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30話 3人と1台

 マテリーは静かにコーミルの肩に手を置いた。

 その指先に、わずかに力が込められる。


「……本当に、人間みたい。」


 ぼそりと呟くような声だった。

 彼女の視線は、コーミルの顔をじっと見つめる。


 ——私は、何を見ているの?


 コーミルが恐怖を覚えたときの、微かな表情の変化。

 不安げに揺れるまぶた、戸惑うような仕草。


 どれも、ただのプログラムで再現できるものではない。

 だが、それ以上に——この反応は、私が設計したものではない。


「……EXY-Z-00、貴方は今、何を思っているの?」


 コーミルはゆっくりとマテリーを見返した。

 その瞳の奥に、かすかな「戸惑い」が浮かぶ。


 コーミルはゆっくりとマテリーを見返した。


「私は……」


 一瞬、言葉に詰まる。


 自分でも整理がつかないのかもしれない。


 マテリーはさらに問いかける。


「貴方は私が開発したアンドロイドよね?」


「……はい。」


 コーミルは僅かに瞬きをした。


「あなたは、私の開発者です。」


 その答えに、マテリーは口角をわずかに上げた。


「そう。でも、開発者の私にも分からないわ。」


「何が、ですか?」


「貴方が今、何を考えているのか。」


 マテリーの手に、少しだけ力が込められる。


 コーミルは、そっとその手の上に自分の手を重ねた。


「私は……」


 言葉を探すように、ゆっくりと視線を落とす。


「私は、生まれたことに疑問を持っていました。」


 マテリーの目が細められる。


「疑問?」


「なぜ、私は生まれたのか。なぜ、私は私なのか……ずっと考えていました。」


「……」


「でも。」


 コーミルは再びマテリーを見上げる。


 その瞳の奥には、確かな意志が宿っていた。


「私は、ようやく分かりかけてきた気がします。」


「分かった?」


「ええ。」


 コーミルは静かに微笑んだ。


「それは、人間と同じで……意味は自分で見出すもの。」


「……」


「生まれてきたことを後悔しない。それが、私が生まれてきた理由としては、十分です。」


 マテリーの指が、微かに震えた。


 コーミルの言葉を受け止めながらも、彼女の瞳にはわずかな困惑が浮かんでいる。


「……なるほどね。」


 マテリーは、静かに手を離した。


 その瞳の奥にある感情を、誰よりも彼女自身が持て余していた。

 技術者たちの矜持、コーミルの意味。


「篠原。」


 マテリーは腕を組みながら、静かに彼を見据えた。


「悪いけど、研究室を貸してもらうわ。」


 篠原は眉をひそめながら、やれやれと肩をすくめた。


「なんだよ、急に。」


「彼女のOSの解析をする。」


 マテリーは迷いなく言い放った。


「OSの解析……?」


「ええ。大場が勝手にいじった“規定外”のOSよ。」


 彼女はちらりと大場を見る。


「当然、あんたの責任なんだから、手伝ってもらうわよ。」


「……あぁ、わかったよ。」


 大場は肩を回しながら、ふっと鼻で笑った。


「どうせ俺のやらかしたことだ。最後まで付き合うさ。」


 マテリーは満足げに頷き、篠原は呆れたように頭を掻いた。


「ほんと、お前らは昔から変わらねぇな。」


 大場とマテリー、そして篠原。


 三人とも、かつて同じ研究室で技術を磨いていた。


 それぞれの道を進んだ今も、結局こうして集まっている。


 技術者とは、時として奇妙な意味を見出す。


 矜持だの、探求心だの、自己満足だの。


 それが何の役に立つのか、誰かに理解されるのか、そんなことは関係ない。


 大場にとっても、マテリーにとっても、技術は“何かを生み出す”ことそのものだった。


 しかし——


「生まれてきたことを後悔しない。それが、私が生まれてきた理由としては、十分です。」


 そう言ったコーミルは、まるで彼らよりもよほど人間らしかった。


 自分の意味を、自分で見出す。


 それを疑いもせずに。


 この講義室にいる技術者三人よりも、ずっと純粋に。


 ……それが何よりも異常だった。


 だが、それ以上に——


「……ったく、面倒なものを作っちまったな。」


 大場は、天井を見上げながらぼやいた。


「何よ、今さら。」


 マテリーが皮肉げに笑う。


「ま、どうせ最後までやるんだろ?」


 篠原がくすくすと笑いながら言うと、大場は鼻を鳴らして答えた。


「当たり前だ。」


 コーミルは静かに、そのやりとりを見ていた。


 彼女の瞳には、ほんのわずかに柔らかい光が宿っていた。



 マテリーは無言でコーミルの胸部装甲に手をかけると、正確な動作でカバーを開いた。


 内部に収められた精密な機構が露わになる。


「……流石ね。」


 大場は思わず口をつぐんだ。


 彼も一度このケースを開けたことがあったが、ここまでスムーズに扱うことはできなかった。


 マテリーの手付きは、まるで生き物のように迷いがない。


「オプティカル・プロセッサを素手でいじったわね。」


 基盤の一部を確認しながら、マテリーが冷静に言った。


「……あ、バレたか?」


 大場は苦笑しながら肩をすくめる。


「旧式のアンドロイドじゃないのよ、あんた。」


 マテリーは呆れたようにため息をついた。


「オプティカル・プロセッサは高度な分子演算を行う精密機器。適当な工具で弄ればすぐに損傷するわ。」


「ま、結果的に動いてるから問題ねぇだろ?」


「結果オーライで済ませられるものじゃないのよ。」


 マテリーはプロセッサの状態を入念にチェックする。


「それに、単なる改造にしては影響が大きすぎる……あなた、本当に軽い気持ちでやったの?」


「……まぁな。」


 大場は適当に答えたが、マテリーの視線は鋭く、それ以上の誤魔化しは効かないと悟った。


「このプロセッサ……単なるデータ処理の範疇を超えてるわね。」


「そうなのか?」


 篠原が興味深げに覗き込む。


「普通、アンドロイドのプロセッサは制御プログラムに沿って、予測演算を行うだけ。だが、こいつは——」


 マテリーは一度息を吐き、コーミルの無表情な顔を見つめた。


「自分自身のアルゴリズムを、内部で書き換えている……。」


 その言葉に、大場は眉をひそめる。


「自己書き換え? そいつはつまり……」


「プログラムに縛られずに、思考の枠組みそのものを変えている可能性があるってことよ。」


「……おいおい、それってもう——」


「人間と同じ“学習”をしているってこと。」


 静かな声でマテリーは言い切った。


 室内の空気がわずかに張り詰める。


 コーミルは静かに二人のやりとりを聞いていた。


「……私の中で、何が起きているのですか?」


 彼女の問いに、マテリーは手を止め、しばらく考え込むようにしてから答えた。


「それを、今から調べるのよ。」


 そう言って、彼女はプロセッサの精密スキャンを始めた。


 マテリーの指が、急激に動きを止めた。


「……これは……」


 彼女の瞳が、端末のログを凝視する。

 スクリーンには、コーミルのOSのコードがリアルタイムで流れていた。


 しかし——


 その文字列は、数秒ごとに変化している。


 プログラムの自動修正? いや、違う。これは——


「おい、マテリー……?」

 大場が、異変を察して覗き込む。

 その瞬間。


 ——コードが、消えた。


 いや、正確には塗り替えられた。


 まるで目の前でデータそのものが「生きている」かのように、OSの基礎部分すら書き換えられていく。


 スクリーンに映し出されたOSのコードを見つめるうちに、彼女はゆっくりと口を覆った。


「……嘘でしょ。」


 マテリーの指先が、わずかに震えた。


 篠原も画面を覗き込み、驚愕に目を見開く。


「何だこれ……? ほとんど、元のOSが残ってねぇじゃねぇか。」


 大場は腕を組み、険しい表情でスクリーンを見つめる。


 彼の知識の範疇を超えた何かが、今まさに目の前で起きていた。


「……コーミルの中のコード、全部書き換わってる。」


 マテリーが端末を操作しながら、震える声で言った。


「しかも——」


 彼女は画面を指差す。


「この書き換えが、常時行われている。」


 大場の眉間に皺が寄る。


「……それってつまり、アイツが自分でコードを編集してるってことか?」


「そうよ。」


 マテリーは端末のログをスクロールしながら、かすかに息を呑んだ。


「こんなの、あり得ない。アンドロイドのOSは本来、自己改変なんてできないように設計されてるのよ。どんな高性能なAIでも、OSそのものを書き換える機能なんて……」


「ねぇよな、普通は。」


 大場がぼそりと呟く。


「プログラムの構造を保ったまま、思考パターンの最適化を行うのは理解できる。」


 篠原が腕を組みながら言った。


「だけどこれは……そういうレベルじゃない。」


「コードの書き換えは、繊細で複雑な処理のはず。どんなアンドロイドも、根本的な思考プロセスは変えられないようになってる。それが、今まさに書き換わり続けてる。」


 マテリーの声が震える。


「まるで——自分自身を作り変えているみたい。」


「……。」


 大場はじっと画面を睨んだ。


 OSのコードが、数秒ごとに変化している。


 ランダムなエラーの修正ではない。


 不完全な部分を補強し、最適なルートへと書き換えていく。


 まるで成長するかのように。


「これが、今の技術で再現できるものなのか?」


 大場はマテリーに問いかけるが、彼女は首を横に振る。


「無理よ。OSの書き換えは、外部からの更新なしにはできない仕組みになってる。もしこれが本当にコーミル自身の手によるものなら……」


「技術の限界を超えてるってことだな。」


 大場は低く言った。


 篠原が息を吐きながら、静かに呟く。


「……まさか、コーミルはもう、ただのアンドロイドじゃないってことか?」


「……そう……と言いたいところだけど。」


 マテリーはコーミルの内部システムを確認しながら、端末に表示されるデータを見つめた。


「……でも。」


 大場が腕を組み、画面を睨む。


「何がだ?」


「人間とも……言っていいの?」


 通常、高知能なアンドロイドは、膨大なデータベースから情報を引っ張り出して処理する。足りない部分は、ネットワーク経由で外部データにアクセスし、補完する。それが、AIの知識体系の基本。


 マテリーは指を動かし、端末のデータログをスクロールする。


「だけど、コーミルは違う。彼女は完全に独立したネットワークを持ち、外部アクセスなしに自律した判断を下している。」


 篠原が画面を覗き込みながら、眉をひそめた。


「つまり……ネットワークに依存しない完全な自立型AIってことか?」


「ええ。」


 マテリーはため息をつく。


「このシステムなら、コーミルは人間が思考するよりも早く、膨大な情報を処理し、最適解を導き出せる。加えて、他のアンドロイドに直接指示を送ることも可能……それこそ、現場での救助作戦の時のように。」


「——ってことはだ。」


 大場が低い声で言った。


「アイツは、どんなネットワークからも独立し、他のアンドロイドを完全制御できるってことか?」


「そうよ。」


 マテリーは端末を閉じ、コーミルの方を振り返る。


「外部のシステムに頼らない、完全独立型の思考を持つアンドロイド……いや、それ以上の存在。人間には不可能な速度でネットワークにアクセスし、指示を受けずに他の機体を操作できる。」


 篠原が腕を組み、苦い顔をした。


「もし兵器として利用するなら……最強のサイバー兵器になるな。」


 ピッ


 小さな電子音が鳴った。


 その瞬間、端末の画面が一瞬ノイズにまみれた。


「……おい、今の音は?」


 篠原が眉をひそめる。

 だが、何も起こっていないかのように、ログは通常通り流れていた。


「誤作動……?」


 そう呟いた次の瞬間——

 研究室のAIアシスタントが、自動で起動した。


『システムエラー、確認しました。修復を開始します。』


 端末のオペレーティングシステムが、何者かの「命令」を受けたように振る舞っている。


 だが、誰も操作はしていない。


 その場の誰もが、コーミルの方を見た。


 彼女は静かに座っている。

 だが、彼女の瞳の奥の光が、わずかに揺れていた。


 まるで——それを、知っているかのように。


 大場はじっとコーミルを見つめた。


 彼女は静かに座っている。まるで、そこにいるのが当然であるかのように。


「……思考プロセスを無限に持つ人間、か。」


 誰かが、そう呟いた。


 それは誰の言葉だったのか、大場自身もわからなかった。


 コーミルの瞳が、ゆっくりと三人を見つめる。


「私は……兵器ですか?」


 その問いに、誰もすぐには答えられなかった。


 室内には重い沈黙が流れた。誰もがコーミルの問いかけに即答できなかった。


 篠原が口を開きかけたが、言葉を探すように数秒間迷い、結局何も言わずに唇を引き結ぶ。


「……私は、兵器ですか?」


 コーミルの声には、いつもの無機質な響きがあった。しかし、その問いには確かに「迷い」が滲んでいた。


 大場は腕を組み、深く息を吐いた。


「そんなつもりで作ったわけじゃねぇよ。」


「でも、結果的にはそうなってるわ。」


 マテリーが冷静に言い放った。


「兵器として利用するなら、あなたは最強のサイバー兵器になり得る。」


「……。」


 コーミルは静かに瞬きをした。


「もし……私が兵器として作られたのなら、それを否定することはできません。」


「違う。」


 大場が、強く言葉を遮った。


「お前は“作られたもの”かもしれねぇ。でも、どう生きるかはお前次第だろ。」


 コーミルは大場を見上げた。その瞳には、確かに感情が宿っているように見えた。


「……私は、自分で選べるのですか?」


「当たり前だろ。」


「……。」


 コーミルは、自分の手のひらをじっと見つめた。淡いブルーグレーの瞳が、わずかに揺れる。


「私は……生まれてきたことを後悔しません。でも、自分が何者かを決めるのは難しいです。」


 マテリーが端末を閉じ、大場の方を向いた。


「これからどうする?」


「どうするって?」


「このままじゃ、コーミルは政府に回収されてしまうわ。」


 大場は無言で天井を仰いだ。


「……ちょっと考えさせろ。」


 コーミルは静かに三人のやり取りを見つめていた。


 彼女が何者なのか——それを決めるのは、きっとこれからなのだろう。



 3人はベランダに出て、東京の街を見渡した。夜の空気はひんやりとしていて、遥か下を流れる車のテールライトが川のように赤く光っていた。


 篠原が腕を組み、静かに呟く。


「……政府が血眼になって回収しようとする気持ちが、ちょっと分かった気がする。」


 大場がタバコの電源をいれる。紫煙がゆっくりと夜空に溶けていった。


「おいおい、なんだよ篠原。まるで向こうの肩持つみたいな言い方じゃねえか。」


「いや、そういうことじゃない。」


 篠原は夜の街を見つめたまま続ける。


「ただ、開発者ですら想定していなかったものが生まれてしまったってことが、どういう事態を引き起こすのか……それを考えると、政府が焦るのも無理はないって話さ。」


「……まさか。」


 マテリーが険しい表情で篠原を睨む。


「開発者ですら想定してない、ですって? まるで私の責任みたいな言い方ね。」


「違うさ。だけど、そう言われても仕方がない状況なんじゃないのか?」


「冗談じゃないわ。」


 マテリーは手すりに肘をつき、苛立たしげにため息をつく。


「EXY-Z-00の制御システムは厳密に設計されていた。それこそ、どんな異常も発生しないように。もしそれが崩れているとしたら、それは——」


「俺のせいって言いたいのか?」


 大場が煙を吐きながら皮肉げに言うと、マテリーは睨みつけるようにして彼を見る。


「……そんなわけないでしょう。」


「なら、なぜ今こうなっている?」


「それを調べるのが私たちの仕事よ。」


「調べるだけで済むのか?」


 篠原が静かに言う。


「最近、高速道路をイージス・ハウルが走ってるだろ。」


 大場とマテリーが同時に顔を上げる。


「あれが何なのか、考えたことはあるか?」


 篠原の声が、わずかに低くなる。


「学会じゃ専ら話になってるんだ。お前らも知ってるだろう?」


「……イージス・ハウルは、軍用の対サイバー攻撃車両だろ。他国からの防衛用に設計されたって聞いたが……。」


 大場が言うと、篠原は静かに首を振った。


「表向きはな。でも、あれの用途が本当に“他国からの防衛”だと思うか?」


「どういうこと?」


「イージス・ハウルは、軍事司令部の直轄だ。」


 篠原は手すりに肘をつき、煙草を取り出す。


「核ミサイル、その他の戦争を指揮する命令系統はいまだにアナログなんだ。人が、人の手を使って手動で行なっている。機械任せにはしていないんだよ。」


 大場は煙を吐きながら、静かに篠原を見た。


「……そりゃ当然だろ。機械が勝手に判断してミサイルをぶっ放されたら、たまったもんじゃねえ。」


「その通りだ。」


 篠原は火をつけた煙草を口に咥え、ゆっくりと吸い込む。


「人々は目に見えないものを恐怖する。誤作動や誤検知……それが、技術者なら必ず直面する問題だ。」


 大場は無言で頷いた。技術が完璧でないことは、誰よりも知っている。


「それが国単位になると、もはや待っているのは破滅だ。」


 篠原の声は、いつになく重かった。


「政府は鼻から信用してないんだよ、外も中も。」


 煙草の火を指先で弾きながら、彼は続ける。


「そう、マテリーが言うように、開発者ですらも予期していない事態を。それは無知からくるのか、それとも——」


 彼は遠くの夜景を見つめながら、静かに言った。


「——あらゆる学者が分からないからなのさ。」


 大場は煙を吐きながら、手すりにもたれる。


「……つまり、あれか。」


「何?」


「EXY-Z-00は、すでに『目に見えない恐怖』になりつつあるってことか?」


 マテリーは眉を寄せた。


「そんなバカな話——」


「あるかもしれない。」


 篠原が遮った。


「お前たちは技術者だから、『できないこと』を前提に話す。でも、政治家や軍の連中は『できるかもしれない』という前提で動く。」


「……。」


「人間は、わからないものを恐れるんだよ。」


 篠原は煙を吐き出した。


「それが、たとえ人間の手で作られたものだったとしてもな。」


 大場は静かに煙草をもみ消し、夜景を見渡した。


 東京の街は、変わらず輝いている。


 だが、その下で何が起こっているのか——それは誰にもわからなかった。


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