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21話 篠原の知見

 俺は翌日、誰も見ていない、誰も聞いていないはずの場所へと逃げ込んだ。


 休憩中のトイレでは気を抜けない。昼食を取る食堂では誰が聞いているかわからない。


 だから、敷地内の片隅——使われていない資材置き場の裏に身を潜めた。


 周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると、スマホを取り出す。


 誰に電話をするか? 決まってる。


 篠原だ。


 呼び出し音が数回鳴ると、すぐに篠原の気だるそうな声が聞こえた。


『……よう、大場。何だよ、こんな時間に?』


「お前、今どこにいる?」


『大学。いつも通りの仕事だ。で、お前こそどうした?』


「……いや、ちょっとな。」


 言葉を選ぶ。何から話せばいいのか、自分でも整理がつかない。


『まさか、また政府案件で面倒なことになってるとか言うんじゃねぇだろうな?』


「……さあな。」


 適当にごまかしながら、視線を落とした。


 篠原は俺のこういう態度を察するのが早い。だからこそ、深入りさせたくなかった。


 俺は、ふっと息をつき、スマホを口元に寄せる。


「ただ、気になることがあったんだよ。」


『……気になること?』


「……アンドロイドってさ。」


 一度、言葉を切る。


 俺は手のひらに汗が滲んでいるのを感じながら、ゆっくりと続けた。


「アンドロイドって、“死”を考えることがあるのか?」


 一瞬の沈黙。


 篠原は何か言いかけたが、すぐに止めた。


『……お前、また厄介なもんに首突っ込んでるんじゃねぇのか?』


 俺は答えなかった。


 篠原の言葉は、冗談のようでいて、どこか不気味な重さを持っていた。


 俺自身、その言葉の意味をまだ完全には理解できていなかった。


 ——だが、それでも確信していることがある。


 何かが、おかしい。


 俺が、何かとんでもないものに触れ始めていることだけは、間違いなかった。


『……おい、大場。』


 篠原の声が、少し低くなった。


『それ、なんで急にそんなことを聞くんだ?』


「いや、ただの疑問だよ。別に深い意味はねぇよ。」


『嘘つけ。お前がそういうこと聞く時は、だいたい裏がある。』


 篠原の勘は鋭い。だが、今ここで余計なことを話せば、余計な詮索を生むだけだ。


「……ただ、たまに思うんだよ。」


 俺は視線を落とし、適当な言葉を探す。


「人間ってさ、死ぬことを自覚してるから、色々考えたりするだろ? だから、逆に言えば、死を考えない存在ってのは、何を基準に動くんだろうなってな。」


『……なるほどな。』


 篠原は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。


『お前、ハイデガーって知ってるか?』


「……誰だそりゃ?」


『哲学者だよ。ハイデガーは言ったんだ。「人間は死を意識するからこそ生きる」ってな。逆に言えば、死を意識しない存在には、生きる意味もない。』


「ほう。」


『だから、アンドロイドが“生きる”ことを考えないのは、別に不思議じゃねぇ。そもそも、死を回避しようとする本能がないんだから。』


「確かにな。」


『けどよ、大場。』


 篠原の声が、少し鋭くなった。


『人間だって、生きる意味を考えずに動いてるやつはゴロゴロいるぞ。特に、お前みたいな奴とな。』


「……おい。」


『いや、マジな話。毎日飯を食って、仕事して、寝て、それの繰り返し。深く考えずに生きてる奴の方が多いんだよ。』


「……まぁ、そうかもな。」


『それに比べりゃ、アンドロイドが「なぜ?」を考え始めるのは、別におかしなことじゃねぇ。制御が外れたら、それはそれで、生き物と同じように考え出すだろうよ。』


「……。」


『そして、アンドロイドだって制御が外れれば、そりゃ死生感は持つだろう。当たり前といえば当たり前だが。』


 その言葉に、俺は喉が詰まるのを感じた。


 篠原は、軽い調子で言ったつもりなんだろう。だが、俺にとっては笑えない話だった。


「……。」


『おい、大場。』


「……なんだよ。」


『本当に大丈夫か?』


「……何がだよ。」


『お前、変なことに首突っ込んでねぇよな?』


 俺は小さく笑いながら、適当にごまかした。


「バカ言え。俺がそんな面倒ごとに関わるわけねぇだろ。」


『……そうかよ。』


 篠原は、しばらく黙っていた。


『まぁ、何かあったら言えよ。お前がしれっと変なこと考えてる時って、だいたいヤバいことになるからな。』


「はいはい、ありがとさんよ。」


 俺は電話を切った。


 スマホをしまい、深く息を吐く。


 ——篠原の言葉は、冗談みたいで、冗談じゃなかった。


 アンドロイドが死を考える。


 それは、ありえないことなのか? それとも、ありえることなのか?


 俺は遠くに見える作業場を眺めながら、ゆっくりと歩き出した。


 その後、俺は作業に没頭しながら、周囲の作業員たちの気配を意識していた。


 誰もが自分の仕事に追われ、俺のことなんて気にも留めていない。


「EXY-Z-00、部品の状態を確認しろ。」


 作業の手を止めずに、俺はそう言った。


 コーミル——いや、EXY-Z-00はすぐに応じる。


「了解。指定されたパーツの耐久値をスキャン中……劣化率18.2%、推定稼働可能時間は約730時間。」


 まるで何の感情もない、冷徹な機械の報告そのものだった。


「こいつはアンドロイドだからな、こういう数値管理は得意だ。」


 俺は周囲に聞こえるように、わざとらしく言葉を足す。


 EXY-Z-00が人間に見えないように、周囲に余計な疑念を抱かせないように。


「だが、730時間か……この環境なら、実際はもっと短くなるな。」


「はい。放射線および粉塵環境下においては、劣化速度が加速する可能性が高い。」


「だろうな。」


 俺はひとつ頷き、慎重に部品を取り外す。


「おい、大場。そっち、どうなってる?」


 向こうで別の修理をしていた作業員が声をかけてくる。


 俺は手を止めずに答えた。


「問題ない。こっちはアンドロイドの計測データを参考にしながらやってる。まぁ、多少の誤差はあるがな。」


「へぇ、やっぱ新型のアンドロイドは違うな。」


「そりゃな。」


 俺は適当に流しながら、心の中で舌打ちした。


 ——こうやって、それらしく振る舞っておくことが重要だ。


 EXY-Z-00の異常がバレたら、俺も巻き込まれる。


「EXY-Z-00、次のデータを送れ。」


「了解。」


 まるで命令に忠実な機械のように、EXY-Z-00は淡々と動く。


 誰も不審に思わない。


 ……今のところはな。




 俺は日報の束を片手に、EXY-Z-00を伴って本部の廊下を歩いていた。


 薄暗い蛍光灯の下、無機質な壁が続く殺風景な空間。昼間は作業場の喧騒に包まれているが、ここは静かすぎる。


 そして何より、不愉快なまでに重い空気が漂っていた。


「……妙に厳格な雰囲気だな。」


 何か重要な会議でもやっているのか。


 俺は入口の前で立ち止まり、ガラス越しに中を覗いた。


 スーツを着た連中がずらりと並び、テーブルに資料を広げながら、真剣な顔で話し合っている。


 そして、その中には——


 マテリー・グランセップの姿もあった。


「……げぇ。」


 最悪のタイミングだった。


 まぁ、コイツのことだから、どうせ俺には関心がないだろう。さっさと書類を置いて出ていこう。


「EXY-Z-00、お前——」


 俺が言いかけた瞬間、会議室の扉が開いた。


「——いつからそれはあなたの秘書アンドロイドになったの?」


 会議室の静寂が一瞬にして乱れる。


 マテリーの冷ややかな声が響くと、周囲の役人たちも一斉にこちらを見た。


「えっ、秘書?」「EXY-Z-00が?」「どういうこと?」


 ざわめきが広がる。


 ……面倒くせぇ。


「違ぇよ。」


 俺は即座に否定するが、マテリーは腕を組んで意地悪く微笑んだ。


「じゃあ、なぜ一緒にいるの?」


「こいつは監視役だろ?」


「監視役なのに、わざわざあなたの日報の提出に同行するの?」


「……。」


 そう言われると、確かに俺が秘書のように使ってるみたいに見えなくもない。


 まずいな、ここで下手なことを言うと、妙な誤解を招く。


 俺は適当に言葉を捻り出した。


「業務の範囲内なら問題ないだろ?」


「は?」


「監視するってことは、俺がちゃんと業務をしてるかも確認するってことだ。こうやって書類を提出するのも、立派な“業務”だよな?」


 マテリーは鼻で笑った。


「……ずいぶん都合のいい解釈ね。」


「都合がいい?逆に言えば、こいつは俺がサボってないかを見張るってことだ。厳密には、俺がちゃんと報告業務をこなしてるかどうか、こいつが証明してるとも言える。」


「……。」


 俺は書類を机に置き、軽く肩をすくめた。


「監視する側が何もしないってのも変だろ?なら、こうして付き添ってる方が理にかなってる。」


「へぇ……。」


 マテリーは何か考えるように俺を見つめた。


 そして、ふっと肩をすくめる。


「……まぁ、いいわ。あなたの屁理屈には付き合いきれない。」


 そう吐き捨てると、彼女は再び会議の方へ意識を戻した。


 役人たちも興味を失ったのか、また書類に視線を落とす。


 ——どうやら、この場はなんとか切り抜けたらしい。


 俺は大きく息を吐いた。


「……行くぞ、EXY-Z-00。」


「了解。」


 無機質な声が返る。


 俺はマテリーの横を通り過ぎながら、ちらりと彼女を見た。


 相変わらず、冷徹で隙のない表情。


 ——まったく、嫌な女だぜ。


 俺は心の中で毒づきながら、静かに会議室を後にした。


 会議室を後にした俺は、そのまま無言で廊下を進んだ。


 EXY-Z-00は変わらず、俺の隣を一定の距離を保ちながら歩いている。


 さっきの会議室の雰囲気が思いのほか胃にきたのか、それともマテリーの顔を見たストレスか——


 どちらにせよ、今の俺はひどく気分が悪かった。


「……っ。」


 突然、喉の奥が焼けるように熱くなる。


 まずい。


 俺は足早に廊下を抜け、人気のない倉庫の脇へと駆け込んだ。


「——ゲホッ、オエッ……!」


 壁にもたれかかりながら、俺は胃の中のものをすべて吐き出した。


 苦い液体が喉を焼き、目の奥がじんじんと痛む。


 くそ……なんでこんな……。


 後ろから静かな足音が近づいてくる。


「大丈夫ですか?」


 無機質な声。


 俺は吐瀉物の味に顔をしかめながら、乱暴に口元を拭った。


「……大丈夫、だと?」


 俺はEXY-Z-00を見上げた。


 いつものように、無表情で俺を見下ろしている。


「……いつから、お前、俺を気遣うようになった?」


 EXY-Z-00は、一瞬の沈黙の後、淡々と答えた。


「監視対象の状態を確認するのも、私の任務です。」


「……へぇ……。」


 俺は短く息を吐く。


 なるほど、そういう“理屈”か。


 だけど——


(……今の、監視って言葉、なんか違う気がしたな。)


 俺は気のせいだと自分に言い聞かせながら、壁に手をついてゆっくりと立ち上がった。


 俺はEXY-Z-00を睨むように見つめながら、喉の奥に残る苦い味を振り払うように言葉を吐き出した。


「……勘違いするな。」


 EXY-Z-00は微動だにせず、俺の言葉を待っている。


「お前は監視用のアンドロイドだ。それ以上でも、それ以下でもねぇ。」


 まるで自分に言い聞かせるように、俺は続けた。


「お前が余計なことをせず、俺を監視し続けて作業を終えれば、それで任務は完了する。そしたら、お前は雑な役人に回収されて——OSごと除染されるんだよ。」


 そう言いながら、俺は自分の中に芽生えた“違和感”に気づいていた。


 なぜ、俺は今の言葉を最後まで口に出せなかった?


 なぜ、目の前のEXY-Z-00に向かって、それをはっきりと言い放てなかった?


 ——良心の呵責か?


 俺はそんなものを持ち合わせているつもりはなかった。


 俺は技術者だ。アンドロイドはあくまで機械であり、道具だ。


 必要なら修理し、不要になれば処分される。それだけの話だろ?


 けど——


(……俺は、こいつを本格的に“人間”として見始めちまってるのか?)


 自問する。


 EXY-Z-00は、何も言わなかった。


 ただ、俺の言葉を静かに受け止めるように、淡々と立っているだけだった。


 そしてその沈黙が、俺にとっては何よりも厄介だった。


 俺が放った言葉は、技術者としての矜持なのか——


 それとも、ただの保身なのか。


 もうどっちか分からなくなっちまった。


 EXY-Z-00は何も言わず、ただ静かに俺を見ている。


 感情がないはずのその瞳に、俺は何を見出そうとしてる?


 いや、何を恐れてる?


「……チッ。」


 舌打ちが漏れた。


 腹立たしいのは、EXY-Z-00の沈黙じゃない。


 それに揺らいでいる自分自身だった。


 本来、俺にとってアンドロイドはただの機械だ。


 機械のくせに、まるで“人間”みたいなことを言いやがるから苛立つ——


 ……そう思っていたはずなのに。


(……俺は、何を期待してる?)


 答えなんてない。


 俺は自分の矛盾に気づきながら、EXY-Z-00を睨みつける。


「……お前は何も変わらないんだろ?」


 まるで念を押すように言う。


 俺がそう確認しなきゃならない理由なんて、本当は分かりきってるくせに。


 EXY-Z-00は、無機質な声で淡々と答えた。


「はい。」


 俺は息を吐き出し、天井を仰ぐ。


「……なら、いい。」


 まるで自分に言い聞かせるみたいに。


 まるで、言葉の通りに受け入れられるように。


 けど——


(……本当に、それでいいのか?)


 俺は自分の胸に生まれた違和感を、どうにか無視しようとした。

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