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彼女の物語  作者: shrimp
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最終話

扉が閉まればエレベーターが動き出し、数分かけて安全な地下に向かう。彼女は着弾までに移動を終えられるだろう。ぼくは歩き出し、もうそんな力もなくなったところでへたりと地面に座り込んだ。周りは相変わらず騒々しく、広大な土地にたくさんの人が残されたままとなった。

 小さな子どもを抱えている母親も、肩を寄せ合っている兄弟も、一人で寝転がり天を見上げている男性も、抱きしめ合う老人夫婦も、みんなここまでなのだ。ぼくが涙を流したのはいつ以来だろうか。感情豊かでときおり涙を流していた彼女に比べるとぼくは無機質な人間に思えた。自分は何かのために泣くことなどできない人間だと思っていた。なぜ泣いているのだろう。これはわたしが一人で生きていかなくてはいけないという現実に対する涙なのか、彼が避けられない運命の最中にいることへの涙なのか分からなかった。この涙はだれのためなのだろう。いまのわたしには気持ちを整理をする余裕など到底なかった。太い鉄の板でできたエレベーターの床は学校の教室みたいな広さがあって、放課後に初めて彼と手をつないだことを思い出した。彼の手はいつもひんやりとしていた。だんだんとわたしの体温が溶けて彼が温まり、心も身体も一緒になっていくあの感覚には、いつも胸が張り裂けるような思いだった。わたしが好きな人が、わたしと一緒にいるんだということがはっきりと感じられる、あの瞬間。わたしは彼がとにかく好きだった。じぶんではどうしようもないくらいに大好きだった。夕方の光に映し出された、彼のひんやりとした指。ふわふわと毛羽立った灰色のセーター。すこし緩んだ表情でわたしを見つめてくること。そのときのわたしのしあわせな気持ち。もうそのどれもなくなってしまうんだ。格納庫のようなこの場所は、ところどころの蛍光灯と黄色い点滅ランプ以外にはなんの光もなく、目が慣れるまでは暗くてたまらなかった。もっと彼との時間を過ごしたかった。きっと一生をかけても足りないんだろうけど、でも、せめて一生をかけたかった。彼は、わたしがわたしとしていられる唯一の人だった。たくさんのじぶんを彼を通して知ったし、優しさというものに触れあえて、愛するということをいっぱい理解できて、わたしは彼と出会えてほんとうによかったと心から思っていた。いつもいつも、彼がそばにいることへのうれしい気持ちや愛おしさが強くて、彼のお世話をしたくなっちゃうじぶんがおかしかった。わたしってそんな人じゃないのに。恥ずかしくてずっと伝えられなかったけれど、抱え込んでいたらじぶんが壊れちゃいそうなくらい好きで好きでしかたない気持ちを持っていた。とにかく彼と関わっていたかった。彼を見て、聞き、触れるたびにわたしの頭の中にたくさんの彼が住むようになって、それがものすごくかわいいことに思えて、ずうっと愛おしかった。なのに、わたしたちがなにをしたっていうんだろう。どうして愛し合ってるだけじゃいけないの? ただ好きだった、それだけなのに。あまりに残酷すぎる。でも、もうそんなことは考える必要すらないのかもしれない。もうすぐぼくは死ぬからだ。なにを考えたって、もうあと少しすればぼくはすべての意識を失い、彼女について考えることすらできなくなってしまうのだ。けれど彼女は違う。ぼくとの記憶を持ったままこれからの世界を生きていくのだ。いまのぼくにははっきりと分かる。残された彼女のほうがよっぽど強く生きていかないといけない。死にゆくぼくたちが残したものを、忘れられないものとして胸に抱えながら生きていくのだ。失われたものとともに生きていくそこに、幸せはあるのだろうか。なんのために生き残ろうとするのだろう。ぼくはいま、なぜ生きたいのだろう。ぼくは彼女を幸せに出来ていただろうか。彼女はこれから幸せになれるのだろうか。

 遠くから黄混じりの一閃(いっせん)の光が、ぼくの五感に飛び込んでくる。地平線から黒煙が()い上がるとそこを中心に爆風が弧を描き、地上のすべてのものを()らい尽くしながらぼくのほうへと向かってきた。彼女を照らしてきたまばゆいあかね色の光は、いまやこの世の終わりを、冷たく、ただ純粋に映し出すことしかしてくれなかった。彼女の黒い髪から漂う香りを思い出し、胸が苦しくなった。暗いシェルターの中にすこしずつ光が見えてきた。それは人類を救うようでいて、この世界の終焉(しゅうえん)を待っていたかのような乳白色だった。


ここまでがぼくのすべて。

ここからがわたしのはじまり。

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