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彼女の物語  作者: shrimp
7/8

シェルターへ

「すこし離れるだけだよね」

彼女は艶のある瞳でこちらを見ながらそう問うてきた。

「そうだよ。すぐ会えるから」

彼女は視線を下に落とし、両手でぼくの手を握りながらなでてきた。

「わたし、じぶんがこんなに人を好きになれるなんて思ってなかった」

ぼくもそうだ。

「たまにね、おかしいなって思うんだ。だって、血もつながっていない赤の他人なのに、いつからか()かれて、気付いたらじぶんじゃ取り返しがつかないような気持ちになっててさ。いままでずっと一人で生きていられたのに、今じゃもう一人で生きていくなんて、そんなことできないくらい弱くなっちゃって、わたし、どうしてこんなになっちゃったんだろうって、変だなって思うんだ。でも、好きだって気持ちをぜんぶ受け取ってくれるから、わたしを好きでいてくれるから、だからわたしは弱くなってもいいんだって、寂しい気持ちと向き合って、ずっと頑張ってきたんだよ」

彼女は泣きながらも力強くそう訴えてきた。彼女は、まだことばになりきる前のものをそのまま紡いでいるようだった。今までのどんなことばよりも不安定だけれど、とてつもない純度であった。

「シェルター内に速やかに移動してください!」

軍人が叫ぶ。いよいよ彼女とのすこしの別れが来るようだった。あるいは──。

「ずっとずっと好きだった。きっとぼくが思っている気持ちのすべてを伝えられなかったけれど、でも、すごく好きだった」

彼女は頭を左右に振った。その軌跡を追うように、束となった毛先がひらりひらりと宙を舞った。

「ちゃんと知ってるよ。ずっと大事に想ってくれてるの、ちゃんと分かってる。きっとすべてが終わったら、またいつもみたいに公園でデートして、街を歩いて、ただ隣にいたい。わたしたちの時間を過ごしたい。そういう日がいつ──」

突如耳をつんざく音がし、ぼくらの身体を切り裂くような鋭さで風が抜けていった。かなり近い場所での爆発だった。数百メートル向こう側の区画に爆弾が落ちたようだ。一面には黒が舞い、粉々になった残骸がそこかしこに飛び散り、吹き飛ばされた人たちもいた。

「危険です! 急いで!」

軍人の一人が彼女の身体をつかみ、シェルターのほうへと連れて行った。

「待ってください! わたし……」

「急がないと危険です!」

つながれていたぼくと彼女の手は離れた。ぼくは連れて行かれる彼女を呆然(ぼうぜん)と見つめていた。どんどん彼女が離れていく。まっすぐにぼくだけを見ている目は、この世の光をてらてらと反射させていた。そして、今までとは違う警告音が鳴り始め、放送が入った。大型の飛来物が付近に向かってきている。着弾までの予想時間は残り十数分。速やかにシェルターへ退避せよ、とのことだった。

 場は騒然となった。各シェルターには人が押し寄せ、とにかく入らせろと大勢が叫んでいた。シェルターは安全な状態になるまで数分かかるから、軍人は急いで閉鎖作業に入っていた。ぼくは頭が真っ白になり立ち尽くしていた。ぼくはこのまま逃れられぬ死を迎えるのだろうか? シェルターの扉はどんどん閉まりかけていて人々がなだれ込み、軍人たちがそれを抑えていた。危険ですから押さないで下さい。扉に挟まれてしまいます。

 意識がはっきりと戻ってきた後、ぼくも閉まってゆく目の前の区画に走り出し、彼女の姿を探した。ぼくは彼女の名前を何度も叫んだ。ほとんど閉じかけている扉の奥の方から彼女はぼくの声を頼りに人混みをぬって出てきた。

 ぼくらは最後に会うことが出来た。彼女は閉まりゆく扉の隙間から指を出してきて、ぼくはそれに触れた。彼女はとにかく泣いてしまっていてなにも言えないような状態であった。

「大丈夫。ぼくは大丈夫だよ」

そんな言葉しか出なかった。ぼくの頭の中にはありとあらゆる考えが駆け巡っていて、目の前のことを処理できやしなかった。じぶんがなにを言っているのかでさえあやふやだったが、震えていることだけはなんとなく分かった。

「ちゃんと暮らして、元気に、長生きするんだよ。いつかきっとぜんぶ大丈夫な日がくるから」

「だめ! だめ! そんなのだめ!」

彼女の声は遅れて聞こえてきた。ぼくはまばたきをしたときに、じぶんの頬を熱いものがつたったのを感じた。少しむずがゆく、だんだんと視界もぼんやりとしてきた。西日が差す誰もいない放課後の教室で、彼女の目が黄金色になり、髪の毛のふちが透き通った茶色で描かれている様子をなぜか思い出した。首元は(りん)としていて眉間にはしわが寄り、憂いのある表情で窓の外を眺めている。生きている彼女ははかなく、ただ美しかった。ふと照れたような表情になり口にきゅっと力を入れると、目線だけぼくに向けてきた。その日、ぼくたちははじめて手をつないだ。彼女の感情が(なぎ)のようにゆったりとぼくのなかに入り込んでくるのが分かった。つながれた指が離れていく。それが最後に彼女を感じた時間だった。

 シェルターは低い音をじりじり響かせながら閉まっていき、彼女の姿は見えなくなった。

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