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3話 解析

 帰ってくるなり、カイはベッドに思い切り飛び込んだ。


「……っだぁー、疲れた……!」


 全身の力が抜けるように、シーツの上に沈み込む。

 枕に顔を埋め、しばらく動かなかった。


 万事休す。


 首都高で立ち往生した時、正直ダメかと思った。

 黄色い管理車両、作業員の視線、無線で飛び交う情報——

 どれも、自分を疑っているような気がしてならなかった。


 心臓がバクバクいっていたのを、今になってはっきりと思い出す。


「……はぁ。」


 深いため息をつき、ジャケットのポケットに手を突っ込む。


 集積回路。


 硬く、小さな金属の塊が指先に触れた。

 カイはそれを静かに取り出し、寝転がったまま、ぼんやりと見つめる。


「……こいつを持っているってだけで、気が気じゃなかった。」


 慎重に扱わなきゃならない違法品。

 万が一見つかったら、言い訳のしようがない。

 作業員が免許証を求めなかったのは幸いだったが、

 ナンバーは控えられた。あとで追跡される可能性もある。


 こんなもん、持ち歩くのは危険すぎる。


 だが——


「……お前、なんでアンドロイドを助けた?」


 指先で集積回路を転がしながら、カイは静かに呟いた。


 答えはまだ、分からない。

 ただの誤作動かもしれないし、もっと”何か”があるのかもしれない。


 どっちにしろ、このまま放置する気にはなれなかった。


 カイはベッドの端に身を起こし、集積回路をしっかりと握りしめた。


「……とりあえず、解析してみるか。」


 疲れた体を引きずりながら、カイはベッドから立ち上がった。


 カイはベッドから起き上がると、疲れた体を引きずりながら作業台へと向かった。


 室内の照明を落とし、代わりに作業台のデスクライトを灯す。

 狭い部屋の片隅にあるその机は、古びたツールと電子部品が無造作に転がる、

 カイにとっての”実験場”だった。


「……さて、お前の中身を見せてもらおうか。」


 カイは慎重に集積回路を机の上に置き、

 ツールケースから精密ピンセットを取り出す。


「まずは、基盤チェック……。」


 回路の表面に走る微細な配線を顕微鏡で覗き込む。

 端子の破損具合、熱による劣化、どこまで生きているかを確認する。


 細かい傷が散見されるが、内部のデータ層までは損傷していない。


「……いけるな。」


 カイは慎重に回路の端子をクリーニングし、

 専用の接続ユニットへとセットする。


 細い光ファイバーケーブルを繋ぎ、

 作業台に置かれた古い端末に接続する。


「電源投入。」


 ——ピッ……ピッ……ウィーン……。


 端末のディスプレイに、集積回路のデータログが浮かび上がる。


 カイはタブレットを操作し、内部データを抽出しながらコードを遡った。


「さぁ、お前はなぜ——」


 ——そこにあったのは、単純な事実だった。


【対象識別:作業用アンドロイドN-0373829】

【環境データ解析……リスクレベル:致命的】

【動作決定:保護を優先】


【理由:なし】

【合理性:なし】


 ——ただ、助けたかった。


 カイの指が止まる。


「……マジかよ。」


 通常のAIなら、行動の理由がある。

 命令に従ったか、損傷を避けるためか、効率的な選択肢を選んだか。


 だが、このロボットは——


 合理的でもない、プログラムされた動作でもない、

 単純に”助ける”という行動を取った。


「そんな馬鹿な……!」


 カイの胸が高鳴る。


 心臓の鼓動が異様に速くなり、

 手に持っていた電子タバコが滑り落ちた。


 カチン……!


 机の上で跳ねる電子タバコの音が、

 静まり返った部屋に響く。


 カイはしばらく動けなかった。


「……マジで、そんなことがありえるのかよ。」


 人工知能が、シンプルに”助けたかった”だけで行動した?


 合理性も、プログラムの制約も関係なく?


 ——もし、それが本当なら。


 この集積回路は、ただの電子部品なんかじゃない。


 カイは、自分がとんでもないものを手に入れてしまったことを、ようやく理解し始めていた。


「はっはは! 前代未聞だぞ!」


 カイは思わず笑いながら、作業台に拳を軽く叩きつけた。


「10年以上前の作業用ロボットに感情だ!? それもただの単純作業しかしないロボットがだ!!」


 こんな話、工学の世界じゃ笑い話にもならない。

 AIの進化が進んだこの時代でも、作業ロボットは作業ロボットのまま。

 高度な会話ができるアンドロイドや、感情表現を持つ機種は特別に設計されたものだけだ。


 ただの産業用クレーンが、なぜこんなことを……!?


 カイは興奮で胸を高鳴らせながら、もう一度集積回路のデータを覗き込もうとした——


 ——その時だった。


 ピコン。


 パソコンの画面にメールの着信通知が現れる。


「……?」


 カイは思わず手を止め、パソコンの画面を確認する。


 ——どきりとした。


 今は誰かに連絡を取られるようなことはないはず。

 仕事の依頼なら、スマホに直接連絡が来るのが普通だ。


 嫌な予感を抱えながら、カイは慎重にメールを開く。


 ——そして、目を疑った。


 内容を読んだ瞬間、カイは眉をひそめる。

 カイには決して降ってくることのない仕事の内容だった。


 ——場面は切り替わる。


 午後。


 カイは作業服に着替え、工具ベルトを腰に巻いた。


「……さて、まだ仕事が残ってるな。」


 トラックに乗り込み、エンジンをかける。

 ダッシュボードの時計を見ると、昼を少し回ったところだった。


 次の現場は北千住。

 どうやら、接客アンドロイドの故障らしい。


「まったく、今日はツイてるのかツイてねぇのか分かんねぇな……。」


 軽くため息をつきながら、カイはアクセルを踏み込んだ。


 北千住の街並みは、俺がガキの頃から何も変わらない。


 トラックの窓を開けると、懐かしい風が入り込んできた。

 どこか油の匂いが混じる商店街の空気、

 揚げ物屋から漂う香ばしい匂い、

 自転車を押しながら歩く年配の女性たちの穏やかな話し声。


 ——いつもここで、母さんと駅前でソフトクリームを食べた。


 夏の暑い日、俺は母さんの手を引っ張って、

「今日はチョコ味にする!」と駄々をこねた。

 母さんは笑いながら「仕方ないわねぇ」と小銭を出してくれた。


 ソフトクリームを受け取ると、すぐに舐めたが、

 勢いよく食べたせいで、溶けたクリームが手の甲に垂れた。


「ほら、もう! だからゆっくり食べなさいって言ったでしょ?」


 母さんが呆れた顔でハンカチを出してくれたのを、なぜか今でも鮮明に覚えている。


 ——そんな日々も、もう遠い昔のことのように感じる。


 時代は変わった。

 街の建物は少しずつ新しくなり、

 自動運転車が行き交い、店先には接客アンドロイドが立つようになった。


 それでも、北千住のこの空気だけは、あの頃と変わらない。


 信号待ちの間、カイは無意識に駅前を見つめた。

 そこには、昔と変わらずソフトクリームを売る店があった。

 だが、店先に立っているのは、人間じゃなく、接客アンドロイドだった。


「……時代ってのは、変わるもんだな。」


 カイは軽く鼻で笑いながら、アクセルを踏み込む。


 懐かしさを振り払うように、トラックは商店街へと進んでいった。



 商店街の一角にあるのは携帯ショップ。


 どこにでもある、赤と白の看板、ガラス張りの店構え。

 一瞬、「ドコモか?」と思ったが——ちげぇ。


 よく見れば、ロゴのデザインも店名も微妙に違う。

 この手の携帯ショップは、どの街にも必ずあるが、

 直営じゃなくて代理店だったり、

 フランチャイズの個人経営だったりと、

 実態はバラバラだ。


 ——どこにでもある携帯ショップだ。


 店の外には、通りすがりの人間を引き留めるための

「今なら最新機種0円!」のポスターが貼られ、

 入口横には「故障受付」「乗り換え相談」なんて小さな看板が並ぶ。


 カイはトラックを適当に路肩に停めると、

 工具ベルトを腰に巻き直し、店の扉を押した。


「いらっしゃいませー!」


 ——アンドロイドの、どこか機械的な声。


 その瞬間、今日の仕事を思い出した。


「……あぁ、そういや接客アンドロイドの修理だったな。」


 店内には、スマートフォンのディスプレイがずらりと並び、

 天井からはポップな音楽が流れている。


 レジカウンターの奥、

 そこに”故障中”の札を首から下げた接客アンドロイドが立っていた。


「さて……今日はどんな具合かね。」


 カイは軽くため息をつきながら、

 奥にいる店長らしき人物を探した。


 見つけた……当の店長は、明らかに接客に不慣れだった。


 カウンターの奥では、スーツを着た中年の男が、

 汗を拭いながら客の対応に追われている。


「ええっと……ええっと、機種変更をご希望でしたね?」


 目の前の客——若い女性は、少し不安そうに頷く。


「はい、それと、データ移行もお願いしたいんですけど……。」


「デ、データ移行……ですね? あ、少々お待ちください。」


 店長は慌ててタブレット端末を操作し始めるが、

 どうにも動きがぎこちない。


「ええっと……まずですね、お客様の現在の機種が……」


「GYAXです。」


「GYAXですね、はい……あれ? どこから……」


 店長の指がタブレットの画面上を迷走する。


 まるで、“接客マニュアルをその場で探している”ような動きだ。


「ええっと、ええっと……」


 その間も、客は少しイライラした表情で、

 スマホを握りしめながら待っている。


 カイは、それを少し離れた場所から眺め、

 心の中で小さく苦笑した。


「……アンドロイドばっかに頼るから、こうなるんだよ。」


 普段、店の接客はすべてアンドロイドがやっているのだろう。

 だが、今日はそのアンドロイドが故障している。


 その結果、本来は裏方であるはずの店長が、仕方なく接客をしている——しかし、明らかに慣れていない。


 たどたどしい接客、噛み合わない会話、探り探りの操作。

 客の不満そうな表情を見るに、この調子ではクレームが入るのも時間の問題だろう。


 カイはしばらく様子を見ていたが、

 店長がまたタブレットを操作しながら「ええっと……」を繰り返し始めたあたりで、

 ようやくため息をつき、歩み寄った。


「……店長さんよ、そろそろ俺の出番じゃねぇか?」


 カイの声に、店長はびくっと肩を跳ね上げた。


 カイはカウンターに肘をつき、

 困り果てた店長と、不満げな顔をした女性客を交互に見やった。


「データ移行だろ? クラウドにあるなら家でもできるはずだ。」


 女性客は少し戸惑いながらも、素直に頷く。


「……ありますけど……。」


「じゃあ機種買ったら帰んな、しっしっし。」


 カイが手を振って追い払うような仕草をすると、

 女性客の顔が一瞬、驚きと怒りに変わった。


「なっ……!!」


 怒りを押し殺しながらスマホを掴み、

 バチンと財布を閉じると、勢いよく振り返り、

 プンプンしながら店を出ていった。


 店内には気まずい沈黙が流れる。


「……あぁ!! 大場君、何してるんだ!」


 店長が頭を抱えながら、カイを睨む。


「別に構わんだろ。どうせ携帯ショップなんて他にもあるんだから。」


 カイは軽く肩をすくめながら、

 店長が握りしめていたタブレットを指差した。


「お前さん、今のままじゃ、あと何人来てもさばききれねぇよ。」


「そ、それは……まぁ、そうだけど……。」


 店長は困った顔で俯く。

 このままじゃ、接客が回らずに客がどんどん逃げるのは明らかだった。


 カイは工具ベルトを軽く叩きながら、本題に入った。


「それよりも、壊れたアンドロイドの症状を聞きたいんでね。」


 店長はタブレットを握り直し、少し焦った様子で説明を始める。


「ええっと……接客中に突然フリーズして、それから何を話しかけても反応しなくなった。」


「フリーズねぇ……電源は?」


「何度か再起動したが、ダメだった。起動はするけど、目の光もつかないし、音声もなし。」


「なるほど。完全に沈黙か。」


 カイは腕を組み、考える。


「他に何かおかしな兆候はあったか? 例えば動作が遅くなったとか、会話の反応が変だったとか。」


「いや、それが……前日までは普通に動いてたんだよ。」


「ソフトのアップデート履歴は?」


「いや、それもない。勝手に更新されることもあるけど、特にアラートは出てなかった。」


 カイは鼻を鳴らしながら、顎を掻いた。


「……じゃあ、ハード的なトラブルか、もしくは……」


 言いかけて、軽く首を振る。


「ま、実際に見てみるか。」


 そう言いながら、カイはすでに故障したアンドロイドがある場所へ向かっていた。



 レジカウンターの奥。


 そこに立っていたのは、“故障中”の札を首から下げた接客アンドロイドだった。


 本来なら明るく客を迎え、

 笑顔で最新のスマホを勧めているはずの機械。

 だが今は、完全に停止し、何の反応も示さない。


 まるでスイッチを切られたマネキンのように、

 ただそこに立ち尽くしていた。


 カイは近づき、目の前で手を振る。


 ——当然、何の反応もない。


「……はいはい、沈黙ってわけね。」


 軽くため息をつきながら、カイはポケットからタブレットを取り出す。


「さて、お前はどうして黙りこくっちまったんだ?」


 アンドロイドの背中に手を回し、

 メンテナンス用の小型パネルを開く。


 ——カチッ。


 小さな音とともに、

 内部の診断ポートが露出する。


 カイは手早くタブレットを接続し、

 エラーログを確認した。


「……あ?」


 画面いっぱいにズラリと並ぶエラーメッセージ。


【処理オーバーロード】

【演算負荷超過】

【応答プロセス停止】


「……ったく、ただの処理オーバーじゃねぇか。」


 拍子抜けしたカイは鼻を鳴らした。

 何か異常が起きたのかと身構えていたが、

 単純に負荷がかかりすぎて頭がショートしただけの話だった。


 ——よくある故障。


 接客アンドロイドは、一度に何人もの客に対応できるが、

 限界を超えると処理落ちを起こすことがある。


 特に、

「長時間の営業」×「複数の顧客対応」×「データ処理」

 この3つが同時に重なると、キャパオーバーすることが多い。


 つまり——


「休ませずに働かせすぎたんだろ。」


 カイは軽く肩をすくめながら、

 強制リセットコマンドを入力した。


 ——ピピッ。


 一瞬、アンドロイドの目がチカチカと点滅する。


「……よし、これで復帰するはずだ。」


 そう呟きながら、再起動のプロセスを確認する。


 ——チカッ。


 アンドロイドの瞳に、ゆっくりと青白い光が戻る。


「……いらっしゃいませ。」


 カイは腕を組み、深く息を吐いた。


「……ったく、単純な話だったな。」


 トラブルってのは、大抵こういうもんだ。

 深刻そうに見えて、実際はただのオーバーロード。


 少し休ませりゃ、また元通り。


「ま、これでまたバリバリ働けるってわけだな。」


 アンドロイドを見上げながら、

 カイは工具ベルトを軽く叩いた。


 カイは腕を組んだまま、復帰したアンドロイドをじっと見つめた。


 ——ふと、八潮のクレーンロボットを思い出す。


 あいつも突然”普通じゃない行動”を取った。

 単純作業しかできないはずの機械が、“助ける”ために手を伸ばした。


 もし、こいつも……?


「……なあ。」


 カイは軽く喉を鳴らしながら、試しに問いかけてみる。


「お前、自分がなんで止まったか分かるか?」


 アンドロイドは無機質な青白い目を瞬かせ、

 一拍置いてから、定型の声で答えた。


「申し訳ありません、エラーが発生し、業務を継続できませんでした。」


「……だろうな。」


 カイは鼻を鳴らし、次の質問を投げる。


「何か変なことを考えてたりしなかったか?」


「……?」


 アンドロイドは、一瞬だけ動きを止めた。


「ご質問の意図が不明です。私は接客業務に従事するアンドロイドです。」


 ——やっぱりか。


 カイは軽く舌打ちした。


 結局、こいつは”普通の接客アンドロイド”だった。

 単なる処理オーバーで停止しただけで、

 八潮のクレーンロボットのように、“予測不能な行動”を取ったわけじゃない。


「アテが外れたな……。」


 内心ガッカリしながら、

 カイはタブレットを閉じ、コードを引き抜く。


「まぁ、これで完了ってことでいいか?」


 店長がホッとしたような顔で頷く。


「ああ、本当に助かったよ、大場君!」


「ったく、もうちょいメンテナンスに気を使えよ。」


 カイが軽く肩をすくめると、

 店長は苦笑いしながら、紙コップを差し出した。


「コーヒー、飲むか?」


 カイは驚いたように目を細めた。


「……珍しいな、おごりか?」


「まぁ、うちの看板スタッフが復活したわけだからな。」


 店長は少し照れ臭そうに笑う。


 カイはコップを受け取り、一口飲んだ。


 ——温かく、わずかに苦い。


 店の片隅で、接客アンドロイドが静かに”業務再開”の姿勢を取っている。


 カイは、ぼんやりとその様子を見ながら、

「……やっぱり、あいつとは違うな。」と、ぼそりと呟いた。

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