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8話 青梅の女の子


「はぁ……クソ、無駄足だったな。」


 トラックのハンドルに腕を乗せ、

 ぼんやりと外の景色を眺める。


 依頼は消えた。

 つまり、時間だけが無駄になった。


「……仕方ねぇ、戻る前に飯でも食うか。」


 エンジンをかけ直し、

 都心の方へ向かう。


 ここもれっきとした東京だが、

 品川や新宿とは違い、空が広く感じる。


 道沿いにはコンビニとチェーンのファミレス、

 ビルの谷間にぽつんと残る古いラーメン屋、

 カフェのテラス席ではスーツ姿の会社員がスマホを見ながらコーヒーを啜っている。


 この辺りはオフィス街ではないが、

 企業の倉庫や小さな工場が点在している。

 自動運転の配送車が倉庫の前で積み込みを待ち、

 時折、作業員がタブレットを片手に走り回っているのが見えた。


「……都心と比べりゃ、落ち着いてるな。」


 信号が赤に変わり、

 俺はブレーキを踏む。


 その時だった。


 横断歩道を歩く”少女”が目に入る。


「……ん?」


 黒いワンピースを着た細身の女の子。

 髪は短め、顔立ちは幼い。


 だが、何かがおかしい。


 視線を落とすと、

 彼女の足元に黒い液体がポタポタと滴っていた。


「……オイル?」


 まるで、身体から”漏れている”ように。


 汗でも雨でもない。

 確かに、機械油のような光沢を持った液体。


 俺は無意識にハンドルを握る手に力を込めた。


 ——あれは、人間か? それとも……?。


 信号が青に変わる。


 俺はトラックのエンジンをかけようとしたが、

 ふと、視線が彼女を追っていることに気づいた。


 ——気になる。


 その黒い液体が何なのか。

 そして、彼女自身が何者なのか。


 俺はトラックを適当に路肩に停め、

 エンジンを切った。


「……まぁ、珍しいもん見たら、気になるのが人情ってやつだ。」


 大して深く考えず、

 俺は彼女を追いかけることにした。


 歩道を静かに歩く少女。

 その後ろを、俺は適当な距離を保ちながらついていく。


 近づくにつれて、

 違和感は確信に変わった。


 ——これは、人間じゃねぇ。


 ボディのジョイント部分、

 わずかに覗く人工皮膚の継ぎ目。

 時折、関節の可動に合わせてわずかに露出するメカニカルな構造。


 間違いない。


 “旧型の子供向けアンドロイド”だ。


 ……型式は、「LX-7 PUPIL」。


「LX-7 PUPIL」——

 20年ほど前に流行った、子供の遊び相手用の教育アンドロイド。


 人間の子供と同じサイズ、

 優しい口調と温和な性格。

 勉強を教えたり、一緒にゲームをしたり、

 子供の成長をサポートする目的で作られたモデルだった。


「……マジかよ。」


 この型式のアンドロイドは、

 とっくに市場から消えたはずだ。


 バージョンアップした後継機が登場し、

 古い個体はメンテナンスが難しくなり、

 ほとんどが廃棄された。


 それが、なぜ今ここに?


 しかも、明らかにオイルを垂らしながら動いている。


 まるで、どこかへ向かうことだけを目的としているかのように。


 俺は腕を組みながら、

 ゆっくりと歩く「LX-7 PUPIL」の背中を見つめた。


「——そこのあなた。」


 突然、周囲に響く拡声器の音。


 俺は足を止め、

 背後を振り返る。


 少女——いや、LX-7 PUPIL も同じく、ゆっくりと振り返った。


 パトカーの赤い警光灯が、ゆらゆらと明滅している。


 黒と白のボディに、青いマーキング。

 標準的な警察車両。


 助手席の窓が開き、

 警察官がこちらをじっと見ていた。


「すみません、ちょっとよろしいですか?」


 俺は面倒ごとにならなきゃいいが、と思いつつ、

 軽く肩をすくめてパトカーに視線を向ける。


 ——歩道を歩いていただけで、警察に呼び止められるとはな。


 パトカーのドアが開き、

 警察官が一人、てくてくとこちらに歩いてくる。


 30代半ばくらいの男。

 制服はきっちりと着こなしているが、

 どこか疲れたような顔をしていた。


「ちょっと確認させてください。」


 近づいてきた警察官は、

 俺とLX-7を交互に見比べる。


 ——さて、俺は何を疑われてるんだ?


「女の子の親御さんですか?」


 警察官が俺を見て尋ねる。


「……女の子?」


 俺は一瞬、何のことかと思ったが、

 警察官の視線の先にあるのはLX-7 PUPIL。


「……いや、ちょっと。」


 曖昧に答えた瞬間、

 警察官の眉がわずかに動いた。


 ——間違いない、俺を不審者だと思ってる。


 まぁ、そりゃそうだろうな。

 都心の歩道で、大の男が子供のような外見のアンドロイドを

 じっと追いかけていたら、そりゃ通報ものだ。


 だが、俺もこのまま変質者扱いされるのはごめんだ。


 俺は軽くため息をつきながら、

 LX-7の肩をポンポンと叩いた。


「……これ、アンドロイドですよ。」


「……え?」


「LX-7 PUPIL、20年くらい前に流行った子供向けのAIロボット。

 旧型なんで、もう市場にはほとんど出回ってませんけどね。」


 そう言って、俺はLX-7の手首を指さす。


「関節の継ぎ目、見えませんか?」


 警察官は目を細め、

 じっとLX-7の手首を見つめた。


 すると、確かに微細なジョイント部分が露出しているのに気づいたのか、

 眉をひそめる。


「……あ、本当だ……。」


「なぁ、むしろこんだけアンドロイド然としているのに、

 なんで気づかないんすか?」


 俺が呆れたように言うと、

 警察官はバツが悪そうに咳払いした。


「いや……すみません、最近のアンドロイドは人間と見分けがつきにくくなっていて……。」


「そりゃそうだろうけど、

 コイツは20年前の型式ですよ?」


 俺が指摘すると、

 警察官は視線をそらし、さらにバツが悪そうな顔をする。


「とにかく、不審者ってわけじゃないんで、いいですね?」


「ええ……まぁ……。」


 警察官は納得したようなしないような顔で頷いた。


 俺は「やれやれ」と首を振りながら、

 LX-7を見やる。


 相変わらず無言で立っているが、

 その瞳の奥に何か考えているような、

 そんな表情をしているように見えた。


 ——すると、警察官が突然言った。


「えっと……それと、駐車違反ですね。」


「は?」


「ここ、駐停車禁止エリアなので。」


 俺は目を見開いた。


「おいおい……まさか、苦し紛れに駐禁切る気か?」


「……いえ、ルールですので。」


 警察官はバツが悪そうにしながらも、

 機械的に駐車違反の切符を切り、

 俺のトラックのワイパーに挟んだ。


「——見苦しいやつだな。」


 俺は呆れて笑い、

 ポケットから電子タバコを取り出し、

 煙を一つ吐いた。


「まったく……今日は厄日か?」


 赤く点滅するパトカーの警光灯を横目に、

 俺は呆れ果てながら空を見上げた。


 警察が去った後、俺は駐禁の切符を無言で睨んだ。


「……クソッたれが。」


 ため息をつきながら、ワイパーから紙を引っこ抜く。

 まぁ、今さらどうしようもない。


 ——と、その時。


「おじちゃん、ミナモに何か用ですか?」


 不意に、電子的なノイズ混じりの声が耳に届いた。


 俺は顔を上げる。


 LX-7 PUPIL——いや、“ミナモ”と名乗るアンドロイドが、こちらを見ていた。


 ほんの僅かに、声が歪んでいる。

 AIの補正が入る前の、ロボットらしい音声特有のブレがある。


 たぶん、長年の劣化で音声出力モジュールが傷んでいるんだろう。


「……なんも。」


 俺は電子タバコをくわえながら、

 ミナモの足元を指さした。


「なんか垂れてるからさ。オイルだろ? ちょっと見せてみろ。」


 ミナモは小さく頷くと、

 おとなしくその場に立ったまま足を前に出した。


 俺はしゃがみ込み、指で液体をすくう。


 ——やっぱり、機械油だ。


「……あー、関節か。」


 ポツリと独り言のように言う。


「この年代のLX-7は、関節の可動部が弱いんだよな。」


 俺は指で関節部をなぞる。


 “旧型アンドロイド”特有の構造——

 LX-7 PUPILシリーズは、子供サイズのアンドロイドとして設計されたが、

 それゆえに耐久性が犠牲になっていた。


 人間の骨に相当するフレームは軽量化のために合成樹脂が使われ、

 関節部には油圧式の微調整機構が組み込まれていた。


 この関節システムは当時としては画期的だったが、

 長年使い続けると、シール(密封材)が劣化してオイル漏れを起こすという欠陥があった。


 まさに、今目の前にいるミナモがそうだ。


「……おい、ミナモ。」


「はい?」


「ちょっとこっち来い。」


 俺は近くのベンチを指さす。


 ミナモは素直に歩いてきて、

 言われた通りにベンチに腰を下ろした。


「よし。」


 俺は工具ポーチからスパナを取り出し、

 手際よく足部のロックを解除する。


 ——カチッ。


 金属音が響くと同時に、

 ミナモの右足が外れた。


「……っと、ちょっとショッキングか?」


 俺は顔を上げてミナモの反応を伺った。


 だが——


「問題ありません。ミナモは故障していません。」


 ミナモは驚く様子もなく、

 静かにそう答えた。


 ……なるほどな。


 アンドロイドの自我が成長してくると、

 自分の体を失うことに恐怖を抱くものもいる。


 だが、ミナモは完全に“古い時代の設計”のままだ。

 自己修復やエラー補正のためのロジックはあっても、感情プログラムは限定的。


「ま、そういうことにしとくか。」


 俺は苦笑しながら、

 外した足の関節部を分解し始めた。


 ——さて、どこまで直せるかね。


 俺は一度、トラックの方へ戻った。


「……たしか、汎用のシールがあったはずだが。」


 工具箱を開けて、中身を探る。

 ガスケット、Oリング、パッキン……

 あった、これだ。


 油圧シリンダー用の汎用シール。


 機械の油圧部品なら、大抵これでなんとかなる。

 LX-7みたいな旧型アンドロイドでも、

 関節の密閉構造はそう変わらない。


「……ドンピシャ、だな。」


 俺は薄く笑いながら、

 シールと工具を持ってベンチへ戻る。


 ミナモは足を外されたまま、

 ベンチにちょこんと座っていた。


「減った分を補充しねぇとな。」


 俺はシリンダー内のオイルを確認する。


 ……予想以上に劣化してやがる。


 オイルは変色し、

 粘性がほぼなくなっている。


「この状態で動いてたのが奇跡だな……。」


 俺は汎用の産業用オイルを手に取り、

 足りない分を補充する。


 少し混ざるが、問題ない。


 元のオイルはもう使い物にならねぇし、

 むしろこの方が動作がスムーズになるはずだ。


「よし、取っ替えてやるよ。」


 俺はミナモの左足も慎重に外し、

 両方の関節部分を分解していく。


 ——カチ、カチッ。


 ロックを解除し、

 古いシールを引っこ抜く。


 代わりに、新しい汎用シールを取り付け、

 オイルを満たしながら関節を組み直す。


「……ん。」


 手際よく両足の修理を進めながら、

 ふとミナモの表情を盗み見る。


 やはり、特に何の感情も浮かべていない。


 ——会話は依然としてつまらなかったけどな。


「ミナモ、痛みとかは感じるのか?」


「いいえ、痛みの概念はありません。」


「そっかよ。」


 淡々とした声。

 音声補正が弱いため、微妙に電子的なノイズが混じる。


 今時のアンドロイドなら、

 少しは「人間らしいリアクション」を取るところだが、

 ミナモは完全に“旧式”のままだった。


 まぁ、その無機質さが逆に興味深いんだがな。


「……さて、もう少しで終わるぜ。」


 俺は工具を手に取り、

 最後の調整に取りかかった。


 突然の襲撃


「……さて、もう少しで終わるぜ。」


 俺が最後の調整をしている、その時——


「何しているんですか!!」


 鋭い声とともに、

 突然、俺の体が地面に押し倒された。


「うおっ!? なっ……!?」


 背中がアスファルトに打ちつけられる。

 工具が手から滑り落ち、ガチャリと音を立てた。


 目の前にいたのは、

 40代くらいの女性——気迫に満ちた目つき。


 肩までの黒髪は乱れ、

 白いブラウスの袖をまくり上げて、

 今にも俺を殴りそうな剣幕だった。


「ミナモに何してるんですか!!」


 俺の襟を掴み、

 顔を近づけて問い詰めてくる。


 怒りと焦りが入り混じった表情。

 ……間違いなく、この女はミナモと深い繋がりがある。


「お、おい……落ち着けって!」


 俺は両手を上げて、

 冷静さを示すようにした。


「別に悪さしてるわけじゃねぇよ! こいつの足の関節からオイルが漏れてたから、ちょっと直してやってただけだ!」


「はぁ!? 修理!?」


 女性は俺の顔を睨みつけながら、

 ベンチに座るミナモへと視線を移す。


 ミナモは相変わらず無表情のまま、

 落ち着いた声で言った。


「おじちゃんは、ミナモの足を修理しています。」


「……え?」


 女性は明らかに混乱し、

 もう一度俺とミナモを交互に見た。


 俺は大きく息をつき、

 自分の襟を掴んでいる彼女の手をそっと引き剥がした。


「ったく……いきなり襲うのはやめてくれ。」


「……本当に?」


「嘘ついてもしょうがねぇだろ。」


 俺はベンチの上にあるミナモの外した足を指さした。


「オイル漏れしてたんだよ。この型のLX-7 PUPILは関節シールが劣化しやすいんだ。 それで関節がスムーズに動かなくなる。 ほっとくと歩行制御が狂って、転倒の危険もある。」


「……。」


 女性はまだ警戒している様子だったが、

 俺の説明を聞いて、

 ようやく少し落ち着いたようだ。


「……本当に、修理していただけ?」


「あぁ、俺は修理工だ。怪しいもんじゃねぇ。」


 俺はポケットから名刺を取り出し、

 彼女の手に渡す。


「大場修理株式会社 代表 大場カイ」


 女性はそれをじっと見つめ、

 小さく息をついた。


「……ごめんなさい。」


 肩の力が抜けたように、

 彼女はそっと手を引いた。


 俺は苦笑しながら、

 地面に落ちた工具を拾い上げる。


「ま、気持ちはわかるさ。 大事なもんが勝手にいじられてたら、誰だって焦る。」


「……そうね。」


 女性は視線を落とし、

 静かに言った。


 俺はもう一度、ミナモを見た。


 俺は工具を拾いながら、軽く肩をすくめた。


「まぁ、誤解されるのは仕方ねぇけどな。」


 女性はまだ警戒の色を完全には解いていなかったが、ミナモをじっと見つめ、静かに息をついた。彼女の手はミナモの細い肩に添えられている。その仕草が、ただの所有者以上のものを物語っていた。


「それで、足の修理は終わったのかしら?」


「あと少しだな。」


 俺はミナモの足を組み直し、最後のネジを締める。関節の可動域を確認し、軽く動かしてみる。スムーズに曲がるのを見て、問題ないと判断する。


「よし、これでOKだ。」


 ミナモは試しに足を動かし、カクンと軽く屈伸する。それを見た女性は、安堵したように小さく頷いた。


「ミナモ、歩ける?」


「はい。」


 ミナモは立ち上がり、一歩、二歩と歩く。その動作はぎこちなくもなく、むしろ滑らかだった。まるで新品同様に戻ったかのような自然な動き。


「……ありがとう。」


 女性がポツリと呟いた。だが俺は手を振って軽く流す。


「別に礼はいらねぇよ。仕事だしな。」


「でも……。」


「それより、金はあるのか? こんな旧型を修理しながら使ってるってことは、正規のメンテナンス契約も切れてるんだろ?」


「……ええ。」


「なら、これからも手がかかるぞ。」


 俺は立ち上がり、工具を片付けながら続ける。


「今は応急処置でなんとかなったが、近いうちにちゃんとしたメンテを受けさせた方がいい。お前がこのまま使い続けるつもりならな。」


 女性は一瞬口を開きかけたが、何かを思い直したように黙り込んだ。だが、その横でミナモが小さく頷いた。


「ミナモ、まだ大丈夫です。」


「……そりゃ、お前の感覚じゃそうかもしれねぇけどな。」


 俺は軽くミナモの頭をポンと叩き、車の方へ歩き出す。


「ま、どうするかはあんたが決めることだ。俺はもう仕事があるんでな。」


「……待って。」


 女性が俺を呼び止めた。


「これから、少しお時間をいただけませんか?」


「……は?」


「話がしたいんです。ここではなく、どこか落ち着ける場所で。」


 俺はチラリと彼女を見る。真剣な表情だったが、何かを迷っているようにも見えた。


「飯でも奢ってくれるなら、聞いてやらないこともねぇが?」


 そう冗談めかして言うと、女性は小さく微笑んだ。


「それなら……近くにジョイフルがあります。」


「……ジョイフル?」


「ええ。どうですか?」


 俺は少し考えた後、肩をすくめた。


「……まぁ、ちょうど飯屋を探してたとこだしな。」


 ミナモが俺と女性を交互に見つめ、小さく頷いた。


 こうして、俺たちは最寄りのジョイフルへ向かうことになった。


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