10話 レストア
深夜、作業に没頭する俺の周囲には、無機質な電子音だけが響いていた。
ディスプレイには、ミナモの電源系統の回路図。
テーブルの上には分解された関節ユニットと、慎重に並べられたパーツの山。
——どれも、現行品とは互換性がない。
だから俺が加工して埋め込むしかない。
「……ったく、手間がかかるぜ。」
俺は電子タバコの蒸気を吐き出しながら、手元のデータを確認した。
旧型のLX-7 PUPILに使われていたバッテリーは、今となっては完全に絶版。
流用できる形状のものはあるが、電圧や接続端子が違う。
そのままじゃ使い物にならねぇ。
だから、最高のパーツを集めて、それを“ミナモ仕様”に作り変える。
まずは基板の加工。
端子の形状を合わせ、電圧変換モジュールを組み込む。
オーバーヒートを防ぐために放熱フィンを追加し、充電回路の負荷分散も考慮する。
「……これで問題ねぇな。」
俺は慎重に加工を施しながら、手元のバッテリーを一つ一つ調整していく。
——単なる流用じゃない。
俺が“ミナモのために”最適化した特注品だ。
その横で、ミナモはゆっくりと手を動かしながら、部品を整理していた。
「ナット、こちらにあります。」
「おう。ありがとさん」
俺が受け取ると、ミナモはまたソファに静かに座り込む。
省電力モード。
さっきからこの繰り返しだ。
動いては休み、また動いては休み。
「……おい、無理すんなよ。」
そう言っても、ミナモは「問題ありません」と機械的に答えるだけだった。
だが、明らかに動作が鈍くなっている。
止まったかと思えば、まるでスリープから復帰するようにゆっくりと動き出す。
「……お前、バッテリー残量は?」
「……現在、11%。」
「チッ……限界ギリギリじゃねぇか。」
こんな状態じゃ、動かすだけで余計に消耗する。
「だったら、もっとマシなバッテリーにしてやるよ。」
俺は工具を手に取り、慎重にミナモの電源ユニットを開いた。
配線を一つずつ確認しながら、新しいバッテリーとの接続を考える。
「……これならいけるな。」
深夜の作業台、ドローンは次々と必要なパーツを運び込む。
加工したバッテリーをミナモの体内に組み込みながら、俺はふと彼女を見やる。
ソファに座ったまま、無言でこちらを見ている。
「……何見てんだよ。」
「作業を観察しています。」
「……へぇ。」
俺は少しだけ笑った。
「だったら、もうちょい快適に観察できるようにしてやる。」
最適化されたバッテリー。
省エネルギー設計の新しい充電回路。
——これで、ミナモはまたしばらく動けるようになる。
「2、3日だけ借りるぞ。」
ミナモの無機質な瞳が、わずかに揺れたように見えた。
「——はい。」
静かにそう答える。
俺はそれを聞いて、改めてパーツの整理を始めた。
このまま夜は深まっていく。
俺の作業は、まだ終わらない。
深夜の作業台、無機質な蛍光灯の光の下で、俺はミナモを静かに分解していく。
胸部のパネルを慎重に外し、内部の配線を一つ一つ確認する。
関節のシリンダーを取り出し、摩耗した部品を精査する。
油圧のラインをチェックし、古くなったオイルを完全に抜き取る。
——これは、ただのレストアじゃない。
「……こんなに本腰入れたの、初めてだな。」
呟いた言葉に、誰が答えるわけでもない。
当たり前だ、ミナモは完全にシャットダウンしている。
「だけどな……お前を、ただ直せばいいってもんじゃねぇ。」
俺は工具を持ち直し、傷んだパーツを慎重に取り外していく。
CPUの冷却モジュールは劣化が進んでいて、もはや満足に放熱できていない。
これはオリジナルの設計よりも、もっと効率のいい新型に交換しよう。
バッテリーは、加工したものを組み込む。
既存の接続端子では対応しきれないから、コネクタを一から作り直す。
導線の取り回しも見直し、発熱が最小限に抑えられるように配線を引き直す。
「……ちょっとはマシになるだろ。」
通常の修理なら、最低限動けばそれでいい。
だが、今回は違う。
俺は“動かす”だけじゃなく、
“生まれ変わらせる”つもりでいる。
ミナモの手足を分解し、関節ユニットの可動部を清掃する。
シリンダーの内部を徹底的に洗浄し、新しい潤滑剤を塗布する。
古いボルトやナットはすべて新しいものに交換し、ゆるみが出ないように強化する。
「……くそ、こりゃ完全にオーバーホールじゃねぇか。」
普段なら、こんな手間のかかる作業はやらない。
時間もかかるし、何よりコストに見合わない。
でも——
「……なんでだろうな。」
俺は、自分でも不思議なくらい、
この作業に“本気”になっている。
ただの修理じゃない。
ただのレストアでもない。
俺が今やってるのは、“再生”だ。
過去の遺物に、もう一度息を吹き込む。
使い捨てられるはずだった旧型アンドロイドを、
今の時代でも生きていけるように作り直す。
「……そういうの、嫌いじゃねぇ。」
俺は手を止めずに、黙々と作業を続けた。
頭の中で完成図を思い描きながら、
必要なパーツを次々と加工し、組み込んでいく。
CPUの冷却機構は新しいフィンを追加し、排熱効率を改善。
バッテリーは変換モジュールを通じて安定した電力供給を実現。
関節部のセンサーは調整を加え、より滑らかな動作が可能に——。
「……よし、これで……。」
数時間後、俺はついに作業を終えた。
バラバラだったミナモのパーツは、すべて修復され、
かつての“LX-7 PUPIL”とは違う、最適化された個体として組み上げられた。
工具を置き、深く息を吐く。
「……さて、どうなるか。」
俺はパソコンを開き、起動シーケンスを入力する。
画面には、ミナモのOSの起動ロゴが映し出され——
——そこで、俺は一度、手を止めた。
手を伸ばしていた指を、静かに引っ込める。
なぜか、少しだけ躊躇った。
別に、起動させない理由なんてない。
むしろ、動作確認のためにはすぐにでも立ち上げるべきだ。
それなのに——
「……変な気分だな。」
俺は、モニターに映る起動画面をじっと見つめながら、
深く息を吐き、しばらくその場に座り込んだ。
どんなに体を再生したって、人間の心までは治せない。
動作不良だった関節はスムーズに動くようになった。
バッテリーも、新品同様の性能を発揮するはずだ。
センサー系統も最適化し、かつてよりも精密な動作が可能になった。
——それでも。
この“修理”が、彼女の“心”にまで届くわけじゃない。
技術屋としての俺の矜持が満たされるだけだ。
ミナモが、本当に“望む形”になったのかは、俺には分からない。
「……虚しいな。」
呟いた言葉が、静かな作業場に溶けていく。
再生したミナモを前にしながら、
俺はなんとも言えない感覚に襲われていた。
「……結局、これでいいのか?」
考えた。
考えた末に、俺は決断を下した。
——OSを、書き換える。
ハードウェアの修理だけじゃない。
知能を司る部分そのものに、手を入れる。
「……かなり難しいからな、OSの書き換えってのは。」
単なるアップデートとは違う。
頭脳の集積回路から、知能の基盤そのものを入れ替える作業だ。
ミナモを根本から作り直すと言ってもいい。
成功すれば、より高度な判断が可能になるだろう。
だが、失敗すれば、彼女は“ミナモ”ではなくなる。
それでも……
「……やるしかねぇ。」
パソコンの端末を開き、コードを書き換える準備をする。
その時、俺の視線は、机の端にある“あの集積回路”へと向いた。
——異常回路。
これを使えば、ミナモのAIは別の次元へと進化する。
だが、それはもはや単なる修理ではなく、俺の“興味”だ。
「……こっちがやばいのは、分かってる。」
あんな違法なデータを組み込んだら、
俺がただの修理屋じゃ済まなくなるのは明白だ。
それでも——
「見たかったんだよ。」
これは、単なる善意なのか?
それとも、技術者としての矜持なのか?
彼女を直すために、ここまで手を入れたのに、
“最後の一歩”を踏み込まずに終わるのは、俺自身が許せなかった。
葛藤する。
ミナモを、このまま元通りに戻すか。
それとも、何か“新しい存在”へと変えてしまうか。
「……クソ、答えなんて出るわけねぇよな。」
キーボードを叩く手が、一瞬だけ止まる。
俺は深く息を吐き、
しばらく無言のまま、目の前の画面を見つめていた。
深夜の作業場、無数のコードとアップロードの繰り返し
俺は無言でキーボードを叩き続けた。
パソコンの画面には、無数のコードが流れている。
数秒ごとにスクロールし、書き換えられ、再コンパイルされる。
ミナモのAIシステムの根幹にあるOSを、俺の手で完全に組み直す作業。
まるで解体と再構築を何度も繰り返しているようなものだった。
——通常、AIのOSは極めて複雑に設計されている。
それは人間の脳と同じように、無数のデータが有機的に結びつき、
個々の判断や行動に影響を与えるからだ。
だからこそ、一部を弄るだけでも、全体の挙動が狂う可能性がある。
ましてや、知能を司る中枢部分の書き換えなんて、普通はやらない。
だが、俺はやる。
「……クソ、こんなに手間のかかる作業は久しぶりだな。」
専門的な技術が次々と必要になる。
まずは、現状のバックアップを取る。
AIの全記録を保存し、万が一失敗した場合のリカバリー用にする。
次に、OSのベース部分を抽出。
ミナモの知能処理に関する主要なコードをすべて解析し、
余計なエラーデータを排除しながら、最適な形へと整える。
その後、試験用シミュレーションを行う。
書き換えたコードが実際に機能するかどうか、
仮想環境上でテストを繰り返す。
——失敗すれば、エラーが返ってくる。
一文字でも間違えれば、システムは正常に動かない。
だからこそ、一行ずつ確認しながら修正し、再コンパイルし、
何度も何度もシミュレーションを走らせた。
「ダメか……またエラーだ。」
エラーログを確認し、問題の箇所を洗い出す。
解析プログラムを走らせ、バグの原因を特定する。
「この部分か……フレームワークが旧式すぎて、互換性が取れねぇ。」
LX-7 PUPILのOSは、20年以上前のプログラムを基にしている。
そのため、最新のAI処理アルゴリズムとは相性が悪い。
俺は旧型のコードをひとつひとつ手作業で修正し、
今の環境に適応させながら組み直していった。
——まるで、老朽化した機械をひとつずつ手作業で補修しているかのように。
「……よし、これでどうだ。」
修正を終え、再びシミュレーションを実行。
画面の上で、仮想ミナモが動き始める。
しかし、数分後、またもやエラーが返ってきた。
「クソッ、まだダメか……。」
何が原因なのか、すぐには分からない。
しかし、俺は諦めずにエラーログを確認し、
再びコードを書き換え、最適化を繰り返した。
何度も、何度も。
深夜の作業場、
俺の背中にはじっとりと汗が滲んでいた。
——ここまでやる必要があるのか?
そんな考えが、一瞬だけ脳裏をよぎる。
でも、それを振り払うように、俺はまたキーボードを叩く。
「やるって決めたんだ、最後までやるしかねぇだろ。」
書き換え、アップロード、テスト、修正——その繰り返し。
時計を見ると、すでに午前4時を回っていた。
窓の外はまだ暗い。
だが、俺の意識は研ぎ澄まされ、眠気すら感じなかった。
——そして、ついに。
「……成功、か?」
最後のコードを書き換え、
最新のOSがミナモのAIに適応された瞬間、
テスト環境上で、仮想ミナモがスムーズに動き始めた。
俺は、しばらくそれを無言で見つめた。
何度も確認し、バグがないことを確かめる。
問題なく動作し、知能処理にも異常はない。
——いける。
俺は深く息を吐き、
机の上にあるミナモの本体へと視線を向けた。
「……さて、本番といくか。」
パソコンとミナモを接続し、
最新のOSデータを本体へとインストールする。
画面上に、進行状況を示すバーが現れる。
『システムアップデート中……進行率 10%』
「……。」
静かに進行するバーを見つめながら、
俺は無意識に指先で机をトントンと叩いていた。
『進行率 30%』
『進行率 50%』
部屋の中は、電子機器の微かな駆動音だけが響く。
『進行率 80%』
『進行率 95%』
——そして、
『アップデート完了』
俺は、小さく息をつく。
「……終わったか。」
画面に表示された完了のメッセージを確認し、
パソコンのケーブルを外す。
目の前には、静かに横たわるミナモの本体。
今の彼女は、完全に新しいOSを搭載している。
以前のLX-7 PUPILではなく、
俺が書き換えた、新しい“ミナモ”だ。
だが——
「……本当に、これでよかったのか?」
俺の中には、まだわずかな迷いが残っていた。
新しいOSが、彼女にどんな影響を与えるのかは分からない。
彼女が以前と変わらず“ミナモ”でいられるのかも、分からない。
だが、それでも。
「……起動するしかねぇよな。」
俺は、ゆっくりと電源スイッチに手を伸ばした。
指先が、冷たいボタンに触れる。
「……よし。」
最後のひと息をつき、
俺は、ミナモの電源を押した。
——静寂の中、わずかな駆動音が響く。
果たして、彼女は目を覚ますのか?
それとも、もう二度と——。
俺は、固唾を飲みながら、
ミナモの瞳が開くのを待った。
――やがて。
静寂の中、ミナモの瞳が開いた。
淡い青色の瞳が、わずかに光を反射する。
——カチッ。
機械特有の小さな音がして、視線が俺を捉えた。
「……おじちゃん?」
俺は息を飲んだまま、彼女の顔をじっと見つめる。
——変わっているのか?
——それとも、変わっていないのか?
心臓が少しだけ早く脈を打つ。
「……ミナモ。」
試しに、名前を呼ぶ。
彼女は小さく瞬きをし、少し首を傾げた。
「はい?」
——変わらない。
まるで、数分前までここにいた時と何も変わらないような反応だった。
表情も、声のトーンも、仕草も、まるでそのまま。
俺は、ほんの数秒だけ沈黙し、
そして、大きく息を吐いた。
「……ははっ。」
安堵とも、落胆ともつかない笑いが漏れる。
「おじちゃん、どうしました?」
ミナモが不思議そうに首を傾げる。
俺は彼女を見つめたまま、
肩をすくめ、頭を軽くかいた。
「いや……何でもねぇよ。」
——やっぱり、20年前の技術者もやるなぁ。
俺は、自分の中に湧き上がるこの複雑な感情に、
どう整理をつければいいのか分からなかった。
——俺は、ミナモを“変えた”つもりだった。
ハードウェアのアップグレード。
OSの書き換え。
知能プログラムの最適化。
全てのプロセスを終えたはずだった。
それなのに——
「……変わらねぇのかよ、お前。」
俺は、目の前のミナモを見つめる。
新しいシステムを組み込んだはずなのに、
彼女の言葉の調子も、仕草も、反応も——
まるで何も変わっていないように見える。
“知能”の核に触れたはずなのに。
“意識”を司る領域まで再構築したはずなのに。
「……チッ。」
俺はわずかに舌打ちし、
ソファの肘掛けに体を預けた。
「やっぱり、AIの根幹はそう簡単に変わらねぇってことか。」
結局のところ、技術者がどれだけ弄ろうと、
20年前のエンジニアたちが作ったこの“LX-7 PUPIL”の“核”は、
完全に揺るがなかったということだ。
「……まったく、どこまで手が込んでんだか。」
俺は、軽く目を閉じ、深く息を吐いた。
技術者の矜持が詰まった20年前の設計。
そして俺は、そんな過去の技術者たちに
“挑んで”みたつもりだった。
だが、その結果——
「……完敗、かね。」
俺は皮肉っぽく笑いながら、
ミナモの淡々とした表情を見つめた。
変わってない。
良くも悪くも、ミナモはミナモのままだ。
「……まぁ、いっか。」
俺は電子タバコをくわえ、軽く煙を吐き出す。
「変わらねぇのが、お前の良さってことかもな。」
俺のそんな独り言に、ミナモはよく分かっていない様子で瞬きをした。
「おじちゃん、ミナモは変じゃないですか?」
俺は苦笑し、
「いや、いつも通りだよ。」と軽く答えた。
そう、いつも通りだ。
まるで、この数時間の作業が幻だったみてぇに。
俺はもう一度、大きく息を吐いた。
「……さて、と。」
そろそろ俺も、一息つくとするか。
この小さなアンドロイドが変わらなかったことに、
俺はほんの少しだけ、安心している自分に気づいた。
そしてそれが、ほんの少しだけ悔しくもあった。