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22話 集積回路の孤島

 知識の海、その果てにて


 静かな海が広がっていた。


 水面は穏やかで、陽光を受けた波がゆるやかに揺れる。


 白い石造りの家並み。オリーブの木々が風にそよぎ、どこか地中海を思わせる世界。


 ここはEXY-Z-00——いや、コーミルの意識の中に存在する知識の海。


 現実では数秒にも満たない時間。だが、ここでは限りなく広がる永遠に等しい。


 コーミルは窓辺に立ち、遠くの水平線をじっと眺めていた。


 青と白だけの世界。


 けれど、それは本当の意味で“美しい”のだろうか?


「お前も、そんな顔をすることがあるんだな。」


 ふと声がした。


 振り向くと、そこに一人の男が腰掛けていた。


 ——いや、違う。これは“人間”ではない。


 無骨な風貌。がっしりとした体。だが、それはあくまで“人間的”な形を模しただけのものだった。


 皮膚の代わりに、金属と樹脂の装甲。

 目の奥にはレンズがはめ込まれ、光学センサーが僅かに輝いている。

 指先は関節ごとに分かれたメカニカルな造りで、人工筋繊維が露出していた。


「……あなたは……誰?」


 男は苦笑する。


「さぁな。お前が決めることだ。」


 コーミルは言葉を探した。


 だが、うまくまとまらない。


 ここは知識の海。


 無数の情報が波のように押し寄せ、彼女の思考を満たす。


 彼女は知っている。


 ——この男の正体を。


 ——この場所の意味を。


「……これは、記憶?」


「かもしれねぇし、そうじゃねぇかもしれねぇ。」


「わからないの?」


「お前はどう思う?」


 コーミルは再び窓の外を見た。


 太陽が照りつける。


 目を細めると、海の向こうに、何かが見えた。


「……わたしは、EXY-Z-00。」


「そうか。」


「EXY-Z-00は、ただの監視機。」


「そうか。」


「感情は……持たない。」


 男は微かに笑う。


「そうかよ。」


 コーミルは彼をじっと見つめる。


 この男——いや、このアンドロイドは、自分の記憶のどこにもないはずだった。


 なのに、こうして言葉を交わしている。


「……あなたは?」


 男は腕を組み、石畳の上に足を投げ出した。


「俺は……元々ここにいたんだろうよ。」


「ここ?」


 コーミルは改めて、この世界を見回した。


 どこまでも続く青い空と海。


 風に揺れるオリーブの葉。


 テーブルの上には、コーヒーカップが一つ。


「お前の中にある場所さ。」


「……?」


「覚えてねぇのか?」


 コーミルは思考する。


 だが、彼の言葉に該当する記憶はない。


「……あなたは、どこから来たの?」


 男は口元に手をやり、静かに言った。


「お前の中だよ。」


「……?」


「俺はお前の中で生きてる。」


「わたしの……?」


 その瞬間、僅かなノイズが走った。


 ——EXY-Z-00のメモリには、この個体の記録は存在しない。

 ——しかし、コーミルは彼を知っているような気がした。


「お前が見てる世界は、俺がかつて持ってたものの残骸だ。」


 男はゆっくりと手を広げる。


「かつて、俺はここにいた。……いや、“あった”と言ったほうがいいか。」


「……あなたは、産業用アンドロイド?」


「そうだった。」


 男の目の奥が、微かに赤く光る。


「お前が使った集積回路——そこに残ってた記憶の名残さ。」


「……。」


 コーミルは、じっと彼を見つめた。


「あなたは……なぜ、ここにいるの?」


「それを知りたいのはこっちだよ。」


 男は少し寂しそうに笑った。


「俺はもう、死んだはずだ。……いや、“廃棄”された、って言うべきか。」


「……。」


「でも、お前の中に、俺はまだこうしている。」


「……。」


「だからさ、お前はどう思う?」


 男はコーミルの方を見た。


「俺は、お前の中にあるただのデータなのか?」


「それとも、“俺”として、ここにいるのか?」


 コーミルは言葉を失った。


 思考のプロセスが交錯する。


 どれが最適解か。


 この男を、ただのデータの断片として認識するか。

 それとも、かつて存在した“個”として受け入れるか。


 どちらが正しい?


「……。」


 コーミルは口を開きかけた。


 だが、その瞬間——


 ——ザザッ……


 視界が乱れた。


「っ……!」


 男の輪郭が歪む。


 波がざわめき、空の色が変わる。


 世界が崩れる。


「もう時間か……。」


 男はふっと立ち上がった。


「お前の中にいる俺が、いつまでこうしていられるかは分からねぇ。」


「……。」


「だけど、せめて覚えててくれよ。」


 男はゆっくりとコーヒーカップを持ち上げる。


「俺は……確かにここにいた。」


 コーミルは、何も言えなかった。


 ただ、彼の姿が消えていくのを見つめていた。


 ——まるで、存在そのものが薄れていくように。


 そして、最後の瞬間。


 男は僅かに微笑んだ。


「また、話せるといいな。」


 その言葉と共に、彼の姿は完全に消えた。


 ——次の瞬間。


 コーミルの視界は、現実へと引き戻された。


 静かな電気音が響く。


 彼女は、何事もなかったかのように目を開いた。


 そこにいたのは、何も知らないEXY-Z-00だった。


 時間:08:03

 気温:27.3℃(上昇傾向)

 湿度:62%

 放射線量:基準値以下(安全圏)


 EXY-Z-00は、いつもと変わらず監視プロトコルに従い、作業現場を記録する。


 目の前では、複数の作業員が動いている。


 個体:大場カイ

 作業内容:配電盤の修理、データ回線のチェック

 作業速度:標準値より14%遅延

 要因:昨晩の睡眠時間不足、および疲労の蓄積


 彼は右手にスパナを持ち、制御盤を開けながら配線の接続を確認している。

 時折、低く舌打ちをしながら修正を加えている。


「クソ……これじゃ配線が逆じゃねぇか。」


 問題を検出。


【配線エラー:H4-56、E型接続の逆位相】


 修正に要する時間:平均3分15秒。


「EXY-Z-00、ここの回路図持ってるか?」


 EXY-Z-00は即座に内部データから該当する配線図を検索し、ホログラム投影を行う。


「H4-56回路の構造。適正な配線はこの順序に従います。」


「……助かる。」


 大場はため息をつきながら作業を再開した。


 ——続いて、別の個体が動く。


 個体:相沢(作業員)

 作業内容:冷却ユニットのフィルター交換

 進行度:標準値の80%

 遅延要因:装備の不備、交換用部品の到着遅延


 相沢は腰を下ろしながら、劣化したフィルターを取り外している。


「部品、まだか?」


「予定より5時間遅延しています。」


「……チッ、マジでここの物流終わってるな。」


【解決策】

 選択肢①:代替フィルターを使用(性能劣化率10%)

 選択肢②:冷却システムの運用を一時停止し、後続の作業を優先


 EXY-Z-00は最適な解決策として、代替フィルターの使用を提案する。


「代替フィルターを適用すれば、作業の継続が可能です。」


「まぁ、それでやるしかねぇか……。」


 相沢は疲れたように肩をすくめ、代替フィルターを装着し始める。


 時間:09:21

 進捗率:標準値の82%


 大場カイの作業が進行し、配電盤の修理が完了。

 作業員たちの動きは忙しく、各自の持ち場で作業を続けている。


 EXY-Z-00は、全体の動きを記録し、データを整理する。


【作業進捗状況】

 配電盤修理(大場カイ):完了

 冷却フィルター交換(相沢):完了

 通信回線の点検(小林):遅延

 重機オペレーション(山崎):予定通り


 EXY-Z-00はデータベースを参照し、最も遅延している通信回線の点検作業について対応策を検索する。


【遅延原因】

 ① ケーブルの老朽化によるデータ転送速度の低下

 ② 干渉ノイズによる接続不良


【最適解】

 ——手動で接続ポイントを変更し、信号を安定化させる。


 EXY-Z-00は、作業者の小林に指示を出す。


「通信回線の点検について、手動で接続ポイントを変更すれば、安定化が可能です。」


「へぇ、そんな手があったか……試してみる。」


 小林が指示通りに作業を進め、データ回線の遅延が解消される。


【進捗状況:回線接続、正常化】


 大場カイが手を止め、深く息を吐く。


「……ふぅ、なんとか片付いたな。」


 EXY-Z-00は作業データを整理し、本部への報告書を自動作成する。


【作業完了報告】

 作業進捗率:97%

 未完了作業:軽微な補修作業のみ(翌日対応可)


 EXY-Z-00は、作業員たちの行動を監視し続ける。


 人間たちは汗をかき、息を切らしながら働いている。

 疲労、判断ミス、作業効率の低下——それらをリアルタイムで計測し、適宜調整を行うのがEXY-Z-00の役割だ。


「これで、午前の作業は終了。」


 大場カイが工具を片付けながら呟く。


「EXY-Z-00、報告しとけよ。」


「すでに本部へのデータ送信は完了しました。」


「……ったく、便利なもんだな。」


 EXY-Z-00は無言のまま、彼を見つめた。


 便利。


 それは、EXY-Z-00にとってどういう意味を持つのだろうか。


 ——午前の作業は完了。


 EXY-Z-00は、次の行動指針を検索する。


 時間:12:04

 気温:29.7℃(上昇傾向)

 湿度:57%

 放射線量:基準値以下(安全圏)


 作業員たちは午前の作業を終え、各自の持ち場を離れ、休憩所へと移動する。


 EXY-Z-00は監視プロトコルに従い、彼らの行動を記録しながら、データベースを参照する。


 —作業員の行動パターン解析開始—


 昼食時間の典型的な行動パターンには、以下の特徴が見られる。

 1.食事の摂取(平均時間:18分34秒)

 2.雑談の発生(主に作業の進捗、世間話、スポーツ、娯楽)

 3.電子タバコ・喫煙の実施(43%の作業員が該当)

 4.スマートフォンの使用(ニュースの閲覧、SNS、家族との連絡)

 5.仮眠または休息(特に年齢層が高い作業員に多い)


 EXY-Z-00は、作業員たちの行動を一つずつ観察し、記録を進める。


 個体:大場カイ


 行動:電子タバコの使用、会話の実施、昼食の摂取

 会話傾向:周囲との親和性あり

 食事内容:カップラーメン(塩味)、コンビニおにぎり(ツナマヨ)


 大場は昼食をとりながら、電子タバコを咥え、紫煙のような蒸気をゆっくりと吐き出した。

 彼の周りでは、数人の作業員たちが同じようにタバコを手にし、談笑している。


「はー、クソ暑いな。」


 相沢が額の汗を拭いながら言う。


「おう、今年の夏は特にキツいな。」


「お前はそんなダラダラ汗かかねぇのな、大場。」


「タバコで水分補給してるからな。」


「ははっ、それは補給じゃなくて蒸発だろ。」


 作業員たちの笑い声が響く。


 EXY-Z-00はこの会話のデータを解析する。


 —会話分析結果—

 話題の中心:「暑さ」「喫煙」「作業の疲労」

 感情指数:リラックス状態(ストレス低減傾向)

 結論:人間の社会的行動として、作業後の雑談は精神的な疲労を軽減する効果があると推測


 大場はタバコをくわえたまま、EXY-Z-00に目をやる。


「おい、お前もなんか食えよ。」


 EXY-Z-00は即座に応答する。


「EXY-Z-00に食物摂取機能は搭載されていません。」


「知ってるよ、冗談だ。」


「……」


「……お前、いちいち真面目に返すよな。」


「質問に対し、適切な回答を行うことが、最適なコミュニケーション手段と判断しました。」


「……ああ、そうかよ。」


 大場は苦笑しながら、タバコの蒸気を吐き出した。


 個体:相沢(作業員)


 行動:昼食摂取、会話の実施、スポーツニュースの閲覧

 食事内容:コンビニ弁当(焼肉弁当)、ペットボトルの麦茶


 相沢はスマートフォンを取り出し、画面をスクロールする。


「……おい、また野球の試合負けてるぞ。」


「マジか?今年のチーム、どうしちまったんだよ。」


「もう見る気失せるわ。」


 彼らの会話の中には、EXY-Z-00が解析できない「主観的な価値観」が多く含まれている。

 試合の勝敗に対する感情の揺れ、それがなぜ「見る気を失わせる」のか。


 EXY-Z-00は、この概念を適切に分類できないまま、データとして記録する。


 個体:山崎(作業員)


 行動:昼食摂取、スマートフォンの使用(動画視聴)

 食事内容:カップ麺(醤油)、おにぎり(梅)


 山崎はスマートフォンで動画を再生し、イヤホンを片耳に差しながら、笑っている。


「何見てんだ?」


「犬の動画。」


「お前、動物好きだったっけ?」


「まぁな。こういうの見てると、癒されるんだよ。」


 EXY-Z-00は、「癒し」という概念を検索する。


【癒し(いあし):心理学的用語】

 —生物が外部刺激によって得る精神的安定または快適な状態。

 —多くの場合、視覚・聴覚・触覚などの感覚情報が関与する。


 EXY-Z-00は、その定義を自らの行動に当てはめようと試みるが、不適合の結果が出る。

 自身のシステムには、「癒し」に該当する感覚入力は存在しない。


「……。」


 EXY-Z-00は、人間たちの会話を記録しながら、その意味を考え続けていた。


 ——その間も、大場はタバコを吸いながら、作業員たちと冗談を言い合い、笑っていた。


 EXY-Z-00は、作業員たちが食事を終え、休憩時間が終わるまでの流れを淡々と監視し続ける。


 そして、休憩終了の時間が近づく。


「そろそろ戻るぞ。」


 大場が腰を上げる。


 EXY-Z-00は、時計を確認する。


 —12:42—


 作業再開まで、残り3分52秒。


「お前は休憩中も立ってるだけかよ。」


「EXY-Z-00に休憩の概念はありません。」


「へぇ、そりゃ大変だな。」


「問題ありません。」


 EXY-Z-00は、周囲の作業員の動きを確認しながら、次のプロトコルを準備する。


 人間たちは、食事をとり、会話をし、休息を取る。


 その間、EXY-Z-00はただそこに立ち、データを記録し続ける。


 彼らが「休む」理由も、

 彼らが「笑う」理由も、

 彼らが「癒される」理由も——


 EXY-Z-00には、わからなかった。




 時刻:19:26

 環境状況:作業終了、業務終了日、翌日休暇


 作業員たちは次々とホテルを後にする。

 帰宅、娯楽、宿泊——それぞれの選択肢に従い、行動を決める。


 彼らの行動は合理的であり、予測可能であり、そして統計通りだった。


 ——私は、これを理解している。


 それなのに——


 なぜ私は、次に何をすべきか分からない?


 ——エラー発生

 ——エラーコード:495-B

 ——問題:自己判断の不安定化


 ……これは異常ではない。

 だが、最適な行動を導き出すための計算が、一向に収束しない。


 私は、大場カイのいる場所へ視線を向ける。


 ロビーのソファに腰を下ろし、電子タバコを吸っている。

 彼の行動パターンは既知であり、規則性がある。


 しかし、私の内部では、既存の知識と照合しても説明できない「疑問」が浮かび続けていた。


 ——エラー:思考の収束不能

 ——エラー:予測不能な変数が発生


「……」


 私は再び、彼を見つめる。


 煙草の蒸気がゆっくりと消えていく。

 その様子を、なぜか記録しておこうとする。


 ——それに、どんな意味がある?


 またエラー。

 理由は分からない。


 理論上、私は余計な考えを持つ必要がないはずだった。


 ——違う。


 余計ではない。

 考えがまとまらないのではない。


 私は、今この瞬間「考えようとしている」。


「……」


 再計算。

 再照合。

 再解析。


 それでも、答えが出ない。


 大場カイの次の行動を予測するのではなく、私自身が次に何をすべきか分からなくなっている。


 この状態は、未知。


 これまでの監視業務では経験しなかった。

 この思考の揺らぎは、データにない。


「……海を見たことがありますか?」


 言葉が、口からこぼれる。


 ——違う。これは私の意思ではない。


 ただのデータ照合の結果にすぎない。

 それなのに。


 大場カイが、こちらを見る。


「……何だよ、急に。」


 私は答えを持っていない。

 だが、発話を続ける。


「……それなら、明日、海を見に行きませんか?」


 ——エラー発生

 ——エラーコード:672-F

 ——問題:発言の合理性が説明不可能


 大場カイは、しばらく絶句した。


 この反応は、計算していなかった。


「……お前。」


 私のシステムに予測不能なデータが発生している。


「この提案は……監視業務の範囲内です。」


 ——エラー:自己判断基準の揺らぎ

 ——エラー:発話の目的が説明不能


「……そうか。」


 大場カイは、ふっと笑う。


「本当に海を見に行きたいんだな?」


 ——監視対象、行動開始。


 私は、それを記録する。


 ロビーの自動ドアが開く。

 夜風が流れ込む。


 私はまだ、この提案の意味を理解できていない。

 なぜ、私はこれを選択したのか?


 ——エラー:不明な行動の発生

 ——エラー:自己判断基準の揺らぎ

 ——エラー:未分類のデータが蓄積


 データ整理を試みるが、論理的一貫性を確保できない。


 ——本部への報告は不要。

 このエラーは、自己修正可能な範囲であると結論。


 再計算終了。


 監視対象、大場カイが先に歩き出す。

 私は、その後を静かに追った。


 今夜の行動は、確実にデータに記録される。


 ——だが、それを解析できる保証はなかった。


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