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7話 母の写真

 俺は自室の洗面台で、

 淡々と歯を磨きながら鏡越しに壁を見た。


 そこには、昔の写真が飾られている。


 俺がまだガキだった頃の写真だ。

 母さんと一緒に映っている、色褪せた一枚。


 物心ついた時から、親父はいなかった。

 俺の記憶の中に、“父親”という存在はない。


「……。」


 写真の中の俺は、まだ何も知らない顔をしていた。

 母さんに抱かれて、無邪気に笑っている。


 ——仕事人間の母親だった。


 朝から晩まで研究室にこもり、

 アンドロイド技術の開発に没頭していた。


 家にいる時間は少なく、

 俺が起きる頃にはすでに仕事に行っていて、

 帰ってくるのは深夜。


 それでも——


「……ったく、どんなに忙しくても、写真だけは残してたんだな。」


 壁にかけられた何枚もの写真。

 幼い俺と、白衣姿の母さん。

 たまの休日、二人で出かけたときのもの。


 母さんは笑っていた。

 普段は無機質な研究所にこもっていたくせに、

 外ではやたらと笑顔を見せていた。


 ——本当は、俺との時間を大切にしてくれていたんだろうか。


 歯を磨く手を止めて、

 俺は少しだけ考えた。


「……。」


 今さら確かめる術なんて、もうねぇ。


 だけど、俺が今、こうしてアンドロイドの修理屋をやってることが——

 どこか母さんと繋がっているような気がしてならなかった。


 そんなことを考えても、仕方ねぇのにな。


 俺はため息をつき、

 口をすすぐと、洗面台の明かりを消した。


 夜の静寂が、部屋の中に広がる。


 窓の外、東京の空は薄青く染まり、

 高層ビルの影が徐々に長く伸びていく。


 カーテンの隙間から差し込む光が、

 寝ぼけた頭をゆっくりと覚ましていく。


「……んだよ、もう朝かよ。」


 俺は布団の中で伸びをし、

 眠気の残る目を擦りながら、無造作に起き上がる。


 部屋の中は静かだった。

 電子時計の液晶が、朝の6:39を刻んでいる。


 外からは、早朝の街の音が微かに聞こえてくる。

 自動運転のトラックが低いモーター音を響かせながら通りを走り、

 配送ドローンのプロペラ音がビルの間をすり抜ける。


「……ったく、未来の東京も朝の忙しなさだけは変わらねぇな。」


 ぼんやりとそう思いながら、

 俺はベッドから足を下ろし、のそのそと立ち上がる。


 昨日の夜、洗面台で見た写真が、まだ脳裏に焼き付いていた。

 だが、それを引きずるほどロマンチストじゃない。



 その時。

「ブゥゥゥ……ブゥゥゥ……」


 低く響く振動音が、机の上で微かに揺れる。


 これから仕事だ。


 そう割り切って、

 俺は電子タバコを手に取り、

 まずは一服——と、口にくわえた。


 しかし、吸い込む前に、

「カフェインの方が先だな」と思い直し、

 カウンターに置かれたコーヒーミルへ向かう。


 豆を挽く感触と、

 鼻をくすぐる香ばしい香りが、

 ようやく朝を迎えた実感をくれる。


「……さて。」


 ブラックのコーヒーを一口啜り、

 俺は静かにカーテンを開けた。


 朝の光がフロントガラスを照らし、

 まだ人気の少ない道路に、電気モーターの低い唸りが響く。




 俺はトラックの運転席に座り、

 片手でスマホを操作しながら、環境庁のホームページを開いた。


 昨夜の篠原とのやり取りを思い出しながら、

 公式サイトの問い合わせ番号を辿り、

 通話ボタンを押す。


 まだ朝早い時間帯だってのに——


 ワンコールで出やがった。


『おはようございます。環境庁環境再生課でございます。』


 対応が早すぎる。

 まるでずっと待ってました、と言わんばかりのタイミングだ。


「もしもし、大場です。」


『……大場?』


「大場修理株式会社だよ。

 そっちからメール寄越しといて、忘れたのか?」


 相手はしばし沈黙し、

 すぐに少し焦ったような声で答えた。


『少々お待ちください、担当者が出勤しておりませんので——』


「お前は出勤してるだろ?」


『……』


 明らかに言葉に詰まる相手。

 そりゃそうだ、ワンコールで出といて、それはないだろ。


『……要件だけ伺ってもよろしいですか?』


 はぁ、と俺はため息をつく。


「公共事業の件だよ。受けるって連絡だ。」


 通話口の向こう、相手がわずかに息を呑む気配がした。


『……かしこまりました。詳細については、改めて担当よりご連絡を差し上げます。』


「よろしく。」


 通話を切り、俺はスマホを助手席に放り投げる。


 窓の外、朝の光がビルの間を縫うように広がっていく。

 仕事が始まる。


 品川、老朽ビルの影


 品川の空には朝の光が差し込んでいるが、

 目の前の光景はどこか重苦しい。


 高層ビル群の中に取り残された、

 老朽化したビルの残骸。


 すでに一部の壁面は取り壊され、

 コンクリートの骨組みがむき出しになっている。


 周囲は鉄板で囲まれ、

「立入禁止」の警告看板がいくつも掲げられていた。


 俺はトラックを路肩に停め、

 作業服の襟を正しながら降りる。


 現場には数人の作業員がいるが、

 その中で一人、妙に憔悴しきった顔の男が立っていた。


 ヘルメットを被ったまま、

 疲れたように肩を落とし、

 不安げに周囲を見回している。


 俺が近づくと、男はすぐに気付き、

 おどおどとした様子で声をかけてきた。


「……あ、あの、あなたが修理の方、ですか……?」


「大場修理株式会社の大場だ。」


 俺が名乗ると、男はホッとしたように息を吐いた。


「よ、よかった……。とにかく、早く見てほしいんです……。」


「で、ロボットが故障したって話だったな?」


「はい……もう、本当にどうしようかと……。」


 男はヘルメットを脱ぎ、

 ぐしゃぐしゃと髪をかき乱す。


「今朝6時……いつも通り、作業を始めたんです。

 それで……解体ロボットが、ビルを崩していたんですが……」


「……途中で止まったってわけか。」


 俺は、崩れかけたビルを見上げながら、

 肩越しに尋ねた。


「はい……突然、何の前触れもなく……。

 最初は電源が落ちたのかと思ったんですけど、

 エラーコードを確認したら……」


 男は不安そうに、

 手元の端末を俺に見せる。


 “制御システム異常”


「……制御システム異常、ねぇ。」


「す、すみません……僕たちには、ちょっと分からなくて……。」


「そりゃそうだろうよ。」


 俺は顎をさすりながら、

 問題の機体を見やる。


 大型の解体ロボット。

 人型ではないが、

 アームとクローを備え、

 作業用の重機と統合されたようなデザインだ。


 こいつが突然止まった、か——。


「……とにかく、見てみるよ。」


「は、はい!お願いします……!」


 俺は作業用タブレットを取り出し、

 問題のロボットのエラーログを確認するために、

 ゆっくりとビルへ歩み寄った。




 ビルの屋上、地上から50メートルの高さ。


 朝の光が、無機質なコンクリートの残骸を照らしている。

 視界の端には品川の高層ビル群が広がり、

 遠くには自動運転の車や配送ドローンが行き交っているのが見えた。


 足元には、半壊した建物の瓦礫。

 ここで作業をしていたのが、解体用自律型ロボット「DCR-77」だ。


「DCR-77」——

 こいつはビルの屋上に鎮座し、

 足場を崩しながら一段下がり、また足場を崩す。

 それを繰り返し、建物を計画的に解体していく。


 要するに、無人でできる”慎重な”解体ロボットだ。


「……便利なもんだよな。」


 だが、こいつには欠点がある。


 ——足場の崩れを検知すると、姿勢制御センサーが反応して勝手に作業をやめる。


 安全性を重視してるのはいいが、

 ちょっとした振動やセンサーの誤作動でも止まることがある。


 復帰自体は簡単だ。


 リモコンを押して動作を再確認させれば、また動き出す。


「……で、止まったのが今朝6時ってことか。」


 俺はタブレットでロボットのログを確認しながら、

 ちらりと作業員を見る。


 男は申し訳なさそうに頭を下げ、

 不安げに手を揉んでいた。


「え、ええと……どうでしょうか?」


「だいたい検討はついた。

 姿勢制御センサーが足場の崩れを誤検知しただけだな。

 リモコンで復帰させりゃ動くよ。」


「よ、よかった……!」


 男は安堵の息を漏らす。


 ——その時だった。


「……ん? リモコンは?」


 男の表情が一瞬、凍りついた。


「……え?」


「リモコン。操作用のやつだよ。どこにあんだ?」


「あ……あの……」


「はぁ!? リモコンがない!?」


「す、すみません……あの……これ……中古なので……初めからそんなのは……」


「……おい、マジかよ。」


 俺は思わず頭を抱えた。


 中古品? まあ、解体業者がコストカットで中古を使うのは珍しくない。

 だが、リモコンがねぇってのは想定外だ。


「どうしましょうか……」


 男は不安そうに俺を見上げる。


「どうするも何も、一回手動で再起動するしかねぇだろ!?」


「し、手動ですか……!?」


「他に方法があるか? 今までどうしてたんだよ!」


「……た、たまにエラーを起こしても、自然に復帰してたので……」


「クソ……運任せで使ってたってわけかよ……。」


 俺はため息をつきながら、

「DCR-77」の側面にあるメンテナンスパネルを開けた。


「しょうがねぇ……手動で起動コマンドを打つしかないな。」


 朝の静けさの中、

 俺はタブレットを手に取り、

 トラブルだらけの修理作業を始めた。


 俺は「DCR-77」のメンテナンスパネルを開き、

 タブレットを接続して起動コマンドを実行する。


 ——起動中……


 機体が微かに振動し、内部システムが立ち上がる。


「よし……これで——」


 ——エラー発生。


【荷重エラーです。アームの異物を取り除いてください。】


「……は?」


 タブレットの画面に赤い警告メッセージが表示される。


「おい、アームに何か詰まってるのか?」


 俺が作業員に振り向くと、男は慌てて首を振る。


「い、いえ!何もないはずです!」


 俺は舌打ちした。


「ったく……センサーの誤作動か。」


 こういうロボットは安全性を優先するあまり、

 ちょっとしたセンサーの異常でもエラーを出すことがある。


「チッ……ちょっとセンサー切りに行く。」


「え、ええ!? そんな危ないことを!?」


「じゃあどうする? 動かせねぇまま放置するか?」


 男は怯えたような顔で口をパクパクさせるが、

 結局何も言えなかった。


「……安全帯は?」


「そ、そこに……!」


 作業員が慌てて渡してきたハーネスを、

 俺は腰に巻きつけ、カラビナをロープに通す。


「はぁ……ったく、朝っぱらから命がけかよ。」


 小さく息を吐いて、俺はアームの上に足をかけた。


 ——ギシッ。


 鋼鉄のアームが僅かに軋む。


 地上50メートルの高さで、

 ロボットのアームに乗るなんて、

 どう考えても正気の沙汰じゃねぇ。


 だが、このまま放置する方がよっぽど危ない。


 風が強くなってきた。

 ふと下を見れば、

 半壊したビルの瓦礫が、まるで深い穴のように広がっている。


「……ははっ、クソ、見下ろすんじゃなかったな。」


 喉の奥がヒリつく感覚。


 俺は軽く深呼吸し、慎重に足を進めた。


 ——さて、“誤作動”とやらを解除しに行くか。



 俺は慎重に足を進め、アームのセンサーを見つけた。


 黒く小さなボックス型のセンサーが、

 アームの関節部分に固定されている。


「……原因はお前か。」


 俺はドライバーを取り出し、

 慎重にカバーを外す。


 内部の配線を確認すると、

 異常はない——が、感度が過剰になっている可能性がある。


「チッ……ただの誤作動じゃねぇか。」


 余計な仕事を増やしやがって。


 そう呟きながら、

 俺はドライバーを使い、

 センサーのコネクターを抜いた。


 ——パチッ。


 電子音が鳴り、

 センサーのエラーが解除される。


 その瞬間——


「あ!元に戻りました!」


 作業員の男が、嬉しそうに叫んだ。


 俺は額の汗を拭い、

「ふぅ、やれやれ……」と息をつく。


 見下ろせば、品川の街並みが広がっていた。


 遠くには高層ビル群、

 眼下には車と人の流れ、

 朝日に照らされる東京の風景。


「……景色を楽しみてぇもんだが。」


 だが、それどころじゃねぇ。


 50メートルの高さは、景色よりも恐怖が勝る。


 俺はロープを確認し、

 ゆっくりと戻ろうとした——


 その時だった。


 ——ゴォォォ!!


 強風が吹き抜け、

 俺の身体がバランスを崩す。


「っ——!!」


 手が滑った。


 一瞬、身体が宙に浮く。


 落ちる——!!


 ——死ぬ。


 その言葉が脳裏をよぎった瞬間——


「ガチッ!!」


 カラビナが鳴り、

 俺の身体が宙で止まる。


「……っぐ!!」


 数秒の沈黙。


 俺は安全帯にぶら下がっていた。


「……ふぅぅ……!!」


 心臓がバクバクする。

 背中に嫌な汗が滲む。


「安全帯してなかったら……」


 言葉にするのも恐ろしい。


 俺はロープを頼りに、慎重に体勢を戻す。


 すると——


 DCR-77のアームが動き、俺を屋上へと運んでくれた。


 ゆっくりと地面に足がつく。


 俺はようやく、呼吸を整えながら地面を踏みしめた。


「……とんでもねぇ持ち主の元で作業してんな。」


 そう思いながら、

 俺は静かに空を見上げた。


 俺はまだ心臓の鼓動が速いのを感じながら、

 荒い息を整えつつ、再びタブレットを開いた。


 強風に煽られて死にかけた後でも、

 仕事は仕事だ。


 アームのセンサーを切ったことで「DCR-77」は正常に動作し始めたが、

 問題はリモコンがないこと。


 このままじゃ、また同じトラブルが起きた時に、

 いちいち手動で再起動しなきゃならない。


「ったく……」


 俺は屋上に腰を下ろし、

 しばらくタブレットを操作しながら、

 簡易リモコンアプリを作成した。


「DCR-77」の操作ログを引っ張り、

 最低限のコマンドだけ送れるようにプログラムを組む。


 ——動作開始、停止、エラー解除。


「こんなもんか……」


 テスト送信をかけ、

 遠隔で「DCR-77」のアームを数センチ動かしてみる。


 ——ガコン。


「……よし、動いたな。」


 問題なく機能するのを確認し、

 アプリのデータを転送する。


 屋上の作業を終えた俺は、

 トラックの停まっている地上へと戻り、

 憔悴しきった作業員の男へスマホを向けた。


「ほら、これ入れとけ。」


「え……?」


「リモコンの代わりになるだろう。

 操作用アプリだ。」


 男は慌ててスマホを取り出し、

 俺が送信したアプリをダウンロードする。


「えっ、すごい……! これでリモコンの代わりに……?」


「ああ。ただし、別料金な。」


「え……?」


「タダじゃねぇよ。

 また止まって俺を呼ぶハメになるよりマシだろ?」


 男は一瞬キョトンとした後、

「あ、あぁ……! そうですね! もちろん!」と頭を下げた。


 俺は肩をすくめながら、

 タブレットを閉じる。


「——ったく、朝っぱらから命がけの仕事だったぜ。」


 軽く背伸びをしながら、

 品川の空を見上げた。



 修理を終えて品川を後にし、

 次の現場へ向かう。


「さて、今日の仕事はまだある……。」


 そう思いながら、

 俺はトラックのアクセルを踏み込んだ。


 ナビの目的地は青梅。


 都心から50キロ以上離れた郊外だ。

 片道だけで1時間はかかる。


「ったく……また遠い現場だな。」


 電子タバコをくわえ、

 煙を吐き出しながら、

 渋滞気味の道路を抜けていく。


 ——ようやく目的地に近づいた頃。


 スマホが鳴った。


「……ん?」


 俺は片手でスマホを取る。


「大場修理株式会社です。」


『あっ、すみません……! さっきの修理の件なんですが……!』


「ああ? どうした?」


『……急に治りました!』


「は?」


『本当にすみません……! なんか、さっきまで動かなかったのに、今見たら普通に動いてて……!』


「——ふざけんなよ。」


 俺は思わず声を荒げた。


「お前なぁ……俺、今青梅まで来てんだぞ!?」


『あ、あの……申し訳ありません……! でも、もう正常に動いているので、修理の必要はなさそうでして……。』


「……はぁぁ。」


 俺は深くため息をついた。


 あるんだよ、こういうことが。


 ——アンドロイドやロボットのシステムは、

 再起動や電源の揺らぎで突然復帰することがある。


 原因は電圧変動、負荷の一時的な上昇、

 あるいはただの気まぐれ。


 “何もしなくても勝手に直る”


 たまにあるんだ、こんな事。


「……わかったよ。」


 俺は頭を掻きながら、

 片手でハンドルを回し、トラックをUターンさせる。


『すみませんでした……ではまたよろしくお願いします!』


「……チッ、もう知らねぇよ。」


 通話を切り、

 俺は虚しくトラックを走らせた。


 無駄足になった仕事の腹立たしさと、

 時間を返せって気持ちを、

 電子タバコの煙と一緒に吐き出す。


「……まぁ、こんな日もあるか。」


 遠く、夏の空に入道雲が浮かんでいた。

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