デート
早朝に家を出たぼくらは途中の駅で合流し、目的の遊園地へと向かった。暗い時間は空いていた電車も、太陽が出てくるとだんだんと混雑してきた。低い位置から照らしてくる陰影の強い朝の白んだ太陽光は、彼女のことをきれいに照らしていた。ほんのり赤い頬にはぱらぱらと髪の毛がかかっていて、まつげが横顔から小さく飛び出していた。ぼくは肩にもたれかかっている彼女にちょっかいをかけたくなり鼻をつまんでみた。彼女は、なあに? と静かに反応した。朝が早くてまだ眠いようだった。彼女はまたぼくに体重をかけ目を閉じた。
密着している部分から彼女の体温がゆっくりと伝わってきた。ぼく以外のだれかがはかない生命を自我とともに生きているということがしっとりと感じられた。彼女の存在はぼくの意識の中に溶けていているようで、ぼくは彼女のことを自分のことのように、あるいは、意識しなくてもそこにある自分のこと以上に明確に認識していた。
向かいの席に座る中年男性は新聞紙を大きく開いている。一面の大見出しは国内の経済に関する話で、中間あたりには国外の戦況が小さく書いてあった。空爆により多数の市民が死亡、という見出しが見える。ぼくたちの国にはまだ影響が出ていないが、外の国では争いが行われていた。はじめのころはすべての情報がそのことだけになるくらい大騒ぎだったが、人間の慣れというのは怖いもので、すでに気にしている人はあまり多くなかった。
ぼくたちのいる場所でも戦争が起きたらどうするかと彼女に聞かれたことがあった。そんなことにはならないから大丈夫だと言っても、もしほんとうにあったらどうするのと重ねて聞かれた。もしもどちらかが一人で生き残ることになったら、残されるのとそうでないのとどちらが幸せなんだろうね、と彼女は続けた。生きることは尊いことだという前提はあるにしても、どう思って生きるかということはまた別の話だったので、ぼくはその場では答えられなかった。隣から、彼女の吐息が悠揚に流れてきた。
ぼくは彼女の手をぎゅっと握った。思いのほか高かった頂点に達しかけ、全身は緊張で固くなっていた。
「なんで2時間も並んでこんなことをしないといけないんだろう」
ぼくは思ったことをそのまま声にしていた。
「ええっ、乗りたいって言ったから来たのに!」
いつもよりも高い声で、異物を避けるように目を細めながら彼女はそう言った。
「いや、ごめん……。だって思ったより高くて。下にいる人たちがすごい小さく見えるし、全部ミニチュアみたいな……」
「だめだめ、下なんか見ない。見ちゃだめ。前を向いて、現実を受け入れましょう」
彼女はいつも、目の前に広がる現象をそのまま受け止めるみたいな意思があった。わたしが見ている世界はもうどうしたってそれでしかないんだから、向き合った上でどうするか考えないといけないんじゃないかな。彼女はそう語っていた。ぼくは正反対の考えだった。
ぼくにとって、自分が見ている世界、そして自分自身のことは、つねに夢であってほしいような考えがあった。この世界がうそのものであるかもしれないという考えは現実逃避ができて気持ちを楽に保てたのだ。だが、彼女に出会ってそういう感覚は少しずつ変容し、彼女と共有しているこの世界だけはむしろ現実であってほしいと思うようになっていた。けれど、彼女の圧倒的な現実志向みたいなものには前向きさというよりかはむしろあきらめが入っているような感じもあり、偏ることなくほどよく生きることが大事なんだろうとも思っていた。
ななめ上向きの身体から後ろへ逃げるようである彼女の髪の毛の一本一本が、上空のつめたい空気にさらされて青黒いように見え、真上から降り注ぐ明かりはその髪に円形の銀を作り出していた。彼女の手はいつもぼくより温かく、ほんのりと湿っていて、放課後の教室ではじめて握ったあの日からずっと変わらないままだった。人肌を感じるという心地よさをあのときから理解し、ぼくは彼女の手を握っているのが好きになった。手を握ることになんの意味があるのか分からなかったが、実際そうしてみると、手から伝わる温度や細かい動きを通して彼女の思いが流れ込んでくるような感じがあり、そこに愛しさを感じられずにはいられなかった。
「もしかして怖いの?」
彼女は核心を突いてきた。
「正直に言うと怖いというかなんというか、先が見えなくてこのあとどうなってしまうんだっていう恐怖があるよね」
「もう乗っちゃったからには行くしかないんだから。このまま手、握ってていいですから」
なんだか、ぼくはずっと彼女に支えられていた。頼りないんであろうぼくはずっと彼女にもたれかかっていた。ほんとうはぼくがもっとしっかりするべきだから申し訳ないし情けない気持ちでいっぱいなんだけれど、彼女のこういうところもまた好きでけっきょく甘えっぱなしだった。
頂点を越えたジェットコースターは勢いよく急降下し、びゅうびゅうと風を切りながらレールの上をものすごい速さで進んでいった。
その後はお化け屋敷にも行った。ぼくは細かい装飾品が気になり、怖い気持ちそっちのけで細部に目を通していた。恐怖体験をさせるために、よく考えて作られているなあなんて感心して、でも上を向くとむき出しな天井があって急に現実に引き戻されちゃうよなあなんて考えていたら、彼女は「ちゃんとわたしのこと守ってよ」と、割ときつめに怒ってきた。守るだなんて。ほんとうに幽霊から襲われるわけでもあるまいし。そう思ったけれど、本当に苦手なんだろうということが分かったのでだまっておいた。薄暗い場所だったのでそのときの怒った表情を見れなかったのが少し残念だった。
だが、基本的にはぼくの思惑通り、新しい彼女の姿をたくさん見れたデートになった。彼女は精神的な疲労を感じると塩っぱいものが食べたくなるらしく、アトラクションが終わる度に売店を見つけては軽食を口にしていた。ぼくはそんなに食べられないので、はふはふ言いながら頬張る彼女を横目に見ているだけだった。
「ソース口に付いてるよ」
「ほんと? どこ?」
「もうちょっと」
「このへん?」
「ああ、もうちょっと奥かな」
「もうちょっと? このくらい?」
「いや、もっと、まだまだ」
「え、え?」
「その調子」
「うなじまで来たんですけど」
彼女はじとりとした目でぼくのほうを見た。こういうときの彼女がすごくかわいくて、だからぼくは彼女に意地悪がしたくなってしまう。
「ばかだな。だまされちゃって」
「あーあ。うそついたの? まずはわたしをだましたことを謝ってくれないともうここから動きません。石像です。石像ちゃん。どうしよう、私がモアイ像ばりの有名な遺跡にでもなっちゃったら。ねえ。あ、うそつきは警察呼ぶから。罪状出てるので逮捕します。黙秘権はどうぞご自由に」
次々とまくしたてる彼女は楽しんでいるようで、それがまた愛らしかった。どうすれば彼女の言動がかわいくないと思えるのだろうか? じぶんの中に、愛情がここまで明確に生まれてくるなんて思いもしなかった。
他人に対して関心が薄い方であったし、じぶんのことで精一杯だから周りのことを考えながら生きていくみたいな器用さは持ち合わせていないものだと思っていた。でもいまはその逆で、じぶんのことなんかどこかに散らばってしまい、彼女への気持ちというもののほうがよっぽど強かった。頭の中へとどんどん入ってくる彼女の存在はぼくの胸を締め付けてきた。
帰りの電車では二人してぐったりとしていた。




