、ぼくちゃんはここに来るまでに大変な思いをしたんだよ。人生は山あり、谷ありだね?」テティは恥ずかしそうにして言った。テンリは相槌を打った。

「そうだね。だけど、テティくんはその困難を潜り抜けてここまで来れたんだね?偉いね?」

「てへ、ありがとう。ぼくちゃんの気分は勇敢なる孤高の戦士だよ」テティはすっかりと自分に心酔してしまっている。テティは程よい具合の自尊心を持っている。シナノはそれを微笑ましく思っている。

「ほほう、自信が満々だな。テティくんは一体どんな苦難を乗り越えてここまで来たっていうんだい?テティくんからはさぞかし波乱万丈なストーリーが聞けるんだろうな?」ミヤマは疑わしそうに口を挟んだ。しかし、テティはハードルを上げられても怯まなかった。テティにはそれ程に自信があるのである。

「聞いて驚かないでよ。ぼくちゃんはまず『動物の地』に向かったんだよ。そこは通り道だからっていうのもあったけど、ぼくちゃんはそこで動物さんと仲良くなりたかったからね。ぼくちゃんが会ったフレンド候補はワニさんだったんだよ」テティは話を聞いてもらえてとてもうれしそうである。

 30種類に現存するワニにはアリゲータとクロコダイルとガビアの三科に分けられている。テティが『動物の地』で出会ったのは中でもクロコダイル科の凶暴なイリエワニだった。

「ぼくちゃんは一匹のオスのワニさんと色んなことを話したんだよ。アグレッシブな戦闘方や強い仲間とのアソシエーションの作り方やオーセンティックな心構え・・・・」テティは言いかけた。

「ちょっと待った!そのカタカナの羅列は何なんだ?話題はどんだけ硬派なんだよ!おれはそれを聞いているだけで堅苦しくなってきたよ。テティくんはよく我慢して聞いていたな」ミヤマは最もな指摘をした。テンリとシナノの二人は今の所は口を挟まずに話を聞いている。

「そうなんだよ。そのワニさんはとってもガチガチでこちこちな性格の持ち主だったんだよ。察しはつくかもしれないけど、ぼくちゃんは専ら聞き役に徹していたんだよ。だけど、その話にはその内にもう聞き飽きてきちゃったから、ぼくちゃんは自慢のパパについて話そうとしたんだよ。そのワニさんはそしたら『おれの話が聞けないのか?』って言って激怒しちゃったんだよ。ぼくちゃんは危うくそのワニさんに『バクッ!』って食べられちゃう所だったよ。ぼくちゃんは怖いから、結局はその場を離れることにしたんだ。だけど、あの時は残念だったな。ぼくちゃんはワニさんと友達になれなかったんだもん。ああ。だけど、別のオスのワニさんはぼくちゃんの去り際に『手荒な真似をしてごめんよ』って謝ってくれたから、そのワニさんとは友達になれたって言えるのかもしれないね?」テティは語り終えた。シナノは感想を述べた。

「気遣ってもらえたのはきっとテティくんがやさしいから、そのワニさんはそれに気づいてくれたんじゃないかしら?蒔かぬ種は生えぬって言うけど、普段のテティくんは親切だから、そのワニさんは親切にしてくれたのかもしれない。そういう意味では本当に興味深いお話ね?」シナノは真面目に解釈をした。

「そっか。ぼくも見習わないといけないね?。ぼくはミヤくんとナノちゃんとアマくんとテティくんにもっとやさしくしてあげるね?」テンリは穏やかに言った。ミヤマは少し圧倒された。

「テンちゃんはこれ以上やさしくなったらおれはそれに触れてとろけちゃうよ。テンちゃんは今でも十二分にやさしいよ。テティくんはありがとう。お話は楽しませてもらったよ」ミヤマは言った。

「てへ、いいってことよ。ミヤマっちはもうこれで話が終わりみたいな言い方だけど、ぼくちゃんのお話はまだあるんだよ。これはワニさんと別れてからずいぶんと経ってからのお話だけど、ぼくちゃんは今みたいにして道を歩いていたら突然に特殊急襲部隊に襲撃されたんだよ。隊員は二匹のクワガタさんと銀色のカブトムシさんだったんだけどね」テティは少しここで一息をついた。

聞き手であるテンリ達の三匹はこの時点でそれが誰なのかに気づいた。テティの話に出てきた急襲部隊とは間違いなくカイラクエンとケンロクエンとボイジャーの三匹である。そんなことをすること自体があの三匹であるという十分な証拠になる。しかし、今の所は誰も口を挟まないでおいた。

「ぼくちゃんはよくわからないままその三匹に揉みくちゃにされて少しずつ場所を移動させられちゃったんだよ。ぼくちゃんはその内に『特別にこの紐を引っ張ってもいいであります』ってリーダー格のクワガタさんに言われたんだよ。だけど、ぼくちゃんは用心深い所もあるから、その紐はとりあえず引っ張らなかったんだよ。名前は後でわかったことだけど、さっきのリーダー格のカイくんはそしたらじれったくなったらしくてその紐を引っ張ったんだよ。そしたらね。上からは小型の盥が落ちてきて二本足で立っていたカイくんの顎に『ゴツンっ!』てなったんだよ。ぼくちゃんはやっぱり引っ張らないで正解だったね?今度はそうするとケンくんが逃げ腰になって逃亡を計ったんだよ。そうかと思えば、そのケンくんは自分で作ったらしい落とし穴に嵌って抜けなくなっちゃったんだよ。銀色のロボットのボイジャーくんはさっきとは違う紐にぶら下がって木から木に飛び移ろうとしたんだけど、紐は重量オーバーで『ぶちっ!』て切れたんだよ。その後もすごかったね。カイくん達は皆で罪の擦り合いをしていたんだけど、カイくんはその内にぼくちゃんに『どうだ?すごいだろう?恐れ入ったでありますか?』って聞くんだよ。ぼくちゃんはカイくん達がかわいそうだから『恐れ入ったよ』って答えたんだよ。カイくん達は何やらぼくちゃんを勇者に祭り上げてパワー・ストーンを手に入れるための手伝いをしてくれって申し出てきたんだよ」テティは興奮気味になって言った。その後はお決まりのコースである。テティはハイエナのいるという噂の鍾乳洞へ行って恐怖の体験をすることになった。その際はボイジャーが同行することになった。カイラクエンは怖くて尻込みをしてしまったのである。

しかし、テティのかっとんでいるのはハイエナと仲良くなろうとして結局は鍾乳洞の支配者がハイエナではなくてスズメであるという真相を炙り出して見せたという所である。アマギは何も考えていなくてこの事実に気づいた。しかし、テティの場合は独特のフレンドリー精神が役に立ったという訳である。テティは本当に勇者だったのである。カイラクエン達の三兄弟は何はともあれこれで万々歳である。

テティは最後にカイラクエン達と軽石を使ってじゃれ合ってフレンドの契りを交わすまでになった。テティはこのようにしてカイラクエン達の三兄弟によって不羈奔放な勇者として認められて元気溌剌としたまま今に至る。テティは『冒険をした』と言っても強ち嘘ではないのである。テティのかっ飛んだ性格はそういった冒険を呼び起こしたのである。テティは『雑貨の地』からスタートして『動物の地』→『奇岩の地』→『運動の地』といったルートを辿って来て今はここ『宮殿の地』に至っている。テティは結構な長い旅歩きをして来たのである。鍾乳洞ではそんなことがあったのかとテンリとミヤマとシナノは感心をした。それはアマギも体験した話だからである。テンリは特に窮境におけるアマギとテティの対応ぶりに感動をしている。

「獰猛なハイエナさんにも屈しないなんて言い方はちょっと荒っぽいだけど、テティくんは肝っ玉が座っているんだね?ぼくにはとても真似できそうにないよ」テンリは感想を述べた。

「私もそうよ。私はきっと尻込みしちゃうと思う」シナノは言った。テティは喜んだ。

「てへ、実はぼくちゃんってすごいクワガタなのかなあ?ミヤマっちもそう思う?」

「テティくんは確かにすごいかもしれない。しかしだよ。よく見てご覧なさい。ここにはそれを遥かに上回る器のクワガタがいるじゃないか。他の虫とは放っているオーラが違うだろう?」ミヤマは自分に対する尊厳を持って言った。これはミヤマも冗談半分で言っている。

「どこ?どこ?どこにそんな虫さんがいるの?」テティはとぼけている。ただし、これは本当にわかっていないだけである。テンリは助け舟を出してあげることにした。

「本当だ!いた!ミヤくんからは紅白のオーラが見える!気がする。気がするだけかな?」

「テンちゃん。それじゃあ、すごいのか、すごくないのか、よくわからないよ」ミヤマはやさしく宥めた。ミヤマのことはよく言ってあげたいけど、テンリはやっぱり嘘はいけないなと思ったので、あのようになったのである。しかし、少しは効果があったらしくテティは納得をした。

「そうか。ミヤマっちは頼れるぼくちゃんの師匠だから、すごいのは当然だね?でもね。武闘会に出場すれば、ベスト4に入る自信はぼくちゃんだってあるんだよ。どうだ!すごいでしょう?」

「それはどこかで聞いたことがあるようなセリフね?テティくん。今日は一般人でも出場できるって言われたらどうする?」シナノは最前の質問をした。テティは粋がった。

「かかってきんしゃい!ミヤマっちだか、ヒヤマっちだか、よくは知らないけど、ぼくちゃんは無敵のサイボーグだ!どんな敵でも薙ぎ倒して見せてやる!強者なんてなんぼのもんじゃい!てへ、ぼくちゃんはちょっと格好をつけ過ぎたかな?」テティは冷静さを取り戻すと恥ずかしそうな顔をした。

「よし!決まりだ!テティくんはそこまで言うのなら戦ってみよう!本当の武闘会はここにありだ!」ミヤマはテティに対して決闘を申し込んだ。テンリは過剰な反応を見せた。

「えー?ミヤくんはそんなに戦闘的な性格の持ち主だったっけ?ミヤくんはアマくんみたいだね?」

「大丈夫だよ。テンちゃん。これはただのレジャーだから、心配は無用だよ」ミヤマは穏やかである。レジャーだということはわかっているシナノは敢えて口を出さないでいる。

「OK!来てみろよ!」テティはそう言って顎を動かしたり、突き出したりしている。テティの声はそもそも甲高いのにも関わらず、今のセリフはハード・ボイルドのような渋い声になっている。テティはミヤマと同様にして相も変わらずにぶっ飛んだ世界観を持っているなとシナノは密かに感心をした。テンリ達の一行はこうして立ち止まった。ミヤマVSテティのタイトル・マッチは開催されることになった。

テティに言わせるのならば、この戦は宿命の師弟対決である。体長はミヤマの方がテティよりも25ミリも大きい。だから、ミヤマは勝利する気が満々である。ミヤマはテンリに対して耳打ちをした。

テンリ達はしばしの話し合いの結果として雑でもいいので、テンリはレフェリーと司会者を兼任することになった。テンリはミヤマの話を受けると言った。

「赤コーナーはすご腕の格闘家でぼく達の主力の一人でもあるサイコ・ヒーロー・ミヤくん!」

「テンちゃん!悪いんだけど、おれは緑コーナーね。おれのイメージ・カラーは緑なんだ。文言は軍師・戦闘員・芸術家・二枚目俳優でお馴染みのミヤくんっていうものも付け足しておいてくれるかい?もう一つ言わせてもらえるならば、ナノちゃんは歓声を上げてくれないかい?そうしないと今一つ盛り上がりに欠けるからな」ミヤマ注文をした。テンリは言われた通りにした。シナノは『わー!』という型通りの歓声を上げてあげることにした。実に白々しい歓声である。ミヤマは何だかずいぶんとわざとらしいなと思った。しかし、シナノは折角の要望に応えてくれたので、ミヤマは特に何も言わなかった。続いてはテティの登場である。

「青コーナーはワニと戦う男!超一流のサイエンティフィック・ファイター・テティくん!」テンリは紹介をした。シナノは『わー!』と言って役割を果たした。今度はテティが口応えをしてきた。

「ぼくちゃんには成績優秀・頭脳明晰・冷静沈着・気宇壮大・謹厳実直・洒々楽々のテティくんっていう文言も付け足しておいてね?えっへん!ぼくちゃんは強いのです!」テティは胸を張った。

 セリフは相当に長いので、テンリは一々テティに確かめてそれを繰り返して上げた。テティはテンリが放っておくと自分のリング・ネームは『バズーカの魔神』であると自称をした。それは意味不明だし、どうでもいいことなので『何のこっちゃ!』とミヤマは思ったが、やさしいテンリは『格好いい!』と言ってテティを褒めそやした。テティは満更でもない様子である。ミヤマとテティはそれにしても自分に自信を持ちすぎではないだろうかと思うシナノの今日この頃である。しかし、シナノはそこも二人の長所でもあるなと思っている。自尊心を失ってしまうことよりは少なくとも断然いいことである。シナノはそこを見習いたいと密かに思っている。シナノは他の虫のいい所を吸収するのがうまいのである。

 ここまで到達するのには長いキャッチ・コピーのせいでずいぶんと時間はかかったが、合戦はテンリの『レディー・ファイト!』の合図によって始まった。ミヤマは色仕掛けをした。

「うふ~ん!攻撃なんて荒っぽいことはいや~ん!やさしくして~!」ミヤマは言った。

「なんて色っぽい防御法だ!これじゃあ、手出しはできない!どうすればいいだろう?うーん」テティは険しい顔をして本気で悩み出した。シナノはそれを受けて驚嘆をした。

「えー!そうかしら?これが女性に見えたら相当に視力が悪いことになりそう」シナノはここで自分がつっこまないとミヤマのギャグは滑ってしまうと判断して言った。しかし、ミヤマは多少の衝撃を受けた。

「ガーン!ナノちゃんは言うね?まあ、自覚はしているから、おれは別にいいんだけどね。それならば、こっからは正攻法だ。うおりゃー!」ミヤマはそう言うと地面を蹴って突撃をした。

「受けて立つ!どうりゃー!」テティはそう言うとミヤマに組み付いた。ぶつかり合う両雄である。その凄まじさはライオンとトラの大激突を目の当たりにしているようである。そう思っているのはテンリだけだというのは玉に瑕である。勝負は時を移さずして早くも決した。

テティは『きゃん!』と言ってミヤマの後方に投げ飛ばされてしまった。実はケンカをしたことがないので、テティは完全に及び腰になってしまっていたのである。テンリは宣告をした。

「ウィナー!ミヤくん!テティくんは投げ飛ばされちゃって大丈夫なのかな?」テンリは心配をした。

「大丈夫だよ。ぼくちゃんは打たれ強いんだよ。この位は屁でもないね」テティは裏返っていた体を表にした。テティは少しミヤマを睨みつけた。しかし、テティは特に何もせずに鼻歌交じりに歩き出した。

「フン♪フン♪フフン♪さあ!皆!行くよ!日没までには少しでも前に進もうよ!仲良しだもんね?ぼくちゃん達は皆で楽しく足並みを揃えよう!そういえば、ぼくちゃんは勝利選手のインタビューを受けないといけないのかな?」テティはあっけらかんとして聞いた。ミヤマは得意のつっこみを入れた。

「いや。勝ったのはおれだからね!そこは間違えないでくれるかい?あれ程の激戦に勝利したおれはうれしいもんでね」ミヤマは主張した。テンリ達の一行は何だかんだで歩き始めた。テティは妙にさばさばしているなと思いながらも先刻の勝負についてシナノはコメントをすることにした。

「テティくんは善戦をしたけど、海賊団や革命軍と戦っているから、経験豊富なミヤくんはやっぱり強かった。ミヤくんは益々逞しくなっているものね?」シナノは穏やかである。

「そうだね。ミヤくんは武闘会に出たら本当に優勝しちゃうかもしれないね?今はアマくんがいない時でもミヤくんがいてくれるから、ぼくは心強いな」テンリは惜しみのない賛辞をした。

「はっはっは、そうでしょう。そうでしょう。末は博士か?大臣か?そう言われ続けているだけのことはあるだろう?テティくんは落ち込む必要はないよ。師匠という名の壁はちょっとやそっとでは崩れないものだよ。しかし、そうだな。テティくんの場合はおれ位の男になるのには三日はかかるだろうな」ミヤマは最もらしい顔をして言った。シナノは形式的につっこみを入れた。

「期間はずいぶんと短いのね?ミヤくんはそんなに安っぽいのかしら?ようは誰にでもなれるっていうことなの?テティくんのレベルはそれ程に高いっていうこと?」シナノは聞いた。

「それはあれだよ。世界の七不思議の一つだよ。ミヤくんはどうしてそんなにおもしろいのか?ミヤくんは世界の創造者なのか?世界の七不思議にはそんなこともランク・インしているんだけどな」ミヤマは難しい顔をして言った。世界はまるで自分を中心に回っているかのような言い草だが、ミヤマはもちろん冗談を言っているのである。ミヤマは幾ら何でもそこまでの利己主義者エゴイストではない。

「負けるが勝ちとは言わないけど、さっきの戦いはいい経験になったよ。ぼくちゃんはこれでまた一歩は修羅に近づいたよ。負けはしたけど、ぼくちゃんはすっごく清々しいよ」テティはそう言って皆の先陣を切って歩いている。テンリとシナノは仄々とした心持ちで歩いている。すっかりとテティの師匠を気取っているミヤマに至っては仏様のような心持ちで歩いている。その後のテンリ達の一行は暗くなるまで歩き続けて武闘会の会場まで後わずかな所まで来ると樹液の出る木を探し出してそこで骨休めをすることにした。

テンリは眠る前に夜空を見上げて一人で旅に出ているアマギに想いを馳せた。今夜は満月なので、ミヤマとシナノはお月見をした。さすがのテティも由々しい光景を見て息を吞んだ。

そんなテンリ達の横には月見草が咲いている。月見草は白い花を開いて翌朝には萎んでしまって紅色になる。物知りなシナノは他の三匹に対してそんな豆知識を教えてあげた。

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