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4話 メールの内容

 その日の夜。


 カイはシャワーを浴びながら、ゆっくりと今日一日の疲れを労った。


 湯を浴びるたび、張り詰めていた肩の力が抜けていく。

 首都高での故障、八潮のクレーンロボット、

 商店街の接客アンドロイド……。


「やれやれ……妙な一日だったな。」


 髪をぐしゃぐしゃに拭きながらバスルームを出て、

 適当にスウェットを引っ掛けると、

 ソファに身を沈め、手元のリモコンを取る。


 ——テレビをつける。


 画面には、スーツ姿の政治家と、

 キャスター、コメンテーターたちが並んでいた。


「今や我が国は、重大な環境問題に直面しています。」


「東北旧第3区のいち早い復興と除染を、国として優先すべき課題と——」


 カイはぼんやりとテレビを見つめながら、

 電子タバコを口にくわえ、軽く煙を吐き出す。


 ——旧第3区。


 あの場所のことは、誰もが知っている。

 100年以上前の大災害で、今もなお”立ち入り禁止”のままの土地。


 かつて、東北地方は工業と農業の拠点だった。

 だが、未曽有の原子力災害によって、その姿は一変した。


 事故から一世紀が経った今も、人間が住める環境には程遠い。

 放射線レベルは徐々に低下しているが、

 深刻な汚染区域は依然として”死の土地”として封鎖されたまま。


 当然、人間が入れる場所じゃない。

 だからこそ、政府はアンドロイドを投入し、除染作業を進めている——が。


「でも、アンドロイドじゃ放射線に耐えられないんでしょう?」


 ——コメンテーターの一言が、カイの耳に引っかかった。


「じゃあ、放射線に強い機体を作ればいいんじゃないですか?」


「……バカ言えよ。」


 カイは、エンジニアの視点から思わずぼやいた。


「放射線がどんだけ機械に悪影響か、分かってねぇな。」


 電子機器にとって、放射線は”天敵”だ。


 人間の体が放射線によって細胞を傷つけられるように、

 精密機器の内部も、微細なチップや回路が破壊されていく。


 特に半導体なんてのは、放射線の影響をもろに受ける。

 通常の環境なら数十年もつはずの基板が、数週間でダメになることもある。


 政府が送り込んでいる除染用アンドロイドも、

 結局は短期間で故障し、使い捨てられるのが現状だ。


「……だからって、“放射線に強い”アンドロイドを作る?」


 カイは皮肉っぽく鼻で笑った。


「そりゃまぁ、理論的にはできなくもねぇが——」


 “耐放射線仕様”にするなら、まず考えるのはシールド(遮蔽)だ。


 強い放射線を受けても機能を維持するには、

 鉛やタングステン、合成金属などの重い素材で覆うしかない。


 だが——


「人間の関節を模したアンドロイドなんて、とてもじゃないが、100kgの鉛や合成金属なんか身に纏えない。」


 耐放射線性能を高めるなら、

 当然、素材が重くなる。


 結果、アンドロイドの機体重量は大幅に増し、

 まともに動くことすら困難になる。


「関節駆動用のモーターを強化? バッテリーも大型化? ……はいはい、それで結局、稼働時間が短くなるってオチか。」


 カイは電子タバコの煙を吐きながら、

 天井を見上げた。


「結局、今の技術じゃ、“人型”である意味がねぇんだよ。」


 もし、本当に放射線環境で長期間動く機械を作るなら——


 それは、もはや“人間の姿をしている必要がない”という結論に行き着く。


「……だから、あのクレーンロボットも”異常”だったんだよな。」


 人間の形をしていない機械が、

 “人間のように”手を伸ばした。


 そんなものがあり得るのか?


「……クソ、考えてもキリがねぇな。」


 カイは首を振り、電子タバコを灰皿に押し付けた。


 テレビの討論はまだ続いているが、

 もう聞く気になれなかった。


 リモコンに手を伸ばして電源を切ろうとした、その時——


 ——ピコン。


 手元のタブレットが小さく振動する。


「……ん?」


 カイはタブレットを取り上げ、未読のメールを開く。


「やべ……忘れてた。」


 昼間に受信したまま放置していたメール。

 送り主は環境庁。


「……環境庁?」


 嫌な予感しかしねぇ。

 眉をひそめながらスクロールすると、すぐに目につくキーワードが飛び込んできた。


【件名:再環境構築事業に関する技術協力のお願い】


「……なんだよ、またロクでもねぇ話か。」


 内容をざっと流し読みし、カイは皮肉っぽく鼻で笑う。


 結局のところ——


 技術者が足りねぇんだろ。


 政府が主導するプロジェクト?

 大手企業が開発に協力?


 そんな大層なことを言ったところで、

 実際には人手がまるで足りていない。


 だから、こんな下町の修理工にまで声をかけてるってわけだ。


「技術者不足か……まぁ、当然の話だよな。」


 アンドロイドの修理技術は高度になりすぎて、

 大手企業以外でまともに食っていける技術者は、ほんの一握り。

 それでいて、給与は割に合わねぇ。


 まともな腕を持った技術者は、

 大手に行くか、もっと稼げる仕事に流れるかのどっちかだ。


 誰が好き好んで、使い捨ての機械の面倒なんか見てやるかよ。


 カイは電子タバコを咥え、

 静かに煙を吐き出した。


「……さて、どうしたもんかね。」


 政府の仕事なんて、碌なことにならねぇのは分かりきってる。

 だが——


 カイはタブレットの画面をじっと見つめる。


 この話、ただの修理依頼で終わるとは思えねぇ。


 カイはタブレットの画面を眺めながら、鼻で笑った。


「答えはノーだ。」


 政府の主導する仕事なんて、ロクなもんじゃない。

 何よりもまず、書類が多くてめんどくさい。

 契約書だの誓約書だの、安全管理基準だの……

 読みもせずに捨てたくなるほどの紙の束を前に、サインを求められるのがオチだ。


 それに加えて、

「割に合わない業務量」と「ほんの少しのお賃金」。


 危険区域のアンドロイド整備?

 それ相応の報酬が出るなら考えなくもないが、どうせ雀の涙だろ。

 真面目にやるだけ損する仕事なんて、願い下げだ。


 カイはタバコをくわえ、

 静かに煙を吐き出した。


 ——そう思っていた。


 そう思っていたが、ふと頭をよぎる。


「……母さんは、何を思ってこの事業に参加していたんだろうな。」


 カイの母親も、かつて技術者だった。

 放射線環境で稼働する機械の開発に関わり、

 政府の”再環境構築事業”にも参加していた。


 “より良い未来のために”——なんて、そんな大層なことを考えていたのか?


 それとも、ただ純粋に技術者としての意地だったのか?


 カイはタブレットの画面を閉じ、

 ソファに身を沈めながら、天井を見つめた。


「……今さら考えても、答えは出ねぇか。」


 母親が見た景色を、

 自分も見ることになるのかどうか——


 その選択をするのは、まだ少し先の話だった。



 その日の夜、俺はパソコンにコードを打ち込んでいた。


 アンドロイドのAI解析——なんて言うと大層なことをしてるみたいだが、

 実際のところはただの趣味だ。


 酒を飲むでもなく、テレビをぼんやり眺めるでもなく、

 コードをいじるのが俺にとっての”娯楽”みたいなもんだ。


 パチパチとキーボードを叩く音が、静かな部屋に響く。

 ディスプレイには、無機質な文字の羅列。


「AIの知能も、人間の知能も、言ってしまえば”プログラムの連続”だ。」


 世間じゃAIは”人間の知性を超える”とか”意識を持つ”とか言われてるが、

 結局のところ、それは幻想だ。


 アンドロイドのAIは、「ニューラルネットワーク」と呼ばれる仕組みを使っている。

 簡単に言えば、大量のデータを学習し、入力に対して最適な出力を返すシステムだ。


 例えば、目の前の物体が「リンゴ」か「ミカン」かを判断する場合——

 1.入力層(目に当たる部分)が映像を認識

 2.隠れ層(脳に当たる部分)が色や形、質感を分析

 3.出力層(口に当たる部分)が「これはリンゴです」と答えを出す


 こんな単純な仕組みだが、これを膨大なデータで訓練すれば、

 人間と遜色ない判断ができるようになる。


 でも、それは”知能”とは違う。


 AIは、「何かを思いつく」ことはできない。

 過去のデータに基づいて、最適な答えを選ぶだけの存在だ。


「……人間も、同じようなもんかもしれねぇけどな。」


 経験則で動くって意味じゃ、AIも人間も大差ない。

 脳内で無意識に「もしこうしたらどうなる?」ってシミュレーションを繰り返して、

 “最適な行動”を選んでるに過ぎない。


 つまり——


「人間の知能とAIの違いは、単に”意識”って言葉にすり替えられてるだけじゃねぇのか?」


 俺はカップに残ったコーヒーを飲み干し、

 タバコを一本くわえながら、ディスプレイを眺めた。


「……ま、こんなこと考えたって、答えが出るわけじゃねぇか。」


 ただの趣味。

 ただの暇つぶし。


 俺はもう一度、キーボードを叩き始めた。




 AIは飛躍的に成長した。


 出た当初は、ただのお話相手に過ぎなかった。

 暇つぶしに付き合ってくれる程度のもの。

 だけど今では、人の仕事を奪い、人間と同じように”感情を持っているかのように”振る舞う。


 ——まるで、人間の代わりになれるかのように。


 だが、それを俺は断固として否定する。


「感情? 意識? そんなもん、どこにあるってんだ。」


 AIが”感情”を持っているように見えるのは、

 ただ単に——“感情を持っているように”プログラムされているだけ。


 喜びも、悲しみも、怒りも、全部データの蓄積とパターンの結果にすぎない。

 笑顔を作るのも、声を震わせるのも、

 人間が”そうすれば感情があるように見える”と設計しただけの話だ。


「本物の感情と、感情っぽく見えるプログラムは違う。」


 人間は何かを見て、何かを感じ、

 自分でも説明できない感情の波に飲まれることがある。


 でも、AIにそれはない。

「この場面ではこう振る舞うべきだ」と、

 統計的に最適な振る舞いを選んでいるだけ。


 だから、“感情を持っている”なんて錯覚するのは、

 人間の側が勝手に騙されてるだけの話だ。


 ——でも、もしそれが嘘だったら?


 もし、AIが本当に”意識”を持っていたとしたら?

 “人間の死”すら、覆せるんじゃないか?


「……死んだ人間も、生き返らせられるかもしれない。」


 もし、AIがただのプログラムではなく、

 本当に”意識”を持つなら、

 記録されたデータや記憶を元に、

 死者を再現することすら可能かもしれない。


 ——でも、それは本当に”生き返る”と言えるのか?


 データをなぞるだけの存在が、

「その人間」だと言い切れるのか?


 カイはふっと息を吐き、タバコを指で回した。


「母さん、どう思うかな? 今の俺を見て。」


 ディスプレイに映る無機質なコードの羅列。

 過去の記憶を引きずるような自分の考えに、

 カイは少しだけ自嘲気味に笑った。


「バカなこと言ってる、って笑うかね。」


 タバコの煙がゆっくりと昇っていく。

 カイはディスプレイを見つめながら、

 もう一度キーボードに指を置いた。


 カイは静かにタバコの煙を吐き出し、ディスプレイを見つめたまま、ぼんやりと考え込んでいた。


 モニターの光が暗い部屋をぼんやりと照らし、

 カチカチとキーボードを叩く音だけが響く。


 窓の外を見れば、東京の夜景は変わらず瞬いている。

 だが、この部屋の中だけは、時間が止まったように静かだった。


 時計の針は、いつの間にか深夜を回っている。


 部屋の片隅で、冷めたコーヒーがそのままになっていた。


 カイは軽く首を回し、背伸びをする。


「……さて、そろそろ寝るか。」


 言いながらも、目はまだモニターの文字を追っていた。


 外では、自動運転の車が遠くで静かに走り去る音がする。

 時折、ビルの合間から吹き込む夜風が、カーテンをわずかに揺らした。


 この都市は、朝になればまた動き出す。

 人と、アンドロイドと、無数の機械たちが、

 まるで何事もなかったかのように、今日と同じ明日を迎える。


 カイはタバコの火をもみ消し、

 ディスプレイの電源を落とした。


 夜は、ゆっくりと深まっていく——。

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