5話 希望の朝
昼前、じわじわと暑くなり出してきた。
空を見上げると、雲一つない快晴。
コンクリートが熱を帯び始め、
じんわりと足元から熱気が伝わってくる。
俺は工具箱を片手に、高尾山の寺へ向かっていた。
「……しかしまぁ、なんで俺がこんなとこまで呼ばれるんだか。」
依頼内容は、産業用ロボットの突然の故障。
工場や倉庫ならともかく、
寺に産業ロボット?
違和感はあるが、
最近じゃ仏具の搬送や庭の管理をロボットに任せる寺も増えているらしい。
人手不足の時代、
僧侶だって”機械の手”を借りることに抵抗はなくなったってことか。
——とはいえ。
なんでこの手の連中は、“壊れたのはわかる”くせに、“なぜ壊れたか”はわからないんだろうな。
「止まっちまった! 」「動かねぇ! 」
そう騒ぐくせに、どんなエラーが出たのか、何をしていた最中に止まったのか、肝心なことは誰も言えない。
まるで”原因を考える”って発想がないみたいに。
「……ま、俺の仕事がなくならねぇのはありがたいけどよ。」
軽く肩をすくめながら、
目の前の本堂へと足を踏み入れた。
応対をしてくれたのは、若い身なりの男だった。
黒いスーツにネクタイを締め、
整った短髪に、無駄のない姿勢。
……僧侶にしちゃ、随分と”現代的”な格好だ。
俺は工具箱を肩にかけたまま、軽く顎をしゃくった。
「お前が依頼主か?」
男は丁寧に一礼し、口を開く。
「はい、私、このお寺の管理を請け負う、村田と申します。」
「——坊さんは?」
見たところ、どう見ても僧侶には見えない。
黒いスーツ姿の男が、歴史のありそうな小さな寺の門前で出迎える光景は、
どこかチグハグで妙に感じた。
村田は、俺の疑問をすでに察していたのか、
それとも説明に慣れているのか、迷いなく答える。
「私は管理会社の社員です。このお寺に住職はいません。」
「はぁ?」
「10年前から、後継ぎがいなくてですね。
管理会社——ブライダル企業に売却されたのです。」
「……は?」
一瞬、意味が飲み込めずに、眉をひそめる。
寺が、ブライダル企業に売られた?
「どういうこった、それ。」
「このお寺では、葬儀はすべてアンドロイドが請け負っています。
ありがたい言葉やお経も、事前にプログラムされた通りに読まれます。
それこそ、故人の名前を読み上げるところまで。」
村田は、それが当たり前のことのように淡々と語った。
俺は視線を寺の中へ向ける。
境内は、こぢんまりとしているが、
その分、手入れが行き届いているのがよく分かる。
——それは、“管理会社”の手によるものか、
それとも”アンドロイド”のものなのか。
「坊さんがいない寺、か。」
俺は歴史を感じる木造の本堂を見回しながら、
皮肉っぽく鼻を鳴らす。
「そりゃまぁ、合理的だな。」
——アンドロイドは人間みたいに疲れねぇし、ミスもしねぇ。
どんなに長いお経だろうが、
途中で噛むことも、声が枯れることもない。
むしろ、人間より完璧にこなすだろう。
でも、それが”本物の弔い”になるのかどうかは、
また別の話だ。
俺は軽く首を振りながら、
奥へと続く通路へ足を踏み入れた。
「……で、肝心の故障したロボットはどこだ?」
アンドロイドが読経を唱え、
機械仕掛けの”僧侶”が供養をする寺。
便利かもしれねぇが、
どこか”妙な空気”が漂っているのは間違いなかった。
「お話が早くて助かります。いまだに苦情を言う人が後を絶たないんですよ。」
村田は、どこか慣れた口調でそう言った。
「まぁ、だろうな。」
俺は鼻を鳴らしながら境内を歩く。
古い木造の廊下を進むと、空気はひんやりと涼しい。
外の暑さが嘘のような静けさが広がっていた。
苦情が出るのは当然だ。
昔からの檀家や、伝統を重んじる人間からすれば、
「アンドロイドが読経をあげる寺」なんて、ふざけた話にしか聞こえないだろう。
——とはいえ、
俺からすれば、そんなことはどうでもいい。
俺の仕事は、壊れた機械を直すことだ。
それが工場のロボットだろうが、接客アンドロイドだろうが、
……坊さんの代わりだろうが、な。
「こちらです。」
村田が御堂の片隅を指さす。
俺が目を向けた先——
そこにいたのは、袈裟をまとった産業用ロボットだった。
「……は?」
一瞬、状況が飲み込めず、
だが、すぐに堪えきれずに吹き出してしまった。
「ハハハッ! マジかよ……!」
こんなのは初めてだ。
産業用ロボットってのは、
倉庫の荷積みや組み立て作業をする機械だろ?
それが、よりによって、住職の姿をしている。
「産業用ロボットに住職させてんのか?」
袈裟の色は深みのある紫で、
手には数珠のようなものまで握っている。
「つまり、産業用ロボットじゃなくて……お坊さん用ロボットってか?」
皮肉っぽく言うと、村田は真顔で頷いた。
「ええ、その通りです。」
「いや、冗談のつもりだったんだけどな……。」
どうやらシャレじゃ済まねぇ話らしい。
目の前の機械仕掛けの”住職”は、
まるで眠っているように、じっと動かない。
俺は工具箱を置き、膝をついてロボットの状態をチェックする。
「……さて、お坊さんのご機嫌はどうなんだ?」
やれやれ、これはなかなかクセのある修理になりそうだ。
カイは笑いを引っ込め、目の前の”住職ロボット”を見つめた。
思いのほか精巧に作られたその姿は、遠目には”本物”と見間違うほどだ。
しかし、所詮は産業用ロボットだ。
作業場や工場で働くべき機械が、ここでお経を唱えているってのが、どうにもシュールだった。
「……まずは、失礼させてもらうか。」
カイはそう呟くと、ロボットの袈裟を脱がせた。
紫の布をそっとめくり、
肩のラインを沿うように取り付けられたフックを外す。
布地の下から現れたのは、無機質な金属のボディだった。
「……やっぱり、中身は完全に産業用ロボットじゃねぇか。」
仏教の伝統的な装いをまとっていたせいで、
一瞬それっぽく見えたが、
フレームの構造、関節の駆動部、排熱フィンの配置——
どこからどう見ても、工業用モデルの機械だった。
「さて、ご開帳っと。」
カイは慣れた手つきで胸部のメンテナンスパネルを開く。
カバーを外した瞬間——
モワッとした熱気が手元に広がる。
「……ああ、こりゃダメだ。」
胸の中央部には、熱を持った冷却フィンがびっしりと並んでいる。
それでもなお、異常な熱を帯びたまま。
内部の制御モジュールは完全にシャットダウンしていた。
「原因は、オーバーヒートだな。」
カイは小さく舌打ちする。
ロボットの故障原因には色々あるが、
産業用ロボットの場合、一番厄介なのが”熱”の問題だ。
——機械が動く以上、発熱は避けられない。
アクチュエーター(駆動部)が稼働するたびに摩擦熱が発生し、
プロセッサー(頭脳)が演算を行うたびに、電力が熱へと変換される。
通常、工業用のロボットは空冷式や液冷式の排熱機構を備えているが、
それでも熱の処理は難題だ。
特に、こいつみたいな産業用ロボットは——
「そもそも、“連続稼働”が前提の設計になってねぇんだよ。」
工場での作業なら、稼働と停止を繰り返す前提で作られている。
一定時間動いたら、熱を逃がす時間が確保される。
だが、こいつはどうだ?
「読経は、休みなく続く。
つまり、ロボットに”冷却のための停止時間”がねぇんだ。」
しかも、この御堂の中には空調設備がない。
扇風機の一台も見当たらない。
カイは天井を見上げた。
外の気温は昼前で30度を超えている。
夏場ともなれば、御堂の中の温度も相当上がるだろう。
「……要するに。“環境が完全にミスマッチ”ってことか。」
産業用ロボットは工場の管理された環境で使うのが前提だ。
熱対策も、排気ダクトや大型の空冷装置があって成り立つ設計になっている。
それを、そのまま寺にポンと置いたらどうなるか?
「そりゃまぁ……過熱して止まるのは当然だな。」
しかも、ロボットは“自己判断”で休めない。
温度が危険域に入ったら自動停止する機能はついてるが、
それでもギリギリまで動き続ける。
「“修行僧のように耐える”ってか?」
カイは乾いた笑いを漏らし、
胸の内部に手を突っ込む。
——とりあえず、熱暴走したパーツを冷やし、
冷却機構をチェックするしかない。
「さて、お坊さん。“クールダウン”といこうか。」
皮肉を呟きながら、
カイは工具を手に取り、作業に取り掛かった。
カイは工具を手に取り、まずは冷却モジュールの状態を確認する。
オーバーヒートの原因は大体決まってる。
熱が逃げるべき場所で逃げていないか、冷却ファンやヒートシンクの詰まりをチェックする。
「さて、お坊さん。熱がこもってるみたいだが、どこが詰まってる?」
カイは軽く独り言を漏らしながら、
ロボットの胸部に深く手を突っ込んだ。
内部のヒートシンクを指でなぞると、
嫌な感触が指先に伝わる。
「……ほら見ろ、埃まみれじゃねぇか。」
こいつは空冷式の冷却機構を使ってる。
要するにファンで空気を循環させて熱を逃がす仕組みだ。
だが、肝心のフィンが埃で詰まってりゃ、熱がこもるのも当然。
カイは軽く舌打ちしながら、
手際よくエアダスターを取り出し、内部に吹きかけた。
「……っと。」
シュパァァァァァ——ッ!
勢いよく吹き出した空気が、
フィンの隙間に詰まっていた灰色の埃を舞い上がらせる。
「……なるほどな。」
こんな状態で、
毎日何時間もお経を唱え続けてたんだから、
ファンがまともに回らなくなるのも無理はない。
カイはドライバーを手に取り、
冷却ファンの固定ネジを外し始めた。
「——珍しいか?」
ふと顔を上げると、
村田がじっと覗き込んでいた。
「は、はい……。」
どことなく興味深そうな表情で、
ロボットの内部を覗き込んでいる。
「なんか、ロボットの中身を見るの、初めてで……。
それにしても……すごい手際ですね……。」
村田は目を輝かせながら、
カイの作業を食い入るように見つめている。
「……ははっ。」
カイは思わず鼻で笑った。
悪い気はしない。
「あんまり褒めんな。」
軽く肩をすくめながら、
ファンの交換用パーツを取り出し、
手際よく取り付けていく。
「それに、自分の管理するロボットくらい、普段からよく見とけよ。」
カチ、カチ。
新しい冷却ファンを固定し、
電源ケーブルを接続する。
「メンテナンスなんてのはな、壊れてからじゃ遅ぇんだよ。」
そう言いながら、
カイは胸部パネルを元に戻し、
最終チェックの準備を進めた。
——さぁ、お坊さん、目覚めの時間だ。
カイが最終チェックのスイッチを入れると、
ロボットの目が淡く光を灯し、ゆっくりと動き始めた。
——そして、
「南無阿弥陀仏……」
突如として響き渡るお経の声。
「……っと。」
思わず少しのけぞる。
先ほどまで無機質な金属の塊だったはずの機械が、
まるで生身の住職のように、
落ち着いた低い声で読経を唱え始める。
「極楽浄土に導かれ……心を静め……」
さらに続く、ありがたいお言葉。
カイは苦笑しながら工具箱を閉じ、
立ち上がる。
「……しっかり復活したみたいだな。」
村田は、胸をなでおろしながらほっと息をついた。
「これで昼過ぎの法事には間に合います。」
ロボット住職の背後では、
仏壇の前に整然と並んだ灯篭が、
静かに揺らめいている。
故障していた時間が嘘のように、
御堂の中は再び”いつもの日常”を取り戻していた。
——そんな時、
「きゃははははっ!」
外から聞こえてくる、子どもの笑い声。
カイがふと視線を向けると、
寺の庭を元気に駆け回る小さな子どもたちの姿が目に入った。
どうやら、どこかのガキが遊びに来て、
境内で鬼ごっこをしているらしい。
白い雲が浮かぶ空の下、
笑い声と小さな足音が響き渡る。
カイはふっとタバコをくわえ、
火をつけることなく口の端で転がしながら、
ぽつりと呟いた。
「今どき、お外で鬼ごっこか。風情ある話だな。」
アンドロイドが住職を務める時代になっても、
——こういう光景は、変わらないらしい。
そう思うと、少しだけ悪くない気がした。
帰りの中央道。
太陽がじわじわとアスファルトを焼き、
フロントガラス越しの光が、
じんわりと肌にまとわりつくように熱い。
渋滞情報の掲示板には、
「この先 八王子JCT 渋滞15キロ」 の文字。
ラジオからも、いつもの交通情報が流れてくる。
「中央道、八王子ジャンクションを先頭に15キロの渋滞、通過に50分以上かかる見込みです。」
「……はいはい、いつも通りってか。」
エアコンを入れていても、
車内にはどこか湿気を含んだ暑さがこもる。
ハンドルに腕を預けながら、
ぼんやりとタバコを吹かす。
ゆっくりと煙を吐き出し、
空へと消えていく灰色の煙を眺めていると——
「ドン……ドン……ドン……」
微かに、地面が揺れるのを感じた。
ミラー越しに後方を見る。
——黒い塊が、ゆっくりと迫ってくる。
自衛隊の装甲車だ。
灰色のボディに、迷彩の塗装。
重厚なタイヤが路肩の砂利を踏み締めるたびに、
小さな振動が俺の車にも伝わってくる。
一般車両とは比べ物にならないその重厚感が、
渋滞の停滞した空気を、じわりと変えていく。
「……ご苦労さん。」
俺はぼそっと呟きながら、
煙を吐き出す。
戦争なんて、もう何十年も起きちゃいない。
それなのに、装甲車だけはこうして街を走り続ける。
「……よくもまぁ、何も起きないのに走り回るもんだな。」
——そう思ったのも束の間。
今度は、俺の横を通過していった装甲車が、
“ただの装甲車”とは少し違うことに気づいた。
背中に、巨大なパラボラアンテナを背負っている。
鈍い金属の光を反射させながら、
じわじわと路肩を進む。
その瞬間——
「ザザッ……ザザザッ……」
ラジオに、強烈なノイズが走る。
「……あ?」
一瞬、電源がイカれたのかと思ったが、
どうやら違う。
装甲車の側面に書かれた文字が目に入る。
『JGSDF 電磁作戦車両 “Aegis Howl”』
「……またカッコいいネーミングつけやがって。」
“イージス・ハウル”——“神盾の咆哮”。
どうやら、対サイバー攻撃部隊の電子戦車両らしい。
——なるほど、そりゃラジオにノイズが入るわけだ。
こいつは、
強力な電波妨害装置を積んでる。
軍事機密レベルの高出力ジャミングを使って、
敵の通信やドローン、果てはGPS衛星のナビゲーションまでかく乱できるらしい。
まるで目に見えない”電磁バリア”でも張ってるように、
ラジオの音声は、断続的に途切れ途切れになっている。
「これじゃ、渋滞情報もアテにならねぇな……。」
俺はタバコを指で弾きながら、
装甲車の背中をぼんやりと眺める。
——しかし、だ。
「……戦争なんて、起きちゃいねぇんだろ?」
それなのに、こんな兵器が、
今もこうして実戦稼働してる。
装甲車のタイヤがアスファルトを軋ませ、
ゆっくりと俺の視界から遠ざかっていく。
カーブの向こう側へと消えていくその背中を見ながら、
俺は、思わずぼそっと呟いた。
「もしかすっと、俺らの知らねぇところで、戦争でもやってんのかね。」
見えない戦争。
見えない敵。
だけど、こうして軍の装甲車は走り続けている。
タバコの火をもみ消し、
ゆっくりと前方に目を戻す。
渋滞は、相変わらず動く気配がなかった。