2話 集積回路に残された意識
「よっこらせ。」
カイはロボットの肩に乗り、慎重にバランスを取る。
頭部の装甲パネルを手探りで探り、ベルトから取り出したドライバーを差し込む。
ギギ……バキッ!
ドライバーをてこのように使い、無理やり格納されたコアモジュールをこじ開けた。
中から露出したのは、大小さまざまな基盤と配線の束——そして、その中心に鎮座する集積回路。
カイは指先でホコリを払いながら、静かに呟く。
「こいつが……意思決定を司る部分か。」
記憶データとは違う。
集積回路は、蓄積された経験則をもとに行動を決定するが、基本的に予め指示された通りの動き以外はできないようになっている。
どんなに長く稼働しようが、“決められたルール”の外に出ることはない。
それが産業用ロボットの根本原則だ。
カイはタブレットをコアモジュールに接続し、慎重にデータを読み取る。
さっき途切れた映像の前後、さらに奥深くに記録された動作意図のログを辿っていく。
——コマンド実行:貨物コンテナ移動
——環境エラー検出:衝撃要因発生
——異常オブジェクト認識:ヒト型ユニット
——解析中……
——動作決定:回避 / 防御
——アーム制御:対象の保護を試行
カイの目が細くなる。
「……は?」
ログを遡るほどに、ありえない文字が並んでいる。
このクレーンロボットは、通常の指示とは無関係に独自の判断で”行動を決定”していた。
経験則に基づいて動くのはいい。
だが、それはあくまで与えられた命令の範疇での話だ。
にもかかわらず——
コイツは、潰されそうになったアンドロイドを助けるために手を伸ばした。
作業用クレーンが、自らの判断で”誰か”を守ろうとした?
そんなことが……ありえるのか?
カイは無意識に、タブレットを持つ手に力を込めた。
カイはタブレットを操作し、コアモジュール内のコードデータを解析する。
「まずは……データの自動翻訳っと。」
プログラム言語の羅列がスクリーン上に流れ始める。
通常なら、この手の産業用ロボットは極めて単純な命令体系しか持たない。
「物を持ち上げる」「指定の場所に置く」「停止する」——それだけ。
だが、このクレーンロボットのログには、それとは違う異質なコードが埋め込まれていた。
「……さて、お前は何を考えてたんだ?」
カイはコードの一部を選択し、日本語へ自動翻訳をかける。
数秒の処理時間を経て、画面に文字が浮かび上がる。
翻訳結果:
——センサー解析開始
——対象オブジェクト:ヒト型ユニット(識別:作業アンドロイド)
——外部環境異常検出:衝撃要因接近(リスク:致命的)
——動作決定:対象の保護を優先
——実行:アームの稼働範囲を拡張 / 防御行動を試行
カイの目が、ゆっくりと見開かれる。
「……マジかよ。」
こいつは、“守ろうとした”のか?
プレス機か、コンテナか、何か分からないが——
アンドロイドが潰されることを検知し、危険を判断し、“守るために”手を伸ばした。
当然、そんな動作命令は与えられていない。
そもそも産業用クレーンロボットに防御行動の概念なんてあるはずがない。
だが、このデータが示しているのは、確かに——
「対象を保護するための行動」
カイはゆっくりと息を吐き、タブレットを指先でなぞる。
「……お前、本当にただのクレーンロボットか?」
自らの意思を持たないはずの機械が、“助ける”という判断を下した。
これは、単なるプログラムの誤作動なのか?
それとも——
カイの中に、嫌な予感が広がっていく。
「おい! まだ治らないのか?」
突然の声に、カイの肩がわずかに跳ねた。
——咄嗟だった。
まるで条件反射のように、カイの指が動いた。
ドライバーを握る手に力を込め、集積回路をグリッと捻り取る。
「チッ……!」
小さな火花が散り、金属片がわずかに軋む音がした。
触っただけで分かる——この回路はまだ使えた。
なのに、カイはそれをポケットに滑り込ませた。
心臓がわずかに高鳴る。
——違法だ。
産業用アンドロイドやロボットの集積回路の所持・改造は厳しく禁じられている。
とりわけ、政府の監査を受けていない個体の回路を抜き取る行為は、明確に犯罪だ。
知っていた。
それでも、抜き取らずにはいられなかった。
こいつは——“普通じゃなかった”。
通常の作業用クレーンロボットなら、絶対にアンドロイドを助けようとはしない。
それを、この機体はやった。
理由は分からない。
ただのバグかもしれない。
でも、もし……もしも”そうじゃなかった”としたら?
答えがあるとしたら、それはこの小さな集積回路の中にある。
それだけは確信できた。
カイは短く息を吐き、タブレットを閉じる。
そして、オヤジに向かって肩をすくめた。
「ダメだ、完全にご臨終だ。もう動かねぇ。」
「チッ……厄介なもんだな。」
オヤジは舌打ちし、ため息混じりにクレーンロボットを見上げる。
「じゃあスクラップだな。邪魔になる前に解体しちまうか。」
カイは頷いた。
「……そうだな。」
ポケットの中で、集積回路の冷たい感触が指先に触れる。
——嘘だ。
本当は、こいつはまだ直せた。
配線はそこまで深刻なダメージじゃなかったし、フレームの歪みを直せば、少なくとも片腕だけでも稼働させることはできた。
でも、カイは嘘をついた。
抜き取った回路なしでは、もう二度と動かない。
「……悪いな、オヤジ。」
そう心の中で呟きながら、カイはトラックへ向かう。
ポケットに押し込んだ小さな金属片の重みを感じながら——
それが、“何を意味するのか”を、まだ考えないようにして。
工場の応接間は、機械油と煙草の匂いが染みついていた。
古びたソファと、擦り切れたテーブルクロスのかかったテーブル。
壁には何年も前のカレンダーが貼られ、埃っぽい空気が漂っている。
カイは適当に椅子に腰を下ろし、ポケットに突っ込んだままの集積回路の感触を意識しながら、
目の前のオヤジを見た。
「最近どうも事故が多くてな。」
オヤジは腕を組み、渋い顔で煙草をくわえた。
ライターをカチリと鳴らし、深く煙を吸い込むと、愚痴るように言う。
「うちの商売もあがったりだ。」
工場の経営は、順調な時もあれば、こうして停滞する時もある。
だが、最近の事故の多さは尋常じゃない——オヤジの表情がそれを物語っていた。
カイは適当に足を組みながら、肩をすくめる。
「……あぁ、人間の作業員じゃなくてよかったと思うべきだな。」
皮肉めいた言葉に、オヤジは鼻を鳴らした。
「そうだな。機械が壊れるだけならまだいい……だがな、こうも続くと怪しいもんだ。」
「怪しい?」
「……事故ってのはな、基本的には誰かのミスで起きるもんだ。
だが、最近のは違う。記録に残らねぇ不具合が増えてる。」
オヤジは煙を吐き出しながら、カイをじっと見つめる。
「さっきのクレーンみてぇにな……“妙な壊れ方”をするんだよ。」
カイは無意識にポケットを握り締めた。
オヤジの言葉が、さっきの映像と妙に噛み合う。
「——ま、どうせ俺らには関係ねぇがな。」
オヤジはそう言って煙を灰皿に落とす。
カイはゆっくりと立ち上がった。
「じゃあな、浜田のオヤジ。」
「あぁ、また壊れたら呼ぶぜ。」
「……壊れすぎんなよ。」
適当に手を振って、カイは工場を後にした。
扉を閉めると、外の空気がやけに澄んでいるように感じた。
ポケットの中の小さな集積回路が、やけに重く感じる。
——逃げるように工場を後にする自分を、カイは少しだけ滑稽に思った。
カイは工場を後にし、トラックのエンジンを軽く吹かす。
「さて、とっとと帰るか……。」
この手の厄介ごとには、長く関わらないに限る。
ポケットに押し込んだ集積回路の感触を意識しながら、
カイはアクセルを踏み込み、八潮の工業地帯を抜けた。
——高速道路を使って帰る。
なるべく警察に止められるのはごめん被りたい。
産業用ロボットの回路を違法に持ち出した自覚はある。
万が一職質でも受けたら、一発でアウトだ。
胸は昂っていた。
違法行為のせいじゃない。
——あのクレーンロボットの”行動”が、頭から離れなかった。
アンドロイドを助けるために手を伸ばした機械。
通常ならありえない動作。
あれが”バグ”なのか、それとも”何か”があるのか——。
考えているうちに、目の前に首都高の入り口が見えてきた。
「……帰ったら調べてみるか。」
そうぼやきながら、ETCゲートへ向かう。
——その瞬間だった。
ガクンッ!!
「なんだよ、おい!」
トラックが突然の衝撃とともに揺れた。
ブレーキを踏もうとしたが、ペダルが重い。
警告音がけたたましく鳴り響き、ダッシュボードのモニターに赤いエラーが点滅する。
【エンジン異常】
【電圧低下】
【駆動系エラー】
「ふざけんな、こんなタイミングで……!」
カイはすぐに路肩へ寄せようとするが、
ハンドルが異様に重い。
パワーステアリングが完全に死んでいる。
ギギギギギ……!
アクセルを踏み込んでも、エンジンがまともに回らず、
トラックは悲鳴を上げるように速度を落としていく。
「くそっ、こんなとこで止まったら——」
ガクンッ!!
今度は完全に駆動が切れ、カイの体が前のめりに揺れる。
——トラックは、首都高に入る直前で完全に停止した。
「クソッ……!」
カイはハンドルを叩き、ダッシュボードの警告灯を睨む。
エンジンは完全に沈黙し、トラックは路肩にも寄せられず、その場に突っ立ったままだ。
——その瞬間だった。
周囲の自動運転車両が次々とハザードを焚き、停止を始める。
ピカ、ピカ、ピカ……!
トラックが異常停止したのを検知した車たちが、連鎖的に減速し、ハザードランプの点滅が高速道路の入り口付近に広がっていく。
「おいおい、マジかよ……!」
ほんの数秒のうちに、渋滞が発生した。
後方から来る車も、センサーが検知して減速を始め、
あっという間に首都高の入り口に動かない車の列ができる。
カイは焦って車内の通信端末に手を伸ばすが、エンジンが死んでいるせいで電源が入らない。
舌打ちしながら、スマホを取り出そうとした——
——その時。
「ピィィィィィィィィィ!!」
遠くから甲高い警告音が響いた。
カイが振り向くと、
黄色い塗装の車両がスムーズにレーンを縫いながら、こちらに向かってきていた。
——高速道路の管理車両。
「……運がいいんだか悪いんだか。」
どうやら現場に居合わせたらしい。
黄色い車両はサイレンを鳴らしながら、渋滞した車列の隙間を抜け、
カイのトラックのすぐ後ろに停止する。
窓が開き、中からオレンジ色のベストを着た作業員が降りてきた。
「運転手さん! どうされました?」
カイはため息をつきながら、ポケットに突っ込んだままの手をぎゅっと握った。
集積回路の感触が、じわりと手のひらに染み込む。
「……さて、どう誤魔化すかね。」
頭の中で、瞬時に答えを探し始める。
作業員の男はカイをじろじろと見つめていた。
若い。20代前半くらいか。
ヘルメットの下から覗く黒髪は短く刈り揃えられ、オレンジ色のベストを着込んでいる。
制服のシワひとつない様子を見るに、まだ現場に慣れていない新人かもしれない。
「……なんだよ。」
カイはぼそりと呟くが、作業員の男は気にした様子もなく、タブレット端末を操作しながら無線を繋ぐ。
「こちら管理08から小菅本部。」
その言葉に、カイはわずかに眉をひそめた。
——小菅本部?
首都高と常磐道を結ぶ管理拠点だ。
この辺りの交通管理を統括しているが、レッカー要請まで自動化が進んでいるはず。
わざわざ人間のスタッフが出張ってくるのは、珍しい。
作業員は淡々と報告を続ける。
「故障車を発見。作業車を要請します。地点は常磐道から首都高合流地点、車両ナンバー——」
カイは心の中で舌打ちした。
——一時的な移動車両を手配してくれるらしい。
「レッカーが到着するまで少々お待ちください。」
作業員は丁寧な口調で告げる。
しかし、その態度とは裏腹に、カイの全身を観察するような視線が気になった。
——人間だったことに驚いた。
この手の管理業務は、ほとんどアンドロイドが担っているはず。
だからこそ、カイ自身が”生身の人間”であることが、余計に目を引いたのかもしれない。
それと同時に、胸の奥で嫌な予感がした。
「ありがとうございますよ。」
表情を変えずにそう答えつつ、カイは無意識にポケットを握りしめる。
——違法な集積回路がそこにある。
どうするか。
このまま大人しくレッカーを待つのが得策か?
それとも、何か方法を考えたほうがいいか——。
カイは静かに周囲を見渡した。
「運転手さん、高速道路で故障は初めてですか?」
作業員の男が、落ち着いた声でカイに尋ねた。
カイはポケットの中の集積回路を意識しながら、適当に肩をすくめる。
「まぁ、そうだよ。」
男は少しだけ目を細め、タブレットを指でなぞった。
「……普通、自動運転ならこんなことはしないんです。でも、おたくの車は自動運転じゃないでしょ?」
カイは眉をひそめた。
確かに、今どき”人間が運転する”車が首都高で故障するなんて珍しい。
完全自動運転の車なら、事前にエラーを検知してインターまで辿り着くはずだ。
このトラックのように、いきなりぶっ壊れて本線上で立ち往生するなんてことはまずない。
男は一度無線を確認し、それからカイを見た。
「とりあえず、インターまでは運んであげますから、そこから先は自分でレッカーの手配をお願いします。」
「……マジか?」
「はい。ここで完全に止まられると、後続の自動運転車両が判断に困りますからね。」
作業員は淡々と説明しながら、トラックのナンバーをメモし始めた。
カイは少し考え、念のために尋ねる。
「免許証とかいるか?」
「要りませんよ。」
男はあっさりと首を振る。
「ただ、ナンバーは控えさせてください。」
カイは胸の奥で小さく息を吐いた。
「……助かったぁ。」
ホッとした顔を見せるが、
ポケットの中の集積回路が、まだ冷たく指先に触れているのを感じていた。
そしてインターにて。
レッカー車の運転手が慎重に荷台を下ろし、
カイのトラックがインターの片隅に静かに降ろされる。
「やれやれ……これにて作業完了。」
作業員の男はそう言って、肩の無線を吹いた。
カイはポケットに手を突っ込みながら、少し様子を伺う。
「……なあ、警察とかに情報行くのか?」
男はちらりとカイを見て、薄く笑う。
「行きませんよ。」
「……ほんとか?」
「ええ。」
男はタブレットを操作しながら、淡々と説明を続ける。
「我々はあくまで高速道路の円滑な流れを確保しただけですから。」
そう言いながら、一拍置いて言葉を続けた。
「——それとも、何かやましいことでも?」
「い、いや!!なんでもない!!」
カイは慌てて手を振る。
作業員はくすっと笑いながら、「ならよかった」とだけ言い、無線で本部に報告を入れる。
カイは内心ヒヤヒヤしながら、トラックのボンネットを開けた。
——さて、ここからは自分の仕事だ。
「……これでもエンジニアなもんでね。」
カイは工具ベルトを軽く叩きながら、故障の原因を探り始めた。
エンジンを覗き込み、配線を確認する。
どうやら電圧系統が不安定になり、電源供給が途絶えたのが原因らしい。
「チッ、オルタネーターか?」
診断モジュールを取り出し、端子に接続する。
——異常個所検出。
電力供給ユニットの一部に過負荷がかかり、回路がショートしていた。
しかし、幸いにも修理可能な範囲だ。
「ったく、こんなもんで止まりやがって……。」
カイはドライバーを取り出し、焼けたヒューズを引き抜く。
工具箱の中から予備のヒューズを取り出し、新しいものと交換する。
次に、電圧リレーを一度リセットし、バッテリーの端子をチェック。
「……よし、これでどうだ?」
運転席に戻り、キーを回す。
——ゴゴッ、ブォォン……!!
エンジンが息を吹き返し、トラックが低く唸った。
「……ったく、こんなもんかよ。」
カイは運転席に身を沈めた。
ボンネットを閉じ、キーを回し、エンジンの振動を確かめる。
異音はない。修理は成功だ。
「……ふぅ。」
緊張が一気に解けるのを感じた。
シートに背を預け、カイは深くため息をつく。
ずっと張り詰めていた肩の力が抜け、ようやく”無事”を実感する。
「……やれやれ。」
ポケットの中の集積回路の感触を確かめながら、
カイはジャケットの内ポケットから電子タバコを取り出した。
口に咥え、スイッチを入れる。
ジリ……
軽く吸い込むと、肺の奥までニコチンが広がり、
ゆっくりと煙を吐き出した。
「……クソ、疲れた。」
両手で顔を覆い、軽く髪をかき上げる。
一度深呼吸して、もう一度煙を吸い込んだ。
嫌な汗が引いていく。
少しずつ、いつもの自分に戻る。
——やっぱり、この仕事はろくでもねぇ。
それでも、まだ終わりじゃない。
カイはタバコを咥えたままギアを入れ、トラックをゆっくりと走らせた。