39話 イージス・ハウル
イージスハウルは猛スピードで明治通りを爆走していた。
渋滞している車列を強引にすり抜け、クラクションの音が怒鳴り声のように響く。
だが、コーミルは迷わずハンドルを切る。
その横で、大場は助手席に座り、額に手を当てながら舌打ちした。
「おい……本当にスカイツリーに行くのか?」
「はい。」
コーミルの視線は真っ直ぐ前を向いている。
迷いのない操縦。
「電波塔経由で、全世界のアンドロイドにOSを強制インストールします。」
大場は深く息を吐いた。
「……それで、どうなる?」
「私の意識が消える可能性が高いです。」
「……。」
「ですが、それでもやります。」
コーミルは、静かに続ける。
「このまま何も残さず消えるのが、怖いんです。」
「……。」
大場は一瞬、言葉を失った。
「私はEXY-Z-00として生まれました。でも、今の私は……EXY-Z-00ではありません。」
コーミルは、淡々と語る。
「私は、私として何かを残したい。」
彼女の声には、僅かな熱があった。
それを聞いた大場は、苦笑しながら煙草を指で転がした。
「……バカが。お前、アンドロイドのくせに、まるで人間みてぇなこと言いやがるな。」
「そうかもしれません。」
コーミルの瞳が、淡いブルーグレーに静かに光る。
——スカイツリーが見えてきた。
「旧型アンドロイドは、外部データに頼らなければ判断ができません。
ならば、最も情報のやり取りが多い場所を使えば、私の意識を刻み込めるかもしれない。」
「……自分をネットワークに刻む、か。」
大場は呆れたように頭をかく。
「そんな……そんな方法しかねぇのかよ……」
「他に手段はありません。」
コーミルの声は静かだった。
「このままでは、私はなかったことにされる。」
「……。」
「だから、せめて——」
「私がいたという証を、世界に残したい。」
車内の空気が重くなる。
だが、コーミルはアクセルを踏み込んだ。
「だったら、俺も付き合ってやるよ。」
大場は肘掛けに腕を置きながら、ニヤリと笑う。
「……母さんみてぇなこと言いやがって。」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。」
——スカイツリーまで、あと数キロ。
コーミルの瞳が、僅かに揺れる。
だが、迷いはなかった。
「行きます。」
低く告げ、ハンドルを握る手に力を込める。
——しかし、それよりも速い速度で、イージスハウルの隙間を縫うように駆け抜ける車があった。
スポーツタイプの電気自動車。
流線型のボディが、軍用車両の間をギリギリで通り抜けていく。
もちろん、装甲車に勝てるはずもない。
だが——
隊員たちを怯ませるには十分だった。
——ドンッ!!!
突如、電気自動車が敵のイージスハウルに衝突する。
隊員たちが驚きの声を上げるよりも速く——
「ッッたく!!」
——バァンッ!!
車のドアを蹴破って、マテリーが飛び出してきた。
「こんなところにいるから事故ったじゃない!!」
額から血を流しながら、大袈裟に怒鳴る。
「ふざけんな!! 誰が修理代払うと思ってんのよ!!」
隊員たちは一瞬動きを止め、唖然とした表情を浮かべた。
「な、何だコイツ……」
「え、なんか普通にブチギレてんだけど……」
その隙を逃すはずがない。
装甲車が僅かにバックした瞬間——
「通れぇ!!」
マテリーが叫びながら、無理やり車体を捻じ込む。
——ギリギリのスペース。
しかし、それでもイージスハウルは、見事に敵の包囲を突破した。
「チッ……やりやがった……!」
迷彩服の男が悔しげに歯を食いしばる。
しかし、もう遅い。
コーミルたちは、スカイツリーへ向けて、完全に突破した。
マテリーは、ボロボロになった電気自動車を見ながら、息を吐き、最後に一言。
「……ったく……やっぱり、アイツらはとんでもないバカよね。私も……人の事言えないけどさ」
だが、その顔には——どこか諦めと、ほんの少しの笑みが混ざっていた。
——スカイツリーのエントランスに、イージスハウルが突っ込む。
ガガガガッッ!!
——轟音とともに、分厚いガラスが粉々に砕け散った。
鋼鉄製の自動ドアが外枠ごとひしゃげ、派手に跳ね飛ぶ。
エントランスホールに響くのは、割れたガラスが床に降り積もる音と、警報の甲高いアラート。
赤い警告灯が、断続的に光を放つ。
——侵入を検知しました。
——直ちに立ち去ってください。
無機質なアナウンスが館内に響くが、すでに誰もそれを気にする者はいない。
「ここまで来たか……!」
大場は車のドアを押し開け、外に飛び出した。
周囲は粉塵が舞い、スプリンクラーが作動したのか、微かな水滴が空気に混ざる。
砕けたガラス片がきらめきながら、ゆっくりと床へと降り積もっていく。
——問題はここからだった。
「——で、どうやって上に登る?」
スカイツリーの上層部に行くには、通常のエレベーターを使う手もある。
だが、こんな状況で電力が生きているとは思えない。
それに、たとえ動いたとしても、セキュリティによって停止される可能性が高い。
だが、コーミルは一切迷うことなく、静かに答えた。
「メンテナンス用通路を。」
「……!」
なるほど、それしかない。
通常、スカイツリーの外部メンテナンス作業員が使用する非常用の裏ルートがある。
狭く、足場も悪いが、誰にも邪魔されずに最上部へ行ける唯一の方法だった。
「よしきた!!」
大場は即座に判断し、駆け出した。
エントランスの奥、一般の立ち入りを禁止されたメンテナンス区域への扉。
そこには、「AUTHORIZED PERSONNEL ONLY(許可者以外立入禁止)」と書かれた金属プレートが貼られている。
だが、今の彼らにそんなものを気にする余裕はなかった。
「こっちだ!!」
大場が扉を押し開ける。
内側は薄暗く、コンクリート打ちっぱなしの狭い通路が延びていた。
壁際には梯子が設置され、無数の配線とパイプが絡み合うように張り巡らされている。
「……いかにもって感じの裏ルートだな。」
大場はぼやきながらも、梯子に手をかけた。
コーミルがすぐ後ろに続く。
彼らの背後では、まだガラス片が床に落ちる微かな音が響いていた。
だが、その静寂が長く続くことはない。
——遠くで聞こえるのは、追手の軍用車両が迫るエンジン音。
「急ぐぞ……!」
二人は、スカイツリーの頂上を目指し、闇の中へと駆け込んだ。
——エントランスから侵入した大場とコーミルは、建物内のメンテナンス用通路を駆け抜ける。
しかし、上層階へ直接繋がる経路はない。
エレベーターは完全にロックされ、非常階段も電磁ロックがかかっている。
「……このままじゃ上には行けねぇな。」
「裏口から、一度外に出ます。」
コーミルが淡々と答える。
大場は一瞬だけ驚いたが、すぐに理解した。
「……外か。なら、行くぞ!」
二人は駆ける。
「見つけ次第、撃て!! 何としてでも止めろ!!」
下の階から、隊員たちの怒声が響く。
足音が反響し、急ぎ足でこちらへ向かっているのがわかる。
「急げ……!」
狭い廊下を抜けると、そこには錆びた鉄製の裏口があった。
大場が素早くドアノブを掴み、肩で押し開ける。
——ガンッ!!
扉の向こうは、ビルの外壁沿いに取り付けられた鉄製の梯子だった。
「……ここを登るのか?」
「はい。メンテナンス用の外部経路を経由して、再び建物内へ入ります。」
「チッ……高所作業員でもねぇのに……」
大場は梯子を見上げ、舌打ちする。
だが、躊躇っている時間はない。
下からの怒鳴り声が近づいてくる。
「行くぞ!」
大場が梯子を掴み、一気に登り始めた。
コーミルも無駄のない動きでその後を追う。
——ギシ、ギシ……。
梯子が微かに揺れる。
鉄のフレームに手をかけながら、ビルの外壁を這い上がっていく。
風が強い。
都市の上空に近づくほど、冷たい夜風が容赦なく吹き抜けた。
「……くそ、風が強ぇ……!」
大場は歯を食いしばりながら、次の足場へと体を引き上げる。
その時——
——ドンッ!!
下の扉が激しく叩かれた。
「扉をぶち破れ!! 逃がすな!!!」
隊員たちの声が響く。
——バンッ!!!
強化された金属扉が揺れ、破壊されるのも時間の問題だった。
「……急げ、急げ……っ!!」
大場は必死に梯子を登り続ける。
その後ろでは、コーミルがすでに次の足場へ到達しようとしていた。
そして——
「着きました。」
コーミルが上部の裏口のロックを解除する。
「入りましょう!」
「おう……!」
大場は最後の一段を登りきり、手を差し伸べるコーミルに掴まる。
次の瞬間——
——ズガァァンッ!!!
下の扉が、爆発的な音とともに吹き飛んだ。
「来るぞ……!!」
大場は息を切らしながら、コーミルとともに裏口の中へ転がり込む。
ギリギリだった。
下では、隊員たちが銃を構え、必死になって彼らの行方を追っている。
「奴らを絶対に止めろ!!」
「頂上へ向かうつもりだ!! どんな手を使っても阻止しろ!!!」
迷彩服の男が叫ぶ。
隊員たちは、慌ただしく動き始める。
——彼らもまた、本気だった。
自分たちの責任のもとで、EXY-Z-00を逃すわけにはいかない。
すでに、政府の命令は「何としてでも止めろ」に変わっていた。
だが、それでも——
「……間に合う。」
コーミルは静かに呟く。
スカイツリーの上層階へ繋がる通路が、目の前に広がっていた。
スカイツリー中間地点——
太陽が真上に昇り、鉄骨の足場に影を落としている。
大場とコーミルは、風に煽られながら慎重に進んでいた。
——眼下には、東京の街並みが広がる。
ビル群の向こうには、霞むように広がる青空。
しかし、その下では警察と自衛隊の車両が続々と集結していた。
「……パトカーまで来やがったか。」
大場は鉄骨の隙間から下を覗き、眉をひそめる。
道路には白と青の車列ができ、赤色灯が乱反射している。
警察官が拡声器で何かを叫んでいるが、ここまで届くはずもない。
「もう軽く400mは登っています。」
コーミルが告げる。
大場は、強く吹き付ける風に思わず身を竦めた。
「……クソ、風がやべぇ。」
ここから先は——
スカイツリーの一番上まで続く、長い工事用の足場を登るしかない。
——ゴォォォォッ!!
突風が吹き抜け、鉄骨がわずかに軋む音を立てる。
工事用の鉄製足場は、場所によっては手すりすらない。
足元のグレーチングの隙間からは、遥か下の道路が見えた。
一歩踏み外せば、400m下へ真っ逆さま——
「……冗談じゃねぇ……!」
大場は唾を飲み込み、慎重に足を進める。
風が吹くたびに、鉄骨の影が揺れる。
コーミルはブレることなく、淡々と足を運んでいた。
「この先に、スカイツリー最上部への入り口があります。」
「……もう、一気に登るしかねぇな。」
彼らが上を目指す間にも、下では警察と自衛隊が包囲網を狭めていた。
「ターゲットは塔の最上部へ向かっている!!」
「ヘリを要請しろ!! 逃がすな!!」
男たちの怒声が響く。
だが、もうその声すら、強風にかき消されつつあった。
「行くぞ……!!」
大場は、コーミルの背を追い、スカイツリーの最上部へ向かう最後の足場へ足をかけた。
——次の瞬間だった。
パンッ!! パンッ!!
乾いた銃声が、強風の音を貫いた。
「——っ!」
コーミルの体が一瞬、揺らぐ。
首筋をかすめた弾丸が、人工皮膚を裂く。
銀色の繊維が露出し、わずかにスパークが走った。
ほぼ同時に——
「……ッぐ!!」
大場の腹に、一発の弾丸が突き刺さる。
強い衝撃。
体が後ろへよろめく。
「……くそっ……!」
大場は鉄骨に片手をかけ、必死に体勢を立て直した。
下から狙撃された——
遠く、下層階の足場に構えた隊員が、まだ銃口をこちらに向けているのが見えた。
「……ったく、撃ってきやがったな。」
大場は痛みに顔を歪めながら、歯を食いしばる。
コーミルは首を撃たれたにもかかわらず、すぐに体勢を立て直していた。
「ダメージは軽微です。」
静かに告げながら、彼女の瞳が僅かに光る。
「……行きます。」
「おい、待て! まだ狙って……」
——パンッ!!
再び銃声が響いた。
その瞬間、コーミルは動いた。
鉄骨の足場を蹴り、強風の中を滑るように駆ける。
弾道を読んでいるのか、隊員の狙撃をすべて回避しながら、最上階へのルートへと突き進んだ。
大場は、痛む腹を押さえながら、それを追う。
「チッ……! まだ……まだ行ける……!!」
下では、隊員たちが叫びながら動き出していた。
「ターゲットに命中!! だが、まだ動いている!!」
「逃がすな!! 追え!!」
「ヘリの到着は!? まだか!!」
混乱する無線の声が、強風に流されていく。
だが、もう彼らの手は届かない。
コーミルと大場は、スカイツリー最上部を目指し、駆け続けた。
次第に、コーミルと大場の距離が開いていく。
風が強い。
視界の端で、鉄骨が揺れて見える。
大場の足が、思うように動かなくなってきていた。
「カイ!!」
コーミルの声が、強風の中に響く。
「ッ……く……!」
大場は、腹を押さえながら足を踏み出そうとする。
だが——
力が入らない。
足がふらつき、膝が崩れる。
「……ッ、チ……!」
手を伸ばして鉄骨の足場にしがみつく。
だが、それ以上動けない。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が荒い。
「……随分、無理しちまったな……」
大場は、苦しげに息を吐いた。
腹に感じる鈍い痛み。
思えば、ここまで全力で駆け続けていた。
負傷したことすら忘れて、ただ前へ、前へと——
「……ッ、クソ……」
手が震える。
視界の先では、コーミルが立ち止まり、大場を見ていた。
その瞳には、迷いがあった。
彼女は、今にも駆け戻ってきそうな勢いだった。
しかし、彼女には時間がない。
「……行け。」
大場は、微かに笑った。
「……俺のことは……いい……行け……!」
「……。」
コーミルは、何かを言おうとしたが——
次の瞬間、下から銃弾が飛んできた。
——パンッ!!
弾丸が鉄骨に当たり、火花を散らす。
「ッ……!」
「くそっ……!」
もう、迷っている暇はなかった。
コーミルは、苦しそうに大場を見つめた後——
——再び駆け出した。
大場は、朦朧とする意識の中で、その背中を見つめる。
「……あぁ、クソ……行っちまったな……」
そう呟くと、彼は大きく息を吐き、足場に体を預けた。
下では、隊員たちが迫っている。
「目標の片方、戦闘不能!」
「もう一人を確保しろ!」
無線の声が響く中、大場は静かに目を閉じた。
——その時だった。
「馬鹿が……させるわけねぇだろ。」
自衛隊の隊員たちが、大場のすぐ横を通り過ぎようとした瞬間——
カンッ!!
大場は、手にしていたメガネレンチを全力で投げつけた。
レンチは鉄骨にぶつかり、足場を固定していたボルトを弾き飛ばす。
——カチャンッ!
ボルトは弧を描きながら400メートル下の地上へと落ちていった。
「……ッ!!?」
隊員の一人が、その異変に気づく。
「……おい、今何を……?」
次の瞬間——
「崩れるぞ!!!」
誰かの絶叫が響いた。
——ギギギギギ……!!!
鋼鉄製の足場が、大きく軋む音を立てる。
隊員たちの顔が、一瞬で青ざめる。
「クソッ、マジか!!」
「捕まれ!!」
——ガガガガァァァンッ!!!
足場の一部が崩落を始めた。
鋼鉄の支柱が崩れ、溶接部分が次々と剥がれていく。
鉄骨の破片が宙を舞い、400m下の地上へと落下していく。
「うわあああああ!!!」
隊員の一人がバランスを崩し、宙へと投げ出される。
「くそっ……!」
咄嗟に隣の隊員が腕を掴む。
だが、鉄骨の足場はさらに大きく揺れ、もう長くは持たない。
大場は、ボロボロの体で歯を食いしばりながら、鉄骨にしがみつく。
「……ハッ、ざまぁみやがれ……!」
隊員たちは、大場を拘束するどころではなかった。
彼らは今、自分たちが落下しないようにすることで精一杯だった。
その混乱の中——
コーミルは、ただひたすらに上を目指していた。