表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/41

9話 水子の霊はどこへ行く?

 ジョイフルに入ると、店内は昼時の混雑が一段落したようで、比較的静かだった。


 窓際の席に座るサラリーマンたちは、ノートPCを開いて何かを打ち込んでいる。制服姿の高校生が数人、ドリンクバーを行ったり来たりしながら談笑している。年配の夫婦が向かい合ってゆっくりと食事をしている。


「——いらっしゃいませ。」


 カウンター越しに、若い女性の店員がにこやかに声をかけてくる。


「あ、三名です。」女性がすかさず答える。


「こちらの席でよろしいですか?」


 促されて、俺たちは奥のボックス席に案内された。


 席に着くなり、女性が少し落ち着いた表情を浮かべ、俺に向き直る。


「……すみません。突き飛ばしたりなんかして。」


「まぁ、気にしてねぇよ。人間、驚けば反射的に動くもんだ。」


 俺は電子タバコを取り出し、咥えかけて「店内禁煙」のステッカーを見て諦め、ポケットにしまった。


「にしても、こんな昼間っからファミレスってのも久々だな。」


 メニューを開きながら、ふと隣に座るミナモを見る。


「お前、こういう場所来るのか?」


「……ミナモは、あまり外食をしません。」


「そうか。」


 彼女は、メニュー表を眺めていたが、視線をすぐに俺へ戻した。


「でも、ミナモはパフェが好きです。」


「へぇ。」


「嘘です。——データベースにそう書いてあります。」


「なんだそりゃ。」


 俺は肩をすくめ、メニューを適当にめくった。


「んで、あんたは何が言いたくて俺をここに連れ込んだんだ?」


 俺はメニューをパラパラとめくりながら、向かいに座る女性の様子を横目で見ていた。


 彼女は特に迷う様子もなく、自分の注文を決めると、ミナモの方をちらりと見て、


「パフェにしようか?」


 と、まるで本当の子供に尋ねるような口調で言った。


「……ミナモは、甘いものを食べる機能はありません。」


 ミナモは静かに答える。


「それでもいいの。こういう時は、食べることより雰囲気を楽しむものよ。」


「……了解しました。」


 ミナモは小さく頷いた。


 ——こりゃまた、ずいぶんと親しげな対応だな。


 注文を済ませた後、女性はふっと息をついて、俺をまっすぐに見た。


「ミナモは——私と夫の娘なんです。」


 そう、はっきりと告げた。


 俺はその言葉に、自然と眉をひそめた。


「……あんたの“娘”、ねぇ。」


「ええ。」


 彼女の目に迷いはなかった。


「それは——比喩としてか? それとも、本気でそう思ってる?」


 俺の問いに、彼女は少し考える素振りを見せた後、小さく微笑んだ。


「あなたはどう思いますか?」


「俺の意見なんか、どうでもいいだろ。」


 俺は腕を組みながら、ちらりとミナモを見た。


「こいつは旧型のLX-7 PUPIL。20年以上前の教育支援アンドロイドだ。」


「そうですね。」


「子供向けのAIを積んでるし、親の代わりに勉強を教えたり、遊び相手になったりもする。でも所詮は“製品”だ。」


 俺はコップの水をひと口飲み、女性の顔をじっと見つめた。


「——それでも、“娘”だって言い張るのか?」


「ええ。」


 彼女は迷いなく頷いた。


「夫と私は、ミナモと一緒に暮らしてきました。だから、娘なんです。」


「……ふぅん。」


 俺は電子タバコを弄びながら、目を細めた。


「まぁ、そう思うのは自由だな。」


「ありがとう。」


 彼女はそう言って、少し安心したような顔をした。


「ただし——」


 俺はテーブルに肘をつき、軽く指を鳴らした。


「それなら、それなりに手入れしてやれよ。オイル漏れなんて放置するもんじゃねぇ。」


「……。」


 彼女の表情が、わずかに陰った。


「それは——」


 言いかけたところで、ちょうど店員が注文を持ってきた。


 パフェの載った皿がテーブルに置かれ、ミナモの前にスプーンが添えられる。


 ミナモはじっとパフェを見つめた後、小さな手を伸ばした。


 ——そして、ぎこちなくスプーンを握った。


「いただきます。」


 彼女はそう言って、ゆっくりとパフェをすくい、口元へ運んだ。


 ——何も味わえないはずの、アンドロイドの口元へ。


 俺はテーブルの上に肘をつきながら、ミナモがパフェを口に運ぶ様子を見ていた。


 ——いや、正確には「口に運ぶフリ」をしているだけだ。


 アンドロイドに味覚なんてない。

 それなのに、まるで普通の子供のようにスプーンを握り、甘いものを食べる動作を繰り返している。


「……やめてくれよ。」


 思わず、言葉が口をついて出た。


「そんなの見せられても、こっちが気まずくなる。」


 少しだけ、口調が強まる。


 俺は目の前の女性に視線を向けた。

 彼女は驚いたように俺を見つめ、その後、少し悲しそうに笑った。


「……ごめんなさい。」


「いや、謝ることじゃねぇけどよ……。」


 俺は手元のグラスを持ち上げ、水をひと口飲んだ。


 喉が妙に渇いている。


 この空間が、やけに居心地が悪い。


「……ミナモは、生まれる前に死にました。」


 静かに、彼女がそう言った。


 俺は——


 それだけで、すべてを理解した。


「あぁ、そういうことかよ……。」


 俺は、軽く目を閉じ、ため息をついた。


 ミナモが“娘”である理由。


 このアンドロイドが、彼女にとってただの機械じゃない理由。


 全部、繋がった。


「……。」


 居ても立っても居られない。


 俺は椅子に深く座り直し、電子タバコを口にくわえた。


 煙を吐き出しながら、ぼんやりと天井を見上げる。


「……クソッたれが。」


 思わず、そう呟いた。


 彼女の“娘”は、生まれることなく消えた。


 ——そして、その代わりに「ミナモ」がいる。


 俺には、それを肯定することも、否定することもできなかった。


 ただただ、居心地の悪い気まずさだけが、この空間に満ちていた。


 俺はグラスの水を飲み干し、テーブルの上に置いた。


「最近、ミナモはすぐに寝てしまって……それで、起きなくなるんです。」


 彼女はそう言って、静かにミナモを見つめる。


 ミナモはパフェのスプーンを持ったまま、無言でこちらを見ていた。


「……まぁ、バッテリーの劣化だろうな。」


 俺は無造作に答える。


 古い型のアンドロイドなら、バッテリーの寿命は十数年程度が限界だ。

 今のミナモがどういう状態かわからないが、充電回数が積み重なれば、どんなに頑丈なバッテリーだって、いつかは限界が来る。


 それはただの“物理的な劣化”だ。


 だが——


「もし、このまま……ミナモが起きなくなったら。」


 彼女の声がかすかに震えた。


「私たち夫婦は……また失うんです。」


 俺は、その言葉に手を止めた。


 一瞬、沈黙が落ちる。


「……。」


 居心地が悪い。


 テーブルを挟んで、俺と彼女の間に、重い空気が流れる。


 彼女が言いたいことはわかる。


 ミナモは彼女たちにとって、ただの機械じゃない。


 ——“娘”なんだ。


 たとえそれがアンドロイドであっても。


「……。」


 俺は、口の中の苦みを吐き出すように、ゆっくりと言った。


「なら、メンテナンスしてやれよ。」


 彼女が、俺を見た。


「……え?」


「ミナモを“生かしたい”んだろ? なら、できることをやれよ。」


 俺は腕を組み、椅子にもたれながら続ける。


「……正直、俺にはわからねぇ考え方だ。」


「……。」


「ミナモはアンドロイドだ。人間じゃない。」


 冷たい言い方になったのは、わざとだった。


「それなのに、人間みたいな生き方を強いられてる。」


「……。」


「アンドロイドが、それを“不幸”に思うかどうかは知らねぇよ。」


 俺は煙を吐き出しながら、淡々と続けた。


「だけどな——少なくとも、俺は不幸だと思うぜ。」


「……。」


 彼女の表情が、かすかに曇る。


「機械に、感情なんてねぇ。バッテリーが切れれば、それで終わりだ。 だが——」


 俺はミナモを見た。


「こいつを“娘”として扱うってのなら、バッテリーくらい交換してやれよ。」


 ミナモの視線が、俺を捉えていた。


 電子音のような瞳。


 でも——


 そこに何かが宿っているように思えたのは、俺の錯覚だろうか。


「……やれることをやらねぇで、ただ失うのを待つなんて、馬鹿げてる。」


 俺はそう言い放ち、電子タバコの火を消した。


「……で、どうすんだ?」


 俺は、彼女に問いかける。


 ただし、答えはわかりきっていた。


 俺は腕を組み、ミナモをじっと見た。

 そして、少し考え込んでから、静かにため息をつく。


「……ふん。2、3日だけ借りるぞ。」


 彼女が驚いたように俺を見た。


「えっ……?」


「修理だよ、修理。バッテリーの状態を見て、交換できるなら交換する。それで様子を見てやる。」


 俺はコップの水を一口飲み、テーブルに置いた。


「ただし、保証はしねぇ。こいつは旧型だ。純正のパーツなんて、まず手に入らねぇからな。」


「……それでもいいです!」


 彼女は力強く頷いた。


「お願いします……どうか……ミナモを……。」


「ったく、大げさだな。」


 俺はぼやきながら、ミナモの肩を軽く叩いた。


「おい、ミナモ。しばらく俺んとこに来るか?」


 ミナモは、少しの間沈黙したあと、小さく頷いた。


「ミナモは、メンテナンスを受けます。」


「よし、決まりだ。」


 俺は立ち上がり、ポケットからスマホを取り出す。


「……さて、こいつを運ぶか。」


 彼女は少し困ったように言った。


「ミナモ、歩けると思いますけど……その……重くないですか?」


「別に。」


 俺はミナモを片腕で抱え上げた。


 ——軽い。


 さすが旧型のアンドロイド、骨格は合成樹脂製で、人間の子供よりもずっと軽い。


「お、おじちゃん……大丈夫ですか?」


 ミナモが少し不安そうに俺を見上げる。


「こんなの朝飯前だ。」


 俺は肩をすくめ、店の出口へ向かった。


「……じゃあ、数日したら連絡する。」


「本当に……ありがとうございます。」


 彼女は深く頭を下げた。


 俺はそれを適当に受け流しながら、トラックのドアを開けた。


「ほら、乗れ。」


 ミナモを助手席に乗せ、ドアを閉める。


 エンジンをかけると、ナビの画面が青く光った。


「さて……これでまた厄介事が増えたな。」


 俺は軽く肩をすくめながら、アクセルを踏んだ。


 ——こうして、俺は“娘”を預かることになった。



 夕暮れの中央道を、トラックは滑るように走る。


 オレンジ色の陽光が地平線に沈みかけ、雲は薄紅に染まっている。


 街の明かりがぽつぽつと灯り始める時間。


 ミナモは助手席で、相変わらず無表情のまま窓の外を眺めていた。


 だが——


 なんとなく、楽しそうに見えた。


 感情がないはずの顔なのに、どこか満ち足りた雰囲気が漂っている。


 風景が流れていくのを、じっと目で追いかけている。


「……楽しいか?」


 俺が聞くと、ミナモはこくりと頷いた。


「楽しいです。」


「……ふぅん。」


 俺は適当に相槌を打つが、イマイチ理解ができなかった。


 アンドロイドに“楽しい”なんて感覚があるのか?


 プログラムされた反応なのか?


 それとも……


「外の景色、動いているのが面白いです。」


 ミナモは、淡々とした声でそう言った。


「そりゃ、お前が今まであんまり外を見てこなかっただけだろ。」


「はい。ミナモは、屋内での活動が主でした。」


「だろうな。」


 家庭用の子供向けアンドロイドなら、基本的には家の中で子供の相手をするのが仕事だ。


 外に出る機会はほとんどなかったはず。


 だからこそ、こうして流れる景色を見て、妙に嬉しそうにしているのかもしれない。


 俺は電子タバコをくわえ、白い蒸気を吐き出した。


「……変なヤツだな、お前は。」


「そうでしょうか?」


 ミナモが首をかしげる。


「まぁな。アンドロイドが“楽しい”とか言うのは、ちょっと気持ち悪いって話だよ。」


「そうですか……。」


 ミナモは少し考える素振りを見せたが、それ以上は何も言わなかった。


 夕日が沈み、空がゆっくりと青紫へと変わっていく。


 トラックはそのまま、静かに中央道を走り続けた。



 自室に戻ると、ミナモはソファに腰を下ろしたまま、微動だにしなかった。


 まるで電池の切れたオモチャのように、じっと座ったまま。


「……おい。」


 呼びかけても、返事がない。


 怪訝に思いながら近づくと、ミナモの瞳がうっすらと光を宿した。


「省電力モードです。」


 淡々とした声。


「……なんだそりゃ。」


「エネルギー消費を抑えるため、活動を制限しています。」


「勝手にスリープすんなよ。せめて言え。」


「……はい。」


 相変わらずの無表情で頷くが、そのまま動こうとしない。


 まるで「今のままで問題ない」とでも言いたげな様子だった。


 俺は肩をすくめ、ミナモを尻目にパソコンを起動する。


 デスクの上のモニターが立ち上がり、薄青い光が部屋の中にぼんやりと広がる。


 キーボードを叩き、検索ウィンドウに文字を打ち込む。


「LX-7 PUPIL……っと。」


 検索結果がズラリと表示される。


 だが、肝心のパーツ情報を確認すると——


「げ……在庫なし、かよ。」


 まあ、20年以上前のモデルだ。


 今さら純正のパーツが手に入るとは思ってなかったが、それにしてもここまで何もないとはな。


「……ちっ。」


 舌打ちしながら別の検索をかける。


 完全な純正品はなくても、流用できる互換パーツくらいはあるはずだ。


 電源モジュール、関節用シリンダー、音声出力装置……


 いくつか代替品が見つかる。


「……まぁ、これならなんとかなるか。」


 俺はタバコをくわえたまま、椅子の背にもたれた。


 ミナモは相変わらずソファの上で、じっとこちらを見ている。


 ——こいつのために、ここまで動くなんてな。


 自分でも少し笑えてきた。


 俺は引き出しを開け、奥にしまってあった小さなケースに手を伸ばした。


 中には、八潮の工場で“抜き取った”集積回路が収まっている。


 こいつを持ち帰ってから、ずっと机の奥に眠らせていた。


「……さて。」


 ケースを開け、指先で回路をつまむ。


 滑らかな金属の表面が薄く光を反射する。


 集積回路。


 アンドロイドの“意思決定”を司る核とも言える部分——記憶のデータではなく、“経験”に基づく行動を決める領域。


 ……あのクレーンロボットは、壊される寸前に手を伸ばした。


 誰の指示でもなく、誰の命令でもなく。


 ただ、“助けようとした”。


「なぁ、ミナモ。」


 ソファの上に目を向ける。


 ミナモは相変わらず無表情のまま、だが、俺の声に反応し、わずかに首を傾げた。


「……お前は、ここに来る時“楽しい”って言ったよな?」


 静かに問いかける。


「はい。」


 迷いのない答え。


「どこまで本気だったんだ?」


 ミナモは一瞬、まばたきをした。


 俺は集積回路を指先で転がしながら、目の前のアンドロイドを見つめた。


 コイツはただのプログラムなのか、それとも——


「……。」


 ミナモは少し考えるような仕草を見せた。


 そして——


「楽しい、という定義は曖昧です。」


 ゆっくりと口を開いた。


「ですが、私は“楽しい”と感じました。」


「……へぇ。」


「“楽しい”とは、どういうものですか?」


 その問いに、俺は小さく鼻で笑った。


「そんなもん、人間だってちゃんと答えられねぇよ。」


 ミナモは静かに瞬きを繰り返しながら、それでも何かを理解しようとしているように見えた。


 俺は集積回路を軽く弾く。


「……楽しい、か。」


 ふと、壁に目を向ける。


 そこには、昔の俺と母親の写真があった。


 子供の頃、母さんと過ごした時間——


 楽しいと、確かに思っていた。


「——クソ。」


 俺は苦笑しながら、集積回路をそっと引き出しに戻した。


「……まぁ、悪くねぇか。」


 ミナモが“楽しい”と言ったこと。


 それが本当かどうかなんて、今さらどうでもよかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ