表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/41

1話 人類は技術と共に

 男は起き上がると、まず枕元の電子タバコに手を伸ばした。

 寝ぼけたままの目を細め、無造作にくわえる。


「……チッ、充電切れかよ。」


 舌打ちしながら、適当に近くのケーブルを手繰り寄せ、充電器に差し込む。

 その間も体を伸ばそうとせず、ベッドの端に腰をかけたままボサボサの髪をかき上げる。


 半ば諦めたように、渋々立ち上がると、

 カーテンを開け、薄暗い光の中でぼんやりとした部屋を見渡した。


 壁には埃をかぶった写真が一枚。

 乱雑に置かれた作業着、ベルトにぶら下がる工具たち。

 修理用の工具が散らかった作業台使い込まれたアンドロイドの部品が転がっている。


 どれもこれも、昨日と変わらない風景だ。

「……クソ、コーヒー淹れるか。」

 ぼそりと呟くと、男はようやく重い腰を上げた。


「おはようございます。本日の東京は快晴。降水確率は0%。朝から気温は上昇中です。」


 男は無精髭を撫でながら、ダルそうにぼやく。


「……今日もくっそ暑いってことだよ。」


 キッチンに向かい、手慣れた仕草でコーヒーミルを手に取る。

 豆をざらりと掬い、ゆっくりとハンドルを回し始めた。


 ゴリ、ゴリ、ゴリ……。


 静かな部屋に、鈍い音が響く。


「クソったれ、たまには雨でも降りやがれ……。」


 窓の外をちらりと見やりながら、男はいつも通りの朝を迎えていた。


 スマホの着信音が、静かな部屋に響いた。

 男は挽きかけのコーヒーミルを片手に持ったまま、もう片方で無造作にスマホを掴み、スライドして応答する。


「大場修理株式会社です。」


 名乗った途端、電話の向こうから焦った声が飛び込んできた。


「大場か!?大場カイか!? いや、不味いんだ、まぁたアンドロイドが故障しやがった! 今月入って何度目だ!? くそっ、こっちは仕事にならねぇよ!」


 男は無精髭を撫でながら、面倒くさそうに目を細める。


「またですかい。」


 薄々予想はしていた。

 最近、ここの現場からの修理依頼がやたらと多い。

 どうせろくにメンテもせず、ギリギリまで働かせていたんだろう。


「とりあえずすぐに来てくれ!! 今回はもうダメかもしれん!!」


 電話の向こうの男は、息を荒げながら必死に訴える。

 大場はため息をつき、ゴリゴリとコーヒーミルを回す手を止めた。


「やれやれ……アンドロイドだからって、働かせすぎなんだよ。」


 そうぼやくと、スマホを乱雑にポケットへ突っ込み、壁にかけていた作業着を手に取る。

 ベルトに工具をぶら下げ、ちらりと窓の外を見る。


「クソったれ、朝イチから仕事かよ」


 ため息交じりにぼそりと呟き、男はようやく重い腰を上げた。


 彼は大場カイ。東京の下町、荒川区で旧式アンドロイド専門の修理業を営んでいる。


 33歳、自由を求めた男……独身だ。


 まぁ、自由ってのは結局、気楽なだけの話かもしれねぇがな……。


 とまぁ、結婚なんて面倒なものに縛られる気はさらさらない。

 気楽に仕事をして、適当に飯を食って、時々好きなコーヒーを挽く。

 それで十分だ。


 ……とはいえ、朝から修理依頼に振り回されるこの生活が、本当に自由なのかどうかは微妙なところだった。


 ガレージのシャッターが、軋んだ音を立てながらゆっくりと開いていく。

 差し込んだ朝の陽射しが、埃っぽい倉庫の奥に眠る一台の車両を浮かび上がらせた。


 古びた2tトラック。


 ボディのあちこちに塗装の剥がれや細かい傷が目立つが、年季が入った分だけ妙な愛着がある。

 フロントガラスには、いつ貼ったのかも分からないステッカーが色褪せて残っていた。


 カイは助手席側のドアを適当に開けると、ダッシュボードの中をまさぐる。

 目的のもの——予備の電子タバコを見つけると、「おっ」と軽く鼻で笑い、それをくわえながら運転席へと乗り込んだ。


 キーを回すと、重々しいエンジン音が倉庫の中に響き渡る。

 一拍の間を置いて、アクセルを軽く踏み込む。


「ヴォンッ……ヴォォォン……!」


 少しムラのある吹け上がりだが、まだまだ走れる。

 カイはハンドルを叩きながらぼそりと呟いた。


「さて、八潮の方に御用達だ……。」


 バックミラー越しに倉庫を一瞥し、ギアを入れる。

 古い車体が低く唸りながら、ゆっくりと前へ動き出した。


 倉庫の外へと出ると、強い日差しがフロントガラスに反射して眩しい。

 カイはダッシュボードの上のサングラスを適当に掴み、それを鼻に引っ掛けた。


 右手で窓を開けると、東京の下町の空気が流れ込んでくる。

 雑多な建物が並ぶこの街も、朝の喧騒が少しずつ色濃くなり始めていた。


「ゲホッ、シケてやがる!!。」


 軽く舌打ちしながら、ハンドルを切る。

 トラックは古びた路地を抜け、八潮へと向かう道へ滑り込んでいった。


 こんなんだが、2119年の夏。


 カイは片手でハンドルを回しながら、窓の外を眺める。


 未来の東京——とは言っても、大して変わっちゃいない。

 高層ビルは相変わらず空を切り裂くようにそびえ、

 駅前の雑居ビルには「テナント募集中」の古びた看板がぶら下がっている。

 アスファルトはひび割れ、路地裏には飲みかけの缶が転がる。


 令和の頃と違うのは、車のほとんどが電動になったことくらいか。

 それでも道路は渋滞し、歩道には相変わらず自販機が立ち並ぶ。

 広告ディスプレイはより鮮明になったが、流れているのは昔と変わらず、

 くだらない商品と、企業の宣伝ばかりだった。


 ただ、一つだけ違う光景がある。


 配送用のドローンが、電線の間を縫うように飛び交っている。

 かつてはトラックやバイクが担っていた配送業務も、今や空を飛ぶ機械の仕事だ。

 その下、歩道では自律型のデリバリーロボットが静かに進み、

 無人の警備ユニットが交差点を見張っている。


 コンビニの店員も、カフェのウェイトレスも、

 かつては人間の仕事だったものが、いつの間にか機械に置き換わっていた。


 カイは無精髭を撫でながら、ぼそりと呟く。


「唯一変わったことがあるとすりゃ……。」


 信号待ちの交差点で、人間とアンドロイドが当たり前のように肩を並べているのを見ながら、


「人は減ったが、人じゃないのは増えたってところかな。」


 そう言うと、カイはアクセルを踏み込み、八潮へ向かってトラックを走らせた。


 今時の車ってのは、無音で近づいてきやがる。

 電気モーターのかすかな唸りに、時折驚かされることもある。

 無音すぎて、気づいた時にはすぐ隣にいたりする。


 もちろん、カイのトラックもハイブリッドだが——

「そんなの、今の時代から言わせりゃガソリンを燃やす時点でナンセンスなんだろ。」


 気のせいか、隣の最新型EVに乗った男が、ちらりとこちらを見て鼻で笑った気がした。

 ちっ、余計なお世話だ。


 その時——


「ブッブー!!」


 クラクションが甲高く鳴り響いた。


 カイは思わずハンドルを握り直し、バックミラーを見る。

 後ろの車が、こっちに対してイラついたようにパッシングをしていた。


「あぁ? なんだよ……」


 ちらりと視線を前に戻すと、信号が青に変わっていた。


「……ったく。」


 渋々アクセルを踏み込み、トラックを前に進める。


 ともかく、今言えるのは……周りの車が静かすぎて嫌になるってことだ。


 カイのトラックは、八潮の工業地帯へと入っていった。


 このエリア一帯は無機質な灰色の建物が立ち並び、煙突からは白い蒸気が空へと溶け込んでいく。

 巨大な工場セクターが幾重にも連なり、その隙間を縫うようにトラックや作業用ロボットが忙しなく動いている。


 道路脇にはコンテナが山積みにされ、排気の匂いが鼻につく。

 舗装の荒れた路面には油染みが点々と残り、時折、鉄粉混じりの風が吹き抜けた。


 この街は朝も夜も関係なく、機械の音が止むことはない。

 クレーンが鈍く軋む音、遠くで聞こえる金属を叩く響き、

 そして、どこからともなく響くアンドロイドの合成音声。


 カイはトラックの窓を少し開け、乾いた空気を吸い込んだ。


「……相変わらず、殺風景なとこだな。」


 ハンドルを軽く切り、巨大な工場群の脇道へと入る。

 ナビに表示された目的地は、この先の片隅にある小さな施設——産業廃棄物処理場だった。


 そこは、工場セクターの陰に隠れるようにひっそりと存在していた。

 入り口には錆びついたフェンスが張り巡らされ、看板には薄くかすれた文字で 「八潮産業リサイクルセンター」 と書かれている。


 中を覗けば、廃棄待ちのコンテナが乱雑に積み上げられ、

 その隙間を縫うように無骨なアンドロイドたちが作業をしていた。


 ここが今回の現場だ。


 カイがトラックを停めると、工場の片隅から小柄なスキンヘッドの中年オヤジが勢いよく飛び出してきた。


 顔のシワは深く刻まれ、腕は意外なほどガッチリしている。

 油染みのついた作業着を着ており、その短い足でこちらにズカズカと歩いてくる。


「遅いぞ!! 大場!!」


 怒鳴る声が工場の金属壁に響き、カイは思わず片耳を軽く押さえた。


「おいおい、朝っぱらからそんな声張り上げなくても聞こえてますって。」


 そう言いながら車を降りると、オヤジは腕を組み、あからさまに苛立った顔で睨んできた。

 明らかに待ち焦がれていた様子だ。


 俺にコーヒーすら出さずにな。


「さっさと作業しろ!」


 オヤジは容赦なく命令を飛ばす。


 カイは工具ベルトを軽く叩きながら、肩をすくめる。


「へぇへぇ……でもねぇオヤジさん、今回は高いですよ。」


「なんだと?」


「なんせ朝イチの出張なんでね。こっちはまだコーヒーも飲んでないんですから、割増料金もらわないとやってられませんよ。」


 軽く皮肉めいた笑みを浮かべながら言うと、オヤジはチッと舌打ちした。


「構わん!さっさと直せ!!」


 どうやら金には困っていないらしい。

 それよりも、今すぐにでも動いてほしいといった焦燥感が滲んでいる。


 カイは無精髭を撫でながら、オヤジの肩越しに工場内を見やった。

 ちらほらと動きを止めたアンドロイドが立ち尽くしている。


「そのアンドロイドじゃねぇ!!」


 カイが立ち止まり、動きを止めたアンドロイドをしげしげと見ていると、オヤジが苛立ったように怒鳴り、ガシッと腕を掴んだ。


「おいおい、引っ張るなよ……!」


 そう文句を言う間もなく、オヤジはカイを工場の奥へと強引に引きずり込む。


 中は暑さと油の匂いが充満していた。

 大型の機械が所狭しと並び、床には鉄屑や切断されたケーブルが無造作に転がっている。

 作業アンドロイドたちが忙しく動き回る中、ひと際異様な光景が目に飛び込んできた。


 そこにいたのは——大型のクレーンロボット。


 高さは優に3メートルを超え、無骨なフレームがむき出しになっている。

 しかし、その巨体は本来の姿をとどめていなかった。


 頭部と右腕が無惨にひしゃげ、見るも無残な姿になっていた。


 衝撃でめり込んだ頭部、関節ごと捻じ曲がった右腕。

 まるで何かに押し潰されたような状態だ。


 カイは眉をひそめ、ため息をつく。


「……大型のロボットじゃねぇか。」


 オヤジは腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。


「別に小型が壊れたとは言ってねぇだろ!!」


「……いや、まぁそうだけどよ。」


 カイはひしゃげたロボットの損傷具合を見ながら、思わず額をかく。


「大型ならどう考えたって部品はねぇし、そもそもなんでプレスされてんだよ。」


 右腕は完全に潰れ、関節部分が千切れかけている。

 フレームの歪みからして、普通の衝撃じゃこうはならない。

 誤作動か、それとも作業中の事故か——いずれにせよ、修理が厄介なのは間違いなかった。


 オヤジは腕を組んだまま、じっとカイを見つめる。


「直せんのか?」


 カイは肩をすくめながら、ひしゃげた頭部に視線を落とす。


「……まぁ、一応見るよ。」


 ジャケットのポケットから診断モジュールを取り出し、ロボットの本体端子に接続する。


「回路は生きてるかもしれんし、片腕でも作業は出来るだろう。」


 そう言って、カイはゆっくりとタブレットを操作し始めた。


 カイは工具ベルトから細長いプローブを取り出し、ひしゃげたクレーンロボットの端子に慎重に差し込んだ。


「まずは電源チェック……っと。」


 タブレットを開き、ロボットの状態をスキャンする。

 画面に表示された診断結果を見て、彼は軽く舌打ちした。


「頭と右腕の損傷……内部フレームの破断……駆動系統のエラー……まぁ、見たまんまだな。」


 正直、まともに動く保証はない。

 それでも、回路が完全に死んでいなければ、動作の一部を制御できる可能性がある。


 カイは膝をつき、タブレットを左手に持ちながら、右手で本体の接続部を開く。

 内部には複雑に絡み合ったケーブルと基板が詰まっていた。

 しかし、一部の線がちぎれ、焼け焦げているのが見える。


「やれやれ……配線が逝ってるか。」


 ため息をつきつつ、ベルトから精密ドライバーを取り出す。

 ちぎれたケーブルの先を慎重に取り外し、応急処置用の接続コードを繋げていく。


 カチッ、カチッ。


 細かな作業が続く。

 タブレットの画面を時折確認しながら、電圧を測定し、通電を試みる。


「よし……基盤はまだ生きてるな。」


 カイはポケットから細い光ファイバーケーブルを取り出し、ロボットのメイン回路とタブレットを接続する。


「じゃあ、データを読ませてもらおうか。」


 タブレットの画面に、ロボットの稼働ログが表示される。

 作業記録、エラー履歴、バッテリー残量——

 そして、最後に残された視覚データ。


 カイは軽く眉を上げ、タブレットを操作する。


 ロボットのカメラが捉えた、最後の映像。


 画面には、工場内の風景が映し出される。

 淡々とクレーンを動かし、コンテナを積み上げる作業が続く。

 他のアンドロイドが行き交い、工場のざわめきがデータの中に刻まれている。


 しかし、ある瞬間——


 映像がブレる。


 ロボットの視界が急激に揺れ、警告メッセージが点滅する。

 そして、次の瞬間——


「——ッ!」


 カイの眉がわずかに動いた。


 カイはタブレットの画面を食い入るように見つめた。


 画面いっぱいに映し出されたのは、アンドロイドが潰される直前の映像だった。


 工場内の無機質な風景——そこに、一体の人型アンドロイドが立っていた。

 作業用のシンプルなボディ、どこにでもいる産業モデル。


 だが、そのアンドロイドは何か異常だった。


 クレーンロボットの視点が、ゆっくりと彼に向かって伸びる。

 まるで掴もうとしているような動作。


 カイは眉をひそめ、画面の再生速度を落とした。


「……なんだってコイツは、アンドロイドに手を伸ばした?」


 通常、クレーンロボットは決められたルートと命令に従って動作する。

 無関係な対象に対して動くことはありえない。


 なのに——


 この個体は、明らかに意図的にアンドロイドに向かって手を伸ばしている。


 警告メッセージが画面上に点滅する。

【動作エラー——外部命令不適合】

【機械的衝突警告】


 視界が大きく揺れ、次の瞬間、強烈な衝撃。


 映像が途切れた。


 カイはタブレットを見つめたまま、無精髭を撫でる。


「……どういうことだ?」


 ロボットが何かをしようとして、結果的に自分の頭を潰された?

 それとも、誰かが誤った指示を出したのか?


 カイはタブレットのログを遡りながら、ふと後ろのオヤジを振り返る。


「なあ、このクレーンが潰れたとき、誰か近くにいたか?」


 オヤジは腕を組み、難しい顔をした。


「さあな……気づいたらこうなってた。」


「作業記録とか、管理データは?」


「んなもん、うちの端末で見りゃわかるが……」


 オヤジはそこで言葉を止めた。


「……なんだ?」


「いや、事故の直後、こいつのデータが一部消えてたんだよ。」


 カイの目が鋭くなる。


「……消えてた?」


「そうだ。普通、動作ログは全部残るだろ? でも、クレーンのログはおかしなことに、一部ブランクになってた。何があったのか、うちじゃ分からねえ。」


 カイは小さく舌打ちをする。


「なんだそれ……事故じゃなくて、意図的にデータが消されたってことか?」


 潰れたロボット。消えた記録。

 そして、アンドロイドに向かって伸ばされた手——


「……こりゃ、ただの修理じゃ済まねぇな。」


 カイはベルトからドライバーを取り出し、クレーンロボットのコアモジュールを開ける準備を始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ